人はみな、愛されるために生まれた

あなたはされるために生まれた

 二十数年前のこと、ここ日本において、ヘレン・フィッシャーという女性人類学者の著作、「愛はなぜ終わるのか」が評判になりました。

それは著者が、「男女の愛は三年で冷め、四年で終わる、それは脳内ホルモンのドーパミン効果が三年で切れてしまうから」という分析をしたからなのですが、でも、人はみな、本来、愛されるためにこそ、この世に生まれたのです。

では誰から愛されるか。それは天地の神、世界の創造者、キリストの神からです。人はみな、愛されるために生まれたのです。たとい、誰からも愛されないとしても、神はあなたを愛しておられます。

は多くのを覆(おお)

 ところで、人というものは自身の過ぎ越し方を振り返る時、そこに多くの過失、失敗を見て後悔の気持ちを持つものです。

しかしキリストの神はそれらのミスを咎めだてるのではなく、赦して、包んでそしてカバーをさえしてくださいます。

まさに神の愛は、「愛は多くの罪をおおう」(新約聖書 ペテロの手紙)という大きな大きな愛なのです。

十字架に示された神の

その神の愛は今からちょうど二千年前の西暦三十年四月、エルサレム郊外にあるゴルゴダという名称の死刑場で明らかとなりました。

当日、神の独り子のイエス・キリストは不法な裁判により、無実の罪で処刑されました。しかし、その十字架刑による死は、私たちの取り返しのつかない罪のための身代わりであったのでした。そこに神の愛が示されています。

聖書の講話とゴスペル讃美をぜひどうぞ

そこで令和元年の六月二日日曜特別礼拝における講話のタイトルは、「人はみな、愛されるために生まれた」です。

真夏を思わせるような高温の日が続いておりますが、今年、街角の教会で行われる日曜特別礼拝に、是非お気軽にお越しください。

なお、この集いでは希望を明日へとつなぐゴスペルを楽しむこともできます。

ご来会を心よりお待ちしております。