ID : Pass :  | register
メインメニュー
最新のメッセージ
わたしたちの教会は…

聖書信仰に立つ正統的
キリスト教会です

寝屋川福音キリスト教会
(ファミリーチャーチねや川)
日本アッセンブリーズ
・オブ・ゴッド教団
関西教区
https://ag-kansai.com/

for スマートフォン
アクセスカウンタ
今日 : 1010
昨日 : 1616
総計 : 126078126078126078126078126078126078
     
  
投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-11-17 16:06:22 (1724 ヒット)
2013年礼拝説教

13年11月17日 日曜礼拝説教

「ルカによる福音書の譬え話 家出した兄弟たちの譬え 前篇―弟息子は放蕩の果てに父の愛に気づいた」
 
ルカによる福音書15章11〜24節(新約聖書口語訳115p)
 
 
はじめに
 
社会心理学や精神分析の研究者として知られた人に、エーリヒ・フロムというドイツ人の学者がいました。
この人が第二次世界大戦中の一九四一年に発表した「自由からの逃走」という、自由というものを社会心理学的に分析し探求した著作は、日本でも学生運動のさ中、多くの青年たちに愛読されたと言われています。
 
私も牧師になりたての頃、その題名に魅かれて入手をし、読んではみたもののなかなかに難解で、基本的知識の不足もあり、途中でギプアップ、投げ出してしまったことを覚えています。
 
今週の譬えに出てくる青年、具体的には二人息子の弟は、「自由からの逃走」ならぬ、「自由への逃走」を図って父の家を出るのですが、家出はしたものの、目指す「自由」を得るどころか、かえって意図せぬ不自由の中でもがき苦しむという経験をすることとなります。
 
九月から始めた「ルカによる福音書の譬え話」シリーズですが、十二月の待降節を控えて、今週と来週の「家出した兄弟たちの譬え」をもって完了、としたいと思います。
 
今週はその「家出した兄弟たちの譬え」の前篇、弟息子の物語です。
 
 
1.弟息子は見果てぬ自由を求めて、父の許を離れた
 
正統的ユダヤ教徒たちからは通常、「アム・アー・ハーレツ(地の民)」として差別されていた「取税人や罪人たち」、つまり売国奴とされた徴税人や堕落人間と見做された娼婦たちが、神の言葉を聞こうとしてイエスの許に近寄って来たのを見たパリサイ人や律法学者、つまり正統信仰を自負するユダヤ教徒たちは、イエスをあからさまに非難しました。
 
「さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。すると、パリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、『この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をいていると言った』」(ルカによる福音書15章1、2節 新約聖書口語訳115p)。
 
そこでイエスは「つぶや」(2節)く「パリサイ人や律法学者たち」(同)に対し、三つの譬えを語ることによって彼らの問題点を指摘します。
 
一つは「いなくなった羊の譬え」(4〜7節)で、二つ目が「失くした銀貨の譬え」(8〜10節)、そして三つ目が「家出した兄弟たちの譬え」でした(一つ目と二つ目はまとめて二か月前の九月十五日の礼拝で、「見つけ出されたのは、掛け替えのないものであった」というタイトルでお話をしています)。
 
この三つ目の譬えは「放蕩息子の譬え」として有名ですが、前半が弟息子の、そして後半は兄息子の譬えで構成されています。
 
「また言われた、『ある人に、ふたりのむすこがあった」(15章11節)。
 
 この譬えでは「ある人」(11節)は大資産家の農夫として設定をされています。
彼には「ふたりのむすこ」(同)がいました。ところが、弟息子の方がある日、父親に対してとんでもない要求をしたのです。
それは何と、「遺産を今、もらいたい」というものでした。
 
「ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』」(15章12節前半)。
 
 父親にとっては寝耳に水の話しです。通常ならば激怒をするところですが、この父親は何を思ったのか、彼の要求を受け入れて、規定に従って自分の莫大な財産を二人の息子に分けてやります。
 
「そこで、父はその身代をふたりに分けてやった」(15章12節後半)。
 
 ユダヤの律法では、長子は他の兄弟の二倍の分を相続することになっていました。
 
「自分の財産を(長子に)分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである」(申命記21章17節 旧約聖書口語訳277p)。
 
このため、父親はその財産を三等分して、三分の二を兄息子に、三分の一を弟息子に分けてやりました。何と気前のよい父親であることか、と思います。
 
ところが何と、それから幾日もたたないうちに、弟息子は譲られた財産を全部処分して、つまり金に替えて、家を出てしまいます。
 
「それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠いところへ行き」(15章13節前半)。
 
 すべては計画通りだったのでしょう。その動機は何か。じぇじぇじぇ!で有名になった連続テレビドラマ「あまちゃん」では主人公、天野 秋の母親の春子は十八歳の時にアイドルを目指して家出を決行し、秋の親友の足立ユイもまたアイドルになるべく東京を目指しますが、この弟息子にも、華やかな都会への憧れがあったのでしょうか。
 
確かに田舎暮らしが嫌になったこともその一因かも知れません。しかし、何と言っても彼の家出の最大の動機は「自由」への憧れにあったのではないかと思われます。
 
彼は父親の許での暮らしが窮屈で不自由であると勝手に思い込んでいて、「父親の許を離れればそこには無限の自由がある」と考え、そこで「自由からの逃走」ならぬ、「自由への逃走」を目指して、住み慣れた父の家から「遠い所へ」(13節)と旅だったのだと思われます。
 
では、彼は「父」から離れた「所」で、念願の自由を得ることができたのでしょうか。
 
 
2.弟息子は放蕩三昧の果てに、本心に立ち返った
 
「遠い所」(13節)への旅立ちは、彼にとっては輝かしい未来への飛翔の契機となる筈でした。
しかし、その「遠い所」には堕落への誘惑が待っておりました。彼は甘い言葉に誘われ、放蕩三昧の日を送るようになり、遊蕩に明け暮れたその先で、気がついた時にはあの莫大な財産を使いはたして一文無しとなっていました。
 
「そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果たした」(15章13節後半)。
 
そこに「泣きっ面に蜂」、悪い時には悪い事が重なるもので、中東特有の大飢饉がやってきました。飢饉の原因は日照り、また蝗の害でした。
この危機に際し、大金持ちのぼんぼんの周りに群がっていた人々はどこへ行ってしまったのか、諺に言う「金の切れ目が縁の切れ目」で、一文無しになった彼が周囲を見回した時には彼を助ける者は皆無であって、ついには三度の食事にも事欠くようになるほど、落ちぶれてしまったのです。
 
「何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた」(15章14節)。
 
 途方に暮れた彼はやむなく知り合いを頼って身を寄せようとしたところ、その知り合いは「お前を遊ばせておくような余裕はない」ということで、畑に行かせてユダヤ人が忌み嫌う豚飼いの仕事をさせました。
 
「そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せた所が、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた」(15章15節)。
 
背に腹は替えられません。彼は止むなく豚の世話をするのですが、食べるものもなく、ついには豚の餌で空腹を満たしたいと思う程になってしまったのです。
 
「彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった」(15章16節)。
 
 こと、ここに至って彼は、異国の地で飢えている自分と、父の家で十分に食べることのできる雇い人とを比較することによって、自らを省み始めます。
 
「そこで彼は本心に立ち返って言った、『父のところには食物のあり余っている雇い人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている』」(15章17節)。
 
「本心に立ち返」(17節)るとは、「我に返った」ということで、「目が醒めた」という意味です。
痛い目に遭い、つらい経験をして初めておのれの無知に気付き、当たり前と思っていた環境がいかに恵みに溢れていたものであるかということに気付いたのです。
 
しかし、彼が何よりも気付いたのは二つであって、一つは自らの罪の深さ、そしてもう一つは父親のけた外れの配慮、でした。
つまり彼は自分がいかに父親の気持ちを無視し踏み躙り、非礼を行っていたかということに気がついたのでした。
 
そして決心をします。「父の許に返って謝罪をし、もしも許可してもらえるならば雇い人のひとりとなって生涯にわたって自分の罪を償い続けよう」と。
 
「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたに向かっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇い人のひとり同様にしてください」(15章18、19節)。
 
 この決心こそ、真の罪意識、認罪感が生み出す、悔い改めの言葉でした。
よく、「謝ったのに赦してくれない」と言って、赦さない相手を責める人がいます。しかし、そういう人の謝罪の目的はゆるしてもらうことによって気持ちが楽になりたい、という、自分のためであることが多いのです。
しかし本当の謝罪は自分のためにゆるしを期待することではなく、傷つけた相手の気持ちを癒すことなのです。
 
そう考えますと「おゆるしください」は相手にゆるしを求めることであり、「御免なさい」もまた、罰の「免」除を相手に願うことであるとも言えます。
そういう意味では「済みません」「申し訳ない」などは、どんなに謝っても「済まない」ことを自分はしたのだ、どう説明したとしても弁明や「申し訳」が立つものではないことをしてしまったのだという、悔悟の気持ちを示す言葉なのかも知れません。
 
 弟息子の悔い改めと回心とは本物でした。その証しが、彼が取った次の行動でした。彼は空腹を抱えながら、父のいる家へと向かうのです。私には、短い一行がこの譬えの中で最も感動的な句に思えます。
 
「そこで立って、父のところへ出かけた」(15章20節前半)。
 
 彼が行こうとする「父のところ」(20節)、そこは彼がきらびやかな衣服に身を包んで意気揚々と出立をした「ところ」です。そこは彼のことを熟知している親族がおり、知人友人がおり、雇い人がいる「ところ」です。
 
彼はその「ところ」から、「こんな田舎にいられるものか、都会で名をあげて成功して見せる」と大言壮語して出かけてきたのです。
故郷に錦を飾るような大成功を収めたわけではなくても、それなりに成功した帰郷ならばそれはそれで帰ることができたかも知れません。しかし、みすぼらしく尾羽打ち枯らした状態で、どの面下げて帰ることができるでしょうか。
 
 しかし、心が深い認罪感に満ちていた弟息子の関心は自らが故郷の人々からどのように思われるかという個人的面子よりも、自分の言動によって傷つけた父の心の方がはるかに重要であったのです。
そしてそれこそが、彼が「本心に立ち返っ」(17節)たことの確かなしるしでした。
 
「そこで立って、父のところへ出かけた」(20節)。この一句には、彼の回心が本物であったのだという、イエスの思いが強調されていると思われます。
 
 
3.弟息子は戻った父の家で、父の深い愛に気付いた
 
感動の描写は続きます。弟息子は故郷の父に対し、自分が帰る時間や期日どころか、帰るということ自体、伝えてはいませんでした。スマホもない、メールもない、電話も電報もない時代です。
 
しかし、空腹を抱え、杖にすがりながら遥か遠くをトボトボと歩いてくる息子を最初に発見したのは父の方でした。しかも、ぼろを着て、痩せこけた姿の、家を出て行った時とは姿様相が一変している息子を、です。
 
「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首を抱いて接吻した」(15章20節後半)。
 
 このことは、父が息子の帰還を日々、待ち望んでいたことを証しするものでした。父は息子が出て行った方向を毎日のように見ていたのでした。そのことはまた、父が息子のことを、彼が謝る前から受け入れていたことを示す行為でもありました。
 
では、息子の方はどうしたか。思いもかけない父の寛容な態度に図々しく謝罪を愛したのかと言いますと、そんなことはなく、異郷の地での決心をそのまま口にします。
 
「むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』」(15章21節)。
 
 これを十八節、十九節と比べてみてください。同じでしょうか、どこかに違いがあるでしょうか。
違いはあります。父との実際の対面の場面では、最後の「雇い人のひとり同様にしてください」(19節)がありません。息子は敢えてこれを省いたのでしょうか。
 
推論ですが、そうではないと思います。では、なぜ最後の言葉が息子の口から出なかったのか、それは父が最後まで言わせなかったからではないかと思うのです。
父は息子の悔い改めの言葉をみなまで言わせず、途中で遮って、僕たちに対し、息せき切って次々と指示をしております。そこに息子が帰ってきたことを喜ぶ父親の興奮ぶりが表れています。
 
「しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい』」(15章22節)。
 
 「最上の着物」(22節)は長袖の着物でそれは息子のみが着ることのできるものであり、「指輪」(同)もまたその家の息子のしるしでした。そして「はきもの」(同)です。当時、「僕」は裸足が普通でしたが「はきもの」はその家の家族だけが履くという習慣があったようです。
 
つまり、息子が、「親不幸を重ねて、あなたを裏切った私には、もう『あなたの息子と呼ばれる資格はありません』」(21節)と告白したにも関わらず、この父は彼を息子と認定している、あるいは失った息子の立場への復帰を宣言したということなのです。
 
弟息子はここに至ってなお一層、父の愛の人知を超えた無限とも言うべきその深さに気付くこととなります。そして生涯、父の傍にいて身を粉にして父に仕え、父に学んだことと思うのでした。
 
この弟息子は群れを離れて「いなくなった一匹」(4節)の迷い羊、「なくした銀貨」(9節)同様、「取税人や罪人たち」(1節)のことです。
彼らは「パリサイ人や律法学者たち」(2節)から見れば、確かに神に背き、律法の規定に違反し、罪の道を歩んでいると思われていた人々でした。
 
しかし、大切なことは自らの過ぎ去った日々の罪を、そしておのれの内なる罪性というものを悲しんでいるかどうか、悔いているかどうか、神を悲しませてきたという認識があるかどうか、なのです。
 
「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いたこころを軽しめられません」(詩篇51篇17節)。
 
息子は「自由への逃亡」を図ったのですが、事実は「自由からの逃亡」であったことに気付きます。彼は父の愛の中にいるという「自由」へと帰還したのでした。
 
この譬えを通して、「取税人や罪人たち」が皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた(1節)ということは、家出をした弟息子が罪を悔いて父の許に帰ってきたことと同じなのだ、そして神は彼らを受け入れているのだ、ということを、イエスは「パリサイ人や律法学者たち」(2節)に理解させようとしたのでした。
 
譬えでは、息子の帰宅後間を置くことなく、その無事の帰還を祝う宴会が開かれました。
 
「また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」(15章23、24節)。
 
 「パリサイ人や律法学者たちは」(2節)、イエスが、彼らがいう「罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」(同)ことを非難しましたが、イエスの食卓こそ、「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」(24節)者たちを喜ぶ神の宴なのです。
 
「それから祝宴がはじまった」(15章24節後半)。
 
 日曜ごとの礼拝こそ、イエスが主催する「祝宴」(24節)であって、今現に、そこに自分が招かれているという事実を、驚くべき恵みとして感謝して喜び楽しむ者は幸いです。この「祝宴」の中にこそ、神との交わりという自由があるのです。
 
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」(ガラテヤ人への手紙5章1節)。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-11-10 16:43:44 (2516 ヒット)
2013年礼拝説教

13年11月10日 日曜礼拝説教

「ルカによる福音書の譬え話良きサマリヤ人の
 え―イエス・キリストこそ瀕死の者に愛の手を差し伸べた『良きサマリヤ人』であった
 
ルカによる福音書10章25〜37節(新約聖書口語訳105p)
 
 
はじめに
 
私たちの教会では就学前の子供たちが、あらゆる危険や災害から守られて、心身共に健やかに成長することを願い、子供祝福式を七五三の直前の日曜礼拝に行っておりますが、今年はそれが本日、十一月十日の礼拝です。
 
七五三の行事は徳川幕府三代将軍家光の時代に始まったと言われています。家光の側室お玉の方(後の桂昌院)は亀松と徳松という二人の子を家光に生みましたが、亀松は三歳で早世してしまいます。
そのために家光は、徳松が数え年五歳になった慶安三年(一六五〇)十一月十五日に五歳の祝いをし、その健康と無事の成長を祈ったとのことで、それが七五三の始まりとされています。因みにこの徳松が後の五代将軍綱吉です。
 
子供の無事の成長を願うのは将軍家も武士も、そして庶民も変わりはありません。とりわけ、流行り病が頻発し、それに対する医療も未発達で、衛生状態も良くなかった昔の日本では、子供が大人になる前に亡くなるという事例は珍しくないことでした。そのため、七五三詣りという行事が広まっていったそうなのです。
 
七五三は一般には五歳の男児、三歳と七歳の女児を対象にしますが、元々は三歳の男女の「髪置(かみおき)」、五歳男児の「袴着(はかまぎ)」、七歳女児の「帯解(おびとき)」の三つの行事からなっていて、それぞれに子供たちの無事の成長を祈るという意味が込められていました。
 
しかし、子供たちの無事の成長という場合、単に体が丈夫に育つというだけでは不十分です。心が育たなければなりません。
心が育つということは他者に対する配慮、とりわけ弱者に対する思いやりの心が育てられなければなりません。しばしば、いじめっ子が体格の良い子であることも珍しくはないからです。
 
そして、人を思いやる心、人への愛情は、「自分が愛されてある」という実感と体験から生まれると共に、「愛するとはどういうことか」という愛の手本を見ることによって育っていくものです。
 
そこで今週はいわゆる「良きサマリヤ人の譬え」を通して、聖書が教える真理、教訓をご一緒に体得したいと思います。
 
 
1.永遠の生命を受ける唯一の条件、それは隣人愛を徹底することであった
 
「良きサマリヤ人の譬え」はあまりにも有名な反面、譬えの本来の意図が曲げられて伝わっている嫌いがあります。そこで本日はキリストが伝えようとした本来の意図を探り、その意味を心と生活の中に受け入れたいと思います。 
 
今回も譬え話の背景について考えることとします。端緒となったものは「ある律法学者」のイエスに対する質問でした。
 
「するとそこへ、ある律法学者が現われ、イエスを試みようとして言った、『先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか』。」(ルカによる福音書10章25節)。
 
 「ある律法学者」(25節)は「永遠の生命」(同)の受け方について質問をしました。とは言いましても「イエスを試みようとして」(同)とありますように、その動機はイエスの教師としての理解度や見識の深さ、さらにはその信頼性を試そうとしたところにあったのですが。
 
この「永遠の生命」(25節)の獲得は当時のユダヤ人が持つ最大の関心事でした。
「永遠の生命」には二つの側面があります。一つは量的な面、つまり時間的長さとしての永遠の命という永久性で、もう一つは質的な面、つまり、神との不断に続く良好な関係という関係性でした。
 
 律法学者の問いに対してイエスは逆に質問をします、「律法には何とあるか、あなたはそれをどのように理解しているか」と。
 
 これに対して律法学者は得意げに答えます、「それは神への忠誠と、隣人への愛の実践です」と。
 
「彼は答えて言った、『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」(10章27節)。
 
 この二つはそれぞれ、モーセ五書の四つ目の文書の申命記六章五節と、三つ目のレビ記十九章十八節にある戒めです。
 そこでイエスは二つのことを言います、一つ目は、「それが正しい答えである」ということ、そして二つ目は、「あとは理解しているそのことを実践しさえすれば、あなたも永遠の生命を受けることができる」というものでした。
 
「彼に言われた、『あなたの答えは正しい。そのとおりに行いなさい。そうすれば、いのちが得られる』」(10章28節)。
 
 これは、人が永遠の生命を受ける道あるいは方法として、あらゆる時代を通じて正当かつ有効なものでした。そしてそれは現代でも正当かつ有効な方法なのです。ただし、それを完璧に実践をしていればの話ですが。
 
特に二つ目の、隣人への愛を徹底的に実践した者には、誰であっても神は永遠の生命を与える筈です。そういう意味において、律法学者の答えは正しかったのです。
 
但し、それを理性であるいは理屈で理解しているということと、実践で行動に表わしていることとは別です。理解することは大切です。しかし、頭で理解しているからと言って、それでよいのではありません。
 
では、理解は無意味なのかといいますと、そうではありません。頭での理解は真理に到達するための入り口であり、第一段階なのです。ですから、理性によるキリスト教教理の習得はきわめて大切なことなのです。
 
「永遠の生命」を受ける条件が、神への忠誠と、隣り人への徹底的な愛の実践であるということについては、イエスもまた同様の見解を持っていたのでした。
 
 
2.徹底した隣人愛のモデル、それが譬えに示された「良きサマリヤ人」であった
 
しかし律法学者はイエスの言葉、特に「そのとおりに行いなさい」という言い方に「カチン」ときたようです。彼には、自分は隣人愛を実践している、という自負があったからです。
そこでこの律法学者はイエスに「私は隣人愛を実践しています、これ以上、私が実践しなければならない隣り人とは誰のことでしょうか」と訊き返します。
 
「すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、『では、わたしの隣り人とはだれのことですか』」(10章29節)。
 
この問いに対してイエスが語り出したものが「良きサマリヤ人の譬え」でした。
 
「イエスが答えて言われた。ある人がエルサレムからエリコに行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま逃げ去った」(10章30節)。
 
 「エリコ」(30節)は「エルサレム」(同)の東二十七キロにある、古代から連綿として続いている町であって、祭司やレビ人が多く居住していたと言われています。なお、現在はヨルダン川西岸地区に含まれている町です。
ただ、「エルサレム」は標高七百メートル、「エリコ」は海抜二百五十メートルと、その標高差は激しく、しかもその間の道は曲がりくねった険しい道で、旅人はしばしば盗賊の餌食になったそうです。
 
そして一人の旅人が襲撃されてしまいます。「強盗どもが彼を襲い」(30節)、情け容赦なく身ぐるみを剥がし、半死半生の目に遭わせて逃走してします。そしてそこにエルサレム神殿に仕える祭司とレビ人とが相次いで通り掛かります。
しかし律法に精通し、神に仕えている筈の彼らは我が身かわいさから後難を恐れ、見て見ぬふりをしてその場を通り過ぎていきました。
 
「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、彼を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った」(10章31、32節)。
 
そして「サマリヤ人」の登場です。譬えをそのまま読むことにしましょう。
 
「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った」(10章33〜35節)。
 
「サマリヤ人」(33節)という言い方には二つの意味があります。
 
一つは民族的な意味でのそれでした。
サマリヤはもともと、北イスラエル王国の首都でしたが、紀元前七二一年、アッシリヤのサルゴン王による侵略を受けて滅亡してしまいます。
その後、サマリヤにはサルゴンによって移住させられた異民族とサマリヤに残ったイスラエルの民との混血によって一つの民族が形成されますが、南のユダヤ人からは神の民という立場を穢した「サマリヤ人」として交流を拒まれたため、ゲリジム山に神殿を建てて、モーセ五書のみを正典とする独自の宗教を信奉するようになりました。
 
ではイエスの譬えに登場した「サマリヤ人」がそのような人なのかと言いますと、必ずしもそうとは限らないのです。実は正統を自負するユダヤ教徒たちは、正統信仰から外れていると彼らが見做す者はそれが同胞であっても、「サマリヤ人」と呼んで、蔑む傾向があったからです。
イエスも血統の点では正真正銘のダビデの子孫でしたが、敵対者からは「サマリヤ人」と罵られたことがありました。
 
「ユダヤ人はイエスに答えて言った、『あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか』」(ヨハネによる福音書8章48節)。
 
当時の宗教的状況を考えると、民族的な意味での「サマリヤ人」がユダヤ教の聖地であるエルサレムからエリコに旅するということは考えにくいことからも、同じユダヤ人でありながら正統ユダヤ人が蔑み、隣人としての扱いをしなかった者を、イエスが「サマリヤ人」として登場させたと解釈する方が理に適っているかも知れません。
 
譬えに戻ります。律法の精神を軽んじていた筈の「サマリヤ人」は、瀕死の旅人を見捨てることはしませんでした。彼は瀕死の状態で道に放置されている旅人を「気の毒に思い」(33節)ます。彼の同情心が激しく揺り動かされたのです。
 
そして神に仕える「祭司」や「レビ人」が「向こう側を通って行った」(31、32節)のとは対照的に、「近寄ってきて」手当てをしてやり、しかも「宿屋に連れて行って介抱し」(34節)、更に、翌日、自分が出立するにあたっては、二日分の日当に当たる「デナリ二つを」「宿屋の主人に手渡し」(35節)て、赤の他人である旅人の世話を依頼します。至れり尽くせりの行為です。
 
実はこの譬えは、もしも徹底した隣人愛の実践によって永遠の生命を獲得する人がいるとするならば、それはこのサマリヤ人のような人であるということを教えているのです。
いうなれば、徹底した隣人愛の実践者のモデル、それがこの「良きサマリヤ人」であるということをイエスは示したのでした。
 
つまり、この「サマリヤ人」が隣国の住民であるならば、彼が助けた旅人は普段から彼らを蔑む敵国の一人でしたし、もしも律法の実践という観点から異邦人扱いされていたいわゆる「サマリヤ人」であるならば、強盗に襲われたユダヤ人の旅人は「敵」のひとりということになります。
 
彼がもしも「隣り人を愛し、敵を憎め」(マタイによる福音書5章43節)というユダヤの律法に従うならば、強盗に襲われた旅人は彼の「敵」であるわけですから、「敵を憎め」という教えを実践して、旅人を放置したままその場を通り過ぎても何ら咎められることはないことになります。
 
しかし、この「サマリヤ人」は彼の「敵」を放置することをせずに、自らが旅人の「隣り人」となり、また旅人を自らの「隣り人」としたのでした。
まさに「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というレビ記の戒めを実践したことになるわけです。
 
では、かくも徹底した愛を実践した「サマリヤ人」のような人はこの地上にいるか、と言いますと、答えは「ノー」です。
 
つまり、イエスはこの譬えによって、人は限定的な意味では家族や同胞への愛は実践することができたとしても、敵対関係にあるような者に対しても、家族と同じような気持ちで愛を実践することができるか、それは不可能である、ということを伝えようとされたのでした。
 
イエスがこの譬えを通して言いたかったことは二つです。
 
一つは、人が隣人愛の実践によって永遠の生命を得ようとするならば、この「サマリヤ人」のような徹底的な実践が必要であるということ、そしてもう一つはその裏返しになるのですが、罪ある人間が律法の実践によって永遠の生命を得ようとすることは、無理なことなのだ、ということでした。
 
イエスは譬え話をした後に、律法学者に質問します。
 
「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか。彼は言った、『その人に慈悲深い行いをした人です』。そこでイエスは言った、『あなたも行って同じようにしなさい』」(10章36、37節)。
 
 最後の「あなたも行って同じようにしなさい」(37節)という言葉をそのまま鵜呑みにして、あなたも「サマリヤ人」のようになりましょうと、愛の実践を説く人や教会が多いのですが、イエスはこの譬えによって愛の実践を勧めたのではありません。
律法学者への「あなたも行って同じようにしなさい」はあくまでも、行いによって永遠の生命を得ようとする者、得られると考えている者に対する言葉なのです。
 
 
3.「良きサマリヤ人」として瀕死の者に手を伸べた愛の人、それがイエス・キリストである
 
 そしてルカによる福音書が最終的に言いたいこと、伝えたいこと、そしてわかって欲しいこととは、私たちが人生の途上にあって、人からも見捨てられ、絶望し、瀕死の状態で呻吟していた時に、私たちの姿や状態を衷心から「気の毒に思い」(33節)、「近寄ってきてその傷」(34節)に手当てを施してくれて、最後の最後まで面倒を見てくれた「良きサマリヤ人」こそ、イエス・キリストその人であったということだったのです。
 
 繰り返しますが、この譬えを語ったあと、イエスは律法学者に向かい、「もしもあなたが隣人愛の実践によって永遠の生命を受けたいと思うならば、『あなたも行って』(37節)サマリヤ人と「同じようにしなさい」(同)、そうすれば不死という永遠の生命、神との良い関係という永遠の生命を得ることが出来るだろう、と言いました。
 
「そこでイエスは言われた、『あなたも行って同じようにしなさい』」(10章37節)。 
 
そして、そう言ったイエスは文字通り、「良きサマリヤ人」となって、私たち罪びとを滅びから救うべく、隣人愛の徹底的な実践者となり、そして十字架に命を捧げてくださったのでした。まさにイエスこそ、「行って(サマリヤ人と)同じようにし」(37節)たお方、しかも唯一のお方であったのです。
 
古今東西、歴史を通じて模範とすべき愛の実践者は数多おりますが、イエスのように無私の愛、無償の愛による隣人愛を実践した人は他にはおりません。
そういう意味ではイエスのみ、その行いによって永遠の生命を得ることのできた人であったと言えます。
 
しかしイエスはその永遠の生命を得るという資格を後生大事に抱えて、一人だけの幸せという道を選ぶことはしませんでした。イエスは自らの意志と決断により、その罪なき人生を私たち人類の身代わりとすることによって、人類の罪障を消滅させるという道を選んでくださったのでした。
それが十字架の死、身代わりの死でした。
 
ですから誰でも、このイエスを主なるキリストとして信じ受け入れるならば、その人はイエスの功績により、ただ信じるだけで量的、質的な意味での永遠の生命を持つことが可能となるのです。
 
愛の実践は永遠の生命の獲得のための手段などではなく、自分はイエスから無私の愛、打算なき愛で愛されているという喜びが、人を愛の実践へと人を駆り立てるのです。
 
ローマン・カトリックに、死後二十年で聖人に列せられた神父がいます。ダミアンというベルギー出身の神父です。
 
彼は所属している修道会から宣教師としてハワイに派遣され、そこでモロカイ島というハワイでは五番目に大きな島にハンセン病患者が隔離され、誰からも世話をされることなく死んでいくという状況を知るに至ります。
そして自ら志願してハンセン病患者の多いモロカイ島に派遣されます。三十三歳の時でした。当時のハワイは米国が併合する前でしたので、文明的には遅れた地域でした。
 
彼はモロカイ島においてその荒廃した生活環境の整備に全力を尽くしますが、十一年後、彼の身にハンセン病が発症します。
そしてさらにその五年後、ダミアン神父はハンセン病によってこの世を去ることとなりました。四十九歳でした。
 
ダミアン神父はその愛の実践によって永遠の生命を獲得したのでしょうか。そうではありません。彼を永遠の生命に導いたのはイエス・キリストの十字架の犠性です。
モロカイ島におけるハンセン病患者への奉仕にダミアン神父を駆り立てたものは、自らが見捨てられた旅人であった時に、キリストが「良きサマリヤ人」として彼に手を伸べてくれたという体験であり、キリストへの感謝であったと思われます。単なるヒューマニズムや同情心では、人は自己満足的な行為しか出来ません。
 
もちろん、ダミアン神父のように我とわが身をハンセン病患者に捧げるという崇高な自己犠牲的人生を生きよと、聖書は言ってはいません。ただ、キリストとの出会いを経験すると、考え方が変わります。
 
人は自身が人生という旅において、傷つき見捨てられた旅人であった時に、キリストが良きサマリヤ人として愛の手を差し伸べてくれたという、個人的体験を経ることによって変わります。
 
「ナルニア国物語」の著者として知られる英国の作家、C.S.ルイスはキリスト教の弁証家としても活躍しました。そのルイスの著作に「悪魔の手紙」という作品があります。一九四二年に刊行され、ベストセラーとなったそうです。
 
「悪魔の手紙」は原題が「スクル−テイプ レター」とありますように、経験を積んだ悪魔であるスクルーテイプが、修行中の甥のワームウッドに対して送った、人間を神から離れさせる秘訣を教える三十一通の書簡、というかたちから成っているもので、特に第二十一信は、人間の弱点を衝く指摘として考えさせられます。
 
スクルーテイプは教えます、人間は自分が不運な目に遭ったというだけでは、腹を立てることはしない、しかし、自分の正当な権利を侵害された、奪われたと感じると不機嫌になり、その結果、彼の魂はお前の支配下に置かれることになる、と。
 
人間は不運な目に遭ったというだけでは、大して腹をたてないが、それを権利の侵害と受け取るときに激怒する。権利を侵害されたという意識は、自分の正当な権利が拒まれたという感情にもとづいている。したがってきみの担当の男をそそのかして、自分には人生において享受すべき正当な権利がたくさんあるはずだと思い込ませることは大いに結構だ。(中略)
 
さて自由に使うことができると期待していた時間が思いがけず取りあげられることになったとき、やつがとりわけいきりたつということには、君もきづいているだろう。(中略)
 
彼が立腹するのは、自分の時間を自分の所有物のように考えているために、自分の持ちものを盗まれたように感ずるからなのだ。だからきみは「わたしの時間はわたしのものだ」という奇妙な考えがやつの心のうちから消えないように目を光らせていなければならない。一日の初めにあたって、やつに、自分には自分の自由になる時間が二十四時間あるという意識を持たせるのだ。
 
 この所有物の一部を…宗教的な義務にささげる部分については、気前のいい寄進(註 献金)でもしているように感じさせるがよい(C.S.ルイス著 中村妙子訳「悪魔の手紙」129、130p 平凡社)。 
 
 ベテランの悪魔は見習いの悪魔に教えます、「時間というものは神から与えられたものではなく、二十四時間すべてが自分の所有物である、『わたしの時間はわたしのものだ』(130p)と思い込ませておけば、お前のターゲットはお前の物となり、以後、お前は彼の人生を思うままに操ることができるようになる」と。
 
「二十四時間すべてが『わたしのものだ』と思い込ませていれば、彼は日曜日、礼拝に割く時間も惜しくなるであろうし、奉仕にしても、何も自分が所有している大事な時間を使ってわざわざしなくてもよい、と思うようになるであろう、何しろ、時間の所有者はこの自分なのだから。間違っても実は時間というものは神から授かったものなのだ、などという考えを持つことがないようにせよ、もしもターゲットがそのことに気付いてしまったら、彼はあなたの手から確実に逃れてしまうぞ」というわけです。
 
そういう意味においても、人なるイエスは私たちと違い、悪魔に対する完全な勝利者であったといえます。イエス・キリストこそまことの「良きサマリヤ人」でした。
 
すべてはキリストが「良きサマリヤ人」となって自らの人生に現われ、そして打算抜きで面倒を見てくれたという体験から出発するのです。そしてそのことがこの譬えの私たちに対するもう一つの教訓です。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-11-03 16:26:56 (2989 ヒット)
2013年礼拝説教

13年11月3日 十一日曜特別礼拝説教(第六回)

「十字架の物語Α.リストは今日もあなたを訪れて、心の扉を叩いている」
 
ヨハネによる福音書1章12節(新約聖書口語訳135p)
ヨハネの黙示録3章20節(新約聖書口語訳390p)
 
 
はじめに
 
「笑っていいとも」というテレビの長寿番組が、来年の春でついに終了するそうです。「友達の輪」で一世を風靡した番組でしたが、マンネリになって視聴率が下がってきたことが打ち切りの理由のようです。
 
その点、四十七年も続きながら一向に人気が衰えないのが「笑点」です。
その笑点の出演者のひとりである六代目三遊亭円楽(円楽の襲名前は楽太郎でした)の売りが、一つが「腹黒」で、もう一つが「友達がいない」ということなのです。確かに知識をひけらかす、というキャラクターを演じていることもあって、さもありなんと思われますが、実際には弟子もおりますから、多くの友人知己がいることと思います。
 
ところで日本人の生き方や心情の形成に大きな影響を与えたものが「論語」です。論語は孔子と孔子の高弟の問答を、孔子の死後に弟子が編纂をしたものと言われています。それで、いずれも「子曰く」で始まります。
 
論語は二十篇から成っていて、各篇にはタイトルはありませんので、文章の最初の二文字又は三文字を取ってその篇の名称としました。
 
有名なのが第一篇にあたる「学而(がくじ)」の冒頭です。
 
子曰
(子曰く)
  
「学而時習之 不亦説乎
学びて時に之を習う 亦(また)説(よろこ)ばしからずや
 
有朋自遠方来 不亦楽乎
朋(とも)有り遠方より来たる 亦(また)楽しからずや
  
人不知而不慍 不亦君子乎
人知らずして慍(うら)みず 亦(また)君子ならずや
 
この中でも特に日本人に好まれそして口ずさまれているものが二つ目の、「朋(とも)有り遠方より来たる 亦(また)楽しからずや」でしょう。
 
この場合の「朋」は机を並べて同じ先生から薫陶を受けた同門の友人のことで、「その気の措けない友人が遠方から訪れてきてくれるという、何と楽しくもまた愉快であることか、一夜、夜を徹してでも思い出を語り合い、近況を交換し合う、その喜びは何物にも替え難い」という朋友との再会の感動を表現した短文です。
 
このような肝胆相照らす友人を持っている人は幸いですが、しかし、本当に腹の底まで見せても安心、絶対大丈夫、と言える友達がどれほどいるかと問われて、胸を張って「自分にはいる!」と断言することのできる人は意外に多くはないのではないかと思います。
 
しかし、今日、「十字架の物語」の最終回では、本当の友とでも言うべき存在、置かれている状況がいかに変化しようとも決して変節したりすることなく、最後の最後まで頼りにもなる、という真の友人をご紹介したいと思います。
 
 
1.誰でもキリストを信じ受け入れるならば、神の子になるという特権を与えられる
 
 生物学的に言えば、人から生まれたものは人となります。もっともせっかく人として生まれても「あれは犬畜生にも劣る奴だ」と疎んじられるような生き方をするものもあれば、思わず手を合わせて拝みたくなるような「神様のような人」に出会う場合もあります。
 
しかし、畜生以下の卑怯な行為をする者も、そして神のような慈愛深い振る舞いをする者もみな、人であることに違いはありません。
 
先々週の説教で「アンパンマン」の作者であったやなせたかしさんの弟さんが人間魚雷で出撃をして、愛する祖国、故郷のために、また大事な同胞、家族のためにその尊い命を捧げたという話を致しました。
この弟さんは軍神として靖国神社に祀られていることと思います。このような方々に対し、感謝と尊崇の念を示すことは日本人として当然のことであると思います。
 
もっともまだ生存しているにも関わらず、「神様、仏様」と崇められた人がいます。西鉄ライオンズの投手であった鉄腕、故稲尾和久です。
 
稲尾は一九五八年の日本シリーズ対巨人戦において、七戦中、六試合に登板してライオンズを優勝に導いた立役者ですが、前年の一九五七年にはプロ野球記録の二十連勝を達成するなど、鉄腕と呼ばれた投手でした。
これは今年、楽天イーグルズの田中将大が更新するまで、五十六年間の長きにわたって稲尾が保持してきた大記録でした。
 
日本シリーズにおいて稲尾の属するライオンズが三連敗の瀬戸際からジャイアンツに四連勝して優勝した時には、地元の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが躍ったそうです。
 
実は私の場合、神奈川県で育った者として当然のように巨人を応援しておりました。但し、三戦までは。
しかしながら生まれながらの天邪鬼というか判官贔屓というか、巨人が三連勝した時点で我然、三連敗の西鉄ライオンズの方に気持ちが傾いて、そこに稲尾和久の快刀乱麻を断つが如きピッチングがあって、以来、アンチジャイアンツになってしまいました。
 
因みに野球選手で「神様、仏様」と言われたのは稲尾くらいです。確かに偉大な選手でした。
 
ところで日本には人が亡くなると仏になり、あるいは神となるという宗教土壌がありますが、聖書は何と、罪深い私たち人間が、天地を創造した唯一の神が公認する神の子になれるという道を示してくれています。
 
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネによる福音書1章12節 新約聖書口語訳135p)。
 
「彼」(12節)とは神の独り子のイエス・キリストのことです。その「彼は」人に対し、人が「神の子となる」となるという「力を与え」ることができるお方です。
 
「力」とは権利、特権、資格、身分を意味します。つまり、キリストは人に対して、「神の子」という特権を与える権威を持っているということなのです。
この場合の「神の子」とは、正確に言いますと「神の養子」を意味します。「神の子」つまり神の実子は一人しかいません。イエス・キリストです。
 
「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(1章14節)。
 
 人が「神の子」という資格を得るには何が必要なのでしょうか。国家試験みたいなものがあるのでしょうか。いいえ、試験はありません。もしも試験があるならば誰も合格することはできません。一人を除いては。そしてその一人が、人となられたイエス・キリストだったのです。
 
 ではどうしたら人は「神の子」になることができるのでしょうか。聖書は言います、「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた」(12節)人には誰であってもこの特権が付与されるというのです。
 
「彼を受け入れ」るということは、それに先だって「その名を信じる」つまり、イエスを神のひとり子、救世主、メシヤ、キリストとして信じるという前提があり、「信じ」たからこそ、「受け入れ」るということが可能となるのです。
 
 誰であってもイエスを「信じ」「受け入れ」るだけで「神の子となる力」,
資格、権利、特権を受けることができる、それが福音、ゴスペルです。 
 
ではなぜ、「神の子となるための」資格審査や検定がいらないのでしょうか。それは審査や検定では誰ひとり、合格することはできなかったからです。
そこで神の御子のイエスが人となり、そして人としてこの難関をパスし、ご自分を信頼して救世主としてその人生と心に迎え入れる者には無条件で神の子とされる特権を与えてくださることとなったのでした。
 
 問題はここです。イエスを信じ受け入れるとは、どういうことなのかということです。
そこで次に、イエスをキリストとして信じ受け入れる仕方、方法を聖書から教えられたいと思います。
 
 
2.愛に溢れたキリストは今日もあなたを訪れて、心の扉を叩いている
 
前回の「十字架の物語」の第五回目において、十字架に架けられたキリストは、死んで墓に葬られましたが三日目に復活し、その後昇天をしたということを確かめました。
 
しかし、イエス・キリストは天の住まいにおいて「ひと仕事終わった、やれやれ」と寛いでいるのかと言いますとそうではありません。
イエスの究極の願いはご自分が命を捨ててまで愛している者一人一人と一緒にいて、最後まで苦楽を共にすることなのです。
 
そこで復活のイエスは私たち一人一人を訪ね求め、それぞれの人生の門口、心の入り口に立ってノックをしてくださっているのです。
 
新約聖書の最後の文書、ヨハネの黙示録を読んでみましょう。
 
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている」(ヨハネの黙示録3章20節前半 390p)。
 
 「わたし」(20節)とはイエス・キリスト自身です。「戸」(同)とは各自の人生の扉、心のドアのことです。
 
 天にいる筈のキリストがなぜ、地上にいるのか。理屈っぽい人は疑問に思うかも知れません。神学的に説明するとするならば、復活したイエスは神の立場に戻りました。
神の属性の一つは「遍在(へんざい)」ということです。これは「遍(あまね)く在る」ということですから、遍在であるキリストが人の心の外に立っていても不思議ではありません。
 
 もっと理屈っぽい人は、「キリストの復活後、地上にいるのは三位一体の三位格の『聖霊なる神』ではないのか」と思うかも知れません。その疑問に対しては、「相互内在(そうごないざい)」という神学説でご説明したいと思います。
 
「相互内在」とは父と子と聖霊との間では「相互」に「内在」し合うという関係が可能である、という学説です。つまり父が子におり、子が聖霊に内在しているという論理です。
厳密に言えば人を訪れているのは聖霊なる神です。しかし、キリストはその聖霊に内在しているので、人を訪れているのはキリストである、といっても良いわけです。
 
 話を元に戻します。ロンドン生まれの画家でウイリアム・ホルマン・ハントという人がいました。
ハントは聖書を題材にした沢山の絵を描きましたが、中でも有名な絵が戸を叩くイエスを描いた「世の光」でした。
 
茨で編まれた冠をかぶり、ランプを左手に下げたキリストがドアの外に立ってノックしている絵です。ドアには雑草が絡みついています。
ハントが描いた絵をよくよく見ますと、ドアには外ノブ、つまり取っ手がついていません。外から開けることはできないというドアです。このドアは人の心の扉を表しています。つまり、人の心のドアには、取っ手は内側についているだけで外側にはついていないのです。
 
神の御子であるならばドアを叩き続けるなどというまだるっこしいことをしないで強引に開けてでも入って行けばよいものを、と考える人がいるかもしれません。
しかし、キリストは人の意志を尊重されるお方なのです。家の住人が自分で内側から心のドアを開けるまで、外に立って忍耐しながらドアを叩き続けているのです。
 
クリスチャンとなった方々もかつて長い間、キリストを人生の外、心の外に立たせたままであったことを思い出すかも知れません。
 
そして、まだキリストを受け入れていない方々は、あなたの人生の門口にキリストが訪ねてきて、そして心の扉を叩いているその音にぜひ耳を澄ませていただけたらと思います。
 
聖書は言います、聖書の神は人を、とりわけ希望を失い、愛に傷ついた人の人生と心を訪れてきてくれる神なのです。
愛に溢れたキリストは今日もあなたを訪れて、心の扉を叩いておられます。
 
 
3.キリストを信じ受け入れるとは、心の戸を叩くキリストを心と人生に迎え入れることである
 
 心の戸の外に立って扉を叩くキリストは、戸を叩きながらご自身が訪問をしてきたわけを語ります。
 
「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(3章20節後半)。
 
 ここにキリスト訪問の目的があります。それは「食を共に」するためでした。
 
 新約聖書学者でありギリシャ語の権威でもあったウィリアム・バークレーによりますと、ギリシャ人の食事は、朝や昼は簡単に済ませが、その分、夕食は豪華で、その夕食は、家族は勿論、親しい友人たちと共に寛ぎながら時間をかけて交歓をするのだ、そしてここで使われている「食」の原語は晩餐を指す言葉である、と言っています。
 
 キリスト訪問の目的はただ一つ、それはキリストがあなたの家族となって、あなたの抱えている問題を代りに担い、重荷から解放し、安らぎを与え、共に歩むということなのです。
 
 ある人は、私の心の部屋は散らかり放題に散らかっていて、とてもキリストを迎え入れる状態にはない、と言うかも知れません。
しかし、キリストはすべてをお見通しであって、散らかっていれば一緒に片付けもし、汚れているのであれば私が清掃をしてあげよう、と申し出てくれる友なのです。
 
 それは生前のイエスと少しも変わらぬ取り扱いです。
聖歌の編纂者、中田雨後の訳による青年聖歌103番「イェスは神であるのに」の二節そのままに、です。
 
  2.罪があれば愛もて 赦し咎めだてせず
    病いあれば手を付け 癒しました
    (おりかえし)
    この気高い救い主が 今も生きて我らを救うのです
 
 キリストを迎え入れる資格は自分には無い、私なんか、とたじろぐ必要もありません。
キリストは言います、「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら」と。
出自も経歴も問われません。民族も人種も関係ありません。キリスト「の声を聞いて戸をあける」人ならば誰であっても、キリストは「その中にはいって」きて、親しく「食を共に」してくれるのです。
 
 もう一度、最初の約束に思いを向けましょう。
 
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネによる福音書1章12節)。
 
 キリストを「信じ」「受け入れ」るということは、心の扉の外に立っているキリストに向かって、自らの意志で自分の方から心の戸を開き、そして、「私は長い間、あなたを心の外に閉め出していましたが、今日、あなたをお迎えしたいと思います。どうぞ、私の心と人生に入ってきてください」と、心からお願いすることなのです。そうすれば、キリストは喜んであなたの心の中へと入ってきてくださるのです。
 
キリストを心と人生に迎え入れるならば、その人はもはや孤独ではありません。キリストは永遠の朋友として、あなたの人生の隣りを歩いてくださるのです。
「朋(とも)有り 遠方より来たる また楽しからずや」です。キリストは天という遥かなる「遠方」から来たりて、今日もあなたの人生の門口に立ち、心の扉を叩いておられます。どうぞ、心の扉を開いて、キリストを内に迎えてください。
 
ヨハネの黙示録におけるキリストのあなたに対する申し出は、今も有効です。
 
そして、もしもあなたがすでにキリストを主として心の内にお迎えしているのであれば、客間や応接室だけではなく、居間にも、そして誰をも入れたことのない奥座敷にも入ってもらっては如何でしょうか。奥座敷とは心理学でいう深層心理、無意識を意味します。そこは長い間、開かずの間で、人はおろか自分自身も足を踏み入れないままの部屋であったかも知れません。
 
しかし、そこにキリストを迎え入れることによって、人は深い平安を得ることができると思います。なぜならば、キリストは昔と変わらず今も、「凡(すべ)て労する者・重荷を負う者、われ汝(なんじ)らを休ません」(マタイ傳11章28節)と呼び掛けてくれる救世主だからです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-10-27 16:13:04 (2254 ヒット)
2013年礼拝説教

13年10月27日 日曜礼拝説教 

「ルカによる福音書の譬え話А/静造乃Г辰織僖螢汽た佑伴萓膿佑隷△─戎世傍舛箸気譴燭里蓮∈甍媼韻鮖って祈った取税人の方であった」
 
ルカによる福音書18章9〜14節(新約聖書口語訳120p)
 
 
はじめに
 
まだ若かった頃、ルース・ベネディクトが書いた日本文化論である、「菊と刀 日本文化の型」を読んで、キリスト教国である欧米は神を意識する「罪の文化」、唯一の神を信じない日本人は世間体を気にする「恥の文化」だという説に妙に納得して、以後、「恥の文化」である日本という国をどこかで恥じながら生きてきたように思います。
 
しかし、十年ほど前、長野晃子東洋大学社会学部教授(現在は名誉教授)が著わした「日本人はなぜいつも『申し訳ない』と思うのか」(草思社 2003年)を読んで、それまでの迷妄が一気に晴れたような思いになりました。確かに私もルース・ベネディクトに洗脳されていたのでした。
 
長野晃子教授はその著書の中で、「菊と刀」は米国政府によって日本の文化が正当なものではないことを裏付けるための戦争プロパガンダ(政治的宣伝)だったのだということを、元津田塾大学教授で西洋政治思想史を専攻していたダグラス・スミスの論文『内なる外国―「菊と刀」再考』(加地永都子訳 時事通信社 一九八一年 一五八ページ)を引用して論証をしております。
 
『菊と刀』は人類学研究の著作というよりは政治論文である。(中略)だがこれは物語化された日本であり(中略)、ベネディクトが創造するのはアメリカにとって当然敵となるべき国、理論的にも道徳的にもアメリカが第二次大戦で打ち負かして至極当然であるような国である(前掲書148、9p)。
 
長野教授が同書の中で言わんとしていることの一つは、日本の文化は「罪の文化」であり、日本の「罪の文化」の方が欧米の「罪の文化」よりも犯罪抑止力があり、日本を治安の良い国にしてきた(5p)ということでした。
 
なお、二〇〇九年に出版された同氏による「『恥の文化』という神話」(草思社)では、ベネディクトの日本像は「確かな根拠に基づく科学的な見方ではなく、科学的な装いをこらした念入りな創作であり、日本人を道徳観のない民族として裁くことでアメリカの原爆投下を正当化するプロパガンダだった」という分析を述べています。
 
「罪意識」、難しい用語を使えば「罪責感」は、日本という国からは確かに年々薄れつつあるようにも思えますが、それは元々、日本人の心の根底を流れる意識でもあったのです。
 
今週の礼拝におけるイエスの譬えの要諦は、「罪意識」をめぐるものです。
 
 
1.パリサイ人の祈りの特徴―自らの義を神に向かって誇らかに述べた
 
 今回のイエスの譬え話の対象は「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」でした。
 
「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬えをお話しになった」(ルカによる福音書18章9節 新約聖書口語訳120p)。
 
 そして、「二人の人が祈るために神殿に行った、ひとりはパリサイ人で、もうひとりは税金を集める取税人であった」と続けます。
 
「ふたりの人が祈るために宮に上(のぼ)った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった」(18章10節)。
 
 イエス時代のパレスチナにおいては、ユダヤ教徒は一日に三回、午前九時、正午、午後三時に神に祈るという習慣がありました。彼らはその定めに従って「祈るために」(10節)「宮」つまり神殿に行ったのでしょう。
 
「パリサイ人」(同)とは律法で定められた規則を厳密に守ることを誓った人々によって構成されていた宗教的誓約集団で、ウイリアム・バークレーによりますと、イエス時代のユダヤ社会には六千人ほど、いたそうです。
 
イエスの譬えに出てきた「パリサイ人」は堂々とした態度で祈りを捧げました。
 
「パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します』」(18章11節)。
 
 彼は「立って」(11節)祈りましたが、これは通常のユダヤ人の祈りの姿勢です。当然、彼は神がいますとされていた天に向かい、顔と目を上げて祈った筈です。そこには何の躊躇いもなく、満々たる自信が示されていたと思われます。
 
「ひとりで」(同)「祈った」(同)とありますが、この原語は「自分自身に」ですから、「心の中で」(新改訳、新共同訳)という意味でしょう。つまり、彼は姿勢では天にいます神に向かって祈っているようですが、実は自分自身に対して「祈った」というわけです。
 
ところで「神よ」(11節)は神への呼び掛けですが、彼はその次に、私は「感謝します」(同)と、感謝の心情を吐露します。
問題は何をどのように「感謝」したのかということですが、彼は二つのことを感謝したようです。
 
その一つは自分が倫理的な面、律法遵守の面において「ほかの人たちのような」(11節)道徳的破綻者でなく、また「取税人のような」律法違反者ではないこと、すなわち、悪に染まっていない聖潔な人間であること、罪とは無縁の神の民であるということを、彼が蔑んでいる輩とおのれとの比較の中で、高らかに宣言した言葉に表れています。
 
そしてもう一つの彼の「感謝」は、とりわけ、神の国への入国を左右する律法遵守、律法への従順という面において、満点であるという自己採点の結果にありました。
 
「わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」(18章12節)。
 
 イスラエル共同体の構成員には、断食の義務がありました。しかしそれは年に一回の「贖罪の日」だけでした。
 
「主はまたモーセに言われた、『特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。その日には、どのような仕事もしてはならない。これは、あなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである』」(レビ記23章26〜28節 旧約聖書170p)。
 
 ですから彼が「一週に二度」(12節)つまり月曜日と木曜日にも「断食をして」(同)いたということは、律法の規定にないことですので、それをする、しないは彼の自由でした。しかし、そのことが、彼が自分自身に高得点をつける要素となったのでした。
 
 また彼は、「全収入の十分の一をささげている」(12節)と誇りましたが、「十分の一」という律法の規定は、神殿祭儀に奉仕をするため、土地を嗣業として割り当てられることのなかったレビ族の生活を、イスラエル民族全体で支えるために定められた規定でした。
 
「わたしはレビの子孫にはイスラエルにおいて、すべて十分の一を嗣業して与え、その働き、すなわち、会見の幕屋の働きに報いる」(民数記18章21節 213p)。
 
 現代の教会において、教会に奉仕をする教職者が献金の中から生活費を得る、というシステムはこの定めに由来しています。
 
ところで、この「十分の一」の対象は、律法では必ずしも「全収入」ではなく、畑からの収穫や果樹、あるいは牛や羊などの群れでした。
 
「地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なるものである。…牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なるものである」(レビ記27章30、32節 180p)。
 
しかし、芳香植物のはっかやうん香、また野菜類などは律法では「十分の一」の対象外であったと、イエスは指摘をしています。
 
「しかし、あなたがたパリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛をなおざりにしている」(ルカによる福音書11章42節)。
 
「パリサイ人」は規定外の収入までも「十分の一」の対象にして、そして、その「全収入」の「十分の一」を献げることによって自らの行為を誇ったというわけなのです。
 
 この譬えに出てくるパリサイ人の特徴は二つです。一つは罪意識というものが全くと言っていいほど無いこと、そしてもう一つの特徴は自分自身を過大なまでに高く評価しているということです。
 
実は、この譬え話は何気なく読みますと、「パリサイ人」を対象にしたものであるかのように見えますが、そうではありません。
パリサイ人が直接の対象であるならば、譬えにパリサイ人を登場させたら余りにも露骨過ぎるからです。
 
イエスは「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」(9節)に対する教訓としてこれを語られたのでした。つまり、それはご自分の弟子を含め、「パリサイ人」のように自分を誇って他者を見下げるすべての者へのメッセージだったのです。
 
 韓国の女性大統領の硬直した反日姿勢によって、日本と韓国の関係が冷え込んでいますが、日韓の首脳会談が行われなくても日本は少しも困りません。日本の首相は泰然自若としていればいいのです。困難な状況に追い込まれているのは韓国の方なのですから。 
 
最近、韓国通の海外知識人が、韓国人の過剰な自信と「反日」の論理に対する警告を発したそうです。たとえば、「外国人に十五分間、ウリ(われわれ、韓国・韓国人を表わす韓国語)と言ったら逃げられる」「世界で唯一だと宣伝すれば、国粋主義に傾倒しているように思える」と。 
 
私たちは隣国が正常化するように祈りたいと思います。自国の実態を正確に認識すれば、罪責感も生まれるでしょうし、そうなれば根拠もなく自慢をすることも、無暗に他国を誹謗することもなくなることでしょう。
 
 
2.取税人の祈りの特徴―自らの非を神に向かって悲しみつつ述べた
 
イエスは過度に「自分を高くする者」を戒めるために、その対比として取税人を登場させたと思われます。
そういう意味ではこの譬えでは取税人は脇役です。しかし、イエスは敢えて取税人を登場させることによって、高慢な者への教訓としたのでした。
 
「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と」(18章13節)。
 
 この「取税人」は祈る際、「遠く離れて立」(13節)ったようです。エルサレム神殿は中央の聖所を四重の庭が囲んでいました。
内側から順に「祭司の庭」、「男子の庭」、「婦人の庭」、そして広大な「異邦人の庭」となっており、庭と庭との間には垣根が設置されていたとのことです。
 
「パリサイ人」は当然大きな顔をして「男子の庭」で祈ったのでしょう。
しかし、同じユダヤ人でも取税人は「遠く離れて」外側の「異邦人の庭」で祈ったのだと思われます。
 しかも彼はその「目を」(13節)神がいます「天にむけようともしないで」(同)「胸を打ちながら」(同)、ただひと言、「罪人のわたしをおゆるしください」(同)と祈ったのでした。それは呻きにも似た祈りでした。
 
 彼の特徴は深い罪意識にありました。その罪意識、つまり罪責感が「罪人のわたしをおゆるしください」(23章32〜34節)という祈りになったのです。パリサイ人と違い、彼は自分が罪深い者であるという自覚がありました。
ところで、この「罪人のわたしをおゆるしください」(13節))と口語訳が訳した言葉は、直訳しますと「罪人のわたしを贖ってください」です。
 
では「贖い」と何かというならば、聖書では聖所の奥に安置されていた契約の箱の蓋に(この蓋を「贖罪所」、あるいは「贖罪蓋」と言います)年に一回、(前述の)「贖罪の日」に大祭司が民の罪の贖いとして犠牲の血を注ぐことを意味しました。
 
つまり、自らに有罪を宣告した者がその罪責感のゆえに神の憐れみと赦しを求め、そして神が犠牲の血を身代わりとして民の罪を赦すという儀式が「贖罪の日」だったのです。
イエスがこの譬えにおいて取税人に、「罪人のわたしを贖ってください」と祈らせたのは、取税人が持っている罪意識が深刻なものであって、それゆえに身代わりの犠牲を必要としているという自覚を持つ者であるという意味と思われます。
 
実際、この譬え話はなされた時点では明らかにはされていませんでしたが、イエスこそ、全人類の罪を贖うために犠牲となられた救世主だったからです。
 
 この譬えの主題は罪意識の有無にあります。その有無が明暗を分けます。但し、不必要な罪意識、罪責感を持つ必要はありません。なぜならば罪責感はしばしば他者を支配する道具として利用されてきたからです。
 
このたび、泉佐野福音キリスト教会(重本 基牧師)から、信徒研修会において「憲法の改正」をめぐる問題点についての講義をして欲しいという要請をいただいたこともあって、改めて日本国憲法の成り立ちについて学び直す機会がありました。
この時期、信仰者の視点から、日本国憲法が抱える問題について真正面から取り組もうとした泉佐野教会と教会指導者の真摯な姿勢に対しては、衷心から尊敬の念を抱きます。
 
ところで憲法学者の西 修駒澤大学名誉教授によりますと、米国の日本占領政策としてGHQによって実施されたものが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人に植え付ける計画)
であった、そして、その「プログラム」実施の狙いは日本人に対し、拭うことの出来ない贖罪意識を強く持たせ続けることであって、それが米国の国益に適う、という趣旨であったというのです(西 修著「憲法改正の論点 第4章 刷り込まれた護憲意識」81、2p 文藝新書)。
 
事実、七年間にわたる占領政策は、日本人の中に、戦争についての罪悪感はもとより、自分たちは歴史も文化も誇るもののない劣等民族であるという自虐意識を刷り込むことに成功したようです。
しかし、私たちは持つべき罪意識、持たねばならない罪責感と、持つ必要のない、あるいは持つべきではない押し付けられた罪責感とを区別しなければなりません。 
 
 
3.神に義とされたのは、自らを誇る者ではなく低くする者であった
 
イエスは罪責感を持つこともなく、ひたすら「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」(9節)を対象にし、ただし、その悔い改めを願って、「神に義とされて神殿を後にしたのは、罪責感に満ちて祈った取税人であった、すなわち、自分を高くする者は神によって低くされ、自分を低くする者は神によって高くされるのだ」という真理を教えようとされます。
 
「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(18章14節)。
 
 私は最近、グレッグ・ローリーという米国人の説教者のことをなぜか懐かしく思い出すのです。
 
現在六十歳のグレッグ・ローリーは、アルコールと煙草を嗜み、ドラッグに取り憑かれていたヒッピー同然の高校生の時に、在籍する高校の中庭で開かれていた「イエスを信じる変人達」という集会にひょんなことから関わるようになり、それが縁でローニー・フリスビーという牧師によって回心に導かれたそうです。
 
その後、彼は、自分は説教者に召されているとの思いが募り、「説教をさせて欲しい」と主任牧師(記憶ではたしか、チャック・スミスという名前でした)に願うのですが、「わかった」と言われて渡されたのが掃除道具一式、そしてひたすら掃除に明け暮れていた二年後の十九歳の時、その牧師さんから三十人ほどの聖書研究会を任され、それを十年と少しの期間で九千人の集会に育て上げたということで有名でした。
 
そのグレッグ・ローリーが来日して教職者を対象とした集会を催すというので、出席をしました。二十五年くらい前のこと、会場は大阪・三国の一麦教会だったと思います。 
 
その数年前、米国研修旅行に参加しました。行く先々のスーパーチャーチの主任牧師はだれもが、まるでファッション雑誌から抜け出てきたような洗練された服装で説教をしていたものでした。
しかし、大阪の教会の講壇に上がったグレッグ・ローリー牧師はノーネクタイのオープンシャツにジーパン姿で、開口一番、何を言ったかといいますと、
 
私が今回、日本に来たのは自分の成功談を話すためではありません、私は日本の教会が、そして先生方が非常な困難な中で主のわざに励んでおられることをよく知っています。私はそういう皆さまから多くのことを学びたい、教えられたいという思いで日本にまいりました。そして、もしも私の方で何か、日本の皆さま様方にお分けするものがあるとするならば、それを喜んでお分かちしたいと願っております。
 
感動しました。いわゆる成功をした牧師で、こんな言い方をした人は初めてだったからです。
 
実を言いますと当時私は、お隣の国からやって来る牧師さんたちに辟易としておりました。説教は情熱的ですので、それなりに心は燃やされもするのですが、彼らには二つの特徴がありました。
一つは自慢です。たとえば、「私は一年で百人が出席する教会を作った」などと。それはそれでいいのですが、次に批判がきます。曰く、「日本の先生たちは勉強ばかりしていて、祈らない、伝道しない、だから教会は成長しないのだ」
 今で言えば上から目線です。まあ、それでも言われたことには一理はあるかも、というわけなのですが、いい加減うんざりしている時に聞いたグレッグ・ローリーさんの話はとにかく新鮮でした。心から感動したものでした。
 
その後、日本に来た、というニュースを聞きませんが、ネットを検索しますとグレッグ・ローリー牧師は今も全米各地を回って、大衆伝道者として活躍をしているようです。
彼は未来に希望も光もなかったヒッピーの時代に自分を救済してくれた神さまの前を、今も少しも変わることなく、若い時と同じ気持ちで歩いているのだろうと思います。
 
神に義とされるのは、自らを誇る者ではなく、神の前にそして人の前に自らを常に低くする者なのです。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-10-20 16:22:56 (2190 ヒット)
2013年礼拝説教

 13年10月20日 日曜礼拝説教

ルカによる福音書の譬え話 神から『愚かな者よ』言われた農夫の譬え―多くの財産が有っても、人の命に替えられるものでないことを悟れ」
 
ルカによる福音書12章13〜21節(新約聖書口語訳109p)
 
 
はじめに
 
幼児だけでなく大人にも感動を与えてきたと言われるアニメ「アンパンマン」の作者のやなせたかし(本名 柳瀬 嵩)さんが、先週の日曜日に亡くなりました。享年九十五でした。
 
この方は聖公会の会員であったとのことですが、聖公会はアングリカン・チャーチつまり英国国教会の日本や中国における呼び名です。プロテスタント教会ですが、ローマン・カトリックとプロテスタントの中間に位置するとされる教会です。
 
作者の柳瀬さんが作詞したアニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」の歌詞は、よくよく聞くと子供向けのアニメの主題歌としては非常に深遠で、考えさせられる内容を含んでいます。
 
特にその歌い出しは、喜びと痛みとが交錯する告白となっています。
 
  そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
 
柳瀬さん自身、戦時中に徴兵されて中国大陸で従軍をした経験があるそうですが、実の弟さんは京都帝国大学在学中に自ら志願して海軍予備学生となり、戦争末期の昭和二十年に、海軍の特別攻撃隊の回天で出撃し、戦死をしたとのことです。
 
特攻と言いますと空の特攻を思い浮かべますが、海軍にも特攻がありました。その特攻に海軍が使用した兵器は、通常は潜水艦に搭載する魚雷を人間一人が乗り込めるように改造したものであって、海中から敵艦の横腹に突っ込んで爆破撃沈を狙う人間魚雷、回天でした。
回天は長さ約十五メートル、幅一メートルないし一メートル三十センチほどの大きさだったそうです。
 
空にせよ海にせよ、敗色濃くなった戦争末期とはいえ、切羽詰まった揚げ句の果てに考え出された特攻という愚策によって、多くの有為の若者がその尊い命を犠牲にしましたが、特攻に参加した彼らを衝き動かした思いは紛れもなく、愛する同胞、家族が住む祖国、故郷を守るためという純なる思い、熱き動機であったことは否定し得ない事実です。このような若者たちに対して私たち国民は満腔の敬意を示すべきであると思います。
 
想像なのですが「アンパンマンのマーチ」の冒頭の歌詞の「たとえ胸の傷が痛んでも」の「痛」みはひょっとすると、二十二歳の若さで散華(さんげ)した弟さんを思っての、作者の癒えることのない「胸の傷」、心の痛みを歌ったものなのかも知れません。
 
そして柳瀬さんは自らに、そして視聴者に問いかけます。
 
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
 
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
分からないままで終わる そんなのは嫌だ!
 
空腹で苦しんでいる者のために自らの顔をちぎって与えるアンパンマンにキリストを見出すという解釈もありますが、アニメでアンパンマンの声を担当している女優さんが訃報に接して、「やなせ先生はアンパンマンそのものでした」と語った言葉が印象的でした。
 
人は「何の為に生まれて、何をして生きるのか」という問いかけは、柳瀬 嵩という人の一生を貫く問いとなって、一過性の笑いではなく、心を揺さぶるような感動を生み出す「アンパンマン」という存在に凝縮をして子供たちや大人たちに届けられたのではないかと思います。
 
さて、今週取り上げるキリストの譬え話は、十三日の週報でも予告していましたように、「神から愚か者と呼ばれた農夫の譬え」です。
テーマは、人は何のために生まれて、何をして生きるのか」ということです。
 
 
1.貪欲という欲に警戒しなければならないのは、財産は人の命に替えられるものではないからである
 
いつものように、譬え話が語られた背景をみてみたいと思います。
遺産相続問題で揉めていると思われる人が、講話をしているイエスに向かって、「先生、親の遺産を一人占めしようとしている兄弟がいます、彼に遺産を公平に分配するよう説得をしてください」と嘆願をしたようです。
 
「群衆の中のひとりが、イエスに言った、『先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください』」(ルカによる福音書12章13節 新約聖書口語訳109p)。
 
 当時のユダヤ社会では、律法の教師は律法を説き明かすだけでなく、イスラエルという共同体構成員の具体的な揉め事の調整、民事問題の調停にあたることもあったようです。
ですから、この人の要請は一般的には的外れなものではなかったのです。
 
しかし、メシヤとしてのイエスの持ち時間には限りがありました。そこでイエスは彼の願いを断ると共に、一見、公正な社会の実現を求めているようにも見える男の要求の背後に、もっと財産が欲しい、財産が多ければ多い程、安心して暮らすことが出来る、という個人的欲望があることを見抜いて、人を腐らす「貪欲」という欲望がもたらす弊害について、譬えを使って説き始めたのです。
そしてその譬えの中に秘められた真理こそが、その男にとって必要かつ適切な回答となったのでした。
 
「彼に言われた、『人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか』。それから人々にむかって言われた、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである』」(12章14、15節)。
 
 なぜ、「貪欲」(15節)という欲望には注意と「警戒」(同)が必要なのかと言いますと、人というものは「たといたくさんの物を持っていても」(同)、それぞれに与えられている「人のいのちは、持ち物にはよらない」(同)からなのです。
 
これは、「人が有り余るほどの財産を所有していたとしても、人はその命まで自分の財産として所有することができるわけではない」、つまり、「所詮、消えゆく財産は人の命には替えられない」という意味です。
それが、富むことに対する過度の欲望である「貪欲」(15節)に注意、「警戒」(同)すべき理由なのです。
 
 
2.人が財を得るために創意工夫し、かつ刻苦勉励すること自体は推奨されるべき美徳である
 
では、財を得るべく懸命に働くということは空しいことなのかと言いますと、決してそうではありません。人が財を得るために創意工夫し、かつ刻苦勉励すること自体は推奨されるべき美徳です。
 
勤労あるいは労働は尊ぶべき美徳です。
 
明治維新後の日本がその国力において短期間で西欧列強に追いつくことができたのには、二つの理由があります。
 
一つは江戸時代すでに世界で文盲率が最も低いと言われたほど、一般庶民そして女性に至るまで、いわゆる「読み書き算盤」が身についていた、つまり教育の質が高かったのです。
明治政府によって明治五年(一八七三)、学制(義務教育制度)が公布されましたが、全国の就学率は学制発布の翌年の時点で二十八パーセント、十年後には五十パーセント、そして三十年後の明治三十六年(一九〇三)には九十三パーセントに達していました。
 
一九一〇年に日本が併合した半島の翌年(一九一一年)の普通学校(小学校)の生徒数が僅かの32,384人(学校数は306校)であったことを考えると、日本がいかに教育の普及に力を入れていたかがわかります。この伝統は現代の日本にも継承されております。なお、半島の場合、併合から二十五年後の一九三五年には生徒数は二十三倍の765,706人に、学校数は八倍の2,417校に激増しています。
 
今月の八日、経済協力開発機構(OECD)が十六歳から六十五歳を対象にして初めて実施した「国際成人力調査(PIAAC)」の結果を公表しましたが、それによりますと、三分野での調査のうち、日本は「読解力(言語能力)」と「数的思考力(計算能力)」の平均点が、参加した二十四の国と地域の中で断トツの一位であったということです。
なお、もう一つの調査の「情報技術(IT)を活用した問題解決能力」は十位で、この調査のトップはIT先進国と言われる韓国でした。
 
因みに、どんな場合でもランキングが大好きで特に自国と日本とを比べたがる半島の新聞を覗いたところ、「IT活用力」がトップという記事は大きく報じられていましたが、他の二つに関しては、「言語能力」はOECD平均とほぼ同じ、「計算能力」は十六位であったと、小さく(寂しく)報じられていました。
 
興味深かったのはその二つの調査で日本がトップであるという事実には全く触れられていなかったことです。悔しかったのでしょう。成績がもしも日本を上回っていたならば、きっと鬼の首を獲ったかのように「勝った、勝った」と騒いだことと思います。
 
日本の大人は、機械を使う分野では少々劣ってはいますが、いわゆる通常の学力とされる分野に関しては世界一なのです。
 
白人国家から劣等人種と蔑視されたアジア諸国の中で日本のみが西欧列強に追いついたもう一つの理由は、身分に関わりなく上から下まで汗水流して働くという、労働を尊ぶという伝統があったからです。
 
日本人の多くが定年を過ぎても働き続けるのは、もちろん生活のため、ということもあるでしょうが、働くということ自体が喜びだからなのです。
 
その点、半島には労働を卑しいこととした支配層の両班(やんぱん)の考え方が伝統としてあるようです。
そういう意味ではキリスト教徒が人口の四十パーセントを超えたと豪語する国ですが、学者によれば、マックス・ウエーバーのいう「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」は、韓国ではなく日本でこそ、結実したのだとのことです。
 
つまり、高い教育と、そして労働を尊ぶという伝統が質の良い労働者を生み出し、それが日本の驚異的な国力増強の基礎としての経済成長につながったというわけです。
 
イエスの譬えに出てくる金持ちの農夫も勤勉でした。その勤勉の結果として、「豊作」がありました。
 
「そこで一つの譬えを語られた、『ある金持ちの畑が豊作であった』」(12章16節)。
 
 実りに実った畑を見た農夫は有頂天になることなく、沈思黙考します。そして、「これだけの物を収納する倉がない、どうするか、既存の倉を取り毀して収穫の全部を収納できる大倉庫を建造しよう」、そう考えます。
 
「そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておくところがないのだが』と思いめぐらして、言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまいこもう』」(12章17節)。
 
 彼は自らが刻苦勉励して得た結果である「穀物や食糧」(18節)を腐敗や盗難あるいは火災から守るために、それらを収納、保管できるだけの大倉庫の建設を目論みますが、そのこと自体をイエスは非難してはいません。
 
 彼は不正をして蓄財したわけではありません。汚職役人に袖の下を握らせて便宜を図ってもらったこともありません。
彼は人が眠っている時にも頭を巡らせ、創意工夫をし、昼はお天道様の下で汗みずくになって働き、その結果が「豊作」(16節)だったのです。
 
繰り返しますが、富むこと自体は悪ではありません。正当な勤労の結果の富に関し、周囲からあれこれ言われる筋合いのものではないのです。それをどう使うかは本人の問題です。
 
 凧上げの実験から雷が電気であることを明らかにした人、また「時は金なり」と言ったということで知られているベンジャミン・フランクリンの場合、マックス・ウエーバーによりますと、自身は理神論者であった彼が厳格なカルヴァン主義者の父親から教えこまれた聖書の言葉が、箴言二十二章二十九節の「技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え、怪しげな者に仕えることはない」という聖句だったそうです(マックス・ウエーバー著 阿部行蔵訳「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」138、9p 河出書房新社)。
 
なお、この聖句をリビングバイブルは「まじめにいい仕事をする人は、必ず出世します」と訳していますが、譬えの中の農夫は農業従事者として、「まじめにいい仕事を」したからこそ、「豊作」(16節)という結果を得たのです。
 
一般的に言えば、このお百姓さんは成功者の一人と言えます。しかし、重要な知識が彼には欠落していたのでした。
 
 
3.命の貸し主である神に対し、借りた命を返還する日が来ることを人は意識しなければならない
 
問題はこの後のことでした。彼は資産運用計画を立案したあと、自らに向かって言いました、「これだけの財産があるのだから、もう安心だ、人生計画は完成した、あとはこの財産で人生をうまくやって行こう」と。
 
「そして自分の魂に言おう。たましいよ、お前には長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」(12章19節)
 
しかしこの後、彼は神から「愚かな者よ」と叱責されます。
 
「すると神が言われた、『愚かな者よ、』」(12章20節前半)。
 
 ある人は、と言うより、多くの註解書が、彼が神から「愚かな者」(20節)と言われたのは彼がその財産を「わたしの作物」(17節)とし、また「わたしの倉」(18節)と、「私、私」と言って一人占めしようとした利己主義者であったからであり、「さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」(19節)と自らに言ったりした刹那的な人間であったからである、とするのです。
 
 確かに原文を見れば「私の」「私の」とあります。しかし、「作物」は彼の所有物であり、「倉」も彼の名義であって、それを「わたしの」と言ったからといって、何が問題なのでしょうか。
 
むしろ、所有を曖昧にしていることが、他人の物であっても隙あらば我が物としたいと考える強欲な周囲、近隣との間に軋轢や混乱を生むことになるのです。それは竹島にせよ、尖閣諸島にせよ、日本が領有権を明確にして来なかったつけが回ってきたことで証明されました。
 
竹島は日本が主権を回復する前であったとはいえ、違法な李承晩ラインが引かれた一九五二年の段階で国際問題にすべきでありましたし、尖閣諸島の場合も実効支配をしているから大丈夫などと寝言を言っていないで、国により早い段階で島の整備、公務員の駐屯等を実行すべきでした。
 
ではこの金持ちの問題は何かと言うと、それは彼が「魂」を「自分の魂」(19節)といってその所有権を主張したことにあります。
 
「作物」(17節)も「倉」(18節)も彼の物です。しかし、「魂」(19節)は自分のものではないのです。ということは、「魂」が宿っていてこそある農夫の「いのち」もまた、「魂」同様、自分のものではないことになります。
 
ではだれのものか、それは神のものであって、人はいのちを真の所有者である神から借り受けているのです。
ですから、いのちの源である「魂」が神の許へ取り去られるとき、人は死を迎えることになるのです。そして死は突然、予告もなしに来ることもあります。
 
「すると神は言われた、『愚かな者よ、あなたの魂が今夜のうちに取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』」(12章20節)。
 
 「あなたが用意した物は、だれのものになるのか」(20節)という神の言葉に対し、ある人は言うかも知れません。「遺産は法律に従い、相続人に相続されます」と。しかし、ここでイエスが言わんとしていることは遺産相続のことではないのです。
 
最初の主題に戻るのですが、財産に固執する「貪欲」(14節)な人の人生哲学は、「たくさんの物」(15節)が「いのち」(同)の保障であるというものでした。
 
これに対し、イエスが言わんとしたことは、「財産はあくまでも財産であって、それは『いのち』を保障するものではないし、『いのち』に替えられるものではない」ということだったのです。
 
では「いのち」をどう取り扱うべきか、イエスは言います。借りている「いのち」を私物化することが「自分のために宝を積」むことであり、反対に借りものである「いのち」は自分のものではないということ、「いのち」は神からの借り物であり、いつの日にか貸し主である神に返却する日が来るのだと言うことを常に意識して、これを有意義に使う、それが「神に対して富」むことなのだ、と。
 
「自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」(12章21節)。
 
 「これと同じ」というのは、この金持ちの農夫と「同じ」生き方である、という意味です。
 
「アンパンマン」の作者の柳瀬さんが生前に書いた詩画に「願い」という題の作品があります。
 
もしまだ この世のために  
ぼくが役立つことがあれば 
生かしておいてください  
なければ もういいです
神さま
 
この詩を柳瀬さんがいつ作ったのかはわかりません。しかし、まさに「自分のために宝を積」(21節)むのではなく、「神に対して富」(同)むという生き方を貫いた柳瀬さんは、九十四歳と八カ月の先週の日曜日、神さまから、「あなたはほんとうによくやった、もう十分だ、私の許に来てゆっくりしなさい」と言われて、神の許に召されたのだと思います。
 
何の為に生まれて 何をして生きるのか」という問いに対する答えをしっかりと持って生き、そして神から授けられた才能を神さまと人々にしっかりと「役立」てて神の許に召された柳瀬さんこそ、「神に対して富」(22節)むという生き方を貫いた人であったのではないでしょうか。


« 1 (2) 3 4 5 ... 11 »
 
     
pagetop