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投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-01-25 16:26:09 (1352 ヒット)
2015年礼拝説教

15年1月25日 日曜礼拝説教 

 基本信条としての使徒信条
 
 「真の安心立命は『我は天地の造り主なる神を信ず』との告白から始まる」
 
創世記1章1〜3節 伝道の書12章1節
 
 
はじめに
 
自明のことのようでよくわからないもの、それが人間と動物とはいったい、どこがどう違うのかということです。
 
中学生のころ、学校で「進化論」を教わりました。「自然淘汰」「弱肉強食」「適者生存」というやつです。
弱い生物は自然環境の中で淘汰、つまり生き残ることができずに滅びてしまい、環境に適したものだけが生存する、そして人類とはこのような過程を経て地球上に生き残ったのだというわけです。
因みに「淘汰」の「汰」には水を勢いよく流すこと、「淘」には水で洗ってよいものとよくないものとを選り分けるという意味があるようです。
 
これが人間と動物との違いを説明しているうちにいいのですが、ではこの法則が人類社会に及んだ場合はどうなるのか。頭脳明晰、体力剛健、能力抜群の者だけが適者として生き残り、そうでないものは淘汰される、つまり落ちこぼれていくことになります。
 
そして、この進化論的論理こそが、ナチズムの論理でした。ナチズムの象徴であるハーケンクロイツ(鍵十字)はシャルリー・エブドの風刺画を是として最大限、表現の自由を擁護するフランスでも、流石に是認はされません。
しかし、そのナチの根本論理は捕鯨反対論と軌を一にした論理なのです。
 
人とは何なのかという問いは、難しい言葉を使えば「アイデンティティ」を問うということのようです。「アイデンティティ」を辞書で引くと自己同一性と出て来ますが、これではますますわかりません。
要するに自分は何者なのか、どこから来てどこに行こうとしているのかという、自己の正体を明らかにする身分証明みたいなものです。
 
そのような証明の縁となるものは日本の場合、戸籍です。戸籍を見ればその人がどこで生まれたのか、親が誰かということはわかります。
しかし、先祖を辿っていけば段々とあやしくなっていって、先祖はもともと、日本で生まれた人のか、海外から渡来してきたのか、もしもそうであるならばどこからなのか、というようにわけがわからなくなってきます。
私の先祖の場合、以前にも少しだけ触れましたように、父親の父親までは十八代続いた材木問屋でした。明治時代には神奈川県の江の島の神社に大きな手水鉢を奉納したりもしたようです。
 
しかし、十八代前の開業以前のことになりますと、さっぱり分かりません。そのように、先祖を過去へと辿っていった場合、自らの出自を説明したり証明したりすることができる者はほとんどいないでしょう。
仮に千年、二千年前の先祖を証明することができたとしても、その遥か以前、つまり進化論によるならばついには、人類以前の生物にまで遡っていくことになるのです。
 
では逆に、人類の未来はどのような姿なのか。進化か退化かは別にして、生き物としての変化がとまらないとするならば、将来的に人類はどのような存在に変容するのか、ニーチェのいうような超人になるのか、それともわけのわからない不気味な怪物になっていくのか、考えただけでも心が寒くなっていきます。
 
昨晩というよりもきょう日曜日の未明、テレビに「イスラム国」に捕えられて人質となっているジャーナリストが一人で写真を掲げている映像が映し出されました。
映像は静止画像のようしたが、流れている英語の音声によりますと、もう一人の人質は既に殺害されていること、そしてテロリストが残ったジャーナリストを解放する代わりに、ヨルダンで収監されている女性死刑囚を解放するよう求めているようでした。
 
このジャーナリストさんは優しい人柄なのでしょう。でも、自分自身というものを知らなさ過ぎます。危険地帯に入ればこうなってしまうことは十分に予想できたことでした。想像をたくましくすれば、交渉カードとして使われるため、罠をかけられて「イスラム国」へと誘(おびき)き出されたのかも知れません。
運よく救出されたならば、このような無謀な挙になぜ出たのかということを低姿勢で説明をする責任があると思います。
 
動機は純粋な善意なのかも知れませんが、あたかも「飛んで火に入る夏の虫」のように危険地帯に入り込み、その結果、テロリストに捕まって取引の材料にされてしまっているこの日本人ジャーナリストを画面で見つつ、十年前の事件を思い出しました。
 
政府の制止警告も聞かずにイラクに入った青年が、「イスラム国」の前身と言われている「イラク聖戦アルカイーダ」に捕まってしまい、身柄解放の条件として、自衛隊のイラクからの撤退を日本政府が要求された事件です。
結果、日本政府はテロリストの要求を拒否しました。当然のことです。そして残念なことにはその後、この青年の遺体がバグダードで発見されることとなりました。
 
この青年は日本を発つ時、友人に対して「自分探しの旅に出る」と言ったそうなのですが、危険極まりないイラクに入らなくても、「人間とは何か、自分とは何者なのか」という「自分探し」はどこにいても出来た筈でした。
 
私たちはこの日本にいたままで、そして暮らしを立てるための労働に日々従事しながらであっても、自分自身を、そして自分が生きている意味を、更には自分は何者なのか、という問いに対しても、きちんとした答えを見つけることが出来る筈なのです。
 
そしてそのヒントこそ、聖書の神が天地万物を創造した「天地の造り主」なのだと聖書が告げています。
そこで使徒信条の三回目は、「我は天地の造り主なる神を信ず」という告白を取り上げます。この告白を理解する時、人は自らを見出すと共に、真の安心立命の境地へと導かれるのです。
 
 
1.世界が神か、神が世界を造ったのか
 
使徒信条」の一回目で、神の存在を認める有神論には、多神論と一神論とがあり、日本における伝統的宗教は複数の神々を畏敬する多神論に基ずく多神教である、ということをお話しました。
 
しかし、多神教は日本古来の宗教観というよりも中国経由のインド宗教の影響が濃いものなのです。日本の本来の神概念は「汎(はん)神論」といいまして、大自然に神霊が宿っていると考える自然崇拝でした。
つまり、自然そのものが神である、という宗教観です。
 
ですから汎(あまね)く神である、「すべては神である」「神即世界」「世界即神」ということになるわけです。
 
その典型が太陽を拝む太陽信仰です。太陽の日照は穀物や作物の実りを左右します。
だからこそ、宮沢賢治は、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアル(日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩)」いたのでしょう。因みに「ヒデリ」は「ヒドリ」つまり日雇い労働のことだという説もあるそうですが。
 
それはともかく、日本人にとって太陽はいつしか「お天道(てんとう)様」として崇められ、食事の際には子供には「おてんとさん」に「いただきます」と感謝するように躾け、道徳の基本として「人が見ていなくてもおてんとさんが見ているよ」と教えたのでした。
 
二十年前の阪神・淡路大震災を取材した欧米メディアを何よりも驚かせたのが、大災害の被災地には付き物の暴動どころか、略奪行為の欠片(かけら)すらもなかったという日本人の倫理観の高さでした。
そしてその背景にあるものが日本特有の汎神論的宗教観から来る倫理観でした。
 
でも、汎神論的宗教観は、日本人に対して、自然に感謝し、自然と調和して生きることを促しはしますが、目に見える宇宙や世界の由来、ひいては人類の起源については説明をしてくれません。
 
古事記には伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)による世界創世、というよりも日本という島が生み出された神話がありますが、それはあくまでも神話です。
 
しかし、古事記よりも千年以上も前に編纂された旧約聖書の創世記には、「天地が神」なのではなく、「神が天地を創造した」と書かれております。
 
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記1章、2節 旧約聖書口語訳1p)。
 
 「天と地」とは地学で言えば、「天」は宇宙、「地」は地球を指します。
つまり、地球を含めたこの宇宙全体は、「使徒信条」の一回目と二回目で強調した「唯一の神」、「全能の神」によって創造された被造物である、と聖書は言うのです。
 
宇宙物理学によりますと、宇宙の始まりは一三七億年前なのだそうです。「天」すなわち宇宙は、神の偉大さを示すものでした。
 
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざを示す」(詩篇19篇1節 762p)。
 
そして宇宙がはじまって間もなく、「光」が創造されました。
 
「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(1章3節)。
 
 宇宙物理学は言います、「光」(3節)は一三七億年前のビッグバンから程なくして生じたであろう、と。
二〇一二年の六月、日本の国立天文台のチームは、ハワイに置いてある「すばる望遠鏡」を使って、地球から一二九億光年かなたにある銀河を発見しました。
つまり、「天」すなわち宇宙の誕生から八億年後には、既に「光」が生まれており、宇宙の文字通りの夜明けが始まっていたことになるのです。
 
 太陽という、日本人が愛してやまない恒星を含めた太陽系の始まりは、といいますと、それはビッグバンから八十七億年後の五十億年前です。
この太陽という恒星は、人間の住まいとなる地球環境を整備し保持するために造られました。
 
「日は花婿がその祝いのへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない」(19篇5、6節)。
 
 太陽の「暖まりをこうむらないものは」(6節)人を含めて地上には存在していないのです。
 
人類を始めとする各種の生き物を生かす地球という惑星の始まりは、四十五億年前とされています。そして人類が十分に生存できる環境、つまり自然環境というものが整備された段階で、人類の歴史が始まりました。
 
日本人は自然という大いなるものを神と同一視し、その結果、自然を崇拝し、自然を尊び、自然の保護に努め、自然と共存してきたのでした。
でも、自然は神ではありません。自然は人類をはじめとする地球上の生き物のために、神が備えた恵みの賜物なのです。
 
たしかに日本列島は自然に恵まれております。以前、一つのジョークを紹介しました。
 
神は最初に天と地を造った。海をつくり、山をつくった。そして日本という国を造った。日本には四季豊かな気候と、世界一美しい風景、世界一おいしい食べ物を与え、世界一勤勉な民族を住まわせた。
そこで天使が言った、「神様、これではあまりにも日本が恵まれ過ぎています」
神が答えた「心配するな。日本の隣りには中国と韓国と北朝鮮をつくっておいた」(2012-09-26「2012年10月の日曜特別礼拝へのご招待」)。
 
来日する外国人観光客が激増していますが、目玉の一つが日本の四季が織りなす日本の山河、風景、植物などの自然なのだそうです。
 
しかし、美しい自然は、保護の対象ではあっても、礼拝の対象ではありません。「それは天地の造り主」である神に感謝をして用いるべき賜物なのです。
日本人が崇めるべきは、自然ではありません。自然ではなく、人類のために自然を無から創造した「天地万物の創造者」なのです。
 
 
2.天地を造ったという神の、天地との関係は
 
「世界が神」なのではなく、「神が世界を創造した」のでした。では、天地を造ったという神と、天地の関係とはどのようなものなのでしょうか。
 
十八世紀、英国に理性を強調した啓蒙(けいもう)主義という思想が生まれました。「啓蒙」とは「蒙(もう)」つまり愚かさや無知を「啓(ひら)」く、あるいは明らかにするということです。
 
フランス革命は、実は英国発の啓蒙主義の影響を受けて勃発をし、ついには宗教そして神を否定するに至ったものだとされています。フランスに見られる反宗教的雰囲気は啓蒙主義に端を発していると言ってもいいかも知れません。
 
 しかし啓蒙主義の本場の英国ではフランスのように、神を否定するところまでは行きませんでした。そして理性を強調する啓蒙主義から生まれた神学が「理神論(りしんろん)」として出現したのでした。
 
この「理神論」という英国で生まれた神学説は、「確かに神は天地を創造した造物主ではある。しかし、神は天地を創造したあと、世界の動きからは手を引いてしまった」と主張します。
 分かり易く言えば、時計を製作する者と時計の関係のようなものです。
 
時計の製作者が時計をつくった。そしてつくったあと、時計との関係を断ってしまった。関係が断たれたあと、それでも時計は時計として時を刻み続ける。しかし、その時計が故障をしたとしても時計の製作者が時計を修理するようなことはない。
 
そのように、神は世界を創造しはした。でもその後については一切関与をしていない。人間の歴史の場合も同様である。
だから神による奇跡はないし、宗教というものは理性を超えるものであってはならず、信仰はもっぱら理性のゆるす範囲に限る、としたのです。
 
 この結果、キリスト教の伝統的教理は否定され、当然、「使徒信条」なども否定されることとなりました。
 
 確かに理性は大切です。理性を軽視するところから盲信、狂信、歪信が生まれるのです。そういう意味では理性もまた、人間に与えられた神からの賜物です。でも、人間の理性は完全でもなく万能でもありません。なぜならば人間自体が不完全な存在だからなのです。
 
理神論はギリシャの神観と同じように、神はこの世界から「身を退いた、引退した、関与はしない」と主張しました。
しかし、神は子供を生んだあと、子育てを放棄するような、あるいは放棄せざるをえないような弱い母親とは違います。
 それどころか、神は自らが創造したこの世界を見捨てるようなことはせず、昔も今も、世界の支配者として宇宙と世界とを管理し、人類の歴史を見守っているのです。
 
「地と、それに満ちるもの、世界と、その中に住む者とは主のものである」(詩篇24篇1節 765p)。
 
 ご自分が全知全能の粋を尽くして創造した「天と地」すなわち、「地と、それに満ちるもの、世界と、その中に住む者」(1節)に対する所有権や管轄権を、「天地の造り主である」神が、むざむざ放棄するなどということは有り得ないことなのです。
 
なぜかならば、「天と地」とはまさに、神の愛の対象である人類のために創造されたからでした。
 
「神が造ったすべての物を見られたところ、それははなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。こうして天と地と、その万象(ばんしょう)とが完成した」(創世記1章31、2章1節)。
 
 「はなはだ良かった」(31節)とは最高の傑作という意味です。人類を含めて、神がその精魂を傾けて創造した「天と地」とは、偉大な神による最高の作品、傑作なのです。
 
 
3.天地を造ったという神の、人との関係は
 
では、最後に、「天と地とを創造した」造物主と被造物である人間との関係はどうあるべきなのでしょうか。
 
紀元前三世紀ごろに書かれたとされる知恵文学の一つ、「伝道の書(新改訳では「伝道者の書」、新共同訳では「コヘレトの言葉」)」の作者は自らの魂の遍歴を基に、人は多感な青少年の時代にこそ、自らの創造者と出会い、そしてこれを信じこれに従うように」と勧めました。
 
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしには何の楽しみもない』というように鳴らない前に、(そのようにせよ)」(伝道の書12章1節)。
 
この勧告からは二つのことが読み取れます。
一つは時期です。伝道者は言います、「あなたの若い日に」(1節)と。
 山本利雄兄は今、腰椎を痛めて入院加療中ですが、兄弟が四年前に特別集会における証しのために認めた文章を、先週、入院中の兄弟の許に持って行って、神の恵みを分かち合いました。
 
兄弟の承諾を得ましたので回心時の内容をかいつまんでご紹介したいと思います。
 
一九六一年秋、枚方公園駅から枚方駅に向かって、昔の京街道を歩いていたところ、商店の店頭らしきところに「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」と書かれた紙が貼ってあった。
そこはフィンランドから来た女性宣教師が開いていたキリスト教の教会で、そこにはもうひとり、日本人の若い伝道師がいた。
当時、大学三年生であった自分は就職活動に不安を感じていた頃で、その教会で行われていた集会に積極的に出席した。
また当時、大阪で開かれた大衆伝道者の本田弘慈牧師や羽鳥明牧師の集会に導かれ、聖書が神の霊感によって書かれた神からのメッセージであることを知らされた。
その後、家で悔い改めの祈りをし、「あなたを生涯の神として受け入れます」と祈り、一九六二年三月に京都で洗礼を授かった。
 
 山本兄はまさに、その「若い日に」(1節)「造り主」(同)なる神を信じたわけです。爾来、天地万物の創造者である神は、兄弟の「造り主」として兄弟の傍らを歩んでくださっています。
それは苦しかった過去も、そして入院中の今も、そしてこれからもなのです。
 
伝道者が言う「若い日」というのは年齢だけを指すのではありません。年齢を超えて、気持ちが「若い日」つまり心がまだまだ柔軟な時に、という意味でもあります。
つまり、神さまのことをもっと知ろう、と思った時がその人の「若い日」なのです。しかし、気持ちに「年が寄って」(1節)こころが硬化してしまうと、信じる機会と気持ちとが失われてしまうという場合があります。
 
ギリシャ神話に「カイロス」という神様が出てきます。この神様は「チャンス」を掌る神様なのですが、かかとに羽根がついていて、ものすごいスピードで走ります。
人はこの神様とすれ違う際に神様の頭を掴まなければならないのですが、この神様、髪の毛が後頭部にはなく、前にしかありません。そこで人はすれ違う際に前髪をしっかりと掴まないと、チャンスは過ぎ去ってしまうというのだそうです。
 
まさに機会は「今」なのです。時間が経ってしまうと、造り主に出会う機会は永遠に失われてしまいかねません。まさに「今でしょ!」というわけです。
 
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」(コリント人への第二の手紙6章2節後半 新約聖書口語訳283p)。
 
 神を「天地の造り主」として信じ受けれいる日は先ではなく、「今」(2節)です。
 
 そして伝道者が強調するもう一つのこと、それは万物の創造者を個人的に「あなたの造り主として覚えよ」(1節)という勧めです。
 これは、人というものはそれぞれ、神の作品として個別に造られたのだということを意味することばでもあります。
 
 私たちは工場の流れ作業の中で大量生産品として製造されたのではなく、神の目と手が加わる中でひとりひとり、丁寧に造られた者なのです。
言うなれば、レディメイドではなく、オーダーメイドです。
 
以前にもお話しましたが、まだ信徒であった頃、礼拝説教の中で、「神の造りに感謝しましょう」という一言が語られました。いつであったか、どんな文脈の中であったのかは定かではありません。
 
しかし、これがその後の歩みを支えてくれて今に至っています。「神の造りに感謝」する生き方は、人を不毛の競争意識から解放します。また羨望や嫉妬という否定的な感情からも解き放ちます。
「人は人、自分は自分」と、よい意味において割り切ることができるようになることができるからです。
 
神は「我らの造り主」ですが、神は「あなた」(1節)を独自のかけがえのない者として創造してくれた「造り主」(同)でもあるのです。
「私は何者か、私はどこから来てどこに行くのか」、という根源的疑問は、人類を含めた、そして私やあなたという個人を含めた「あなたの造り主を覚え」(同)ることによってのみ、氷解します。
 
人としての真の安心立命は、「天地の造り主」である神に向かい、全幅の信頼を以て、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白するところから始まるのです。
 
この偉大な神のことがまだよくわからないという方がおられたならば、ぜひ、聖書を読み、教会に行って道を求めてください。
必ず「天地の造り主」であり「全能の父」である真の神にお会いすることができる筈です。その時、人は自らを発見すると共に、真の安心立命の境地に立つことができるようになります。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-01-18 16:39:41 (975 ヒット)
2015年礼拝説教

15年1月18日 日曜礼拝説教 

  基本信条としての使徒信条
 
「勿体無いのは『我は全能の父なる神を信ず』 
 と告白できる立場に置かれていること」
 
創世記17章1〜4節(旧約聖書口語訳17p)
ローマ人への手紙4章16〜18節(新約聖書口語訳238p)
 
 
はじめに
 
マグニチュード7.3という巨大地震が兵庫県南部で起きてから、昨日の一月十七日で丸二十年となりました。
この地震が引き起こした災害は、大阪市と神戸市の間を意味する阪神間と、淡路島とに甚大な被害を及ぼしたことから、「阪神・淡路大震災」という呼称で呼ばれるようになりますが、その災害の規模と状況はまことにすさまじく、とても二十年が経ったとは思えないほど、様々の情景が今でも鮮明に思い出されます。
 
私の場合、約二ヵ月間、所属教団のボランティアとしてほぼ毎日のように神戸に通って手伝いをしておりました。最初の日は、電車が通っている西宮の鳴尾から、盛り上がったり陥没したりしているデコボコだらけの歩道を自転車で走って、神戸の御影に入りました。
神戸市内では小泉教区長と共に、米国から届いた仮設住宅を電動ドライバーで組み立てる作業をしたり、JR住吉駅で、横浜から支援にきた兄などと共に、公衆トイレの清掃をしたりもしました。
 
疲れが出たのか三月の半ばに高熱が出ました。そこで病院に行ったところ、生まれて初めてインフルエンザと診断され、これも初めての点滴を受けました。
結局、礼拝説教が出来るような状態でなく、これもまた体調不良が原因では初めてという説教不能の日曜日を経験しました。
 
妻の方は関西ヘルプセンターというボランティア団体に所属して連日、主に神戸の長田区などで高齢被災者の介護にあたり、頭から排泄物を浴びたりしながら入浴介助等のボランティアに勤しんだようです。
 
この大地震では建物の倒壊による圧死、火災による焼死などで六四三四名、不明三名の犠牲者が出ましたが、問題となったのは行政の対応の拙さでした。
 
地震発生は午前五時四十六分でした。しかし、兵庫県から自衛隊に出動要請が来たのは十時十分で、しかもそれは兵庫県消防交通安全課の課長補佐の電話を受けて、これを県知事からの正式要請とするという緊急措置での出動でした。
 
当時の法律では都道府県知事の要請が無い限り、自衛隊は動くことが出来なかったのです。しかし、兵庫県も神戸市も左派的イデオロギーの影響の元、思想的に自衛隊アレルギーが強く、上から下まで自衛隊の出動要請を躊躇わせる空気があったようです。
 
自衛隊の方は発災直後から出動準備を整えて、要請を今か今かと待っていたのですが、法律に基ずく正式要請がない以上、勝手な行動はできません。
結局、四時間半という初動のための貴重な時間が失われてしまったのです。
 
犠牲者の多くが倒壊した建物の下敷きになって圧死したり、火災によって焼死したのは事実です。
しかし、地震発生直後に出動準備態勢を整えて待機をしていた自衛隊がもっと早く、緊急救助に乗り出していたならば、あたら尊い命を落とさずに済んだのではないかという人も大勢いたことと思います。
 
一方、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣はどうだったのと言いますと、これもまた自衛隊嫌いの社会主義政党の委員長がその地位にいたこともあってか、対応が遅れに遅れて、批判を浴びることとなりました。
 
米海軍などからも地震の直後に支援の申し出がありましたが、これの受け入れを拒否したことも、思想的理由があったのではないかと勘繰られたりもしました。
 
地震発生三日後の衆院本会議において、対応について問われた際にこの総理大臣は、「今から振り返ってみますと、なにぶん初めてのことでございますし、早朝での出来ごとでもございますから…」などというトンチンカンな答弁をして呆れかえられ、評価の低下と支持率の低落に拍車をかけたようです。
 
ただこのお方の場合、人柄の良さは誰もが認めるところであって、前年の首相就任直後の所信表明演説では、それまでは違憲としていた自衛隊を合憲と認め、廃棄を表明していた「日米安全保障条約」を日本の安全保障のために必要であるとしたことなどは評価されています。もっともそのことが、自身が所属していた政党の瓦解につながったとされてはいます。
 
でも、この人の長所は四年前の「東日本巨大地震」における総理大臣とは違い、自らの能力の限界を知っていることであって、大地震の三日後、閣僚の一人を震災復興対策大臣に任命して、陣頭指揮に当たらせたりしたことなどは高く評価できることではありました。
 
しかしながら、県知事にせよ総理大臣にせよ、その第一の条件は人の良さなどにあるのではなく、県知事の場合は県民の、そして総理大臣の場合は国民の生命と安全、暮らしを守る能力と資質にあるといえます。
 
いうなれば、総理大臣は国民の父であり、県知事は県民の父であるともいえるからです。
 
父親には二つの属性が必要です。
一つは子供を守るための力としての「父権」を、必要に応じて行使する能力であり、もう一つが子供に対する慈しみの心としての慈愛に満ちた「父性」という性格です。
 
そして、二〇年前の兵庫県民の悲劇は、阪神・淡路大震災という稀に見る大災害の勃発に際し、県知事も総理大臣も、事を起こす大きな権力、つまり力というものを委ねられていたにもかかわらず、その力(父権)を正しく行使することに逡巡し、結果として、県民や国民に対する父性の薄さというものを示してしまったということでした。
 
さて、「使徒信条」ですが、第一回目では「我は神を信ず」という告白から、「神を信ず」という告白は「唯一の神を信ず」という信仰告白であるということを確認しましたが、二回目は、その「神」は如何なる神であるのか、ということについて教えられたいと思います。
そこで今週は「我は全能の父なる神を信ず」という告白についてです。
 
 
1.何よりも心強いのは「我は全能の神を信ず」と告白できること
 
使徒信条」という基本信条のラテン語原文第一条の順序が、「(我は)信ず 神を 全能の父 天地の造り主を」であることは先週、確認しました。
私たちが「我は信ず」と告白する神は、第一に「全能なる神」なのです。
 
「全能」とは「意志することは何でも出来る、出来ない事は何もない」という意味です。
そういう意味では「使徒信条」で告白されている「全能の神」は、ギリシャ神話や日本神話に登場する、人間を原型として描かれている人間臭い神々とは根本的に相違しております。
 
古事記が記す神話によれば、天上の高原(たかまのはら)を治める天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)は、力はすこぶる強いけれども、ひどい乱暴者でもあって、おまけにマザーコンプレックスのきらいのある神さまでした。
 
彼は姉を慕うあまりに、姉が治める高天原に上るのですが、そこに居座って乱暴狼藉を働くようになり、これに我慢の緒がきれた天照大神が天(あま)の岩屋戸に隠れてしまい、その結果、世の中が真っ暗になってしまったという、誰もが知っている有名な話があります。
 
このように混乱状態を生みだす原因となったのが、力はあるけれども自己抑制を利かすことのできない須佐之男でした。
結果、須佐之男は高天原を放逐されて地上に降るのですが、出雲の地において、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する英雄となります。
そのキャラクターを愛すべきものとしてこれに親愛の情を持つ人もいるかも知れませんが、この神さまを「全能の神」という守護神として、崇める気にはとてもなれないことと思います。
 
ギリシャ神話の場合も、クロノスという神様が出てきます。ところがこのクロノスという神さまは、自分の地位が狙われてトップの椅子を奪われるかも知れないという不安感から、妻が生む男の子を次々と腹に呑み込んでしまうという性癖があって、最後にゼウスという息子に殺されて、オリンポスの支配を奪われてしまいます。
 
父親のクロノスを「退治」したゼウスの方は、神々の長としてオリンポスに君臨するのですが、生来の浮気症から妻の目を逃れては、その超能力を駆使してあちこちに子供をつくってまわります。
 
ギリシャ神話や日本神話に出てくる神さまの多くが人間臭いのは、人間がモデルだからです。
 
しかし、聖書の神さまは人間をモデルにした想像の産物ではなく、先週も確認しましたように、はじめから存在していた唯一の神であって、しかも全能の神なのです。
そしてその全能性はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が信仰の先祖として等しく尊んでいるアブラハムの生涯に示されました。創世記十七章です。
 
「アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現われて言われた、『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全(まった)き者であれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう』。アブラムは、ひれ伏した。神はまた言われた、『わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう』。」(創世記17章1〜4節 旧約聖書口語訳17p)。
 
 彼の妻のサラは十歳年下ですからこの時点で既に八十九歳になっていました。どう考えたって子供が生まれるわけがありません。
しかし、妻のサラは身ごもり、神の予告通りに翌年、男児を出産するのです。
 
「主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男との子を生んだ」(21章1,2節)。
 
西暦一世紀の半ば、使徒パウロはこの出来事を取り上げて、信仰によって義とされる、つまり、行いがなくても神の言葉を信じることによって無罪を宣告されるという信仰義認の例証としました。
 
「アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、『わたしはあなたを立てて多くの国民の父とした』と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、『あなたの子孫はこうなるであろう』と言われているとおり、多くの国民の父となったのである」(ローマ人への手紙4章16節後半〜18節 新約口語訳237p)。
 
 アブラハムは「わたしは全能の神である」(創世記17章1節)という神の自己啓示に対し、信仰をもって応答することによって、神の全能の力を身に経験したのでした。
 
その長い人生、信仰を保持しつつも、与えられた約束の履行に関し、疑いや不信感も芽生えたこともあったことと思います。
しかし、自分が信じ従ってきた神は無力な神ではなく全能の神なのという確信は、「わたしは全能の神である」(創世記17章1節)という神の自己啓示によって新たにされたのだろうと思われます。
 
時間的、空間的に、アブラハムが生きた時代、環境とは異なった今を生きている私たちですが、何よりも心強いのは、信仰の先祖であるアブラハムのように、「我は全能の神を信ず」と告白することができることです。
 
 
2.勿体無いなのは「我は父なる神を信ず」との告白が許されていること
 
勿体ない事にこの「全能の神」は、キリストを主と告白する者に対して「父なる神」となってくださいました。
ローマ人への手紙を開きましたので、少し後の八章を見てみましょう。
 
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ人への手紙8章15節 243p)。
 
 ヘブルの伝統でも、神は確かに「父なる神」として崇められてはいました。出エジプト敢行後のイスラエルの民に対する、指導者モーセの語りかけにそれがあります。
 
「愚かな知恵のない民よ、あなたがたはこのようにして主に報いるのか。主はあなたを造り、あなたを堅く立てられたあなたの父ではないか」(申命記32章6節 294p)。
 
 でも、モーセがここで言っている「あなた」(6節)とは、個人ではなく神の民とされたイスラエル民族全体を指すのです。
 
 それはイザヤが記した神への祈祷文にも見られます。
 
「たといアブラハムがわれわれを知らず、イスラエルがわれわれを認めなくても、あなたはわれわれの父です。主よ、あなたはわれわれの父、いにしえからあなたの名はわれわれのあがない主です」(イザヤ書63章16節 1036p)。
 
 たとい「アブラハム」(16節)が、そしてイスラエル民族という呼称の元となった先祖「イスラエル」(同)が認知しなかったとしても、神は信仰共同体としてのイスラエルという民族の父であるという認識です。
しかし、神は民族の父ではあっても、民個々の父であるとする認識ではありませんでした。
 
 唯一の例外は紀元前三世紀にまとめられたとされる旧約外典の「ベン・シラの知恵」です。
 
主よ、父よ、わが命の君よ、わたしを見放さず、唇の思いどおりにさせないでください。唇のために過ちに陥らないようにしてください。…主よ、父よ、わたしにみだらな目を与えないでください」(シラ書[集会の書]23章1、4節 新共同訳旧約聖書続編)。
 
 「ベン・シラ」と言いますのは「シラの子」つまり、シラという人の息子という意味で、シラの息子のイエスが著者とされています。イエスという名前は当時、どこにでもある名前だったということです。
 ユダヤでは氏あるいは姓にあたるものはありません。そこでどこのイエスかを知るための方法が「誰々の子」という表示でした。
 
 この文書には確かに二回ほど、神に対して「父よ」と呼びかけている箇所があります。でも、その内容を見れば嘆願ではあっても、父と子という親密な関係を示す雰囲気ではありません。
 
しかし、メシヤ・キリストとして地上を歩んだイエスの場合、神の独り子としての自覚のもとに、神に対して親しく「父よ」と呼び掛けるのを常としていたようです。
そしてまことに勿体ないことに、ご自分に従う者に対し、神を父と呼ぶ立場を与えてくださったのでした。
その辺の仔細については、丁度一年前に行った「主の祈り」の説教の中で触れました。
 
「また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終わったとき、弟子のひとりが言った、『主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください』。そこで彼らに言われた、祈るときには、こう言いなさい、『父よ、…』」(ルカによる福音書11章1、2節前半 106p)。
 
 こうして、全能の神はイエスを主と告白する者から「父よ」(2節)と呼びかけられることを許すのみならず、子とした者の人生をその絶大な父権によって守護すると共に、尽きない慈愛に満ちた父性で包んでくださることとなったのでした。
 
父性と言ったら何と言いましても大黒主命(おおくにぬしのみこと)でしょう。
あの「因幡の白兎」の話しのように、小賢しい弱者にも優しく慈愛の手を差し伸べるほどの優しい神さまです。父性の面では申し分ありません。だからこそ、因幡のヤガミ姫は数多の求婚者の中から、大黒主を夫に選んだのだと思います。
 
でも、争い事を嫌うタイプであったのか、大黒主は天照大神(あまてらすおおみかみ)の要求を受け入れて、出雲の国をそっくり譲ってしまいます。
よく言えば柔和ですが、力の行使という点ではよくわからないお人柄です。
 
こういうタイプの人がもしも我が国の総理大臣であったなら、「尖閣を寄こせ、沖縄は我が国の領土だ」などと要求をされた場合、戦争は避けるべきだとか何とか言って、国を譲り渡してしまうかも知れませんが。
 
 古事記に出てくる神さまの群像は、古代の日本人の性格や生き方の反映だったのでしょう。どの神さまも個性的でそれぞれに魅力がありますが、残念なことに、父権と父性とを併せ持った理想的な父親像の神さまはいなかったようです。
 
 でも、聖書における天の神は、限りなく力強く、そして限りなく慈しみに富んだお方です。勿体無いのはそのような神様を、「我は父なる神を信ず」と、いつでもどこででも告白することができることです。
 
 
3.忘れてならないのは「我は全能の父なる神を信ず」との告白へと導いた神の愛
 
ただ、忘れてはならないことそれは、「全能の神」、「父なる神」として呼びかけることをゆるしてくださった神に向かって、「我は全能の父なる神を信ず」と告白する恵みに与かる前の、神そのものを見失っていた自分自身の姿です。
 
そしてもう一つ、そのような自分に対して、神の子という立場を無条件で与えてくれた神の愛の大きさです。
 
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである」(ヨハネの第一の手紙3章1節 378p)。
 
私たちが「我は全能の父なる神を信ず」と告白するためには、父なる神と御子なるキリストにおいて、筆舌に尽くし難いような大きな犠牲が払われました。
 
そして、そのことを確認し、感激を新たにするのが毎週の日曜礼拝の場であり、最終礼拝の説教でも確認しましたように「朝ごと」(哀歌3章23節)の個人礼拝です。
 
信仰は利害得失の絡んだ取引ではありません。すべては神の絶大な愛に対する感謝の応答であり、讃美による告白です。
そしてその愛は嘗ての日も今も変わることはないのです。ただただ、神を崇めます。
 
「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(4章9、10節)。
 
 どこに愛があるのでしょうか。「ここに」(10節)すなわち十字架の出来ごとに神の大いなる「愛がある」(同)のです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-01-11 16:36:20 (1143 ヒット)
2015年礼拝説教

15年1月11日 日曜礼拝説教 

 基本信条としての使徒信条
 
「幸いなのは『我は神を信ず』と告白できること」
 
イザヤ書43章10〜13節 45章5〜7節
 
 
はじめに
 
年明け、フランスの首都パリで、世界、特に欧米を震撼させるテロが、イスラム教の過激派グループに属していると思われるテロリストによって起こされました。
フランスの風刺週刊紙として知られるシャルリー・エブドのパリ本社を、覆面をし武装した三人組が襲撃し、銃を乱射して警察官を含む十二人を殺害して逃亡したのです。
 
一人はその後警察に出頭したようですが、二人が人質をとって印刷会社に立て籠もり、結局、強行突入したフランス特殊部隊によって殺害され、人質の方は無事に救出されました。
一方、この事件と連動したものと思われる立て籠もり事件もパリ市内のユダヤ人向けのスーパーで発生し、結果、容疑者は射殺されました。しかし、四人の人質が巻き添えで亡くなったとのことです。
 
前者の事件の場合、容疑者が逃走車に乗り込む前、「預言者ムハンマドの復讐だ」と叫んでいる映像を視ましたが、表現の自由と宗教的信条がぶつかったとされるこの類いの事件は、移民問題、さらには人種差別、経済格差などの問題も複雑に絡まって、今後も西欧社会で勃発する危険性があるようです。
 
そして、このような事件が起こるとすぐに湧き上がってくるのが欧米の場合はイスラム教批判であり、そして我が国の場合は宗教そのものに対する警戒心です。
 
しかし、どんな思想にも宗教にも過激思想はあってそこから必然的に過激な活動家が出てくるものです。それはキリスト教の歴史も同様でした。
中世の十字軍などの運動は盲信がなした愚かしい行為としか思えませんし、ローマ教会による異端審問や魔女狩りなどは狂信の最たるものです。
 
狂信、盲信は避けなければなりませんが、もう一つ歪信とでもいうべきものがあります。己が信じるところの教義を歪んで理解することによって、本来の教えが意図してもいない事柄を本義と思い込んで、過激な行動に出るというケースです。
因みに歪信という言葉は私が勝手に造ったもので、辞書には載ってはいないと思います。
 
今回のような衝撃的な事件もこの「歪信」という歪んだ信仰から生み出されたものであると思われますが、その副産物として、我が国の場合、宗教や信仰そのものを過剰なまでに危険とみなして、これを遠ざけようとする雰囲気や動きが出てくることも予想されます。
 
確かに宗教は取り扱いを誤ると危険ではあります。今年二〇一五年は、今週土曜日の一月十七日が阪神・淡路大震災の発生から丸二十年になりますが、翌々月の三月にはオウム真理教といういかがわしいカルト宗教団体によって「地下鉄サリン事件」という無差別テロが東京で惹き起こされ、結果、十三名の無辜の命が奪われ、数千人の人が負傷したりもしました。
この事件では関係者全員が逮捕され、裁判が継続中の者もおりますが、負傷者の中には今も後遺症で苦しんでいるという人もいます。
 
この地下鉄サリン事件を受けて公安調査庁はオウム真理教に対し、破防法(破壊活動防止法)の適用を検討しましたが、当時の日本のキリスト教界はそれが信教の自由を侵しかねない、宗教弾圧につながる危険性があるとして、適用反対のアピール運動を展開しました。
 
私も当時はまだ朝日新聞の影響をまともに受けていましたので、当然のように適用反対の側にいたのですが、もしもオウムに破防法を適用していれば、その時点でオウム真理教の命脈を断つことができていたかも知れません。
 
破防法の適用が見送られた結果、オウムはかたちを変えて生き残り、教祖の影響力もまた生き残って今日に至っています。
改めて思い返しますと、まことに忸怩(じくじ)たる思いになります。
 
オウム真理教の例などは、宗教が道を外れて暴走するとどうなるかという見本ではあります。しかし、現代の日本においてはオウムのようなケースは例外と言ってよいでしょう。むしろ、過剰な反応の方が心配です。
 
今から二三〇〇年前の紀元前三世紀はじめ、中国の政治家で詩人であった屈原は、度を超すまでに用心深いことを、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」(屈原「楚辞 九章 惜誦」)と表現しました。
もっともそれは、痛い目に遭っても遭っても、それでも同じことを繰り返してしまう性懲りもない自らを自嘲しての表現でしたが。
 
この故事に出てくる「羹(あつもの)」といいますのは、肉や野菜を煮込んだシチューみたいなものです。また「膾(なます)」とは牛肉の刺身のことです。
つまり、熱々のビーフシチューで舌や喉を火傷してしまった人がその経験に懲り、もう二度と火傷はすまいと考えて、冷えた刺身までもフーフーする、という姿を表現したものです。
 
ただし、屈原が書いたとされる「楚辞」の原文では、冷ますために息を吹きかけたものは「膾(なます)」ではなく、「(あえもの)」のようですが。
 
虀(あつもの)は生姜(しょうが)や韮(にら)などを搗(つ)きまぜた味噌のような物で、野菜などを和(あ)えて食べる料理。熱い吸い物で舌を焼いたのに懲りて、冷たい和え物まで吹いて食べる、とは懲り方の甚だしい比喩である(青木正兒訳「中国古典詩集 楚辭」267p 世界文学大系7A 筑摩書房)。
 
今回の事件の結果、欧米においてはイスラム教とイスラム過激派とを一緒くたにする批判が湧かないように、そして日本では宗教そのものをまとめて否定する見方が起こらないようにと願うものです。
 
さて宗教についてですが、宗教あるいは信仰というものは人が人であることのしるしとでも言うべきものです。
その際重要なことは、人が「信じる」ということにあたって、「何を」、そして「どのように」して信じ仰ぐべきか、ということです。
 
そしてキリスト教と雖も、一歩誤れば狂信、盲信、歪信に陥ってしまうことは歴史が証明するところです。
しかしまた、これを正しく理解して信じ受け入れれば、信じる者には今と永遠の幸いを保証するという結果をもたらします。
 
そこで二〇一五年はキリスト教の根本教理を信仰告白のかたちにした「使徒信条」を一つ一つ項目ごとに取り上げることによって、健全な信仰の基盤を強化し、揺るがぬ確信としたいと思います。
 
昨年は一月から三月まで八回にわたって、主イエスが弟子のしるしとして与えてくれた「主の祈り」を学びましたが、「使徒信条」の場合は初夏まで、二十回程になるかと思われます。
 
アスリートと呼ばれるスポーツ選手が以前と違って見違えるように逞しくなって活躍する場合がありますが、実は体幹、つまり体の中心を支える筋肉を鍛えた結果だということがあるようです。
 
私たちにとりましても、「使徒信条」への取り組みが信仰の体幹を鍛えるものとなると思います。
少し長丁場になりますが、今年の前半は、「使徒信条」にぜひ、お付き合いください。
 
 
1.「我は信ず」という告白
 
 私たちの教会では礼拝の冒頭で歌う、聖歌三八四番の「すべての恵みの元なる御神を 造られし者よ、いざ称え奉れ」という呼びかけに続いて、信仰告白として「使徒信条」を告白し、その上でイエスの弟子の徴しとして与えられた「主の祈り」を祈ります。
 
この順序は重要です。厳密に言えば「イエスは主なり」と告白をした者こそが、「主の祈り」を祈ることが相応しいといえるからです。
 
もちろん、何もわからぬままに「主の祈り」を唱えた場合であっても、寛容な主はそれをその人の「祈り」として受け入れてくださいますから安心して「主の祈り」に加わってください。
 
さて「使徒信条」ですが、これはローマ教会において二世紀の後半にまとめられた「ローマ信条」に沿って作られたものであって、現在の形になったのは八世紀になってからと言われています。
 
これは三条から成っていて、第一条が「父なる神」、第二条が「子なるキリスト」、そして第三条が「聖霊なる神」についての告白条項で、ローマ教会もプロテスタント教会もこれを基本的信条として扱うことはほぼ同じです。
 
ただ、条項の中のいくつかの解釈に関しては大きな違いがあります。
例えば第二条の「おとめマリヤより生まれ」の場合、「マリヤ」についての解釈は大きく違います。プロテスタントは「マリヤ」の神性を認めません。ですからマリヤは尊敬の的ではあっても、祈りの対象ではありません。
 
更に第三条の聖霊の働きである「聖徒の交わり」についても、ローマ教会はこれをいわゆる「聖人(セイント)の有り余る功績を信者が分けてもらうこと」と解釈するのですが、プロテスタントではイエスを主と告白する「信徒同士の交わり」を意味するとします。
 
「使徒信条」の本文はラテン語です。そして最初の言葉が「信ず」を意味する「クレド」あるいは「クレド―」です。
つまり「我は信ず」で始まる信仰告白、それが「使徒信条」が示す性格です。
 
信仰の内容をまとめたものには「ステートメント」つまり声明や宣言といものがあります。
 
アッセンブリーの場合は「基本的真理の宣言」というのですが、これは米国アッセンブリーが二十世紀の初めの教団結成時にまとめたもので、以後何度か改訂されてきました。
そして日本のアッセンブリーはこれをそのまま有り難く押し戴くだけで、意見を述べることも、口を挟むこともできません。
 
そこで一九八十年代の末に、「教団も間もなく創立五十年、もうそろそろ、教団独自の信仰告白を策定してはどうか」と、その必要性を訴えたところ、「今は『アッセンブリー一九九九』という伝道計画に精力を集中する必要があることから、現段階では米国で改訂されたものを翻訳するだけにして、本格的な信仰告白への取り組みは『一九九九計画』が終了してからにしましょう」という回答で、その結果、それまでの「信仰綱要」を「基本的真理の宣言」に改訂しただけで済ませることになりました。
 
そして「一九九九計画」が終了した十年後の一九九九年に、改めて独自の「信仰告白」への取り組みを要望したところ、教団執行部はこれを受けて「信仰告白検討委員会」という諮問機関を設けることとし、人選までも固める段階になりました。
まさに感無量でした。やっと独自の信仰告白ができると。ところが執行部の任期満了、交代ということで、この構想はいつのまにか雲散霧消して今日に至ってしまいました。
 
そういうわけでまことに情けないことに、わが教団は結成後七十年、今でもアメリカさんが作った信仰箇条の翻訳を後生大事にしているわけです。
 
愚痴?はそのくらいにして本題に戻ります。何を信じるか、あるいは誰を如何なる理由で信じるのかという信仰箇条の精査は重要です。
そしてその信仰箇条を信仰告白のかたちでまとめたものが古代の「信条」でした。
 
ところで、偉大なる、崇敬すべき存在を信じ仰ぐということは、人間が人間であることの徴しです。
 
もちろん、動物も仲間同士信頼し合います。狼などにしましても、狩りの際には互いに助け合い、とりわけ群れのリーダーを信頼してその指示に従います。そこにあるのは群れ相互の信頼関係です。つまり、狼でも信じるということを行っているわけです。
 
でもそれは彼らが生き物として生き延びるための手段であり、本能的なものなのです。自由、平等、博愛などの理念に基ずいての行動ではありません。
 
野生動物とは違って、家畜の場合、特に犬や馬には飼い主への忠誠心があります。とりわけ、犬の場合、絶対的な忠誠心を発揮します。その代表が「忠犬ハチ公」でしょう。
渋谷駅前に立つ「ハチ公」の銅像を初めて見た時、あまりの小ささに驚いたものですが、この犬の感動的な話しは実話です。あまりにも感動的なので、米国で「HACHI」というタイトルの映画が作られて世界に配給された程です。
 
しかし、動物の信頼、忠誠はそこまでです。人間だけが、人類だけが根源的な存在に向かって「我は信ず」と告白することができるのです。
そしてその告白こそが、人が人たるの徴しなのです。
 
信仰は時代遅れの産物などではありません。それは人が動物とは違う特別な生き物であることを証明する証拠です。
ですから、信仰を否定するということは、自分は人ではないと告白することにもなりかねません。
 
「今日を生きて行く為に必死だ」「家族を養うためには教会どころでは」と言う方もおられるでしょう。それはそれでその通りです。
でも、そういう方も心の隅に、人が人たる所以は人間を超えた絶対的存在を信じ仰ぐことにある、ということを覚えておいていただきたいと思うのです。
その思いが人生の途上でいつか結実することを祈ります。
 
人は特別な存在です。人は偉大なるものを畏敬する信仰心が備えられているのです。
「我は信ず」と告白することができる人はまことに幸いな人なのです。なぜならば、信仰が無ければ、絶対者である神に喜ばれることがない、からです。
 
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」(ヘブル人への手紙11章6節 新約聖書口語訳354p)。
 
 
2.「我は神を信ず」という告白
 
「信徒信条」の第一条は、日本語訳では「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」です。
 
この冒頭のラテン語原文を直訳しますと「信ず 神を 全能の父なる 天地の造り主」となります。
 
そこで最初に「(我は)信ず、神を」から、「我は神を信ず」という告白について取り上げたいと思います。
 
「神」につきましては、昨年の日曜特別礼拝の説教シリーズ「日本人とキリスト教」において、「日本の神々とキリスト教の神」として、日本人が信仰する神々との対比あるいは類似する点をあげて、キリスト教が説く神についてお話させていただきました(2014年6月1日日曜特別礼拝説教)
 
ところで無神論者を公言する人がおります。実は嘗て私もその一人でしたが、神信仰をめぐっては三つの立場があります。
 
神は存在するとする「有神論」、神は実在しないとする「無神論」、そして神が存在するかしないかはわからないとする「不可知論(ふかちろん)」、この三つです。
 
「無神論」には二種類あります。
 
一つは、「自分は神を見た事がないから神はいないと思う」というような、単純素朴な「無神論」です。
つまり、自分の体験のみが判断の基準という、幼い無神論です。しかし、この無神論が唯物論(ゆいぶつろん)という思想によって強化されますと、少々厄介となります。
 
唯物論と言いますのは、世界は物質で形成されていて、しかもその物質は永遠ではない、人間も肉体という物質で出来ているのだから心臓の働き、脳の機能が止まれば人は死に、その存在は停止し消滅する、という考えです。
ですから、天国もなければ極楽もなく死後もない、現世だけがすべてだ、神にいない、というわけです。
 
しかし、これも所詮、人間の体験、知識の範囲内で下された結論なのです。
 
これに対し、神の存在を認めながら、敢えて自らを神として振る舞うという積極的な無神論というものがあります。
 
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自らを地者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」(ローマ人への手紙1章20〜23節 新約聖書口語訳234p)
 
後者の積極的無神論者は、神の存在を当然とするキリスト教国で育った者が多いのに対し、日本人の多くは前者のような、単純な無神論者でしょう。そこに希望があるといえます。
 
ところで、冒頭でフランスにおけるテロについて触れましたが、この事件を言論や表現、報道の自由に対する挑戦と捉える論調が西欧の主流となっているようです。しかし、それには少々違和感を感じます。
 
襲撃された「シャルリー・エブド」社の社名ですが、「エブド」は「週刊の」で、「シャルリー」は英語のチャーリーで漫画スヌーピーに出てくるスヌーピーの飼い主のチャーリー・ブラウンから取ったもののようです。
つまり「週刊チャーリー」あるいは「週刊のチャーリー」とでもいうのでしょうか。毎週五万部ほどの風刺を中心とした週刊誌を発行している言論機関です。
 
でも、この会社のスタンスは無神論、反宗教で、過去にはムスリム(イスラム教徒)が最大の預言者として崇敬してやまないムハンマドを、同性愛者として描いた風刺画像を掲載するなど、ムスリムの感情を逆なでするような無神経ともいえる出版活動を行って、彼らの怒りや反感を招いてきました。
 
自らが無神論者であることを標榜することは勿論、言論の自由であり、それもまた信教の自由の一つであって、それ自体は尊重されなければなりません。
しかし、他者が崇敬するもの(この場合は預言者ムハンマド)を意図的に貶しめる、嘲笑することが伝統文化であり言論、表現、報道の自由の許容範囲であるとして許されるのかという問題は、別の問題であるように思われます。
 
今回の問答無用の暴力によるテロは勿論、否定され、指弾されるべきですが、もう少し事態が沈静化してから、本質的な論議がなされることを願うものです。
 
 神の存在に関するもう一つの立場、それが「不可知論」です。真剣に聖書に取り組み、神の存在を突き詰めて考え抜いた末に、神の存在に関しては結論を保留する「不可知論」者となったという人は、欧米には多く存在するようです。
 
けれども、日本人の場合はそこまで深く突き詰めて考えるというよりも、西暦一世紀の「アテネ市民」と同じように、単に結論を先延ばしにしているだけのような人が多いのではないかと思われます。
 
「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ある者たちは、『このことについては、いずれまた聞くことにする』と言った」(使徒行伝18章32節 212p)。
 
 これはパウロの主張に対する一部のアテネ市民の反応です。このような人の場合、いずれの日にか、神の前に出るという場面が訪れるということを覚えなければなりません。
 
 そして三つ目が神の存在を認める「有神論」です。「有神論」にも二つの種類があります。「多神論」と「一神論」です。
 
「多神論」とは、神は複数存在するという考え方です。一時、「トイレの神様」という歌が評判になりましたが、特に日本人の場合、「汎神論(はんしんろん)」と申しまして、森羅万象にはことごとく神霊が宿っているという考えがあり、そこから発展して、人の考えや力を超えるものすべてを素朴に「神」として崇める伝統がありました。
 
特に祖霊と申しまして、亡くなったご先祖が祖先神として子孫を見守ってくれているという神観念が、今に至るまで続いています。 
流石に最近では本格的な門松は見なくなりましたが、正月に設ける門松とはもともと、年の神である祖先神が子孫の家を訪れる際に、道に迷わぬように目印として立てられたものでした。
そういう点から見れば、日本には八百万(やおよろず)どころか、それをはるかに超える厖大な数の神様がいることになります。
 
 一方、「一神論」とは超越的な神は一人であるとする考えです。
そして、使徒信条が「我は神を信ず」と告白する「神」はこのただ一人の神なのです。
 では多神教と一神教ではどちらが先なのか、ということですが、宗教学的には、多神教が発展して一神教になったというよりも、一神教がぼやけた結果、人のうちに残っている宗教心を満足させるために多神教が発展した、とされています。
 
 
3.「我は唯一の神を信ず」という告白
 
今話題のイスラム教も、そしてユダヤ教もキリスト教も、論理的区分では「一神論」であり、宗教的には「一神教」です。
つまり、使徒信条が「我は神を信ず」という場合、それは「我は神々を信ず」ではなく、「我は唯一の神を信ず」という告白を意味します。
 
 なぜ「唯一の神を信ず」と告白するのか、ということですが、それは単純な理由からです。なぜか。それは本物の神は一人しかいないからです。
 このことはバビロン捕囚から解放された後の神の民がとりわけ肝に銘ずべき事柄でした。
 
ですから神は捕囚の民に向かい、何度も何度も確認しようとします。それは彼らが先祖をエジプトから救出してくれた神を忘れて、というよりも神以外の他の神々に心を移したからでした。
だからこそ、神の唯一性を強調する必要があったのです。
 
「わたしより前に造られた神はなく、わたしより後(のち)にもない。ただわたしのみ主である。
…『わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう』。」(イザヤ書43章10節後半、11節前半、13節 旧約1004p)。
 
 この、神こそが唯一の神であって、他に神なるものは存在しない、ということは、バビロニアを滅ぼして世界の覇者となったペルシャ王クロスに対しても宣言されます。
神は言います、「わたしはイスラエルの解放者としてあなたを選んだ、だからこそあなたは強国のバビロニアを打倒することができたのだ、私こそが主でる、私以外、他に神はないのだ」と。
 
「わがしもべヤコブのために、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしは主である。わたしのほかに神はない。ひとりもない。
…わたしは主である。わたしのほかに神はない。わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなすものである」(同45章4、5節前半、6節後半、7節)。
 
「一神教」は寛容性に欠ける、という批判があります。確かにこのたびフランスで起きた事件などを考えれば、また二〇〇一年九月の米国における同時多発テロなどを例にとれば、一神教に原因があるとする見方もできるかも知れません。
 
しかし、大多数のイスラム教徒は他者の信仰に関しては寛容ですし、成熟したキリスト教社会もまた、昔は知らず、他宗教に対し、また異なった文化に対しては極めて寛大です。
だからこそ、キリスト教国のEUが積極的に移民政策を取ったのですが、その政策が宗教的軋轢、価値観の齟齬、文化的摩擦となって裏目に出てきているのかも知れません。
 
そういう点からも、我が国は少子化や労働人口の減少などを理由とした安易な移民政策の導入については慎重でなければならないとも言えます。
 
ただ一つ言えることは、神は唯一であるという事実です。そしてもしも神が唯一の存在であるならば、教義の違いを乗り越えて、人は和合することができる筈です。
「我は唯一の神を信ず」という告白は、人を外へと斥けるものではなく、他者を内に包含する告白でもあるのです。
 
二〇一五年は悲劇的ニュースで幕を開けましたが、唯一の神がこの世界を見捨ててはいないという事実に希望をつないで、この唯一の神に向かい、「我は神を信ず」と告白し続けていきたいと心から思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-01-04 16:11:02 (1462 ヒット)
2015年礼拝説教

15年1月4日 2015年(平成27年)第一回日曜礼拝説教 

「しかし、勇敢でありなさい」
 
ヨハネによる福音書16章33節
ヨハネの第一の手紙5章4、5節 
 
 
はじめ
 
「愛と勇気だけが友達さ」と歌ったのは一昨年の秋に亡くなったやなせたかしの作詞による「アンパンマン」の主題歌ですが、この歌の歌詞のように、何といっても「勇気」は大切なものです。
 
知恵のない向こう見ずの蛮勇などではなく、また、大向こう受けを狙った卑しいパフォーマンスなどでもなく、確かな裏付けと見通し、そして私心とは別の、いわゆる「愛」というものを動機として形成されている「勇気」をこそ、何としても身につけて生きていきたいと私たちは思うのです。
 
とりわけ、国民の暮らしと生命、安全を守る務めにあたる政治家などの指導者に必要なものがこの「勇気」です。
そして昨年の秋から年末にかけて「勇気」を出して行動したのが、昨年末に第九十七代の内閣総理大臣に就任した安倍晋三首相ではないかと考えるようになりました。
 
もちろん、その政治的姿勢、とりわけ安全保障に関する立ち位置の違いやエネルギー政策などについては、それぞれに違った見方があることは承知の上ではあります。
 
「何が」かと言うことですが、共同通信という新聞社で経済部と政治部の記者としてキャリアを積み、退社後、三菱総研というシンクタンク勤務を経て自らシンクタンクを設立し、現在、日本を代表する危機管理のエキスパートとして知られている青山繁晴独立総合研究所社長兼主任研究員によって、昨年十一月二十六日、関西テレビの情報番組で示された今回の解散、総選挙に関する分析が、当時とその後の日本の状況から、正鵠を射たものであったことが明らかになったからです。
 
番組における青山社長の分析の要旨は、「このたびの突然の解散、総選挙は、何としても二〇一五年秋の消費税増税を法律通りに実現させようとする財務省の工作に対抗したものであって、日本の首相で初めて財務省と全面対決を決断したのが安倍首相であった」というものでした。
 
なお、この番組録画は、まだ消されていなければですが、you tubeで「水曜アンカー・青山繁晴のニュースDEズバリ 11月26日」で検索すると視聴することができます。
 
青山繁晴という人は、国内外で培ってきた広範な人脈を基にした正確かつ新鮮な情報収集と、その独自の情報分析能力の高さで、その世界では一頭地を抜いている人物だと思われます。
 
当該の番組におけるこの人の見解をかいつまんで言えば、「財務省の工作は政権党に所属する選挙基盤の弱い議員たち、そして学者・有識者、更にはマスコミにまで及んでいて、それぞれが持つ弱点や立場を衝くことによって増税実施への補完勢力としようとしたもの」であって、「その巧妙な動きをそのまま放置すれば内閣総理大臣と雖も身動きが取れなくなり、経済状況がどうであれ、二〇一五年の秋には法律の通りに十%の増税に踏み切らざるを得なくなる、という状況を打開するためのものであった」という分析でした。
 
もちろん、政治家ですから、先を踏まえての政権の延命、選挙準備が整っていない野党の隙を衝く、などの理由や政治的計算も当然あったこととは思います。
 
しかし一方、選挙の結果によっては、現在確保している安定的議席を失って下野せざるを得ない、あるいは下野しないまでも責任を取って党の総裁を降りなければならない破目になる、というリスクもあった筈です。
 
そういう意味では自らの進退をかけての、日本と日本国民のために下された重い決断であったと評しても差し支えない判断であったと思われますし、強大な権力を持つ財務省と全面対決をする決断を下すには、非常な勇気が要った筈でした。
 
これがもしも腰の定まらない、識見の無い臆病な、また保身を優先する人物であったならば、抵抗することもなく、流れのままに財務省の言いなりになっていたであろうというわけです。
 
そういう意味において、日本国の命運を左右するような首相と財務省の対決は、首相の勇気が勝利を得たことになり、その結果、日本国および日本国民は重大な危機をひとまず回避をしたと言うわけです。
 
さて、二〇一五年、平成二十七年が始まっています。
一月一日の新年礼拝においては「主を待ち望む者が、新たなる力を得る」というタイトルの説教によって、御言葉から「勇気」を得ましたが、本日の第一回日曜礼拝ではこれに続いて、「勇気を出しなさい」「勇敢でありなさい」という主イエスの御言葉を心に刻みつけることにより、これから開かれるであろう未知の世界に向かって、新たなる出発を共にしたいと思います。
 
 
1.   心の平安を掻き乱す患難の予告
 
 たとえばですが、家族で食事をしている時に、父親から突然、「お父さんは今夜でいなくなるが、しばらくしたら代わりのお父さんが家に来てくれる、だから安心していなさい」と言われたとしたら、「そうか、安心だなあ」と思うでしょうか。
やはり、戸惑いもし、心が騒いで不安になることと思います。
 
でも主イエスは過越の食事の席で、そのような意味のことを確かに発言したのです。この食事は「最後の晩餐」として知られていますが、イエスにとっては「最後」であっても、この時の弟子たちにとっては、来年も再来年も続くと思っていた筈の晩餐でした。
 
「しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」(ヨハネによる福音書16章16節 新約聖書口語訳168p)。
 
 イエスの言葉の後段にある「しばらくすれば、わたしに会える」(16節)というのは、「イエスの代わりに聖霊が助け主として来てくれる」という意味でしたが、たといそう言われたとしても、頼りにしていたイエスがいなくなってしまうというのであれば、不安は募るばかりであっただろうと思われます。
 
そして、それは当然イエスも知っています。そこで語られたのがイエスの言葉でした。
 
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである」(16章33節 a)。
 
 弟子たちにとり、不安や心配がないという不動の「平安を得る」(33節)にあたって大事なことそれは、師のイエスによれば、苦難、患難との遭遇は必至、という現実を直視することであったのでした。
 
「あなたがたは今までは、私イエスの庇護の下にあった、しかしこれからは私の働きを私に代って担うことになる、当然、私が受けたように、あなたがたも苦難、患難を経験することにもなる」、それがイエスの予告でした。
 
「あなたがたは、この世ではなやみがある」(16章33節 b)。
 
 この「なやみ」(33節)はつらい悩み、患難辛苦を意味する言葉です。「信仰を持ったら悩みが無くなる、安楽な生活が保証される、何もかもがうまく行くようになる」、これは新興宗教の謳い文句です。
 
しかし、イエスはそうは言いませんでした。むしろ、「この世で生きる限り苦労は絶えず、苦難は続く」という現実がイエスから予告をされたのでした。
 
流行っている店の状態を、「客が引きも切らずに押し寄せる」と表現しますが、一難去ってまた一難、悩み、苦しみが引きも切らずに次から次へと押し寄せてくる場合があります。
 しかし、「あなたがたはこの世では悩みがある」(33節)と弟子たちに言ったイエスは、言葉を継ぎます、「しかし」と。イエスはこのあと何を言ったのでしょうか。
 
 
2.キリストが勝利者なのだから、勇敢であれ
 
イエスの口をついで出てきた言葉は、「現実はそうだ、しかし、現実に押しつぶされてはならない、あなたがたは勇敢でありなさい、私は既に世に勝利しているのだから」という励ましでした。
 
「しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(16章33節c)。
 
 これを新改訳で読んでみましょう。
 
「しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(同 新改訳)。
 
 「勇気を出しなさい」「勇敢でありなさい」とイエスが励ました根拠が何かと言いますと、イエスが既に「世も勝っている」(33節)という事実があるからでした。
 
 ここでいう「世」(同)とは何かということですが、使われている原語は「コスモス」ですが、これは空間的な意味の、世界や宇宙を意味する用語であって、この場合はキリストに敵対している世の中や世間、更には世俗的な勢力や誘惑などを意味します。
 
確かにイエスはこの、「世」(同)を代表するユダヤ当局、具体的には行政と宗教の中心勢力であった最高法院サンヒドリンにより、また当時ユダヤを属領にしていたローマ帝国という国家権力によって処刑されてしまいました。
しかし、イエスが妥協しないで己の信念を貫いて殺されたということこそ、イエスが勝利者であったしるしなのでした。
 
イエスは人類への「愛」のゆえに、最後まで「勇敢」でありました。そのイエスは一度は殺されましたが、しかし死からよみがえって、いえ、神によみがえらされて、今も生きておいでです。
 
そして復活後間もなく、約束の通り、御自身の代わりに聖霊をもう一人の助け主としてこの地上に遣わして下さったのでした。
その約束は最後の晩餐の席で語られました。
 
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせてくださるであろう。それは真理の御霊である」(14章16、17節前半)。
 
 「私は数々の誘惑を退け、大いなる患難を克服して勝利をしている、私は勝利者だ、だから私に従ってきたあなたがたも勝利をすることができるのだ、勇敢であれ」と主はこの時、慄く弟子たちに語られたのでした。
 そしてこの励ましの言葉は時代を経て、今日も私たちひとりひとりに投げかけられているのです。
 
 
3.弱き者もキリストを信じる信仰によって勝利する
 
 イエスが勝利者であることはわかった、でも、それが私たちとどう関係するのか、イエスの勝利がどのような仕組みで私たち信者の勝利に結びつくのか、ということですが、そのメカニズムがヨハネの手紙の中にあります。
 お読みしましょう。
 
「なぜなら、すべて神から生まれた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか」(ヨハネの第一の手紙5章4、5節 380p)。
 
 「世に勝つ者」(5節)、それはたまたま豪胆な性格に生まれついた者のことではありません。そうではなく、卓越した「愛」と「勇気」によって「すでに世に勝っている」(ヨハネ福音書16:33)救い主「イエスを神の子と信じる者」(第一ヨハネ5:5)のことなのです。
 
 私たちが「イエスを神の子と信じる」(5節)ことができたのは、もう一人の助け主として来られた聖霊の働きのおかげでした。
そして、その聖霊の働きによって与えられたキリストへの「信仰こそ」(4節)、「世に勝たしめた勝利の力」(同)なのです。
 
つまり、聖霊の働きによって、弱い者もイエスの持っておられた強く熱い「信仰」を、自身の「信仰」とすることができるようにされたのでした。
 
もちろん、イエスとではレベルが違います。しかし、「神から生まれた者」(4節)は神を父とし、イエスを長子とする神の子なのです。神の子であれば父と御子の影響を強く受ける筈です。
 
 三世紀の中国で書かれたものに、「朱に交われば赤くなる」という慣用句の語源となったものがあります。傳玄(ふげん)という人の文章です。
 
    墨に近づけば必ず緇(くろ)く、朱に近づけば必ず赤し(傳玄)。
 
黒い墨を使用していれば、手や指はどうしても黒くなってしまいますし、朱色を使用すれば赤く染まってしまいます。
 
そのように「朱」ならぬ「主」に絶えず近づき、「主」と交わっていれば、「主」の信仰に染まり、そして主が持つ麗しい性格の影響を受けてその結果、主が持っておられる「愛」と「勇気」を与えられて、ついには「世に勝つ」(5節)勝利者となることができるのです。
 
その生きた証拠(エビデンス)が初代教会のあの弟子たちでした。彼らは保身のあまりにイエスを見捨てるような臆病者でした。だからこそ、自分たちは失格者だという自責の念にかられ、傷心の中で故郷に帰り、漁師の暮らしに戻ったのでした。
 
彼らは彼らなりにイエスを愛しておりました。イエスを愛していたからこそ、今さら、どの面下げてイエスの弟子を名乗ることができようかと思ったのでしょう。
 
「シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たち一緒にいた時のことである。シモン・ペテロは彼らに『わたしは漁に行くのだ』と言うと、彼らは『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って舟に乗った」(21章2、3節前半)。
 
 さらっと読みますと、「気分がくさくさしているから俺、気分転換に漁に行くわ」「そうか、俺たちもそうするか」というように読めるかも知れません。
 
 しかし、それは違います。シモン・ペテロの「わたしは漁に行くのだ」(3節)という言葉は、「俺は失格者だ、もう主の弟子と呼ばれる資格はない、だから元の漁師に戻るぞ」という意味であって、他の弟子たちの「わたしたちも一緒に行こう」(同)もそれに同調した言葉でした。
それらは謂わば、彼らの撤退宣言、敗北宣言であったのです。
 
 彼らは徹底的に打ちのめされ、その心は挫折感と敗北感とで満ちていたのでしょう。しかし、そこに復活の主が現れます。そしてシモン・ペテロに向かい、「今まで通りに弟子として、私の任務を継続しなさい」と言われます。
 
「イエスは彼に言われた、『わたしの羊を養いなさい』。」(21章17節)。
 
それは再びの召しへの呼び掛けでした。こうして、シモン・ペテロをはじめとする敗北者たちは再び、キリストの弟子としての道を往くこととなったのでした。
 
ある人が「失敗をしたことのない者、挫折を経験したことのない者は、おおよそものの役には立たない」と言ったそうですが、その通りです。
敗北の苦い味を舐めた者だけが勝利を得ることができるのです。
 
そこで、最後にイエスの励ましの言葉をリビングバイブルで読んで、勝利の主に向かって祈ることといたしましょう。
 
「あなたがたも、心配しないで、安心していなさい。こんなにも、念には念を入れて話してあげたのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(16章33節 リビングバイブル)。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-01-01 16:48:21 (1473 ヒット)
2015年礼拝説教

15年(平成27年)1月1日(木)新年礼拝説教 

「主を待ち望む者が新たなる力を得る」
 
イザヤ書40章28〜31節(旧約聖書口語訳998p)
 
 
はじめに
 
 西洋人が最も力を入れる行事はクリスマスですが、日本人の場合は何といっても正月でしょう。
 
ですからゴミの収集も当地の場合はこの年末も、二十八日の日曜日には可燃ゴミが、そして木曜日収集の廃プラ・ペットボトル等は二十九日の月曜日に収集されるなど、すべてが新年への備えとなっています。
 
それは正月の三が日を休業するからでもありますが、やはり、ゴミは新年には持ち越さず、旧年に出たゴミは旧年の内に片付けて、すっきりとして新しい年を迎えたいという、新年への特別なこだわりが日本人にあるからだろうと思います。
 
二〇一四年というそれなりに忘れ難い年が終わり、新しい年が明けました。
私たちはともすれば地を這うような日々を送りがちですが、この新しい年こそは上からの新たなる力を得て、天高く、とまでは行かないまでも、飛躍という経験を味わう年でありたいと思うのです。
 
そこで、この年の新年礼拝の説教題を「主を待ち望む者こそが新たなる力を得る」とした次第です。
 
 
1.   疲労と倦怠という現実的危機
 
紀元前六世紀、数十年にわたって継続してきたバビロン捕囚が終わりを迎えるという解放の預言が語られました。
 
その記録がイザヤ書四〇章からの預言です。これは通常、第二イザヤとして知られています。
 
「あなたがたの神は言われる、『慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終わり、そのとがはゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた』。」(イザヤ書40章1、2節 旧約聖書口語訳996p)。
 
 慰めの預言は続き、捕囚の民が置かれている現実が指摘されます。それは疲労と倦怠という状況でした。
 
「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる」(40章30節)。
 
 「年若い者」(30節)とは通常、疲れを知らぬ年代です。
また「壮年の者」(同)と訳された言葉は、原義は「選ばれし者」を意味し(浅野順一「旧約聖書略解イザヤ書」697p 日本基督教団出版局)、また「精鋭兵などに用いられ、意気壮(さか)んなる若人を指す」のだそうです(左近 淑「混沌への光」157p ヨルダン社)。
 
 更に、「弱り、かつ疲れ」(同)は「倦む」「たゆむ」であり(左近)、「疲れ果てて倒れる」(同)は「原語では『よろめき、よろめく』老衰せる者のおぼつかなき歩みをいう」(浅野)という意味とのことです。
まさに倦怠と疲労です。
 
「年若い者」「壮年の者」がそうであるのならば、況してや高齢者、病弱な者、そして社会的弱者は如何ばかりかと思われます。
 
翻って二十一世紀の日本、二年前、アクセル全開、薔薇色で始まったアベノミクスでしたが、昨年四月の消費税が思わぬブレーキとなって推進力は弱まり、そこに予想以上の国際経済の悪化や円安などの進行もあり、恩恵は底辺までにはなかなか降りて来ないというのが現実です。
 
そういう意味において二〇一五年という年は政権にとって正念場の年ですが、庶民にとっても先行きが見えにくいという点から、今年は特に重要な年でもあります。
 
 左傾化したメディアはイデオロギーの違いから、ひたすら、政権批判を繰り広げていますが、私たちは政治を担う者たちのため、神に対して、神の助けを祈らなければなりません。
祈ることをせずに批判だけをする者には、神は厳しい目を向ける筈です。
 
信仰者にとっても信仰における倦怠と疲労感は、信仰の停滞を招くだけでなく、信仰生活の空洞化を生じさせ、生ける神との関係に隙間風を吹かせかねないという危険があります。
 
では、倦怠と疲労という現実的危機を克服するにはどうしたらよいのでしょうか。
 
 
2.   新たなる力に溢れて明日へと向かう
 
 神はまず、(第二)イザヤに対し、民に向かって「新たなる力を得」ることの必要性を語らせます。
 
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」(40章31節前半)。
 
 倦怠感と疲労感から解放されて、希望を抱いて明日に向かうためには、この「新たなる力を得」(31節)ることが何としても重要です。
 
この「新たなる力を得」ることについて浅野は、「『新たなる力を得る』とは力を新たにする、力を交換するという意味であって、人の力の代わり神の力が交換されることをいう。人間の無力は神の力に代えられ、弱さと疲れはいやされ強くされる」と解説します(前掲書)。
 
「力を交換する」とは、使用期限の来たバッテリーを新しいバッテリーに交換するという意味でしょう。
 
バッテリーというと思い出すのが、十数年前の深夜、守口市内を走行中にバッテリーが上がってしまい、パトカーに充電してもらったというめったにない経験です。
 
その後、市内東側の三井が丘団地が建つ丘の頂上でエンストを起こしてしまい、前にも後ろにも進めず、後ろから来た京阪バスなどには対向車線を通行してもらうなどの迷惑をかけ、緊急で呼んだJAFに充電をしてもらい、何とか辿りついたオートバックスでよれよれのバッテリーを新品に交換したことを思い出します。
 
「人の力の代わりに神の力が交換されること」とはどういうことでしょうか。
 
西暦一世紀、そのことを経験した人たちがいます。イエス昇天後、地上に残された弟子たちの集団、いうなれば初代の教会でした。
彼らに遺言ともいうべき主の言葉が与えられました。
 
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節 新約聖書口語訳180p)。
 
 そして、「五旬節」、つまり「ペンテコステの日」に、エルサレム神殿東側にあるソロモンの回廊で祈っていた弟子たちに聖霊が下ったのでした(使徒行伝2章)。
 
彼らは力に満ちて、まるで人が変わったようになりました。あの、人の顔を恐れて主を否定したシモン・ペテロが、そしてイエス逮捕の際、イエスを見捨てて逃げ去ったあの弟子たちが、「新たなる力を得」(イザヤ40:31)たのでした。
 
古いバッテリーが新しい神のバッテリーに交換されたのでした。これは現代を生きる私たちにも必要かつ可能な経験なのです。
 
 
3.   主なる神を待ち望むことによって
 
では、この「新なる力」はどのようにして得ることができるのか、ということですが、弟子たちの真似をすればよいのです。
 
弟子たちがしたこと、それは日常の務めを果たしつつ、信じる者たちが共に集まっては、ひたすら、主の約束の成就を祈り続けたということでした。
 
「彼らはみな婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」(1章14節)。
 
 弟子たちがしたことは神を「待ち望む」ということでした。それは神がイザヤを通して語られたことでもありました。
 
私たちもまた毎週の日曜礼拝において充電され、またこの経験を「朝ごとに新しく」(哀歌3章23節)したいと思います。
 
イザヤ書に戻りたいと思います。
 
「しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」(40章31節前半)。
 
 「主を待ち望む者」(31節)こそが「新たなる力を得」(同)るのです。
 
 この「待ち望む」について左近は、「『待ち望む』というヒブル語は〈つな、巻きつく〉という語源に由来する。神を待ち望むということのもつ〈不屈さ〉と内的緊張をよく示している」と解説しています(前掲書)。
 
 私たちも神に、そして内にいます聖霊なる神に、そして神の不変の約束に綱のように巻き付いて、「新たなる力を得」(同)続けていきたいと思います。
神こそが力の根源なのですから。
 
そして力の象徴ともいうべき鳥が例に上がります。「わし」(31節)です。
 
疲労困憊していた者が「新しい力を得」(同)て、「わしのように翼をはって」(同)天空高く「のぼることができる」(同)というのです。
 
まさに、虫のように地を這いつくばって生きるしかないと思っていた者を鼓舞する言葉です。
それは「主を待ち望む者」(同)に等しく与えられている約束です。倦怠と疲労とはさようなら、です。
 
「走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(40章31節後半)。
 
 もちろん、これは比喩的表現であって、信仰の歩みを意味するものです。
 
しかし、この年、勇気を与えられて鷲のように天翔(あまかけ)る者でありたいと心から思います。
上からの神の力を求めて、変わることのない「主を待ち望」(31節)んで、共に祈りを捧げましょう。


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