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投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-16 16:22:06 (1784 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年12月16日 待降節第三主日礼拝説教

「十字架の道行きにおける『無知』と『無私』と『無理』

マルコによる福音書15章16〜22節(新約聖書口語訳79p)

 
はじめに
 
 ネックレスのデザインで最もポピュラーなものが十字架だそうです。縦棒と横棒を組み合わせただけのシンプルなフォルムが、かえって人の気持ちを惹きつけるのでしょうか。しかし、そのかたちの原型は死刑執行のための道具でした。
 
 特に古代ローマ帝国が処刑の手段として採用していた十字架刑は、ローマ政府の転覆や、ローマ国家への反逆を企む政治犯に対して行なわれた処刑方法であって、それは単に死刑囚を死刑にすることだけを目的としたものではなく、見せしめのための拷問という要素を伴ったものでした。
 
 通常、受刑者は自分が架けられることになる十字架を担いで市中を引き回され、それから刑場で磔(はりつけ)にされました。
 
 イエスの場合、早朝、ユダヤ行政長官ピラトによってローマ法に基づく死刑の宣告が下されたあと、その場で鞭打たれ、その後ローマの兵士に引き渡されました。
 
 この鞭打ちで使われた鞭は、棒の先端に結び付けられた数本の革紐に金属の輪が嵌められたもので、これで打たれると皮膚ばかりか肉も裂けるという残忍極まりないもので、時には打たれていた囚人が鞭打ちの途中で死んでしまう、ということもあったくらいの恐ろしいものでした。
 
「それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをムチ打ったのち、十字架につけるために引きわたした」(マルコによる福音書15章15節 新約聖書口語訳79p)。
 
 きょう、二〇一二年十二月十六日は日本国の命運と日本国民の将来が決まると言っても過言ではない総選挙の投票日ですが、人類の命運と将来が決まった日、それが西暦三十年四月七日の金曜日でした。
 
この日、イエスはユダヤの法廷とローマの法廷における違法な裁判の結果、有罪とされて、ローマ法により、十字架刑を執行されることとなったのでした。
 
ローマ・カトリック教会にはピラトの法廷から復活までを十五の場面に分けて「十字架の道行き」として、キリストの苦難を想い、場面、場面で瞑想をするという信仰があります。
 
 神学校の二年目の夏休み、熊本の教会に派遣された際に、派遣先の教会の牧師の好意によって、孔版印刷、つまりガリ版を習う機会が与えられました。その教室に一人の若いシスターが来ていて、その縁でこのシスターが所属している修道院と、修道院が経営をしている児童養護施設を案内してもらうことができたのですが、そのシスターの名前が確か、「ヴェロニカ」でした。
 
 「ヴェロニカ」は「十字架の道行き」の六番目の場面に登場するエルサレム在住の女性ということです。彼女は十字架を背負ってよろめき歩くイエスの汗を拭くため、身につけていたヴェールを差し出し、イエスが滴り落ちる汗を拭いて布を彼女に返したとき、そのヴェールにはイエスの顔が浮かび上がっていた、という伝説の主人公の名前が「ヴェロニカ」なのです。
 
今日の聖書箇所を読みながら、神学生であった昔、熊本で出会った柔和で気品のある、いかにもシスターらしい、シスター・ヴェロニカのことを思い出しました。私より少しだけ年上のようでしたが、いま、どこでどうしているのでしょうか。
 
 さて閑話休題、今週は刑場への道行きに表れた三つの「無」について思いを巡らしたいと思います。そこで説教題は「十字架の道行きにおける『無知』と『無私』と『無理』」です。
                            
 
1.「無知」が生みだす無情な悲劇―ローマ兵たち
 
 知識がない、という「無知」は本人が意識をしなくても、あるいは意識していないからこそ無情ともいえる結果を生み、気がついたときには取り返しのつかない悲劇を招くということがあります。
 
 ローマの行政長官ピラトからイエスの引き渡しを受けたローマの兵士たちは、エルサレムに駐屯している全部隊を召集して、イエスの死刑を執行することになりました。
 
「兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた」(15章16節)。
 
 ローマ軍は百人の兵士からなる「ケントウリア(百人隊)」が基本ですので、招集された「全部隊」(16節)は、おそらくはこの「百人隊」を意味すると思われます。
 
なお、「百人隊」を束ねるのが「ケントウリオ(百卒長あるいは百人隊長)」で、ローマ史家の塩野七生によりますと、これには特に勇猛果敢で人望のある人物が選ばれていたようです。
 
 しかし、この時、ローマの兵士たちはイエスに対して侮辱の限りを尽くしたのでした。
 
イエスは、支配者であるローマに対して反逆を企んだ「ユダヤの王」ということで死刑を宣告されたため、「兵士たち」は王様の服を意味する紫の衣をイエスに着せ、王様は王冠をかぶっているというので、鋭い棘のある茨で編んだ冠をかぶらせ、「王様、万歳」と言って敬礼のまねごとをし始め、さらには頭を小突きまわし、唾を吐きかけ、揚げ句には跪いて拝んだりしさえして、イエスを嘲弄しまくったのでした。
 
「そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、『ユダヤ人の王、ばんざい』と言って敬礼をはじめた。また葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた」(15章17〜20節前半)。
 
 塩野七生によりますと、市民権を持つローマの市民には兵役の義務があったそうですから、この「兵士たち」(16節)はみな、市民としての義務を果たすために誇りをもって軍人となったローマの中流の市民であって、それなりの教育も受け、また教養も知識も有る人々であったと考えられます。もっとも、ローマもこの時代(一世紀)になりますと、少々「兵士たち」の質の低下が目立ってきていたようですが。
 
 しかし何と言っても彼ら「兵士たち」には決定的な知識が不足していました。それは、彼らが刑場に連行しようとしていた囚人が罪人どころか、実はこの天地万物を創造された神の独り子なるお方であって、彼ら兵士たちの罪と罰のためにも自ら身代わりとなって死のうとされている救世主であり、世の終わりに開廷される最後の審判においては、彼ら兵士たちが揺らぐことのない恭順の意を示していて、しかも主、キュリオスと崇めるローマ皇帝も含めて、人類すべてをその地上の行為、生き方に応じて正しく審判する王の王、主の主であるという知識でした。
 
 自分が生きている狭い世界以外のことへの無関心と、真理を求めようとしない無知は、自分だけでなく、周囲を巻き込む悲劇を生み出します。 
 
終わりの時に、神に対して取り返しのつかないことをした、と嘆くことがないように、無知のままでいてはならないということを、この「兵士たち」(16節)に関する記事は私たちに教えます。
 
今必要なもの、それは鞭を打たれ、茨の冠をかぶせられて、十字架の道行きに臨もうとしているイエスが誰なのかということを、力を尽くして知ろうと努める姿勢です。 
 
 
2.「無私」が見せた究極の模範―救世主イエス
 
 全能の神の息子という身分であるにも関わらず、侮辱する兵士たちに対して、イエスは抗議もせず、抵抗する素振りも見せず、ただされるが儘になっていました。
 
 中国に「韓信の股くぐり」という逸話があります。韓信は紀元前三世紀後半に活躍した実在の人物ですが、彼が若いころ、町の破落戸(ごろつき)に絡まれた際、「自分は大望を懐く身である、ここでつまらない諍いに巻き込まれて将来を棒にふってはならない」と考えて、言われるままに股をくぐるという屈辱をあえて受けたという話です。
 
 しかし、韓信の場合、天下に名を立てるという野望があったからこその我慢であって、動機においても目的においても、イエスの対応とは似て非なるものなのです。
 
 いみじくもこの時のイエスの態度と胸中を忖度(そんたく)したのが、ペテロが書いたとされるペテロの第一の手紙における、イエスに関する記述です。
 
 イエスがローマ兵士たちからの侮辱を甘んじて受けたのはなぜか、韓信の場合はおのれの名を天下に残すという大望実現のためでしたが、イエスの場合、それは私たちの罪を清算し、新しく神との交わりに入っていけるための条件整備をするという大望を懐いていたことにありました。
 
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたはいやされたのである」(ペテロの第一の手紙2章24節 368p)。
 
 「わたしたちが罪に死に、義に生きる」(24節)とは、罪と縁を切り、神によって正しい者と認められた将来を生きる、という意味です。
 これこそが、イエスが大事にしていた大望でした。
 
 そしてもう一つ、イエスが無抵抗を貫くことができたのは、イエスが自らを「正しいさばきをするかた」(23節)、すなわち、何もかもご存知である全知の神、そしてできないことはないという全能の神に「いっさいをゆだねておられた」(同)からでした。
 
神がご存知である、だから「私」が出なくてもよい、「私」のことはすべてお任せしますという、信仰と信頼から生まれた「無私」が無抵抗の理由でした。
 
「悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず。苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた」(2章20〜23節)。
 
こうしてイエスは十字架を背負わされて、「十字架の道行き」へと追い立てられていったのでした。
 
「それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した」(15章20節後半)。
 
 「十字架」(20節)はギリシャ語で「スタウロス」と言いますが、これは「立たせる」という言葉から生まれたもので、縦棒と横棒を組み合わせたものの縦棒を刑場に「立たせる」ことによって刑を執行したからでした。 
 
なお、この十字架の縦棒の方は初めから刑場に用意されていて、死刑囚が刑場まで担がされたのは横棒だけであったようです。イエスはその横棒を肩に担いで刑場へと向かうこととなります。
 
 イエスの「無私」があったからこそ、人は救われるのです。ほんとうに有り難いことです。
そして救いを受けた者の目標は「無私」の生き方の追求です。そしてその過程にある者たちの模範が人類を愛し、そしてこの私を愛して「無私」を貫いたイエスの姿なのです。
 
 
3.「無理」から生まれた恩寵の選び―クレネ人シモン
 
 死刑囚は刑場まで、自分が架けられることになる十字架の横棒を担いで行かなければなりませんでした。しかし、徹夜で裁判を受け、残虐な鞭打ちで傷め付けられたイエスの体には、横棒でさえも担ぐ体力というものは残っていなかったのでした。
 
そこでローマの兵士は沿道の群衆の中からシモンという名の、体力がありそうな一人の男を選び出し、イエスに代わって十字架を担がせたのでした。
 
「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた」(15章21節)。
 
 「シモン」は過越の祭に出席するため、エジプトの西の方、現在のリビアの東にあるクレネからエルサレムに来たユダヤ人でした。毎日、朝から晩まで働いてお金を貯めて、ついに念願が叶って、家族、親族一同、一生に一度の大旅行を決行したとも考えられます。彼は感激しつつエルサレム神殿に詣でて過ぎ越しの祭に参加し、心を喜びに打ち震わせながら、この場を通りかかったのかも知れません。
 
それが何と、こともあろうに神を冒したという罪で有罪とされ、ローマに抵抗して死刑を言い渡されたテロリストが架かる十字架を無理やりに担がされる羽目になってしまったのです。彼は自らの不運を嘆きながら刑場に向かったことと思います。
 
 しかし彼は後に、イエスに代わって十字架を「無理に負わ」(21節)されたことを神の大いなる恵みとして受け止めたに違いありません。
 記者のマルコはシモンを「アレキサンデルとルポスとの父」(21節)と説明しておりますが、イエスの処刑から二十数年後、使徒のパウロがギリシャのコリントから帝国の首都ローマにある集会に宛てて送った手紙の中に、「ルポス」という名前があるのです。
 
「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とによろしく。彼の母は、わたしの母でもある」(ローマ人への手紙16章13節 254p)。
 
 もちろん、この「ルポス」が「シモン」の息子であったと断言することはできません。しかし、そうでないとも言い切れません。マルコがわざわざ「シモン」という名をあげ、しかも「アレキサンデルとルポスの父」と説明をしているということは、このあと「シモン」が信者となって教会の仲間になった、しかも良く知られた存在になったからと考える方が自然です。
 
 シモンにとっては自分の思いに反して「無理に負わ」された十字架は、当初は我が身の不運を嘆くものでしかありませんでしたが、後に、主の十字架を救い主に代わって担いだ者として自らの幸運を喜ぶ者、仲間からは羨望の眼差しで見られる者となったのでした。
 
 私たちの人生においては、自分では決して選ばないであろう立場、道があり、しかし、好むと好まざるとに関わらず、その道を進まざるを得ない、他に選択肢がない、という場面に立つ場合があります。
 
 しかし、その出来れば避けたい筈の「無理」(21節)が、無理難題が実は神の大いなる恩寵の契機になるという場合もあるのです。
 
本人から見れば、当座は「無理」やりという、まさに理不尽にしか思えないな選びが恩寵への招きであり、神による恩寵体験への契機ともなるということを、この、クレネ出身のユダヤ人、シモンにまつわるエピソードは教えてくれています。
 
今週はローマの兵士たちの「無知」、イエスの「無私」、そしてシモンの「無理」に思いを向けながら主の生誕の日を迎えたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-09 16:03:58 (1768 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年12月9日 待降節第二主日礼拝説教

「救世主は自ら進んで有罪となった(下)ピラトの法廷で

マルコによる福音書15章1〜15節(新約聖書口語訳79p)

はじめに
 
 十二月四日の火曜日、ついに衆院選の火ぶたが切って落とされました。政党乱立の乱戦模様のように見えますが、結局のところ、重病の母親の主治医の選択をめぐる争いと言えます。
 
三年前の夏、衰弱しつつある母親のため、「自分に任せて欲しい」と言って手をあげた若い未経験の医者に、「今の主治医は頼りにならない、一度、任せてみようか」とその治療を任せたところ、期待に反して母親の病状はますます重くなって、ついに瀕死の状態という結果を招いた、それがこの三年あまりの私のたちの母なる祖国の現状です。
 
それでももう一回、この若い医者を叱咤激励して重篤状態の母親を任せてみようというのか、それとも、反省を積み重ねて再起を誓うベテランにすべてを託すべきかと思案しているところに、医者志望の、しかし医学部に入学して間もないような少年が、「治療はボクに任せてくれ」と自信満々に言ってきたので、そんなに言うなら失望を承知で任せてみようかという、三者択一の状況でしょう。
 
ところで私たちの母なる祖国が当面しており、また克服すべき課題は三つあります。「安心」と「安全」、そして「安定」です。
 
まず、国民の生活、暮らしにおける「安心」です。そのためにはデフレからの脱却、景気の回復、経済の成長による雇用の促進等の具体策の立案、実行が求められています。
 
今回の総選挙ではエネルギーの問題、具体的には原子力発電が争点の一つとなっているようですが、原発を失くす方向に行くならば、電気料金の値上げは避けられません。
 
太陽光などの再生エネルギーが国のエネルギーの主力になるには相当の年月が必要となりますし、その間は液化天然ガスなどの化石燃料に依存せざるを得ませんが、そうなると料金の値上げによる家計の圧迫、零細、中小企業の倒産、大手企業の製造工場の外国移転、そしてそれに伴う雇用の減少は必然です。これをどのように食い止めるかという対策が必要となります。
 
実際、原発を主電源とするフランスの一般家庭の一カ月の電気料金は四千円代ですが、これに対して原発ゼロを目指すドイツの場合は既にフランスの四倍の料金が課金されているとのことです。
また、それに加えて温暖化の原因とされる化石燃料は地球環境に大きな影響を及ぼしますが、反原発を唱えるグループから、温暖化論議がいつの間にかすっかり消えてえてしまっていることも不思議です。
 
「安全」の面では外国からの侵略や不当な攻撃に対する固有の領土、領海の防衛のための堅固な対策があるかどうかも、憲法論議も含めてしっかりと検証しなければなりません。論議されている在日外国人への選挙権付与などの問題も、安全保障の観点から考えることが必要でしょう。
 
医療、年金、福祉等の将来的な「安定」のための確実な施策と、財源とされる消費税との絡みも問われることとなります。
教育問題もまた、国の「安定」のために不可欠な要素です。国が安定するかどうかは、教育力にかかっているといっても過言ではありません。黒船のペリーが日本占領を諦めたわけは、日本人の識字率の高さにあったと言われています。
さらに、捏造された被害なるものによって毀損されつつある国と国民の国際社会における名誉の回復もまた、国の安定のためには不可欠な事柄です。
 
そして、それらに加えて、掲げた政策を実現する能力があるかどうかを見抜かなければなりません。前回の総選挙では、薔薇色の幻想に惑わされた国民が、見識も能力もない素人集団に国の命運を賭けるという冒険に出て、結果として後悔の臍(ほぞ)を噛むことになってしまいました。
統計によりますと、詐欺に引っ掛かる人は何度も引っ掛かるそうで、そのため裏の業界では被害者の名簿が高価で売られているとのことです。
 
ですから、何を主張しているか、だけでなく、誰が言っているかという、信頼性の確認も必要となります。人を疑うということは悲しいことですが、騙されないためには本当かどうかを見抜く眼力が必要です。その眼力を養うために必要なのが教養であって、その教養を育むのが読書です。
 
「国家の品格」で有名な数学者の藤原正彦お茶の水女子大学名誉教授の口癖が、「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」だそうですが、この人が作家の曽野綾子との対談で「私に言わせれば、朝起きてから眠るまで、一ページも本を読まないという人は、もう人間ではない。ケダモノである。人間とケダモノの違いは、本を読むか読まないかなんです」と言っています(「日本人の矜持−九人との対話」新潮文庫)。
「ケダモノ」は流石に言い過ぎだとは思いますが、読書は大切です。
 
ところで聖書の一章はちょうど一ページです。人間であり続けるためにも、そして物事の真贋を見抜く眼力を養うためにも、一日一章、聖書通読に挑戦してみてはどうでしょうか。
誰もがその重要性を認識していながら、ついつい忙しさにかまけて疎かにしがちなことが聖書通読です。でも三日坊主でもよいのです。三日坊主を繰り返していれば、いつしか通読しないと気持ちが落ち着かなくなってきます。そうなればしめたものです。
 
本日は待降節の第二主日ですが、マルコによる福音書の説教を続けます。今週はユダヤの法廷を経て、ローマの行政長官ピラトの法廷に立つ主イエスの姿に注目をしたいと思います。
 
 
1.十字架で死ぬために、救世主は沈黙を貫き通した 
 
真夜中に行われた違法な裁判によって、イエスはサンヒドリンから死刑の宣告を受けました。
 
「すると、彼らは皆、イエスを死に当たるものと断定した」(マルコによる福音書14章64節後半 新約聖書口語訳78p)。
 
 しかし、イエスはユダヤ律法に基づく死刑である石打ちの刑を執行されませんでした。それは当時、北のガリラヤではヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスが領主に任じられていたのに対し、南のユダヤは帝政ローマの属州となっていて、そのためサンヒドリンは死刑執行の権限を行使できない状況にあったためでした。
 
 そこで議会はイエスを合法的に抹殺すべく、ローマ皇帝からユダヤに派遣されていたピラトの法廷にイエスを訴え出たのでした。
 
「夜が明けるとすぐ、祭司長たちは長老、律法学者たち、および全議会と協議をこらした末、イエスを縛って引き出し、ピラトに渡した」(15章1節)。
 
マルコによる福音書では「ピラト」には肩書きがついていませんが、マルコを下敷きにして書かれたマタイによる福音書の方には「総督ピラト」として出てきます(27章2節)。
 
イエスの時代、ローマ帝国は主に三つに区分されていました。ローマ「本国」と「同盟国」、そしてローマに降伏、占領された「属州」でした。その「属州」も、統治がし易い地域は「元老院属州」、そして不穏でややこしい地域は「皇帝属州」として皇帝から派遣された総督が軍隊を伴って駐留しておりました。
 
パレスチナはシリヤ属州として皇帝によって任命された総督が統治しており(ルカによる福音書2章2節参照)、南のサマリヤとユダヤはシリヤ総督の管轄下にあるユダヤ属州という扱いとなっていたようです。
そういうわけで、「総督ピラト」(マタイによる福音書27章2節)の「総督」は、正確には総督というよりも、長官あるいは代官の訳語が適切かと思われます。
 
当時のローマの版図は広大であって、その統治は皇帝の下、イタリアはもとより、現在のイベリヤ半島、フランス全土、ライン川から南のドイツ、ベルギー、オランダ南部、ルクセンブルグ、スイス南部、バルカン半島諸国、ギリシャ、トルコ、アルメニア、シリヤ、レバノン、イスラエル、そしてエジプト北部、アフリカ北部にまで及んでいたのでした。
 
その皇帝から、火薬庫のようなユダヤ地域の長官、代官として送り込まれたのがポンテオ・ピラトでした。紀元二十六年のことです。
 
訴えを受けて、その日の早朝、ピラトによる法廷が開廷され、そこでピラトはイエスに対し、「サンヒドリンはあなたをローマに逆らってユダヤの王を名乗る、国家反逆者として訴え出ているが、そうなのか」と最初の尋問をしました。
 
「ピラトはイエスに尋ねた、『あなたはユダヤ人の王であるか』」(15章
2節前半)。
 
 これに対し、イエスは口語訳では「そうだ」と肯定しているように見えます。
 
「イエスは、『そのとおりである』とお答えになった(15章2節後半)。
 
 これは、直訳すれば新共同訳のように「そう言っているのはあなただ」、あるいは「あなたはそう言っている」ということなのですが、文脈からは口語訳や新改訳のように、「その通りだ」と肯定している言葉でしょう。
イエスはユダヤの王のみならず、ローマの王でもあり、世界の王でもあったのです。
 
 問題はそのあとです。イエスは「そうだ」と答えたあとは、サンヒドリン側が根も葉もないことを口々に訴えても弁明することはせず、ピラトが聞いても無言を押し通すのでした。
 
「そこで祭司長たちは、イエスのことをいろいろと訴えた。ピラトはもう一度イエスに尋ねた、『何も答えないのか。見よ、あなたに対してあんなにまで次々と訴えているではないか』。しかし、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった」(15章3〜5節)。
 
 「自己愛性人格障害」という障害があります。このケースの人には、幼児のような自己中心性という性向から、そのため、たとえばトラブルが起きた場合、自分の方には非は一切なく、相手が百パーセント悪いと決めつけてしまう傾向があるとのことです。わたしたちの国のすぐ近くにもそのようなパーソナリティの国があり、何かと言うと「謝罪せよ、賠償せよ」と要求してくるのにはまことに困りますが。
 
イエスがこの手のタイプの人であったならば、口角泡を飛ばして自らには何の非もないこと、そして自分を讒訴したサンヒドリンを非難したと思いますが、イエスは
ローマの属州に属する民に与えられていた当然の権利としての抗弁権を放棄して、ただただ沈黙を貫き通します。
 
ローマの官僚機構の中で、権謀術数を弄して生き抜いてユダヤの行政長官という地位に昇り詰めたピラトにとって、自分を有利にするための権利を行使しようとしないこのような人物と、過去に出会ったことはありませんでした。それが「イエスはピラトが不思議に思うほどに」(5節)という記述に表れています。
 
 ユダヤの法廷では被告を有罪に持ち込むためには複数の証人が立てられていること、しかもその証言が細部にわたって一致していることが必須条件でした。ですから被告は黙秘の権利を行使して、証言の破れを待つことができました。
 
 しかし、ローマ法はそれとは反対で、被告は積極的に発言することによって、自らの無罪性を立証するというルールが基本でした。
 そこで不思議なのがイエスです。沈黙を貫けば無罪になった筈のユダヤ法廷では、口を開いてメシヤ宣言をし、無罪を主張すれば釈放される可能性の高かったピラトの法廷では最後まで沈黙を守り続けたのがイエスだったのでした。
 
 つまり、イエスは助かろうとはしていなかったのだということです。それは私たちの身代わりになる覚悟を決めていたからでした。
 八木重吉という中学校の教員がいました。昭和二年、二十九歳で妻と娘二人を残して早世してしまいましたが、キリストを信じる者として単純素朴な詩を多く残しています。
そしてとりわけ心をうつ詩が、「神の道」という詩です。
 
 自分が この着物さえ脱いで 乞食のようになって
 神の道にしたがわなくてもよいのか
  かんがえの末は必ずここへくる
 
 イエスの愛と犠牲を知れば知るほど、このままでいいのかと、いたたまれなくなるような気持ちになるという思いが伝わってくる、そんな珠玉のような詩です。それは赤の他人を救済するために沈黙を貫いたイエスを想う者の共通の思いでもあります。
 
八木重吉の詩は、あの口で文を書き、絵も描く星野富弘さんにも多大の影響を与えたとのことです。「詩が書けない時は、あなたの詩集を読みます。すると不思議と言葉が生まれてきます。最初のページをめくっただけで、詩ができたことがあります」(「八木重吉への手紙 あなたの素朴な心の詩に支えられて」いのちのことば社発行「八木重吉の詩と信仰 わがよろこびの頌歌は消えず」より)。
 
改めて、あえて沈黙を押し通したイエスを心から誉め称えたいと思います。
 
 
2.自らを救おうとした結果、ピラトはかえって人生を失った
 
 イエスと対照的であったのが「ピラト」でした。イエスはかつて、「自分を救おうと思う者はそれを失う」と言いました。
 
「自分の命を救おうと思う者はそれを失う、わたしのため、また福音のために 自分の命を失う者はそれを救う」(8章15節)。
 
 ピラトすなわちポンティウス・ピラトゥスは、ローマ皇帝ティベリウスの任命により、紀元二十六年から十年間、属州ユダヤの行政長官を務めたエリート官僚でした。
 このピラトはイエスに罪がないばかりか、訴えているユダヤ人たちの訴えの動機がイエスに対する妬みであることも分かっていました。
 
「それは、祭司長たちがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにわかっていたからである」(15章10節)。
 
 ですから最初のうちは何とかしてイエスを釈放しようと、訴える側と交渉するのですが、結局、現在の地位を守るため、自分の赴任先の指導者たちとの軋轢を避ける道を選び、正義を曲げて、罪のないイエスに対し十字架処刑という判決を下すこととなります。
 
「ピラトは言った、『あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか』。すると、彼らは一そう激しく叫んで、『十字架につけよ』と言った。それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、…イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした」(15章14、15節)。
 
 自分にとって大事であるとするものを守ろうとして、かえってそれを失ってしまったという典型がピラトでした。
 ピラトはその後、皇帝の側近として権勢を振っていたセヤーヌスという後ろ盾を失って、六年後の紀元三十六年、カリグラ皇帝によって解任されたということです。
 そればかりではありません、父なる神、子なる主イエス・キリストそして聖霊なる神への信仰告白である使徒信条において、「(主は)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け…」と名指しされる結果となってしまいました。
 
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言いますが、得ようとすればかえってそれを失い、捨てることによって得る、というこのどんでん返しの真実を知っている者は幸いです。
 
 
3.救世主の身代わりのお陰で、バラバはやり直す機会を得た
 
 自分のやったことの報いとして、当然死刑となるところを、幸運にもそれをイエスのお陰で免れた人がいました。それがバラバでした。
 バラバは反ローマ運動の過激な指導者として抵抗運動を組織し、暴動を起こしてローマの役人や兵士を殺害し、その結果、死刑を宣告されて収監されていた囚人であったようです。
 
 当時、祭の時には囚人を恩赦で釈放する習慣がありました。イエスを釈放したいと考えていたピラトは、イエスを釈放することを群衆に提案しましたが、サンヒドリンに扇動された一部の群衆は、凶悪犯罪者のバラバをゆるしてイエスを十字架に架けるよう要求したのです。
 
「さて、祭のたびごとに、ピラトは人々が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやることにしていた。ここに暴動を起こし、人殺しをしてつながれていた暴徒の中に、バラバという者がいた。…ピラトは彼らにむかって、『お前たちはユダヤ人の王をゆるしてもらいたいのか』と言った。…しかし祭司長たちは、バラバの方をゆるしてもらうように、群衆を扇動した。…それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした」(15章6、7、9、11、15節)。
 
 こうして十字架に架けられて当然の犯罪人バラバは、イエスに代わって自由の身となり、大手を振って人生を生き直すことができるようになったのです。十字架で終わった筈の人生をやり直す機会を与えられたバラバがその後、どのような人生を歩んだのかは知る術(すべ)はありません。
 
しかし、イエスがもしも沈黙せずに無罪を主張したならば、自分が赦される確率はほとんど無かった状況であったことを思う時、バラバはその後の人生をイエス抜きで考えることは出来なかった筈でした。
この死刑囚バラバに自分自身を重ね合わせてみることのできる人は幸いです。なぜならばその人は、これからの人生を神からの贈り物として、感謝の心、報恩の思いをもって生きる筈だからです。
 
神の御子の生誕を感謝する日が近づいてきました。ところでクリスマスの挨拶は「メリークリスマス」ですが、欧米では十二月二十五日のクリスマス当日だけでなく、もっと前からこの挨拶をするのが普通です。
年が明けてもいないのに「明けましておめでとう」と挨拶をしたら、それこそ「おめでたい奴」と言われてしまいかねませんが、クリスマスの前からなぜクリスマスの挨拶をするのかと言いますと、「メリークリスマス」は「I  WISH  YOU  A MERRY  CHRISTMAS(あなたにクリスマスの祝福がありますように)」という英語の挨拶の前半部分が端折られた省略形だからなのです。
 
そう言う意味で、ユダヤの法廷で、そしてピラトの法廷で自ら進んで有罪をなってくれたイエスのお陰で人生をやり直すことが出来た者にとり、神の御子が人となって生まれたクリスマスの恵みは、クリスマス当日だけでなく一年を通じて強く噛みしめるべき祝福なのです。
 
そこで今日もご一緒に言いましょう、「メリークリスマス!」と。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-12-02 16:47:36 (1964 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年12月2日 待降節第一主日礼拝説教

「救世主は自ら進んで有罪となった(上)―ユダヤの法廷で」

マルコによる福音書14章43〜49、53〜65節(新約口語訳77p)
 
 
はじめに
 
 一九九九年(平成十一年)四月、山口県の光市というところで、二十三歳の主婦と生後十一カ月の乳児が惨殺されるという事件が起こりました。
 
事件から四日後、十八歳と一カ月になる少年が逮捕され、一審の山口地裁、二審の広島高裁は共に無期懲役の判決を下しましたが、最高裁が「年齢は死刑回避の決定的事情までとはいえない」として判決を破棄し、二審の高裁に差し戻されることとなり、これを受けた広島高裁が審理の結果、元少年に死刑を言い渡しました。この判決に対して弁護側の方は即日控訴をしました。事件から九年後のことでした。
そして事件から十三年が経過した今年の二月、最高裁第一小法廷が弁護側の上告を棄却し、死刑判決が確定することになりました。
 
 ところが、この十月の末、弁護団が差し戻し判決に重大な誤りがあるとして、刑罰の軽減を求めるかのような再審請求を広島高裁にしたという報道がありました。
 
再審請求は刑事訴訟法にも規定されている権利であって、被告人の利益となる新たな証拠が発見されたときなどは、再審請求をすることが認められているのですが、本件の場合は弁護団が死刑反対論者で固められていることから、死刑回避のための再審請求であることは明らかです。
 
死刑廃止論は結構ですが、しかし、いわゆる人権派弁護士たちには加害者の人権だけが見えて、被害者や被害者の家族の痛みや人権にはまるで関心がないように見えるのはなぜなのかと思います。
 
また、元少年が起こした事件の残虐さ、拘置所における反省の無さ、差し戻し審における荒唐無稽の供述などを見る時、自己の欲望を充足させるために何の罪もない二つの命を奪いながら、自分だけは何としても生き延びたいという願望でこの死刑囚が足掻いているようにしか見えません。何とも往生際が悪いという印象です。
 
有罪が明らかでありながら死刑を回避したいと(もが)く者がある一方、明らかに無実でありながら自ら進んで有罪宣告を受けようとしたお方がメシヤ・キリストであるイエスでした。
 
今週から教会暦では待降節に入ります。昨年まで待降節の礼拝ではそれまでの説教シリーズを一時中断して、クリスマス関連の説教をするのが通例でしたが、現在、マルコによる福音書の連続講解説教が佳境に入っていることから、今年はマルコによる福音書の連続説教をこのまま続けることに致しました。
 
そこで今週と次週は自ら進んで有罪となったイエスに焦点をあてて、イエスの心情の理解に努めたいと思います。
 
 
1.法を曲げてでも、メシヤを有罪にしようとした神の選民
 
 エルサレムの東、ケデロンの谷の西側のオリブ山を少し上った所にあるゲッセマネの園で、イエスが人類の救いのために死ぬという最終の決断を、まさに孤独の中でした直後、ユダヤの最高議会のサンヒドリンから送られてきた警察が、扇動された群衆と共に、裏切り者のユダに手引されてイエスの逮捕のため、その園へとやってきました。
 
「そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒を持って彼についてきた。…人々はイエスに手をかけてつかまえた」(マルコによる福音書14章43、46節 新約聖書口語訳77p)。
 
 メシヤ・キリストとして神から送られたイエスを逮捕したのは、何と神の選民であるユダヤ国家の代表者たちでした。
「祭司長、律法学者、長老たち」(43節)とはユダヤの最高法院サンヒドリンのことです。サンヒドリンがイエスを逮捕した目的は、自分たちにとって都合の悪い存在となっているイエスを除き去ることでした。
 
自分の思い通りに生きたいと思っている人たちにとっては、聖書を正しく解釈し、神の意思をまっすぐに説くイエスは、極めて都合の悪い存在であったのです。そこで邪魔ものであるイエスを何が何でも抹殺するということになったのでした。
 
しかし、イエスを抹殺し、しかも影響力までも取り除くためには合法的な理由が必要です。そこでイエスが律法に従わない罪人であることを示すため、なりふり構わぬ行動に出たのでした。
 
サンヒドリンの議長である大祭司は、イエスを裁判するため、逮捕したその夜に七十人の議員を招集して議会を開きました。
 
「それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた」(14章53節)。
 
しかし、この裁判では違反を承知の違法行為が多く行われました。
 
第一は時間帯の問題でした。イエスの裁判は真夜中に行われたようですが、ユダヤでは、裁判を夜間に開くことは違法なことであったのです。
 
そして、時期が問題でした。裁判が行われたのは除酵祭の真っ最中でした。大きな祭の期間中の裁判もまた、違反でした。
 
さらに、裁判が行われる場所が問題でした。裁判は正式には神殿の庭にある石切りの間という場所で行われるのですが、イエスの裁判は大祭司の官邸で行われました。これも無効です。
 
さらにイエスを有罪にし、しかもその罪状が死に当たることを証明するために偽証人が立てられたのでした。しかし、ユダヤの法廷では証人は二人以上が必要で、その証言は細かいところまで一致していないと採用されませんでした。
大祭司が用意した偽証人はイエスに不利になるような偽りの証言を次々としましたが、証言が細部に及ぶと一致していないことが明らかになりました。何しろ、捏造した証拠ですから当然です。
 
「さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである」(14章55、56節)。
 
 「偽証」(56節)とは単に「偽」るということではありません。「偽証の目的は隣人を陥れるために行われるものです。ですからモーセの十戒で厳しく戒められています。
 
「あなたは、隣人について、偽証してはならない」(出エジプト記20章16節 旧約聖書口語訳102p)。
 
 モーセの十戒とは憲法のようなものです。それを、国会と最高裁判所の二つの機能を持つサンヒドリンの議長が破って、偽証人を立てて偽りの証言をさせたというのです。
 
 用意周到に準備した偽証も役に立たなかった、このままでは、折角逮捕したイエスを無罪ということで釈放しなければならない、焦り、そして業(ごう)を煮やした大祭司はついに、最後の手段として、違法な誘導尋問という行動に出ます。大祭司はイエスに向かって直接、「お前は神が遣わしたキリストなのか」と問います。
 
「大祭司は再び聞きただして言った、『あなたはほむべき者の子、キリストであるか』」(14章61節後半)。
 
 実はユダヤの法廷では被告が不利になるような証言に導く尋問もまた、違法だったのです。
 
 私たちはイエスの裁判に、法を曲げてまでも何とかしてイエスを有罪に追い込みたいとするユダヤ議会の執念を見るのですが、それが神の選民を自任して、異教徒を無知蒙昧の輩、神を知らぬ罪びとと蔑むユダヤ民族の指導者たちの振る舞いであったのです。
 
 この大祭司たちの思いと行動に、人間の罪、原罪というものが集約されています。
人間は神を求めます。しかし、人が求める神は正しいことを好む神ではなく、自分の願いを聞き入れてくれる神である場合が多いのです。
ですから、自分にとって都合の悪い神は無視し、無視することができなくなると抹殺します。神を殺せない場合、神を殺す代わりに神のことを極力考えないようにします。
それが現代の神殺しなのです。
 
 
2.その選民の救いのために、自ら進んで有罪となった救世主
 
 目的の為には手段を選ばない、目的遂行のためには法さえも曲げる、それがおのれを神とする者たちの特性でした。
 
 ところで不思議なのは、律法に精通している筈のイエスが、この大祭司の官邸における裁判では、裁判の不当性を少しも訴えていないこと、そして大祭司の違法な誘導尋問に引っ掛かるかのように、それまで一言の弁明もしなかったのに、最後の場面で、口を開いて自分がキリストであると答えたことでした。
 
「イエスは言われた、『わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に坐し、天の雲に乗って来るのを見るであろう』」(14章62節)。
 
ユダヤの法廷では、被告にも一定の権利が認められていました。その一つが「黙秘の権利」でした。被告には自分に不利な証言はしなくてもよいという権利が保証されていたのです。イエスももちろん、その権利を行使することができました。ですから、もしもこのままイエスが黙秘を貫いたならば、圧倒的な権力を持つサンヒドリンと雖も、イエスを無罪放免せざるを得なかったのです。
 
ところがそれまで何を言われても沈黙を続けていたイエスが口を開いて、「そうだ、あなたがたは私が神のキリストとして、神の権威をもってこの世を統治するのを見ることになる」と、自分に不利になるようなことを、しかも大祭司が泣いて喜ぶようなことを答えてしまったのです。
 
 「しめた」と喜んだのは大祭司でした。これでイエスに死刑を宣告することができるからです。こうしてイエスは議会によって死に当たるものと断罪されたのでした。
 
「すると大祭司はその衣を引き裂いて言った、『どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか』。すると、彼らは皆、イエスを死に当たるものと断定した」(14章63、64節)。
 
 なぜでしょうか。なぜこのような結果になったのでしょうか。実は、イエスは有罪の宣告を受けるためにあえて裁判にかけられたのでした。イエスがもしも無罪となってしまったならば、人類の身代わりとなって死ぬことができなくなります。ですから、イエスは罪など少しもないにも関わらず、自ら進んで有罪となられたのでした。
 
 イエスの裁判から二十数年後、パウロはローマにある教会に対し、それこそが神の愛の現われなのだと、熱情込めて説いております。
 
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ人への手紙5章6〜8節 新改訳)。
 
 一般的にいって、自分とは関係のない「正しい人のために」(6節)「死ぬ」(同)などという人は皆無である、では自分のために犠牲を払ってくれた「情け深い人」が困難の極みにいるならば、その人のために「進んで死ぬ人があるいはいる」(7節)かもしれない、しかし、神を恐れるどころか神に敵対していた「不敬虔な者のために死んでく」(6節)れたことによって、神が愛であることが明らかとなった、というわけです。
 
 イエスはご自分を殺そうとする神の選民の指導者のためにも、そして
選民ならぬ神に背いて来た私たち現代を生きる者たちのためにも、自ら進んで有罪となってくださったのでした。
聖書はそのことが、神が私たちを愛してくれていることの証拠だと言います。
 
苦難の中で、「神はどこにいるのだ、神は私を見捨てた」と嘆く者がいるならば、確かに今、神は沈黙しているように思えるかも知れません、しかし、神は無実の独り子を有罪とすることによって、神が生きていること、神が愛であることを示されたのです。その神が、ご自分に寄り縋る者を見捨てるわけがないのです。
 
 
3.人類の罪と罰を負うために、あえて有罪となった救世主
 
 イエスが自ら進んで、死刑の宣告を受けてくれた目的はどこにあるのでしょうか。その目的は、二つあります。
 
 一つは私たちの罪の身代わりとなるためでした。罪のない人であるイエスが罪人(つみびと)である私たちの身代わりに死んでくれたことによって、神は私たちを罪のない者と認定してくださるのです。これは誰もが知っていることです。
 
 しかし、イエスはもう一つの目的を達成するために有罪となってくださったのでした。それは私たちが受ける筈の罰を代わりに受けてくれるためでした。
 
でも、罪は赦されても、罪の報いとしての罰は受けなければなりません。人を殺してしまった者は、家族が赦してくれたとしてもそれで済むわけではなく、定められた刑罰を受けなければなりません。
 
 実はイエスはこの時、罪の報いとしての罰を人間の代わりに受けるためにも、有罪となって死のうとしたのでした。
 
 宗教改革者となったマルティン・ルターを激怒させたものが、ローマ教皇庁が発行した御札(おふだ)でした。
これは一般には「免罪符(めんざいふ)」として知られています。「免罪符」とあるのだから「罪を免れるお札」という意味になるのですが、そうではありません。これは正確に言えば(そんな言い方はどこにもないのですが)罰を免れるための「免罰符(めんばつふ)」であって、専門的呼称は「贖宥券(しょくゆうけん)」でした。
 
ローマ・カトリックの教えでは、天国とこの世の間に煉獄という所があって、一般の信徒は信仰によって罪は赦されたとしても、だからといってすぐに天国に行けるというわけではなく、天国に行く前に煉獄という中間の場所で、罪の罰を受けなければならないと教えました。
煉獄は罪を「贖(あがな)」い、神を「宥(なだ)」めるために罰を受ける一種の刑務所というわけです。
 
ただ、聖人は有り余るほどの功徳(くどく)を積んでいるので、その功徳を分けてもらえれば、煉獄に行くことなく、天国に直行することができる、その聖人の功徳を分けてもらうために購入する必要があるもの、それが「免罪(罰?)符」「贖宥券」なるもので、ルターが耳にしたお札売りの口上は、「この箱の中で金貨がチャリンと鳴ったその瞬間に、煉獄にいるあなたの家族は天国に行けるのです」というものであったと言われています。
 
一五一七年十月三十一日、ルターは九十五カ条の質問状によって、ローマ教会に論争を挑みました。
 
そのタイトルは「贖宥(しょくゆう)の効力を明らかにするための討論」でした。
ルターはその第一条において、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ…』〔マタイ四・一七〕と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうのである」(「ルター著作集 第一集」緒方純雄訳 聖文舎発行)と言い切ることによって、聖人の功徳によらず、悔い改めてイエスを信じることによってこそ、罪と共に罰からも救われるということを指摘したのでした。
 
つまり、イエスは罪の身代わりだけでなく、罪の報いとしての「罰」をも身代わりとして受けてくれたのだ、だから聖人の功徳を購入する贖宥券などというお札は不必要なのだ、という意味です。
 
因みにローマ教会において洗礼の際に聖人の名をつける洗礼名というものがありますが、これはその名前の聖人が守護聖人となるという意味だけではなく、聖人の功徳を分けてもらうことができるように、との意味もあるそうです。
しかし、功徳はイエス・キリストの十字架の功徳だけで十分なのです。
 
イエスは「罪」だけでなく、私たち人類が受ける筈の「罰」をその身に受けるためにも、自ら進んで有罪となってくれたのです。
もちろん、この地上において、もしも刑法に触れるような犯罪を犯した場合には、所定の刑罰を受けなければなりません。
しかし、神への罪は罰もろとも、イエスの身代わりによって赦されているのです。つまり、イエスを信じる者は誰であっても信じた瞬間に無罪とされるのです。
 
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである」(コリント人への第二の手紙5章21節)。
 
 この場合の「罪のため」(21節)の「罪」には人が受けねばならなかった「罰」も含まれているのであることを承知してください。
 
待降節に入りました。今週は私のために敢えて沈黙を破って、自ら進んで有罪となったイエスを日夜、想う週でありたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-11-25 16:51:14 (2020 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年11月25日 日曜礼拝説教

「尊い決断は孤独の中でなされた―ゲッセマネの園で」
   
マルコによる福音書14章32〜42節(新約聖書口語訳77p)
 
 
はじめに
 
 日和見(ひよりみ)を意味する「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」という慣用句の「洞ヶ峠」は、京都府の八幡市と大阪府の枚方市との間にある峠です。
 
伝えられるところでは、織田信長を討った明智光秀から助勢を要請された大和郡山の城主、筒井順慶が、この峠まで兵を進ませながら、最後の段階で明智光秀と羽柴秀吉のどちらに付くかを見定めるべく日和見をした峠として有名になりました。
 
 しかしこれは俗説であって、実際には筒井順慶は洞ヶ峠には行っていないのですが、洞ヶ峠からは京都、大阪が一望できるところから、この俗説が生まれたようです。筒井順慶こそ、いい迷惑です。筒井順慶は三十六歳という若さで亡くなりますが、教養のある立派な武将であったとのことです。
 
 十一月十六日に衆議院が解散しましたが、その後、計十四もの党が乱立し、戦国時代さながらの合従連衡(がっしょうれんこう)、離合集散が繰り返されております。十四の党名を言える人は相当の政治通だそうです。
新党が出来たと思ったら次の日には勢いのある新勢力と合併したりと、何が何やらわからない状態のところに、政権与党を見限った議員さんたちが、あたかも沈む船から逃げ出すネズミのように次から次へと離党し、ある者は有力と言われる第三極とやらの勢力に加わり、ある者は新党を立ち上げるなど、かつてないような混乱が現出しています。
 
 一方、離党せずにそのまま中に止(とど)まっている議員さんの中にも、「止まっても地獄、出ても地獄」の状況の中で、「ならば止まるしかない」との選択をした人、せざるを得なかった人も多いといわれています。
しかし、問題はその動機と目的です。誰もが国民の幸福、国家の繁栄を強調しますが、本音のところは自らが生き残れるかどうかで出処進退の判断を下しているかのように、有権者に見えてしまう、そこがこの国の今の政治状況です。
 
秀吉が光秀を破って天下統一のきっかけとした「山崎の戦い」から二十年後、英国において、ウィリアム・シェイクスピアが悲劇「ハムレット」を書き上げました。
 
デンマークの王子ハムレットは、父の急死の直後に母親と再婚した父の弟の叔父が、実は王位を纂奪するために父王を毒殺したことを知って、「To be, not to be:that is the question(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)」という有名な台詞を発するのですが、これには実に多くの日本語訳が充てられています。
 
有名なのは坪内逍遥の「存(ながら)うか、存(ながら)へぬか、それが疑問ぢゃ」という訳で、以後、ほとんどの訳はこれに従って、生きるか死ぬか、どっちにするかが問題だ、つまり、「自分にとってはどっちの方が楽なのだろうか」という意味で訳しています。
 
これに対して、ハムレットが自分の父を殺し、母を奪った叔父に復讐をするかどうかで悩んでいるということから、「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」と訳したものもあるそうで、その場合、「問題」になっているのは叔父に対してハムレットが復讐という行為に踏み切るべきか否かということになります。
どちらにせよ、ハムレットが二つのものの間で板挟みになって悩んでいるということは確かですが、その「問題」とはあくまでも、自分の気持ちを満足させるにはどちらがよいかという悩みのようです。
 
しかし、今から二千年前、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と悩み抜いた末に、ついに死ぬことを決断した人がいたのです。それがキリストであるイエスでした。
 
多くの人は、「イエスは誰よりも深く死を恐れた人だった」と言ったら、不思議に思うと思います。
しかし、人であった時のイエスは、死を、とりわけ罪びととしての十字架の死を恐れました。できることなら、十字架の死という道を通らないで人類の救済を実現することができないものかと、自問自答をし、何度も神に祈ったのでした。
 
今週の礼拝では、オリブ山のゲッセマネにおけるイエスの祈りを通して、イエスが孤独の中でくだした尊い決断について考えたいと思います。
 
 
1.人であったイエスは、深い孤独の中で死の恐怖と向き合い続けた
 
 過越(すぎこし)の食事を終えたイエスと弟子たちは、最後に讃美を歌い、それからオリブ山へと出かけて行きました。
 
「彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へと出かけて行った」(マルコによる福音書14章26節 新約聖書口語訳77p)。
 
 彼らが食事の最後に歌った「さんび」(26節)とは、「主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」で始まる詩篇百三十六篇であったと思われます。
 
 イエスと弟子たちが向かった「オリブ山」(同)は、ケデロンという名の谷を挟んで、エルサレムのすぐ東側にある小高い山で、山全体にオリーブの木が植えられていることから名づけられたようです。
 
山を少し上った所には、油搾りを意味する「ゲッセマネ」という名の庭園がありました。そこはイエスのお気に入りの祈りの場であったようです。
 
 ユダの裏切りにより、イエスの逮捕は時間の問題となっていました。それでもイエスがしたことは逃亡することでもなく、抵抗のための作戦立案でもありませんでした。
到来するであろう危機を目前にしてイエスがしたことは何かと言いますと、祈りの場に身を置くことであったのです。
 
「さて、一同はゲッセマネというところにきた。そして弟子たちに言われた、『わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい』。そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい』」(14章32〜34節)。
 
 この「ゲッセマネ」(32節)の園でイエスは「恐れおののき、また悩むはじめ」(33節)、弟子たちに対し、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」と胸中に生じている恐怖と苦悩の思いを告げております。
あのイエスが、です。イエスは何を「恐れ」(32節)、何に「おのの」(同)いていたのでしょうか。
 
 イエスが恐怖を感じていたもの、それは死ぬことに、でした。「そんなことは信じられない、あのイエスさまが死を恐れるなんて」と思う人がいるかも知れません。しかし、そのように思う人は、実は死というものが何かということがまだよくわかっていない人なのです。
 
 オスカー・クルマンというスイス出身の新約学者がいました。この人の書いた「霊魂の不滅か死者の復活か」(岸千年・間垣洋助訳 聖文舎刊)という短い論文を読んで、イエスが死を恐れたということの深い意味を初めて知りました。
 
 クルマンはこの論文の中で、「霊魂不滅」の思想はギリシャ思想であって、キリスト教の教えではない、キリスト教はあくまでも「死者の復活」をもって救済としている、ということを解説し、そこから死というものをめぐって、イエスと紀元前五世紀後半に活躍した、古代ギリシャの偉大な思想家、哲学者であるソクラテスとを対比します。
 
ソクラテスは裁判にかけられました。彼の告発者は、スパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)においてアテネが敗北したのはソクラテスが間違った教育を施したことによって若い指導者たちが惑わされたからであるとし、死刑を求刑します。
 
結果、裁判はソクラテスの死刑で終結するのですが、ソクラテスの対応によっては死刑ではなく、死一等を減じられる追放処分になる可能性もありました。しかし、ソクラテスは信念を曲げず、また死を恐れることもなく、自ら毒杯を呑んで従容(しょうよう)として死を受け入れたというのです。
これに対し、イエスは死に対して「おそれおのの」(33節)いています。
 
クルマンは言います、この違いはなぜかと言うならば、それは死に対する両者の理解の違いにあったのだ、と。
 
ソクラテスにとって死とは、たましいにとって引っ越しをするようなものだったようです。ソクラテスの死後、弟子のプラトンがまとめた裁判の記録(これは「ソクラテスの弁明」として知られています)によれば、ソクラテスはこう言っています。
 
「死ぬということは、次の二つのうちの一つなのです。あるいは、全くない無(む)といったようなもので、死者は少しも感じないのか、あるいは、言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から他の場所へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。
 
そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、人が寝て、夢ひとつ見ないような場合の、眠りのごときものであるとしたら、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう」(「ソクラテスの弁明」田中美知太郎訳 河出書房新社)
 
 「ソクラテスの弁明」によれば、ソクラテスにとって死とは、「びっくりするほどの儲けもの」であったというのです。
 実は、古代のギリシャ人は、地上の肉体は魂にとっては牢獄のようなものであって、だから死とは魂を自由へと解き放つ救済の道であると考えていたようでした。
それが「(死とは)たましいにとって、ここの場所(地上)から他の場所(天上)へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなこと」というソクラテスの述懐に表れているのです。
 
 しかし、イエスの理解は違います。イエスにとって人の死とは神の住む天に移ることではなく、命の神との交わりからの切断であって、死は救済どころか永遠の滅びを意味しました。
 
しかもこの時のイエスは、特に意識においては永遠の命を持つ神の御子という身分を捨てた、まさに人そのものであったのです。しかも、しかも、イエスの場合、理性、意志、感性において完全な人でしたので、人として余計、死は恐るべきもの、避けたい道であったということになります。
 
 そしてそれが父なる神に向かって、「もしも出来ることであるならば、このような場面を回避させてください」という願いとなり、人類の救済にあたって「十字架の死という道とは別の道はないものでしょうか」という祈りとなったのでした。
 
「そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、『アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください』」(14章35、36節前半)。
 
 しかもこの時、イエスを支えるべき弟子たちは何と眠り込んでいたのでした。
 
「それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので」(14章37節前半)。
 
 イエスは孤独の中で、死の恐怖と向き合い続けていたのです。そして、それはご自分のためではなく、人類のため、そしてこの私のためであったのでした。
 
 今日、深い孤独の中で死と向き合い続けたゲッセマネのイエスを思う者でありたいと思います。
 
 
2.人であったイエスは、神の意志が我が身に実現するようにと苦悶の中で祈った
 
 覚悟してきたとはいえ、イエスにとって死は耐え難いことでした。しかしイエスは孤独の祈りの中で、意志的に告白します。それは、「もしも十字架の死という方法以外で人類を救済することができないのであれば、父よ、わたしはあなたのご意志に従います」という決断でした。
 
「しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(14章36節後半)。
 
 でも、この時のイエスは「みこころのままになさってください」(36節)と祈りつつも、それはまだ理性と意志から生み出された祈りであったため、神に自らを完全に委ね切ったものとなるには、更なる祈りが必要であったのでした。
 
マルコが残した記事によればこの決断のあとも、イエスは何度も同じ言葉で祈り続けたのでした。
 
「また離れて行って同じ言葉で祈られた」(14章39節)。
 
 「イエスでさえ、そうなのか」と、凡人はついつい思ってしまうのですが、そうではなく、むしろイエスだからこそ、人として完全なイエスであったからこそ、死というものの恐ろしさを知っており、だからこそ、罪びととして死にたくはない、人として立派な人生を生きていきたいという思いと、人類の救いのため、救い主となって身代わりに死ぬということの使命の狭間で、苦しみ悶え、そして時間をかけて徐々にその尊い決心を堅固なものにしていく必要があったのでした。
 
 イエスは十字架の死という苦い「杯」(36節)を飲む義務を人に対して負っているわけではありません。また、神に対して負っているわけでもありません。
これを断ることもまたイエスの自由であり、仮に断ったとしても神がイエスに怒りを向けるというわけでもありませんし、況してや、人がイエスを責めるような筋合いのものではありませんでした。 
十字架における身代わりは、まったくのイエスの自由意志による行為であったのです。
 
 そしてイエスはただただ、神を見失っている私たちを生ける神と結びつけるために、救い主としての道を進み行こうと、自分で決めてこの場にまで来てくださったのでした。
 
このイエスの選択に、ただひれ伏して感謝を捧げるのみです。
 
 
3.人であったイエスは、尊くも人の身代わりとして死ぬことを決断した
 
 そして、苦悶の祈りの格闘の末に、理性、意志のみか深い感情を含めた心の底までの一切の思いを、ついにイエスは神に委ね切ったのでした。
 
 イエスは祈りの座から立ち上がり、そして、自分たちのために苦しんで祈っている師をほったらかしにして眠り込んでいる弟子たちを起こしながら、決然として言います、「起(た)て、われら往(ゆ)くべし」と。
 
「三度目にきて言われた、『まだ眠っているのか。休んでいるのか。もう、それでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた』」(14章41、42節)。
 
 
イエスの決断はある種の気分の昂揚や、過度の興奮状態によるいっときの決心などではありませんでした。またソクラテスのように、死を救済と考えるような楽天的死生観によるものでありませんでした。
それは人の死の、とりわけ神から切り離された状態における死の底知れぬ恐怖を十分に認識した上での決断だったのです。
 
しかもその苦しみは自分のためではありませんでした。愛されるに値しない者への想像を超える愛、それがイエスの決断の動機であったのです。まことに尊い、他に比肩するもののない有り難い決断でした。
 
その犠性は、損得で考えれば到底割に合わない行為でもありました。でもイエスは神に対する信仰と従順、人類に対する愛と憐れみのゆえに、この恐るべき葛藤に勝利して、十字架の死、屈辱の死という「杯」(36節)を一滴残らず飲み干すために、祈りの座から立ち上がり、十字架へと踏み出してくださったのでした。
 
先週のはじめ、説教準備のためにゲッセマネの園のイエスについて思いめぐらしていたとき、「主とします」という讃美の断片が心に浮かびました。讃美であることはわかったのですが、タイトルどころか前後の歌詞も思い出せません。そして一日経って、それが「この世の光となられ」という讃美であることがわかりました。
 
この世の光となられ 心の目開け 
あなたを慕う心と希望与えた 
 
み前に伏し 礼拝して主とします あなたを
愛おしい方 相応しい主 奇しい私の主 
 
量り知れぬその十字架の代価を 
私の代わりに 罪を負われた
 
 「わたしの代わりに罪を負」う決断、尊くも有難い決断ををしてくれたイエスを生涯にわたって、そしていつでもどこででも「み前に伏し、礼拝して主とします あなたを」と告白をして、その一日を始める者は幸いです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2012-11-18 13:16:57 (1767 ヒット)
2012年礼拝説教

2012年11月18日  日曜礼拝説教

「挫折の経験が人を本物にする―シモン・ペテロの場合
 
マルコによる福音書14章27〜31、50〜54,66〜72節
(新約聖書口語訳77p)
 
 
はじめに
 
 女優の米倉涼子が主演する「ドクターX〜外科医・大門未知子」というタイトルの、フリーランス(つまり派遣の)の女医が主人公のドラマが人気です。
 
主人公の決め台詞は「わたし、失敗しないので」で、その台詞通り、難しい外科手術を超人的スキル(技術)でことごとく成功させていくのですが、その圧倒的な自信は、海外における外科手術の豊富な経験によって培われたという設定のようです。
 
 「自信」と良く似ているものが「過信」です。一昨日の十六日金曜日、内閣総理大臣が解散権を行使したため、衆議院が解散され、十二月四日の総選挙告示、十六日の投開票に向かって選挙モード一色になりました。
 
思えば三年前の夏、「政権交代」と「マニフェスト」という言葉に幻惑されたとしか思えない有権者によって、新しい政権が誕生しましたが、三年経って実現したという公約はほんの僅かであるだけでなく、反対に、公約になかった消費税増税を推進したこともあって、政党と内閣支持率は右肩下がりとなり、ついに断末魔の解散に追い込まれてしまいました。
 
 何でこうなってしまったのかという具体的な原因はともかく、最大の原因は確かな根拠に裏付けられた本当の「自信」と、根拠のない単なる「過信」とを見分けることのできなかった有権者の眼力の無さにもある、とも言えます。
 
もちろん、騙された者よりも騙した方が悪いに決まっているのですが、騙した方もが自信満々で請け合った以上、それなりの結果を出すべきでした。
 
 日本政治の現下の惨状は三年前の二〇〇九年に、既に予見されておりました。二〇〇九年八月十六日の「健全な信仰は深い知識によって育てられる」の日曜礼拝説教要旨の「はじめに」に書いた部分を読み返してみたいと思います。
 
 
 …そこで思い出したのが「生兵法は大怪我の元」という諺でした。「生兵法」とは生噛りの武術のことです。武術を中途半端に修得した状態で他流試合をしたりしたら、大怪我をするということから、未熟な者がいい加減な知識や技術に頼って、大きな間違いを犯すことを戒めるたとえとして、この諺は使われます。
 
生兵法が問題なのは、大怪我をするのが自分だけならまだしも、多くの人を大怪我させる危険性があることです。 
 今月の末には、政権交代を賭けての総選挙が行われますが、「一度、やらせてみて、ダメだったら元に戻せばいい」という考えは、きわめて危険だと思われます。
 
 たとえば、父親の主治医は経験豊富なベテランだが、思ったように父親の病状がよくならない、だったら、一度、未経験ではあるけれど、意欲のある若い医者に手術を任せてみよう、と思うかです。命は一つしかありません。一度やらせてみて失敗したら、やり直しがきかないというものがあります。それが人の命と同じように、国家の命であって、その国の命運を左右するものが政治です。
 
 思案のしどころですが、「生兵法は大怪我の元」という諺を噛みしめて、深く、多面的に考えて投票行動を取りたいと思います。
 
 
 国難とも言える状況下、前回の失敗の反省の上に立って、三年後の今度こそは国の命運を左右する賢明な選択を、国民、有権者が取ることができるようにと、私たちは祈らなければなりません。
 
 しかし、また「失敗は成功の母」とも言います。そもそも過信とは自分を実態以上に過大評価することです。失敗の原因が「過信」を「自信」と見誤ったことにあることを知った者は、人も、そして自らをも正しく判断するようになります。
 
 今週は「過信」、すなわち自信過剰によって生み出した失敗に向き合ってその挫折を乗り越え、その上で正常な「自信」を回復することにより、イエスの信任に応えることのできた人物に焦点を当てて、挫折の経験こそが人を本物にするということを確認したいと思います。
 
そこで今週の説教題は「挫折の経験が人を本物にする―シモン・ペテロの場合」です。
 
 
1.失敗の経験によって知った弱さから出発をする時、人は本物となる
 
 「あいつは失敗をしたことによって一皮(ひとかわ)剥(む)けた」などと言う場合があります。
 過越の食事を終えてゲッセマネの園に行く途中、イエスは弟子たちに対し、彼ら弟子たちが師のイエスを裏切る、ということを予告しました。
 
「そのとき、イエスは弟子たちに言われた、『あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう』」(マルコによる福音書14章27節 新約聖書口語訳71p)。
 
 「つまずく」は、スキャンダルの語源にもなった言葉で、罠にかかる、道を踏み外すという意味を持ちます。つまり、弟子たちはみな、足を滑らせて師を裏切るということをイエスが予告したのですが、これに対して真っ先に反応したのがペテロでした。ペテロは言いました、「他の連中はともかく、私に限ってはそんなことはありません」と。
 
「するとペテロはイエスに言った、『たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません』」(14章29節)。
 
 しかし、イエスはより具体的な予告をします。それは、まさに今夜、あなたは一度ではなく三度、私との関係を否定する、という内容でした。
 
「イエスは言われた、『あなたによく言っておく。きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そういうあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう』」(14章30節)。
 
 「にわとりが二度鳴く」(30節)とは、ローマの番兵の交代を告げるラッパの音(ね)を指しました。その音が鶏の鳴き声に似ていることから、「にわとりが鳴く」と表現されていたのです。
 これに対してペテロは血相を変えて否定をし、「あなたと一緒に死ななければならない情況になったとしても、あなたを知らないなどとは決して言わない」と言い切ります。
 
「ペテロは力をこめて言った、『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません』。みんなの者も同じようなことを言った」(14章31節)。
 
 ところが、ゲッセマネの園で祈りを終えたイエスが、裏切り者の弟子ユダに手引された神殿警備員たちによって逮捕された時、弟子たちはイエスの予告通り、イエスを見捨てて逃げ去ります。
 
「人々はイエスに手をかけてつかまえた。…弟子たちはイエスを見捨てて逃げ去った」(14章46、50節)。
 
 ペテロはどうしたかと言いますと、彼もまた一度は他の弟子たちと一緒にその場を逃れたようでしたが、逮捕、連行されたイエスのことが心配で堪らず、遠くから密かについていき、イエスの裁判が行われている大祭司カヤパの官邸の中庭に入りこんで、裁判の様子を窺っておりました。
 
「それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた」(14章53、54節)。
 
 やがて審理が進んでいって、聖なる神を冒したという罪状によってイエスは有罪を宣告されることになりますが、その時、官邸で働いていた者がペテロを見て、「この人はいま、有罪宣告を受けたばかりのイエスの仲間だ」と言いだしたのです。
 
「ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、『あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった』と言った」(14章66、67節)。
 
 あわてたペテロはそれを打ち消して場所を移動するのですが、移動した場所でも同じ指摘を受けたため、それを打ち消しているうちに、周りの者たちからもそのガリラヤ訛りを指摘され、イエスとの関係を必死になって否定してしまいます。
 
「ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っている人たちがまたペテロに言った、『確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから』。しかし、彼は、『あなたがたの話しているその人のことは何も知らない』と言い張って、激しく誓いはじめた」(14章70、71節)。
 
 「激しく誓いはじめた」(71節)の「誓」うは、呪われる、という意味を持つ言葉です。つまりペテロは、自分の言葉が嘘ならば、神に呪われてもよい、という意味でこれを使用したのです。
そしてその直後、鶏の鳴き声に似たラッパの音が響き、ペテロはイエスの予告を思い出して泣き崩れます。
 
「するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは『にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出して、思いかえして泣きつづけた」(14章72節)。
 
 韓国済州島出身の呉善花(オ ヨンファ)拓殖大学教授が明治天皇の玄孫(やしゃご)として知られる竹田恒泰慶應義塾大学講師との対談の中で、韓国人の習性について「韓国人は自分の周囲で何か不幸や問題があったとき、自分ではなく、まず誰かのせいにしようというのが習性になっています」と指摘しているのですが(Voice 平成24年10月号)、ペテロが号泣したわけは、イエスを裏切るという失敗を招いたものが誰のせいでもなく、ただただおのれの愚かさ、弱さにあることを実感したからでした。
 
 それまでのペテロは自信満々の人でした。どんな場合でも真っ先に手を挙げ、口を出しました。しかし、この経験が彼を変えたのです。彼は自分の実態を知ったのでした。彼は自分が思っていたよりもずうっと弱い者であることをはっきりと思い知らされたのでした。そして彼はこの失敗、挫折の経験を通して、深みのある人へと変えられていくことになります。
 
 それを証明するものこそ、この出来事を私たちがいま現に読んでいるという事実にあります。
 ペテロの醜態は、どのように伝えられたのでしょうか。そこにいた者はペテロだけでした。ということはペテロ自身が話したのです。ペテロが口を拭っていれば、そのみっともない「事件」はなかったことにすることもできたということになります。しかし、彼は情けない自分の姿を包み隠さずに証ししたのでした。それは彼が自分自身を正しく評価したこと、自分の弱さをありのまま自覚して再出発したことを意味します。
 彼は自己「過信」から解放され、真の勇者となったのでした。
 
 
2.人が弱く脆い存在であることを承知の上で、イエスは選びを行う 
 
 イエスほど、人というものを正しく厳しくそして暖かく評価できる方はおりません。
 
 イエスはペテロがイエスのことを「わたしは知らない」(68節)と否定した時、「何と言う情けない奴だ」と思って失望したでしょうか。
いえ、イエスは失望もせず、怒りもしなかったと思われます。イエスは弟子たちがご自分を見捨てることも、ペテロがいつどこでどのようにご自分との関係を否定するかということもご存知であったのです。
イエスはペテロのほんとうの姿を承知の上で彼を弟子としたのでした。
 
 イエスはペテロの性格をよく知っておりました。ですからペテロがイエスを案じて、裁判が行われる大祭司の官邸まで来ることまでも予測をしていたのです。
ですからローマの番兵の交代を告げるラッパが時を告げる前にあなたは三度私を否む、という予告をイエスがしたのは、「私はあなたのことはよくわかっている、あなたの良い所も、そしてあなたの弱い所も。だから私の前では無理をしなくてもよいのだ」ということを伝えようとしたからではないでしょうか。
そしてそのイエスの心情、深い思いやりを悟ったこともまた、ペテロを号泣へと導いたと思われます。
 
「するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは、『にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた」(14章72節)。
 
 「泣きつづけた」(72節)の原語は、感情を抑えきれずに泣き叫ぶという場面で使用される言葉です。ですからリビングバイブルがこの個所を「ペテロは激しく泣きくずれました」と訳しました。ペテロはこのとき、そのままの自分を愛し、そして選んでくださったイエスの大きな心を知ったのです。
 
 そしてその時から自分は使徒だ、しかも使徒の中ではリーダーなのだ、弱みを見せたら権威がなくなる、などという頑張りから解放されて、自分の失敗も告白し、また称賛されることがあっても有頂天になることなく、淡々と使徒の務めを果たして行く人に変わっていくことになります。
 
 自分は上司だ、部下に弱みは見せられない、父親は尊敬の対象だ、だから子供に無様な姿を見せてはならない、など、確かにそれはそれで一つの美学ではあるわけですが、過剰な自信の反動は自信の喪失です。人は無駄な自意識から解放されると楽になるものです。
 
 そしてイエスというお方は、私たちが弱く脆い土の器であることを知った上で、あえて選んでくださっているのです。 
 
 
3.弱さの自覚から再出発した者には、神への恐れと人への労わりが伴う
 
 人生において挫折を経験することは、確かに痛みを伴いはしますが、挫折や失敗の経験は人を磨く上で有用な役割を担います。
 
 神学生の時に読んで共鳴した、スイスの教育学者で政治家でもあったカール・ヒルティはその著作「眠られぬ夜のために」の中で、記憶によれば、ヒルティは「これまでに激しい苦悩を味わうことなく、自我の大きな敗北を経験したことのないもの、つまり自我が打ち砕かれたという経験のない者は、物の役に立たない」「そのような(失敗の経験のない)人は高慢で鼻もちならない人間になる」とも書いていたように思います。
 
 三年前のいわゆる「政権交代」時、選ばれる側は自らを過大評価しておりました。また選ぶ側も彼らを過大評価して票を投じました。
そして三年後の今日、ひたすらの自己弁解と、それに対する失望、そして怨嗟の声。しかし、どちらもどちらであったのです。騙されたとはいえ有権者もまた、国を壊した加害者でもあったということを自覚しなければなりません。
 
 先のことはわかりません。しかし、専門家の予測によれば、次の日本国のリーダーになるのはかつて、難病と悪意に抗しきれずに政権から降りた経験を持つ野党の総裁であるとのことです。
もしそうであるならば、苦い挫折の経験と苦しい臥薪嘗胆の日々が彼を磨いて、疲弊した我が国を建て直すよきリーダーとなることを期待することができるかも知れません。
 
自分の弱さの自覚から出発した人は、人生の縦軸を構成する神あるいは天との関係においてはゆるしの神、選びの神への感謝と恐れに溢れ、一方、人生の横軸を形成する他者との関係においては、とりわけ弱さを持つ人々への労わりと気遣いを膨らませることができるようになります。
 
私たちは困難な時代を生きておりますが、ペテロを選んだあのイエスは私たちが心に信じ受け入れたイエスと同じ方です。
 
イエス自身は罪こそ犯しはしませんでしたが、私たちの弱さを思い遣ることのできない方ではありません。ですから「もうダメだ」「私は失格者だ」といって、自分に有罪の烙印を押してはなりません。
イエスは私たちを無罪とするために有罪の宣告を受けられ、私たちに新しい出発をさせるために心の扉を叩いてくださったのでした。
イエスは今も昔と同じ姿、同じ心で、いかなるときにも共にいてくださいます。
ヘブル人の手紙において、著者は読者を励まします。
 
「だから、私たちは、あわれみを受け、また恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」(ヘブル人への手紙4章16節 347p)。
 
 「恵みの御座」(16節)とはゆるしの座を意味します。自信過剰の「過信」から一気に「自信」の喪失状態に陥る人もいます。しかし、そのような人にも聖書は語りかけます。「はばかることなく」赦しを受けよ、と。「はばかる」とは気兼ねする、気後れして遠慮する、という意味の言葉です。
 
 そしてこの「めぐみの座」に出で行く者のうちに、かつてない程に、神への感謝と人、とりわけ弱さを持つ者への労わりが溢れてくるのです。


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