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投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-08-17 16:25:11 (1999 ヒット)
2014年礼拝説教

14年8月17日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む 鹿が谷川を慕い喘ぐようにわが魂も生ける神に渇き、神を慕い喘ぐ」
 
詩篇42篇1〜12節、43篇1〜5節 旧約聖書口語訳784p
 
 
はじめに
 
高温多湿のこの八月、危険なのは何と言いましても熱中症です。総務省消防庁の統計によりますと、先々週八月四日から十日までの一週間で、熱中症によって救急搬送された人数は、全国で四一〇六人にのぼったそうで、そのうちの半数、二一二一人が高齢者であった、とのことでした。
 
因みに大阪は全年齢層で一六八人、その内の高齢者は八十七人と、やはり半数以上が高齢者でした(総務省消防庁「救急救助 熱中症情報」)。
 
これは八月初旬のデータですが、わたしの感覚では、暑いと感じるのは八月よりも七月の下旬であって、それを裏付けるように消防庁のデータでは、七月二十八日から八月三日までの搬送者数は五三九三人ですが、その前週の七月二十一日から二十七日までは何と八八七一人となっていました。
 
最新の先週のデータはまだ発表されていませんが、しかし、暑さのピークが過ぎたといっても、まだまだ用心しないといけません。
 
ところで高齢者が熱中症になりやすいのはなぜなのかということですが、大阪府のホームページにはその理由として、「暑いと感じにくくなる」「体温調節が鈍る」「発汗量・皮膚血流量の増加が遅れる」「発汗量・皮膚血流量が減少する」「体内の水分量が減る」などに加えて、高齢者の場合、「のどの渇きを感じにくくなる」などが挙げられておりました。
 
つまり、「のどの渇きを感じにくくなる」ことから、水分補給をしなくなる、水分補給をしなくなるから体内の水分が失われる、という順序になって、結果、熱中症で搬送、ということになるようです。
ということは、喉が渇くという症状は、とても有り難いことなのだ、ということになります。
そこで今週の「詩篇を読む」の八回目は「渇く」ということについてです。
 
 
1.鹿が谷川を慕い喘ぐように、生ける神に渇くことこそ正常のしるし
 
 私たち生き物が無事に生存することができるようにと、恵み深い神は、いくつかの感覚を私たちのからだに備えてくださいました。
 
一つは痛みを感じる感覚、つまり痛覚です。外からの打撃に対し、被害を未然に防ぎ、あるいは軽度の被害で済ませることができるのも、痛みを感じる感覚があればこそ、です。
 
痛覚といいますと、プロレスラーは痛覚がないのかと思えるほど、痛みに強いように見えます。多少の手加減はしてはいるのでしょうが、二人の大男が向かい合って、互いに力任せに肘打ちをし合うという光景はテレビ画面を通してでも恐ろしく感じます。
ついでながら、この八月十日、新日本プロレスの「G1クライマックス24」決勝戦で死闘を制したのは、中邑真輔ではなくオカダ・カズチカでした。
 
痛覚と共に大事な感覚が、飢えや渇きを覚える感覚です。ところが、人の体が限界を超えて衰弱すると、飢えや渇きを感じなくなってしまうのだそうです。
高齢者が喉の渇きを感じにくくなるのも、体が衰えてきているからなのかも知れません。
 
渇きには肉体的、生理的な渇きの他に、霊的、宗教的な渇きというものがあります。そして詩篇の作者は、自分が生ける神に渇いていること、つまり自らが霊的な渇きを覚えていることを、谷川の水を慕い求める鹿になぞらえて訴えます。
 
「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。わが魂はかわいているように神を慕い、生ける神を慕う」(詩篇42篇1、2節前半 旧約聖書口語訳784p)。
 
 パレスチナでは増水期には水が豊かに流れる谷川も、渇水期には水は干上がってしまいます。
それでも渇きに苦しむ鹿は谷底に降りていって水を探し求めるのですが、詩人は喘ぎながら水を求める鹿の姿に自らを重ねて、神に渇く内心の激しい渇きの様を表しました。それが四十二篇冒頭の飾り気のない率直な表現でした。
 
前回の「詩篇を読むА廚砲いて、古代と中世の狭間で教会を再生させた聖アウグスティヌスの回心のさまを、その自伝である「告白録」でご紹介しましたが、その「告白録」の冒頭部分には、「人というものは神に創造されたがゆえに、神を求めてやまないものである」との彼自身の告白があります。
 
     あなたを讃えることを
     人間は欲します、
     小さいながらも
     あなたの被造物の一部ですから。
     
     あなたがかりたてます、
     あなたを讃えることが喜びであるように、
     それは、あなたがわたしたちを
     あなたに向けて創られたからです、
     そのためわたしたちの心は、
     あなたのうちに憩うまでは安らぎを得ません。
     (アウグスティヌス著 宮谷宣史訳「告白録(上)」19、20pアウグスティヌス著作集 第五巻機ゞ喫鹸曄
 
アウグスティヌスが回心したのが三十二歳の時で、この「告白録」が書かれたのはそれから十数年後の四十代のこと、北アフリカのヒッポで司教の任に就いていた時であったといいますから、西暦四世紀の末、今から約一六〇〇年も前のことです。
 
人というものは単に神に「創られた」というだけでなく、神「に向けて創られた」がゆえに、その「心は」創り主なる神の「うちに憩うまでは安らぎを得」ないのです。
 
つまり、人というものは人として健全かつ正常であれば、自らの創造者である生ける神を求める者なのです。それは親から逸(はぐ)れた迷子がいっとき、玩具やお菓子で気を紛らわしたとしても、母親の顔を見るまでは不安でたまらないように、創り主である神の「うちに憩うまでは安らぎを得」ない、それが人であるしるしです。
 
人がもしも自分を造ってくれた神に霊的渇きを覚えないとしたら、それは人間としては健康でないしるし、内なるものが衰弱しつつある証拠です。
鹿が谷川の水を喘ぐが如くに慕い求めるように、神を慕い求め、神に渇くという状態は、人の魂が正常であることのしるしなのです。
 
警戒すべきは霊的な渇き、宗教的な渇きがないこと、恐れるべきは魂が鈍磨した状態にあることです。
 
 
2.神に渇く者は人を責めることをせず、内省して自らを深く省みる
 
神に渇くと言いましても、その渇き方にはそれぞれ程度の差というものがあります。そしてその渇き方の違いはその人の内省の深さ、内心の自責の思いの強さによるといえます。
この詩の作者の特徴は、その渇き方の激しさにありました。
 
彼は過ぎし日、神を崇める者たちと共にエルサレムの神殿における祭に参加し、しかも指導的な立場で祭に加わっていたようです。
 
「わたしはかつて祭を守る多くの人と共に群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらのことを思い起こして、わが魂をそそぎ出すのである」(42篇4節)。
 
 この詩の背景になっているのは先月の「詩篇を読む」の六と七の八十四篇同様、バビロン捕囚の出来ごとではないかと思われます。
 
イスラエル王国はソロモンの息子レハベアムの時代に、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しました。下剋上によって王位が纂奪されることが常態であった北イスラエル王国は、紀元前七二一年、アッシリヤの攻撃を受けて歴史から姿を消してしまいますが、ダビデの子孫が代々世襲で王位を継いでいた南ユダ王国は、神の恵みにより何とか王統を保ち続けてきました。
 
しかしその南ユダ王国も年月と共にその信仰が徐々に緩んでいき、ついに神の審判としてのバビロニア軍の攻撃を受けて、紀元前五九八年、そして五八九年から五八七年の二回にわたって国土を蹂躙されるという結果を招いてしまいました。。
しかも南ユダを侵略した軍隊がバビロンに引き上げる際に、ユダの王侯・貴族や祭司、主だった指導者たちとその家族とが、捕囚としてバビロンに強制連行されるという悲劇も出来(しゅったい)したのでした。
 
この詩篇四十二篇、四十三篇の作者はその捕囚の一人であって、遠いバビロンでこの詩の原型を作ったのではないか、と研究者は想像します。
それは、この詩には、「何としても生ける神にお会いしたい、しかし、自分には神に会わせる顔がない、その資格がないのだ」という、神への激しい渇望と、強い自責の念から来る悶々たる思いが見受けられるからです。
 
バビロン捕囚という仕打ちに関しては、客観的に見た場合、彼らが犯したとされる罪に対して、少々酷すぎるのでは、という感がないわけでもありませんが、当事者である囚われ人たちはそうは考えてはいないようで、だからこそ、神を恨むことなく、またいつまでも敵を呪うこともなく、自分たちの運命を甘受して神の赦しの時を待つのです。それが二節後半の呻きです。
 
「いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか」(42篇2節後半)。
 
 心ならずも逆境に陥った場合、己のことは棚に上げて、ひたすら、責任を他者に転嫁し、あるいは環境のせいにするという民族がおります。そういう傾向を持った人々が隣りにいる場合、何とも厄介なものなのですが、反対に、人を責めるのではなく、自らの責任を深刻に感じる民族もあるのです。
前者がどこの誰とは敢えて言いませんが、後者の代表は間違いなく日本人でしょう。
 
そしてこの詩の作者も同様の性格の持ち主のようです。彼は、「お前の神はどこにいるのか」「お前の神はお前の悩みに対して、助けの手を伸ばしてくれないではないか」と彼の信仰を揶揄し攻撃をしてくる者に対して、向きになって反論をするようなことはせず、ただただ、悲しみの涙を流すだけであったようです。
 
「人々がひねもすわたしにむかって『おまえの神はどこにいるのか』と言いつづける間はわたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった」(42篇3節)。
 
 彼(あるいは彼ら)は神に向かってその窮状を訴えはしますが、彼らを攻撃してくる者たちに対して反撃をする様子はありません。
 
「わたしはわが岩なる神に言う、『何ゆえわたしは敵のしえたげによって悲しみあるくのですか』と。わたしのあだは骨も砕けるばかりにわたしをののしり、ひねもすわたしにむかって『おまえの神はどこにいるのか』と言う」(42篇9、10節)。
 
 こうなったのは誰のせいでもない、自分のせいだ、身から出た錆びなのだ、たとい「お前の神はどこにいるのか」(10節)と嘲られても、それはその通りだ、と彼は悔い砕かれた心をもって自らを省みているのです。
 
 勿論、戦後の日本のように過度に不必要なまでに自虐的になる必要はありません。戦後の日本人を「自虐」へと追い込んだのは、日本人が持つ潜在的な底力を恐れた米国の対日占領政策の結果であって、それに便乗して自虐を煽ったのが、マルキストが入り込んだ左翼系のマスコミでした(このことについては昨年8月11日礼拝説教「今、求められていること、それは自虐からの脱却」を)
 
 神に渇く者は他者を責めることはせず、また過度に自分を責めることはしません。ただ自らを正しく深く省み、その上で失敗は失敗として率直に受け入れ、神の助けを仰ぎます。
 
「わが魂よ、何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わか神なる主をほめたたえるであろう」(42章5節)。
 
 
3.自らを深く省みる者は、悔いし砕かれた心をもって神を崇める
 
この詩の作者は深い自省と悔い改めの中から神に向かって一つのことを願い出ます。それは「公正に私を審き、そして私を嘲った者をも公正に審いてください」という、公平かつ公正な審判者である神への信頼に溢れた願いでした。
 
「神よ、わたしをさばき、神を恐れない民にむかってわたしの訴えをあげつらい、たばかりをなすよこしまな人からわたしを助け出してください。あなたはわたしの寄り頼む神です」(43篇1、2節前半)。
 
 この嘆願には「自分に都合のよいような裁定を」という意味合いはなく、「ただただ公正なる神が公正なる審きを行ってくださるように」との思いのみが込められていることがわかります。
 
 彼は捕囚となった当初は、敵への復讐を神に願ったかも知れません。しかし、時を経るにつれて自らを省みることを学び、また生起した事態を客観的に見る見方を身につけるようになり、結果、神に向かい、自分を嘲る者への報復を祈るのではなく、ただ、現在の苦境からの救済を求めるようになってきたのかも知れません。
 
 先週の説教でも触れましたが、今、在米韓国人による「慰安婦」像の建立が米国各地において進んでいるのですが、その結果、在米日本人子弟が韓国人と中国人の子供たちにより、陰険で残酷なハラスメント、つまりイジメ被害に遭っているという事実が報告されています。
 
 そもそも、従軍牧師や従軍看護婦、従軍記者はいても、「従軍慰安婦」なるものは存在しません。日本軍による慰安婦の強制連行という話は、吉田清治という天性の嘘つきの詐欺師が創作した作り話です。
 
特に、勤労奉仕を主とした「女子挺身隊」と、金銭を目的とした商売としての戦時売春婦である「慰安婦」とが、朝日がいう「研究不足」のせいか意図的かは別として(意図的な可能性が大ですが)、とにかく両者が混同されて韓国に伝えられ、それが歴史的事実であるかのように受け止められたことから、あの忌まわしい「河野談話」が生まれ、近年の韓国による対日優越(蔑視)?政策としてのグロテスクな「慰安婦像」になったのでした。
 
その先兵となった朝日新聞には記事の取り消しだけで口を拭うのではなく、改めて謝罪と釈明を公式に行う責任があります。検察や警察でも、冤罪だとわかった場合、「あれは間違いでした」と表明すれば済むような時代ではありません。人の人生を狂わせたのですから、謝罪をし、賠償もしているのです。
 
その朝日新聞が今の段階で取り敢えず実行することは、第一には八月五日の特集記事を英文にして国際社会に向けて発信をすることです。
そして第二には同記事をハングルに翻訳して、韓国の国民が読めるようにしなければなりません。
そして三つ目が、あらぬ誤解を受けて塗炭の苦しみの中にある在米日本人、とりわけ、ひどい虐めに遭っている子供たちへの謝罪でしょう。
 
 一方、朝日新聞特集記事を受けて、政府、外務省は先ず、米国に設置されている「慰安婦像」の碑から、「数十万に及ぶ性奴隷」という碑文の撤去を求める動きを早急に始めるべきですし、今後、国をあげて、日本という国と日本人への誤解を解く活動を国際社会に向けて精力的に進めるべきです。
 
このたびの朝日新聞の記事の取り消しという出来事が、今後、様々の方面に影響を及ぼし、その結果、「歴史」なるもの真実が明らかになることを期待したいと思いますし、同時に日本人ひとりひとりが「大新聞」という肩書きや「クオリティペーパー」などという自称に幻惑されないで、報道の裏を見抜き、その真偽を見極める確かな眼力を持つ必要のあることを痛感させられました。
 
そして、ふと思いました。この出来事の背後、つまり、あの「無謬」の筈の朝日新聞がついに自らの記事を取り消さざるを得なくなったという、この出来事の背後には、神を信じる日本人クリスチャンたちによる生ける神への切なる嘆願があり、記事の取り消しはそれらの祈りに対する神の答えではないのか、ということを、です。
 
私事ですが、私自身、十年前まで、五十年にわたって朝日新聞の読者であったという経験から、沖縄の「珊瑚K・Y事件」は例外として、かつて自社の非を認めたことのない朝日新聞が、追い詰められたからとはいえ、また自社の現在と将来の利害得失を計算した上であったとはいえ、過去の掲載記事を取り消す日が来るとは思いもよりませんでした。
 
「珊瑚K・Y事件」とは今から二十五年ほど前の朝日新聞に掲載された写真付きの記事、「サンゴ汚したK・Yってだれだ」のことで、沖縄の西表島(いりおもてじま)の珊瑚に「K・Y」という落書きがあることを発見したとして、日本人のモラルの低下、精神の貧しさを嘆く文章が夕刊に大きく掲載された件のことです。
 
記者はこれを日本人がやったという前提のもとに「犯人」を糾弾します。
 
日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かも知れない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。精神の貧しさの、すさんだ心の……。にしても『K・Y』ってだれだ(朝日新聞東京本社版1989年4月20日夕刊)。
 
 ところが地元のダイビング組合が、「サンゴにはこれまで傷はまったくなかった、サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」という抗議の声をあげたのです。
 これに対して朝日側は、カメラマンが「撮影効果をあげるため、うっすらと残っていた(落書き)部分をストロボの柄でこすった」という謝罪記事を一カ月後の朝刊に掲載したのですが、更にその数日後、「(自社の)カメラマンが無傷の珊瑚に『K・Y』という文字を刻みつけた」として、朝日新聞による自作自演の虚偽記事であることを白状するに至ります。これが有名な「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」です。
 
 「一体『K・Y』って誰だ」と日本人の悪を追求したカメラマン本人が貴重な珊瑚を傷つけ、しかも麗々しく写真入りの捏造記事を掲載して、日本人のモラルの低さを喧伝したというのが真相であったというわけです。朝日側にして見れば、「泥棒を捕えて見れば我が子なり」の図です。
 
 この捏造記事に関し、本年四月の夕刊紙に掲載された、酒井信彦元東大教授による、事件の本質と動機についての分析はまさに正鵠を射たものだと思われます。
 
仮に第一に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。
第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「八〇年代の日本人の記念碑」といった極端な表現に現われている。
 
では、なぜ、こんな発想が出てくるのか。
日本人を悪者として貶(おとし)めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、自分自身を正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越性を享受したいのであれば、それは根本的偽善である。
日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである(20140427「【朝日新聞研究】89年サンゴ落書き事件に見る『虐日偽善の姿』」酒井信彦 ZAKZAK)。
 
 この指摘は先週の説教で指摘した、いわゆる「直接否定」の心理に通底する分析として、昨日、ネットから興味深く読ませてもらいました。
 
 「従軍慰安婦」の問題に関し、朝日新聞はその後もなお、「狭義の強制連行はなかったかも知れないが、広義の強制性はあった」とがんばっていますが、「慰安婦像」とその碑にある説明文の歴史的根拠が崩れたことは事実です。
一般の日本人だけでなく、在米の日本人もまた、肩身の狭い思いをして生きる必要はなくなったのです。
 
 そして、このたび、朝日新聞が渋々ながらでもこれ以上頬かむりを続けることが出来なくなったと悟ったからなのか、とにかく自らの過誤を認めざるを得なくなったその背後には、言葉に表せない切なる呻きを祈りとして聞き給う正義の神の働きが、確かにあったと推測してもよいと思われます。
 
異国において理不尽な揶揄と攻撃を受けつつ、苦悩の中で「涙が昼も夜も」(3節)「食物であった」(同)作者には、流した「涙」(同)にかわって、「昼」には主なる神からの「いつくしみ」が、そして「夜」には「いのちの神にささげる祈り」が、その「食物」となる日々が訪れることとなります。
 
「昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる祈りがわたしと共にある」(42篇8節)。
 
 鹿が谷川の水を慕い喘ぐように、生ける神に渇き、神を慕い喘ぐ者は幸いです。
 ご一緒に、心を込めて主なる神を崇めましょう。
 祈りにあたり、「鹿のように」を御一同で讃美したいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-08-10 16:11:31 (1527 ヒット)
2014年礼拝説教

14年8月10日 日曜礼拝説教

「『信教の自由を守る日』に寄せて 何を何か  
 ら、あるいは誰からどのように守るのか―    
 共同体への正しい関わり方」
 
ヨハネによる福音書8章31、32節(新約聖書口語訳152p)
 
 
はじめに
 
今、「若者たち 2014」というドラマがテレビで放映されています。これまでに五回放映されているのですが、視聴率がどんどん落ちて来ていて、先週はついに六%台にまで下がってしまいました。
しかし、一話ごとに必ず泣かせる場面が設けられていて、質のよいドラマであるとは思うのですが、何といっても心を打つのがドラマの冒頭と最終場面に流れる、森山直太朗が歌う「若者たち」(作詞:藤田敏雄 作曲:佐藤勝)です。
 
君の行く道は 果てし無く遠い 
だのに なぜ 歯を食い縛り
君は行くのか そんなにしてまで
 
君のあの人は 今はもういない
だのに なぜ 何を探して
君は行くのか あてもまいのに
 
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽が昇るとき
若者はまた 歩き始める
 
三年八カ月に及んだ大東亜戦争(太平洋戦争)の無残な敗戦から年を重ねて、今年で六十九回目の八月を迎えました。
私たちが所属する教団は一九八二年秋の教団総会において、ポツダム宣言の受諾を表明して連合国に降伏することを宣言した、実質的な意味での敗戦の日である八月十五日を、自由の根幹である「信教の自由を守る日」と定め、以来、八月十五日に最も近い日曜日に「信教の自由を守る」という観点から、啓発を目的とした礼拝を行うよう、アピールしてきました。
 
これを受けて私どもの教会でもこの日を大事な日とし、最近の礼拝でも、二〇一〇年には「神の国の民にふさわしく生活する―終戦記念日に祈る」、二〇一一年「終戦記念日を迎えるにあたって―幻想から現実へ」、二〇一二年「『信教の自由を守る日』に寄せて―人間の本分、国家の本分とは何か」、二〇一三年(「信教の自由を守る日に寄せて」)「今、求められていること、それは自虐からの脱却」という主題を掲げて、標題のテーマについて考えてきました。 
 
そこで敗戦から七十回目を迎える前年の今年は、「守る」にあたって、一体全体、「何を」「何から、あるいは誰から」「どのようにして守るのか」という基本的な問題について論じ、祈りを深めることによって、国民によって構成されている国の未来を展望し、更にそれによってこの国の将来が「希望へと続く」ものとなり、とりわけ夢を失いがちな「若者たち」が「空に」「昇る」「陽」の下で誇りを持って「歩き始める」ことを期待したいと思うのです。
 
 
1.何を守るのか
 
「守るべきもの」あるいは「守られるべきもの」は何かというならば、具体的には何といっても日々の暮らしです。
内閣によればデフレ退治は道半ば、ということですが、その恩恵を早く我々末端にまで及ぼしてほしいと思います。
 
第二に守られるべきもの、それは国民の生命の安全、健康な生活、そして財産等です。特に生命の安全と健康とは直結をしています。
中国の食の安全が改めて問題となっていますが、私どもの教会では紙コップ、紙皿、割箸、爪楊枝など、割高ではあっても、口に入れるものはすべて国産品を使用しています。中国製の割箸を金魚鉢に入れたら、すぐに金魚が死んでしまったそうですから、そんな製品はいくら安価でも恐ろしくて使う気にはなれません。
そういう意味では食材の生産地が不明の外での食事は、健康への不安から、勇気がいります。
 
第三に守られねばならないもの、それは国の主権であり、国民の権利です。国家を構成する三要素とは、主権と領土、領海、領空、そして国民の三つです。
 
憲法は国家を構成する国民を国家が保護する責任があることを定めていますが、先月の十八日、永住外国人が生活保護法の対象になるか否かで、最高裁が画期的な判決を下しました。
判決は「永住外国人は生活保護法の適用対象ではない」というもので、外国人が保護を受けているのは「行政措置による事実上の保護対象にとどま」るのであり、「受給権はない」としました。当然の判決です。
 
外国人が保護を受けているのは、敗戦後九年目の昭和二十九年に旧厚生省が「外国人についても(日本)国民の取り扱いに準じるように」との通知をしたことが発端で、これは平成二年に保護対象が「永住外国人」に限定されましたが、外国人への適用はあくまでも「恩恵」であって「権利」ではないのです。
 
第四に保障されるべきもの、それが「自由」です。自由には「思想・良心の自由」、「集会・結社・表現・言論出版の自由」、「居住・移転・職業選択の自由」、「学問の自由」などがありますが、これらの自由の根幹となるものが「信教の自由」です。
 
日本国憲法第二〇条[信教の自由、国の宗教活動の禁止]信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
 
 「信教の自由」とは普通、「何をどのように信じるか」という、信仰の自由と思われていますが、実は「信じない自由」をも保障したものでもあるのです。
特にキリスト教国では少し前の時代まで、偉い人が領民や国民に対し、自分が信奉している教えを信じることを強制することがしばしば、ありました。
そういう強制の中で、人は何を信じるか、何を信じないかという自由権というものを有していることを明確にしたものが「信教の自由」でした。
そして、「信教の自由」が侵されるということは、他の自由が脅かされることを意味したのでした。なぜかと言いますと、「信教の自由」こそがその他の諸々の自由の根幹だからなのです。
 
 でも、憲法で信仰の自由が保障されているからといって、実際に保障されている、とは限りません。お隣の国の「中華人民共和国憲法」にも、「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されています。
しかし、憲法において信仰の自由が保障されているからといって、それが実際に保障されている、とは言えないのです。かの国では中国共産党の指導に従わない教えは邪教とされ、弾圧の対象となってきた、という事実は誰でも知っています。つまり、お隣には信教の自由はないことになり、ということはその他の諸種の自由も制限があるということになるわけです。
 
もう一つ、自由には「奴隷的拘束及び苦役からの自由」というものがあります。
 
第一八条[奴隷的拘束および苦役からの自由]何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。
 
 論議を呼んだ「集団的自衛権の限定的行使容認」の問題について、反対派から奇妙奇天烈な反対論が上がってきたのに驚きました。曰く、「集団的自衛権の行使が容認されると、徴兵制が復活する」と。
 
冗談ではありません。徴兵制は自分の意志に反しての拘束、つまり「奴隷的拘束」を「受けない」ことを保障した憲法一八条の規定に違反するものです。
ですから、憲法改正をしない限り、徴兵制度の導入はあり得ません。集団的自衛権と徴兵制の間には何の関係性もありません。
 
第一、全世界で集団的自衛権を行使しないとしている国は日本とスイスの二国のみであって、その他の国はすべて、集団的自衛権の行使を当然のこととしています。
しかし、その集団的自衛権を国家の当然の権利としている欧米諸国のほとん
どは随分昔から徴兵制を廃止して志願制に切り替えていますし、反対に、集団的自衛権を行使しないことを国是とするスイスなどは、しっかりと徴兵制を布いているのです。
 
仮に徴兵制を布いたとしても、国を守ろうという意志も気概もない若者を無理やり、軍隊に徴用したとしても足手まといになるだけです。
二十一世紀の先進国においては、徴兵制はナンセンスなのです。集団的自衛権と徴兵制とは何の関係もありません。
 
 ところで、自由を守ることができなければどうなるのかといいますと、次に来るのが奴隷状態への転落です。
わたしたちはかつて、罪、厳密にいえば原罪の奴隷でした。しかしキリストは私たちを自由な立場を持つ者へと解放してくださいました。
 
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ人への手紙8章15節 243p)。
 
 キリストの尊い犠牲のお蔭で原罪の呪いから解放され、神の子という有り難い身分を与えられたにも関わらず、この国のキリスト教徒は、平和、人権などという口当たりのよい「平和主義」なるものに幻惑されて、もろもろの自由の根幹である「信教の自由」を脅かされるという危機が目前に迫っていることについて、きわめて鈍感であるという声があります。
 
戦後六十九年、わたしたち日本人は「信教の自由」を含めて、諸種の自由を満喫しています。しかし、この天与の「自由」とりわけ自由の根幹である「信教の自由」を奪われないように努めることこそが、今日のわたしたちに課せられている務めなのです。
 
 
2.何から、あるいは誰から守るのか
 
では、大切なものを「何から、あるいは誰から守る」のでしょうか。それは敵対勢力からですが、具体的には法の秩序を無視して、力により、現状を変更して自らの野望を実現しようとする勢力の手からであり、あたかもその手先のようになって胡麻を摺りながら、自らの利益を優先的に追求することを日常としている輩が仕掛ける、巧妙な罠からです。
 
我が国は主権が回復する以前の戦後七年目、一九五二年一月に、火事場泥棒のようにして固有の領土を韓国に盗み取られてしまいました。竹島です。
そして、二十一世紀の今も違法な領海侵犯を繰り返しながら、我が国の領土を横奪しようとする動きを行っている国があります。
 
そういう脅威の中で、集団的自衛権の限定的行使容認の動きが起きてきました。これに対し、反対者は解釈変更は憲法違反であるとします。
しかし、その憲法の成立後、解釈改憲が幾度となく行われてきたことについて反対者が目を瞑るのは片手落ちです。
 
現行憲法はその原案作成の過程においては、日本国が戦争をすることも、戦力を持つことも禁じる内容のものでした。
そこで、原案の修正作業を経て成立した、現憲法の九条を読んでみたいと思います。
まず、第一項です。
 
第九条[戦争の放棄、軍備および交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
 続いて、第二項です。
 
∩姐爐量榲を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
 
 実は原案には無かった文言が第一項と第二項に修正案として挿入されました。いわゆる「芦田修正」といわれるものです。
第一項では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言がそれです。
 
 この修正案が持ち出され、成立したのが芦田 均を委員長とする小委員会であったことから「芦田修正」と言われているのですが、この文言を入れることによって、第一項で「放棄」しているのは「国際紛争を解決する手段」としての「戦争」「武力行使」、つまり侵略を目的としている「戦争」や「武力の行使」だということにされました。
 
 しかし、普通に読めば、たといそれが自衛のための戦争であってもそれは「国際紛争を解決する手段」ということになります。
第一、「我が国が行っている戦争は侵略戦争である」と宣言して戦争を始める国はありません。どの国でも国家の自衛を大義名分に掲げて戦争を始めます。
 
 ということは、憲法の成立の始めから、九条にはある種の解釈が施されていたということになります。これが明確になったのが一九七二年のことでした。国会は日本国が個別的自衛権を持っていることを確認しました。
 
しかし、現行の日本国憲法を素直に読めば、侵略戦争は無論のこと、自衛の戦争も禁じているとしか読めません。何しろ「国際紛争を解決する手段」としての「国権の発動たる戦争と」「武力の行使は」「永久にこれを放棄する」とあるのですから。
 
おまけに第二項では何と、「国の交戦権はこれを認めない」とダメを押しています。侵略戦争であろうと自衛の戦争であろうと、戦争とは「国」が「他国」と「交戦」することに他なりません。
つまり、日本国憲法はその成立時と、その二十五年後に、「戦争」に関する解釈の重要な変更が行われたのでした。
にも関わらず、集団的自衛権の行使容認のみを声高に憲法違反とするのは筋が通りません。
 
もう一つ、自衛隊ですが、今から六十年まえの一九五四年、自衛隊は警察予備隊、保安隊を経て、正式に自衛隊として発足しました。
今年は自衛隊発足六十周年の記念の年です。ついでに言うと、映画「ゴジラ」の第一作が上映されたのも一九五四年でした。私はその翌年、入院中の母親を東京信濃町にある慶応病院に見舞った帰りに、第二作となる「ゴジラの逆襲」を有楽町の映画館で観た記憶があります。映画の中での自衛隊は、ゴジラには全く歯が立ちませんでしたが。
 
九条の第二項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあります。ここでまた「芦田修正」です。
修正案ではこの文言の前に「前項の目的を達するため」が加えられ、その結果、「侵略戦争」という目的のためではなく、自衛という目的のためであるならば「戦力」を保持することは可能であるという解釈が導き出されてきたのです。
 
それならば、自衛隊を堂々と自衛のために存在する「軍」隊として位置付けてもいい筈なのですが、後ろめたいのか、自衛隊は憲法上、「軍」ではないという詭弁を使うことによって、現実の矛盾を糊塗してきたのです。
つまり、憲法は成立以来、解釈の変更に次ぐ変更によって今日に至っているといっても過言ではありません。
 
 では、このような過程あるいは過去があるにも関わらず、集団的自衛権の行使容認に限ってなぜ、反対勢力は激しく反対をするのでしょうか。
考えに考えて出てきた結論は、それは反対者が「反日」思想の持ち主だからだということでした。
  
 今月の五日、朝日新聞が「慰安婦問題の本質 直視を」という尤もらしいタイトルの特集を組みましたが、その中で二つの事実を初めて認めました。
 
一つは戦時中、韓国南部の済州島で慰安婦狩りをしたという「吉田清治」なる人物の主張について、「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」という項目の「読者のみなまさへ」の中で、吉田証言が虚偽であったということを告白したことでした。
 
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だったと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした(2014年8月5日朝日新聞朝刊)。
 
朝日新聞が「吉田清治の証言」を事実とした前提で書いた記事を十六回も書いてから、しかも最初の記事から三十二年も経って、やっとそれが偽証であったことを認めて取り消しを表明したというわけです。
 
この「吉田清治」なる詐話師については、昨年八月十一日の礼拝説教「今、求められていること、それは自虐からの脱却」において、その著作と講演を引用して、それが偽りの創作でしかないこと、そしてその作り話を朝日が事実として誤報したまま、放置をしてきていることを指摘しております。
 
一九八三年に至って、吉田清治は著書の中でこれを事実として発表しました。著書の第三話「済州島の『慰安婦狩り』」の結びは以下の通りです。
 
私は翌朝、二百五名の済州島の女を船倉へ収容して、定期船は小雨の中を出港した(吉田清治著「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」151p 三一書房)。
 
なお、吉田清治はその前年の一九八二年六月、大阪森の宮のピロティホールにおける講演で、慰安婦の強制連行を事実として証言しています。
 
私は昭和一七年から敗戦までの約三年間、数千人の朝鮮民族を強制連行しました。その中には千人近い慰安婦を強制連行しました(前掲書付録1「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」155p)。
 
この吉田清治という詐話師の告白を真に受けて、検証もしないまま、これを事実として大々的に報じたのが朝日新聞でした。
しかし、その後、秦郁彦という著名な現代史家が済州島で現地調査を行って、吉田の証言に何の信憑性もないことを明らかにしたこともあってか、吉田自身、一九九五年になって、慰安婦に関する自分の主張が自身による創作であったことを告白するのですが、吉田の証言を事実として報道し続けた朝日新聞は、今に至るまで頬かむりをしたまま、誤報を訂正しようとしていません(2013年8月11日日曜礼拝説教「『信教の自由を守る日』に寄せて 今、求められていること、それは自虐からの脱却」)。
 
朝日新聞はやっとのことで、吉田証言が虚偽であったということを告白して、記事の取り消しを表明しましたが、これまでに十六回にもわたって「吉田証言」を事実として取り上げたことによって、「日本による強制連行」なるものが日本国の国家犯罪として、韓国人はもとより、国際的にも歴史的事実であるかのように刷り込まれてしまったことについては口を噤んだままであり、謝罪もしておりません。朝日の報道が「河野談話」にも繋がっているのに、です。
 
 この特集においてもう一つ、朝日新聞が認めた誤りは、「女子挺身隊」と「慰安婦」とを混同してきたことでした。朝日は「『挺身隊』との混同 当時は研究が乏しく同一視」というタイトルの記事の「読者のみなさまへ」の中で、恥ずかしげもなく、これを「誤用」として告白します。
 
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました(同)。
 
「女子勤労挺身隊」とは戦時中の昭和十八年から、十四歳から二十五歳までの若い女性によって構成され、主に軍需工場などで勤労奉仕に当たった組織でした。半島も日本の一部ですから当然、動員されることになります。これは国民としての勤労奉仕でした。
 
一方、「慰安婦」は金銭を代償とする戦時売春婦のことで、中には兵隊の給料の十倍から二十倍も稼ぐ女性もいたとされています。
 ところが朝日は一九九二年の記事で「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」と記述したのです。
 
そしてその一年前の一九九一年八月十一日にも、植村隆という名の記者により、「思い出すと今も涙 元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という記事が掲載され、その中で、「女子挺身隊」の名で戦場に連行されて日本軍人相手に売春行為を強いられたなどと、挺身隊と慰安婦とを混同した記事が、その後の「河野談話」を後押しする結果になったとされています。
 
なお、植村記者の妻は韓国人で、その母親、つまり姑が韓国で「太平洋戦争犠牲者遺族会」という団体を組織して、老人たちに「日本から賠償金を取る」と持ちかけて一億五千万円を騙し取ったという容疑によって起訴されていたところ、つい最近、無罪判決が出されて検察が控訴をした、という事実も明らかになっています。
 
なお、特集においては「『元慰安婦 初の証言』記事に事実のねじ曲げない」と、植村元記者を弁護していますが、朝日の言い訳を俄かには信用することはできません。
 
在米韓国人により、日本を貶めるために米国各地で建設が進んでいる[慰安婦像]の碑文には、「日本軍は数十万の女性を『性奴隷』とした」という文章が堂々とあるのは、「挺身隊」を「慰安婦」と混同したことから来るものであって、そのお先棒を担いだのが、日本の良心、クオリティペーパーを自負する朝日新聞だったのです。
 
しかし、工場での勤労奉仕を目的とした「女子挺身隊」と、戦時売春婦である「慰安婦」とを混同した、などということはあまりにも初歩的な間違いであって、報道機関としては考えられない錯誤です。しかも「当時は研究が乏しく同一視」などという子供だましの言い訳は全く通用しません。常識的に考えれば、敢えて同一視したのでは、と勘繰りたくもなります。
 
「神の痛みの神学」という神学説で有名な、北森嘉蔵という日本を代表する神学者の、「共同体への態度」という講義を思い出します。彼は言います、「共同体への関わり方には三つある」と。
 
一つは「直接肯定」というもので、関わっている対象を無条件で肯定してしまう、という関わり方、もう一つは「直接否定」という態度であって、共同体の外に出て、当該の共同体を外側から批判をするという関わり方である。
 
そして三つ目が「間接否定」、あるいは「仲保媒介的態度」で、その共同体の問題を直視しつつ、しかし、外側に飛び出して批判をするのではなく、内側に入って、その共同体が抱えている問題を自らの問題として担い、解決に向かって取り組む姿勢である、そしてその代表例が人類に対するイエス・キリストの態度であった、キリストは人類の罪を直視しつつ、これを外側から一方的に批判するのではなく、人となって自ら人間の仲間になり、人類の罪をその身に担って身代わりとなって救済の道を開いた、というのです。
 
これを当てはめると、「反日」の立場に立つ者の心情には、「悪」である日本あるいは日本人を外側から糾弾することによって、自分は罪がない、責任もないという、いうなれば無罪の証明を得ようとする意識が働いているのではないかと推測されます。
 
そして朝日が検証もせずに吉田清治の言説を記事にして言い広めたのは、いち早く、日本の「罪悪」を指弾するという「直接否定」をすることによって、自分たちの無罪性を証ししようとしたのではなかったのか、と思ってしまいます。
 
実際、戦時中の朝日新聞はどの報道機関よりも国民の戦意を煽り、軍部に協力的であったが、その朝日には戦後、多数のマルキストが入り込んで、いち早く平和の使者という顔を打ち出したと言われています。
朝日が取る「反日」姿勢の背後には、日本という国を「悪」と指弾することによって、自らの無罪性を立証しようとする意図があったのではないか、という見方も可能です。
 
朝日新聞の罪は捏造記事を掲載し続けたことだけにあるのではありません、同紙は記事の取り消しはしても謝罪をするわけでもなく、それどころか、「狭義の強制連行はなかったかも知れないが、広義の強制性はあった」と、論点をすり替えて、現時点でもなお、自己の義を主張しているところにあるのです。
 
朝日新聞の説明を読んでいて、手を洗う総督ピラトの姿と朝日新聞とが重なりました。
 
「ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、『この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい』」(マタイによる福音書27章24節 48p)。
 
青山繁晴独立総合研究所社長が先週水曜日(8月6日)午後の関西テレビ「水曜アンカー」で、この記事について解説し、これが「朝日の終わりの始まりになると思う」と言っていたことを思い出します。
ただし、朝日が真の意味での悔い改めに導かれれば、社名のようにまた、「昇る」こともできるかも知れませんが。
 
 
3.どのようにして守るのか
 
 大切なものを「どのようにして守るのか」ということですが、力による現状変更の動きには、第一に外交努力が必要です。そういう意味では自国の外交担当者の上に、神の助けがあるよう祈ることは、国民の義務であり、とりわけ神を知る者たちの責務です。
 
それに加えて、有効な外交交渉の背景には、軍事力の備えが必要であるという、国際政治の常識も理解しておく必要があると思われます。
 
 憲法九条は確かに理想ではありますが、「九条があるから日本は六十九年間、平和であった」とする主張は現実無視の妄想であって、我が国の平和が保たれてきたのは、名目はどうであれ、実質的には精強な軍隊そのものである自衛隊が国内にあり、また圧倒的な軍事力を有する米軍の駐留があったからです。
この日米の「武力」が抑止力となって、日本に対する侵略の意図が殺がれてきたと言えます。
 
 今日、八月の十日は、まさに台風十一号が西日本に襲来して来ている最中ですが、ギリシャ哲学の専門家、故田中美知太郎がかつてその著書の中で、憲法九条擁護者を皮肉った言葉を思い起こします。
 
平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかもしれない」(田中美知太郎著「今日の政治的関心」18p 1958年9月 文藝春秋)。
 
 確かに、憲法が戦争放棄、戦力の放棄を打ち出したことによって平和が実現したというのであれば、憲法の条文に「台風は来るな」「地震は起こるな」「津波も襲来するな」と書いておけば災害を免れることになるのか、というわけです。
 
しかし、憲法の条文と現実とは別の問題です。そういう意味では賛否両論の「集団的自衛権行使容認」の問題についても、これを冷静に現実の問題として捉え直すことが必要なのかも知れません。
 
 ところで「国」の旧字は「國」ですが、「國」は「或」と(くにがまえ)から出来ており、「或」は「囗」と「戈(ほこ)」から成っています。「囗」は人々が居住している地域を囲った城郭で、「戈」は兵器を表しています。
 
つまり兵器を持った兵士たちが守る邑(むら)や町である「或」にさらに外囲いしたものが「國」であって、字の成り立ちからも「国民」と「国」を守るための国防は重要な要素だったと、漢字の専門家は教えてくれます。
 
そして、かつて、国防を疎かにしたために、領土を他国に蹂躙され、その国民は自由を奪われて奴隷とされ、国自体、歴史から消え去ってしまったという例は枚挙に暇がありません。
もしもそうなれば、特に国民の自由に関心のない、専制的な国に支配されたりしたならば、各種の自由の根幹である「信教の自由」も蹂躙されてしまうに違いありません。
 
 政治家でもなければ高級官僚でもない私たちに出来ることは何かと言いますと、日々、奔流のように流れ込んで来る各種の情報を適切に分別しながら、歴史の正確な知識を自らの内に蓄えることと、もう一つ、一般常識、コモンセンスというものを養うことによって、これを判断の武器とする、ということです。
 この二つを持っていれば、進歩的と称される報道機関などによる歴史の捏造からくる巧妙な罠を見抜くことも可能となります。
 
 そして的確な判断を下すための究極の判断力は、回り道のようですが、御言葉の正しい解釈と、主なるイエス・キリストの心を探ることによって、自然に身についてくるのです。
なぜならば、「真理」こそが私たちを自由へと解放するからです。
 
「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』」(ヨハネによる福音書8章31、32節 152p)。
 
このイエスが強調する「真理」(32節)とは「真実」という意味でもあります。大事なのは「真実」です。
「真実」こそが私たちに「自由を得させ」(同)、真の「自由を」保障する力となるのです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-07-27 16:14:15 (1731 ヒット)
2014年礼拝説教

2014年7月27日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む 神の言葉は純金よりも慕わし 
 く、蜂の巣の滴りにもまさって甘い」
 
詩篇19篇7〜14節 旧約聖書口語訳763p
 
 
はじめに
 
航空機事故は悲惨の一語に尽きます
航空機の安全対策は、運航する会社はもとよりのこと、国もまた念には念を入れた対策をとっている筈ですが、それでも事故が起きてしまいます。そして航空機事故の特徴は、ひとたび起きれば乗客、乗員のほとんどが犠牲になってしまうことです。
 
今年に入ってからも世界各地で、痛ましい事故が相次いで起こっています。
三月十八日には乗客、乗員二百三十九名を乗せて北京に向けてクアラルンプールを飛び立ったアレーシア航空のボーイング777が、消息不明となったその後、海上に墜落をしたということでした。事故の原因は不明のままです。
 
七月十七日には同じマレーシア航空のボーイング777が、クアラルンプールに向けてオランダのアムステルダムを飛び立ったあと、ウクライナ・ドネツク州の上空を飛行中に、親ロシア派武装勢力によるとされるミサイル攻撃よって撃墜され、乗客、乗員計二九八名全員が死亡したとされました。
 
そして先週の七月二十三日、台湾の高雄から澎湖島(ほうことう)に向かっていたトランスアジア航空の双発プロペラ機が、台風の影響からか、着陸に失敗して民家に墜落し、乗客、乗員五十八名中、四十八名が死亡したとのことでした。
 
更にその翌日の二十四日、西アフリカのブルキナファソからアルジェリアに向かったアルジェリア航空機が、隣国のマリに墜落した模様で、搭乗している乗客、乗員百十六名は全員死亡したものとされています。
 
この四件で、何と七百名もの人が亡くなってしまいましたが、その背後には突然の悲劇を嘆く数千、数万の人々が存在します。亡くなった方々、そしてその遺族の方々を神が顧みてくださいますように。
 
航空機事故のニュースを聞くと思い出す事故があります。七年前に起きた高知空港における全日空のプロペラ機、ボンバルディア機の胴体着陸事故です。
事故機のボンバルディア機はカナダ製で、事故が多発することで有名なプロペラ機です。
 
七年前の三月のある日のこと、午前十時半頃だったでしょうか、休憩しようとして何気なくテレビをつけたところ、テレビ画面に物々しい雰囲気で映っていたのが空港と、その空港の上空を旋回している飛行機でした。四国の高知空港でした。
 
その日の朝、伊丹から高知空港に向かった全日空のボンバルディア機に、前輪が出ないという故障が発生し、そこで着地の際の衝撃で前輪を出すべく、何度かタッチ・アンド・ゴーを行ったが成功せず、そこで上空を旋回しながら燃料を消費している、とのことでした。
 
同機は最終的に、機長の判断で後輪による胴体着陸を敢行し、この試みが成功したため、乗客、剰員共怪我を負う者もなく、全員無事という最善の結果となったのですが、空港上空の旋回から胴体着陸の決行までがテレビで生中継されていたというわけでした。
 
その後の報道によってわかったことは、機内をパニックから守ったのは、逐次、客室に流されていた機長の言葉だったとのことでした。
 
特に着陸直前の機長の機内放送は、乗客によりますと
「燃料の残りが10分ほどになりました。(そこで)胴体着陸を試みます。もう一度申し上げますが、私は(こうした状況に備えて)多くの訓練をしてきました。安心してください」
というものであったそうで、これで皆がパニックに陥ることもなく、着陸後、全員が無事に機外に出ることができたのだということでした。
 
この見事な緊急着陸操作を行ったのは、今里 仁という名の三十六歳の機長で、その沈着冷静な判断と自信に満ちた言葉、とりわけ、「こういう時のために訓練を重ねてきたから大丈夫」という裏付けのある言葉が、危機の中で乗客の一人一人を落ち着かせることとなったということでした。
 
裏付けのある言葉には力があります。況してや全知にして全能の神のみ言葉はどうでしょうか。
主なる神のみ言葉は人の言葉を超える力ある言葉として私たちを支え、平安と安心へと導きます。 
 
そこで今週の「詩篇を読む」の第七回目では、主なる神のみ言葉の慕わしさ、言葉に言い表すことの出来ない甘やかさについて、第十九篇からご一緒に分かち合いたいと思います。
 
 
1.主なる神のみ言葉は、純金よりも慕わしく、また蜂の巣の滴(したた)りよりも甘い
 
江戸時代、関西では金よりも銀が珍重されたようですが、関東では金の方が価値が高かったようです。その江戸時代、財政難に苦しんだ徳川幕府が取った秘策は、小判の改鋳によって金の含有量を減らし、それによって逼迫した財政を再建しようとしたことでした。
 
その典型例が十七世紀末の小判の改鋳で、慶長小判二枚に灰吹き銀といわれるものを混ぜて、これを三枚の小判、いわゆる元禄小判に改鋳したことでしょう。この詐欺?にも似た政策の結果、一時的ですが幕府の財政は潤うこととなります。しかし、金の含有量が少なくなった新しい小判の価値もまた、下落することとなったそうです。
 
何はともあれ、「金」は昔も今も、そして洋の東西を問わず、人の心を惹きつけるようですが、とりわけ「純金」は人の心が慕う最たるものであるようです。
 
ところで、現代は糖分過多の時代で、糖分の摂取過多による病気が警戒されていますが、江戸時代の日本では糖分はとりわけ貴重であって、その貴重な糖分を含んでいる果物が柿であった、ということを以前、ラジオのNHK第一放送で聞いたことがあります。
 
古代ヘブライの民にとっても、誰もが渇望してやまないものが果物から取れる「蜜」であり、「蜂の巣」からとれる蜂蜜でした。でも、これらにまさって慕わしく、また甘美なものがあると、詩人は告白します。
 
「これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い」(詩篇19篇10節 旧約聖書口語訳763p)。
 
 誰もが欲しがる「金よりも、多くの純金」(10節)すなわち、混じりけの無い金「よりも慕わしく」(同)感じられるもの、また果物の「蜜よりも、蜂の巣」(同)から採取される純粋な蜂蜜よりも甘美に感じられる「これら」(同)のものとは何かと言いますと、それは主なる神のみ口から語られるみ言葉でした。
 
詩人はそれを「主のおきて」あるいは「主のあかし」と呼んでいます。
 
「主のおきては完全であって、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする」(19篇7節)。
 
「主のおきて」(7節)と、ここで「おきて」と訳された言葉は、原語では「トーラー」です。
「トーラー」は狭い意味では「律法」つまり、旧約聖書の最初の五巻である創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の「モーセ五書」を指しますが、広い意味での「トーラー」は神の教えのすべてを意味しました。
そして、「主のあかし」(同)も「主のおきて」とほぼ同じく、広い意味での律法を指しました。
 
「金」や「純金」が象徴する社会的成功も、また、「蜜」や蜂蜜が代表する生産的豊かさも、それらは神からの恵みであり、賜物です。
もしもそれらの成功や豊かさを受ける境遇に現在、いるのであれば、それを神からの賜り物として感謝して受け取りもし、また享受もすればよいのです。
 
ただし、それらにまさって「慕わし」(10節)く、また甘美なる賜物があることを忘れてはなりません。それが「主のおきて」(7節)であり「主のあかし」(同)すなわち、主なる神のみ言葉なのです。
 
先々週の礼拝説教(詩篇を読む 神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる)で、成功者として贅沢な暮しをすることができる環境にありながらも、敢えてその生涯を清貧に甘んじつつ生きた、韓国・永楽教会の創設者であった故韓景職(ハン・ギョンジク)牧師の話を紹介しましたが、韓牧師にとっては主のみ言葉こそが「金よりも、純金よりも慕わしく、蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い」(10節)と、いつも感じられるものでなかったのかと想像するのです。
 
韓牧師が宗教界のノーベル賞とも言われている「テンプルトン賞」を受賞した時、その一億円にもなる賞金を惜しげもなく北朝鮮伝道に献金し、その際、「自分は一分間だけ、億万長者になった」と言って笑ったという逸話を紹介しましたが、その韓牧師が九十八歳で亡くなった時に、自分名義の土地も無ければ一冊の預金通帳もなく、「彼が遺したものは、数着の衣類の他は、四十年余り使用した一人用のベッドとメガネ、そして愛用の聖書だけだったという」(浅見雅一・安 廷苑著「韓国とキリスト教 いかにして国家的宗教″になりえたか」169p 中公新書)との同書の記述を思い返しました。
 
改めて思うのは、「彼が遺したもの」である「愛用の聖書」を「四十年あまり使用したメガネ」で読んで、主なる神のみ言葉を切に「慕わしく」(7節)思い、また「甘い」(同)と感じつつ、やはり「四十年余り使用した一人用のベッド」で、愛する主の身許へと逝ったのであろうという想像であって、一度も会ったことがないにも関わらず、この韓牧師という人をなぜか、ただただ懐かしく想ってしまうのです。
 
 
2.なぜなら主のみ言葉が魂で聞かれるとき、それは人をして神の恵みへと解き放つから
 
ではなぜ、主なる神のみ言葉が、慕わしくまた甘やかであるのでしょうか。
七年前の高知空港におけるボンバルディア機の場合、一歩間違えれば、大惨事になるような機体の故障でした。
 
私もかつて何度か伊丹と高知空港を往復したことがありますが、その時は確か「YS−11」という国産機であったと思います。
このカナダ製のボンバルディア機は「YS−11」と同サイズであるということから、耐用年数の来た「YS−11」の後継機として採用されたようですが、とにかく事故が多い機体なのだそうです。一方、「YS−11」は改造されて今も航空自衛隊で、電子偵察機として使用されているすぐれものです。
 
七年前、事無きを得たのは、技量の確かな機長の判断と、適切な時にアナウンスされた機長の言葉にありました。
機長の言葉は乗客を不安感から解放して、安心感を与えるという効果がありました。
 
主なる神のみ言葉、つまり「主のおきて」(7節)「主のみおしえ」(同 新改訳)には、人を囚われから解き放つという効能があるのです。
 
とりわけ、心に咎めを持っている者にとっては、心の重荷、過去の記憶からの解放は、どうしても必要なものでした。ですから詩人は祈ります、「失敗の過去から私をお救いください」と。
 
「だれが自分のあやまちを知ることができましょうか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください」(19篇12節)。
 
 ここに「あやまち」(12節)、「とが」(同)という言葉が出てきます。「後悔、先に立たず」という言葉がありますが、良心的な人ほど、その時には気付かず、後になってから「自分は良くないことをした」「あれは悪いことだった」と気がつく場合があります。
 
まわりは言うかも知れません、「仕様がない、これから気を付ければいい」と。しかし、ゆるせない者がいます、自分です。良心が敏感な人ほど、自分のかつての「あやまち」(同)、「とが」(同)をゆるすことができません。
 
 胃カメラは日本人が開発したということをご存じでしょうか。東京大学病院の若き外科医であった宇治達郎(うじたつお)がオリンパス光学の技師であった杉浦睦夫と協力して、世界で初めて、胃の中を覗くことに成功し、これによって胃癌による死亡率を劇的に低下させることに成功したのでした。
 
昭和二十五年のことでした。以前、NHKの「プロジェクトX」において、その苦労の様を視聴して、非常な感動を覚えたことを思い起こします。
 
開発から六十数年が経ち、内視鏡も劇的に進歩しています。今はチューブを鼻から入れる胃カメラもあるそうで、口からよりはずっと楽なのだそうです。
もしも胃カメラを「のむ」事態になったならば、鼻からのものをお勧めします。
 
胃カメラは正確には「上部消化管内視鏡」というそうで、食道、胃、十二指の内部を精密に検査して、病変を発見してくれるのですが、「主のおきて」つまり主のみ言葉は、胃カメラがそうするように、人の心を調べて問題箇所を教えてくれると共に、更に問題に対して、対応する知恵も方策も教えてくれるのです。
 
解放という場合、二つの要素があります。一つは「〜からの解放」ということ、そしてもう一つが「〜への解放」です。
 
「また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように」(19篇13、14節)。
 
主のみ言葉には知恵があり、癒しがあり、赦しがあり、それが人の魂に届き、また神の言葉として聴かれる時、人は「不安や恐怖から」「神の恵みと平安へ」と解き放たれると共に、ついには「口の言葉と、心の思い」(14節)までもが、神の「前に喜ばれ」(同)る程に整えられるに至るのです。
 
 
3.また、主のみ言葉が慕わしくまた甘やかなのは、それが人の魂を生き返らせてくれるから
 
 意識の底、記憶の陰に隠れていた「あやまち」、知らず知らずに犯していた「とが」から解放された時、人はさらに、魂が生き返るという経験に導かれます。それが七節から九節までの記述です。
 
「主のおきては完全であって、魂を生き返らせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 
「主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼(まなこ)を明らかにする」。
 
「主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい」(7〜9節)。
 
 主の「あかし」(7節)も「さとし」(8節)も「戒め」(同)も、そして「主を恐れる道」(9節)も「さばき」(同)もすべて、「主のおきて」(7節)の働きや効用を意味するものであって、主なる神のみ言葉を愛し、信頼する者をどのように生かすかという角度や側面を強調した言い回しです。
 
 言葉には語る者の気持ちが表れます。七年前の高知空港胴体着陸事故の機長の場合、最後のアナウンスには、「乗客と乗員の生命と安全は何としても自分が守る」というこの機長さんの気持ちと決意が溢れていましたが、主のみ言葉とは何かというならば、人類に対する神さまの決意、個々人に対する神さまの気持ち、つまり、「何としても苦悩している者を救うのだ」という神さまのお気持ちが溢れたものであると言えます。
 
キリスト教の歴史において、中世から近世にかけての偉人がマルティン・ルターなら、古代における偉人はアウグスティヌスでしょう。
アウグスティヌスは四世紀半ば、北アフリカ(現在のアルジェリア)に生まれましたが、放蕩三昧の生活に行き詰まる中、人生の正道に戻るのですが、そのきっかけとなったのがミラノに滞在中、隣家から聞こえてきた「トレ、レゲ、トレ、レゲ」という子供の歌声でした。
 
「レゲ」とはラテン語で「読め」を意味し、そして「トレ」は「取れ」なのだそうです。彼はそれを聞いたとき、「聖書を取り、それを読め」という意味に受け取り、そこで開いた箇所がローマ人への手紙の十三章十三,十四節であったというわけです。
それはアウグスティヌスが三十二歳の時、西暦三八六年のことでした。
 
わたしはそれ(註 聖書)を取り、開き、最初にわたしの目に止まった章句を無言で読みました。
「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、主イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を満たすことに心を向けてはならない』。
わたしはこの先を読もうとは思いませんでしたし、またその必要はありませんでした。
というのはこの節を読み終えるやいなや、平和の確かな光のようなものが、わたしの心に注ぎ込まれ、すべての疑いの闇が消え去ってしまったからです(宮谷宣史訳「アウグスティヌス著作集5/1告白録(上)437、8p 教文館)。
 
 まさに主のみ言葉が、この場合はローマ人への手紙の一節が、死んだも同然のアウグスティヌスの「魂を生き返らせ」(7節)てくれたのです。
私たちもいま、改めて開いて読んでみたいと思います。
 
「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」(ローマ人への手紙13章13、14節 新約聖書口語訳250p)。
 
回心した彼はその後、精進に精進を重ねて当代一流の思想家、神学者、説教者、監督として、時代の人々の信頼を得る者となり、危機に瀕していた古代キリスト教会そのものを「生き返らせ」る偉大な指導者となったのでした。
 
なお、ここでいう「魂」(7節)とは、肉体に対する霊魂というような狭い意味ではありません。それは人の持つ知性、意識、感情、深層心理そして肉体などの、いうなれば人の存在そのものを意味します。
 
主なる神のみ言葉が、金や純金に勝って慕わしいものとなり、蜜や蜂蜜の滴りにも勝って甘やかなものとなるのは、それが人の「魂」、その全存在をを根底から揺さぶり、根本から「生き返らせ」(同)てくれるからなのです。
 
どうぞ、神のみ言葉の解き明しである教会での説教を、優先的に聴くことを心掛けてください。また朝ごとに、あるいは夕ごとに、個人的に神の言葉を読んで、これを魂の糧(かて)としてください。
 
続けていれば、神の御言葉はますます「金よりも、多くの純金よりも慕わしく」(10節)思えるようになり、また「蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘」(同)く感じられるようになるに違いありません。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-07-20 16:07:39 (2963 ヒット)
2014年礼拝説教

14年7月20日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む 涙の谷を過ぎる時も、其処(そ      こ)を泉の湧く所とする」

詩篇84篇5〜7節 旧約聖書口語訳822p

 
はじめに
 
わたしたちの教会のエネルギー源は専ら、電気と都市ガスですが、原発停止と関連して、電気料金もガス料金も確実に値上がりをしております。
 
電気の場合は原発が停止していることから、化石燃料を使う火力発電の比重が上がっているからで、ガスの方も、足元を見られて高価な液化天然ガスを輸入せざるを得ないという事情によるそうです。
 
エネルギーをどのように確保するかという問題は、一般家庭はもとより、中小企業、とりわけ零細企業にとっては死活的に重要です。
そういう中で、鹿児島県の九州電力川内(せんだい)原発の一号機と二号機について、原子力規制委員会が「新規制規準に合格している」との審査事案を了承しました。
これによってこの秋にも川内原発の再稼働が可能となるかも知れません。
 
では関西の場合はどうかと言いますと、先ごろ行われた滋賀県知事選において、「卒原発」を主張する候補者が当選したこともあって、停止している関西電力の原発が再稼働する見込みは当面、ないようです。 
 
原発を巡っては様々な意見がありますが、エネルギーをどのように確保するかという問題が我が国にとって喫緊の課題であるということは、反対派も推進派も等しく共有している筈です。
 
エネルギーは産業の発展のため、そして国民の日常生活の維持のために必要不可欠なものですが、一方、人というものが精神的に力強く生きるためにも、力、とりわけ心的エネルギーというものが必要です。
 
先週の礼拝では、幸いな人とは神のすまいにおいて、神を誉め称える人であること(詩篇84篇4節)、また神に信頼する人であるということを確認しましたが(13節)、今週は更に、幸いな人とは、神との交わりを以て生きる力の源泉とする者であるということを確かめたいと思います。
そのような人は人生の途上、涙の谷、嘆きの谷を通る時にも、そこを命の泉、喜びの泉の湧く所とすることが出来るからです。
 
 
1.主なる神との不断の繋がりを以て生きる力の源とする人は、幸いな者と称(とな)えられる
 
 詩篇八十四篇の作者は、遠い異郷の地から遥かにエルサレムを思いながら、「神のすまい」の慕わしさを詠みましたが、五節からは自らをエルサレムの都を目指す巡礼に置き換え、そのエネルギーの源を神に据えて、その神との交わりの中を生きる者の幸いを強調します。
 
「その力があなたにあり、その心がシオンの大路(おおじ)にある人はさいわいです」(詩篇84篇5節)。
 
情景としては、地方からエルサレムの都を目指す巡礼の姿が想像されます。
古代イスラエルでは、民は年に三度、エルサレム神殿を中心として行われる祭に参加することが義務付けられておりました。
 
「あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。…男子はみな、年に三度、主なる神の前に出なければならない」(出エジプト記23章14、17節)。
 
義務と言いますとすぐに強制、という言葉を頭に浮かべる人がおりますが、イスラエルの場合、祭への参加という義務は、民にとっては、自分たちが神の民であり、神から特別な愛顧を受けている民であるという喜びを噛みしめる機会であり、大いなる神を礼拝し讃美することが許されている特権と名誉を確認する行為であったのです。
 
それが五節の告白でした。「その力があなたにあり」(5節)とは、その力の源泉を無限の力を持った神に置くということです。
 
本格的な暑さが日本列島を襲っています。どなたも熱中症対策には万全を期してください。
二、三日前の新聞の連載マンガが秀逸でした。幼稚園児の孫が祖父母に向かって「ちっちゃいおまめとすいぶん、えんぶん、とってくださいね」と言うのですが、二人は「ちっちゃいおまめ?」といぶかしげな顔。
そこで孫が二人に説明をします、「ねっちゅーしょーよぼうですよ。幼稚園のもも先生が言ってました」
 
これを聞いた祖父は「新情報かな?」、祖母は「初耳ですね」とますます困惑状態なのですが、実は園児たちにもも先生が言ったのは、「こまめに水分と塩分を」でした。それを孫が「こまめ? ちっちゃいおまめですね」と思い込んだというわけです。何ともほほえましいマンガでした。
 
皆さま方もどうぞこの夏も、水分と塩分とを「こまめ」に摂って、熱中症予防に努めてください。
 
酷暑の夏を乗り越えるためには、エアコンが欠かせません。近年、エアコンの普及でお年寄の熱中症による死亡率が下がっているそうですが、その文明の利器であるエアコンがきちんと作動するのは、エネルギーがそこまで来ている差し込み口にプラグを差し込むからです。
 
神との関係も同様です。私たちは信仰によって神と繋がっているからこそ、神の力を受けることができるのです。その辺の消息を述べているのが五節の後半「シオンの大路にある人はさいわいです」という告白です。
 
口語訳と新改訳の五節には「シオンの」とありますが、新共同訳にはありません。原文は「大路」だけです。
「大路」とは障害物のない広い道を意味します。
 
神殿への巡礼という背景から想像すると、この「大路」は巡礼がエルサレム神殿に詣でるための道、礼拝の道を意味すると考えられます。そこで聖書の訳者たちは「シオンの」(口語訳)、「シオンへの」(新改訳)という言葉を補ったのでしょう。
 
そもそも要害を意味する「シオン」とは、ソロモンの神殿が建てられた丘の名称だったのですが、次第に神殿すなわち「神のすまい」そのものを指すようになりました。
ですから「シオンの大路」とは主なる神にお目通りをするために往く道、礼拝の道、祈りの道、讃美の道を意味するようになったのでした。
 
実はこの詩篇八十四篇は、七年前にも礼拝説教で取り上げた箇所なのですが、その際、二十九歳という若さで亡くなったクリスチャン詩人の八木重吉が作った「祈(いのり)」という短い詩を、七年前にはここにいらっしゃらなかった方々のために、改めてご紹介したいと思います。
 
 八木重吉は現在の筑波大学に在学中に洗礼を受け、卒業後、英語の教師をしながらキリストへの信仰を中心とした詩作を次々に発表するのですが、体が病魔に蝕まれて、二十九歳と八カ月で妻と幼い二人の子供を残して、天へと召された人でした。
 
           祈(いのり)
 
       ゆきなれた路(みち)の
       なつかしくて耐(た)えられぬように
       わたしの祈りの道をつくりたい 
わがよろこびの頌歌(うた)はきえず 
八木重吉の詩と信仰 14 いのちのことば社
 
 「シオンの大路」(5節)は、八木重吉にとって彼がつくりたいと願った「わたしの祈りの道」と重なります。
神との交わり、神との会話という「祈りの道」がとにかく「なつかしくて耐えられぬよう」な、そんな「ゆきなれた路」となることを願った詩が、この「祈(いのり)」というタイトルの詩だったのでしょう。
 
詩篇の作者を思い、そして八木重吉に倣いながら、楽しい時もつらい時も神に祈ったという思い出の詰まった祈りの道を、私たちもまた、朝ごとに夕ごとにつくり続けていきたいものです。
 
昔も今も、生ける神との不断の交わりを以て、それを生きる力の源とする者は、幸いな者と称えられるのです。
 
 
2.主なる神を力の源泉とする人は、涙の谷を通る時にも其処(そこ)を泉の湧く所とする
 
旅行が趣味、という人が増えてきました。実際、国内旅行に限っていえば、日本ほど安全な旅行環境が保持されている国はありません。
 
旅行には危険がいっぱいです。旅客機がミサイルで撃墜されるような事態も決して他人事ではありません。旅は危険に満ちていますので、自分の子供が国外で旅行をしている間、親は気が休まらないものです。況してや凶悪な事件の続発が報道されている地域などを旅している場合には気が気でありません。
女性の方がインドや韓国に行く場合は特に気をつけてもらいたいと思います。
 
二十一世紀の現代でもそうなのですから、古代イスラエルにおいては、旅は危険や不便と隣り合わせでした。
シオンという神の住まいを目指す心躍るような旅であっても、旅の苦労は付きものでした。とりわけ、旅には渇きが難敵であったようです。
水は通常、谷を流れています。そこで旅人は水を求めて谷に降ります。
 
しかし、やっとの思いで谷底に下っても、水を見い出せない事もしばしばであったようです。
詩人はそのような体験から巡礼たちについて、通常であるならば、「神はどこにいますのか」と嘆きたくなるような水なき谷をも、彼らはそこを泉の湧く所とする、と言い切ります。
 
「彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のあるところをします。また前の雨は池をもってそこをおおいます」(84篇6節)。
 
 「バカの谷」(6節)とありますが、これは正確には「バーカーの谷」です。「バーカー」とはバルサムの木のことだそうで、この木が乾燥した所にしか生えないということから、「バーカーの谷」という表現によって、水のない乾き切った所、誰もが涙を流して嘆きながら通らざるを得ない、言うなれば人生の難所とでもいうべき状況を指し示したものだと思われます。
 
しかし、そのような「涙の谷」(文語訳、新改訳)、「嘆きの谷」(新共同訳)であっても、人と同行してくださる主なる神により、乾いた魂を根底から潤し生かす命の泉の湧く所に変えられるのだと詩人は告白をします。
 
それはすぐにではないかも知れません。忍耐の時が必要かも知れません。
 しかし、「涙の谷」、「嘆きの谷」は「泉」がこんこんと湧くところとなる、それは詩人の体験でもありました。
なぜならば、「前の雨は池をもってそこをおお」(6節後半)うからでした。
 
それは具体的には「前の雨」といわれる雨によってでした。パレスチナは雨がまったく降らない乾季という時期を経て、十月の末から十一月にかけて秋の雨が降りました。この秋に降る雨が「前の雨」です。
この雨が降ることによって干乾びていた土地は、種まきの準備をすることができるようになるのでした。
 
巡礼の旅はまさに人生を表し、私たちの信仰生活を象徴しているといえます。
人生には問題のない快適な日々だけがある、というわけではありません。
行き詰まる時があり、自分は神に見捨てられたのではないかと思いたくなるような気分になる日もあります。「もう駄目だ」と降参して人生を投げ出したくなるような局面に遭遇する場合もあります。
 しかし、詩人は告白します。「嘆きの谷」は「泉の」湧く所となる、なぜならば、「前の雨」が池のようにそこを覆うからである、と。
 
クリスチャン新聞福音版の八月号「ひと そのあしあと」に、向日(むかひ)かおりさんというゴスペルシンガーの証しが掲載されております。
この人は日本を代表するゴスペルシンガーだそうですが、心理的には波乱万丈の歩みであったようです。
 
彼女が小学校に上がる頃、一家は鳥取から大阪に引っ越しますが、父親が「巨人の星」の星一徹みたいな人で、常に「人を信じるな、蹴落とせ」と言い続ける人だったそうです(因みに「巨人の星」の原作漫画は「週刊少年マガジン」で1966年から連載が開始されました。私は当時、聖書学校に在学中でしたが、欠かさず読んでおりました。アニメの放映は1968年からで、星一徹の頑固一徹ぶりは卓袱台返しで有名です。しかし一徹が息子に向かって「人を信じるな、蹴落とせ」と言ったという記憶はありません。でも、向日さんにとってはお父さんのイメージが星一徹と重なったのでしょう)。
 
この父親の強烈な言動のために、彼女の心も荒み、そして徐々に壊れて殺伐としていき、高校生の時には摂食障害に苦しむようになったようで、ついには、大阪教育大学特設音楽課程を卒えて入団した合唱団で行ったヨーロッパ演奏旅行において、死ぬ決意をするに至ります。
  
彼女は、登ったスイスの山において自殺を決行すべく、その山の上の崖から身を乗り出したその時に、背負っていたリュックが木の枝に引っかかり、その瞬間、「神さまが『行くな』って言ってる」と思って、我に返り、恐怖が突きあげてきて、「神さま、助けて! 死にたいと言ったのはうそです! ごめんなさい! 私は生きたいです!」と叫んで山を一気に駆け下ってきたそうですが、この時が「神の存在が心底わかったとき」であって、それは「死のベール」が破れて、闇から光に方向転換した体験であったとのことでした。
 
向日さんはこのことがきっかけで、「人は生きたい存在だから、希望を与えてくださる神がそこにいることを肌で感じられる歌を歌いたい」と思うようになり、それもあって、クラシックからゴスペルシンガーに転身をした、ということでした。
 
この人はまさに人生の「涙の谷」において神と出会い、そこを泉の湧く所に変えられた人であり、だからこそ、今、「嘆きの谷」を歩いている人に、ゴスペルで神を伝えることを使命としているのでしょう。
彼女にとって「『歌う』ことのスピリット」とは「愛の神さまを礼拝すること」なのだそうです。
 
 愛の神を礼拝すること、それが私たちにとっても力の源です。
 
 
3.主なる神を力の源泉とする人は、主なる神から勇気と力を注がれながら人生の最終ゴールへと向かう
 
 目的地のない旅行というものもあるかも知れません。しかし、通常、旅行には目的地があり、ゴールがあります。
そして信仰の旅路にもゴールがあります。シオンに向かう旅人の場合も最終ゴールは神の住まいである「主の大庭」(1節、10節)において、神に見(まみ)えることでした。
 
「彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう」(84篇7節)。
 
 古代ヘブライの宗教の喜びは神殿における礼拝と祭儀にありました。すなわち、生贄(いけにえ)を捧げて神を礼拝すること、具体的には捧げた生贄の一部を下げ渡されて神殿の大庭で会食をすることでした。
そしてそこに目に見えない神が臨在して、礼拝者と食を共にしてくれると考えられていました。
 
 しかし、ソロモンの神殿は破壊炎上してしまいました。紀元前五八七(六?)年のことです。その後、バビロン捕囚から帰国した帰還民によってシオンの丘に神殿が再建されました。紀元前五一五年のことで、ゼルバベルの神殿、第二神殿と呼ばれるものです。
それは往時を知る者にとっては何ともみすぼらしい神殿でしたが、とにかく、そこで礼拝と生贄の奉献は再開されました。ヘブライの宗教がユダヤ教として再編されるのもこの時期からです。
 
そして時代が過ぎて、紀元前一世紀の終わり、ローマ帝国からユダヤ王の称号を授けられたヘロデ大王が、神殿の修復に乗り出しました。ユダヤ人とイドマヤ人のハーフであったヘロデ王の動機には、ユダヤ人の歓心を買おうとする計算があったとのことです。
 
ヘロデ王によって改修された神殿は、イエスの時代にはソロモンの神殿をしのぐような豪華絢爛たる神殿として再生しました。しかし、その神殿も西暦七十年、ローマ軍によって破壊され、燃やされてしまい、以後、神殿は無いままです。
 
 ではどうしたら人は神殿の無い状態で「神々の神にまみえる」(7節)ことができるのでしょうか。また、礼拝の必需品である罪の赦しのための生贄はどうしたらよいのでしょうか。
 
 西暦三〇年四月、イエス・キリストがユダヤ当局との軋轢の末に、不法な裁判により十字架に架けられて殺されました。しかし、その死こそが神への礼拝を完成させる生贄であったのです。
 
「だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである」(ヘブル人への手紙13章12節 新約聖書口語訳358p)。
 
 「門の外」(12節)とはエルサレム郊外のゴルゴタの丘にある刑場を意味します。
 
そこでイエスは人類の罪のための身代わりの犠牲となられたのでした。ですから、永遠の効力を持つ生贄はすでに捧げられているのです。
では、今日、私たちが礼拝において捧げるべきものは何か。罪の赦しのための生贄はもはや必要ありません。では何をもって神の前に出るべきかと言いいますと、それは「イエスは私の主である」という告白であって、それをヘブル人への著者は「さんびのいけにえ」であるとしました。
 
「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか」(13章15節)。
 
 「さんびのいけにえ」(15節)とは、単に口先で讃美歌やワーシップソング、ゴスペルなどを歌うことを意味するものではありません。後に続く「すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を」(同)という著者の説明が重要です。
 
「彼の御名をたたえるくちびるの実」とは、「イエスは私の主である」「イエスこそ我が贖い主である」という信仰告白のことです。ですから、「さんびのいけにえ」とは、この告白を内容としたものであることになります。
 
そういう意味において、ゴスペルや教会音楽が一般の音楽活動と違うところは、「イエスは主である」という告白の有無にかかっているといえます。
向日かおりというゴスペルシンガーさんがゴスペルを歌う意味は、そこにあるといっても過言ではないでしょう。
 
しかし、「さんびのいけにえ」とは音楽だけを意味するのではありません。ヘブル人への手紙の著者は、それは「善を行うことであり、それを具体的に言えば、自分の持ち物を、恵まれていない人に役立てることである」と言います。
 
「そして、善を行うことと施しをすることを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる」(13章16節)。
 
 前半を直訳すれば「善行と施しを」ですが、接続詞の「と」を「すなわち」として、「善を行うこと、すなわち施しをすること」と読むこともできます。 
「施し」とは「自分が持っているものを持っていない人に分かち与えること」を意味します。
 
 話は変わりますが、ブラジルにおけるサッカーワールドカップ決勝を、十四日月曜の早朝、眠い目を擦りながら四時に起きてテレビで観戦しました。私は心中、メッシが率いるアルゼンチンを応援していたのですが、勢いのあるドイツの勝ちで終わりました。
 
 それはそれでよいのですが、その数日後、ドイツ国内で行われた優勝セレモニーで、選手たちがした「ガウチョ・ダンス」なるものが人種差別ダンスとして非難されました。
  「ガウチョ」とはアルゼンチンのカウボーイという意味だそうで、ベテランのクローゼや決勝点をあげたテッツェなど六人の選手たちがまず、肩を組んで腰を屈めた姿勢で「ガウチョはこう歩く」と歌い、次に背を伸ばして「ドイツ人はこう歩く」と歌うこと、数度に及んだ、それが人種差別パフォーマンスだというわけです。
 
 しかし、この歌とダンスは、ヨーロッパのサッカー界では勝者がよくやるパフォーマンスで、人種差別を意図したものではないようです。ただ、敗者をバカにしていることは事実で、負けた側はいい気がしないことは確かでしょう。
 
 そう考えますと、日本の大相撲では勝った力士がガッツポーズをしないのは負けた力士への配慮からであると聞いたことがありますが、敗者の健闘を称えることを伝統とする国民性の違いと言えるかもしれません。
それにしてもサッカーの試合におけるゴールのあとの選手の大仰な喜びようは、私だけかも知れませんが見るたびに不快で、何とかならないものかと思ってしまいます。
 
 メッシの話です。メッシはその佇まいが常に物静かで、ひょっとするとメッシは日本人なのでは?と思ってしまうくらいで、それもメッシを贔屓する理由の一つなのですが、もっと大きな理由は、メッシが難病の人々を救済する目的で「レオ・メッシ財団」という財団を設立したことを知ったからです。
 
 彼自身、成長ホルモンの異常という難病に悩まされていた少年時代に、彼のサッカーの特別な才能を認めたスペインのサッカークラブ、「FCバルセロナ」が、難病のための治療費と、彼の家族のスペイン移住の費用を全額負担して彼を受け入れてくれたという事実があり、その後、治療の効果が出て、彼は一流の選手に成長していくわけですが、その経験が難病で苦しむ人々の救済を目的とした財団の設立となったようです。
 
 つまり、「自分が持っているものを、それを持っていない人々のために役立てる」という「施し」(16節)を、メッシは実践しているというわけです。
 
 メッシが「FCバルセロナ」から他のクラブに一度も移籍していないのも、「涙の谷」を通った苦難の時期に彼を丸ごと引き受けてくれた「FCバルセロナ」に恩義を感じてのことであるのであれば、ますます、日本人的であると言えるかも知れません。
 
何はともあれ、私たちの巡礼の旅は、神を力の源泉としつつ、その神から力と勇気をもらいながら、確実に最終のゴールへと向かいます。
生贄はすでに捧げられているのですから、後は感謝に満ちて「力から力に進み」(7節)、すなわち力の限りを尽くして「シオンにおいて神々の神にまみえる」日を目指して前進すればよいのです。
 
そして、感謝なことにその過程においても、キリストの仲立ちで、そして聖霊なる神の働きにおいて「神々の神にまみえる」ことは、今日、いつでもどこででも私たちには可能となっているのです。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-07-13 16:40:35 (2040 ヒット)
2014年礼拝説教

14年7月13日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む 神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる」

詩篇84篇1〜4、10〜13節旧約聖書口語訳822p

 
はじめに
 
四月に韓国で起きた旅客船の痛ましくもおぞましい転覆事故(事件?)から、間もなく三カ月が経とうとしています。
 
三百人を超える犠牲者を出したこの人災あるいは官災とも称される悲惨な事故と、事故への対応へのひどさを目の当たりにした彼の国の多くの人が、出来ればこの国から脱出をしたいという気持ちになったのではないかと、礼拝説教の中で言いましたが(4月27日 日曜礼拝説教「最重要事項として伝えられたもう一つのこと、それはキリストが予告通り、三日目によみがえること(後)霊魂の不滅か、死者の復活か」)、その推測が当たっていることを、毎日経済新聞という韓国の報道機関が今月の一日に報じたとのことです。
 
 中国関連の時事を日本語で日本国内向けに発信している「レコードチャイナ」というニュースサイトが七月十日に配信した記事です。
タイトルは「韓国でも嫌韓ブーム?10人に6人が『国を出たい』=韓国ネット『呪われた国』『金さえあれば韓国が最高』」です。
 
2014年7月9日、日本ではかつて一世を風靡した「韓流ブーム」から一転、今や連日のように日韓の関係悪化がメディアをにぎわしており、「嫌韓」の流れが強くなっている。しかし、これは日本だけの現象ではない。なんと、韓国国内では自国を嫌う国民が増加しているという。
1日、韓国・毎日経済新聞は『10人中6人が韓国を出たいと思っている』という記事を掲載した。これが先週1週間にSNS上で最も話題になったニュースだという(2014年7月10日配信「レコードチャイナ」)。
 
記事があげている、韓国の人々の多くが国を出たいと思っている主な理由は四つです。
 
(韓国民が)韓国を出たいと考える理由としては、「貧富の格差の深刻化(14、2%)」「政治家・官僚の非道(10、1%)」「競争・序列社会の激化(6%)」「所得の低さ(5、7%)」が挙げられている(上掲)。
 
 国民の六割もの人々が「国を出たい」と願っている国は、まさに異常な国といえますが、この記事に対するネットユーザーの反応も紹介されています。
 
「韓国のような国には住みたくない。正義が無視される国に希望なんてない」
「簡単に言えば、呪われた国ということだろ。この腐った国にこれ以上何かを望むのはぜいたくなことだ。本当にどこか静かに暮らせる所はないのか?汚い国、もううんざりだ」
「本当に移民したい。国民を捨てた国なんて。これ以上ぶざまな(政治や国の)姿を見る前に、自分から国を捨てたい」
「韓国ほど金持ちが住みやすい国はないでしょ。ただ、(自分は)金がないから(外国に)出ることもできないんだけどね」
 
そこには悲しい本音が溢れていて、改めて今の韓国の現実を見る思いがします。特に最後の反応は「この国にはいたくない、出来れば外国に移住したい、でも先立つものがない、だからこの国にとどまるしかない」という嘆きと諦めです。
 
 もっとも、いち早く国外脱出をした幸運?な人も多くおります。ただ、そのような人たちは国を捨てたという負い目、あるいは喪失感を、虚構のいわゆる「従軍慰安婦」なるものの像を米国各地に建てるなどの反日活動を行うことによってカバーしようとしている、あるいはそれによって自分たちの愛国心の存在を母国の人々に証明しようとしているのだという見方もあるのですが。
 
でも、もしも他国に移住をするにしても、出来れば日本以外の国を移住先に選んでほしいものです。と言いますのも、自国を嫌うような人が外国に行ったとしても、自分を受け入れてくれた国に何やかやとケチをつける、あるいは迷惑行為を行うに違いないからです。
 
はっきり言って、日本ほど住みやすい国はありません。
第一、日本人の場合、「日本が嫌だ、外国に移住したい」という人は幼児から高齢者まで皆無といっていいくらいです。
 
その日本の憲法には国民がどこに住むか、という「居住、移転の自由」が保証されていると共に、「外国移住、国籍離脱の自由」も保証されています。
 
第二二条〔居住・移転・職業選択の自由、外国移住、国籍離脱の自由〕何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない(「日本国憲法」昭和二十一年十一月三日公布 昭和二十二年五月三日施行)。
 
でも、人がいくら頑張っても勝手に移住することができないところがあります。それがどこかと言いますと、聖なる神が住むところの「神のすまい」です。そこは高慢な人は住むことができず、ただただ心の低い者だけが住むことのできる所です。
 
ところで、人間のがんばりだけでは移住不可能の、その「神のすまい」にかつて住んでいて、今は心ならずも異国の地に居住している、しかし、出来得るならば「神のすまい」にもう一度住むことができればと、その「神のすまい」を懐かしむ気持ちを切々と詠んだ詩篇があります。八十四篇です。
 
先週、沖縄の先島、本島、九州そして列島各地に甚大な被害をもたらした台風八号が過ぎ去って、一転、猛暑となっている大阪です。この暑さは今年も夏中続くことと思います。そこでこの暑い夏も昨年に続いて「詩篇を読む」ことによって、心に清涼感を得たいと思います。
 
昨年の「詩篇を読む」は四回でしたが、通算五回目となる今週は、詩篇八十四篇を取り上げます。タイトルは「神の大庭にいる一日は、他所(よそ)にいる千日にもまさる」です。
 
 
1.神の宮に住まうこと、それこそが人生最大にしてかつ最重要の願いごとである
 
 詩人は自分が神の宮に住まうことを切に願って、詩を詠みます。
 
「万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心と我が身は生ける神にむかって喜び歌います。すずめがすみかを得、つばめがそのひなを入れる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください。あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです」(詩篇84篇1〜4節 旧約聖書口語訳822p)。
 
 詩人が言う「あなたのすまい」(1節)とは、イスラエルの二代目の王であったソロモンが建てたエルサレム神殿のことであろうと思われます。
 
「主の大庭」(2節)とは、直接には神殿の庭のことでしょう。エルサレム神殿は犠牲を奉献する「祭壇」(3節)のある本殿を囲んで内庭があり、さらにその内庭を囲んで外庭があったようです。
「主の大庭」(2節)とは一般のイスラエル人が礼拝を捧げるために入ることが出来るこれらの庭を指したものと思われますが、この詩における「主の大庭」(同)とは単に場所を指すだけでなく、神に礼拝と讃美を捧げ、親しく神に祈り、その神からの応答を得た場でもあったわけです。
 
つまり詩人が懐かしんでいる「主の大庭」あるいは「あなたの祭壇」(3節)そして「あなたのすまい」(1節)とは、生ける神との不断のそして自由で密接な交流を指すものと思われます。
 
では詩人はどこでこの詩を詠んだのかと言いますと、おそらくは捕囚として連行されたバビロニアの地であって、時期としてはエルサレム神殿が破壊される前の、紀元前六世紀の初期ではないかと思われます。
 
ソロモンの神殿はソロモン王の治世の第四年(紀元前952年)に着工し(列王紀上6章1節)、七年の歳月を経て竣工します(同6章38節)が、前五八七年(五八六年?)に、バビロン軍の攻撃によって破壊、炎上し、灰燼に帰してしまいます。
 
ですから、詩人がこの詩を詠んだ時には、神殿はまだ存在していたか、少なくとも破壊されたという知らせが彼には届いていない時期であって、そこで彼は、いつの日にか捕囚状態からの自由を得て、以前のように礼拝を楽しむ日がくることを期待して八十四篇を詠んだのかも知れません。
 
つまり、今は捕囚の身となってはいる、しかし、かつて、自由に神殿に詣でて神を礼拝讃美していた頃を思い出し、出来ればもう一度、神殿において、以前にもまして神との親しい交わりを楽しみたいと願う、湧き上がる思いを詠ったもの、それが詩篇八十四篇であったというわけです。
 
 詩人は神殿のあるエルサレムから遠く離れたバビロンの地で、エルサレムを想いながら神に向かい、「あなたの(神殿の中心にある)祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください」(3節)と祈るのですが、神殿における昔日の自分を思い出し、「さいわい」(4節)なのは神よ、「あなたの家に住」(同)んでいるかのように、神を「ほめたたえる人」(同)であると、告白します。
 
詩人は失ってみて改めて、失ったものの重要さに気づき、「神の宮に住まうこと、自由に神を礼拝讃美し、祈りを捧げるという立場に還ることこそが、今の自分の人生において最大かつ最重要の願いであることを再認識するに至ったようです。
 
 二十一世紀の今の日本は、信教の自由が保証されているだけでなく、また、教会に通っていることが奇異な目で見られないというだけでなく、むしろ、キリスト教の教会に出席していることが、周囲から感心されるような時代環境に私たちは生きています。
だからこそ、この恵みの立場を当然のことと思わず、大切にしながら、神を崇める歩みを続けて行きたいと思います。
 
 「神の住まい」、それは建物としての教会のことではありません。「神のすまい」とは神との関係性、神との繋がりを意味します。
ですから、人が神と出会い、神を礼拝し、神と交わる「神の住まい」は日常の生活を営む家庭の中にあり、居間や台所、寝室、勉強部屋にあると言えるでしょう。
 
それは、ある人にとっては汗水流して働く工場にあり、あるいは事務所にあり、通勤電車の中、教室にあるかも知れません。
もちろん、日曜日、地域で開かれる教会における公同の礼拝もまた、人が神と出会い、神の言葉を聴く「神のすまい」です。
 
 目にこそ見えませんが、神がいます所、そこが「神のすまい」です。神の宮に住まうこと、それこそが最大の願い、最重要の願いとする者こそが幸いな人なのです。もう一度、四節を読みましょう。
 
「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです」(84篇4節)。
 
 
2.それは「神の大庭にいる一日が、他所(よそ)にいる千日にもまさる」ほどのものである
 
詩人は八十四篇の後半では、「自分にとって神の宮の大庭にいる一日が、他所(よそ)にいる千日にもまさるのだということを痛感している」と告白します。
 
「あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守(かどもり)となることを願います」(84篇10節)。
 
 詩人はこの詩篇では「あなたのすまい」(1節)、「あなたの祭壇」(3節)、「あなたの家」(4節)、「あなたの大庭」(10節)と、神に対して個人的に語りかけています。
 
 最近、来月(8月)の日曜特別礼拝のための備えとして、日本神話の原点である「古事記」を読み直しているのですが、「古事記」にはとにかく、神様が無数に出てきます。
それらの神様はみな、人間的であって、その人物像?は非常に興味深いのですが、一体全体、どの神様を拝み、どの神様に祈ったらよいのかがさっぱりわかりません。
 
 いっとき、一神教と多神教が比較対照され、「排他的で非寛容な一神教」に対して、「多神教には他者との併存を認める寛容性がある」とする、多神教優位の評論がメディアを賑わしたことがありました。
 
確かに現代の中東における紛争の背景には一神教のユダヤ教とイスラム教、特にイスラム原理主義がありますし、近、現代、西欧による南米・アフリカ・中東・アジアにおける植民地支配の先兵となったのも一神教であるキリスト教でした。
 
ブラジルにおけるサッカーワールドカップの決勝戦は、日本時間で明日14日の早朝、ドイツとアルゼンチンの間で行われることになりました。
ご承知のように南米の言語はブラジルのみがポルトガル語、その他の国々はすべてスペイン語です。なぜかと言いますと、南米大陸は近代になってから、ポルトガルとスペインによって侵略され、固有の文化、言語、伝統すべてが破壊し尽くされてしまったからです。
 
先ず、キリスト教宣教師が来ます。そしてその後に軍隊がやって来て、根こそぎに占領し、蹂躙し、搾取をするという構図です。
戦国時代の日本が伴天連追放令を出し、その後、徳川幕府が鎖国政策を取ったのは、国家の独立を保持するための賢明な政策でした。
もしも禁教令を発布していなければ、日本はスペインやポルトガルの植民地になって、今頃、南米のようにスペイン語かポルトガル語を話す国になっていたかも知れません。
 
しかし、私見では一神教の特徴とされる排他性、非寛容性は、一神教の宗教的特徴というよりも、たまたま一神教を保持したそれぞれの民族特有の民族性、文化的特性に起因するのではないかと思うのです。それは世界史を学ぶとよくわかります。
 
たとえば、日本がキリスト教国になったとしても、「和を以て尊しとなす」という日本人の国民性が、残虐な性質に変貌するとは思えませんし、どことは言いませんが、領土、領海の拡張を「核心的利益」とする侵略的な国家が仮に多神教の国になったとしても、それでその国が平和で寛容な国家になるとは、到底思えないからです。
 
 多神教か一神教かという優劣の論議よりも更に重要なことは、礼拝の対象である神との個人的な関係の構築にあります。
実はヘブライの宗教の特質は「唯一の神対イスラエル」という関係でした。つまり、「あなた対我ら」でした。
 
しかし、詩篇八十四篇はその関係が「あなた対わたし」へと昇華しています。「わが魂は」(2節)、「わが心とわが身は」(同)、「わが王、わが神よ」(3節)、「わがすまいを」(同)、「わたしは」(10節)、「わが神の」(同)と、第一人称単数であること、つまり「あなたとわたし」という個人的関係が特徴です。
 
時代が進んで神の独り子が歴史に登場します。イエス・キリストです。古代、キリストの神性をめぐってキリスト教会に大議論が巻き起こりました。つまり、「イエスが神であるならば、神は二人になる、そうなれば神は唯一である、という聖書の基本的、絶対的信条はどうなってしまうのか」という論争でした。
 
この議論に関しましてはいつか機会を見てご一緒に学びたいと思いますが、今日は、キリストは父なる神と同等、同質、同格の神であるという、古代教会で確立をした基本信条を前提にして、話を進めたいと思います。
父なる神がキリストの死を人類の身代わりの死、人類の贖いとして認証したことにより、キリストが神の御子であることが証明されたとパウロは言いました。
 
「御子は肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力(みちから)をもって神の御子に定められた」(ローマ人への手紙1章3、4節 新約聖書口語訳233p)。
 
 この「神の御子に定められた」(4節)は、キリストが人間から神に昇格をした、という意味ではなく、「もともと、そうであったものが明らかにされた」という意味です。つまり、パウロはここで、「キリストがもともと、神の御子であったことが明らかになった」ということを言っているわけです。
 
 まことに勿体ないことに、神はこの「わたし」を極めて大切な存在と思うがゆえに、この「わたし」一人のために尊い神の独り子を世に遣わし、十字架にはりつけにしてくださったのでした。
 
 その結果、人間の努力では移住不可能の「神のすまい」に、つまり神との個人的な関係の中に、「イエスは主なり」と告白をするだけで移り住むことができるようにされているのあり、だからこそ、このキリストを礼拝する場、あるいは機会である「神の大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさる」(詩篇84篇10節)のです。
 
、日曜ごとに教会に出かけて行って、信仰を共にする方々と神への礼拝を捧げるということは、決して義務ではありません。しなくても罰則があるわけでもありません。
 
しかし、この「わたし」、取るに足りないこの「わたし」のために払われたキリストの尊い犠牲を思ったならば、何はさて措いても神への礼拝を優先したくなる、それが八十四篇の作者から伝わってくる精神であり、熱い心です。
 
 
3.神の宮に住まうことを切望する者には、思いもかけぬ恵みが神より注がれる
 
 韓国のキリスト教人口が総人口の四割になったそうです。まことにご同慶の至りです。しかし、別に驚嘆するようなことでもありません。なぜならば、その中身が問題だからです。つまり、どのようなキリスト教が宣べ伝えられ、信じられているのか、ということです。
 
半島のキリスト教には三つの特徴があるとされています。
 
一つは儒教、それも親孝行に特化した儒教的教えがキリスト教の中に摂取されていて、そのため、親孝行が倫理を通り越してあたかも教理のように扱われているのではないか、また、その影響もあって教会では、牧師が家父長的存在として信徒に君臨し、上意下達的な関係が形成されがちになっているのではないかという分析があります。
 
二つ目は、「巫堂(ムーダン)」といいまして、固有の巫術(ふじゅつ)、つまりシャーマニズムが取り込まれているのではないかという指摘です。
 「ムーダン」というのは「シャーマン」のことで、「シャーマン」とは巫女(みこ)、つまり超自然の世界や霊界の声、意向を人間に取り次ぐ力があるとされる存在です。韓国のキリスト教にはシャーマニズム的要素が取り込まれているという見方があることを、研究者は指摘します(浅見雅一・安廷苑著「韓国とキリスト教」中公新書132、3p)。
 
 そしてもう一つの特徴が御利益を売りにすることです(上掲書154,5p)
宗教に御利益が付随することは事実です。しかし、御利益は信仰に伴う結果であって、御利益の獲得を第一の目的とした信仰は健全な信仰とは言えません。
 
 
確かに詩篇八十四篇の作者も、礼拝にはご利益があることを認めます。
 
「主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直(なお)く歩む者に良い物を拒まれることはありません」(84篇12節)。
 
 しかし、詩人の指摘は、御利益というものが、人が神にささげる純粋な礼拝と感謝に伴う思いもかけぬ神の恵みを意味するものであって、それ自体が目的ではないことは明らかです。
 
 そして、韓国にも御利益信仰とは無縁の、というよりもその対極を生きた牧師さんがいたようです。韓国有数のメガチャーチとして知られている永楽教会を創設した韓景職(ハン・ギョンジク)という牧師さんです。
 上掲の「韓国とキリスト教」の二人の著者も、韓牧師については高く評価をしております。
 
著者はいずれも永楽教会とは無関係であるが、韓の生き方には尊敬を禁じ得ない。彼は多くを成し遂げた人であったが、社会的弱者のために生きた人でもあった(上掲書168p)。
 
 同書は韓牧師の業績と人となりについても紹介しています。
 
韓の業績は海外でも評価され、一九九二年には宗教分野のノーベル賞とも言われるテンプルトン賞を受賞した。現在、韓国人としては唯一の受賞者である。…韓牧師は賞金一〇二万ドルを受け取ると、すぐに北朝鮮宣教のために全額を献金した。彼が「一分間、百万長者になった」と言って笑ったという有名な逸話がある(同168、9p)。
 
 テンプルトン賞について言えば、最近ではダライ・ラマ一四世が受賞している、世界的権威のある賞です
 
 特に韓牧師の晩年については感動を禁じ得ません。
 
韓は清貧な生涯を送った。自身の名義で所有した不動産もなく、預金通帳ひとつなかった。貧しい人々にすべてを分け与えたのである。七〇歳になったのを契機に自ら設立した永楽教会から退いた。その際に永楽教会から家を与えられたが、自分には大きくて贅沢すぎると辞退している。余生は韓国教会と海外布教のために働き、二〇〇〇年四月にソウルの小さな住まいで、九八歳で亡くなった。彼の遺したものは、数着の衣類の他は、四〇年余り使用した一人用のベッドとメガネ、そして愛用の聖書だけだったという(同169p)
 
 韓国の教会にも韓牧師のような、あたかもイエスのみ足の跡を踏んだかのような、そんな感動的な生き方をした人物がいたという事実には強い感銘を受けるものです。
 
 しかし、同国のキリスト教の多くが聖書の教えとは異質の要素を取り入れることによって勢力を拡大してきているとするならば、私たちには参考にはなりませんし、気にすることはありません。
 
本当の信仰は礼拝の対象である神、あるいは御子なるキリストと礼拝者との個人的、直接的な人格的繋がりにあり、礼拝すること自体、讃美すること自体が目的であって、もしも御利益があったならば、それはそれで、神からの賜物として有り難く感謝して受ければよいのです。
 
ですから詩人は最後に、神に向かって思いのたけを告白します、「あなたに信頼を寄せる者こそが、幸いな人である」と。
 
「万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです」(84章13節)。


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