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投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-01-12 16:48:54 (2121 ヒット)
2013年礼拝説教

13年1月13日 日曜礼拝説教

「旗幟(きし)を鮮明にするということアリマタヤのヨセフに倣(なら)う

マルコによる福音書15章42〜47節(新約聖書口語訳80p)

 
はじめに
 
 二〇〇一年九月十一日、米国の中枢を狙った同時多発テロがニューヨークとワシントンで発生しましたが、此の事件のあと、当時、親日家として知られていたリチャード・アーミテージ国務副長官が、柳井俊二駐米大使(当時)に対して「Show the FLAG(ショー・ザ・フラッグ)と言ったという話しが伝わりました。「ショー・ザ・フラッグ」とは、直訳すれば旗を見せろ、ということになりますが、それはテロに見舞われた米国に対し、同盟国として協力するかどうか、態度を明確にしてくれ、という日本国への協力要請であったわけです。
 
 この「ショー・ザ・フラッグ」という英語を日本語にしたものが「旗幟鮮明(きしせんめい)」という言葉です。「旗幟」の「旗」は文字通りの旗(はた)で、「幟」は幟(のぼり)です。
 
 特に戦国時代、武将たちは自らの旗印を立てることによって敵、味方の別をしたものでした。
この旗印にはそれぞれの家の紋、つまり家紋を使ってデザインしたものが多かったそうで、代表的なものが川家康の旗印の、葵の紋を縦に三つ並べたものです。旗印には他に、伊達政宗の旗は白地に日ノ丸、織田信長は永楽通寶の図柄を三つ縦に並べたもの、という具合でした。
 
 葵の紋でもよく知られることになった家紋とは最初、武家の間で広まり、元禄時代に商家に広まったそうです。
我が家は代々、江戸で木材問屋を営んでおりましたが、横浜の兄によりますと、我が家の家紋は「抱き茗荷(みょうが)」であったとか。
茗荷は語呂合わせで神仏からの御利益を意味する「冥加(みょうが)」に通じるということで、一般に好まれた家紋だったそうですが、特に戦国時代、武将たちが家紋を旗印にしたということは、「我が家と我は主に仕えん」という、自らの態度を鮮明にする意思表示行為でもありました。
 
 今から二千年前、負け戦になるかも知れない、しかし、今こそ、自らの旗幟(きし)を鮮明にすべき時、として、公然と「イエスは主なり」との信念に基づいて行動したユダヤ人がおりました。
わたしたちはその人物に倣う者でありたいと思うのですが、その人の名は「アリマタヤのヨセフ」、ユダヤ最高法院サンヒドリンの議員の一人でした。
 
 
1.旗幟(きし)を鮮明にする決断の時期(とき)
 
 ユダヤ社会では、一日は夕方の日没から始まります。正確な時間は夏や冬など、季節によって多少の違いはありますが、平均すれば一日は午後の六時に始まって、翌日の午後六時までということになります。
 
 イエスは午前「九時ごろ」(マルコによる福音書15章25節)に十字架に架けられて、午後の三時過ぎに息を引き取りました(15章34、37節)。
 
ユダヤの律法では安息日の労働は禁じられており、当然、葬儀や埋葬もできません。ところがイエスが亡くなった日は安息日である土曜日の前日の金曜日でしたから、日が変わる日没までには三時間足らずしかありません。
 
「さて、すでに夕方であったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので」(マルコによる福音書15章42節 新約聖書口語訳81p)。
 
 安息日が終わるのは土曜日の日没です。しかし、悪霊が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する時間帯と考えられていた夜間に、ユダヤ人は葬儀など致しませんから、埋葬は早くても翌々日の明け方になってしまいます。
 
一方、もしも遺体を刑場に二晩も放置したままであれば、遺体は鳥に啄ばまれ、野犬などに食い荒らされる恐れがあり、しかし、男の弟子たちはユダヤ当局を恐れて姿を晦(くら)ましておりますし、女性の弟子たちにはイエスを葬りたいという気持ちはあっても、その準備も力もありません。
 
そしてその時、途方に暮れている女弟子たちの前に現われたのが、アリマタヤ出身のサンヒドリン議会議員、ヨセフだったのです。それは日が変わる午後の六時が刻一刻と近づいてきたときでした。何とヨセフはローマ総督ピラトのもとに赴いて、イエスの体の引き取り方を願い出たのでした。
 
「アリマタヤのヨセフは大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引き取りかたを願った」(15章43節前半)。
 
 「アリマタヤ」とはパレスチナの中西部の町で、預言者サムエルの出身地の「ラマタイム・ゾピム」のことです(サムエル記上1章1節 旧約聖書口語訳382p)。
 
 マルコがヨセフのことをなぜ「大胆にもピラトの所へ行き」(43節前半)と書いたかと言いますと、ヨセフは最高法院サンヒドリンの議員で、しかも有力者とされる議員であったからでした。
 
「彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった」(15章43節後半)。
 
 イエスは何者であったかのと言いますと、ユダヤの法廷では神を冒したという神罪(とくしんざい)で有罪判決を受け、ローマの法廷では皇帝に反逆した国家反逆罪の罪で死刑に処されたばかりの罪人でした。
 
 一方、サンヒドリンはイエスを国家反逆罪の廉で総督ピラトに訴え出たユダヤの最高議決機関でした。その構成員でしかも有力者である議員が、ローマによって罪人として処刑された者の遺体の引き取り方を願い出たということは、自らが罪人イエスの仲間、少なくとも理解者、シンパであることを公に表明したも同然の行為ということになるわけです。
 
そしてヨセフはピラトから引き渡されたイエスの遺体を丁重に包んで、刑場近くの墓に埋葬しました。
 
「ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。そこでヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石を転がしておいた」(15章44〜46節)。
 
 言うなればヨセフの行為は彼が旗幟(きし)を鮮明にしたことを意味します。
それまでのヨセフは、心中においてはイエスの教えに共鳴もし、心を揺さぶられていたかも知れません。
しかし、それは彼の内心の出来事であって、外に向かって自らの理解や信仰を表明することはありませんでした。ですから、ヨセフのこれらの行為には誰もが驚いたことと思います。
ヨセフは時期(とき)が来たと思ったのでしょう。彼は躊躇することなく、恰も以前からイエスがキリストであったと考えていたかのように、そしてイエスの弟子であったかのごとく行動したのでした。
 
それは彼にとってくぐり抜けるには「狭き門」であったかも知れません。しかし、ヨセフはサンヒドリンを恐れず、またローマの権力に怯えることもなく、ただ神のみを恐れて、自らの信ずるところを泰然自若として表明し、告白をしたのでした。
 
私たちもまた、ヨセフのように旗幟を鮮明にする時期(とき)が来たと感じたならば、ヨセフに倣い、「イエスは主なり」と告白をして、十字架を担う者でありたいと思います。
 
 
2.旗幟(きし)を鮮明にする決断の契機(きっかけ)
 
 アリマタヤのヨセフの転機はいつだったのでしょうか、また何が彼をしてこのような大胆な信仰の表明に至らせたのでしょうか。
 
考えられるのはやはり、二つの法廷におけるイエスの態度、振る舞いであり、とりわけ十字架上のイエスの言葉にあったと思われます。
 
 サンヒドリンの議員として、しかも長老の議員として、ヨセフはイエスを審(さば)く立場にありました。また、ピラトの法廷のやり取りの一部始終も叮嚀に聞いていた筈です。
 
しかし何よりも午後三時にイエスが大声で叫んだ「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ(わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給いし)」(34節)、そして息を引き取る間際に「声高く」(37節)「すべてが終わった」(ヨハネによる福音書19章30節)と叫んだ叫びを聞いて、イエスがメシヤ・キリストであることを確信したのだと思います。
 
ヨセフが行動を起こす前に、イエスの姿に感銘を受けた者がおりました。死刑執行の責任者である百卒長です。百人のローマ兵士を束ねる百卒長は歴戦の兵(つわもの)で知識も教養もあり、しかも武勇の誉れ高いローマ市民の中から選ばれたエリートでした。その彼がイエスの臨終の姿に、「この人は神の子であった」と慨嘆したのでした。
 
「イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、『まことにこの人は神の子であった』」(15章39節)。
 
 映画「偉大な生涯の物語」でこの百卒長を演じていたのは、西部劇俳優として知られていたジョン・ウエインでした。ジョン・ウエインは熱心なクリスチャンとして夙(つと)に有名な俳優で、役柄にぴったりの演技をしています。
 
ただし、百卒長の言葉「まことに、この人は神の子であった」を使徒信条における「全能の父なる神…の独り子」という意味での神の子と考えてはなりません。これは偉大な人であった、まるで神の子のようだ、という異教徒としての賛嘆の言葉であって、信仰の表明ではありません。
 
 アリマタヤのヨセフの場合は違います。彼は聖書の教えに精通したユダヤ教徒でした。その彼が、十字架で死んだイエスこそ、聖書が告げてきたメシヤ・キリストであるという確信を持ったのです。
 
 それから二十数年後、嘗ては教会の迫害者、そして回心してキリスト教の弁証者となったパウロはギリシャ・コリントの信者たちに対し、十字架につけられたキリストこそ、人を罪から救う「神の力」の現われであり、人を闇から光へと導きだす「神の知恵」なのだと宣言します。
 
「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである」(コリント人への第一の手紙1章22〜24節 257p)。
 
 生前のイエスが語った教えは大事です。イエスの配慮に富んだ行為もまた、重要です。しかし、イエスの十字架における死の事実こそ、ユダヤ教とキリスト教とを分けることなのです。なぜかと言いますと、イエスの死が「あがない」であったからです。
 
「人の子がきたのも、…多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10章45節後半)。
 
 「あがない」には通常、「贖」を当てます。しかし、この漢字は専門用語すぎて日本人にはピンと来ないのです。でも幸いなことに購入や購買の「購」を使って「あがない」と読むこともできます。
「購」はまさに代金、代価を払って目的のものを購入することです。
 イエスは十字架で、ご自分の命という代価を払って、わたしたちの命を滅びから買い戻してくださったのです。
 
 「すべてが終わった」と叫んで息を引き取ったイエスを見て、ローマ人の百卒長は、何と偉大な人物か、と感動しました。
しかしヨセフの場合はそこに人の購(あがな)いとなった救世主を見たのだと思われます。アリマタヤのヨセフが旗幟を鮮明にしたきっかけは、イエスの十字架の最期の姿だったのです。
 
 
3.旗幟(きし)鮮明の決断に伴う不利益と利益
 
 ヨセフがその行動を通して、イエスこそキリストという見解を公に表明したことが、ヨセフにとってどれほどのメリットになるかと言いますと、メリットどころかデメリットしかありません。それはヨセフにとっては何の益もないばかりか、失うものの方がやたらに多いだけの行動でありました。
 
 第一に、彼は「異端者」として処罰されたイエスをメシヤ・キリストとするとしたことは、彼がサンヒドリンというユダヤ最高議会の議員という地位を、しかも有力議員であるという特権的立場を放擲する覚悟を決めての行動であったということになります。
 
彼がこれによって高い地位や立場、培ってきた名声や信用、大祭司や同僚などとの交友関係などの、宝とも言うべき数々の財産を失ったであろうことは想像に難くありません。
 
事実、熱心な律法学者、パリサイ人、そして少壮のサンヒドリン議員としてキリスト教会の迫害に奔走していたサウロが、一転してキリスト教の弁証者になった時、彼はユダヤ教側から暗殺の対象とされさえします(使徒行伝9章23〜25節)。
 
 第二に、ヨセフは支配国のローマによって「国家反逆罪」の廉で処刑された者への信仰告白によって、ローマとの関係を断たれる危険性もありました。
他の並行記事にはヨセフは「金持ち」であったとされていることから(マタイによる福音書27章57節)、もしもローマとの商取引によって財をなしたとするならば、それまでの取引は停止されるのみか、危険人物として公安当局のマークの対象になりかねませんでした。
 
 こう考えてみますと、イエスをメシヤ・キリストとして告白したヨセフが払う犠牲、代償はあまりにも大きいように見えます。
 
 しかしヨセフはこのような「大胆」(43節)ともいえる態度表明を誰からも勧められず、また誰からも強いられるわけでもなく、ただただ自らの判断だけで決断をし、表明をしたのでした。
 
 ヨセフをその行動に駆り立てた動機はただ一つであったと思われます。それは正しいことを正しいこととして守る、という一念でした。
十字架に架けられたイエスがもしもメシヤ・キリストであるならば、そのイエスをメシヤ・キリストとして告白することは正しいことであって、それを躊躇すべきではない、という理解であったのだと思います。
 
 損得、利害計算を超えて、正しいことは正しいとする気性は、実は本来の日本人が持つ特性でもありました。
 
明治時代に、欧米に向かって日本人を、そして日本人の精神文化を英文で紹介した作品が三つあります。
 
一つは明治三十三(1900)年に米国フィラデルフィアで発刊された新渡戸稲造の「武士道」、二つ目は明治三十九(1906)年にニューヨークで刊行された岡倉天心の「茶の本」、そして明治四十一(1908)年に日本で刊行され、その後諸外国で翻訳出版された内村鑑三の「代表的日本人」です。
 
 「武士道」はあまりにも有名ですが、内村鑑三が「代表的日本人」として取りあげたのが、西郷隆盛、上杉鷹山(ようざん)、二宮尊徳、中江藤樹(とうじゅ)、日蓮上人の五人でした。
 
 中でも中江藤樹の物語に出てくるエピソードは感動ものです。
 
一人の青年が良き師を求めて岡山を出、近江で宿をとったところ、隣室から二人の武士の会話が聞こえてきた、一人が言うには、自分は都の主人から数百両の金を預かって帰郷した際、その日に限って雇った馬の鞍に金の入った財布を結びつけて、それを鞍に忘れてしまった、馬子を探す当てもなく、あとは責任をとって切腹するしかないと思い定めた夜半、宿の戸を叩く音がし、開けたところそこにいたのが昼間の馬子で、彼は家に帰ってから鞍に置き忘れられていた財布を見つけて届けにきた、という、武士は狂喜乱舞する思いで、礼として四分の一を受け取って欲しいと言ったが、馬子は固辞し、では十五両、五両、二両、ついには一両でよいから受け取って欲しいと懇願したところ、馬子は、では四里の道を歩き通して来たので草鞋代として四文を、という、そして押し問答が続いて何とか百文を押し付けることに成功し、帰ろうとする馬子に、教えて欲しい、君をこんなにも無欲で、正直で、誠実な人間にしたのは何なのか、と問うたところ、馬子が言うには、私の住む村に中江藤樹という方がおられて、その方は、金儲けが人間の目的ではない、正直と正義と、人の道とが大切なのだとおっしゃいます、と。
隣の部屋で聞いていた青年は、この人こそ生涯の師だと考えて中江藤樹の家に行き、弟子入りを求めた、しかし藤樹は応じない、そこで門前で三日三晩、端坐をして懇願し続けたところ、見かねた藤樹の母親が執り成してくれて弟子入りが許可された、その青年が後に岡山藩を建て直した熊沢蕃山(ばんざん)であった、というものです。
 
 この馬子がよい例です。信仰とはある意味では単純なものです。それが正しければ受け入れる、正しいものでないのならば断固退ける、ただそれだけです。
 
 アリマタヤのヨセフにとって、イエスが律法違反者であるならば人心を惑わす者として処罰の対象である、しかし、もしも神が遣わしたメシヤ・キリストであるならば何を措(お)いても信じ、従わねばならない、それがヨセフの生涯を貫く信念であったのでしょう。
 
 天地万物を創造したのみか、人類を創造したという神が実在するならば、その神に臣従するのは当然、イエスが神の子であり、神が遣わしたメシヤ・キリストであるならばイエスを救世主として仰ぎ、そのしるしとして、信仰告白としての洗礼を受けるのは当然のこと、なぜならばそれが正しい選択であり、正当な判断であるからです。
 
 ヨセフの決断が見事なのは、この時点では、イエスがその三日後に復活をする、という信仰までには至っていなかったということです。
彼はユダヤ教の教えの中にいたまま、イエスを信じる決断をし、イエスへの信仰を表明したのです。キリスト教のすべてが理解出来てから信仰を告白しようと思うのであれば、一生涯、その機会はめぐってこないでしょう。大事なのは、イエスがキリストか否か、という一事です。
 
 アリマタヤのヨセフはイエスに帰依したことを公にすることによって多くのものを失いましたが、そのヨセフと同じ心境になったのがパウロでした。パウロの告白を読んで、ヨセフに倣おうとする者は幸いです。
 
「しかし、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。それは、ただキリスト様だけを信頼し、キリスト様だけに望みをかけるだけです。そうです。主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです」(ピリピ人への手紙3章7、8節前半 リビングバイブル)。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-01-06 16:20:00 (2022 ヒット)
2013年礼拝説教

13年1月6日 二〇一三年第一回日曜礼拝説教

「救世主は見捨てられた者たちに代わって、神に見捨てられた

マルコによる福音書15章33〜41節(新約聖書口語訳80p)
 
 
はじめに
 
 皆さまはこの正月をどのように過ごされたでしょうか。私はクリスマスの前に引いた風邪が治りきらぬままに新年を迎えたこともあって、正月の間、人に会うことは出来るだけ控えて、箱根駅伝をチラチラ見ながら年賀状を書いておりました。
 
 新しい年の最初の日曜礼拝です。今年も日曜ごとの礼拝を大事にしたいと思います。礼拝は、牧師だけでは成り立ちません。多くの方々のご協力が必要です。今年もよろしくお願い致します。
 
 ところで新年の挨拶は「おめでとうございます」ですが、ものの本によりますと、「おめでとう」の挨拶は「相手の人間に対して言うのではなく、新たな年に迎えられた年神(としがみ)を讃える言葉としてかわされたもの」(産経新聞取材班「祝祭日の研究(株式会社角川書店発行)」なのだそうです。
 そうであるならば、新年の挨拶は先ず最初に、天地万物の創造者である神にすることが基本であることになります。改めて、父なる神と御子なる主に栄光がありますように。
 
さて、昨年の夏、世界中が仰天するようなニュースがスペインから飛び込んできました。
田舎町の教会のフレスコ画を自称画家の老婦人が、教会からの依頼がないにも関わらず、勝手に修復作業を行い、その結果、修復どころかキリストの顔を原画とは似ても似つかぬ猿顔に変えてしまったという事件でした。
 
 ところがこのニュースが世界に配信されるやいなや、スペイン北東部のアラゴン州の州都であるサラゴサの、ボルハという小さな町の教会、ミゼリコルディア教会には「修復」された絵を一目見ようと、世界中から観光客が押し掛けたため、教会側も拝観料を徴収すると共に、警備員を雇うなどの騒ぎになりました。
 
 この騒ぎのもとになったのは、自称画家のセシリア・ヒメネスという名の老婦人の、善意と無知と自己過信にあると思われます。
 
「フレスコ画」というのは、漆喰を壁に塗って、塗ったその漆喰が乾かないうちに水性絵の具で上から直(じか)に描く、そうすると石灰の層に絵の具が染み込んでいき、漆喰が乾くと表面が透明な皮膜で覆われ、その皮膜が保護膜となる、という仕組みによる画法なのだそうです。 
 
古くなって傷んでいる絵を修復しようとした老婦人の意図は善意そのものです。しかし、教会の承諾を得ていないだけでなく、フレスコ画を修復する専門的知識もないのに「修復」作業を行った無知と、修復する技量が自分にあると思い込んだ自己過信が、この喜劇?を生み出したのでした。
 
フレスコ画の作者はエリアス・ガルシア・マルティネスという画家とのことで、しかもこの絵の題名は「エッケ ホモ(ECCE HOMO)」です。「ECCE(エッケ)」は「見よ」で「HOMO(ホモ)」は「人」、つまりこの言葉はイエスの十字架の道行きの最初のステージであるピラトの裁判において、ピラトが群衆に向かって言った言葉として有名です。
 
「イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、『見よ、この人だ』」(ヨハネによる福音書19章5節)。
 
 原画のキリストはその頭に茨の冠をかぶっているように見えますが、「修復」された顔には茨の冠などはなく、どこから見ても猿、しかも「猿の惑星」に出てくるような猿顔です。これは笑いごとではないのです。
 
 たとい善意からであるにしても、修復と称して原画を別のものに変えてしまうことは原作者を冒する不法行為であることに老婦人は気がつかなければなりませんし、観光客が落とすはした金に目が眩んでこの騒動を歓迎している村人たちには、あなたがたのために十字架にかかってくださった救世主が笑い物にされている事実を何と思っているのかと聞きたくもなるような出来ごとでした。
 
新しい年が明けましたが、ピラトから「エッケ ホモ(見よ、この人だ)」と言われるまでもなく、今年も仰ぎ見るべきお方は、茨の冠をかぶせられて私たちの身代わりに十字架に架かってくださったイエス・キリストです。
 
 私たちは二年かけて、マルコによる福音書からイエスの実像を追い求めてきましたが、今週を含めてあと三回で完了ということになります。
 
そして年明けの第一週である今回が、イエスの生涯のクライマックスとでもいうべき、十字架の場面です。その十字架の場面を、おそれおののきつつ、恰もそこに居るかのような思いで、万感込めて読むことにいたしましょう。
 
 
1.救世主は見捨てられた者に代わって、神に見捨てられた
 
 イエスは神の御子でした。神の御子のイエスは人となってからも、人が犯すような罪は一つも犯しませんでした。
その御子なるイエスが十字架の上で息を引き取る間際、神に向かい、大声で悲痛な叫びをあげたのでした。それは、「神が今、私をお見捨てになった!」という叫びでした。
 
「昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マルコによる福音書15章33、34節 新約聖書口語訳80p)。
 
 イエスが叫んだ言葉は、詩篇にある言葉でした。
 
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」(詩篇22篇1節)。
 
 通常、ユダヤ人たちはこの言葉を重々しく暗誦するのですが、イエスはこれを絶叫したのでした。なぜかと言いますと、それが、イエスが実際にその時に感じた感覚、つまり実感であったからでした。
 
 それまでもイエスは私たち人類が経験する悲しみ、痛み、嘆き、怒りのすべてを経験してきていました。
しかし、イエスが経験をしていないことが一つだけありました。それは何かと言いますと、神との交わりの切断、という経験でした。
天において神の子として神と共にいる時は勿論のこと、人として地上に生まれてから十字架に架けられたこの瞬間まで、父なる神の眼差しは常にイエスに注がれており、イエスもまた十字架の上の言語に絶するような苦痛のさ中にあっても、神と共にあることを実感していたのでした。
 
 しかし、この日の午後三時、イエスは父なる神が自分から顔を背けたことを感覚的に知ったのでした。
 
 それだけではありません。イエスは嘗て経験したことのない意識を持つこととなったのではないかと思われます。それは自分が罪深い罪びとであるという強い罪意識でした。
罪を犯したことがないのに罪意識を持つということが有り得るのだろうかと私たちは思うのですが、イエスの場合、そこまで私たち罪びとと同化し、一体化してくれた、とわたしは思うのです。
 
パウロのコリント教会への手紙にある、神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた」(コリント人への第二の手紙5章21節前半)
の「罪を知らないかたを罪とされた」という言い方には、イエスを外形的に罪びとに認定したという意味以上の、それまで罪を犯したことがないので、罪意識を持つことのなかったイエスが、罪を犯した者が感じる罪意識というものを持ったという意味に受け止めた時はじめて、午後三時に至って迸(ほとばし)り出たイエスのあの叫びが、神から見捨てられた者の放つ絶望の声であったこととして正しく理解することができるのではないでしょうか。
 
紀元三〇年四月七日の金曜日の午後の三時、確かに神は人類の罪を、そしてわたしたち個々の罪をすべてイエスに背負わせてイエスを罪びとの代表として罰したのでした。
 
本来ならば赦しがたい罪のため、罪びととして神に見捨てられる筈の私たちを救うために、イエスは代わって神に見捨てられる立場をとってくれた、しかもその時、イエスの意識は深い罪意識、絶望的な認罪感に変わっていた、そしてそれはイエスにとり、未知の領域での立場、未経験の経験であったため、思わず知らず、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という絶叫となってその口から発せられることとなった、イエスが愛のゆえに人類と一体化したというのは、そういうことだったのではないでしょうか。
 
私たちはこの朝、私のために十字架の苦しみを嘗めただけでなく、文字通りこの私の代わりに神に見捨てられた救い主イエスをもう一度、感謝をもって仰ぎ望みたいと思うのです。
 
そこに例外はありません。対象は真面目な人もそうでない人も、宗教的な人も不敬虔な人もすべて、すべての人です。どんな過去を生きてきた人であっても、このイエスを救世主として仰げば救われるのです。
 
「地の果てなるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる」(イザヤ書45章22節 旧約聖書口語訳1009p)。
 
 
2.救世主は自らを犠牲にして、罪の支配の終わりを宣言した
 
 「わが神、わが神」(34節後半)はヘブライ語では「エーリー、エーリー」です。
それで、附近にいた者は愚かにも、イエスが預言者エリヤに救いを求めているのだと思い込み、好奇心を旺盛にして、エリヤが助けに来るかどうかを見ようとしました。
 
「すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、『そら、エリヤを呼んでいる』。ひとりの人が走って行き、海綿に酔いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、『待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう』」(15章35、36節)。
 
 イエスが「エリヤを呼んでいる」(35節)と言った「人々」(同)とは、恐らくは聖書を聞きかじっていて多少の知識を持っていたローマ人でしょう。サンヒドリンの関係者であるならば当然、イエスの叫びが詩篇のものであることは理解していますから。
 
 イエスは救出を求めたわけではありませんでした。イエスは自分を犠牲にすることによってある事に決着をつけようとしたのでした。
それは何かと言いますと、罪を犯した人類を支配している罪と罪の結果である死の支配を終わらせること、そして、信じる者に完全なゆるしと永遠の命の始まりをもたらすことでした。
 その証拠が、イエスが絶命する寸前に叫んだ言葉にありました。
 
「イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた」(15章37節)。
 
 イエスが今際(いまわ)の際(きわ)に「声高く」(37節)何を「叫ん」(同)だのかは、マルコによる福音書ではわからないのですが、マルコによる福音書から三十年後に書かれたと思われるヨハネによる福音書の並行記事を見ますと「すべてが終わった」と叫んだようです。
 
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(ヨハネによる福音書19章30節 175p)。
 
 「すべてが終わった」という言葉は、諦めや敗北を告げる言葉のように聞こえます。
しかしそうではなく、それどころかそれとは反対の、凱歌(がいか)、勝鬨(かちどき)という勝利を告げる宣言だったのでした。
 
 何が「終わった」のかと言いますと、神が自分の犠牲を受け入れて、アダム以来、人類を苦しめ続けてきた原罪が処分されて、その結果、今この瞬間、人類に対する罪の支配が終わったのだということだったのです。
それでこの言葉を新改訳は「完了した」と訳し、新共同訳は「成し遂げられた」と訳しているのです。
それはイエスの弟子たちですら悟ることの出来なかった神による人類救済の秘義でもありました。
 
干支(えと)に動物が当てはめられているのは後世の後付けですが、今年は巳年、つまりへび年です。蛇と言いますと、エデンの園において人の先祖を罪へと誘った誘惑者として有名です。
誘惑をしたということから、蛇はサタンであった、そして創世記には十字架におけるサタンへの勝利が約束されている、という説があります。
 
創世記に、神がへびに向かって、「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」(創世記3章15節)と語ったとあることから、「へび」のすえであるサタンと女のすであるイエスとの間で闘争があり、サタンは十字架に釘付けすることによってイエスの「かかと」を砕いた、そしてイエスはサタンの「かしら」つまり頭を砕いて致命傷を与えた、これを原福音という、というわけですが、この解釈は後付けの読み込みです。
 
第一にエデンの園における「へび」はあくまでも爬虫類のへびであって、それ以上でもそれ以下でもなく、またそれ以外でもないからです。
 
第二に、十字架刑は両手を横木に釘で打ちつけましたが、足は縄で縛って縦棒の前に突き出ている足台に載せました。足が釘づけされている絵がありますが、あれは中世の画家の想像によるものです。
ですからイエスは「かかと」を砕かれてはいません。想像力が豊かなのは結構ですが、聖書解釈の原則は「読み込むな、読み取れ」であることを確認したいと思います。
 
 しかしイエスは、有り難くもご自身を犠牲とすることによって、私たち人類の罪を償ってくださいました。
 
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコによる福音書10章45節)。
 
 ルカによる並行記事ではなぜか後半部分がすっぽりと抜けているのですが、マルコでは明確に、イエスがこの世にきたわけは「多くの人のあがないとして、自分の命を与えるため」(45節)であると言い切っています。「あがない」(同)とは一言でいえば償いということです。
イエスは助かろうとするどころか、ご自分の命を代償とすることによって、罪の支配を終わらせ、救いを完成しようとしたのでした。
 ですから、イエスの今際の際の叫び「すべてが終わった」は、完了の宣言であったのでした。
 
新しい年、改めてイエスが払ってくださった犠牲の重さを計算して、イエスを信じイエスに従う決心を新たにしたいと思います。
 
 
3.真の神は独り子を犠牲にしてまで、救いの道を開いてくれた
 
 十字架の犠性は父なる神と子なるキリストによる人類救済のための共同作業でした。
イエスという犠牲がささげられた時、具体的にはイエスは息を引き取られた時、刑場から少し離れたエルサレム神殿の奥の垂れ幕が真っ二つに裂けるという現象が起きました。
 
「このとき、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15章38節)。
 
 この「上から下まで真っ二つに裂けた」(38節)「幕」(同)は普通の幕ではありません。この「幕」はエルサレム神殿の奥の聖所と呼ばれる拝殿と、至聖所(しせいじょ)と呼ばれる本殿の間にかかっておりました。
 
 神殿の奥の至聖所にはモーセがシナイの山で神から受けたという、十戒が刻まれた石の板が入った契約の箱が置かれていたそうです。それは、そこに神がおられるということを示すものであって、そこには大祭司が犠牲の血を携えて、年に一度だけ入ることがゆるされるという、厳かで聖なるところでした。
 
その本殿と拝殿とを隔てる垂れ幕、それは厚さが数十センチもあるとのことですが、それがイエスの死と同時に真っ二つに裂けたのでした。それは、聖なる神と罪深い罪びととを隔てていたものが除かれたことを示すしるしだったのです。
 
幕は誰によって裂かれたのでしょうか。それは神ご自身によって、です。
人類の罪の被害者である神自身が、その独り子を犠牲にすることによって人類の罪を処分してくださり、自ら、隔ての幕を裂いて救いの道を開いてくださったのです。
この幕が裂かれたということ、特にそれが下から上にではなく、「上から下」(38節)に裂かれたという事実は、父なる神が子なる神の犠牲を効力あるものとして受け入れてくださったことを証しするものでもありました。
 
 この十字架の場面では、神はイエスを見捨てた非情の神、という印象を受ける人もいないわけではありません。しかしこの時、人の想像を超える葛藤を父なる神もしていたのです。
その父なる神の心情を歌いあげた秀歌が、説教の前に共に歌った岩淵 亮作詞作曲による「父の涙」でしょう。
 
心に迫る父の悲しみ 愛する独り子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう 愛を知らずに今日も過ぎてゆく
十字架から溢れ流れる泉 それは父の涙 
十字架から溢れ流れる泉 それはイェスの愛」
 
 神殿の幕が裂けたという事実の意味を、神殿祭儀を知り抜いていたヘブル人への手紙の著者が、ユダヤ教出身のクリスチャンたちに、感動しながら解説している箇所が十章です。
 
「兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所(註 この場合の「聖所」は至聖所の本殿のこと)にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いてくださった新しい道をとおって、はいっていくことができる…のである」(ヘブル人への手紙10章19〜21節 353p)。
                 
 独り子を犠牲にしてまでも、私たちのための救いの道を開いてくださった生ける真の神こそ、誉め称えられるべきお方です
 
 
 今日の説教の冒頭、「修復」どころか悲しいまでに破壊されてしまった絵の話しを致しましたが、それでも救いは、原画が茨の冠を被って十字架に磔にされたイエスの姿を描いたものであり、その絵のタイトルが「この人を見よ」を意味する「エッケ ホモ」であることが、多くの人々に伝えられた筈ですので、そのことは僥倖(ぎょうこう)であったと思います。
 
 そこで説教のあとには、久しぶりに讃美歌百二十一番「馬槽(まぶね)の中に」を歌いたいと思います。この歌は讃美歌では珍しく作詞も作曲も日本人によるものです。そこにはイエスの生涯、生き方そして振る舞いが目に見えるかのように表現されています。詞を味わいながらご一緒に歌いましょう。
 
食する暇も打ち忘れて 虐(しいた)げられし人を訪ね
友なき者の友となりて 心 砕きしこの人を見よ
 
すべてのものを与えし末 死のほか何も報いられで 
十字架の上に挙げられつ 敵を赦ししこの人を見よ」
 
この人を見よ この人にぞ こよなき愛は現われたる
この人を見よ この人こそ 人となりたる生ける神なれ
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-01-01 16:42:48 (1872 ヒット)
2013年礼拝説教

2013年1月1日 二〇一三年新年礼拝説教

「信仰の高嶺(たかね)を目指して

詩篇61篇1〜4節(旧約聖書口語訳799p)

  
はじめに
 
ことしは干支(えと)でいいますと、巳年(みどし)ということです。巳は蛇だそうですが、蛇は気持ちが悪いので、今年の年賀状は干支と関係のない図柄を選ぶことにしました。
 
さて、干支には猫がないのですが、干支に猫がなぜないのかというわけを、子供のころ、絵本で読んだか、話しを聞いたかした覚えがあります。
 
昔々のある年の暮れ、神さまが(お釈迦様だったかも知れません)動物たちにお触れを出して、「元日の朝、新年の挨拶に来るように。新年の挨拶に早く来た順に、一番目から十二番目までをその年の代表に任命する」と言ったというのです。
 
ところが、猫は神さまが指定した日を忘れてしまい、そこで友達の鼠(ねずみ)に聞いたところ、鼠は嘘をついて、「それは新年の二日だよ」と言った、そこで猫が正月の二日に神さまに挨拶に行った時には、既に一番目から十二番目までは決まっていて、しかも一番目つまり一月はちゃっかり鼠が取っていた、そこで鼠に騙されたことに気付いた猫は以後、鼠を見ると怒って追いかけるようになったのだ、という話しでした。
 
鼠がなぜ一番だったのかと言いますと、牛は足が遅いので明け方に出発をした、それを牛小屋の天井で見ていた鼠が、牛には知られないよう密かにその背中にただ乗りして神さまの御殿の前まで行き、御殿の門が開いたその瞬間に、牛の背中から飛び降りて真っ先に門の中に入った、それで一番の鼠が一月、鼠に先を越されてしまった牛が二月、そして兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順となったということでした。何とも厭な奴、それが鼠です。
 
なお、これには後日談があるそうで、二日になって挨拶に来た猫に対し、腹を立てた神さまが、「顔を洗って出直して来なさい」と言ったので、それから猫は前足で顔を洗うようになったのだ、とか。
 
そこで猫の話しです。結婚した頃、妻はまだ仕事を続けておりました。ある時、帰宅するや否や、嬉しそうに話しかけてきました。
 
妻「猫にも一流と二流と三流とがあるのを知っている?」
私「いや、そんなの、聞いたことがない」
妻「実は、狙った鼠の八十パーセントを捕まえる、それが三流の猫」
私「ほう、三流で八十パーセントか、すごいな」
妻「そう、すごい。そして二流の猫になると、狙った鼠を百パーセント、捕まえる」
私「二流で百パーセント?それが一流だろうが」
妻「違う、二流で百パーセント、ではどういう猫が一流だと思う?」
私「わからない、どういう猫が一流なんだ?」
 妻はにやにや(本人はニコニコのつもりだと思いますが)笑いながら話しを続けました。
妻「その家にいるだけで、家から鼠がいなくなるような猫、それが一流の猫」
 
 そして種明かしをしてくれました。その猫の話しは業界新聞に掲載されていた大手電機会社の社長さんの新入社員への訓示にあった話しで、その社長曰く、
君たち新入社員は、今は三流どころか、鼠を追い掛けて大事な花瓶を割ってしまうような、そんな、会社に貢献するどころか迷惑をかけるだけの五流の猫かもしれない、しかし今後、諸君は三流の猫を目指し、二流の猫を目指し、ついにはそこにいるだけで役に立つ一流の猫のような存在になることを目指して、奮励し努力をするように
という内容だったというのです。
 
 確かに猫の存在意義は、鼠を捕まえることではなく、家から鼠がいなくなることにあります。なぜならば家に鼠がいなくなれば、飼主は心を乱すことなく、安穏に暮らせるようになるからです。
つまり、一流の猫とはそこにいるだけで十分に仕事になっている猫のことだというわけです。
 
私たちもまた、そこにいるだけで役に立っている一流の猫のような存在でありたいものです。
 
そこで今年は、それぞれの人生において、五流は四流を、四流は三流を、そして三流は二流を目指して、そしてついには一流になることができるよう、がんばりたいと思います。
 
 
1.信仰と霊性の高嶺を目指す
 
 私たちが目指すべきものの第一は、神との関係の充実と進歩です。それを信仰の高嶺(たかね)、霊性の高嶺へと登ることと定義したいと思います。
 
 神との関係の正常化こそがあらゆる営みの基盤です。それを聖書は「神との交わり」と言います。
昨年行った月一回の特別礼拝で確認しましたように、哺乳類の中でも人のみが、創造者である神と交わることができるように、「神のかたち」に創造された存在でした。
 
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1章27節)。
 
 「神のかたち」の「かたち」は英語でいう「イメージ」のことです。
 
 人は「神のかたち」に造られた者として、神からの語りかけを聞くことによって神の御心を理解する、そしてそれと同時に、神に向かって思いのたけを打ち明けることができるようになるのですが、それは「あれしてください、これをください」という低い次元での御利益信仰的要求ではなく、「私をして、より高次の信仰を持たせ、神を知るためのより高い霊性へと引き上げてください」という祈りとして表れるのです。
 
 それが詩人の祈りでした。
 
「神よ、わたしの叫びを聞いてください。わたしの祈りに耳を傾けてください。わが心のくずおれるとき、わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。わたしを導いて、わたしの及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください」(詩篇61篇1、2節 旧約聖書口語訳799p)。
 
 詩篇六十一篇はイスラエルのバビロン捕囚の時期に読まれたものとされています。私たちもまたこの詩人のように、「心のくずおれるとき」がありますが、どんな状況になっても、そしていかなる場合でも、たとい実感としては自分自身が神から遠く離れた「地のはて」にいるかのような気持ちになることがあったとしても、「わたしは地のはてから」「わが及びがたきほどの高き磐(いわ)にのぼらせたまえ」(2節 文語訳)と祈ることがゆるされているのです。
 
 わたしたちはこの二年間、日曜礼拝ではマルコによる福音書を通してひたすら、イエスの実像に迫る作業を続けてきましたが、愛のゆえに私たち人類の身代わりとなって十字架に命を捨てられたイエスの恵みを基礎にし、今年は「信仰の父」と呼ばれ、生涯かけてひたすら信仰の高嶺、霊性の高嶺を目指して生きたアブラハムの生涯を追うことによって、「及びがたいほどの高い」レベルへと引き上げられたいと思います。
 
 そのためには、今年、聖書の通読を基本とした日々の個人礼拝と、毎週の日曜礼拝を続けることに努めたいと思います。そして、やむを得ない事情で礼拝に出席することができない時などには、教会のホームページで説教を読んで、礼拝を行ってください。
 
印刷やネットで読む説教は、ひとりで味わうという点と、そして耳で聴くのではなく目で読むという点ではマイナスの面があります。しかし、そこに聖なる神の霊の臨在を求めて、あたかも教会で聞いているかのようにして御言葉を味わえば、「何処(いずく)にありても 御国(みくに)の心地(ここち)す」(聖歌467番)となります。
 
 
2.能力とスキルの高嶺を目指す
 
 信仰の高嶺とは、神との関係を管理、コントロールして、その関係を深化させることですが、自分自身をコントロールして、自分が持っているものを高めることも大切なことです。
 
ことし、特に能力の向上、スキルの上達にも心がけたいと思います。猫といえども、ぼうっとしているだけでは鼠にバカにされて逃げられてしまいます。何しろ鼠は鼠で生き延びるために必死なのですから。
 
 私たちもまた置かれている状況、今いる環境に於いて常に切磋琢磨(せっさたくま)することによって、ポテンシャル(潜在能力)を引き出し、あるいは高めていき、暮らしにおける、あるいは職業上のスキル(技術、技能、手法、専門知識)を向上させていきたいと思います。
 
 たとえば、説教者である私の場合、今年、任務である説教の充実により一層、努めていきたいと思います。
ところで「説教は即、神の言葉」ではありません。厳密に言えば説教とは「神の言葉である聖書という素材を、人間がその人自身が持っている知識と信仰によって調理つまり、解き明かした人の言葉」なのです。ですから当然、説教はパーフェクトではありません。
 
通常、医師免許を持っている医師が処方し、薬剤師資格を有している薬剤師が調合した薬剤は、信頼して服用しても大丈夫です。しかし、政教分離の原則が憲法によって確立している我が国では、説教者には国家資格は付与されません。ということは、逆に言えば、教会ならばどこでもよい、というわけにはいかないことをも意味します。つまり、キリスト教を名乗っているからといって、無条件で信じることはしない方がよいということになります。
もちろん、それぞれの教派、教団が資格認定をしてはいます。しかし、だからと言って無謬であるわけではないので、聞く側の方も説教は吟味しながら聞くということが必要となってくるというわけです。
 
説教は大別すると、聖書の解釈(これを聖書釈義といいます)とその適用という二つの要素で構成されるのですが、自分が聴いている説教が正しい釈義に基づいた、バランスのとれた適用で成り立っているかどうかをチェックすることも、説教を聞く上で大切なことなのです。
そこで私も、今年もまた「より正しく、より分かり易く、できればもう少し楽しく聖書を解き明かす」ためのスキルの向上に努めたいと思うのです。
 
 ところで近年、人間の脳というものは鍛えれば鍛えるほど、発達していくことがわかってきました。ですから、「歳だからしようがない」と言ってあきらめないことが肝心です。特に年配の方々は意識をして「脳」力の向上に努めてください。
 
また、体力もそうです。体力は確かに年々歳々低下していきます。しかし筋肉を鍛えることによって低下のスピードを緩やかなものとし、場合によっては上昇に転ずることも可能だということが研究の結果、わかってきました。
偏ったアンチエイジング信仰は困りものですが、神さまがひとりひとりに備えてくださった能力を活かし、育成することは大事なことです。
 
今年は特に、自分が持っているもの、与えられている賜物の育成に努めることによって、教会ではもとより、それぞれが暮らしている家庭、働いている職場、居住している地域、学んでいる教室においても、いるだけで役に立つ一流の猫を目指して自らの能力の向上に励みたいと思います。
 
そこでもう一度、詩人の祈りを共にしたいと思います。今度は新改訳で読みましょう。
 
「私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください」(詩篇61篇2節 新改訳)。 
 
 
3.内的人間力の高嶺を目指す
 
 そして、目指すべき三つ目の高嶺が、人間力です。これは性格、思考、感情と言ってもよい、人に内在する機能のことです。
 
目指すべき信仰の高嶺が神との関係の深化であり、能力の高嶺が自分自身の成長であるのに対して、三つ目に目指すべき高嶺、それは、円滑な人間関係の維持と発展のために必要な人間力という機能の向上です。
 
 これは、大きなケースでいえば国家間の外交がそうです。国同士の外交は官僚による下交渉によって進められますが、最終的には最高責任者同士の人間関係、信頼関係の緊密さ、信頼感、つまり人間力というものが決め手となります。
 
大事な同盟国の大統領に、安易に「トラスト ミー」と安請け合いをして、外交関係を低下させた総理大臣もいれば、「How are you?」と言うところを「Who are you?」と言って相手を面食らわせた人もかつていたという噂がありました。もっとも後者の方は当該の総理大臣の場合、いかにもありそうなことですが、実はある新聞記者による作り話だということです。
どちらにせよ、国家間の外交の成否は首脳同士の人間力にかかっていることは事実です。
 
国の命運を左右するようなケースは例外としても、私たちもまた、この世において、日常の対人関係、人間家系から無縁のところにいることは不可能です。であるとするならば、自らの人間力の高嶺を目指すことによって、円滑な人間関係を築いて、自分も生き、他者も生きるという道を進んでいきたいと思うのです。
 
人間関係、対人関係が集約されたものが家族の関係なのですが、ところがこれが意外に難しいのです。それは、お互い、距離が近いために欠点がよく見えてしまうからであり、おまけに関係が近いということから遠慮がなく、他人であるならば口にしないようなこともズバッと言ってしまい、その結果、関係がこじれてしまうという場合もあります。
 
以前、マズロー心理学を基礎にした教育講座を毎週一回、一年くらい受講したことがあります。
とても勉強になりましたが、中でも強く印象に残っている教えが、「家族との関係をよくするためには他人行儀に」というものでした。
 
つまり、他人同士であるならば当然するであろう挨拶やお礼、あるいは謝罪などを、家族の場合、照れもあり、馴れもあり、甘えもあるなどからついつい割愛してしまい、それが積もり積もってしこりとなり、不信感となる場合が多い、だから、家族の場合、もしも他人だったらどういう言葉を発するか、どういう態度、どういう行動を取るかを想像して、他人であったらする、あるいは言うということを家族にもする、言う、それが「家族には他人行儀に」という教えの意味であったと思います。
 
神学生時代、半年ほど、アメリカ人宣教師の働きの手伝いに神学校から派遣されました。
日曜日の夕食は夫人の手料理を宣教師家族と一緒にいただくわけですが、食事中、旦那さんが「これは美味しい」を連発し、それを奥さんが嬉しそうに聞いているという光景を目の当たりにして、日本とは大分違う、という感想を懐いたことを思い出します。
 
「美味しい」という言葉は、料理をつくってくれた者への配慮、感謝の表れなのですが、日本人の場合、新渡戸稲造の「武士道」を見るまでもなく、日本文化の精神が、本来は他者への思いやりを基盤としたものであるにも関わらず、それが対家庭、対家族となると、照れくさくて実践をすることができなくなるという問題があるようです(私も例外ではありません)。
 
他者との円滑な関係の維持、発展のために、人間関係の基礎である家族との関係を豊かなものとする意味で、「家族には他人行儀に」という、この意表を衝いた教えの実践から始めることも一案かも知れません。
 
今年、対人関係を充実させ、とりわけ自分も生き、そして周囲も活かすための内的人間力の向上にも取り組んでいきたいと思います。
人が現状に止まらずに、常に高嶺を目指すことは、神を信じる者に許された特権でもあるからです。そこで最後に、詩編の祈りを新共同訳で読むことに致しましょう。
 
「心が挫(くじ)けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に わたしを導いてください」(詩編61編3節 新共同訳)。


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