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投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-10-26 16:03:55 (787 ヒット)
2014年礼拝説教

14年10月26日 日曜礼拝説教

「宗教改革記念日を前にして―『信じるだけ
   救われる』という信じ難い福音の発見」
 
ローマ人への手紙1章17節(新約聖書口語訳233p)
 
 
はじめに
 
「濡(ぬ)れ手に粟(あわ)の掴(つか)みどり」とか、「一攫千金(いっかくせんきん)」などという言葉があります。
 
濡れた手で粟を掴めば、粟は指の間から零れ出ることもなく、効率的に大量の粟をいっぺに掴むことが可能です。
 
また「一攫」はひと掴み、という意味ですから、「濡れ手〜」同様、大した苦労もせずにたやすく「千金」つまり大金など、大きな利益を手にすることができる様を表した言葉です。
 
でも、これらは前者は自分の手を濡らして、そして濡らした「手で粟を掴む」というある種の行動を起こしておりますし、後者もまた、多大の利益を生むためそれなりに、ちょっとした努力を傾け、知恵を使っているわけですから、まったく何もしないというわけではありません。
 
しかし、まったく何もしていないのに、何の努力も払っていないのに、ただ一方的に破滅の状態から救済をされるとしたならば、これ程いい話はありません。ところが、そんな気味の悪いような何ともうまい話が実は聖書にあるのです。
 
そしてそのことを発見したのがマルティン・ルターというローマ教会の修道僧で、大学で聖書を講じていた教師でした。
 
この一介の教師から始まった運動が燎原の火のように当時の全ヨーロッパに広がって、ある意味では中世のヨーロッパ全体をひっくり返すような歴史的事件となりました。
 
それが「プロテスタント宗教改革」と呼ばれるものであり、これに対し、失地回復を目指し、更には新しい支配地域を獲得するためにローマ教会に起こった運動が「反宗教改革」あるいは「対抗改革」と呼ばれた宗教運動であって、フランシスコ・ザビエルによる日本宣教もその運動の一環として展開されたというわけです。 
 
つまり、ルターなどの改革者による「宗教改革」が起こらなければ、西欧の教会の東洋への宣教的関心、列強における領土的野心による行動などは、もっと先に延びたでしょうし、結果としてキリスト教禁止政策としての徳川幕府による鎖国も違ったかたちになったかも知れませんし、さらに、もしもそうであったならば、日本という国家の形成自体、もっと別のかたちを取ることになったかも知れません。
 
それはともかく、十月三十一日の宗教改革記念日を前にして、宗教改革とは何であったのか、ドイツを中心としたプロテスタント宗教改革が呼び起こした出来ごとは私たちとどのように関係するのかということを考えながら、改めて神による圧倒的な憐れみ、恩恵に目を注ぎたいと思います。
 
そこで今週の説教のタイトルは「『信じるだけで救われる』という信じ難い福音の発見」です。
 
 
1.律法の行いによる義から、信仰による義へ―パウロの戦い
 
以前の説教で、六十六巻の聖書の中で最も重要な文書はどれかと言うならば、それは「ローマ人への手紙」である、と答える、ではその中で最も重要な章は、と問われれば、それは「八章」だろう、ではその八章で最も大事な箇所は、となれば、それは「一節」の言葉であろうと答える、と言いました。
 
「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ人への手紙8章1節 新約聖書口語訳242p)。
 
 「罪に定められる」(1節)というのは法廷において「有罪宣告を受ける」ということですので、「罪に定められることがない」というのは、「有罪宣告を受けることがない」という意味です。
 これは、裏を返せば「無罪とされる」ということを意味します。
 
 そして神によって無罪とされるということを聖書は、神に「義とされる」こととしました。
 
 問題はその方法です。罪ある人間がどうしたら神に罪なき者と認められ、無罪とされるのかということです。
 
「文字(もんじ)」(コリント人への第二の手紙3章6節)の教師であった時のパウロは、それは律法を遵守すること、律法の条文をことごとく行うことによって与えられると信じて、そのことを教えもし、自ら精進を重ねてきた、極めて真面目なユダヤ教の学徒であり信徒でもありました。
 
「わたしは…律法の義については落ち度のない者である」(ピリピ人への手紙3章5、6節 311p)
 
 しかし、シリヤの首都ダマスカスの郊外で復活のキリストの顕現を体験した時から、教会の迫害者であったパウロの思想は変わり、その聖書解釈は劇的な変化を遂げたのでした。
どういうことかと言いますと、律法の行いによって義とされるというそれまでの確信が、彼の中で音を立てて崩れ去ってしまったのです。
 
「なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである」(ローマ人への手紙3章20節前半)。
 
 それどころか、律法とは何かという深い思索と考察の結果、律法は人に対し、自らが罪びとであるとの意識を持たせるものでしかないことを知るに至ります。
 
「律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」(3章20節後半)。
 
 そのような思索の結果がローマ人への手紙の本論冒頭の宣言となったのでした。
 
「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである」(1章17節)
 
 パウロが「これは『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである」(17節)と、その確信の論拠とした聖書の言葉は小預言書のひとつであるハバクク書の言葉、ユダの預言者ハバククに対する主の言葉でした。
 
「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる」(ハバクク書2章4節 旧約聖書口語訳1298p)。
 
 この「義人はその信仰によって生きる」というハバクク書の言葉は、実はユダヤ教の「律法の行いによって神に義とされる」という教理の根拠でもありました。
 
彼らが「その信仰」をどう理解したかといいますと、それを「神への信頼」、あるいは「律法への真実」と解し、その結果、これが「律法の行いによる義」の約束とされていたのだと、学者は言います。
 
ヘブライ語の原典では、「義人はその(信仰の)真実によって、(患難の中で)生命に留まるであろう」という表現になっている。パウロと同時代のユダヤ教神学では、この聖句が「業(わざ)による義」の約束と解されていた(パウル・アルトハウス著 杉山 好訳「NTD新約聖書註解(6)ローマ人への手紙 翻訳と註解」36p NTD新約聖書註解刊行会)。
 
 つまりパウロは「律法の行いによる義」という教理の根拠とされていた聖句を再解釈することによって、「信仰による義」という考え方の論拠としたのでした。
 
この結果、人はキリストを主、救い主として信じるだけで救われる、つまり神との和解、神との平和という関係へと導かれるのです。
 
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている」(5章1節)。
 
 「律法の行いによる義から、信仰による義へ」、それはパウロの戦いにおける成果であって、もしもパウロがいなかったならば、キリスト教はユダヤ教の亜流か、ギリシャの密儀宗教の一つとなって、存在意味のないものになっていたことと思います。
 
 パウロを使徒として選んだ主を誉め称えたいと思います。
 
 
2.信仰と行いによる義から、信仰のみによる義へ―ルターの戦い
 
しかし、パウロが挙げた教理的成果は、後代のローマ教会によって変質をしてしまいました。
確かにローマ教会はキリストへの信仰を強調しました。でも同時に、行いをも強調することによって、人が義とされるためには信仰に加えて行いも必要であるという教理を掲げたのでした。
 
そしてその教理によって苦しみ悩み、そして改革の火蓋を切ったのが「中世の夕暮れ時に現われた光」と謳われたマルティン・ルターでした。
 
ルターはもともと、法律家を目指した人でしたが、法律家の道を目指していた法律学徒が家を捨てて修道僧になった理由として伝わっているものが、落雷の経験であったといいます。
 
二十一歳の夏、故郷から大学に戻る途中、山中で雷雨に会い、思わず、「もし命があったならば修道士になります」という誓いを聖アンナに立ててしまい、三週間後、その誓いを守るべく、アウグスティヌス会という修道会に入ったそうなのです。
 
ローマ教会の伝承では「聖アンナ」とは聖母マリヤの母親ということですが、ということはアンナはイエスの祖母ということになるわけです。
勿論、そんなことは聖書正典にはありません。しかし、マリヤが生涯処女であったことの証拠として二世紀末に創作された「ヤコブ原福音書」(副題は「いとも聖なる、神の母にして永遠の処女なるマリア誕生の物語」)にアンナはマリヤの父親ヨアキムの不妊の妻として出てきます。
 
するとごらんなさい、主の御使いが側に立って言いました、「アンナ、アンナ、主がお前の願いを聴き入れてくださった。お前は孕んで子を生むだろう。お前の子は世界中で語られるだろう。そこでアンナが言いました、「生けるわたしの主に誓って、もし私が子を産んだら、男の子でも女の子でも、私の主なる神様に供え物として捧げます。私の子は生涯全ての日にわたって神様に仕えるでしょう」(荒井 献編 八木誠一訳「ヤコブ原福音書」26p 講談社文芸文庫)。
 
因みに書名の「原福音書」の「原」は「原型」という意味ではなく、「(正典福音書が記述しているイエスの誕生に)先行する出来事の物語、ということ」(上掲書訳者解説472p)です。
内容そのものは、サムエル記の冒頭に出てくるハンナとその子サムエルの物語をパくったと言ったら怒られそうですが、とにかくよく似てはいます。
 
ルターの時代、「聖アンナ」はドイツの炭鉱で働く素朴な人々の崇敬を一身に集めており、炭鉱夫の息子であったルターも当然、聖アンナを崇めておりました。
その「聖アンナ」に誓ってしまったのです。誓いを破ったらどんな罰がくだるかわかったものではありません。迷信がまだ生きていた中世のドイツです。純朴な青年ルターには選択の余地はなかったのでしょう。
 
ということは、ルターがもしも山中で雷雨に出会うという経験がなかったとしたならば、優秀な法律家は生まれても歴史を変えた宗教改革者は出現しなかったかも知れません。
 
さて、アウグスティヌス修道会に入会したあと、真面目なルターは断食をはじめとするさまざまの苦行に耐えて精進に精進を重ね、二十四歳で司祭に叙任され、二十九歳でヴィッテンベルク大学の神学部の教授となり、そして三十二歳の時から「ローマ人への手紙」「詩篇」「ガラテヤ人への手紙」を講じるようになります。
 
そしてローマ人への手紙一章十七節における「神の義」の本来の意味を発見することとなるのです。
もう一度、お読みしましょう。
 
「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる」(ローマ人への手紙1章17節)。
 
 この「神の義」(17節)の「の」という所有格を、ローマ教会は主格的所有格としてのみ理解し、その結果、「神の義」とは神がもともと持っている義である、つまり義なる神が罪びとを審く義である、としておりました。
 
 しかしルターはこの「神の義」の「の」という所有格を目的格的に解釈することによって、これを「神による義」、すなわち神が不義である罪びとを義とする義、と解釈したのでした。
これが「信仰による義」、別名「受け身の義」の発見でした。どのような言葉で評価しても評価し切れないほどの大発見でした。
 
そして、この発見と前後して、ルターにとってどうしても看過することの出来ない事態が生起してきたのでした。学校の世界史でならったことのある「免罪符」という御札の販売です。
 
これはローマ教会の財政的必要を満たすために以前から発行されていたお札であって、最初は十字軍に参加する者に対し、罰の赦しを与えるものとして授けられておりました。しかし、時代を経るに従って、多額の金銭を教会に奉納する者に対して下げ渡されるようになりました。
 
「免罪符」という訳語は誤解を与えるのですが、これは正しくは「免罰符(めんばつふ)」というものです。
ローマ教会では、罪はキリストの十字架によって赦されるが、罪の結果である罰の方はそう簡単には赦されず、刑罰は天国に行く前の段階である「煉獄」において受ける、としておりました。
 
通常、人が死んだ場合、行く先は天国か地獄かのどちらかの筈です。ところがローマ教会では聖書正典にはない「煉獄」という場所があるとした上で、多くの功徳を積んだ者は死後ただちに天国に行くことができるが、功徳の足りないものはその死後、天国に行く前に、罪から浄化されるため、具体的には必要な刑罰を受けるためにその「煉獄」という中間状態を経なければならないとしたのでした。
 
でも、ローマ教会にはキリストをはじめ、使徒や諸聖人の功徳が蓄積されていて、教会はそれを自由に分かち与えることができる、そこで「免罪符」(より正確に言えば煉獄での罰を軽減するための「免罰符」、難しい言葉で表現すると神の怒りを宥(なだ)める「贖宥券(しょくゆけん)」というものが発行されるようになっていたのでした。
 
そして偶々、十六世紀はじめのルターの時代、ローマ教会は財政的にピンチで、しかし聖ピエトロ(聖ペテロ)大聖堂の建築という一大プロジェクトの実行を迫られており、そこで、不足している莫大な建築費を賄うために「免罪符」つまり「贖宥券」が大々的に販売されるようになったのでした。
 
そしてこれを憂えて立ち上がったのが三十四歳の神学博士、マルティン・ルターでした。
彼は当時の慣わしに従い、「贖宥の効力を明らかにするための討論」という提題をヴィッテンブルク城教会の門扉に掲げて、ローマ教会に対して神学論争を挑んだのでした。一五一七年十月三十一日のことでした。
討論の中心テーマは「悔い改めとゆるし」についてでした。
 
一、私たちの主であり師であるイエス・キリストが、「悔い改めよ…」〔マタイ四・一七〕と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。
 
二七、箱の中へ投げ入れられた金がチャリンと鳴るや否や、魂が煉獄から飛び上がるという人たちは、人間を宣べ伝えているのである。
 
三六、真実に痛悔したキリスト者ならだれでも、贖宥の文書(註 贖宥券のこと)がなくても彼のものとされているところの、罰と罪責よりの完全赦免をもっている。
(マルティン・ルター著 緒方純雄訳「贖宥の効力を明らかにするための討論」73p ルター著作集第一集第一巻 聖文舎)
 
この結果、ルターはローマ教会から破門されることとなりますが、ルターの支持者はドイツ国内に拡大し、「信仰と行いによる義」ではなく、「信仰のみによる義」というルターの主張はプロテスタント宗教改革の一大中心教理としてヨーロッパ中に広がっていくこととなったのです。
 
「受身の義」を発見したルターの功績はまことに大であるといえます。
 
 
3.「これはわたしの体、わたしの血である」とは―聖餐をめぐる戦い
 
しかし、ローマ教会の司祭であったルターは、聖餐の理解に関してはローマ教会から脱却し切れなかったようです。
それはキリストの言葉、「これはわたしの体、わたしの血である」という言葉の理解にありました。
 
「すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」(コリント人への第一の手紙11章23節後半〜25節 269p)。
 
 イエスは「パンを取り、…『これはあなたがたのための、わたしのからだである」(24節)と言い、また「この杯は、わたしの血による新しい契約である」(25節)と言いましたが、ローマ教会はこれを字義的に解釈して、司祭の祈りによってその実体はキリストの体と血とに変化する、としていました。
この教理はローマ教会では変らぬ教理として現代に続いています。
 
私たちの救い主キリストは、パンの形色の中にささげたのが自分の真の身体であると仰せられたので(マテオ26・26以下…)、主の教会は変わることなく常に信じてきたことを、この聖なる公会議も繰り返して宣言する。すなわち、パンと葡萄酒の聖別によって、パンの実体は悉く私たちの主キリストの実体となり、葡萄酒の実体は悉くその血の実体に変化する。聖なるカトリック教会は、この変化を便宜上、適切に全実体変化と言い表している(トリエント公会議 第一三回総会 1551年)。
 
これを「化体説」あるいは「実体変化説」と呼ぶようですが、この考えは結果的に、人が救済されるためには十字架の上でなされたキリストの死だけでは不十分だという意味になります。
 
これに疑問を持ったルターは、「信仰により義とされる」という理解から、この「実体変化説」を否定し、十字架の身代わりの死だけで十分であると主張したのですが、聖餐論に関しましては、キリストの体と血とは、パンとぶどう酒の「中に」、「下に」、そして「共に」存在すると主張したことから、ルターの説は「共在説」あるいは「実在説」として知られています。
 
ルターは自説の説明として、火と鉄の関係を例にあげ、「鉄を火で熱すれば、鉄は鉄ではあるが、熱が鉄の中に、下に、共にあるのと同じである」と説きました。
 
更に、なにゆえキリストはご自身のからだを、パンの外形的特色のなかに入れたもうようにパンの本質のなかに入れることができたまわないのだろうか。見よ、火と熱との二つの本質は、熱している鉄においては、どの部分も、鉄と火であるようにまぜ合わされている。なにゆえ、キリストの栄光のからだが、パンの本質のあらゆる部分のなかに、いっそう高度に存在しえないのか(マルティン・ルター著 岸 千年訳「教会のバビロン虜囚について」222p ルター著作集第一集第三巻)。
 
 キリストの偏在という点から言えばルターが言うように、キリストがパンの中に、下に、共にあるということは論理的には有り得ます。しかし、問題はその必要性です。
確かに現在のキリストは神の能力的属性としての遍在性というものをお持ちですから、望むならばどこにでもいるということは可能です。
しかし、何も聖餐のパンという物体の中や下にわざわざ臨在する必要はありません。聖餐式という式典に聖霊において臨在してくれればそれで十分です。
 
ルターもまた時代の子として限界を持つ人でした。ですからこれをもってとやかく言う必要はありません。化体説を否定すると共に、パンと杯の二種陪餐を回復させただけでもその功績は大ですし、受け身の義という信仰による義を掲げて教会の改革の先駆けとなってくれたことで十分です。
 
では、私たちはどう理解すべきかということですが、主が「わたしの体、わたしの血」と言われた時、それは当然、比喩として理解すべきです。
イエスが「わたしはぶどうの木である」と言ったからイエスがぶどうの木、あるいはぶどうの木の精だったのだ、などとは誰も思いません。
喩えて言えば、ぶどうの木のようなものだ、という意味です。
 
つまり十字架がキリストの犠牲によってもたらせた福音を示すシンボルであるように、聖餐式における「パン」と「杯」は十字架にかかって身代わりとなったキリストの体と、そこで流された犠牲の血を「象徴する」ものであって、パンがキリストの体になり、杯の中のぶどう酒がキリストの血に変わるわけではありません。
また、パンと杯の中や下にキリストの体や血が共にあるわけではありません。
 
それはあくまでも、「信じるだけで救われる」という福音の根拠であるキリストの贖いの事実を、無知で悟りのない人間に目に見えるかたちで示すためのものなのです。
 
聖餐自体に、そして聖餐式という式典自体にご利益があるわけではありません。その点で、ルターはローマ教会の影響から脱し切れていないようにも思えます。
 
また主イエスは、これを記念として行うようにと言われましたが、それはキリストの死を告知するためである、と述べています。
 
「飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい。…それによって、…主の死を告げ知らせるのである」(11章25節後半、26節)。
 
 つまり、聖餐式の意義は主のわざを「記念」(25節)するためのもの、キリストが私たち罪びとのために十字架にかかって死んだという事実を「告げ知らせる」(26節)ことにあるというわけです。
 
 では、聖餐式はどのような頻度で行うことが相応しいのかということですが、特に決まりはありません。そこで私たちの教会ではいつごろからか、年に一回、イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城した棕櫚の日の日曜礼拝で行うようになりました。
 
 今回は宗教改革の意義を学ぶための礼拝ですので、それならば聖餐式も、ということで例外的に行うことになりました。
 
なお、コリント人への第一の手紙におけるパウロの言葉で、誤解をされている部分があります。「ふさわしくないままで」という一句です。
 
「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである」(11章27、28節)。
 
 時々、真面目な人の中に、「ふさわしくないままで」(27節)、あるいは「自分を吟味し」(28節)という言葉にひっかかって、自分自身の生活や言動を「吟味し」た結果、今の自分は聖餐式を受けるには「ふさわしくない」信徒だと勝手に思い込んで、聖餐式を辞退するというケースがあるそうです。
 
 しかし、「ふさわしくない」とは神を恐れないこと、悔い改めることなく、自分自身、神のようにふるまう状態を維持していることを意味します。
 
 逆に、自分自身の信仰の不足、弱さを自覚して、神を離れてはやっていけないと思う者こそ、実は「ふさわし」い人と言えるのです。
 
 改革者のひとりであるジャン・カルヴァンが言ったそうです、「聖餐式は私たちの信仰の弱さを補うために備えられたものである」と。
カルヴァンも性格的には色々と問題があったようです。だからそう思ったのかどうかはわかりませんが、聖餐式が恵みの手段の一つであることは事実です。
 
 勿論、私たちの弱さを補うものは公同の礼拝であり、日毎の御言葉であり、祈りであり、聖霊の働きです。
しかし、形に示されないとなかなか理解することのできないという人の持つ弱さを補うために、聖餐式が備えられたのかも知れません。
 
 何はともあれ、決して忘れてはならないことそれは、「『信じるだけで救われる』」という信じ難い恵み」が、何もしない、何も出来ない私たちに無代価で提供されているという事実です。
 
 この事実をさまざまの方法で確認をしつつ、共に信仰の歩みをご一緒に続けていきたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-10-19 16:29:06 (936 ヒット)
2014年礼拝説教

14年10月19日 日曜礼拝説教 

「慰めに満ちたる神 究極の栄光それは、主イエスのみ姿に似た者へと変えられること」
 
コリント人への第二の手紙3章10〜18(新約聖書口語訳281p)
 
 
はじめに
 
人間と他の動物との違いは無数にありますが、その一つが向上心の有無でしょう。もちろん、動物の多くは苛烈な環境の中で自らと群れの生存のため、親に倣って獲物を捕える技術を向上させようとしますが、それは動物的本能がなせることです。
 
ディズニーのアニメ映画で知られ、日本では劇団四季のミュージカルでも有名になった「ライオンキング」の主人公のシンバのように、立派な雄ライオンを目指して向上しようとするライオンもいますが、それは、あくまでもアニメのような虚構の世界でのことです。
 
因みに一九九〇年代につくられた「ライオンキング」が、実は六〇年代に日本のテレビでアニメとして放映されていた手塚治虫の「ジャングル大帝」のパクリであるということは、知る人ぞ知る、ですが。
 
そのオリジナルの方の「ジャングル大帝」では、白いライオンのレオが幾多の試練を乗り越えて成長していくという物語が当時、視聴者の共感を呼んだものでした。
 
向上心の有無、それが人間と動物の違いの一つですが、人間が人間である所以(ゆえん)を示す言葉が「君子は豹変(ひょうへん)す」という言葉だと思います。
 
これは中国古代の占いの書である「易経(えききょう)」の中にある言葉からとられたものです。
 
君子は豹変(ひょうへん)す。小人(しょうじん)は面を革(あらた)む。…君子豹変すとは、その文蔚(うつ)たるなり。小人は面を革(あらた)むとは、順にしてもって君に従うなり(易経 革)
 
どういう意味かと申しますと、以下のような意味です。
 
君子豹変すというのは、その毛の文様(もよう)が蔚然(うつぜん)として美しくなるということである。小人面を革(あらた)むというのは、従順に新しい君に従うことである(高田真治・後藤基巳訳「易経(下)」123p 岩波文庫)。
 
因みに「革」は革新とか革命などのように事態の一新を意味します。また「蔚(うつ)」や「蔚然(うつぜん)」は色鮮やかな様子を表します。
 
この言葉が意味するものは、「小人」つまり小人物が表面を革(あらた)めるだけで本質を変えようと志さないのに対し、「君子」すなわち有徳の人は、自分が誤っていることが分かれば敢然として過ちを認め、心を入れ替える。
それは「豹」が秋になって毛が抜け変わり、鮮明で美しい文様を見せるように、その変化は誰もがみてもわかるほどだ、ということなのだそうです。
 
もっとも、これは最近では、保身や損得計算で態度や言動をコロッと変えてしまうという、悪い意味で使われることが多いようですが、本来の意味は潔さを強調した言葉でした。
 
でも、多くの場合、「豹変」はしたい、でも昨日の自分と今日の自分は変わっていない、おそらく明日の自分も今日の自分と同じだろうと、ついつい私たちは消極的になってしまいがちなのですが、パウロは自らの愚かさを痛感し、落ち込んでいるかもしれないコリント集会の一般会衆を慮って、変化と成長への希望を強調しました。それが本日の聖書テキストです。
 
そこで本日の説教タイトルは「究極の栄光それは、主イエスのみ姿に似た者に変えられること」です。
 
 
1.古い契約にかけられていた覆いは、キリストによってのみ除かれる
 
「コリント人への第二の手紙」の著者であるパウロは、迷える人を神の命につなげる任務につくことを栄光としましたが、その際、「新しい栄光が現われれば、それまでの栄光は栄光ではなくなるし、それまでの栄光がたとい暫定的ではあっても、一度は栄光あるものとして現われたのであれば、永遠に存続すべき栄光はさらにまさった栄光であることになる」ことを強調しました。
 
「そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。もし消え去るべきものが栄光をもって現われたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである」(コリント人への第二の手紙3章10、11節 新約聖書口語訳281p)。
 
 この「消え去るべき」(11節)栄光が従来の「契約」つまり「古い契約」であるのに対して、「永存すべき」(同)栄光は「新しい契約」(6節)であるという理解を抱くことを、パウロはここで「望みをいだ」くことであると言います。
 
「こうした望みをいだいているので、わたしたちは思い切って大胆に語り、そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない」(3章12、13節)。
 
ここでパウロはエジプトを脱出したイスラエルの民がシナイの山において、モーセを通して神から石の板に刻まれた十戒を授与された際の出来ごと(出エジプト記34章29〜35節)に言及しているのですが、モーセが「顔におおいをかけた」(13節)のは、「モーセが、消え去っていくもの」(同)、つまり律法授与という栄光の光の「最後をイスラエルの子らに見られまいとし」(同)たからである、というのがパウロ自身の解釈でした。
 
ここでパウロは、しかし、「『わたしたち』(12節)『新しい契約に仕える者』(6節)たちは違う、わたしたちはモーセのように『顔におおいをかけたようなことはしない』(13節)、なぜならば、自分たちの務めである『義を宣言する務めは』(9節)『栄光に満ちたものである』(同)からだ」と、その理由を説明するのです。
 
そしてモーセの顔を覆う「顔おおい」の話から発展して、消えゆく栄光をイスラエルの民の目から隠した「おおい」は今日、ユダヤ人たちが「文字(もんじ)」(7節)に書かれた律法を根拠にしている「古い契約」がシナゴグ(ユダヤ会堂)で朗読されるたびに、「彼らの思い」を覆っている、だからその本来のメッセージを彼らは聞きとることができなくなってしまっているのだ、とパウロは指摘をします。
 
「実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている」(3章14節前半)。
 
「古い契約」(14節)の文書である旧約の「聖書」は、キリストの到来を証言する文献でした。ですから、それを読む者が心にかかる「おおい」を取り去って読めば、そこから神が遣わすメシヤ・キリストを見出すことができたのです。イエスがそのことをユダヤ人たちに諭した言葉が次の聖句です。
 
「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハネによる福音書5章39節 144p)。
 
でもユダヤ人は彼らの心をおおっている「おおい」(14節)を「取り除」く代わりに、栄光のキリストを十字架にかけて、この地上か「取り除」いてしまったのでした。
 
聖書の真理の光を隠す「おおい」は、キリストによってのみ、取り除かれるのであって、それを体験したのがかつて「文字(もんじ)」の教師であったパウロでした。彼は自らの過去を振り返りながら万感を込めて言い切ります。
 
「それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである」(14節後半)。
 
 
2.究極の栄光、それは主イエスと同じみ姿へと変えられていくこと
 
「新しい契約に仕える者とされ」(6節)、その結果、「義を宣言する務め」(9節)に任じられたということは、「罪を宣告する務め」(同)に比べれば「はるかに栄光に満ちたものである」(同)ことは事実です。
 
でも、それはあくまでも立場や働きとしての栄光であって、目標ではありません。
 
では、目標としての栄光のかたち、究極の栄光とは何かというならば、それは信じる者たちが主と同じ姿に変えられていくことだ、とパウロは断言します。
 
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(3章18節前半)。
 
 「主と同じ姿に変えられていく」(18節)とは、主と同じような生き方をする、あるいは主とよく似た性格に変えられるということです。
 
では主のご性格はどんな性格かと言いますと、友のために自分自身が大事にしているものを捨てる覚悟がある、ということです。
 
事実、主イエスはわたしたちを滅びから救い出すために、十字架の苦しみをとことん味わってくださったのでした。まさにご自分が語られたことを身をもって実践されたのでした。
 
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節 167p)。
 
 最後の晩餐の席上、主はこのように語られ、そしてその晩、「その友」と認めた弟子たち「のため」、また私たち「のために自分のいのちを捨てる」べく、ユダヤ当局から派遣された神殿警察により、唯々諾々として捕縛されたのでした。
 
そしてつい最近、「その友のために」自らの大事な命を捨てる覚悟をし、そして実行した一人の少女がノーベル平和賞を受賞することとなりました。
先週の説教でもふれたパキスタン人のイスラム教徒、マララ・ユスフザイ、十七歳です。
 
彼女は日本時間の十一日、現在の自宅がある英国中部のバーミンガムの図書館で、受賞決定に伴うスピーチをしたのですが、そのスピーチにおいて、自身がイスラム過激派組織のタリバンから銃撃されるに至った活動、つまり自分を含めた子供たち、とりわけ女子児童が教育を受ける権利を獲得するための活動を始めた動機を語った部分は、衝撃でした。
 
彼女は言いました、
 
(当時の)わたしには二つのオプション(選択肢)しかなかった。一つは語らないまま、殺されるのを待つこと、そしてもう一つは語って、そして殺されること、そして私は二つ目の方を選んだ(2014年10月11日)。
 
彼女にとっては、偏狭な考え方を持つタリバンの支配下にあって、小学校にすら通うことがゆるされない無数の子供たちは彼女の大事な「友」であり、だからこそ、自分のためにも、そしてその多くの「友のために」も「命を捨てる」覚悟を決めて声を出したというのです。
 
二〇〇一年九月十一日の米国同時多発テロ以来、キリスト教徒はとかくイスラム教というものを奇異な目で見がちです。しかし、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の共通点は一神教であるということ、そして拝んでいる対象は、ユダヤ教はヤハウエと呼び、キリスト教は父なる神として崇め、イスラム教はアッラーと呼んではいますが、実は同じ神さまなのです。
また、アブラハムを信仰の祖先として尊んでいることも共通です。
 
確かにイスラム原理主義を標榜するグループの中には「タリバン」や「イスラム国」のようにクルアーン(コーラン)の極端な解釈に基づいた過激グループもおりますが、大多数のイスラム教徒は平和を志向する人々です。
 
アララ・ユスフザイという十七歳の少女は普通のイスラム教徒ですが、本来「神のかたちに創造された」(創世記1章27節)者でもあるのです。だからこそ、その活動の動機に「主と同じ姿」(18節)、とまでは言わないとしても、主によく似た姿を垣間見る思いがしても不思議ではありません。
 
そして、況してや「わたしたちは」(同)、です。キリストに贖われ、キリストの「霊に仕える者である」(6節)「わたしたちはみな、…栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(18節)筈なのです。
 
 
3.主イエスに向く時に覆いは取り除かれて、主と同じ姿に変えられる
 
では、どうしたならば「主と同じ姿に変えられていく」(18節)のかと言いますと、「それは面と向かって主を仰ぐことによってである、なぜならば、主に向く時、真理を覆っていた覆いが取り除かれて、主を正しく見ることができるようになるからだ」とパウロは言います。
 
「しかし、主に向く時には、そのおおいは取り除かれる」(3章16節)。
 
 具体的にはキリストの霊である御霊が、主を信じる者、あるいは信じようとする者の心から、真理を見えなくする妨げの覆いを取り除いて、さまざまの囚われや偏見から解き放ってくれるからです。なぜならば主の御霊は自由と解放の霊だから、なのです。
 
「主は霊である。そして主の霊のあるところには、自由がある」(3章17節)。
 
「主は霊である」(17節)、つまり「主は御霊である」という言い方ですが、厳密に言いますと、昇天したイエス・キリストご自身は「使徒信条」にありますように、今現在、父なる神の御座の右に着座しております。
ですから、地上にあって活動しているのは、西暦三十年の五月のペンテコステの日に、天にいます父なる神と子なる神から地上に、そして教会に送られた聖霊なる神です。
 
しかし、父と子と聖霊とは専門的な神学的表現を使えば「相互内在(そうごないざい)」の関係にあります。「相互内在」とは相互に内在しているという関係性を持っているということです。
つまり、地上で活動している聖霊の中に、あるいは聖霊と共に、また聖霊において神の御子は自由に活動をしてくれているのです。
 
だからこそ聖霊は「主の霊(主の御霊)」(17節)であり、主は「霊なる主(御霊なる主)」(18節)でもあるのです。
 
十九世紀の半ば、米国にナタナエル・ホートンという作家がいました。ナタニエル・ホーソーンともいいます。
 
昔、英語の授業でこの人の作品、「グレート・ストーン・フェイス」という短編を読んで不思議な感動を覚えたことを、今、思い返しています。そのタイトルは直訳をすれば「大きな石の顔」あるいは「偉大なる石の顔」です。
 
高い山々に囲まれたある渓谷に住む、アーネストという名の少年が主人公です。記憶を辿ってご紹介したいと思います。
 
幼かったアーネストが住む渓谷から見える、切り立った断崖にある岩は、大きな人間の顔にそっくりでした。そして彼が住む村に伝わる伝説では、あの顔によく似た気高い顔をした人物がこの村から生まれるというものでした。
子供であったアーネストは日がな一日、大きな石の顔を見つめながら、やがて現われるという偉大な人物を待ち続けました。
 
ある日、この渓谷出身で実業家として大成功を収めた「ギャザーゴールド(お金大好き?)」という名の大富豪が帰って来ることになりました。彼が馬車に乗って帰ってきたとき、人々はその大金持ちが「あの偉大なる石の顔にそっくりだ」と口々に言いました。
しかしアーネストにはそうは見えませんでした。何しろ、道端の物乞いの親子が憐れみを乞うと、二、三枚の銅貨を投げただけだったのです。
その後もアーネストは朝に夕に、大いなる石の顔を見続けました。やがて人々は「ギャザーゴールド」のことは忘れてしまいました。
 
アーネストが青年になった頃、この渓谷の出身で、戦場で輝かしい武勲を立てたことで有名になった、「ブラッドアンドサンダー(流血男?)」という渾名の将軍が退役をして帰ってきました。人々はこの将軍のために歓迎会を開いて、「彼こそ、あの石の顔に生き写しだ」と言うのですが、アーネストから見れば似ても似つかぬ顔でした。そこで彼は、また何年も待たねばならないのかと、がっかりしながら石の顔を見上げることとなりました。
 
アーネストが中年になったとき、この村の出身で雄弁をもって鳴る政治家(大きな石の顔に似ているというところから「オールド・ストニー・フィズ(年を経た石の顔?)」と呼ばれた政治家)が大統領候補になって、故郷を訪問することになりました。そして彼を成功者として迎えた村の人々は、彼のことを「あの偉大な石の顔そのものだ」とほめそやすのですが、アーネストにはそうは見えませんでした。がっかりしているアーネストが見上げた石の顔は、彼に向かって「心配するな、きっと現われる」と言っているように思えたのでした。
 
歳月が流れ、アーネストは老人となりましたが、農夫として働き続けておりました。しかし、彼の人格から滲み出る話が人々を惹きつけ、いつしか彼は説教者として世間に名を知られるようになりました。
そして、彼の話を聞き、彼と言葉を交わした人々はその帰る道すがら、断崖に見える大きな石の顔を仰いでは、「はて、どこかで見たような顔だけど、どこで見たのか思い出せない」などと思いつつ、家路につくようになりました。
 
そしてある日、この渓谷出身の有名な詩人がアーネストの話を聞きに、村に来ることになりました。アーネストはこの詩人の珠玉のような作品を読んで、「ひょっとするとこの人が」とも思うのですが、実際に会ってみる限りでは、やはり違う、と思うのでした。
 
そして日が暮れた頃、いつものようにアーネストは家の外に集まってきた人々に向かって、自らの思うところを話し始めました。彼の話は聴衆の心に沁み通っていきました。
そのアーネストの顔を見ながら彼の話しに耳を傾けていた彼の詩人が突然、叫びました、「見よ、アーネストこそ、あの偉大なる石の顔、そのものではないか」と。人々は改めて石の顔とアーネストの顔を見比べ、そして詩人の言っていることは本当だ、と口々に言い始めました。
 
しかし、アーネストはというと、話を終えるとこれまでと同じように、いつの日にかあの偉大なる石の顔によく似た賢明で気高い人が村に現われるに違いない、と思いながらいつものように自分の家へと帰って行きました。
 
つまり、気高い顔をした大きな石の顔を長年にわたって見続けているうちに、アーネスト自身、自分も気付かぬまま、その石の顔によく似た顔になっていた、という物語です。
 
因みに、アーネストという英語は「正直な」という意味ですので、そこに作者の意図が隠されているのかも知れません。
 
真理を覆い隠す「顔おおい」(18節)はキリストによって既に取り去られました。ですから今は、誰もが正しく、まっすぐに主のみ顔を仰ぎ見ることが可能となっているのです。もう一度、読んでみましょう。
 
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(3章18節前半)。
 
それは「霊なる主」すなわち主が御霊において私たちの内に外に精力的に活動してくださっているからです。
 
「これは霊なる主の働きによるのである」(3章18節後半)。
 
 「易経」は、「君子は豹変し、小人は革面す」と諭しますが、たとい「君子」ならざる「小人」であっても、主に思いと心とを向け続けていれば、御霊なる主の働きにより、徐々にではあっても「主と同じ姿に変えられていく」(18節)のです。
 
 そのためには御霊なる主の働きを信じつつ、主がよみがえられた日曜ごとに主を思い、日々の歩みの中で主を仰いで、主を見続けていくことが大切です。
 
究極の栄光、それは「主と同じ姿」、そして主イエスと同じ心に変えられるという栄光です。
 
ご一緒に生涯かけてこれを追い求めてまいりましょう。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-10-12 16:52:47 (984 ヒット)
2014年礼拝説教

14年10月12日 日曜礼拝説教

「慰めに満ちたる神 迷える人を神の命につな 
 ぐ任務につく栄光」
 
コリント人への第二の手紙3章5〜11(新約聖書口語訳280p)
 
 
はじめに
 
秋十月。ノーベル賞の季節になりました。どこかの国が今年も、「なぜ日本人ばかりが」とヒステリーを起こす季節でもあります。
 
毎年、文学賞の有力候補とされている日本人作家は、今年も賞を逃しましたが、個人的にはこの人の通俗小説でしかない作品が、なぜノーベル賞候補にあげられるのか、さっぱりわかりません。
読者が多い、あるいは売れているということであれば、マンガの「ワンピース」の方がはるかに受賞に相応しいかも知れません。何しろ、国内だけでも三億冊も売れているそうですから。因みにこれに続くのが「ドラゴンボール」「ゴルゴ13」「ドラエモン」だそうです。
 
「核兵器を減らす」と言って、実は旧型を廃棄して新型に替えたにしか過ぎなかった、演説がうまいだけの超大国の大統領や、移民排斥や英国の脱退問題などで揺れる問題だらけの諸国連合に平和賞をやったりと、わけのわからないことをするノルウェーのノーベル委員会ですが、今年は正常になったのか、日本の憲法九条を受賞の対象にしなかったのは当然と言えば当然でした。
もっとも、もし万が一、九条が受賞、ということになったら、それはオリジナルを作って日本に押し付けてくれた米国が受章者になるのが相応しい、と皮肉る声もありました。
 
そういう中で今年のノーベル物理学賞に選ばれたのが二人の日本人と一人の米国人でした。
 
この三人がそれぞれ語る受賞の感想を視たり聞いたり読んだりしながら、改めて物事に取り組む動機や原動力について考えさせられた方も多かったと思います。
 
元日本人の「米国人」はカメラの前で、ノーベル賞の受賞に至ったモチベーション、つまり原動力は「怒り」であると語り、日本の文化や社会、教育を糞みそに批判しておりました。
 
しかし、この人が受賞するに至った業績自体は、米国であげたものではなく、日本の民間企業に在籍していた時代の研究によるもののようで、しかも、
何億円という豊富な研究資金を備えられ、米国にも留学させてもらい、給料もしっかりと受け取りながら自由に研究に打ち込んだ中での成果が受賞の対象となった筈です。
 
この「米国人」が日本に対して怒るのは個人の自由ですが、どうもお門違いではないかという、得も言われぬ異和感を持ちました。
第一、怒りが原動力になるのであれば、差し詰め、すべてにおいて激情タイプのお隣の国など、数え切れないほどのノーベル賞を取っている筈です。
 
そういう中で、この「米国人」よりも先に、青色発光ダイオードを日本はもちろん、世界に先駆けて開発をした二人の日本人の方は、何とも爽やかでほのぼのとした雰囲気で会見をしておりました。
 
とりわけ若い方の日本人はとても謙虚で、彼が研究の動機として挙げたのが、「人の役に立ちたかったから」でしたし、受賞の理由の一つとしてあげたのが「日本の高校や大学での教育がすばらしかったから」と、先の「米国人」とは対照的な発言をしておりました。
 
動機と言えば、使徒パウロは敵対者からは罵詈雑言を浴びせられながらも、栄光を神に帰して、自らの活動の原動力が自分にではなく、神にある、ということを強調します。
 
今週は先々週に続いて、コリント人への第二の手紙をテキストに、迷える人を神の命につなげるという一事に重点を置いて、その活動を展開していたパウロの主張に耳を傾けたいと思います。
 
 
1.新しい契約に仕えるという栄光、それはキリストの霊に仕えることでもある
 
パウロは先ず、自分自身の活動の源は自分にではなく、神の力にこそある、と言い切ります。
 
「わたしたちのこうした力は、神からきている」(コリント人への第二の手紙3章5節 新約聖書口語訳280p)。
 
 その上で、神からの力を受けて、自分は「新しい契約に仕える者」とされたと、自らの立場、役割を明らかにします。
 
「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである」(3章6節a)。
 
 ここに「新しい契約」(6節)とあります。
先ず、「契約(ディアテーケー)」ということですが、使われている言葉は「契約」や「約束」というよりも、「制度」や「規定」のことであると学者は言います(ハインツ・ディートリッヒ・ヴェントラント著 塩谷 饒 泉 治典訳)「NTD新約聖書註解 コリント人への手紙」367p NTD新約聖書註解刊行会)。
言葉を変えれば「関係」や「繋がり」「仕組み」といったものかも知れません。
 
また「新しい」(同)という言葉は、ギリシャ語には二つあります。
一つは「ネオス」で、もぎたての果物、というように時間的な新しさであって、もう一つの「カイノス」は旧来のものに対して斬新さを意味する質的な新しさです。
そしてここで使われている「新しい」は後者です。
 
「新しい契約(同)」が出現したことによって、それまでの「契約」は古い契約になってしまいました。
遺言書が書きかえられて内容が一新されれば、その時点でそれまでの遺言書は古い遺言書とされるようなものです。
 
なおパウロは、自分は「新しい契約に仕える者」(同)と言いましたが、言いかえればそれは「文字に仕える者」ではなくて、キリストの「霊に仕える者」であるということでした。
 
「それは文字(もんじ)に仕える者ではなく、霊に仕える者である」(3章6節b)。
 
ここでいわゆる旧来の「契約」、つまり「制度」が何であるかが明らかになります。
それは「文字」(6節)、つまり律法の「文字」のことで、細部にわたって律法を守ることによって神から義とされる「契約」を意味しました。
 
パウロは元々、「文字」で書かれた律法の教師でした。
 
「わたしはキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった(使徒行伝22章3節)。
 
「ガマリエル」とは、ユダヤにおいては当代並ぶ者なきラビ(律法の教師)であって、パウロはその直弟子として「薫陶を受け」たラビでした。
しかし、キリストに出会うことによって彼は「文字に仕える者」(6節)から、「霊に仕える者」(同)つまりキリストの「霊に仕える者」となったのでした。
「新しい契約に仕える」とは、キリストの「霊に仕える」ことでもあるのです。
 
パウロにとって「新しい契約に仕える」(同)こと、キリストの「霊に仕える」(同)ことは、ノーベル賞を受けることにも優る栄光であったのでした。
 
 
2.キリストの霊に仕えるという任務、それは罪びとに無罪を宣告する務めでもある
 
では、なぜ「新しい契約に仕える」(6節)こと、キリストの「霊に仕える」(同)ことが栄光であるかと言いますと、それは暗闇に光をもたらす任務だからです。
 
青色発光ダイオードすなわち青色LEDの発明と商品化は画期的な業績です。
ノーベル賞の発表の席で、委員が授賞の理由として、「二十世紀は白熱灯が照らし、二十一世紀は青色LEDが世界を照らす」と述べていましたが、耐用年数、照度、電力消費の点からも、人類にとって計り知れない程の恩恵をもたらす発明です。
 
しかし、青色LEDは人の心を照らすことはできません。それはエネルギーに恵まれず、光の少ない発展途上国の暮らしと発展に、多大の貢献をすることは確かですが、神への道を照らすことはできません。
 
現在、世界ではいわゆる「イスラム国」の脅威から、イスラム教が複雑な目で見られています。
十七歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイという少女は、女子教育の必要を訴えて、女性に教育は不必要とするイスラム武装勢力の一つ、パキスタンのタリバン運動という過激派組織から銃撃されて、危うい所で九死に一生を得た人ですが、でも、この勇敢な少女もイスラム教徒です。
 
彼女は昨年の七月、十六歳の誕生日に、国連でスピーチをしましたが、締め括りの言葉は聞く人に大きな感銘を与えました。
 
ひとりの子供、ひとりの教師、一本のペンそして一冊の本、それが世界を変えることができるのです。教育こそが唯一の解決です。エデュケーション ファースト(まず教育を)。(2013年7月12日 国連)
 
 
宗教は用い方によってはタリバンやイスラム国のように、人に苦悩と混乱を与え、偏見と差別を助長しますが、一方、宗教というものが一条の光となって、苦悩している人々に希望と勇気を与えてきたことも事実です。
 
そういう意味では律法という「文字」(6節)も、一つの光として紀元一世紀の地中海世界を明るく照らしておりました。
 
ユダヤ教は伝道活動をしません。しかし、地中海世界に住む人々、とりわけいわゆる男性優位の社会にあって、人権を無視されてきたローマ帝国の女性たちを惹きつけたものは、ローマの他宗教とは異なるユダヤ教が持つ高い倫理性と清潔さにありました。
 
でも、律法の要求が高度であればあるほど、律法という「文字」に従うことを要求する旧来の「契約」は、結果として「人を殺」す、つまり、真面目な人に対して有罪を宣告する宗教となりました。
だからこそパウロは「新しい契約」の原動力であるキリストの「霊は人を生かす」と言ったのでした。
 
「文字(もんじ)は人を殺し、霊は人を生かす」(3章6節c)。
 
「新しい契約」が、そしてキリストの「霊」がなぜ「人を生かす」(6節)のかと言いますと、それが人に有罪を宣告するのではなく、無罪を宣告するものであるからでした。
 
罪責感に苦しむ者を目の前にして、有罪を宣告する役割と無罪を宣告する役割とでは、どちらが栄光に満ちたものかは誰もがわかることです。
 
「もし罪を宣告する務めが栄光あるものだとすれば、義を宣告する務めは、はるかに栄光に満ちたものである」(3章9節)。
 
「義を宣告する」(9節)とは無罪を宣告するという意味です。「義」とする、という言い方は法律用語で、「あなたには罪がない、罪がないのだから罰もない」という完全無罪の宣言のことです。
 
しかもそれはキリストが神の権威において責任をもって為す宣言でした。自分の愚かさや過失によって、まさに「お先真っ暗」という人生を歩んでいた者にとって、無罪の宣告は生きる希望をもたらしてくれます。
 
そういう意味で、キリストの「霊に仕える」という任務、罪びとに無罪を宣告するという務めは、まことに「栄光に満ちた」(同)務めであるといえるのでした。
 
 
3.新しい契約に仕えるという任務、それは迷える人を神の命につなぐことでもある
 
「お先真っ暗」な人生を生きているということは、迷いの道を歩いているということでもあります。
では何から迷っているのかと言いますと、それは神から迷っていること、神のいのちから逸(はぐ)れていることを意味します。
 
世の中には「はぐれオオカミ」もいるようですが、惨めで心細いのは何といっても「はぐれ羊」でしょう。
爪もなければ牙もない弱い羊が、羊の群れからはぐれ、羊飼いの保護の手の届かないところに迷い行ってしまったら、あとはどうなるか、です。
 
しかし、「新しい契約」(6節)とは、神の民ではないものを神の民とし、しかも神のしもべという有り難い身分を捨てた者を探し歩いて、神の民、神の子という身分を与えるもの、つまり、「新しい」関係に入れるものでもあるのです。
 
どうしてそんなことが可能なのかと言いますと、イエス・キリストが人類の代表となって、神との間で新しい関係を結んでくれたからです。
どのように結んでくれたのかと言いますと、キリストが「古い契約」において、「文字」の要求をことごとく守り抜いてくれたからです。
たとえば、十戒はその六つめの戒めでは「殺すな」と命じます。
 
「あなたは殺してはならない」(出エジプト記20章13節 旧約聖書口語訳102p)。
 
 では殺人行為ということをしなければこの戒めをクリアしたことになるのか、といいますと、そうではありません。
人は心で人を殺し、目で人を殺すことができるからです。つまり、思いの中で「あんな人はいなければよいのに」と、誰かを抹殺するということは、神の目から見れば、人を殺したことと同じだと見做されるのです。
 
でも、十戒は人の往くべき道を示し、そして犯罪や悪と言われる違反行為を抑制することにおいては大いに役立ちました。
それは何よりも、神が何を欲しているか、何を嫌っているかという神のお心を知らせるという意味において有効でした。
 
つまり、限界があったとはいえ、「律法」に代表される解放者モーセの存在も働きも、一定の役割を担っていたといえます。
 
でもそれは、神のお心を示したとはいえ、人を神の許へと導くには力不足であって、結局のところ、「あなたは罪びとである」という有罪を宣告する務め、「死」を告げる「死の務め」でしかありませんでした。
 
しかし、ゆるしを宣言し、神につなげる務めははるかに栄光ある務めであると、両者を比較する中でパウロは言います。
 
「もし石に彫りつけた文字による死の務めが栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、まして霊の務めは、はるかに栄光あるものではなかろうか」(3章7、8節)。
 
 キリストの「霊の務め」(8節)、つまりキリストという霊に仕える務めが「はるかに栄光あるもので」(同)あるのは、キリストが人として、書かれた「文字」の要求を精神までもことごとく、実行、実践したからです。
 
 十戒が「汝(なんじ)殺すなかれ」と命じたとき、人であったときのキリストは、たとい憎むべき相手であっても、殺さないどころか、その過失をゆるし、無限の愛でその人自身を包んでおられたのでした。
 
 その証拠が十字架上で祈られた、「父よ、彼らを赦し給え」という執り成しの祈りでした。
 
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」(ルカによる福音書23章34節前半 131p)。
 
 「新しい契約に仕える」(6節)という任務は、この赦し主、救い主なるキリストを伝えることによって、神から迷い出てこの世を彷徨(さまよ)い歩く者たちを、天の神さまの命へとつなぐ働きでもあるのです。
 
 そしてパウロはこの手紙において、特に二章十四節からは何度も「わたしたち」(14、15、17節)と言っています。
 
この「わたしたち」とはあくまでもパウロを中心としたパウロの一行、伝道団を意味します。
しかし、パウロが本書において「わたしたち」と言う時、その気持ちの中には、その「わたしたち」の中にコリント集会の人々が含まれているように思えてなりません。そして、この手紙の宛先の人々も朗読されたパウロのメッセージを聞いたとき、その「わたしたち」の中に自分たちが含まれているように感じたかも知れません。
 
 
もちろん、厳密に言えば「わたしたち」はあくまでもパウロとその一行です。でも、本書からはパウロが自分たちとコリント集会とを一体の「わたしたち」として扱っている雰囲気が窺えるのです。
 
そしてもしもそうであるならば、ギリシャ世界から遠く離れた日本と言う国において、しかも二千年という時を超えた二十一世紀という混乱の時代を生きている私たちひとりひとりも、そして教会もパウロが言う「わたしたち」(4、5、6節)の一人であり、使徒パウロと共に「新しい契約に仕える者」の一員だということになります。つまり、わたしたちもまた、パウロの同労者なのだということになるのです。
 
それはまさに、ノーベル賞の受賞を超える栄光でもあります。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-10-05 16:16:40 (759 ヒット)
2014年礼拝説教

14年10月5日 十月日曜特別礼拝説教

「日本人とキリスト教 日本仏教における救い 
 とキリスト教の救い―他力による救済」
 
使徒行伝16章29〜34節(新約聖書口語訳209p)
 
 
はじめに
 
一年と一カ月前の昨年九月、日本列島は歓喜に包まれました。東京が二〇二〇年の夏期オリンピックの開催都市に当選したからです。その招致のプレゼンで有名になったものが「おも て な し」でした。
 
「来訪者すべてに、生涯忘れ得ぬ思い出を約束します」という言葉で締め括られたプレゼンの冒頭で、女性タレントは東京という都市を以下のように紹介しました。
 
もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。例えば現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として東京の警察署に届けられました。世界を旅する7万5千人の旅行者を対象としておこなった最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市です(20130908 2013年IOC総会 滝川クリステルスピーチ)。
 
「3000万ドル」は1ドル100円として、30億円という巨額なものです。大都会の東京でさえそうなのですから、日本の地方都市はもっと「安全」といえるでしょう。
 
もっとも、日本にも悪いヤツは大勢います。実際、目を背けたくなるようなひどい事件は後を絶ちませんし、紛失物にしましても、拾われた財布や現金が届けられることなく拾得者が私物化してしまったというケースも相当ある筈ですが。
 
しかし、紛失した財布が戻ってきたという事例もまた、無数に報告されていることは確かです。
 
「レコード・チャイナ」という、中国情報のネットサイトに先月、「訪日韓国人観光客は『まさか本当に…』と驚きの体験!=『日本は嫌いになれない国になった』」というタイトルの、韓国ネットに掲載された韓国人ブログの記事が載っていました。要は以下の通りです。
 
5月に5泊6日の日本旅行で日本に来た韓国人の「僕」は二日目、羽田空港に行こうと財布をカメラ用の鞄に入れて、宿泊先の新大久保のホテルから街に出て、撮影をしながら乗り換え駅の品川に着き、そこで切符を買おうとして気づきます、「鞄に入れていた財布がない」と。そこで何を思ったのか小銭をかき集めて彼は空港行きの切符を買い、用事を済ませてから途方に暮れてしまいます。
 
空港で用事を済ませたが50円しかない、そこで(韓国人の)友人に連絡をしたが電話はつながらない、やむなくツイッターで日本人の知人たちに助けを求めたところ、一人が今から行くという、気の毒だからと断ったが、その知人は2時間かけて羽田まで来てくれて、その上、交番で紛失届を代筆してくれて、「遠くまで来たのだから楽しんで」と言って、5000円札をむりやり胸ポケットに入れてくれた。
 
なくなった財布は結局見つからず、旅行を終えて韓国に帰国して1週間後、財布が見つかったという連絡が(日本から)あった、思わず町の中で叫び出したくなるほどであった、財布は知人が受け取りに行ってくれて、三日後、国際郵便が自宅に届いた、中には現金と各種のカードがそっくりそのまま入った財布、そして日本のお菓子が入っていた。「日本だから、もしかしたら」と少し期待していたが、まさか本当に戻ってくるとは思わなかった。韓国では空の財布でも戻ってくればラッキーなのだ(以上、ブログの要約)。
 
彼のブログの最後は、「助けてくれた(日本人の)知人には本当に感謝している。そして今回のことで、日本は僕にとって、嫌いになろうとしてもなれない国になってしまった…。」と締め括られていました。
 
 紛失した財布が戻ってくる日本、つまり言い換えれば、拾った財布をそっくりそのまま正直に交番に届け出るという人が多くいる国の、稀有ともいえるこのような国民性はどのようにして養われたのか、先進国の中でも飛び抜けて犯罪率が低いとされる日本人の高い倫理観はいかにして形成されたのかという説明の一つに、仏教の、とりわけ戦前のお寺の存在と働きがある、という説があります。
 
 仏教がまだ力を持っていた戦前までの日本のお寺は、地域の子供たちが日常的に訪れる場所でもあったそうです。
 
そして、地域のお寺には地獄の場面を描いた屏風絵やふすま絵が多くあり、子供たちはそれらの絵を見て、「悪いことをしたら地獄に落ちる」「嘘を吐(つ)いたら閻魔(えんま)さまに舌を抜かれる」「悪いことをしたら火の池、針の山で苦しむ」ということを教えられ、子供心に、「たとい、人が見ていなくても人に迷惑をかけるようなことはしない」「良心に従って正直に生きる」という生き方を学んだというのです。
 
 そういう意味において、日本仏教の我が国における功績はとても大きい、と言えると思います。
 
 六月から十一月までの予定で月初めに行っている日曜特別礼拝では、これまで四回にわたって比較宗教学的な視点から、日本の宗教や精神とキリスト教についてお話しをしてきましたが、五回目の今月は「日本仏教における救いとキリスト教の救い」を主題にして、それぞれの特徴をご紹介したいと思います。
 
 
1.苦悩からの救いを目指した仏教
 
よく使われる四字熟語に「四苦八苦(しくはっく)」という言葉があります。
 
これはもともとは仏教用語であって、「四苦」は「生(しょう)」と「老(ろう)」と「病(びょう)」と「死(し)」のことで、これら四つは人が人としてこの世に生まれてきた以上、誰もが逃れることのできない根源的、必然的苦しみを指すわけですが、実はそれ以上の意味があるそうで、その意味とは、これらがすべて、人が思うようにならないということを象徴するものなのだそうです。
 
この「思い通りにならない」という苦しみをまとめて「一切皆苦(いっさいかいく)」と言います。
 
「生 老 病 死」という「四苦」の場合、人が「老」いることは人というものが生き物である以上、必然です。「病」もまた然りです。
そして通常、「老」いと「病」がもたらすものが「死」なのですが、逆縁と言いまして、時には親よりも先にこの世の生を終える例もあります。
 
では「生(しょう)」は喜びではないのかと思うのですが、まさに生きるということこそ、人が思うようにならないことの代表ですから、それこそが苦悩なのだというわけです。
 
これらの「四苦」に加えられるもう一つの「四苦」があります。それで合わせて「八苦」となるわけです。
 
それらは「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つです。
 
「愛別離苦(あいべつりく)」とは、親や家族、教師や友人など、どんなに愛していても、いつかは別れなければならないという苦しみのことです。
 
「怨憎会苦(おんぞうえく)」。これは努力してもゆるすことが出来ず、どうしても怨みや憎しみを覚えてしまう人と出会うという苦しみです。
 
「求不得苦(ぐふとくく)」は、金銭や物質、地位や名誉、時には好意を持つ者を手に入れることが出来ないという苦しみを指します。
 
そして四つ目の「五陰盛苦(ごおんじょうく)」は「五蘊盛苦」とも言いますが、自らの心身の欲求を思うように抑制できないという苦しみを意味します。
 
「五陰」あるいは「五蘊(これは「ごうん」とも読みます)」は五つの集まりという意味の言葉だそうで、人は肉体としての「色(しき)」、感情や感覚としての「受(じゅ)」、イメージを想像する感覚としての「想(そう)」、意志や衝動としての「行(ぎょう)」、そして認識を掌る「識(しき)の集まりであって、これらの欲求に人が執着をしてしまう苦しみを指すのが「五陰(五蘊)盛苦」なのだそうです。
 
まことに人というものは昔も今も、思うようにいかないという苦悩を生きる存在と言ってもよいかと思います。
 
でも幸いなことに、私たちは苦悩する人々に目をとめ、その声に耳を傾けてくれる存在を知っています。創造者なる神さまです。
神はシナイ半島にあるホレブの山において、モーセをイスラエルの民の解放者として召し出す際に、自らを救済者として紹介されました。紀元前十三世紀の始めのことでした。
 
「わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである」(使徒行伝7章34節前半 新約聖書口語訳191p)。
 
 
2.自力救済から他力本願への転換
 
仏教の教えは高遠で広大無辺なのですが、一口に言ってしまえば、これらの苦悩からの救済の道を示す教えであり、それが仏教であると言うことができるかと思います。
 
問題はこれらの苦悩から救済されるのか、人はどうやって根源的な苦しみから逃れることができるのか、ということです。
 
ところで仏教の源泉はインド思想ですが、そのインド文明に歴史という文化が発達しなかったのかというわけについて、「インド文明に特有な、生(てんしょう 魂の生まれ変わり)の思想から来ている」と、歴史家の岡田英弘東京外語大学名誉教授は言います(「歴史とはなにか」18p 文藝春秋社)。
 
岡田教授は説明します。
 
日本に伝わった仏教用語で説明すると、衆生(しゅじょう 生物)は、その形によって『六道』という六種類の存在に分かれる。
「天」(神々)、『阿修羅(あしゅら 悪魔)、「人間」、「畜生」(動物)、「餓鬼」(がき 幽霊)、「地獄」の六種類の衆生がある。
 
天の神々から地獄の住民に至るまで、それぞれ長い短いの差はあるけれども寿命があって、寿命が尽きると、魂が死体から抜け出して、七七、四十九日の間『中有(ちゅうう)』(中間的存在)に在って、中有の期間が終わると、次の生物に生まれ変わる(転生する)。
このサイクルが「輪廻(りんね)」である。
 
(中略)ところでこの輪廻の思想では、来世でどんな種類の生物に生まれ変わるか、また生まれ変わってから、どんな生涯をたどるかは、今生(こんじょう)でどんな業(ごう)を積んだかによって決まる。
前世が原因で、今生が結果、今生が原因で、来世が結果、と考えられている」(前掲書18p)。
 
この終わりなき「円環(えんかん)」という時間の概念はインドに限らず、ギリシャ思想に共通するものなのですが、仏教ではこの輪廻転生から抜け出した者を「仏」と言うのだそうです。
 
つまり、仏教とは人が「仏」になるための道を示す教えであるとも言えるでしょう。ですから戒名、あるいは法名といいますのは、仏になるべく、生きている間に仏道に帰依して修行をした人に与えられるものなのに、仏教には無縁の人生を送りながら、死後、お金を払ってつけてもらう戒名あるいは法名には意味がない、という声もあります。
 
確かに仏教は「葬式仏教」などと揶揄されます。しかし、人生の終着点である葬儀を引き受けているがゆえに、仏教は強い、とも言えるようです。
 
政治家の違反行為に連座して有罪を宣告された作家、評論家の佐藤 優元外交官は、同志社大学神学部出身という異色の経歴を持つ、まさに「知の巨人」ともいうべき人物ですが、二年前に臨済宗の僧侶を対象として行われた研修会での連続講義において、仏教の強みを強調しました。
 
我々(註 キリスト教のこと)は仏教に勝つことができない、未来においても勝てないでしょう。日本の仏教は葬式仏教という形でよく揶揄されますが、これは大きな間違いです。宗教において、葬式を司るということは、死というものをその宗教との関係において受け入れるということだからです。それは宗教としては最も強い影響力を持つということです(佐藤 優著「サバイバル宗教論」122p 文春新書)。
 
その通りだと思います。でもここで、次の問題が出てきます。人はこの世において、どうしたら「四苦八苦」の苦悩の状態から脱して本物の仏になることができるのか、ということです。
 
そのために、仏教は主に二つの道を提示したとされます。
 
一つは修行を積み重ねることによって、欲望や執着心などの煩悩を断ち、それによって悟りを開き、その結果、仏になるという道です。
それが飛鳥、奈良時代、そして平安時代に最澄(さいちょう)が開いた天台宗であり、空海が開いた真言宗など、なのだそうです。
 
しかし、そうなりますと、誰もが悟りを開く、というわけにはいきません。
「狭い道」ですので必ず、落ちこぼれが出てきます。というよりもほとんどの人が落ちこぼれてしまいます。
それに加えて時代的には、平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけて、世は乱れに乱れ、戦乱の世の中となり、飢餓、疫病が蔓延する、いわゆる末法の時代となって、人心が荒廃していきました。
 
そういう荒廃した時代の中で、修行という「自力救済」の限界を覚えて、念仏こそがすべての人を救済するとして、「他力救済」を唱えたのが浄土宗の開祖、法然(ほうねん)であったとされます。
 
彼の教えは「すべての衆生(しゅじょう)を救おうとする阿弥陀仏の慈悲を信じて『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と唱えよ」というものでしたが、
その法然の教えを更に分かり易く説いた人が法然の弟子で、浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)なのだそうです。
 
親鸞は、誰であっても救済をしようとする阿弥陀仏の本願(ほんがん)が、「南無(なむ)阿弥陀仏」と唱える者を、たといそれが悪人であったとしても、極楽浄土に往生させてくださると説きました。
これを「他力本願」と言います。
よく知られているものが、親鸞の教えを弟子の唯円(ゆいえん)が書いたとされる歎異抄(たんにしょう)です。
 
そしてここまで来ると皆様は、「どこかで聞いたような教えでは」と思うのではないかと思います。そうです、まさに新約聖書の教えそのものであって、それは使徒行伝における使徒ペテロの説教を思い出させます。
 
ペテロはエルサレム神殿の大回廊において、多くの参拝者に向かい、聖書の言葉を解き明かしながら、「世の終わりが来る前に、ただただ、主の名を呼び求める者は、誰であっても救われる」と説きました。
 
「主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやむに、月は血に変わるであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう」(使徒行伝2章20、21節 182p)。
 
 
3.他力本願による救済は十字架において
 
 高僧たちが教えるように、「南無阿弥陀仏」と称(とな)えることによって輪廻の束縛から解き放たれて、極楽浄土に往生することができればよいのですが、更なる問題はその裏付けの有無にあると言えます。
つまり、その教えには保証、確証があるのかどうか、ということです。
 
 極楽行きの切符をもらったけれど、それで果たして極楽に行けるのか、極楽行きの汽車というものが果たして出ているのか、第一、それは誰も見た事がないし、行ってきたという人に会ったことがない、というわけです。
 
 もちろん、法然上人や親鸞上人は人格的にも尊敬すべき人たちであって、日本の誇りでもあり、その教えも深く優れた教えでした。ですから欧米では知らぬ者のない有名な神学者であったカール・バルトが親鸞の教えを、「十字架のないプロテスタント(神学)だ」と評したそうです。
 
このバルトの評に関しては出典を確かめたわけではありませんので断定はできませんが、バルトがもしもそのように言ったのであれば、恐らくはそれを批判などではなく讃嘆の言葉として発したのではないかと思うのです。
「東洋の一角で、使徒パウロが打ち出した、『信仰のみによって救われる』という考えによくぞ到達した」という意味でですが。
 
親鸞の教えはまさに十字架のない信仰義認論です。西暦十三世紀の親鸞が、どこかでキリスト教の思想や神学に触れていたという証拠はないようですが、とにかく、「信じるだけで救われる」というその教えはパウロの主張と実によく似ています。
 
 問題は、「なぜ信じるだけで救われるのか」ということです。「それが阿弥陀仏の意図、本願だからだ」という、その動機が阿弥陀仏の深い慈悲にあるという教えに納得することもできます。
 
問題は極楽浄土、キリスト教で言う神の国への道が果たして存在するのか、もしも存在するのであれば、誰がどのようにして開いてくれたのか、ということです。
 
人間と言うものは仏教でいう「罪障(ざいしょう)」、キリスト教で言えば「罪過(ざいか)」というものを持っています。
「救い」あるいは「救済」というときに欠かせないことは、罪障、罪過さらにはその根である「原罪」を誰がどのように処分、始末して、極楽、あるいは神の国に入る資格を与えてくれたのか、ということです。
 
残念ながら親鸞上人の教えにはそれが語られてはいないようです。でも、末法の時代と言われた鎌倉時代、法然上人や親鸞上人が悩める衆生と共に生き、共に苦悩した末に「他力本願」を打ち出したその時代の千二百年も前に、遠く離れたパレスチナの地に、神の子でありながら人となり、人として罪の誘惑を退けて罪なき生涯を送り、その無垢の体を人類の身代わりとして十字架に晒した一人の人がいたのです。イエス・キリストです。
 
このお方が私たちの罪障、罪過を代わりに受けて十字架にかかって身代わりの死を遂げてくださったからこそ、信じる者は誰であっても救われると、聖書は主張します。
 
 西暦五十年の春あるいは夏のこと、使徒のパウロはローマ帝国のマケドニヤ州ピリピにおいて、所有者たちの利益のために奴隷となって働いていた薄幸の少女を救うのですが、金儲けの手段を失った所有者たちの怨みを買い、裁判も受けぬまま、投獄されて不当にも残酷な鞭打ちの刑に遭ってしまいます。
 
真夜中、パウロと同行者のシラスが痛みに耐えながら詩篇を歌っていたその時、地震が起こって獄屋の戸が開き、囚人をつないでいた鎖や足かせも外れてしまいます。
この事態を見た獄屋番は当然、囚人たちが逃げ出したものと思います。管理責任を問われるのは自分です。家族も一蓮托生で罰を受ける可能性が大です。
 
そこで獄屋番は災いが家族に及ばないようにと、責任をとるつもりで自死を決心します、そして剣を自分に向けたその瞬間、牢屋の中からパウロが大声で止めます、「死ぬな、あなたは死ぬ必要はないぞ、囚人は一人残らず、ここにいる」と。
 
間一髪、死を免れた獄屋番はパウロたちを外に連れ出して尋ねます、「自分のような愚かな者が、どうしたら神に受け入れられるでしょうか」と。
 
「それから、ふたりを外に連れ出して言った、『先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか』」(使徒行伝16章30節 209p)。
 
 この真摯な問いにパウロは答えます、「自分の罪の身代わりになって死んでくれたイエスをキリスト、救い主として信じ、受け入れなさい。そうすればあなたのすべての罪は赦され、そして救われて永遠の生命を受けることができる、神の国に入ることができる」と。
 
「ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』」(16章31節)。
 
 「他力本願」という、すべての人の救いを目的とした究極的な救いの道は、まことに有り難いことに、西暦三十年の四月、キリストとして選ばれたナザレ出身の、イエスという罪なき救世主の十字架の死によって、全世界の人々に、そして日本人のためにも造られていたのでした。
 
 この、キリストによる救済を、「アメイジング グレイス」つまり、「びっくり仰天するような神の恵み」という讃美歌として書いたのが、イングランドの奴隷商人であったジョン・ニュートンでした。
 
 そこで今日はご一緒に、聖歌二二九番「驚くばかりの恵みなりき」を心を込めて歌うことに致しましょう。まことに有難いことに、キリストという他力による救いは実現しているからです。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2014-09-28 16:31:40 (1209 ヒット)
2014年礼拝説教

14年9月28日 日曜礼拝説教 

「慰めに満ちたる神 神からの推薦状であり、キリストの手紙であるという光栄」
 
コリント人への第二の手紙3章1〜3節(新約聖書口語訳280p)
 
 
はじめに
 
海外で活躍している日本人といえば、少し前はメジャーリーグのイチローであり、松井秀喜でしたし、最近ではダルビッシュであり、田中将大(まさひろ)、そしてサッカーの本田圭佑というところかと思いますが、今は四大タイトルの一つ、全米オープンで大活躍をして日本中を沸かせたテニスの錦織圭(にしこり けい)でしょう。
 
彼らアスリートたちは天賦の才能の上に努力を積み重ねることによって実力を養い、ついに光栄ある地位を占めるに至った特別なカリスマであって、日本人にとっては誇りともいえる存在です。
しかし、カリスマではないその他大勢である一般の日本人もまた、光栄ある存在になることができますし、すでになっているとも言えます。
 
今週はそのことをコリント集会へのパウロの手紙から確認をしたいと思います。
そこで「慰めに満ちたる神」の三回目の本日の説教タイトルは、「キリストからの推薦状であり手紙であるという光栄」です。
 
 
1.パウロの信仰を受け継ぐ教会は、今も神からの推薦状として用いられる
 
パウロの心と働きを支えてきたものは、彼自身がキリストの使徒であるという使命感でした。そこでパウロの敵対者はパウロに対する信頼性を損なおうとして、彼の使徒職の正統性について疑義を抱かせるような動きを取りました。
 
ですから、厳しい内容を連ねた「涙の手紙」と呼ばれる実質的第三の手紙(コリント人への第二の手紙2章4節)では、彼の使徒職に関する弁明に重点が置かれた論述となっておりました(コリント人への第二の手紙10章1節〜13章10節)。
 
そのことを踏まえておきますと、今週の主題の背景が浮き彫りとなります。パウロは言います、わたしは自己推薦をしているのではない、と。
 
「わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めているのだろうか」(コリント人への第二の手紙3章1節前半 新約聖書口語訳280p)。
 
このパウロの前置きは、敵対者たちが「パウロはまたまた、いつものように自己推薦、自己宣伝をしている」という悪意の宣伝を前以て封じるためのものでした。
 パウロは言います、わたしには自分を権威づけるための推薦状などは不必要である、と。
 
「それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいはあなたがたからの推薦状が必要なのだろうか」(3章1節後半)。
 
 この「ある人々」(1節)というのは、「推薦状」を持ってコリント集会に乗りこんできて、集会を牛耳っていた指導者たちを指すものと思われますが、その「推薦状」がどこから発行されたのかについては、ユダヤ教的律法主義から抜け切れず、それゆえに、信仰のみによって義とされるという教説を打ち出しているパウロに対して否定的な、エルサレムの本部教会ではないかという見解もありますが、それは何とも言えません。
 
 ただパウロはここで、「わたしには『ある人々』が重視している『推薦状』なるものは必要がない、なぜならばわたしパウロがキリストの使徒であることを証明する『推薦状』は、あなたがたコリント集会であり、かつ集会を構成している一人一人であるのだから」と言い切るのです。
 
「わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである」(3章2節前半)。
 
 ここにパウロの自負があり、誇りがあります。彼は彼が福音を伝えることによって正統的信仰へと導いたコリント集会、コリント信徒たちこそが、彼の使徒性を証しする正規の「推薦状」なのだと宣言します。
 でも、彼らコリント信徒の多くは、「にせ使徒、人をだます働き人」(11章13節)に騙されてパウロの使徒職の正統性を疑い、パウロに躓いた人々であったのです。
そのような、一度はパウロに背を向けた人々をパウロは、「わたしたちの推薦状はあなたがたなのである」(3章2節)と言っているのです。
 
しかも、あなたがたがわたしの「推薦状」(同)であるという事実は、わたしの心に刻み込まれていて、関係者にとっては打ち消すことのできない周知の事実なのだ、というのです。
 
「それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている」3章2節後半)。
 
 この手紙が集会で読まれた時、コリント集会の人々がどのような気持になったのかを想像してみたいと思います。彼らは心から赦されていることを実感し、信仰を新たにしたことと思います。
 
そして、二十一世紀を生きる私たちもまた、パウロの信仰を受け継ぐ教会として信徒として、この時代にあって神からの「推薦状」として用いられていることを覚えたいと思います。
 
 
2.パウロの心情を引き継ぐ教会は、キリストの手紙として多くの人に読まれている
 
そして息を継ぐ間もなく、パウロは書き出します、「あなたがたはキリストの手紙でもあるのだ」と。
 
「そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、」(3章3節)。
 
 「推薦状」とされたことだけでも光栄であるのに、更に「あなたがたは…キリストの手紙であ」(3節)るとさえ、言うのです。
 「推薦状」とは何かと言いますと、「特定の人物あるいは物品が優れているということを認定した上で、採用あるいは使用するようにと薦めること」を意味します。つまり、推薦者よりも推薦対象に重点が置かれます。
 
 これに対し、「手紙」は読み手に対して書き手の側のメッセージを伝えるために書かれます。
そういう意味では実質的第一の手紙である「前の手紙」(コリント人への第一の手紙5章9節)は忠告を主とした手紙であり、第二の手紙である「第一の手紙」はコリント集会からの質問に回答をするという内容の手紙となり(7章1節)、パウロが「多くの涙を持って…書き送った」(第二の手紙2章4節)涙の手紙は、問題点を糾弾する極めて厳しい内容であって、最後の手紙である本書は、パウロの感情が爆発したような、感激と赦しに溢れた手紙となっています。
 
 パウロは言います、「あなたがたは」(3節)誰が何と言おうと「キリストの手紙であ」(同)る、と。
読み手に対して、キリストがいかなる意味において救世主あるか、なにゆえ、キリストを信じなければならないのか、キリストを信じることがどのような結果を生み出すのか、という福音を伝えるもの、それが「キリストの手紙」の効用であり役割なのです。
 
 では、人が「キリストの手紙」であるということは、具体的にはどういうことかと言いますと、一つはその人柄、振る舞いなどの日常の生活において、キリストの品性や人柄を感じさせ、あるいは証しをするという働きがあります。
それはその生き方において、神を崇め、神のお心を行おうとする方向性を持って生きていることを窺わせることでもあります。
 
 二つ目はイエス・キリストを救い主として紹介するという福音伝道の働きを行うことです。
これには自分がキリスト信仰を持つに至った証しを語ることはもちろん、皆さまが日曜ごとにいそいそと教会の日曜礼拝に出席をするということもまた、立派な福音伝道への参与でもあります。
 
 そしてもう一つが仕事や作品を通してキリストを語るという場合です。
「ベン・ハー」の作者、ルー・ウォリス(ウォーレス)の同書執筆の経緯についてネットを検索すると、色々な説教ブログなどで語られているのは、彼は無神論者であって、迷信と思い込んでいたキリスト教の撲滅論を書こうと思って米国各地を旅して資料を集めたり、パレスチナに長期旅行を行って調査活動を行っているうちに、聖書が真実を記録したものであるという確信に導かれ、そこで「キリストの物語」としての「ベン・ハー」を書いたというものです。
 
しかし、残念ながらそのようなエピソードを証明する出典を明らかにしている日本語での説教がありませんので、それが真実かどうかは不明です。ただし、英語の文献はチェックしていませんが。
 
なお、「ベン・ハー」が出版された一八八〇年当時、作者のルー・ウォリスはニューメキシコ準州の知事の地位にありました。準州といいますのは州に準ずるという意味であって、ニューメキシコ準州が州に昇格したのは一九一二年のことでした。
 
ただ、準州であったとしても、知事は多忙の筈です。飛行機どころか自動車もない時代にそんな旅をする時間が取れたのか、という疑問が出てきます。
ガソリン自動車が発明されたのは一八七〇年、ヘンリー・フォードがフォード・T型を発売したのが一九〇八年です。飛行機に至ってはライト兄弟が有人飛行に成功したのは一九〇三年のことでした。
 
おまけに当時、ウォリスはニュー・メキシコ準州知事として、拳銃の早撃ちで有名なビリー・ザ・キッドに恩赦を与えるかどうかという案件も抱えていました。そういうわけで、公人である作者が資料収集のための旅行に出かけるという時間そのものを確保することが可能であったのか、ということから、エピソードの信憑性には疑問符が打たれます。
 
でも、それでも一つ言えることは、「ベン・ハー」という作品には作者のキリスト教に対する肯定的な思いが込められているということです。
同作品はまさにキリストを証しする「キリストの手紙」となって、原作の読み手たちに、あるいは映画を観た者たちにキリストを、キリストの存在をリアルに伝えているということは間違いがない事実です。
 
私などもかつて、映画の中で後ろ姿のキリストが出てくる場面では、二度とも感極まり、胸が熱くなるという経験を劇場でしたものでした。
その一度目は囚人のベン・ハーがナザレを通過する際に、疲労困憊した彼にキリストが水を飲ませる場面であり、二度目は十字架の道行きの途上、十字架を負ってよろめくキリストに、ベン・ハーが水を差し出そうとするシーンです。もっとも、二度目のシーンは原作にはありませんが。
そういう意味では、「ベン・ハー」という作品自体、「キリストの手紙」であると言えるでしょう。
 
 パウロの心情を引き継ぐ者たちはキリストの手紙として、多くの人に読まれているのです。
 私たちはたとい目立たなくても、直接的にあるいは間接的に、この世においては一通の「キリストの手紙」(3節)となって、周囲の人に読まれているのだということを、誇りをもって自覚したいと思います。
 
 
3.推薦状も手紙も、神の御霊によって信じる者の心に書かれている
 
 手紙は古代においては石の板に刻まれ、パウロの時代には羊の皮をなめした羊皮紙、あるいは葦の髄を縦横に置いたものを上から圧迫してつくられたパピルスに書かれました。なお。この「パピルス」は英語のペーパーの元となりました。
しかし、「推薦状」(2節)も「キリストの手紙」(3節)も、キリストを信じる者たちの「心の板」に、「神の霊によって書かれ」たものであるとパウロは言います。
 
「そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている」(3章3節)。
 
 私たちの「心の板」(3節)、つまり私たちキリストを信じる者たちの心の底には、私たちがかつて、「イエスは主なり」と告白をした時以来、つまり、「イエスさま、わたしは心の戸をあなたに向かって開きます、どうか、私の心の中に、人生に入ってきてください」と祈った時から、「生ける神の霊によって」(同)、キリストの姿が描かれ、キリストのメッセージが書き連ねられているのです。
 
 それがパウロの確信でした。
 
「こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている」(3章4節)。
 
そういう意味では大きなことを企てなくてもよい、人の耳目をそばだてるような業績をあげていなくてもよい、大事なことは日々を全力を尽くして生きるということなのです。
私たちが意識するとしないとに関わらず、父なる神から送られた「神の霊」(3節)自らが筆者となって信じる者たちの「心」に、今日もキリストの姿を、そしてキリストの言葉を書いて下さっているのです。
 
そこで今日は「第一の手紙」の結びの言葉を読んで、しばし、感謝の祈りの時を持ちたいと思います。
 
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」(コリント人への第一の手紙15章58節 276p)。
 
 神の「推薦状」であり、「キリストの手紙」であるという、光栄ある立場を自覚して、「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励」む教会であり、ひとりびとりでありたいと思います。


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