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投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-11-30 16:08:42 (960 ヒット)
2014年礼拝説教

14年11月30日 待降節第一主日礼拝説教
 
「運命的な出会い 『世の罪を取り除く神の小羊』としてこの世に到来したナザレのイエスを、神のキリストとして証ししたバプテスマのヨハネー『彼は栄え、私は衰える』」
 
ヨハネによる福音書1章6〜9、19〜34節、3章27〜30節(新約聖書口語訳135p)
 
 
はじめに
 
「クリスマスって何の日?」と聞いたなら、幼い子供でも「キリストの誕生日だよ」と答える筈ですし、「では、クリスマスっていつ?」と聞いたら「十二月二十五日」と答えることと思います。
それくらい、イエス・キリストが現在の暦でいう十二月の二十五日に誕生したということは常識とされているのですが、それが果たして正確な日であるのかといいますと、はっきりとはしないのです。聖書に明確な記録があるわけではありません。
 
紀元(西暦)三一三年、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世は「ミラノ勅令」という勅令を発布して、帝国においてそれまで非公認であったキリスト教を、国家として公認の宗教としたということは、誰もが世界史で習っている有名な出来ごとです。
これによって教会は多大の恩恵を受けることができたのですが、その一つが、それまでに受けてきた国家的規模での迫害を免れることとなったことでした。
 
このこともあって、キリスト教はローマ帝国内にあって世界的宗教として発展していくのですが、キリストの誕生日に関して、教会には統一した見解はありませんでした。しかし、肝心要のキリストの誕生日がまちまちであると、混乱を引き起こしかねません。
 
そこでローマ教会は長い議論を経て、西暦三五〇年頃までには、キリストの誕生日は十二月二十五日とすることになったようです。
 
その際、最も影響を与えたものが、ローマ帝国内において盛んであったミトラ教という太陽崇拝の密儀宗教でした。
当時、太陽神であるミトラまたはミトラスの誕生を祝う祭、つまり冬至祭がローマ社会に広く浸透しておりました。冬至祭は昼が長くなり始める十二月二十五日に行われました。季節は冬至を境として昼が優勢となります。
 
そこで教会は、この祭を義の太陽であるキリストの生誕祭とすることによってミトラ教の影響を一掃すると共に、ミトラ教に代わるキリスト教の教化拡大を図ろうとしたわけです。つまり一石二鳥を狙ったわけです。
 
この狙いは見事に成功し、それが三八〇年のテオドシウス一世によるキリスト教の国教化、そして三九二年の異教信仰の禁止政策に繋がったのでした。
 
「なあんだ」と思う方もおありかと思います。でも、イエス・キリストが紀元前七年から五年の間にユダヤの地、現在のパレスチナに誕生したということは否定しようのない歴史的な事実です。
 
大事なことは何かと言いますと、それはイエス・キリストの生誕の意義であり、イエスは誰なのか、何のために生誕をしたのか、それは我々人類とどのように関係するのか、ということの方です。それこそが何よりも大切なことなのです。
 
教会の暦では十二月二十五日の前の四週間を、待降節としておりますが、今年、私どもの教会における待降節主日礼拝では、ヨハネによる福音書の一章、二章を通して、ナザレのイエスはキリストとして生まれたのだとこと、また、イエスがキリストとして生まれたのは「神の小羊」という生贄となるためであったこと、そして「神の小羊」の使命は「世の罪を取り除く」ことにあったのだ、ということを、ご一緒に確認することにしたいと思います。
 
そこで今週はまず、バプテスマのヨハネとイエスとの出会いを通して、ヨハネが天から授けられた使命、そしてキリストが神から受けた使命を通して、自らが光として世の称賛を浴びるのではなく、ただただ、真の光を証しするという一点に存在意義を見出すことの大切さについて、ヨハネの生き方を通して教えられたいと思います。
 
 
1.ヨハネの使命は「世の罪を取り除く神の小羊」として到来したナザレのイエスを、世界の光として紹介することにあった
 
昨年、二〇一三年の待降節第一主日と第二主日礼拝では、「ルカによる福音書」を通してヨハネの誕生についてお語りしました。
 
先祖代々祭司の職にあったザカリヤには一つの悩みごとがありました。それは妻エリサベツに子供ができない、ということでした。祭司職の継承に男の子の存在は不可欠でしたが、年月は無情にも過ぎ去り、ついに二人は子供が出来ない筈の年齢に達しました。
その彼ら夫婦に、永年の祈りの応答として、神からヨハネという名の子供を授けられたのです。イエスが誕生する六カ月前のことでした。
 
成人したヨハネは自らの使命を自覚し、ユダヤの荒野で説教活動を展開するようになりました。そして、その、昔日の預言者にも似たヨハネの雰囲気が、あたかもユダヤ民族が神の約束として待ちわびていた救世主、つまりキリストを思わせるものであったためか、民衆の中には彼をキリストの出現と見る思いや期待が高まっておりました。
 
そして、これを放置するわけにはいかないと考えたのがユダヤにおける宗教・行政の最高機関である最高法院サンヒドリンで、その結果、エルサレムから調査団が派遣されてリサーチとなりました。
 
彼らはヨハネに質問をします、「あなたは誰か、あなたはキリストなのか」と。しかし、ヨハネはそれを言下に否定します。

「さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、『あなたはどなたですか』と問わせたが、その時ヨハネがあかしはこうであった。すなわち、彼は告白して否まず、『わたしはキリストではない』と告白した」(ヨハネによる福音書1章19、20節 355p)。 

 彼は自分の役割を熟知していました。それがイザヤ書四〇章三節を引用しての答えでした。

「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声である』。」(1章23節)

 彼は自らを「声」(23節)に過ぎない者と認識しておりました。その「声」が語るメッセージとは「主の道をまっすぐにせよ」(同)ということであって、「主の道をまっすぐに」する、とは、罪びとが聖なる神に繋がる道を整えるということでした。

つまり、人の心に澱(おり)のように溜まっている障害物を除去することによって、人が神と出会い易くするということであり、だからこそ彼は、悔い改めの「バプテスマ」を施していたわけです。「自分はキリストではなく、あくまでも「声」でしかない」というのがヨハネの自己理解でした。
 
ヨハネは雰囲気に呑み込まれて有頂天になる、ということはありませんでした。彼はおのれを知り、自分の役割を熟知していたのでした。
ヨハネによる福音書の記者はこのヨハネについて本書の冒頭で、彼は「光」そのものではなく、「光」を人々に紹介する紹介者であるとしています。 

「ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。この人はあかしのためにきた。光についてあかしをなし、彼によってすべての人が信じるためである。かれは光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである」(1章6〜8節)。 

 ヨハネが「光」(7節)ではなく、「光」の紹介者でしかないということをくどいまでに指摘しているのは、このヨハネがそれ程に影響力のある存在であったことを示すからでしょう。

 そのヨハネにとり、真の「光」(7、8節)とは誰かと言いますと、それがガリラヤはナザレの出身のイエスであったのでした。

「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』。」(1章29節)。 

 この証言は祭司の家に生まれ育ったヨハネの言葉であるがゆえに、極めて的を射たものとなりました。 

ヨハネの使命はこの世の「光」として到来した救世主を具体的に、「世の罪を取り除く神の小羊」(29節)として理解をした上で、彼を世に向かって「あかし」(6節)し、紹介をすることにあったのでした。
 
その働きはヨハネ独自の、特別なことであると共に、後代の私たちへの範でもありました。
私たちの教団は月刊の機関誌を発行しているのですが、教職者たちが交代で執筆する一面の記事に、「伝道しよう、伝道しよう」と呼びかけるアピールが多いことがいつも気になっておりました。
 
対象が牧師さんたちであるならばよいのですが、この機関誌は専ら、一般の信徒さんを対象にしたものです。それなのに「伝道しよう、伝道しよう」では真面目な信徒さんほど、プレッシャーを感じることになるのでは、と危惧していたのですが、先日届いた、教団の伝道部が発行する機関紙に掲載されていたアピールは、少し違っていました。
 
(ステパノの殉教後、迫害を逃れて地方に離散した)逃亡者達の取った宣教方法は、説教のような発語による方法では無く、生活を通し、生き方を通して(福音を)明示する方法だったのです。
(中略)各種の伝道集会などで御言葉を直接的に示さねばならないことは当然のことです。しかし、それ以上に、自分が遣わされている地域で、自分の生き方そのものを通して福音を明示しなければならないと考えます(竹中通夫「直接宣教か間接宣教のいずれかに献身しよう」伝道ジャーナル1p 日本アッセンブリー教団伝道部)。
 

 我が意を得たり、と思いました。この社会において、よい仕事をし、真摯に生きることが、そのままキリストを証しすることとなるのです。それが今の時代において、ヨハネの後に続くことでもあるのです。

 
2.ナザレのイエスは「世の罪を取り除く神の小羊」として、お暗き世界に到来した神のキリストであった

ヨハネがユダヤの荒野で獅子吼をし、ヨルダン川で悔い改めのバプテスマを授けていた時代、一般のユダヤ民衆が期待していた「キリスト」とは、ローマ帝国の支配からユダヤ民族を解放して、世界に冠たるユダヤ人国家をパレスチナに樹立する軍事的、政治的解放者でした。

軍事的、外交的、経済的政策の成功は、政党や政治家の務めです。私たちは三年三カ月に及んだ前の政権において、そのへたれぶりを嫌と言うほど、見せつけられました。
 
外交的敗北、軍事的劣化、経済的後退は国益、国力を減退、疲弊させ、国民の士気を低下させました。
そこに夢を抱かせる経済政策を引っ提げて登場したのが現政権でしたがいかんせん、四月の消費税増税が景気の浮揚を妨げてしまいました。
 
これは明らかな判断ミスであると思われます。経済政策の恩恵が末端にまで及んでからであるならば、二年後の十パーセントへの一気の増税も可能であったかも知れませんが。
 
明後日の二日に解散、そして十四日の討ち入りの日が投票日となりますが、どうぞ、投票所に足を運んで、それぞれの判断によって国民の権利であり義務でもある選挙権を行使してください。

 国力や国益を左右する経済も外交も、重要な課題です。しかし、最も大切なことは何かと言いますと、昔も今も、神との関係の正常化にあります。

そして西暦一世紀のパレスチナに住むユダヤ人も、民族の政治的解放以前に、罪からの解放、神との関係の正常化が必要であったのでした。
だからこそ、人の真の必要を知る神が送られたのが、「世の罪を取り除く神の小羊」(29節)だったのです。

 「世の罪を取り除く」「小羊」と言えば、誰もが思い至るのが「過越の祭」における犠牲の羊でした。

起源は紀元前一二九〇年に起きた、イスラエルの民のエジプト脱出の際に屠(ほふ)られた「小羊」にあります。
 
エジプトからの脱出の前夜、イスラエルの家々では、小羊が屠(ほふ)られて、血が家の入口の柱と鴨居に塗られ、肉は食されました。
そしてその夜、神から送られた死の使いがエジプト全地を往き廻り、血が塗られていない家に入って行って、すべての初子(ういご)を撃ったのです。
しかし、血が塗られている家を死の使いは「過ぎ越」しました。

「小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。そしてこの月の十四日までこれを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮れにこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入り口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。…その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの家を過ぎ越すであろう」(出エジプト記12章5〜7、13節前半 旧約聖書口語訳89p)。

 エジプト人の家はまさに阿鼻叫喚状態に陥ったことでしょう。恐れをなしたエジプト王は、渋々、イスラエル人が国外に出ることを許さざるを得なくなりました。

そして四十年後、モーセの後継者ヨシュアに率いられたイスラエル民族はパレスチナに入植するのですが、移住した後も、これを「過越の祭」という形で毎年、踏襲してきたのでした。
 
それは単に「出エジプト」という民族的救済の出来事を記念するためだけのものではありませんでした。それはやがて始まる人類を対象とした救済事業の予告でもあったのです。
 
聖書は言います、人類を審判から救うために神が選び、生贄(いけにえ)となるため、この世に送られたまことの「神の小羊」こそ、ナザレのイエスその人であると。
 
生贄となる小羊は「傷のない」(出エジプト12章5節)ものでなければなりませんでした。ですから、イエスは罪の誘惑を悉く退けて、「傷のない」、罪なき人生を生き、そして罪なき身を十字架に架けて、すべての人のための身代わりとなられたのです。
 
クリスマス、それは私たち罪びとが、聖なる神と対面できる立場になることができるようにと、神の御子がわたしたちの原罪という「罪を取り除く神の小羊」としてこの世界に誕生した日なのです。
 
ですから、それが十二月二十五日かどうかということは些細な事柄です。
大事なことは、私たちを愛するがあまりに、尊い神の独り子が人間となられたことであり、生贄として十字架に架かるべく、人としてこの世に誕生したことなのです。
 
しかもこのお方は最後の最後まで、初めの決心を翻すことなく、確かに十字架の苦しみを耐え忍ばれたのでした。
感激しつつ、パウロは言い切ります。西暦三十年四月、神による救済は実現したのでした。

「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ」(コリント人への第一の手紙5章7節 261p)。

 「すでにほふられた」(7節)という一言に、パウロの万感が込められています。

 
3.「世の罪を取り除く神の小羊」を世に紹介することを使命としたヨハネの喜びは、光が光として輝くことにあった
 
もう一度、バプテスマのヨハネのことに戻ります。
 
ナザレのイエスを真の「光」、「世の罪を取り除く神の小羊」として紹介したヨハネはその後、どのように生きたかということですが、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29節)というヨハネの紹介以来、民衆の関心は徐々にヨハネからイエスへと移って行き、そのためにヨハネの弟子たちは焦燥感にかられます。

「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そしてあなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところへ出かけています」(3章26節)。

しかしヨハネは慌てず騒がず、弟子の指摘を良しとすると共に、それこそが私の喜びであるという告白を致します。

「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である』と言ったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身である。花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている」(3章27〜29節)。

 ヨハネは弟子たちに対して、イエスを「花婿」(29節)に、そして自身を「花婿の友人」(同)に喩えて教え諭しました。

ユダヤの習慣では、婚宴が終わり、花婿が花嫁の部屋に入った段階で、花婿の友人つまり花婿の介添え人はお役御免、となるわけです。

 ヨハネは最後まで自らの役割、自分の分というものを心得ていたのでした。

そのヨハネの最後の言葉が実に感動的です。 

「彼は必ず栄え、わたしは衰える」(3章30節後半)。

 一時はキリストに擬せられた人の言葉です。その意味するところは、「彼、すなわちイエスはキリストとして必ず栄えなければならない、一方、私はキリストの紹介者として必ず衰えなければならない」とい意味です。

時々、脇役であることに満足できなくなった者が、主役と同じように脚光を浴びようとして、表舞台にしゃしゃり出ようとする場合があります。
 
ですから、人前に立つ機会のある者は要注意です。とりわけ、教会においては、神の言葉を解き明かす説教者などは努々(ゆめゆめ)、自分が何者かであるかのような錯覚に陥ることがあってはなりません。
説教者はあくまでも花嫁の元に花婿を先導する立場でしかないのです。
 
人前で指導的な立場に立つ者も要注意です。称賛の言葉には気を付けなければなりません。
 
喩えれば、奉仕者は夜空に輝く月のようなものであって、太陽ではありません。月は太陽の光を受けてこそ、夜を照らす役割を果たします。太陽あっての月です。大事なのは太陽です。 

「彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである」(1章8節)。

 「光」(8節)であるキリストを「あかし」(同)したヨハネは、突如、この世を去っていきました。オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」にあるように、彼は宴会の余興によって非業の最期を遂げました。 

 悲報を聞いたイエスは大きな衝撃を受け、弟子たちを離れて一人山に籠り、神の前にひれ伏しました。イエスにとってヨハネは唯一の友であったと思われるからです。

 しかし、ヨハネはこの不条理な死を泰然自若として受け入れ、従容として死に臨んだことと思います。それは、彼がイエスとの運命的な出会いを通して、神から授けられた役割をしっかりと果たし終えたという確信を持っていたからでした。 

クリスマス、それは義の太陽であるキリストのみが崇められ、人々の間で称賛される祭、イベント、フェスティバルです。
 
二〇一四年、平成二十六年のクリスマスも、ただただ神の御子が崇められるクリスマスとして、御子との新たな出会いの機会となりますように。

 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-11-23 16:11:13 (1409 ヒット)
2014年礼拝説教

14年11月23日 日曜礼拝説教

「慰めに満ちたる神 目に見えないものを、あたかも見えるが如くに凝視して暮らす」
 
コリント人への第二の手紙4章16〜18節(新約聖書口語訳282p)
 
 
はじめに
 
今から九十三年ほど前、スイス人のカール・グスターフ・ユングという心理学者が「人間のタイプ」という著作を発表しました。
 
彼はこの論考において、人間を大きく二つに分け、それを「外向的タイプ」と「内向的タイプ」とした上で、更にこれを「思考」「感情」「感覚」「直観」で分類しました。つまり、「外向的思考タイプ」「内向的感情タイプ」など、計八つのタイプに分類したわけです。
 
私は「関心」ないしは「りピドー運動」の方向によって区別せられる前者を一般的態度のタイプと呼び、これに対して後者を機能のタイプと呼ぼう。
 (中略)一般的態度におけるこれら二つのタイプを互いに区別しているものは、客体に対するそれぞれの態度の相違である。内向型の人間は、客体に対して抽象的な態度をとる。…これに反して、外向型の人間の客体に対する態度は積極的である。…この型の人間は、…自分の根本的態度を、いつも、客体を基準にして決定したり、これと関係づけたりする。…客体はこの型の人間にとっては無上の価値を持って…いる(カール・グスターフ・ユング著 高橋義孝訳「ユング著作集 1 人間のタイプ」3、4p 株式会社日本教文社)。
 
普通、わたしたちは「外向的」と言いますと、それを物怖じすることなく誰とでもコミュニケーションのとれる明るくてきさくで社交的な性格の持ち主だと思う一方で、「内向的」なタイプの人とは内気で人付き合いが苦手な、非社交的な人、というように理解をします。
 
しかし、ユングの理解はそれとは少し違っていて、その関心が何であるのか、持っているエネルギー(これを専門用語でエピドーと言います)がどこに向かっているかということで、人間を二つのタイプに分けたのでした。
 
ユングによりますと、その関心が外のものよりも自分自身の内面に向かっている人が「内向的」で、その関心の対象が専ら、自分の外側に向かっている者は「外向的」というわけです。
 
ですから、たとえば気が小さくて小心翼翼人とした、いつも他人の顔色を窺っているような人の場合、私たちが持っている一般的理解では「内向的」という範疇に入るわけですが、そのような人はユングによりますと、実は「外向的タイプ」となるわけです。
 
どうしてかと言いますと、自分自身が自分の外にいる他人の目にどのように映っているかということが気がかりになっている、つまりエネルギーが専ら外に向けられているからである、というわけです。
 
反対に、社交的な性格であっても、他人からどのように見られるかということなどよりも、自分の良心の声や内なる価値観に従って生きようとしている人は、そのエネルギーが外よりも内に向いている、ということによって、「内向的タイプ」ということになるようです。
 
ユングの著作を読む限り、彼は両者のどちらが良い、などという評価を下してはいません。ただ、人間のタイプというものを研究、分析した上で、これを二つに分類しただけなのですが、では、使徒パウロはどちらのタイプかと言いますと、彼はキリストに出会うまでは「外向的」なタイプの人であったようです。
 
しかし、キリストに出会ってからは彼は明らかに「内向的」なタイプへと変わり、自分自身が大きな変化を遂げただけでなく、キリストにある者の生き方として、ユングがいうところの「内向的」であることを推奨し続けたようでした。
その顕著な証拠が今週取り上げる聖句です。
 
今週はコリントの教会に宛てられた「第二の手紙」から、「目に見えないものをあたかも見えるが如くに凝視して生きる」ことの大切さを確認したいと思います。
 
 
1.落胆とは無縁を生きる人は、衰えつある「外なる人」ではなく、日毎に新しくなる「内なる人」凝視する
 
使徒パウロほど、キリストのために苦難を味わった人もいないと思われます。
しかし、まるで痩せ我慢をしているのではないかと勘繰られるほど、その手紙の中では意気盛んです。
 
それは先週も確認をした通りです。もう一度、先週取り上げたところをリビングバイブルの訳で読んでみたいと思います。
 
「私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。『どうしてこんなことが……』と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしません。迫害されていても、神様は決してお見捨てになりません。打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます」(コリント人への第二の手紙4章8、9節 リビングバイブル)。
 
 キリストの使徒となってからのパウロの歩みは、傍目から見れば、それはある意味では、「落胆」に次ぐ「落胆」の連続であった筈でした。
しかし、彼は、わたしは「落胆」とは無縁の生涯を生きている、と宣言しました。
 
「だから、わたしたちは落胆しない」(4章16節前半)。
 
 パウロが「落胆」と無縁の日々を生きることが出来たのは、一つには彼が「外なる人」から「内なる人」に目を転じることができるようになったからでした。
 
パウロにとり、彼の「外なる人」は衰えていく一方で、反面、その「内なる人」は日を追うごとに新しくなっていったのでした。
 
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(4章16節後半)。
 
 この「外なる人」(16節)、「内なる人」(同)とは何を指すのかということですが、多くの人は「外なる人」を肉体、「内なる人」を魂としているようです。
 
しかし、それはギリシャ的人間観であって、ギリシャの思想や宗教を熟知しつつも、ヘブル的思考の持ち主であったパウロが使った場合、そんな単純な二元論的分け方ではなく、もっと深い意味があった筈です。
ギリシャ的思考では、人というものは不滅の霊と有限である肉体とによって構成されているとしますが、ヘブル的思考では霊と体は不可分で一体、とされているからです。
 
パウロにとり、人間はみな、キリストと出会う前と出会った後とでは大きく変化をしております。
 
例えばパウロが「サルクス(肉)」という言葉を使う時、それは「肉体」を指すことよりも「古い人間性」を意味することが多かったことからもいえるのですが、パウロが「外なる人」と言った場合それは、止むにやまれず、この世のしがらみを抱えて生きていかなければならない古い在り方を指し、一方、「内なる人」と言った場合、それはキリストに繋がって、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(3章18節)神の子としての在り方を意味したものと思われるのです。
 
 私たちはこの地上を生きる限り、「外なる人」として生きるという、言うなれば誰もが逃れることのできない運命(さだめ)の中にいます。
しかし、キリストに繋がり続けることにより、時間の経過の中でその人の「外なる人」は「滅び」(16節)衰えていき、一方、キリストにあって新しく生まれ変わった神の子としての性格、在り方、すなわち「内なる人」は「日ごとに新しくされていく」(同)のです。
 
 パウロが落胆と無縁の生き方をすることが出来たのは、彼が自身の「外なる人」ではなく、日毎に新しくされていく「内なる人」に目を留めていたからであろうと思われます。
 
 
2.もう一つ、落胆と無縁を生きる人は、暫しの軽い患難の向こうにある永遠の重い栄光を視ている
 
そしてもう一つ、パウロが落胆とは無縁を生きる者となったのは、彼が受けてきた、そして今も受け続けている「患難」の向こうに待つ、大いなる「栄光」を視ていたからでした。
 
「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光をあふれるばかりにわたしたちに得させるからである」(4章17節)。
 
 パウロは常に、自らの歩みの向こうに待ち受けている「栄光」(17節)を、マラソンランナーがそのコースを、ゴールを思いつつ走るような心境で捕えていたのでしょう。
 
パウロにとって、彼を待ち受けている「栄光」(同)は、貰ったあとに押し入れに投げ込んで忘れてしまうようなどうでもよいものではなく、極めて「重い栄光」(同)であり、朽ちることのない「永遠の」(同)「栄光」であったのでした。
 
ですからパウロにとってはその「永遠の重い栄光」(17節)と較べた場合、今の「患難」は「軽い患難」(同)であり、かつ「しばらくの」(同)、つまり時間的には一時的な「患難」に映ったのだと思います。
 
しかもパウロたちが信じている神は、神を信じる者たちが待望してやまない「永遠の重い栄光」(同)を、確かに「あふれるばかりに」「得させる」(同)神でした。
 
武士道において「武士に二言はない」、つまり二枚舌がないのであれば、況してやキリストには二言はない筈です。神の約束は必ず実現する、それがパウロの確信でした。
だからこそ、彼は落胆とは無縁、を生きることができたのです。
 
 
3.だからこそ、刹那の見えるものにではなく、永存する見えないものを凝視して信仰を生きるのである
 
つまり、パウロの生き方とは一口で言えば、「目に見えるものではなく、見えないものを視る」という生き方であったことがわかります。
 
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」(4章18節前半)。
 
 なぜか。パウロは言葉を継いで説明します。目に見えるものは刹那のものであるが、見えないものは永存するからである、と。
 
「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」(4章18節後半)。
 
ここでパウロが使った、口語訳で「目を注ぐ」と訳された言葉は「じっと視る」、つまり「凝視する」という意味の言葉でした。
 
そしてここで、ユングのいう「人間のタイプ」が参考となります。
 
 「外向的タイプ」とは外側の事柄、つまり、物とか金とか名誉とか出世などの「見えるもの」(18節)、そしていつかは消えていく「一時的」(同)な刹那の事柄に対して大きな価値を感じ、その結果、これをひたすらに求めるというタイプです。
 
 これに対し「内向的タイプ」は自らの内側など、目に「見えない」(同)ものに関心を持つタイプであって、そこから、目には「見えない」(同)生きている神、約束された神の国、永遠の生命、死後の世界などの、「永遠につづく」(同)ものに関心を持つのです。
 
 勿論、「見えるもの」(同)が無価値であるというわけではありません。見える世界における暮らしを大切にし、日々の務めを責任を持って遂行し、家族や健康を神から与えられた賜物として大事にすることは言うまでもないことです。
 
 自らを向上させるために教室に通うこと、読書に勤しむこと、気持ちをリフレッシュさせる趣味を楽しむことなどもまた、人生を豊かにすることです。
行ったことのない内外の観光地をめぐって、景観や文化財を観賞したりすること、あるいは美味しいものを味わったり、ファッションを楽しんだりすることもまた、よいことです。
 
しかし、「見えるもの」(同)が「一時的」なものであることを踏まえた上で、「見えるもの」の向こうに「永遠に続く」(同)、「見えないもの」(同)を凝視して生きることこそが、本来の人間の生き方です。
「見えないもの」を凝視する中で、「見えるもの」を楽しむということが大切なのです。
 
紀元前六世紀にギリシャ人の「アイソープス(イソップ)」という奴隷によって作られたとされる「イソップ物語」では、「アリとキリギリス」の話しが有名ですが、手許の「イソップ寓話集」では「セミとアリ」の話しになっています。
 
冬になって穀物がしめったので、アリたちがそれを風にあててかわかしていました。腹をへらしたセミが一ぴき、アリたちに食べ物をくれとたのみました。アリはいいました。
 「なぜ夏のうちに、おまえの食べ物をあつめておかなかったんだね?」
 「そんなひまはなかったよ。調子よくうたっていたもんだから。」と、セミは答えました。アリたちはせせら笑っていいました。
 「そうか、夏のあいだうたっていたのなら、冬におどればいい。」(渡辺和夫訳「イソップ寓話集供。横横横陝‐学館)。
 
 
この「寓話集」に出てくるアリの言いようは少々、意地悪っぽく描かれていますが、言ってることは正当なものです。
寓話に描かれている「セミ」は「見えるもの」だけを見ている人を、そして「アリ」は「見えないもの」を見て生きる人を指しているというように適用することも可能でしょう。
一時的でしかない目先の「見えるもの」だけを見ていると、いつの日にか泣きを見ることになる、という教訓かも知れません。
 
人生、理不尽な目に会うことがあります。しかし、大事なことな「見えるもの」の向こうに「見えないもの」を見ることです。
 
そしてそのために大切なことは、わたしたちを見守り助け給う「見えない」お方をいつも意識することなのだと聖書は言います。
「ヘブル人への手紙」の著者はその例として、イスラエルの民を奴隷状態から脱出させた解放者モーセを挙げています。
 
「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは彼が(天の)報いを望み見ていたからである。信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした」(ヘブル人への手紙11章24〜27節 355、6p)。
 
 エジプトの専制君主であるファラオ(パロ)の娘の養子として育てられたモーセには、エジプトの王宮において特権を行使した生き方を享受することも可能でした。
 
しかしモーセは同族の苦難を目の当りに見て、イスラエル同胞と共に生きることを選択し、指導者として、困難を極めたエジプト脱出を決行します。
 それはまさに艱難辛苦の連続でしたが、打ち続く患難を「彼は、見えないかたを見ているようにして忍びとおした」(27節)のでした。
 
 一度しかない人生、私たちは何を見つめながら生きるのかを、今週も御一緒に考えつつ、次週から始まる「待降節(たいこうせつ)」を迎えたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-11-16 16:39:30 (806 ヒット)
2014年礼拝説教

14年11月16日 日曜礼拝説教 

「慰めに満ちたる神 襲い来る患難にもギブアップせず、万策尽きても音を上げない」
 
コリント人への第二の手紙4章7〜12節(新約聖書口語訳281p)
 
 
はじめに
 
一時期、テレビをつけると「レリゴー レリゴー」という歌声が流れていました。
 
これはディズニーのアニメミュージカル映画の「アナと雪の女王」の主題歌のタイトルのようで、「レリゴー」と聞こえる言葉はどうも「レット イット ゴー」のことであって、日本語の歌詞では「ありのままの」ということのようです。
 
アニメの方は観ていませんのでよくはわかりませんが、日本語歌詞を見る限り、「自分が持っている特別な才能や有り余る能力を、内に抑え込んだままにしていることをやめて、外に向かって自由に解放する、無理をせず自分らしく生きる」という意味だと思われます。主人公の一人が歌います、
 
♪ ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの
 
つまり「ありのままの」あるいは「ありのままに」ということのようですが、でも多くの場合はその逆に、貧相で才能もない、「ありのままの」自分の姿を見せることが出来ずに、外に向けて自分を大きく立派な姿に見せようとする誘惑に負けてしまいがちです。
 
「ありのままの姿」、いい言葉です。これを日本語で表すと「等身大(とうしんだい)」ということになるかと思います。
 
わざとらしく謙遜ぶることもなく、またその反対に背伸びをすることも、自己を過大に見せようとすることもなく、あるがままの自分に満足し、それが真実の自分自身であるとしてそのまま受け入れ、世間に対しても飾ることなく「ありのまま」の姿で接し、泰然自若として生きる、ということです。
 
もちろん、それは現状に満足して、成長する、あるいは自身を磨くという努力を放棄することを意味するものではありません。ただ、「等身大」の自分を受け入れることから、すべてが始まります。
 
今、使徒パウロが著わした書簡を順を追って読んでいますが、パウロが自身についてどのような自己理解を持っていたのか、とても興味が惹かれます。
 
ところで私たちが持っている信仰は、宗教学的呼称としては「キリスト教」です。信仰の対象がキリストだからです。
 
一時期、世間や一部の歴史家がイスラム教をその最大の預言者の名を冠して「マホメット教」と呼んだことありますが、その例でいうならば、キリスト教が「パウロ教」と呼ばれても違和感がないほど、その発展、教理の形成に関するパウロの貢献は抜きん出ていました。
 
でも、パウロは生涯、自らをキリストの使徒という立場を超えることはありませんでした。もちろん、「パウロ教」などと言われることなど、夢にも思ってはいなかった筈です。彼はただただ、自らをキリストのしもべとして現わすことにのみ、熱心であり続けました。
 
そこで本日の説教では、そのパウロの自己理解、そしてその超人的な耐久力とその秘訣について読み解きたいと思います。
 
 
1.自らをありふれた「土の器」と理解するところから、人は益も受け、神の栄光を現わす器ともなる
 
先週の説教で、日本に対する米国民のイメージ調査の結果をご紹介しましたが、先週の末にも、日本を世界がどう見ているかという調査結果が二つ、公表されました。
 
まず、ニューヨークに拠点を置くブランドコンサルティング会社「フューチャーブランド」が発表した「国別ブランドランキング」ですが、この調査では、ブランドとして、日本国家が第一位に選ばれたとのことでした。
 
この調査は今年で十年になるそうですが、頻繁に海外旅行をする十七カ国の旅行者2530名の意見を収集して、文化、経済力、観光、価値観、政策への取り組みなどの面から、各国の国家ブランドに対する評価を分析した結果であって、一位が日本、二位がスイス、三位がドイツ、以下、スェーデン、カナダ、ノルウェー、米国、オーストラリアと続いておりました。
 
この報告書の日本に関するサマリー(要約)には、「ユニークな国。取引相手としてだけでなく、文化的にも」「立ち止まらず常に上昇している国。ロボット技術や工学で世界を上回っている」などの回答が掲載されています。
 
なお、莫大な予算を計上し、大統領の直属機関として「国家ブランド委員会」なる国家機関を立ち上げて、世界に向かって懸命に国家ブランドイメージの向上に取り組んでいるお隣は、と言いますと、アラブ首長国連邦の下の二十位に何とか食いこんでおりました。
 
そしてもう一つの調査は、ドイツの市場調査会社「GfK(ゲーエフカー)」による「国家ブランド指数」で、これは全世界五十カ国の主要国を対象に、商品の信頼性を含めた輸出、政府の信頼性をはじめとするガバナンス(統治能力)、文化力、国民親近感と能力、観光評価、移住・投資の魅力など二十三の分野を評価したものだそうです。
 
韓国の聯合ニュースによりますと、この調査ではドイツが米国を押しのけて一位となり、以下、二位が米国、そして英国、フランス、カナダと続き、日本はというとイタリア、スイス、オーストラリア、スウェーデンを押さえての六位であったということでした。
 
日本の「ライバル」である(筈の)お隣りは、残念なことに国を挙げての奮闘努力の甲斐もなく、五十カ国中、二十七位という低評価で、そのプライドを大きく傷つけられたようでした。
 
空しいのは莫大な国家予算を使って、ブランドイメージなるものを上げようとする努力ではないかと思います。
それよりも内実の方をアップさせることに税金を使った方がよいと思うのですが、「ありのままの姿」よりも、自己を過大に見せようとする方向に向かう姿勢を改めない限り、今後も国のイメージは変わらないことでしょう。
 
世界に冠たる「整形」もそうですが、何よりもそのような方向と姿勢は、パウロにおける姿勢とは全く相いれない在り方であるように思われます。
 
日本の場合、贔屓目に見ても、世間の評価などよりも人に喜ばれるものを自分自身が納得するまでつくる、という姿勢が結果として、世界の高評価となっているのではないかと思います。
 
そして、それと相通ずるのがパウロの自己理解です。
パウロは自らを土くれから造られた「土の器」として理解しておりました。
 
「しかし、わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」(コリント人への第二の手紙4章7節 281p)。
 
パウロにとって、その関心はただ一つでした。それは自らが世間の称賛の対象となることではなく、神が誉め称えられること、つまり神の栄光の「あらわれ」(7節)にありました。
それが「その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものではないことがあらわれるため」(同)という告白となったのでした。
 
自らを何の変哲もない「土の器」であるとする理解から、人は結果として個人的にも益を受け、同時に神の栄光をも現わす器として用いられるのです。これが聖書の論理です。
 
 
2.四方からの患難にもギブアップせず、万策尽きても音を上げない、倒されてもノックアウトされない
 
 権力者の後ろ盾もないまま、嘗ての仲間であったユダヤ当局やユダヤ教集団を敵に回さざるを得なかったパウロには、想像を超える「患難」や「迫害」が待ち受けておりました。四方が塞がってしまうという状況から、「途方に暮れる」こともしばしばであり、打ちのめされ、「倒され」るような事態にも直面をしたようでした。
 
しかし、どんな場合も如何なる状況も、パウロの往く手を阻むことは出来ませんでした。
 
「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方に暮れても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている」(4章8〜10節前半)。
 
「四方から患難を受けても窮しない」(8節前半)とは、「四方八方から難儀なことが襲来してきても、決してギブアップはしない」という宣言です。
「一難去ってまた一難」という言い方があります。しかしパウロの場合、「一難」が去る前、患難と戦っている最中にまた別の患難が襲来するという状態であったようです。
しかし、降伏はしない、ギブアップはしない、とパウロは言います。
 
 「途方に暮れても行き詰まらない」(8節後半)とは、「万策尽きても決して音を上げない」という意味です。
 
 「迫害に会っても見捨てられない」(9節前半)という告白は、「信仰ゆえの迫害に会ったとしても、神が見捨てることはない、迫害のさ中にも神は私と共にいて、励まし支え、救出の道を備えて下さる」という確信の言葉です。
 
 四つ目の「倒されても滅びない」(9節後半)は、「たといノックダウンされたとしても、ノックアウトされることは決してない」という意味の言葉です。
 
 これらのことをボクシングや戦争を例にあげてこの箇所を、ウィリアマム・バークレーが分かり易く説明をしています。
 
われわれは倒されても、伸びてしまわない。
クリスチャンの最大の特徴は、倒れないことではなく、倒れてもそのたびにまた立ち上がることである。
打たれないことではなく、打たれても決して敗北しないことである。
個々の戦闘には負けても、戦争全体に負けることはないことを、彼(註
パウロ)は知っている
(ウィリアム・バークレー著 柳生直行訳「コリント 聖書註解シリーズ9」254p ヨルダン社)。
 
 真面目な人ほど、自分自身の失敗や過失を許せない、という傾向があります。仕事や家庭の事情で教会に行くことが出来なくなって、いつしか信仰心も薄れてしまった、自分は落伍者かも知れない、教会に戻りたくても戻れない、と悩んでいる人がいるかも知れません。
 
しかし、様々の事情や闘いの中で、奮闘空しく倒れてしまう、ノックダウンされてしまうことがあるのです。
そのまま横たわっていたらノックアウトです。しかし、立ちあがってファイティングポーズを取れば、負けではありません。チャンスは残されます。
ですから、何とか立ちあがって自分のコーナーに戻ることが肝要です。そして教会こそが戻るべき自陣のコーナーなのです。
 
そこには信仰の仲間が待っています。聖霊なる神が傷の手当てをすべく、助言をすべく、トレーナーとして、セコンドとして待っているのです。まずは教会という「コーナー」に戻ることです。
 
 
3.イエスのいのちという内なる宝は、イエスの苦難に与(あずか)る中でこそ、本来の力と輝きを現わす
 
 パウロは自らを土くれで出来た「土の器」(7節)であるとして、その「土の器」の中に「宝」(同)を持っていると言いました。
「この宝」(同)とは、「キリストの栄光の福音」(4節)であり、「イエスのいのち」です。
 
そしてこの「イエスのいのち」は「イエスの死」の追体験としての苦難を通してこそ、「土の器」に現われる、それがパウロの確信でした。
 
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちがこの身に現われるためである。わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現われるためである」(4章10、11節)。
 
パウロにとっては、これらの困難や苦難は「イエスの死を」(10節)自らの「身に負う」(同)ことでもあったようです。
 
ですから、信仰ゆえの苦難は、単なる苦難ではなく、イエスの不条理な苦難、理不尽な苦しみの追体験であると共に、ハードな苦難の向こうにある栄光の先取りでもあるとパウロは考えていたようです。それがパウロの支えであり、原動力でもありました。
 
しかも、パウロにとってはキリストの集会こそ、その苦難の目的、代価でもありました。それが十二節の言葉です。
 
「こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである」(4章12節)。
 
 急に「あなたがた」(12節)つまり、この場合はコリントの集会が出てきます。実はパウロにとっての最大の関心事はこの場合、コリントの集会が挫折し、失敗をしたという傷を癒され、立ち直って、イエスの弟子としての歩みを続けることにありました。
 
 つまり、パウロにとり、パウロら「わたしたち」(12節)が嘗めた、「死」(同)にも等しい艱難辛苦の経験は、「あなたがた」(同)コリント集会にキリストの「いのち」(同)をもたらすものであったのです。
 
パウロにとってコリントの集会は、そしてメンバーの一人一人は、神の家族であって、彼の苦難も労苦もすべて、彼らがキリストの「いのち」(同)に満たされて、一人前の信徒として前進し続けるためのものでした。
 
 信仰生活の基本は確かに「我と汝(なんじ)」「わたしとあなた」「わたしと神」という個人的な関係です。
ですからイエスを個人的に、つまり個人個人それぞれの経験として心と人生に主として受け入れるということが重要となります。
 
しかし、それだけにとどまってしまっていては不完全なままです。「我と汝」という関係を基礎にしながら、教会という神の家族の中で「我らと汝」「わたしたちと神」という関係に入っていくのが、キリスト者たるものの健全な在り方なのです。
 
教会抜きの信仰は寂しいだけでなく、偏ったものとなりかねません。ですから個人の苦難は教会という他者にとって益ともなるということをパウロは教えようとしたのだと思われます。
その端的な例が、子供のために親が払う労苦や犠牲でしょう。パウロはこの書簡の前に書いたと思われる「涙の手紙」において、「親」の心情を吐露しています。なお、「涙の手紙」は第二の手紙の十章から十三章に収録されていると、学者は考えています。
 
「そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、またわたし自身を使いつくそう」(12章15節前半)。
 
互いに問題や課題を共有しながら、信仰の戦いを進めて行きましょう。私たちが人生の途上で嘗める辛酸は、自分自身だけでなく、関わる者たち、あるいは後に続く者たちにとって益となると信じて、嘗てパウロが通り、コリントの集会が通った道を辿っていきたいと思うのです。
 
確かに、「苦労は続くよ、何処までも」と嘆きたくような場合もあります。しかし、神を愛する者には「すべてのことが相働きて益となる」、これがパウロの揺るぎない確信であったのでした。
 
「神は神を愛する者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている」(ローマ人への手紙8章28節)。
 
 前に行く者にも、そして後に続く者にも、苦労の中にこそ、「イエスのいのち」(11節)という内なる宝が輝き出でる、それがパウロの確信でした。
 
 生きている限り、苦労は絶えないかも知れません。しかしどこかで、苦労は必ず報われるということを「私たちは知っている」のです。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-11-09 16:14:40 (1033 ヒット)
2014年礼拝説教

14年11月9日 日曜礼拝説教

「慰めに満ちたる神 『この世の神』が
 眩(くら)ます思いを、真の神が輝き照ら    
 す」
 
コリント人への第二の手紙4章1〜6節(新約聖書口語訳281p)
 
 
はじめに
 
日本の外務省が一九六〇年以来、ほぼ毎年行っている「米国における世論調査」の結果が、一昨日の十一月七日、外務省ホームページに発表されていました。
 
これは十八歳以上の1003名を対象とした「一般の部」と、政官財、学術、マスコミ、宗教、労働関係等で指導的立場にある200名を対象とした「有識者の部」に分けて行われた電話調査結果です。
 
先ず、「対日信頼度」ですが、「一般の部」では73%、「有識者の部」では90%という高い数値が示されました。
 
また、「アジアにおける米国の最も重要なパートナーはどの国か」との問いに対しては、「日本」と回答した割合が「一般の部」では46%と最多で、「有識者の部」でも58%と、24%の「中国」を大きく引き離しました。
 
「一般の部」のみに実施された、日本のイメージを問う設問に対しては、「豊かな伝統と文化を持つ国」(92%)、「経済力・技術の高い国」(86%)、「戦後一貫して平和国家の道を歩んできた国」(81%)の三つが上位に入りました。
 
そしてこの調査の少し前には、米国のピュー研究所というシンクタンクが「アメリカの好む国、好ましくない国」という調査結果を発表しましたが、そのシンクタンクの調査によりますと、アメリカ人が「好む国」の一位はカナダの81%で、二位は英国の79%、そして第三位はドイツでもフランスでもイスラエルでもなく、70%の日本でした。
 
つまり日本という国はアメリカ人十人のうち七人から好まれているということになるわけです。
もっとも20%のアメリカ人からは好まれていないということでもあるわけですが、全体で十位の、「好む」が33%、「好まない」が55%の中国と比べた場合、外務省の調査と合わせても、多くの米国民が日本という国を信頼もし、好ましくも思っているということが明らかになった調査でした。
 
なお、ピュー研究所の十二位までの調査国の中には、残念なことにあの誇り高きお隣の国がありません。因みに十一位がロシア(32%、54%)で十二位がサウジ(27%、57%)です。
 
お隣さんが十三位以下なのか、それとも調査の対象外なのかは定かでありませんが、もしも人口の30〜40%がキリスト教徒だとされている同国が、キリスト教国である米国から相手にされていないとすれば、まことに寂しい限りです。
 
では、キリスト教国の米国に対し、クリスチャンの数が人口比で僅か1%足らずの日本がなぜこれほどまでにアメリカ人から好まれもし、信頼もされるのかという理由ですが、恐らくは日米双方が重要な価値と考える事柄が共通しているからではないかと思います。
 
つまり、言論や報道などの各種の自由や基本的人権の尊重、民主主義、市場経済そして法の支配などの先進国としての要素が、両国民共通の価値観として認識されていることが理由でしょう。
 
お隣の国の場合、キリスト教という宗教は国民に浸透しているかも知れません。
しかし、そのキリスト教自体が彼の国特有の文化や国民性がミックスされた特異なかたちを持つ傾向があると共に、自由度に関しても、産経新聞のソウル支局長を強引に起訴したことなどに示されるように、言論の自由、報道の自由という民主主義の根本を侵害するような同国は、米国民にとっては異質の価値観を持つ国であって、反面、キリスト教人口は圧倒的に少ないにも関わらず、日本と言う国を米国民が好むのは、共通する価値観という要素の奥にある倫理観の相似性にあると思われるのです。
 
日本人のキリスト信徒にとって、同胞にイエス・キリストを知ってもらいたいということは誰もが持つ願望です。
そしてその願望の実現の鍵となる要素が、日本人が古来、大事にしてきた伝統的倫理観、道徳意識と、使徒のパウロが強調したキリスト教倫理とが極めて良く似ているという事実にあると思います。
 
そこで今週は日本人のキリスト信仰を妨げているものは何なのか、そして打開のための方法はあるのか、あるとすればそれは何かという点について、パウロの手紙から示唆を受けることと致したいと思います。
 
 
1.「福音」が信じられないと言う人がいるのは、その思いが『この世の神』に眩(くら)まされているから
 
我が国では戦前、キリスト教は敵性宗教として、そして戦後もしばらくは、特に地方においては外国の宗教として敵視されたり、疎んじられたりしていました。
 
しかし、二十一世紀の今日、かつてのように白眼視されることはなくなりましたし、それどころか、教会に行っていると言うだけで何やら尊敬の目で見られるような時代になってきました。
まさに隔世の感があります。理不尽な迫害やあらぬ誤解にもめげずに、真摯に信仰の戦いを貫いてきた先人たちの労苦の賜物です。
 
でも、やはり今も壁があるのは事実です。多くの人が経験することなのですが、いざ、聖書の話を周囲にしたりしますと、「もう一つ、信じられない」「また後で聞く」などと言って、積極的に求道をしようとする姿勢を見せない、という傾向があるようです。
 
日本人はなぜ、この有り難い「福音」を信じないのか、また、信じられないのでしょうか。
パウロは言います、それは「この世の神が」人の「思いをくらませて」「福音の輝きを見えなくしている」からであるからだ、と。
 
「もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の輝きを、見えなくしているのである」(コリント人への第二の手紙4章3、4節 新約聖書口語訳281p)。
 
 パウロがここでいう「この世の神」(4節)とは勿論、ユダヤ思想で言うところの「サタン」という、神と人間の敵を指すわけですが、では、日本人にとって「思いをくらませて」(4節)「福音の輝きを見えなくしている」(同)「この世の神」(同)とは何かと言いますと、三つの思想あるいは思念、分かり易く言えば先入観や思い込みです。
 
 一つは、キリスト教は禁欲的である、という思い込みです。
確かに日本に米国経由で入ってきたキリスト教にはピューリタニズム(清教徒主義)やファンメンタリズム(根本主義、原理主義)のように、収入の十分の一は神のものであるとする十分の一献金や、安息日は仕事を休んで神を礼拝する日であるとする聖日厳守の励行、そしてアルコールは人を堕落させる何とか水であるとする禁酒、そして喫煙は罪であるとする禁煙などの推奨を、聖書が求める当然の戒めとしたものもありました。
 
私どもの教会が所属する教団も歴史的にはそのような伝統の中にあったこともあって、私が出席していた教会では誰もアルコールを嗜む者はなく、喫煙の習慣もなかったため、私自身、結果としてアルコールやニコチンに縁のない人生を送ることができたのはほんとうに僥倖でした。
 
しかし、キリスト教は堅苦しい宗教であるというイメージが社会に定着したため、このようなピューリタン的なキリスト教生活の習慣を揶揄した狂歌が、戦前、巷で口にされたようでした。
それが「酒 煙草 のまぬ宗旨の耶蘇教(やそきょう)は ああ面倒な宗旨なりけり」です。
 
おわかりかと思います。「アーメン」を「ああ面倒(めんどう)な」でからかったわけです。
 
なお、「耶蘇教」の「耶蘇」とは「イエス」の中国語表記です。因みに「キリスト」は「基督」と表記します。
 
教会側も負けてはいませんでした。そしてユーモアを交えて教会側が応じた狂歌が「酒 煙草 のまぬ宗旨の耶蘇教は胸 晴れるやの宗旨なりけり」でした。
 「晴れるや」で「ハレルヤ」です。
 
聖書は清廉な生活を人に勧めます。しかし、過度の禁欲は聖書的ではないのです。
確かに西暦一世紀の末から二世紀にかけて、古代のキリスト教会に影響を与えた思想が禁欲主義的な考えであったことは事実です。
 
 この教えの指導者たちは、クリスチャンの生き方として、家庭を持つことよりも独身のままで生きることの方が神の願いであるかのように説いたり、あるいは断食を推奨したりするなど、人間が持つ本来の欲望を悪とし、これを制限することこそが神に喜ばれることである、などと唱えました。
そしてこれに対する反論が以下の言葉でした。
 
「これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない」(テモテへの第一の手紙4章2〜4節 329p)。
 
著者は言います、「食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである」(3節)のだから、「みな良いものであ」(同)るのだ、と。
  
結婚という制度も家庭も然りであって、それら「みな良いもの」(4節)として「神の造られたもの」(同)なのだ、と。
神からのさまざまの賜物を人が神に「感謝して」(同)人生を楽しむことは、神の喜びでもあるのです。
 
日本人にとって「思いをくらます」二つ目の「この世の神」、それは無神論という思想です。つまり、「神はいない」という思い込み、先入観です。
 
人間の理性で理解し得ないものは存在しないという無神論が教育界や言論界に及ぼす影響が、戦前、戦後を通じて日本の青年層の「思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくして」(4節)きたことは事実です。
 
そういう意味では私自身、十五歳の春まで、この「この世の神」の支配の下に留まっておりました。ただし、無神論と言いましても、ただ単純に「神はいない」と思い込んでいただけであったことは幸運なことでした。
実は無神論には二つあって、神が存在することを「知っていながら、神としてあがめ」ず、神を否定するという積極的無神論というものもあるのです。
 
「なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである」(ローマ人への手紙1章21節 234p)。
 
日本人の多くが無意識に持っている無神論はこの積極的無神論ではありませんので、まだまだ望みはあるのです。
 
そして三つ目が人間礼賛思想という「この世の神」です。これは、人間自身が「この世の神」となって、欲望を充足させる生き方を肯定する思想であって、人の自我、エゴを善なるものと評価することによって、それを「人間らしい」とか「人間的である」と思い込ませるものでした。
しかし、この人間礼賛という考え方こそが、聖書が言うところの罪の根、つまり原罪であったのでした。
 
聖書の話しがもう一つ理解できない、という場合、それはもうその人の責任というよりも、日本人にとっての「この世の神が…思いをくらませて」(4節)、聖書が伝える「福音の輝きを、見えなくしている」(同)からであるとも言えます。
そのことを改めて理解したいと思います。
 
 
2.私たちが「福音」を信じることができたのは、心の中に真の神が照らし出されたから
 
そして、この、人の「思いをくらませ」(4節)、「福音の輝きを見えなくしている」「この世の神」(同)からの解放は、人の心の中、心の奥が真の神の光に照らし出されることによって実現する、それがパウロの体験から打ちだされた主張でした。
 
「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照らしてくださったのである」(4章6節)。
 
しかもこの「心を照ら」(6節)された人こそ誰あろう、かつての教会の迫害者であった著者のパウロ自身だったのでした。
 
もちろん、日本人とは違って、パウロは唯一の神、創造の神の実在を信じていました。
しかし、ナザレのイエスがその神から送られた救世主キリストであるなどとは到底信じることができませんでしたし、それどころか、この罰あたりの異端の者どもをこの地上から根こそぎに駆逐することこそが神への奉仕であり、自らに与えられた天命であると考えて、志願して教会を襲撃していたのが若き律法学者であったパウロだったのです。
 
「ところがサウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒らし回った」(使徒行伝8章3節 193p)。
 
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書(てんしょ)を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛り上げて、エルサレムにひっぱって来るためであった」(同9章1、2節前半)。
 
「サウロ」とはパウロのヘブライ語の名前です。その「サウロ」が大祭司が発行した添書を携えて、クリスチャン捕縛のために来たダマスコ(現在はダマスカス)の郊外において天からの光に打たれ、劇的な回心をすることになります。
 
この体験をローマ皇帝の裁判を受けるためローマに連行される直前、パウロはユダヤ王ヘロデ・アグリッパに語ります。それは西暦六十年頃、回心から二十三年後のことでした。
 
「(ヘロデ・アグリッパ)王よ、(ダマスコに向かう)その途中、真昼に、光が天からさして来るのを見ました。それは、太陽よりも、もっと光り輝いて、わたしと同行者たちとをめぐり照らしました。わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしはあなたが迫害しているイエスである。』」(同26章13〜15節 227p)。
 
そしてパウロの、先入観で固まっていた心が真の神の光に照らされたとき、キリスト自身のみ顔が彼の心に映し出されたのでした。キリストの受難と復活の出来ごとの約七年後の西暦三十七年のこととと思われます。
 
昨日の十一月八日は私にとり、「この世の神」(4節)によって思いが眩まされていたために見えなくされていた、「神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き」を見出したそのしるしとして受けた洗礼記念日でした。
忘れ得ぬ十五歳の秋、十一月でした。その半年前、「キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするため」(6節)憐れみに富む神は、ひねくれていた十五歳の少年の「心を照らして下さったので」(同)した。
 
だから言えるのです。私のような者でさえも「福音」を信じることができた、ならば、同じ日本人が「福音」を信じることができないわけがない、神の光が心に届きさえすれば、私たち同様、多くの日本人が創造者である神の存在を認め、その神の独り子であるイエスを主キリストとして受け入れる日が来る筈だと信じることができるのだと。
 
 
3.心に神を映し出された者は、「福音」の中心であるキリストを落胆せずに宣べ伝える
 
そこで私たちがすべきことは何かと言いますと、それは直接、間接に「福音」の中心であるキリストを「宣べ伝える」ということです。
 
「しかし、私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える」(4章5節前半 281p)。
 
 日曜礼拝をはじめとして、教会の各種の活動に参加することは、「福音」を伝える働きに貢献をすることです。
 
 礼拝の重要な要素の一つは、神の言葉の解き明しである説教を聞くことです。しかし、説教をすることだけが福音宣教ではありません。
ぶっちゃけて言いますと、説教の準備には毎回苦労します。説教とは料理のようなものなのですが、聖書テキストという材料を前にして、これをどう料理するか、いつも頭を悩ませています。
 
説教の準備はある意味では孤独な作業なのですが、そこで説教者のため、特に毎週の説教準備の上に神からの知恵と助けが与えられるようにと祈ることもまた、宣教に参与することなのです。
そして、説教を集会において心を込めて聴くこともまた、立派な宣教活動への参加です。これからも説教の充実のために祈ってください。また、聴いてください。
 
事情で礼拝に参加することができない場合には、プリントアウトされた説教要旨で説教を味わってください。教会のホームページにも掲載していますので、パソコンやスマホからでも読むことができます。
 
自分に出来る範囲で「主なるキリスト・イエスを宣ね伝える」(5節)こと、それは心に神を、そして十字架にかけられたキリストを映し出された者に許されている特権でもあります。
 
その際に大切な心構えは、「落胆せずに」「勇気を持って」ということです。
 
「このようにわたしたちは、あわみを受けてこの務めについているのだから、落胆せずに、恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである」(4章1、2節)。
 
ここで口語訳が「神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦する」(2節)と訳した箇所は、判断や評価は神と人とに任せている、という意味です。
 と言いますのは、パウロの敵対者たちは彼の信用性を失墜させるべく、パウロは「隠れた」(2節)ところでは「恥ずべき」(同)ことを行っていると中傷し、また「悪だくみ」(同)に長けた者、「神の言葉を曲げ」(同)て伝えているのだなど、ありもしない誹謗中傷を並べ立てていたからでした。
 
 そういう背景の中で語られた宣言が四章二節の言葉であり、その際の心境としては意気軒昂そのものであって、決して「落胆」などはしていないのだ、ということを表明したのが一節の言葉でした。、
 
新共同訳が「落胆しません」と訳し、口語訳が「落胆せずに」と訳したギリシャ語は、「失望せずに」とか「勇気をもって」とも訳せる言葉です。
本書では四章の終りの方でも使われています。
 
「だから、わたしたちは落胆しない」(4章16節)。
 
 実は落胆や失望、勇気の喪失は人の常です。そしてパウロほど失望、落胆の淵に沈んだ人もいませんでした。
しかし、パウロの神は「イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神」(1章3節)でした。
 
そしてパウロを慰め励まし続けた神さまと同じ神が、二十一世紀の日本という国を生きている私たちの神なのです。
数だけを見れば、クリスチャン人口は依然として少数です。小さな集まりであるかも知れません。しかし「落胆」(1節)する必要はありません。
 
重要なことは、私たちは今、「イエスは主なり」と告白をしているという事実を感謝を以て確認することです。それは、神がかつて「不信の者」(4節)であった私たちの心を「照らして下さった」(6節)という確かな出来事があったからでした。
 
創世の昔、「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に輝く栄光の知識を明らかにするために」(6節)日本人のひとりでもある「わたしたちの心を」(同)いま現に「照らして下さっ」(同)ているのです。
 
この事実を踏まえることによって、心にキリストを映し出された者として、心の覆いを取り払われた者として、「落胆せずに」(1節)与えられた務めを果たしていきましょう。
「落胆」はつきものです。しかし、「落胆せずに」(1節)勇気をもってパウロの後をご一緒に歩んでいきたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-11-02 16:29:47 (875 ヒット)
2014年礼拝説教

14年11月2日 十一月日曜特別礼拝説教

「日本人とキリスト教 西洋のキリスト教と日本人のキリスト教―何が『聖書的』なのか」
 
コリント人への第一の手紙1章22〜24(新約聖書口語訳257p)
 
 
はじめに
 
私どもの教会が所属する教団では三年に一度の割合で、全国聖会というイベントが行われております。
十数年前のことです。全国聖会に続けて教職者のための研修会が行われることになりました。
 
その研修会において、招待されていた米国人講師が、どういう脈絡でだったかは覚えていませんが突然、「日本の先生方は聖書的ではない」と言い出したのです。
 
そしてその理由はと言いますと何と、「夫婦が一緒に座っていないから」と言うことでした。
確かに当時、日本人の男性教職は男性教職で、女性の教職は女性教職でそれぞれに固まって座るという傾向は、ありました。
 
見回してみますと米国人宣教師たちのほとんどはカップルで座っていたようでしたが、その宣教師たちからは「アーメン」という声があがる一方、日本人教職の中からは「ナーンセンス」という抗議の反応がありました。
 
問題は講師の「聖書的云々」という評価でした。聖書の中に、あるいは聖書が示唆する教えの中に、「夫婦は席を同じくすべきである」というようなものがあるなどとは、長い間聖書を読み、また説いてきた者として、習ったことも聞いたことはありません。
 
つまり、この米国人講師は聖書を持ち出しておりますが、それは米国の文化ではあっても、聖書の教えではないのです。聖書のどこにもそんなことは書いてありません。
 
米国では道を歩く際、夫は常に妻をかばいながら歩くそうですが、それは、もしも妻が転んで怪我をしたりした場合、妻を守る義務を怠ったとして妻が夫を裁判所に訴える事例があることによる知恵から生まれたものなのだと、何かで聞いたか読んだかした記憶があります。
 
夫婦が席に並んで座ることそれ自体は麗しいことだと思います。しかしそれは聖書の教えとは何の関係もありません。
 
しかし、この例からも分かる通り、いわゆるキリスト教、それも米国や欧州経由のキリスト教の中には、聖書あるいは聖書の中心的使信とは直接的には関係のない、その民族固有の文化的特徴が加味されているにも関わらず、それがキリスト教の教えであり精神であると思い込んでいる、あるいは思い込ませているという面を持つものもあるのです。
 
六月から月に一回、「日本人とキリスト教」というテーマで、日本人の宗教性を分析しつつ、その比較の中でキリスト教の特質をご紹介してきました。
 
その上で最終回でもある今回は、その集大成として、日本人が信ずべき、あるいは持つべきキリスト教とはどのようなものであるのかという点から、西洋のキリスト教の功と罪とを論い、また一般に理解されているキリスト教は聖書の教えそのものというよりも、民族というものが保持してきた文化的特質がない交ぜになったものであるという観点から、その誤解を解くと共に、ならば、日本人には日本人の特質に適ったキリスト教の可能性を目指してはどうかという問題提起をしたいと思うのです。
 
秋も深まりつつあるこの十一月、頭と心を柔らかにして、聖書が語る言葉に耳を傾けたいと思います。
 
 
1.宗教としてのキリスト教の、日本という国における功と罪
 
先週の金曜日の十月三十一日は「ハロウィン」だったそうで、テレビには西洋風の不気味なコスプレの若者や子供たちが映し出されておりました。
 
何年か前からか、ケーキ屋の店先などに、目や口を不気味にくり抜いたつくりもののかぼちゃが飾られていましたが、「ハロウィン」なるものがなぜか今年になっって一気に広まったようです。
幼稚園や保育所に通う子供たちが仮装をして喜んでいる分にはゆるせますが、しかし、いい大人が嬉しそうに仮装して、人の迷惑も顧みずにバカ騒ぎをするのは、何とかならないものかと思いました。
 
まことに嘆かわしいことですが、占領時代以来の日本人の癖である白人文化崇拝は、まだまだ改善されてはいないようです。もしもはやらすならば、「なまはげ」の方がよっぽど教育効果があると思うのですが。
 
この「ハロウィン」などというカタカナに弱いのは、戦後の日本人の悪い癖だと思いつつ、中学生のころのクリスマスに対する感情を思い出しました。
「何でクリスチャンでもない日本人が、クリスマスの時期にはケーキを買ってきたり、プレゼントをしたり、飲み屋でとんがり帽子をかぶってどんちゃん騒ぎをするのか」と。
 
クリスマスもサンタクロースも、そしてバレンタイン・デーもキリスト教由来ですが、それが日本に定着した背景の心理的理由には、日本人の白人文化崇拝感情があるのではないか、そして、日本においてキリスト教が一定の尊敬を得ることになったことについても、戦後の占領期におけるダグラス・マッカーサーによる日本キリスト教化政策の影響だけでなく、何と言いましてもキリスト教そのものが文明国である白人の宗教であったからだと思われるのです。
 
実際、戦後の我が国では、キリスト教がよいものをもたらしてくれたという理解が浸透しています。
たとえば、二年前に「新書大賞2012」を受賞した、二人の大学教授の対談をまとめた「ふしぎなキリスト教」です。出版された当時、品川駅で時間をつぶすため、構内の書店でこれを取り上げ、何気なく「あとがき」を読んで木村拓也ではありませんが、「ちょっと待てよ」と思いました。
 
なぜ、日本人は、キリスト教を知らないといけないのか。キリスト教を理解すると、どういういいことがあるのか。それは、こんな感じだ。
昔むかし、あるところに、七人家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。
家族は両親と、五人のきょうだい。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名のいい子たちでした。
でもある日、五人とも、養子だったことがわかります。「キリスト教」という、よその家から貰われてきたのです。
そうか、どうりで。ときどき、自分でもおかしいなと思うことがあったんだ。そこできょうだいは相談して、「キリスト教」家を訪問することにしました。
本当の親に会って、自分たちがどうやって生まれたのか、育てられたか、教えてもらおう。忘れてしまった自分たちのルーツがわかったら、もっとしっかりできるような気がする…。(橋爪大三郎 大澤真幸著「ふしぎなキリスト教」344p 講談社現代新書)
 
私自身、これには少々異論があります。「日本国憲法」以外は、戦前の日本にもあったからです。「憲法」が、米国人が即席で作って、占領下の日本に押し付けたものであることは既に常識です。しかし、その他のものは戦前からありました。
 
たとえば、「民主主義」は戦後に教えられたものではありません。マッカーサーが日本を評して「日本人は十二歳である」と言ったということが伝わったことによって、日本におけるマッカーサー人気が一気に下落したという話は有名ですが、マッカーサーの発言の真意は誤解されて伝わったのです。
 
一九五一年五月三日、マッカーサーは米国上院の軍事外交委員会において、先の戦争が「(侵略戦争などではなく)日本の安全保障上の、つまり自衛のための戦争であった」と証言をしました。
 
その証言自体は正鵠を射たものでしたが、五日のロング委員長からの、「日本とドイツの違い」についての質問に対し、「民主主義の理解と成長度に関しては、ドイツは成年であるのに対し、日本は未熟な十二歳程度であった、しかし、自分が日本に民主主義を教えてやったので、日本における民主主義はこれから急速に発展するであろう」という意味の、それはそれで彼なりの日本弁護をしたわけですが、しかし、日本に関する歴史認識に関しては無知丸出しであることを露呈してしまう発言でした。
 
軍部が幅をきかせていた戦時中の一時期を除いては、我が国では早い時代から民主主義は機能していましたし、特に昭和の前の大正時代には既にしっかりと根付いておりました。
 
ただし、「民主主義」が早い時代に、欧米というキリスト教先進国から導入されたことは歴史的事実ではあります。明治時代、日本政府は米国やドイツ、英国、フランスなどのヨーロッパ先進国に調査団を派遣して、政治の仕組みや体制に関する知識を、貪欲なまでに吸収致しました。
そういう意味では民主主義も「キリスト教」国からもたらされたということはできるかも知れません。しかし、決して戦後ではありません。
 
「科学技術」の場合、その分野においても、戦前、医学とりわけ細菌学のなどの分野では野口英世、北里柴三郎などの、ノーベル賞級の研究成果があがっていました。ただ、黄色人種への偏見と差別から、多くの業績が白人のものとして世に出たという見方もあることは事実です。
 
また、先進的な工業技術、航空機や船舶、兵器などの製造に関しても、米国と戦争をすることが出来るほどに戦前の日本の科学技術は発達をしていたのでした。
その端的な例が宮崎駿の「風立ちぬ」や百田尚樹の「永遠の0」でも有名になった零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦です。
「科学技術」は「戦後日本」に「キリスト教」からもたらされたものではありません。もちろん、明治以降、欧米のキリスト教文明を積極的に導入した結果であったことは事実ですが。
 
しかし、自然を神として崇め、自然の中に神の霊の存在を見る日本人の宗教性を、一神教のキリスト教は異教、悪しき偶像礼拝と決めつけ、これを否定し排撃もした結果、キリスト教は非寛容な宗教だというイメージが日本人の意識に定着をしてしまうことになりました。
 
つまり、便宜をもたらし進歩を促すキリスト教文明は受け入れるが、肝腎の宗教としてのキリスト教そのものは日本の良き伝統を破壊する異物として拒否する構えが形成されてしまったのです。
その一因が偏狭な白人宣教師の姿勢にあったことは否定できません。
 
使徒パウロの場合、その宣教活動の心構えとして、相手を理解し、相手の立場に身を置くことを心掛けておりました。
 
「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るたまえである。律法の下(もと)にある人には、私自身は律法の下(もと)にはいないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には―わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが―律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。何とかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんなことでもする。わたしも共に福音にあずかるためである」(コリント人への第一の手紙9章19〜23節 新約聖書口語訳266p)。
 
日本における白人宣教師の献身的な活動には敬意を表するものですし、私どもの教会もまた、開拓伝道の初期に、白人宣教師一家の愛に満ちた祈りと協力を得て進められもしたものでした。
私が知っている限り、出会った白人宣教師たちはみな、揃いもそろって善人で情に脆く、とにかく好人物ばかりでした。
 
しかし、明治以来の日本におけるキリスト教の歴史を概観した限りにおいては、欧米からの多くの宣教師が、このパウロの精神を徹底的に理解した上で活動をしてくれていたならば、我が国へのキリスト教の浸透は、また別の展開を見せていたかも知れないと思うのです。
 
 
2.民族的特性と文化がミックスされたもの、それが西洋のキリスト教
 
実は、問題は日本宣教を担った白人宣教師だけにあったわけではありません。見方を変えれば彼らは本当によくやってくれたと思います。しかし、白人宣教師自身、どうしようもない問題というものがありました。
その問題とは彼らが伝えようとし、また伝えてきたキリスト教自体にありました。
 
それは欧米の、あるいは西洋のキリスト教が聖書の純粋な教えではなく、「はじめに」で例にあげましたように、多分にその民族的特性や文化的特徴、社会的傾向が加味された、つまりブレンドされたキリスト教であったからでした。
 
たとえば米国の場合、政治と社会の支配層は建国以来「W・A・S・P(ワスプ)」です。これは「ホワイト」「アングロ」「サクソン」「プロテスタント」の略です。
 
この原則はローマン・カソリックのジョン・F・ケネディ、白人と黒人の混血のバラク・フセイン・オバマの出現によって有名無実化したかのように見えますが、そんなことはありません。
第一、オバマは初の黒人大統領の出現として持て囃されましたが、母親は白人ですから、果たして黒人大統領といえるか疑問です。
そういう点から、これから先、有色人種の大統領が米国に誕生することはまずないだろうと思います。
 
なぜかといいますと、米国はもともと白人国家なのです。建国のルーツは十七世紀初頭の、信仰の自由を求めて英国から新大陸に渡ってきた「ピルグリム・ファーザース」でした。
しかし、彼らが恩人である先住民に何をしたか。餓死寸前の彼らに土地と食糧を分け与えた酋長が死ぬと、無情にもその妻と子供たちとを奴隷に叩き売ったと言われているのが、建国の祖先であったとされているからです。
なぜか。先住民は彼らにとっては人間の範疇には入っていなかったからです。
 
一七七六年のトーマス・ジェファーソン起草による独立宣言の、「人間はすべて平等に創造され、…」にしましても、そこで言う「人間」は白人のことであって、黒人奴隷はもちろんのこと、先住民もアジア人も含まれてはいなかったのです。
 
それはどうしてかと言いますと、聖書の独善的な解釈に原因があったといわれています。それが「ノアの洪水」の後日談の解釈です。
 
「さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。…やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、『カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える』。また言った、『セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ』」(創世記9章20〜22、24〜27節 旧約聖書口語訳10p)。
 
 洪水後、ワインを飲み過ぎて酔っ払い、無様な醜態を見せた父ノアを、次男のハムが辱めたというので、ノアがハムをのろったという話です。
 
この伝承はその後、ノアの三人の子はそれぞれ、「セム」の子孫は黄色人種、「ハム」の子孫は黒人種、そして「ヤペテ」の子孫が白人種となったという伝説を根拠に、ノアは黒人の先祖である「ハム」の子の「カナン」に対し、「ヤペテ」の「しもべとなれ」(27節)と言った、だから白人が黒人を支配して当然だ、という何とも強引な解釈が、奴隷制度の背景にあるのだそうです。
 
その信憑性は別としても、欧米のキリスト教には白人優位の姿勢と考えが内在していることは一つの大きな特徴です。
 
人類愛を説くキリスト教国の米国が、白人国家のドイツにではなく、黄色人種の日本に原爆を投下して数十万人を平然と虐殺することができたのは、その民族的特色が彼らのキリスト教理解にブレンドされているからだという考えには頷けるものがあります。
 
 
3.日本人の、日本人による、日本人のためのキリスト教は可能か
 
勿論、人間が信じ、理解し、受け止める限りにおいて、それを受け取る人間の特徴がキリスト教に何らかの影響を与えるということは、避けては通れないことです。
 
そこで重要なことはキリスト教を受容する民族の特質のいかん、です。すなわち、その民族がいかなる人間観、倫理観を有しているか、どのような文化を生きてきたかという要素です。
 
そういう点で、明治維新後の日本において、武士階級出身者にキリスト教が浸透したのは、西洋のキリスト教が強調する聖書の倫理観、とりわけピューニタリズム(清教徒主義)という禁欲的で質素堅実を旨とする教えが、武士道の精神と似通っていたからであって、それは新渡戸稲造がその著「BUSHIDO(武士道)」で分析しているとおりです。
 
米国のキリスト教には聖書の誤った解釈に基ずく人種差別があったと思われますが、札幌農学校で教鞭を執ったクラーク博士のように、一方では人種差別から解放されていて、神のため、あるいは天下国家のために身を捧げることを推奨するピューリタン(清教徒)も存在していたことは確かです。
 
有名な「少年よ、大志を抱け」と訳された「ボーイズ・ビー・アンビシャス」は、世俗的な栄達や立身出世を奨めたものではなく、「世のため人のために役立つような人間になれ」という意味です。
ですから、この言葉の最後には「イン・クライスト」つまり「キリストにあって」という言葉があったのだという説もあるくらいです。
 
これまで五回にわたって日本人の伝統文化や精神性、宗教性、そしてそれに基ずく日本の宗教について学び、キリスト教の本来の教えとを比較してきましたが、その集大成として、日本人による、日本人のためのキリスト教のイメージを考えることとしたいと思います。そしてその際、わたしたちが学ぶべきものは使徒パウロの理念でしょう。
 
パウロの活動と営みの中心あるものは常に「十字架につけられたキリスト」でした。
 
「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである」(コリント人への第一の手紙1章22〜24節 257p)。
 
 ここには民族的特徴というものが表れています。キリストが十字架上で刑死した二十年後の紀元一世紀の半ば、キリスト教の第一の指導者とされたパウロに対し、信仰の民を自負する「ユダヤ人」は、真理の証しとして目に見える「しるし」を求めましたし、一方、何よりも叡智を究めることに吝かでなかったギリシャ人は、理性を納得させる「知恵」をもって論証せよ、と迫りました。
 
しかし、血統的には生粋いの「ユダヤ人」であり、知的、文化的環境の点では「ギリシャ人」でもあったパウロが、それらの特質を十分に理解した上で重要視したものが、全人類の罪の贖いのために罪なき身を身代わりとして十字架に捧げたキリストでした。
 
この「十字架にかけられたキリスト」(22節)を正しく信じ、正しく論証し、正しく宣べ伝えることこそ、真に「聖書的」なのです。
 
異教的と言われる日本、宣教においては不毛の地と評されるこの日本において、日本人による、日本人のための、「日本人のキリスト教」が花を咲かせ、実を結ばせることは可能、です。
 
では、日本人による、日本人のためのキリスト教とは如何なるキリスト教なのか、ということですが。
キリスト教の二本柱は教理と倫理、つまりキリスト教教理とキリスト教倫理です。
 
「キリスト教倫理」につきましては、日本人の礼節が答えです。関西在住の作家、百田尚樹が街頭演説で語っていたことです。
 
一九九五年一月の阪神・淡路大震災の折り、西宮のある地域に二つあったコンビニの一つが早々に店じまいをした、商品の大半がダメになってしまったからである、しかし、もう一つのコンビニの店主は商品を整理して店を開け、地域の人たちに対して、必要な物を自由に持っていくようにと言った、地域の人たちが店に来て、各自、おにぎり一個、ペットボトル一本など、家族が必要な分だけを持って帰って行った、間もなく店の棚は空っぽになった、数カ月して被災地である地域が少し落ち着いた頃、商品を持って帰っていった客たちがそのコンビニを訪れて、それぞれが感謝の言葉と共に、未払いの代金を置いて行った、その代金の合計は商品の価格をはるかに超えるものであった…。
 
これが日本人の文化であり精神性です。阪神・淡路大震災でも、そして東日本大震災においても、外国人が一様に驚くことが、暴動もなければ、略奪もないという事実です。被災者が互いに助け合い、譲り合って秩序正しく行動するという、日本人にとっては当たり前のことが、それが彼らには何とも衝撃的なことなのだそうです。
 
日本人の「礼節」は既に十分に「聖書的」です。「礼節」がかたちをとったもの、それが「礼儀」です。
百十五年も前に、新島襄が英語圏の人々に向かって書いた「武士道」でも強調したとおりです。
 
礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。私たち(註 日本人)は敬虔な気持ちをもって、礼は『長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない』ものであるといえる(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳「武士道」55、56p 株式会社三笠書房)。
 
もう一つの柱、キリスト教教理についてですが、その要諦については「我は…信ず」で始まる「使徒信条」がこれを簡潔にまとめており、これを否定したり、修正したりした場合には異端と見做されて、正統的キリスト教ではないことになります。
しかしこれをどのように理解し、かつ分かり易く解説するかが重要であって、その論理的学問的営みを「神学」あるいは「教義学」と申します。
 
教義とか教理などと言いますと無味乾燥な印象を受けますが、これを料理に喩えた場合、料理が食材の安全性、栄養の有無に加えて、どのような料理をつくるかというメニューとその味付けが重要な要素となります。食材は勿論、聖書です。
 
ところで日本人の精神性の基本にあるものは「義理と人情」でしょう。
一九六六年、まだ大学紛争が華やかであったころ、巷に流れていた歌の一つが、高倉 健主演の映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」において高倉 健本人が歌った主題歌「唐獅子牡丹」です。
 
特に「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」という出だしの歌詞は、自分が理想と現実の狭間に立って苦悩している(と思い込んでいた)若者たちだけでなく、多くの日本人の情感に響いたものでした。
 
「義理と人情」とは何かということですが、「義理」が他者や上位の者から受けた恩義に対する意識であるとするならば、「人情」は家族や仲間などのどちらかと言えば身内への情愛を意味します。
これを聖書は「兄弟愛」と言うのですが、日本人はこれを人類愛にまで広げて適用しています。
 
笹川良一が掲げた「世界は一家、人類皆兄弟」という標語は、日本人の常識となっています。
反日教科書と抗日ドラマで教育されたため、ハリネズミのような警戒心を持って恐る恐る来日した中国人観光客が、自分たちを差別なく扱い、誰に対しても親切な日本社会に最初は戸惑い、そして感動したという話はネットでおなじみになっています。
 
そういう意味で「義理」が恩人への返礼であるとするならば、神は人類に対しては何の「義理」もありません。
しかし、神は人類への「情」のゆえに、ご自分の独り子への「情」を敢えて棚上げして、つまり個人的な「人情」を犠牲にしてまで、人類に対する贖いのわざを完成させてくださったのです。
 
 これを「神の痛み」という視点から論じた神学論が北森嘉蔵という日本人の神学者によって提唱された「神の痛みの神学」でした。
 
神学とは福音の厳密なる理解にほかならぬ。(中略)痛みにおける神は、御自身の痛みをもって我々人間の痛みを解決し給う神である。イエス・キリストは、ご自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である(北森嘉蔵著「神の痛みの神学」20、21p 講談社)。
 
 人という存在は「御自身の痛みをもって我々人間の痛みを解決し給う」神から受けた恩義に対して、大いなる義理を感じ、また義理を果たすべき立場となりました。
いうなれば、神に信従するということは、神に対して義理を感じ、義理を果たし続ける在り方を意味すると理解することができます。
 
 思い返せば、私が牧師になろうと思った理由がまさにこれでした。若き頃、ある聖会において聖書の言葉の一節を耳にしました。
 
「主は我らのために命を捨て給えり、これによりて愛ということを知りたり、われらもまた兄弟のために命を捨つべきなり」(ヨハネによる第一の手紙3章16節 文語訳)。
 
 その時、この聖句の「我らのために」の部分が、自分の名前となって繰り返し繰り返し、心に聞こえてまいりました。そこで「献身」となったのですが、当時の私にとってはそれが神とキリストへの義理を果たすことであり、神の「情」に対する応答であったわけです。
 
 勿論、義理を果たす方法や在り方は千差万別であって、それは各自に委ねられています。
しかし、神に対して義理を感じることよりも、何らかの御利益をもたらすものとするキリスト教の一つが、信じれば儲かるという「繁栄の神学」でしょう。そして「繁栄の神学」は決して「聖書的」とは言えない「神学」なのです。
 
 どちらにしましても「義理」は大切です。「義理」が軽視されればどうなるか。
 それは「唐獅子牡丹」の七年前に流行った村田英雄が歌う「人生劇場」の歌詞のように、「義理がすたれりゃ この世は闇」となるだけでなく、キリストの尊い犠牲によって実現した神の国もまた、闇となってしまいかねないからです。
 
 日本人の日本人による日本人のためのキリスト教は可能なのかと問うならば、答えは「可能」です。しかも可能であるだけでなく、「礼節」を旨として、「義理と人情」に味つけられた日本的キリスト教こそ、真に「聖書的な」キリスト教といえることでしょう。
 
 日本におけるキリスト教徒は圧倒的に少数民族、マイノリティです。しかしわたしたちは、神にある自信を持って、このキリスト教を信じ、このキリスト教を伝えていきたいと心から思います。
 
 文化的障壁は依然として存在しています。それはマリンズという、比較文化論、比較宗教学を専攻する学者が著わした、すぐれた研究書が指摘する通りです。
 
キリスト教を受容した)韓国人と異なり、おおかたの日本人は、依然キリスト教を『よそ者』で日本の文化的アイデンティティとは相いれないとみなす傾向にある(マーク・R・マリンズ著 高崎 恵訳「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」241p 株式会社トランビュー)。
 
 この研究書の存在は、広島在住の若い博学の知人から教えられたもので、この書物からは多くの示唆を受けました。
 
多くの日本人にとって「よそ者」であるキリスト教ですが、だからこそ「日本の文化的アイデンティティ」で味付けされたキリスト教の純粋な福音を、わたしたちはこれからもこの日本において発信していきたいと思います。
 
「日本人とキリスト教」について六回にわたってお話してまいりました。
キリスト教は決して外国の宗教などではありません。全人類のためのものであり、日本人のためのものでもあります。
 
そして、あくまでも正統的な聖書理解を保持しつつ、それぞれの国や民族の文化的特質で味付けをした「聖書的な」キリスト教を模索すること、それが神の御心であるという確信を新たにさせられました。
 
今回は少々長くなりましたが御清聴、まことにありがとうございました。


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