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投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-10-13 16:53:37 (2235 ヒット)
2013年礼拝説教

2013年10月13日 日曜礼拝説教

ルカによる福音書の譬え話ァ“媚漸颪悗両径圓隷△―感謝の心で招きに応じたのは、心低き者たちであった」
 
ルカによる福音書14章15〜24節(新約聖書口語訳114p)
 
 
はじめに
 
マナーとエチケットはどう違うのか、という議論があります。でも基本的には同じものだと思います。強いて言えば、マナーは英語、エチケットはフランス語ですので、アングロサクソンの文化とラテンの文化という違いはあるかも知れませんが。因みに日本語ではこれを行儀作法と言い、その神髄は「おもてなし」ということになります。
 
それぞれ、多少の違いはあっても、他人には迷惑をかけない、人の物には手をつけない、約束は守る、周囲の人を気遣う、などは共通の理解だろうと思うのですが、マナーを無視し、その結果、国内だけでなく国外でもトラブルを引き起こして顰蹙を買うことの多いのがお隣の大国の人々なのだそうです。
 
少し前、シンガポール航空の機内での食後のことだったそうです。その隣国から参加したツアー客たち三十人ほどが、機内食を食べるのに使ったステンレス製のナイフとフォークをポケットなどに入れているので、それを見たCA(キャビン・アテンダント)が彼らに向かい、「それは備品ですから返却をして下さい」と言ったところ、言を左右にしてなかなか返そうとしない、結局、ツアーの添乗員の説得でポケットに入れたものを渋々返したというのですが、こうなりますとマナー違反というよりも窃盗罪という犯罪です。
 
衣食足りて礼節を知る」、人口に膾炙されているこの格言は紀元前七世紀、斉の桓公(かんこう)に仕えた管仲(かんちゅう)が言った言葉ですが、彼の国では死語になってしまったのでしょうか。海外旅行が出来るくらい、ゆとりのある生活をしているのに、と思ってしまいます。貧困に喘いでいた昔と違い、今は「衣食」が「足り」るようになっているのに、それでも「礼節」、つまりマナーを「知」らないのはなぜなのでしょうか。
 
マナーの基本は何か、それは自分以外の他者に対する配慮、心遣いにあります。たとえば、晩餐会への招待に対し、「出席します」と応じておきながら、当日になって理由にもならない理由を並べて、晩餐会への出席を断ったとするならば、これはもう悪質なマナー違反です。出席する気がないのであれば、最初の段階で欠席としておけばよかったのです。
 
今週のイエス・キリストの譬え話は「晩餐会への招待の譬え」です。神との関係においてもマナーは大切です。
 
 
1.晩餐会の主催者は、礼を尽くして客を招いた
 
 ユダヤ社会の富裕層には律法教師を食事に招いて講話を聴くという習慣があったそうです。そしてイエスもしばしば、そういう食事会に招かれて講話を語ったようでした。
そのような食事会には通常、主催者の友人が同席すると共に、中庭などで行われる場合、講話を聞くべく、近所の人たちが集まってくることがありました。
 
そのような宴の席上、イエスの講話が一段落した時に列席者の一人が突然、「新しい時代が来て、神の国でメシヤが主催する晩餐会に出席することのできる私たちは何と幸いなことでしょうか。私はそれを考えるだけで胸がワクワクします」と言ったのでした。
 
「列席者のひとりがこれを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、さいわいです』と言った」(ルカによる福音書14章15節 新約聖書口語訳114p)。
 
恐らく彼は、自分は正統的なユダヤ人であるのだから、当然、メシヤ主催の晩餐会に出席できるものと素朴に思い込んでいたからこそ、そう言ったのだと思われます。
 
ところがイエスはこの発言に対して、水を差すようにも思える譬えを語り始めたのでした。
 
「そこでイエスが言われた、『ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた』。」(14章16節)。
 
 学者によりますと、ユダヤにおける宴会への正式の招待は、二度にわたって行われたそうなのです。最初、主催者により、日付の入った招待状が招待客に送り届けられます。しかし、それには時刻は書かれてはいません。
そしてそうこうするうちにその日が来て宴会の準備万端が整うと、主催者は招待を受諾していた客たちのところへ僕たちを直接行かせて、「晩餐会の用意ができた」ことを伝えさせます。
 
「晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕(しもべ)を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた」(14章17節)。
 
通常、使いからの直接の知らせを聞いた招待客たちは、そこで招きに応じて出かけることになります。
 
この譬えでは晩餐会を主催した「ある人」(16節)は神を指します。また「盛大な晩餐会」(同)は来るべき神の国において、神の主催によって催される祝宴を意味します。
神は人を喜びの祝宴へと招きます。聖書の神は招く神なのです。
 
そして、教会で行われる日曜ごとの礼拝は、この天における本格的な祝宴を地上で味わうべく、神がキリストの名によって開催する喜びの宴なのです。
神は人を喜びの祝宴へと招いておられます。神は今日も私たちを、礼を尽くして招いてくださっているのです。
 
 
2.無礼にも神の招きを軽んじたのは、驕り高ぶった者だった
 
しかし、主人の言葉を伝達すべく招待客の許を訪れた僕たちは、「お客様に断られてしまいました」と、失望して主人の許へと帰って参ります。
 
「ところが、みんな一様に断りはじめた」(14章18節前半)。
 
 最初の招待客の断りの理由は、「土地を購入したので、現地に行って契約をしなければならなくなったから」というものでした。
 
「最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行ってみなければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った」(14章18節後半)。
 
 ほかの人たちの断りの理由は、「五対の牛を購入したので、実物をこの目で確かめたいから」ということであり、そしてもう一人は「結婚をしたので、行けなくなった、ほら、モーセ五書には新婚の夫は戦争に行かなくてもよい、とあるからお伺い出来ない」というような筋違いのものでした。宴会への出席は兵役に就くことではありません。
 
 
「ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、もう一人の人は、『わたしは妻を娶りましたので、参ることができません』と言った」(14章19、20節)。
 
三番目は「妻を娶りましたので、参ることができません」(19節)と言ったとあります。確かにモーセ五書には新婚の夫婦に対する配慮の規定があります。五書の五番目の文書、申命記です。
 
「人が新たに妻をめとった時は、戦争に出してはならない。また何の務めも負わせてはならない。その人は一年の間、束縛なく家にいて、そのめとった妻を慰めなければならない」(申命記24章5節 280p)。
 
 でもこれは兵役猶予の規定なのであって、どんなに拡大解釈をしたって、晩餐会欠席の理由にすることはできません。
 
 ビジネスも大切です。家庭も大事です。しかし、土地購入の理由も「五対の牛」(19節)の理由も、そして「妻」(20節)云々もすべて口実です。
要するに彼らは行きたくなかったのです。行く気がなかったのであれば、最初の招待に応じなければよかったのです。無礼にも程があります。
 
彼ら、無礼にも驕り高ぶって神の招きを拒んだ人々は、自らを正統と考えるユダヤ人たちを意味しました。
 
ユダヤ人はモーセによる招きには確かに応じました。
でも、二度目の招き、すなわちイエス・キリストによる招きには応じようとしなかったのです。要するに彼らは、自分たちの用件の方が常に重要だったのです。でもそれだけではありません。それ以上に彼らの心中には神への侮りがあり、自らの立場への過信がありました。
 
彼らは自分たちが神の国の晩餐に与るだけの価値を持っていると一方的に自負していたのでした。結局彼らはメシヤが主催する神の国の晩餐会に与ることはできなくなる、とイエスから宣告をされてしまいます。
 
「あなたがたに言っておくが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう」(14章24節)。
 
 
3.感謝の心で招きに応じたのは、自らを無価値とした心低き者たちだった
 
最初の招待客に出席を拒まれた家の主人は、怒り心頭に発するという思いであったのでしょう。宴会場には最初の客たちのために用意した席が余っています。
そこで家の主人は僕たちに言いつけます、「町の大通りや小道に行って、地の民として蔑まれている人々に声をかけ、晩餐会に招きなさい」と。
 
「僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここに連れてきなさい』」(14章21節)。
 
 これらの人々は民族としては同じユダヤ人であっても、正統的ユダヤ人からは「律法を弁えない罪びと、地の民」として蔑まれ、自分たち律法を遵守する選民と違って、神の国に席の用意がない、とされていた人々でした。
そういう人々をイエスは神の宴会へと招いたのでした。
 
しかし、それでも大宴会場には空席が沢山ありました。
 
「僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』」(14章22節)。
 
 そこで主人は僕に命じます、道や垣根のあたりに出ていって、そこにいる人々を手当たり次第に家に呼んできなさい、と。
 
「主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい』」(14章23節)。
 
 この「人々」(23節)とは、ユダヤ人とは血縁関係にない異邦人を指すと思われます。彼らは自分たちには無縁だと思っていた晩餐会に招かれて、天にも昇る心地であったと思われます。
こうして、アブラハムとは縁のない異邦人は、心低きがゆえに、すなわち、自分は招かれる価値のない者である、という自己認識を持っていたがゆえに、神の招きを感謝の心で喜んで受けたのでした。
 
彼らが自分たちは無価値な者であるという自己認識を持っている限り、その価値なき者に目をかけてくれたという、感謝の心から溢れる神への讃美は途絶えることがないでしょう。
 
ルカの続編の使徒行伝には、強情、高慢なユダヤ人に背を向けて、異邦人宣教へと向かうパウロの姿が描かれます。それは第一回目の長期伝道旅行の際の、「ピシデヤのアンテオケ」でのことでした。
 
「ピシデヤのアンテオケ」は現在のトルコ共和国の中部にあった町で、当時はローマ帝国アジア州とガアテア州との境界にあり、そこには大勢のユダヤ人が居住しておりました。そのため、パウロはバルナバと共にその地のユダヤ会堂(シナゴグ)に出席し、詩篇の第二篇を引用しながら、律法の遵守によっては義とされなかった者も、神が死からよみがえらせたイエスを信じる信仰によって、どんな人でも神に義とされると説いたのでした。
それは西暦四十六年あるいは四十七年のことでした。
 
しかし、この地のユダヤ人たちは会堂に集っていた多くの異邦人たちが、パウロの言葉に熱心に耳を傾けている様子に嫉妬し、イエスを冒るような表現で激しい反対論を展開したのでした。
 
「するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに激しく反対した」(使徒行伝13章45節 204p)
 
 そのため、パウロは傲慢不遜のユダヤ人たちに対して絶縁を言い渡し、今後はパウロらの語る福音に心低くして耳を傾ける異邦人たちに向かって方向転換をする旨の宣言をします。
 
「パウロとバルナバとは大胆に語った、『神の言葉は、まずあなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。…異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言葉をほめたたえてやまなかった』」(使徒行伝13章46、48節)。
 
 私たち日本人は、最初の招待客であったユダヤ人が神の招待を軽んじたために、ただただ憐れみによって「道やかきねのあたり」(23節)に佇んでいた時に、神の僕に声をかけられ、そして神との交わりという栄光ある場へと導かれた者なのかも知れません。
そういう意味でこれからも感謝の心、低き心で神の招きに応じ続けたいと思います。
 
 
日曜ごとに行われている私たちの教会における礼拝も、たといささやかなものであったとしても神が主催する宴なのです。
私たちの教会の礼拝はどちらかといいますと、「リタージカル(典礼的)」と言いまして、伝統的なかたちで進行しますが、礼拝順序にこそ意味を込めます。
 
最初に「すべての恵みの元なるみ神」を称え、次いで代々の聖徒たちに引き継がれてきた使徒信条を告白した後、イエスの弟子の徴しとして与えられた主の祈りを祈ります。
その後、讃美リード担当者が選曲、リードするワーシップ讃美を歌って、開会の祈りを神に捧げ、その後に出席者同士が握手によって挨拶を交わします。
 
説教の前には前週の説教後に歌った応答としての聖歌を、説教を思い出しつつ歌ってから、神の言葉の解き明しであるその週の説教を味わいます。
説教後の順序はすべて神からの呼び掛けに対する応答として行われます。祈り、讃美(聖歌)、献金は神の呼び掛けと恵みに対する応答、感謝、讃美として捧げられます。
 
つまり、ささやかではありますが、礼拝こそ、来たるべき神の国において開かれるメシヤの祝宴の前味を味わう機会であって、その主催者は牧師ではなく神ご自身です。
 
礼拝式は牧師が一人、獅子奮迅の働きをしても成り立つものではなく、奉仕をする方々の手助けがあって成立します。そして、それらの奉仕もまた、神への礼拝なのです。
 
英語では「礼拝」も「奉仕」も「サービス」という言葉で表現されるそうです。ですから日曜の午前の礼拝は「モーニング・サービス」ですので、米国から日本に来た旅行者が、日本では喫茶店でも礼拝をしている、と驚いたそうなのです。何しろ、ほとんどの喫茶店のメニューに「モーニング・サービス」があったからです。もちろん、それは笑い話ですが。
 
目立つ、目立たないに関係なく、教会における奉仕は神への礼拝であることを覚えて、だからこそ、一つ一つの奉仕には手抜きをしないで心を込めて行うのです。
 
でも、「私は礼拝に出席するのがやっとで、何の貢献もしていない」  と言う方がおられたら、どうぞ確認をしてください。あなたの礼拝(サービス)が神への奉仕(サービス)となっているということを。
 
ですから、他の方々のそれぞれの賜物を活かしての奉仕を感謝して受けつつも、自分の礼拝出席そのものが、実は神の目には神への奉仕として受け入れられているのだということを知っていただきたいと思うのです。
 
そして、さまざまの事情で、今は日曜日の礼拝に参加することが困難な状況にあるという方々も、日曜日、職場であるいは家で捧げる個人礼拝を、神はご自身への礼拝として受け入れていてくださり、いつの日にか、公同の礼拝に出席して、共々に神を喜び神を称える宴に同席する恵みに与る日が来ることを信じて、日々の務めに励んでいきたいと思います。
 どこにいても常に低き心そして感謝の心で神の招きに敏感な者であることを願いつつ。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-10-06 16:39:28 (1558 ヒット)
2013年礼拝説教

2013年10月6日 十月日曜特別礼拝説教(第五回) 

「十字架の物語ァ.リストは一度は死んだが、死からよみがえって今も生きている救世主である」
 
ルカによる福音書23章44〜24章7節(新約聖書口語訳132p)
 
 
はじめに
 
「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」という言葉があります。
六世紀、中国の南北朝時代に江南、つまり長江という大河の南部地域に存在した王朝である梁の武帝は、仏教を厚く信仰する統治者で、その領土内に多くの寺院を建て、それらの寺の装飾画を張僧(ちょうそうよう)という画家に描かせておりました。
 
この張僧という画家は武帝に命じられて安楽寺という寺に四匹の龍を描いたのですが、どの龍にも瞳(ひとみ)が描かれていませんでした。
そこで人々が「なぜ瞳を描かないのか」と問うと、張は、「瞳を描くと龍が絵から飛び出してしまうから描かないのだ」と答えます。
 
しかし、人々は彼の言葉を端から信用せず、「では、この龍に瞳をこの場で描いてくれ」とせがみます。そこで張はやむなく二匹の龍に瞳を描き入れたのですが、すると突然、空に雷雲が立ちこめ、大きな雷鳴が轟いたかと思った次の瞬間、張によって瞳を描き入れられた二匹の龍が絵からそのまま飛び出して、天へと飛び去って行ったというのです。
 
これは唐の時代の歴史書「歴代名画記」にある故事なのですが、そこから、「物事がほぼ完成していたとしても、肝心な一点が欠けていると、それは未完成なままになる」という意味で使用されるようになりました。
 
ところで、キリスト教においても、これが抜けていれば結局のところ、「画竜点睛を欠く」ということになる、というものがあります。
 
その「瞳」に当たるものとは一体、何のことなのかということですが、実はキリスト教徒を自任する人であっても、この「瞳」にあたるものを実は信じていない、あるいはあえて無視しているという人が多くいるのです。
 
そこで「十字架の物語」の五回目である今回の説教では、「龍」にあたるキリスト信仰の全体において、もしもそれが無ければキリスト信仰が有名無実化する、あるいはキリスト教自体、多くの宗教の一つになってしまう恐れがあるもの、肝心要の「瞳」ともいうべき事柄について聖書からご紹介したいと思います。
 
 
1.確かにキリストは一度は死んだが、死の世界からからよみがえって今も生きている救世主である
 
イエス・キリストは最後まで立派でした。
十字架刑がもたらす絶え間なき激痛に耐えながら、呪っても当然の敵とも思える人々のために神に向かって罪の執り成しを祈った上、自らの罪深さをやっと自覚して心からなる悔い改めを示した隣の犯罪人に対し、赦しと救いを宣言するなど、キリストは最後の最後まで救世主として振る舞いました。
 
しかし、午後に至ってそのキリストに死が訪れました。
土壇場で神が御使いを遣わして救出を試みるのではないかと期待した者もいたと思われますが、奇跡は起こらず、イエスは十字架上で息を引き取ってしまいました。
 
「そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、『父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます』。こう言ってついに息を引きとられた」(ルカによる福音書23章46節 新約聖書口語訳132p)。
 
 日本語訳は日本人読者のため、「息を引きとられた」と訳しますが、原文は「息を吐き出された」です。ユダヤ人は肉体の死が、内なる命の息が体外に吐き出された時に訪れるものと考えていたからでした。イエスは完全に死んだのでした。
 
そしてその日の内にユダヤ最高法院サンヒドリンの議員であったヨセフという篤志の人物により、彼の墓に埋葬されました。
 
「この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引き取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた」(23章53節)。
 
 当時の墓は「岩を掘って造った」(53節)横穴式のものでした。
このヨセフにつきましては、私たちの見習うべき模範として今年の一月、マルコによる福音書の連続講解説教で取り上げました。
 
今から二千年前、負け戦になるかも知れない、しかし、今こそ、自らの旗幟(きし)を鮮明にすべき時、として、公然と「イエスは主なり」との信念に基づいて行動した人がおりました。私たちはその人物に倣う者でありたいと思うのですが、その人の名は「アリマタヤのヨセフ」、ユダヤ最高法院サンヒドリンの議員の一人でした(「旗幟(きし)を鮮明にするということ―アリマタヤのヨセフに倣(なら)う」(2013年1月13日礼拝説教)。
 
 それは、金曜日の夕方のことでした。正確に言えば西暦三十年四月七日金曜日の日没直前でした。
  
そして、それから三日目、正確に言えば三十七時間後の西暦三十年四月九日日曜日の夜明け、本格的な埋葬のための準備の品々を携えて墓を訪れた女性の弟子たちが見たもの、それはイエスの遺体のない空っぽの墓であり、彼女たちが聞いたもの、それは、墓の中にいた天の御使いの言葉、イエスは「よみがえられた」という信じ難いメッセージでした。
 
「女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、『あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ』」(24章5、6節前半)。
 
 昨年の九月はじめ、「再臨のキリスト」を自称していた人物が最高の治療を受けながら、韓国の病院で死去しました。九十二歳ということでしたが、この人物が主導した協会の活動はかつて日本においても霊感商法として社会問題にもなり、連日、ワイドショーが取りあげておりました。
 
この教祖の死後、息子たちによる後継者争いが激化しましたが、結局、自称「再臨のキリスト」の四番目の妻である七十歳の未亡人が後継者となったようです。
しかし、不思議なのは一年経ってもこの「再臨のキリスト」を自称していた人物がよみがえったという話が一向に聞こえてこないことです。
 
 でも、本物のキリストは死者の中から文字通り「よみがえられた」(6節)のです。そして、よみがえられたキリストは時間を超越した存在、永遠の存在となりました。
キリストは、一度は死にました。しかし、よみがえって、永遠を生きる者となられたのです。
 
人は時間に支配される存在です。
ところで中国人の中には、日本人は中国人の子孫だと大真面目に思い込んでいる人がいるそうです。その根拠は何かと言いますと、「徐福伝説」というものを史実と思い込んでいるからなのだそうです。
 
紀元前一世紀初めに司馬遷が編纂した「史記」に、「紀元前三世紀、徐福(じょふく)という人物が秦の始皇帝の命を受けて、不老不死の霊薬を捜すべく、三千人の青年男女と多くの技術者を連れて東方に船出し、着いた地で王となり、戻ることがなかった」という内容の記述があります。それが「徐福伝説」です。 
 
「伝説」が言うには、徐福が到着して支配をした地というのが日本であった、日本人は徐福が連れて行った三千人の若者たちの子孫である、それが「徐福伝説」という、何の根拠もない伝説なのですが、その伝説を歴史的事実と思い込んでいるところから生まれたあらぬ妄想、それが日本人は中国人の子孫である、という妄想です。
 
もっとも、誇るべき歴史がないため、「朱蒙(チュモン)」や「チャングム」など、歴史的証拠もなければ根拠もない、単なる想像の産物でしかない架空の時代劇ドラマを、恰も自国の真実の歴史、史実と思い込んでいる、あるいは思い込まされている隣国の哀れさに比べれば、中国人の思い違いは日本人にとっては迷惑ではあるけれど、無知は無知なりにまだまだ微笑ましいものなのかも知れませんが。
 
「徐福伝説」で興味深いのは、絶対権力者であった秦の始皇帝が徐福の口車に乗せられたとはいえ、彼に「不老不死の霊薬」を捜しに行かせたという、いかにも有りそうな話しが徐福派遣の動機になっていることです。
つまり、「不老不死」は生きとし生ける者の求めてやまない憧れなのでした。
 
神話、伝説には人間の願望や現実が反映されているといえます。
オリンピック発祥の地はギリシャのオリンポスですが、ギリシャ神話では、そのオリンポスを主神ゼウスが支配する前、世界を支配していた神はクロノスという名の怪物でした。
 
このクロノスに一つの心配事がありました。それは彼の父ウーラノスと母であるガイアから「お前の息子の一人がお前を倒して支配者になるであろう」という予言を受けていたことでした。
そこでクロノスは自らの地位を守るため、妻のレアが産む子供たちを次から次へと飲みこんでしまうのですが、ゼウスが産まれた時、ゼウスの母レアは石を産着で包んでクロノスに渡したため、クロノスはそれを赤ん坊と思い込んで飲みこみます。
 
そしてゼウスは地中海に浮かぶクレタ島で安全に育てられ、成人したのち、父であるクロノスを殺してオリンポスの支配者になった、というのですが、このクロノスから時間の流れを示す「クロノロジー(年代学)」や精巧な時計を意味する「クロノメーター」という言葉が生まれてきたことからもわかりますように、クロノスという神はどんなものでも飲みこんでしまう時間というものを神話化したものだったのです。
 
 全時代を通じて、クロノスの前ではどんな権力者も敗北するしかありませんでした。しかし、ただ一人、イエス・キリストのみ、時間という限界を超えて永遠を生きる存在となったのです。
 
死からよみがえったキリストは、自称「再臨のキリスト」のように、高齢になって死を迎えるということはありませんでした。なぜならば時間を超えた存在、永遠を生きる存在となったからです。
 
 キリスト教の希望はここにあります。キリスト教の独一性は、キリストは確かに一度は死んだ、非業の最期を遂げた、しかし、死後、死者の世界からよみがえって永遠の存在となった、しかもそれだけではありません。己を信じる者には永遠の生命を与えてくれる救世主となったのでした。
 
 
2.死んだ筈のキリストが死者の中からよみがえったのは、人類の罪の始末をつけるためであった
 
では、死んだ筈のキリストはなぜ死者の中からよみがえることができたのか、また、キリストがよみがえった目的は何だったのでしょうか。
それは人類の罪の始末をつけるためであったのでした。
             
そのヒントは、墓の中で女性の弟子たちに御使いたちが伝えた後半の言葉にあります。
 
「まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」(24章6節後半、7節)。
 
 つまり、イエスの逮捕も裁判も十字架刑も、更には死からのよみがえりも行き当たりばったりの出来ごとではなく、想定の出来ごと、予定の行動であったのだということを、御使いは言っているのです。
 
 もしも時間を超えて永遠の存在になるのであるならば、何も十字架などに架かることなく、生きたままで永遠の存在になってしまえばよいのに、と思います。しかし、そうはいきません。なぜかといいますと、人類が原罪の影響下にあったからです。
 
 原罪とは何か、ということにつきましては、先月、罪には実としての罪と、根っこの罪とがあって、根っこの罪から個々の具体的な罪の実が結ばれる、とご説明しました。
根っこを処理しない限り、実はいくらでも生じます。そして根っこの罪をキリスト教神学では原罪と呼ぶのです。 
 
勿論、人にも善い人と悪い人とがおりますが、それは比較の問題です。絶対的に良い人という人は皆無です。なぜなら、原罪の正体とは、「神のようになりたい、神と肩を並べる存在になりたい」という欲望にあるからです。
 
これを難しい言葉で表すと「自己神化(じこしんか)」と言います。しかし、イエス・キリストは地上にあっては徹底的に謙って、自らを神の僕とし、また人の僕といたしました。そのしるしが自己犠牲としての十字架の死だったのです。
そして、十字架刑を受けるという行動をもって「自己神化」という原罪を克服したイエスのその死を、神は人類の原罪の償いの死として受け入れてくださいました。
 
イエスの死からのよみがえりは、神がイエスの死を、人類を縛っていた原罪という束縛を解くための身代わりの死として受け入れてくださったことを証しするものであったのです。
 
ですから聖書は、イエスは「よみがえられたのだ」(6節)と、イエスの復活の事実を客観的に告知しつつ、一方ではイエスは父なる神によってよみがえらされたのだ、ということを強調します。ルカによる福音書の続編である使徒行伝では、ペテロにより、そのことが何度も繰り返し、語られます。「神は」という主語に注目をしてください。
 
「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである」(使徒行伝2章24節 182p)。
 
「このイエスを、神はよみがえらせた」(2章32節)。
 
「しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた」(3章15節)。
 
 死んだ筈のイエスが死者の中からよみがえったのは(正確に言えば神によってよみがえらされたのは)、原罪の影響下にある人類すべての個々の罪、そして何よりも個々の罪を生み出す元凶である原罪が完全に始末されたことを証明するものであったのでした。
 
 
3.よみがえったキリストは本来の住まいに戻ったが、今も神の右に坐して執り成してくれている
 
キリストの復活を事実として信じ受け入れるということに関しては、確かに理屈を超えた「飛躍」が必要かも知れません。しかし、キリストの復活というキリスト教教理は単なる信仰の所産などではなく、また古代の教会がつくり上げたファンタジーでもなく、事実に基づく最重要の教理なのです。
 
では、復活したキリストは復活後、どこで何をしているのか、という疑問が湧いてくるかと思います。実はキリストは復活後、数十日の間、たびたび弟子たちに現われて教えられた後、人が肉眼では見ることのできない本来の住まいに戻っていかれたのでした。
 
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕(24章50、51節)。
 
ここで「ベタニヤの近く」(50節)とありますのは、オリブ山のことです。
 
聖地旅行に参加した際、そのオリブ山に登りました。オリブ山の頂上に長さ約四十センチメートル、幅十五センチメートルくらいの窪みがありました。そしてガイドさんが言うには、「これはイエス・キリストが昇天する際に、ここで『トンッ』と弾みをつけて昇ったその時に出来た窪みとされています」と説明をしてくれた時には、「そんなバカな」と大笑いをした記憶があります。
 
 
 
もちろん、このガイドさん自身、この「キリストが『トンッ』」という話を本気で信じているわけではありませんでしたが。
なお、このガイドさんは牧師の資格も持っている日本人で、教職者を目指して日本の神学大学に在学している時、色々と行き詰まってイスラエルに行き、そこでキリストと出会ったという体験をした方です。
 
死からはよみがえられたけれど、昇天をしてしまったため、イエスを肉眼で視ることも、そしてその肉声を耳で聴くこともできないということは「何とももどかしい」、それが私たちの実感です。
 
しかし、かつては内なる罪悪感のゆえに却って敵にさえ思えた神が、今は味方となってくれているということを証しするもの、それがキリストの復活の事実なのです。
 
「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。…だれがわたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否(いな)、よみがえって、神の右に坐し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」(ローマ人への手紙8章31、34、35節 244p)。
 
もしもキリスト教からキリストの復活を削ってしまうならば、キリスト教は「点睛」を欠いた「画龍」と同じ、不完全、未完成のものになってしまいます。
 
 葬られた「キリストは」パウロが書いているように、死の世界から「よみがえって」、今現在、弱い「わたしたちのためにとりなして下さ」っているのです。
 
しかも、それだけではありません。愛する者と共にいたいと願うイエス・キリストは、天を下って私たちの心の戸口に立ち、今も心の扉を叩いておられるのです。
そして、誰であっても心の扉をノックしてくれているイエスを心の中に迎えるなら、イエスは喜んで入ってきて、人生の苦楽を共にしてくださるという驚くべき出来事を経験することができる、それこそが、私たちの確かな希望です。
 
 次回、十一月三日の「十字架の物語」の最終回では、私たちの人生を訪れて心の戸を叩くイエスの迎え方についてご紹介したいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-09-29 16:06:00 (1821 ヒット)
2013年礼拝説教

13年9月29日 日曜礼拝説教

ルカによる福音書の譬え話ぁー錣泙の譬え―豊かな実を結んだのは、柔軟にしてかつ堅忍不抜の精神で培われた心であった」
 
ルカによる福音書8章4〜15節(新約聖書口語訳98p)
 
 
はじめに
 
大相撲の秋場所は今日が千秋楽です。今場所はエジプト出身の大砂嵐が十両上位で活躍をし、幕内では大学相撲出身の遠藤が玄人をうならせるような相撲を取ることから、なかなかの盛り上がりを見せているようです。
 
寝屋川市出身の豪栄道が関脇の地位で今場所も勝ち越しましたのは、まことにご同慶の至りでしたし、交野市出身の勢(いきおい)は前頭筆頭の位置にあって前半は負けが混んでさっぱりでしたが、後半に入り、やや立ち直ってきたようです。来場所は頑張ってほしいものです。
 
教会のホームページを管理してくれている片平牧師(都島中央キリスト教会)から、牧師のプロフィールを載せてはどうかと勧められたため、簡単なプロフィールを書いて送ったのですが(掲載する際、ついでに似顔絵まで描いてくれました)、「好きなもの 各種格闘技のテレビ観戦」とした後に、(ただし、大相撲は除く)と入れようと思ったほど、もう何年も前から相撲はまったく見なくなっていました。
 
最近、八百長問題が騒がれ、無実を訴えていた中国(内モンゴル)出身の関取が復帰を果たしましたが、八百長に関して言えば二十数年前はもっとひどくて、それ以来、「大相撲は真剣勝負の格闘技などではなく、日本古来の伝統芸能だったのだ、相撲取りが星のやり取りをするのも、相撲界が互助会なのだから当然かも」と思うようになって、相撲観戦はしなくなっていました。
 
しかし、遠藤のような力士が出てくるとまた盛り上がるかも知れません。遠藤が相撲界の悪しき習慣に染まらないようにと願うばかりです。ただ、残念なことに足の故障で十四日目から休場ですが。
 
さて、大相撲と言いますと、大関、横綱への推挙、昇進伝達式において力士が述べる口上に、いつのころからか、四字熟語を入れるのが慣例となりましたが、そこで思い出したのが、三代目若乃花が十五年前の横綱推挙の際に述べた口上、「堅忍不抜の精神で精進して行きます」でした。
「堅忍不抜」、実にいい言葉です。
 
 
この言葉は十一世紀の支那の政治家であり詩人でもあった蘇軾(そしょく 蘇東坡 そとうば)の錯論(ちょうそろん)という作品の中の言葉だそうで、「堅忍」は我慢強いこと、「不抜」は意志がしっかりしていて揺るがないことですから、誘惑や困難にもたじろがないでそれらを跳ねのける強さを意味します。
 
今週は「種まきの譬え」を通して、「御言葉」という神の「種」が柔軟かつ堅忍不抜の精神に支えられた「心」の畑に蒔かれた時、そこに豊かな「実」を実らせるということを教えられたいと思います。
 
 
1.硬い心に蒔かれた種は、発芽自体が困難である 
 
ところで、「譬え話」とは、難しい真理を分かり易く説く、つまり真理をより「明らかにする」ための手法であると申しましたが、実は目的はもう一つあって、それは真理を「隠す」ためでもあったのでした。
 
イエスの周りには真面目な求道者もあれば、好奇心だけのやじ馬も集まっていました。ですから、「譬え話」は話を聞きに集まった人々が本物か偽物かを見分ける、つまり篩にかけるという性格も持っていたのでした。
 
「そこで言われた、『あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、『見ても見えず、聞いても悟られないために譬えで話すのである』」(ルカによる福音書8章10節 新約聖書口語訳98p)。
 
 この「種まき」の譬えは集まってきた大勢の群衆に向かって語られました。そして真意を理解できた者だけがイエスの許に残ったのです。
 
「さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬えで話された、『種まきが種をまきに出て行った』(8章4、5節前半)。
 
 イエスの時代、ユダヤの農夫が行う種まきには二通りの方法がありました。
一つは種をまく人が畑を行ったり来たりしながら種を蒔き散らしていく方法、そしてもう一つは種を入れた袋の角に穴を開けて、それをロバの背中に乗せ、袋が空っぽになるまでロバに畑を歩かせるというもので、現代の日本人から見れば何とも大雑把で悠長なやり方でした。
 
 ですから、中には道端、つまり畦道に落ちる種もありました。しかし、畦道は人が通るところですから種は踏みつけられもしますし、おまけに道は固いときています。
ですから、そこに落ちた種は芽を出すことができません。その結果、鳥がきて、種を食べてしまいます。
 
「まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった」(8章5節)。
 
 その正確な意味を弟子たちにのみ、イエス自身が解説をします。
 
「この譬えはこういう意味である。種は神の言葉である。道ばたに落ちたのは、聞いた後、信じることも救われることもないようにと、悪魔によってその心から御言葉が奪い取られる人たちのことである」(8章11、12節)。
 
 イエスの解き明しから、「種」が「神の言葉」(11節)、そして種が落ちた「道ばた」が人の「心」(12節)であることが明らかになります。 
 
踏み固められた「道ばた」のような心、それは硬化した心を意味します。
「宗教なんて所詮」とか「キリスト教なんて」などの先入観や偏見で心が固まってしまっていて、福音を聞こうともしない心、聖書の言葉に耳を塞いでしまっている頑なで強情な考え方、生き方を意味します。
 
心があまりにも固いため、「神の言葉」という「種」は地中に入ることができません。
その結果、「道ばたに落ち」(5節)た種を「鳥」が飛んで来て食べてしまうように、神と人間の敵である「悪魔」により「その心から御言葉が奪い取られ」(12節)てしまうということになってしまうのです。
 
ですから、心が素直な年代のうちに福音を聞く機会を持つことが大切です。
 
歳を取るということは知恵を得る機会を増やすことにもなりますが、反面、考え方が保守的になってしまうため、新しい情報を受け付ける柔軟性が失われる嫌いがありますし、さらに、信じるということに対して騙されまいぞ、という警戒心を持つようになる場合もあるのです。
そう言う意味では、心が柔かい今が決断の時なのです。
 
「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(ヘブル人への手紙3章15節 345p)。
 
 強情な心に対するペナルティは、ますます強情になっていくことであるとも云われます。
ですから、神の御言葉を聞く機会、そして信じ受け入れる機会を先に延ばしてはなりません。
 
 
2.浅い心に蒔かれた種は、結実までには至らない
 
道ばたに落ちて、鳥に食べられてしまった種の次に、せっかく芽を出しながら、実を結ぶまでに至らなかった種についてイエスは言及します。
それは土の薄い石地に落ちた種と、茨の間に落ちた種でした。
 
「ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった」(8章6、7節)
 
 この二つの共通点は、芽を出しはするのですが、成長する前に枯れてしまう、あるいはある程度までは成長しても、実を結ばずに終わってしまう、ということです。
 
 これらは一時的な信仰者を指す譬えです。確かに信仰の芽は出ることは出るのです。神の実在も信じ、聖書が神の言葉であることも信じ、イエスが主であることも信じはするのです。
しかし、信仰がある程度まで成長したところで挫折してしまいます。それはなぜでしょうか。
 
 一つは外側から来る試練に負けてしまうからです。
 
「岩の上に落ちたのは、御言葉を聞いた時には喜んで受けいれるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである」(8章13節)。
 
「岩」とありますが、これは石地のことです。表面は土で覆われているのですが、その数センチ下は岩地、石地になっているという土地のことです。
 
そこは「水気がないので」(6節)「根」(13節)を張ることができません。その結果、「枯れてしまった」(6節)、つまり、「根がないので」(13節)信仰が試される「試練」(13節)に耐える能力も根性もないため、せっかくの「信仰を」簡単に「捨て」(同)てしまうのです。
 
このタイプはキリスト教というものを、見かけだけで憧れたり、感情中心で浅く信じただけですので、問題が起こった時に、「こんな筈ではなかった」と言って信仰から離れてしまうのです。
 
 もう一つのタイプは、その人の内側から生じる生活の心遣いや富むという快楽により、信仰の成長を妨害されて実を結ぶに至らないという人たちです。
 
「いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである」(8章14節)。
 
 「生活の心づかい」(14節)という「いばら」は、日々の暮らしの中で、神の御心よりも自身の価値観を優先させること、神に好意を持たれることよりも、世間とうまく付き合うことの方が大事と考える生き方を意味します。
 
また「富や快楽」(同)とは「富むことという快楽」という意味で、富むことこそが人を幸福にする第一条件と考え、経済的な損得を判断の優先基準とすることです。
そういう人の場合、富の誘惑というものが「いばら」のように成長して、そのため、時間にせよ、エネルギーにせよ、金銭にせよ、とにかく自分のものを神に費消することは勿体ないことと考えるようになり、信仰は持ってはいても、死んだような有名無実の信仰になってしまうのです。
 
浅い心にまかれると、御言葉の「種」は、せっかく発芽はしても枯れてしまい、たとい生きていたとしても実を結ぶには至らないという結果に終わってしまうということを、イエスは警告したのでした。
 
教会を訪れながらいつの間にか教会から縁遠くなってしまうという人の場合、その理由には確かに止むを得ないというものもある反面、心の土壌が薄いままであるため、地中深くに根を張ることができなかったり、「いばら」の成長に邪魔されてしまって、実を結ぶに至らなかったという例も多くあるようです。
 
 
3.柔軟で堅忍不抜の心に蒔かれた種は、豊かな収穫をもたらす
 
では、多くの実を実らせる土地とはどのような土地なのでしょうか。また、どのような心が豊かな収穫に至らせるのでしょうか。
 
 この譬えでは、種をまいた人は同じ人です。種の蒔き方も一緒です。気象状況も一緒です。同じように雨が降り、同じように太陽が照りつけました。そして何よりも種そのものも同一品種です。また、ある土地にだけ、特別な肥料を施したというわけでもありません。
 
しかし、ある種は鳥に啄ばまれることもなく、枯れることもなく、伸び悩むということもなく、見事に成長して多くの実を結ぶに至ります。
 
「『ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ』。こう語られた後、声をあげて『聞く耳のある者は聞くがよい』と言われた」(8章8節)。
 
 どこが違うのかと言いますと、豊かな収穫をもたらした土地は「良い地」(8節)であったということでした。
 
「良い地」とはどういう土地のことかと言いますと、イエスの解説では御言葉を聞いた際に、御言葉を「正しい良い心でしっかりと守」った人であり、さらには困難な状況を「耐え忍んで実を結ぶに至」った人のことだそうなのです。
 
「良い地に落ちたのは、御言葉を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」(8章15節)。
 
 これを一つの言葉で表現しようとすれば、もっとも当てはまる言葉が「堅忍不抜の精神」ということでしょう。
 
 実はルカは福音書を書くに際して、マルコによる福音書を底本としております。そしてマルコは良い地にまかれたものについて、ただ一言、それは「御言葉を聞いて受け入れ」たからであるとしています。
 
「また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言葉を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」(マルコによる福音書4章20節 56p)。
 
 これが、つまりマルコの記録がイエスの言葉のオリジナルだったのでしょう。そしてルカの解説はおそらくは、ルカが福音書を執筆した当時の原始教会が施した解釈と適用であったのだと思われます。
 
多くの人が御言葉を聞くということに慣れてしまい、聞くということがあたかも「受け入れ」(マルコ4章20節)ていることと思い込む人が増えてきていたのかも知れません。
 
ですから、ルカは御言葉を「聞いて受け入れ」るということは、これを「正しい良い心」(15節)、つまり邪心のないまっすぐな素直な心で「しっかりと守る」(同)ことなのだということを強調しようとしたのだと思われます。
 
ルカは福音書を執筆した後、続編を書きました。使徒行伝です。ルカはその中で現在のギリシャ北部に位置していたマケドニアでのパウロらの伝道活動を記録するにあたって、ベレヤのユダヤ人の福音に対する姿勢について高い評価を下しています。
 
「そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送りだした。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教えを受け入れ、果たしてそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシャの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった」(使徒行伝17章10〜12節 211p)。
 
 ベレヤのユダヤ人の特徴はテサロニケのユダヤ人とは違って「素直であっ」(11節)た、ということでした。これは原文では「育ちが良い」ということなのですが、「捻くれていない、まっすぐだ、素直だ」ということでこう訳されたのでしょう。
 彼らは同じユダヤ人でありながら、先入観や偏見に捉われず、パウロたちが解き明かした「とおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べ」(11節)、その結果、「そのとおり」(同)と納得が行ったため、「多くの」ユダヤ人がキリスト「信者」になったのでした。
 
 そしてベレヤのユダヤ人たちの「素直」さは、会堂に出席していたギリシャ人たちにも感化を及ぼしたようです。当時、ギリシャやローマの宗教に満足できなかったギリシャ人、特に潔癖なギリシャ婦人たちはユダヤ教の清潔さに魅かれて、土曜日に行われていた会堂(シナゴグ)の集会に参加していたようです。
 
こういう人々は「神を敬う人」と呼ばれていました。彼女たちは会堂でパウロの説教を聴いたのでしょう。そしてユダヤ人たちと同じように聖書を研究した結果、キリスト「信者」になったのです。「ギリシャの貴婦人や男子」(12節)とありますが、この「男子」は恐らくは彼女たちの夫を意味したと思います。
 
 ところで一般的には年代の低い方が素直であるとされます。例外もありますが。
ですから伝道者は青少年の時代に神を信じることを勧めたのでした。
 
「青春の日々にこそ、お前の創造者に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならない前に」(コヘレトの言葉12章1節 新共同訳 註 口語訳では伝道の書)。
 
しかし、高齢になっても青年の心を持つことは可能です。以前ご紹介しましたサミュエル・ウルマンの「青春 Youth」という詩を思い起こします。
 
「青春」は我が国では岡田義夫の訳が有名なのですが、秋川雅史が歌って一躍有名になったあの「千の風になって」の作詞者である新井満によりますと、この詩にはオリジナルと改変されたものの二種類があり、そして岡田義夫の訳は改変された方を元にしたものだったそうなのです。
そこで今回は、新井満によるオリジナルの方の自由訳で、サミュエル・ウルマンの「青春」を味わいたいと思います。
 
真の青春とは若き肉体のなかにあるのではなく 若き精神のなかにこそある 
 
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体 そういうものはたいした問題ではない
 
問題にすべきはつよい意思 ゆたかな想像力 もえあがる情熱 そういうものがあるかないか
 
こんこんと湧きでる泉のように あなたの精神は今日も新鮮だろうか いきいきしているだろうか
 
臆病な精神のなかに青春はない 大いなる愛のために発揮される勇気と冒険のなかにこそ 青春はある
 
臆病な二十歳がいる 既にして老人 勇気ある六十歳がいる 青春のまっただなか
 
年を重ねただけで人は老いない 夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき精神はしわだらけになる
 
あなたの心のアンテナが今日も青空高くそびえ立ち いのちのメッセージを受信しつづけるかぎり たとい八十歳であったとしても あなたは常に青春
 
(サムエル・ウルマン原作 新井満自由訳「青春 Youth とは」38、7p 株式会社講談社)
 
 年齢に左右されるのではなく、いつも柔軟に「御言葉を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守」(15節)るよう、努めたいと思います。
 
そして「堅忍不抜の精神」です。この精神を聖霊によって培われ、困難にも試練にも「耐え忍んで実を結ぶに至る人」(同)たちの列に加わり続けたいと切に思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-09-22 16:49:19 (2331 ヒット)
2013年礼拝説教

  13年9月22日 日曜礼拝説教 

ルカによる福音書の譬え話 倒れなかった家と倒れてしまった家の譬え―倒れなかった家は、堅固な岩の上に土台を据えた家であった」
 
ルカによる福音書6章46〜49節(新約聖書口語訳94p)
 
 
はじめに
 
日本を取り巻く気象環境が悪化、狂暴化してきました。
 
台風十八号が和歌山県沖に近づいた今月十五日日曜の夜中、バス通りが冠水した場合に備えて、教会の壁際に並べていたプランターをすべて、建物横の奥の方に移動させてしばらくたった夜半、雨音が強くなったので外を見ましたら、バス通りは冠水し、側溝は溢れていて、あたり一面が川のようになっていました。
 
このまま降り続いたら浸水した昨年八月十四日の二の舞になりかねません。ハラハラしながら十分おきに外を監視しておりましたら、幸運にも小降りとなり、側溝もバス通りも元の状態に戻ったため、夜明けにウトウトと少し睡眠をとり、風呂に入ってテレビを点けましたら、京都嵐山の桂川に架かる渡月橋を濁流が洗っている衝撃的な映像が映り、さらに福知山市の住宅街が、市内を流れる河の氾濫によって水没をし、まるで湖のようになっているという惨状が映し出されていました。
被災した方々の上に国や自治体からの手厚い支援がありますように。
 
今回の台風十八号の場合は想定外の気象状況が重なったこともあって、個々人が被災を避けるのは困難で不可抗的であったと思われます。
しかし、イエス時代のパレスチナの場合、思慮の深さと注意深さがあれば、災害を免れることは可能だったのです。
 
そこで今週は、気象状況は同じでも、洪水に耐えた家がある一方、激流に流されてしまった家があるのはなぜかということから、将来、必ず襲来するであろう「激流」に耐え抜く秘訣について、イエスの譬えから教えられたいと思います。
 
 
1.激流が来ても倒れない家と倒れてしまう家とがある
 
イエスの語る譬えを理解する秘訣は、対象者が誰であるかを考えることです。今週取り上げる譬えは弟子たちに向かって語られたものでした。
 
「そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた」(ルカによる福音書6章20節前半 新約聖書口語訳94p)。
 
 それらの説教の締め括りとして語られたものが「倒れなかった家と倒れてしまった家の譬え」だったのです。
 
「洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」(6章48節後半)
 
「激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」(6章49節後半)。
 
 この譬えにおける「家」(48節)とはイエスの弟子たち個々が営む人生のことです。 
では、「家に押し寄せて」来る「洪水」が譬えるものは何かと言いますと、それは二つあって、その一つは人が避けることのできないもの、どのような人にも襲来してくるもの、すなわち肉体の老い、そして老いに伴う死を意味しました。 
 
喜ばしいニュースとして、先々週はオリンピックの招致成功のニュースが日本列島を歓喜で包み、先週は超電導リニア中央新幹線の名古屋までのルートがJR東海によって発表されましたが、オリンピック招致成功のニュースが流れた際に交わされた国民の関心事が何であったのかと言いますと、オリンピックが東京で開催される七年後には、「自分は何歳になっているだろうか」ということだったそうです。
 
一方、品川―名古屋間のリニアの開通は十四年後の二〇二七年で、これはこれで随分と先の話しだなあと思っていましたら、大阪を終点とするリニア新幹線の全線開通は、何と三十二年後の二〇四五年なのだとか。
 
そうなりますと現在六十歳の人も全線開通時には九十二歳、いま七十歳の人は百二歳です。
その歳になっても超高速のリニアを体験したいと思っていたら、気は若い証拠でそれはそれで喜ばしい限りなのですが、その場合、その人は四十九年前の第一回オリンピックは何歳の時に観たのかなど、暦年齢というものを意識させられたニュースでした。
 
人はいつか、死という「洪水」の襲来を迎えます。それを避けることはできません。
しかし、死に飲み込まれて「たちまち倒れてしま」(49節)う人生もあれば、死にも「揺り動か」されることのない人生を生きることもできるということを、この譬えは教えるのです。
 
 そしてもう一つ、誰も免れることのできない「洪水」があります。神による最後の審判です。
最後の審判につきましては七月七日の日曜特別礼拝での説教「十字架の物語◆.リストは罪びとを最後の審判から救うために到来した」で詳しくお話しましたが、最後の審判は死の次にくる、誰もが回避をすることのできない「洪水」なのです。
 
「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節 352p)。
 
 しかし、この「人間に定まっている」二つの洪水が襲来しても決して「揺り動かすことはできない」(48節)「家を建てる」(同)ことは可能であるということを、この譬えは強調します。では、それは一体どういう家なのでしょうか。
 
 
2.倒れる家と倒れない家の違いは土台の据え方にある
 
「洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない」(48節)という家はどういう家か。
 
それは地面を深く掘って岩の上に土台を据えた家であって、反対に激流に耐えられずに「倒れてしま」う家というのは、浅く「土台なしで」建てられた家だとイエスは語ります。
 
「それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている」(48節前半)。
 
「土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている」(49節前半)。
 
 実はこの二軒は、同じ環境に、しかも隣り合わせに建てられた家だったのかも知れません。しかし、一方の家は押し寄せてくる激流に耐え、もう一方は倒壊してしまいます。
ところでパレスチナの土地の多くは、表面は砂地で、深い所に岩盤があるという地層なのだそうです。
 
当然、「「土台なしで、土の上に家を建て」(49節前半)れば工期も短くてすみますし、建築費も安くすることができます。反対に「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる」(48節前半)場合、工期も長引く上、建築費も嵩みます。
 
しかし、パレスチナという地域では冬になると大雨が降って激流となりますので、「洪水が出て激流がその家に押し寄せてき」(48節)た時に「倒れ」ずに耐えることのできる家というは、当然、建築にあたり、費用と手間がより多くかかったとしても、「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて」(同)建てられた家だったのでした。
 
両者は外側を見れば、違いを見出すことは困難であったかも知れません。
しかし、「よく建ててある」(48節)のは、費用と労とを惜しまずに堅固な「岩の上に土台をすえて」(同)建てられた家でした。
 
たとい面倒であっても、手間暇がかかったとしても、「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる」(同)ことの重要性を確認させる譬え、それがこの譬えの意義でした。
 
 土台の有無のみならず、仮に土台を据えるにしてもどこに土台を据えるかが明暗を分けることとなります。
 どうぞ、人生という家を建てるにあたっては、地を深く掘って、土台を据えるための堅固な岩盤を探り当ててください。
 
 
3.倒れない家とは、主イエスの意志を優先させる生き方
 
では、この堅固なる「岩」あるいは「土台」とは何かということですが、パウロによれば教会という「家」の「土台」は「イエス・キリスト」である、ということでした。
 
「神から賜った恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。…そして、この土台はイエス・キリストである」(コリント人への第一の手紙3章10、11節 259p)。
 
 パウロは自らを「熟練した建築師」(10節)に譬える一方、自分の後任としてコリント教会を指導する指導者にも言及しつつ、たとい建て方には多少の違いはあったとしても、「土台」は同じであって、それは「イエス・キリストである」(11節)ことを強調します。
 
しかし、ルカによる福音書におけるこのイエスの譬えの場合、「家」は教会のことではなく、弟子たち個々人の人生であり、個々の弟子たちの信仰生活を意味していると思われます。
 
そしてその場合の「岩」あるいは「土台」とは、この譬えがイエスの言葉を聞いて行うということを強調していることから(もちろん、原理的にはキリストが岩であるということは当然のことなのですが)、神の御言葉、イエスの教えへの愛情と信頼というダイナミックな関係、それこそが「岩」であり「土台」なのだということを強調しているように思われるのです。
 
ところで物事を考える際の考え方、捉え方に、事物そのものに重点を置く「実態概念」的捉え方と、関係性に重点を置く「関係概念」的アプローチとがあります。
例えば神を説明するにあたって、「神は〜である」と言いますが、実態概念的に説明すれば「神は霊である」となり、これを関係概念的に言えば「神は愛である」となります。
もう少し具体的な例をあげますと、子供にとって父親は、実態概念で言えば「父は公務員」あるいは「父は会社員」ということになりますが、関係論的に言えば「僕のお父さんは優しい」「お父さんはよく遊んでくれる」ということになります。
 
このイエスの譬えの場合、「岩」あるいは「土台」を、イエスとの個人的な関係、関係性という観点で捉えると、イエスの言いたいことがより深く理解できると思われます。
イエスに向かい、「主よ、主よ」と呼んでいるからといって、イエスを崇めているとは限らないのだ、とイエスは嘆きます。
 
「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう」(6章46、47節)。
 
 この譬えは弟子たちに対して語られたというかたちを取っていますが、実は当時の弟子たちのみならず、ルカがこの福音書を執筆した時代の教会指導者や一般信徒に向かっての勧告あるいは警告でもあったのです。
 
「主よ、主よ、と」(46節)いかにも敬虔そうに主の名を「呼びながら」(同)、イエスの意志を「行わない」(同)という風潮がルカの福音書が書かれた西暦一世紀の末に、教会の中に及んできていたのかも知れませんでした。
 
聖書に何が書かれているかについては精通している、キリスト教教理についても滔々と述べることができる、その学識で反対者を論破することもできる、病人に手を按いて祈れば、病気が治るという現象を起こすこともできる、しかし、イエスの「言うことを行わない」(46節)、つまり、自分の意志を優先させて、イエスの願いや意志を第二にするという習慣が、信仰生活の中に忍び込んでいないかどうかが問われるのです。
 
 また、熱心に断食祈祷もするし、徹夜祈祷も行う、日曜礼拝には欠かさず出席をする、しかし、その専らの目的が人よりも富むことであったり、我が子をいい学校に行かせて、高収入が期待できる財閥系の大企業に就職させ、その結果、一族がいい目を見ることを目指す、というようなご利益信仰丸出しで「主よ、主よ」と呼んでいるならば、その信仰は土台なしに「土の上に家を建てた人」(49節)のようなものであって、襲い来る激流には耐えられないということになります。
 
 一方、たといその教育あるいは政治環境から、キリスト教との接点がないままに成人したにも関わらず、河に流されて浮き沈みする子供を見て、我が身の危険も顧みずに濁流の河に飛び込んだ義侠の行為に、日本中が感激をし、母国でも国の誇りとして称賛された青年がいました。
厳 俊(げん しゅん)という名の二十六歳になる上海出身の中国人留学生です。
 
 先週の十六日月曜日、午後五時頃、台風が去り、雨が上がった淀川べりで、この厳 俊という青年が日課のジョギングをしていた時、淀川にかかる東海道線の陸橋付近を流れている子供を発見し、この子を救助しようとして、服のまま淀川に飛び込んだというのです。
 
子供を掴んで岸に上げようとしましたがいかんせん、増水のために切り立ったコンクリートの壁が邪魔をして、子供を押し上げること四度、ことごとく失敗してやむなく自身のみ岸に上がって、下流に流れていく子供を追い掛けながら走った先にロープを持った住民がいて、彼はそのロープを体に巻き付けて子供を救出しようと、今度は最初の地点から三百メートル下流の新御堂筋線の陸橋下附近の濁流の河に再び飛び込み、水中に沈んでいる子供を右手に掴んで左手で泳ぎながら、同時に三人の人が引っ張るロープに引き寄せられて岸に生還をした、という出来事が報道されました。
新聞に掲載された小さな記事を読んで、感動にうち震える思いになりました。
 
川で浮き沈みしている子供を見たとき、泳ぎに自信があれば、無我夢中で助けに飛び込む人もいるかも知れません。しかし、服を着たまま濁流を経験した場合、自らが死ぬかも知れないという中で、果たして二度目も飛び込むだろうか、恐怖に足がすくむのではないかと思うのですが、この青年はとりあえず自分のみ岸に上がったあと、再度子供を救うべく、濡れた服を脱ぎ捨てながら流れていく子供を追って岸辺を走り、わが身の命の危険も顧みず、ある意味では死ぬことも覚悟しながら、またもや敢然と濁流の中へと飛び込んだのでした。何という勇気、何という心意気でしょうか。
 
この中国人青年は上海の大学を出て来日三年目、ローソンというコンビニでバイトをしながら日本語学校に通い、来春、大阪市立大学の大学院に進む予定の留学生だということです。
 
 
彼はマスコミのインタヴュ―に対し、「恐ろしいなどと考える間もなく、とにかくこの子供を助けたいと考えて飛びこんだ、また、このような状況になれば躊躇することなく飛びこむと思う」という意味のことを日本語で訥々として語っていましたが、彼の姿を見ていて、その生育環境から、彼は恐らくは無神論者であって、神に祈ったことも聖書を読んだこともないかも知れない、しかし、論語の為政にある「義を見て為さざるは勇なきなり」という孔子の教えを無意識のうちに実行していると共に(もっとも、文脈から見ますと、孔子はこの言葉をそういう意味で言っているわけではないのですがが、それはともかく)、「あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない」(箴言3章27節)という聖書の教えをも知らずに行動に移したのだといえます。そして彼の行動から改めて思わせられたのは、原罪によって破損されているとはいえ、人というものは本来、「神のかたちに創造」(創世記1章27節)されたものであるという事実でした。
 
口癖のように、「主よ、主よ、と」(46節)主を呼んでいるから神に嘉せられるのではありません。マタイの並行記事では、「主よ、主よ」と呼んできたカリスマ伝道者たち、大教会を形成してきた「大使徒」たちがイエスから、「あなたがたを全くしらない」と言われて天国の門から閉め出されています(マタイによる福音書7章21〜23節)。
なぜか。イエスの言葉を「聞いても行わない人」(49節)と査定されたからでした。
 
そして、恐らくは聖書には無縁であったであろうと思われるこの中国人留学生の方が、神の国に近いと言われるに違いありません。 キリストはまだ福音を聞いたことがない、しかし、無意識のうちに、そして本能的に神の言葉、イエスの意志を実践したこの中国人留学生を、こよなく愛し慈しんでおられることと思います。「厳 俊青年に幸あれ」です。
 
さて、最近、百年以上も前にピアソンという人によって書かれ、またかつての日、私たちの教会で愛読されたジョージ・ミュラーの伝記「信仰に生き抜いた人」を読み直したいという思いが募ってきました。
 
ミュラーこそ、愚直なまでにイエスの「言葉を聞いて行う者」(47節)だったからです。いま、NHKの「八重の桜」に登場してきている同志社の創立者、新島 譲の招聘によって八十一歳のジョージ・ミュラーが講演のために来日したのが一八八六年の末で、そのミュラーの影響を受けたのが日本で最初に孤児院を設立した石井十次でした。
 
ミュラーの伝記の著者ピアソンによれば、そのジョ―ジ・ミュラーに多大な信仰的影響を及ぼしたのがホイットフィールドという説教者の「習慣」であって、特にホイットフィールドには、「ひざまずいて聖書を読む」という習慣があることを知ってから、ミュラーも「聖書をひざまずいて読むようになり」、それが彼をより敬虔にもし、「神に近づくための神聖な道すじを備えてくれ」るものとなった、と述べています。
 
もちろん、聖書を跪いて読む、というのは心の姿勢を意味するのであって、かたちではありません。要は、「神が今、ここでこの場で自分に語りかけていてくださっている」という思いで心を込めて聖書を読むことが大事なのだという意味でしょう。
 
なお、習慣についてのピアソンの言及は、傾聴に値する珠玉のような指摘です。
 
習慣というものは、その人の本来の姿を示し、またその人をつくり上げるものである。それは歴史的であり、また預言的である。その人のありのままを映す鏡であり、将来その人がどのようになるかを示す鋳型である(A.T.ピアソン著「信仰に生き抜いた人 ジョージ・ミュラー その生涯と事業」126p いのちのことば社)。
 
 現在のその人の「習慣」が「歴史的」であるというのは、今の習慣は実はその人のこれまでの生き方を示すものであって、「預言的」であるというのは、その人が将来、どのような生き方をしているかを預言している、ということです。
つまり、いまをダラダラと生きている人は十年前もきっとダラダラと生きていたのであろうし、そして十年後もきっと今のままだろう、という意味であって、しかし、現在の習慣が敬虔な習慣に変われば、その敬虔な習慣は十年後の将来の姿を予見させてくれる、というわけです。
 
 ですから、好ましくない習慣を良い習慣に変えれば、たとい過去を変えることは出来なくても、今から後の未来を変えることは可能だということです。
 
良い習慣は持続させる、しかし、良くないと思いつつ先延ばしにしてきた今の習慣は思い切って改めること、それが実は「地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人」(48節)になることであり、イエスの「言葉を聞いて行う者」(47節)となることへの近道なのだということを教えられます。
 
イエスが弟子たちにこの譬えをされたのは、私たち弟子の誰もが一人残らず、キリストとの生ける交わりを通して、喜んでキリストの「言葉を聞いて行う者」、神の思いと意志とを大切にする者であって欲しい、という思いが表れたものであることを覚えて、心を低くし、感謝をもってご一緒に主なる神を崇めたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2013-09-15 16:33:51 (3596 ヒット)
2013年礼拝説教

13年9月15日 日曜礼拝説教

ルカによる福音書の譬え話◆,い覆なった羊、なくした銀貨の譬え―見つけ出されたのは掛け替えのないものであった」
 
ルカによる福音書15章1〜10節(新約聖書口語訳115p)
 
 
はじめに
 
ここ数年、夏に愛用していた帽子を紛失してしまいました。日曜日の夜には確かに有ったのです。でも、月曜の朝、出かけるためいつものように家の帽子掛けから帽子を取ろうとしましたら、そこにある筈の帽子がないのです。考えてみましたらそこに掛けたかどうかも判然としません。置き忘れたか、落としたかです。一応、心当たりのところをあたってみました。しかし、帽子を見つけることはできませんでした。
 
それはメッシュの黒い帽子で、畳んでバッグに入れても、取り出せば直ちに元のかたちに戻る上、洗濯しても形も色も変化をしないという、なかなかのすぐれものでした。
そこでやむなく、同じものを買おうとしてそれを購入した店の売り場に行きました。しかし、同じものはありません。何しろ、購入したのは三年も四年も前のことです。同じものがある方が不思議かも知れません。
 
もちろん、紛失したものが手許に戻ってくるのがベストです。しかし、帽子の場合、同じものでなくても、同じ形、同じ材質のものであればよいのです。別に思い出があるというわけでもありません。要は夏の日射しを避けるという帽子本来の機能を果たしてくれればよいのです。勿体ないと言えば勿体ないのですが。
 
しかし、世の中には、同じものは他にはない、代替えのきかない、まさに掛け替えのない、というものがあります。
そして、その掛け替えのないもの、とりわけ、神にとって掛け替えのない存在、それが私であり、あなたなのです。
 
先週から始まったルカによる福音書の譬え話の第二回目は、「いなくなった羊、なくした銀貨」の譬えを取り上げて、神の愛の大きさ、慈しみの深さをご一緒に読み解きたいと思います。
 
 
1.いなくなった羊、なくした銀貨は持ち主にとり、掛け替えのないものであった
 
先週も申し上げましたが、譬え話を正しく読むために大事なことは、その譬えがどのような状況で語られたものなのかを知ることです。
 
そこで、有名な「放蕩息子の譬え」を含めた三つの譬え話がどのような状況下でなされたのかについて見てみましょう。
 
専門家によりますとイエスの時代、ユダヤ社会にはパリサイ人たちからヘブライ語で「アムアーハーレツ」と呼ばれる人々がいたとのことです。
その意味は「地の民」であって、もともとは土着の民、つまりネイティブを意味したのですが(「アブラハムは立ちあがり、その地の民ヘテの人々に礼をして、彼らに言った」創世記22章7、8節)、いつの間にか差別の蔑称となっていたのでした。
 
「アム アーハーレツ(地の民)」と呼ばれていた人々は、様々の理由でトーラーつまり律法を守ることのできなかったため、その呼称を受け入れるしかない人々でしたが、しかし、彼らは人を分け隔てしないイエスを慕ってイエスのもとに集まり、またイエスも好んで彼らを受け入れ、しばしば食事を共にしておりました。
 
「さて、取税人(しゅぜいにん)や罪人(つみびと)たちがイエスの話しを聞こうとして近寄ってきた」(ルカによる福音書15章1節 新約聖書口語訳115p)。
 
ユダヤ社会で「取税人」(1節)は不正な人間の代名詞であるだけでなく、ヘロデ家やローマ帝国の徴税を請け負うところから、同国民からは売国奴として蔑まれていました。 
 
また諸種の事情によって娼婦に身を落としていた女性たちは「罪人」(同)として軽んじられておりました。
これらの人々はユダヤ会堂からは締め出され、裁判では証人となる資格を剥奪されていたと言われています。
 
イスラエルは一種の宗教共同体です。そして彼らはその共同体の落伍者として認識されていました。
ですから、イエスのような律法教師ともあろう者があのような罪深い者たちと交わるのは如何なものかと、パリサイ人たちはイエスを批判したのです。
 
「するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、『この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている』と言った」(15章2節)。
 
そのような状況下で語り出されたのが「いなくなった羊」、「なくした銀貨」、そして「家出した次男坊」の譬え話でした。
 
「そこでイエスは彼らに、この譬えをお話しになった」(15章3節)。
 
どういう譬えかと言いますと、一つは百匹の羊のうちの一匹がいなくなったら、羊飼いはそのいなくなった一匹を見つけるまで、捜し歩くであろうという話で、もう一つは十枚セットの銀貨の一枚をなくした女性が、銀貨を見つけるまで家中隈なく捜そうとする筈だ、という譬え話でした。
 
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っていた者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか」(15章4節)。
 
「また、ある女が銀貨十枚を持っていて、ものその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか」(15章8節)。
 
 羊飼いにとって「いなくなった一匹」(4節)は他のものでは代用できないもの、我が子にも等しいかけがえのない羊でした。
 
一方、なくなった「銀貨」の場合は、少し説明が必要です。「銀貨」(8節)と訳された言葉は「ドゥラクメー」、ギリシャ銀貨の「ドラクマ」のことです。なおドラクマという貨幣単位は統一通貨としてのユーロが導入されるまで、現代のギリシャにおいて使用されていたそうです。
 
イエス時代、ユダヤには三つの種類の貨幣が流通していました。シェケルなどのユダヤ貨幣、デナリなどのローマ貨幣、そしてドラクマに代表されるギリシャ貨幣でした。
 
「ドラクマ」の貨幣価値はローマ貨幣の「デナリ」とほぼ一緒で、「デナリ」銀貨はたとえばぶどう畑で働く労働者の一日分の賃金にあたりました。
ですから彼女は男の労働者が夜明けから日没まで働いて稼ぐ一日の給料分を紛失してしまったことになるわけです。
 
この譬えを聞いて、「失くしたものは仕様がない、少し倹約をして、工夫しながら銀貨の残り九枚で十日分を食いつないだら何とかなるのでは」と思う人もいるかも知れません。
しかし、当事者にとって「なくした」一枚は決してなくなってはならないものだったのです。
 
英国の新約学者のバークレーによりますと、一枚欠いたら不完全になるもの、それがこの銀貨であったということでした。
 
パレスチナでは、既婚女性のしるしは銀の鎖に一〇個の銀貨をつけた髪飾りだった。…(その)髪飾りは結婚指輪と同じ意味をもっていたからである。(それは)借金の返済のためにすら、(借金取りは)それを彼女から取り上げることはできなかった(ウイリアム・バークレー著 柳生 望訳「聖書註解シリーズ4 ルカ福音書」225p)。
 
 もしもそうであるならば、彼女が家の中でなくした銀貨を必死で探すわけが理解できると思います。羊飼いにとって行方不明になった一匹の羊同様、彼女にとって、なくした銀貨はまさにかけがえのないものであったのでした。
 
ところで、「百匹の羊を持っている者」(4節)、そして「ある女」(8節)が誰のことをイエスが言っているのかと言いますと、それは勿論イエス・キリスト自身のことです。
 
では「いなくなった一匹」(4節)、「なくした」(8節)「一枚」(同)の銀貨は誰を意味するのかということですが、それは「パリサイ人や律法学者たち」(2節)が「地の民」として蔑み、宗教的、社会的落伍者として批判した「取税人や罪人たち」(1節)のことでした。
 
本来、居るべきところ、あるべき立場から落伍してしまった人々、それが「アム アーハーレツ(地の民)」と呼ばれた「取税人」や娼婦たち「罪人たち」でしたが、実は彼らを蔑んでいた「パリサイ人や律法学者たち」もまた、神の目からは行方不明となった一匹の「羊」であり、所在がわからなくなってしまった一枚の「銀貨」だったのです。
 
 そして今日、日本人の多くは居るべき檻を離れて野山を彷徨う「羊」、床の片隅に落ちた「銀貨」のようなものなのですが、しかし、まことに有り難いことに、イエス・キリストはその日本人一人一人をかけがえのない者として「見つけるまでは」(4、8節)と「捜し歩」(4節)き、「注意深く捜」(8節)してくださっているのです。
 
 
2.かけがえのないものを見出すために、持ち主はいかなる犠性も厭わなかった
 
いつのまにか居なくなってしまった一匹の羊の捜索に関して、ルカ福音書による譬えでは「(羊飼いは)いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか」(4節)という短い反語文を見るのみですが、「見つけるまでは」という言葉の中には、いなくなった一匹を何としても見出す、見つけるまでは帰らない、如何なる犠性を払ってでも、いなくなったその羊を連れ戻さずにはおかない、という羊飼いの決意、覚悟が籠っています。
 
 この譬えを主題にした聖歌がきょうの説教後に歌う予定の聖歌四二九番「九十九匹の羊」です。
 
 他人は言います、「九十九匹は無事に檻(おり)に残っているのですから、一匹くらい、いいじゃないですか」
しかし、羊飼いは答えます、「いや、行方がわからなくなっている羊も私の大事な羊なのだ。だから、どんなに深い山道であろうとも、そこに分け入って見つけるつもりだ」 
羊飼いはそう答えて、途方に暮れ、死に瀕している羊の泣き声を頼りに、深い流れを渡り、危険な暗い夜道を捜し続ける、しかし、その羊飼いの手や足は茨で傷ついて血を流しているが、それでも、捜索を止めない、という歌詞です。
 
 この聖歌はエリザベス・クレフェーンというスコットランドのエディンバラ生まれの女性の作詞によるもので、その死後にスコットランドの雑誌に発表されたそうです。
 
そして彼女が亡くなった五年後の一八七四年、米国の大衆伝道者として知られるドワイト・ムーディーがこのエディンバラで伝道集会を行うため、音楽担当のアイラ・サンキーと共に汽車で向かうその車中で、たまたま信仰雑誌にあった「九十九匹の羊」の歌詞をサンデーが切り抜いてポケットに入れておいたというのです。
 
やがて伝道集会が始まり、集会でムーディーは「迷える羊」というタイトルで説教をし、説教後、説教に合った招きの讃美をアイラ・サンキーに依頼したところ、汽車の中で切り抜いていた詩を思い出したサンキーが、それをポケットから出して即興で歌ったのが聖歌四二九番の「九十九匹の羊」だった、というエピソードが伝えられています。
 
因みに、「ムーディーは福音を語り、サンキーは福音を歌う」と言われたそうですが、その晩、幾人もの人がイエス・キリストを主として信じる決心をしたとのことでした。
 
 また、銀貨をなくした女の場合も、「彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか」(8節)と、ありますが、ユダヤの家は小さな窓があるだけですので、部屋は昼間でも暗く、失くした物を見つけるのには難儀をするのだそうです。
つまり八節は、すべての家事や仕事を一時中断してでも、なくした銀貨を発見しようとする熱意を示す言葉です。
 
一週間前の夜半、地球の裏側のアルゼンチンはブエノスアイレスにおいてフリーアナウンサーの滝川クリステルが二〇二〇年のオリンピックを東京に招致すべく行った、フランス語のプレゼンテーションを聞いておりました。
 
そのプレゼンテーションの中で日本文化の「おもてなし」の一例として、失くした現金が確実に戻ってくるという東京の安全性を語りました。
彼女はこう言いました。
 
もし皆さまが東京で何かを失くしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえば現金でも。実際、昨年、現金で三千万ドル以上が落し物として東京の警察署に届けられました。
 
 「三千万ドル」は日本円で三十億円です。それが拾った人によって警察に届けられたというのです。こんな都市は世界広しと雖も日本以外、皆無でしょう。
 
一方、古代のユダヤでは羊を狙う盗賊が各地に跳梁跋扈していました。檻を抜け出し、羊飼いの庇護と管轄の下を離れて彷徨い出た羊に待っている運命、それは崖から転落死するか、狼に食われるか、はたまた羊泥棒に捕獲されて売り飛ばされるかで、とにかく悲惨なものだったのです。
 
 そういう背景を考えますと、改めて、羊の飼い主、銀貨の持ち主にとり、一匹の羊、一枚の銀貨がかけがえのないものであり、そしてそれを見出すためには如何なる犠性も厭わないという並々ならぬ情熱を感じさせる譬えなのですが、まさに真の羊飼いであるイエス・キリストは、道に迷った私たちのために、神の御子という尊い身分、立場、あり方を捨てて、人そのものとなってくださったのでした。
 
「キリスト様は神様なのに、神様としての権利を要求したり、それに執着したりはなさいませんでした。かえって、その偉大な力と栄光を捨てて、奴隷の姿をとり、人間と同じになられました。そればかりか、さらに自分を低くし、まさに犯罪人同様、十字架上で死なれたのです」(ピリピ人への手紙2章6〜8節 リビングバイブル)。
 
この箇所はキリストの謙卑、謙遜を示したところとして有名で、事実、ここで著者が言いたいのは、教会という信仰共同体の中では、誰もが「謙遜であれ」という教えであって、著者はその謙虚さの模範としてのキリストについて言及をしているのですが、それらの字句に隠されているもの、それは、「何故に尊い神の子が人となり、死刑囚となったのか」という理由です。
それは一言で言えば人類の罪の身代わりとなるためであったという事実にありました。
 
イエス・キリストの犠性は、罪の結果としての滅びから、しかも永遠の滅びから私ひとり、あなたひとりを救出するためであったのでした。
 
そういう意味で、外の掲示板と入り口に掲げた「キリストの犠性はあなた一人の回復のためであった」という本日の説教題は、「羊」と「銀貨」という二つの譬えの中心ポイントでもありました。
 
 
3.かけがえのないものが見出された時、大いなる喜びが天と地に満ち満ちる
 
 この二つの譬えは、いなくなった羊を捜しあてた羊飼いの歓喜、なくした銀貨を見つけた女の感激を描写することにより、かけがえのないものが見出された時の喜びを表現します。
 
「そして見つけたら、喜んでそれを肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう」(15章5、6節)。
 
「そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう」(15章9節)。
 
 「喜」(6、9節)び、と言えば、一週間前の日曜日の早朝五時二〇分に尽きるかも知れません。ロゲIOC会長が二〇二〇年のオリンピック開催都市選考の結果を「トーキョー」と発表したとき、大袈裟に言えば列島中が歓喜に包まれました。
 
もっとも、個人的には「親日国家のトルコ・イスタンブールでも」と思っていた人もいたことと思います。しかし、直前に韓国政府が東北と北関東計八県の水産物輸入禁止措置を発表するという行動に出ましたが、これは明らかに国家による招致妨害です。
しかも群馬、栃木は海が無い上、水産物を韓国に輸出など、していないのですから妨害意図は明白です。
 
そして、この無礼極まりない措置を聞いて、「二〇二〇年のオリンピックは何としても東京に」という思いになった日本人も大勢いたと思うのです。私もその一人でした。彼の国は何と大人げない国であることか、と思います。
 
 二〇二〇年のオリンピック東京招致の成功は、久しぶりの明るいニュースとなって日本列島を駆け巡りましたが、この感動の経験は、時代、内容、規模の違いはあっても、実は「いなくなった羊」(6節)を見出した羊飼いの歓、「なくした銀貨」(9節)を見つけた婦人の感激が如何ばかりであったかということを私たちに想像させる縁(よすが)となったと思います。
 
 イエスは二つの譬えを締め括るにあたって、「パリサイ人や律法学者たち」(2節)に向かい、彼らが日常的に蔑んでいる「取税人や罪人たち」(1節)の悔い改めこそが、神の喜びたもうところであるということを強調します。
 
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きい喜びが、天にあるであろう」(15章7節)。
 
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使いたちの前でよろこびがあるであろう」(15章10節)。
 
 この譬え話のキーワードは「悔い改め」(7節)ということです。「悔い改め」とは単なる反省を言うのではなく、人生の方向転換を意味する言葉です。
 
たとえば、行く先を間違えて目的地とは反対の方向に向かう電車に乗ったとします。その場合、人はどういう行動に出るでしょうか。「ああ、またやってしまった、私は何てバカなんだろう」と反省しつつ、間違った電車にそのまま乗り続ける人はいないと思います。間違いに気付いた時点で間違った電車から降りて、正しい方向に向かう電車に乗り換える筈です。
そして、そのような一連の行動が「悔い改め」なのです。
 
私たちもかつて、的外れの人生を生きていましたが、人生の方向転換、神を目指して進むという乗り換えを果たしたのでした。
そしてその時、実は「大きいよろこびが、天にあ」(7節)ったのです。「神の御使いの前で」大いなる「よろこびがあ」(10節)ったのです。
 
それは、二〇二〇年のオリンピック開催国が東京に決まったという最終結果を聞いた、招致委員会のメンバーや関係者全員の、踊り上がって喜んだ姿の映像が参考になることでしょう。
 
実は、かつての日、私たちがそれまで固く閉ざしてきた心の戸を開いて、戸を叩くイエスを救い主キリストとして受け入れたその瞬間、イエス・キリストを中心とした「大きいよろこびが」(7節)、「天」(同)において、「神の御使いの前で」(10節)爆発したのでした。
そこにはあのガブリエルがいて、そしてミカエルもいて、しばらくは千軍万馬の「御使い」の万歳の声が天にこだました筈でした。
 
とりわけ、宣教困難と言われる日本において、時間がかかったとは言え、この私が、そして皆様が「イエスは主なり」と告白をしたということは、難産であればあるだけ、天におけるその「よろこび」(7、10節)は大きかったことと思われます。
 
今、「イエスは主なり」という信仰告白を堅くしている方は、これからも、そして生涯かけてその告白を大事にしていただきたいと思います。
 
また、しばらく、教会の交わりから遠ざかっている方で、この説教をペーパーで、あるいはホームページから読んでおられる方々に申し上げたいと思います。
あなたがかつての日、心の戸を開いてイエスを心に迎え入れたその時、確かに天においては「大きいよろこび」(7節)があったのだということを認識していただければ幸いです。
 
大事なことは何か、それは神へと向かうこの方向から決して降りないこと、乗り続けること、そして間違いに気付いて方向転換を志すような人が一人でも出るようにと祈り励むことです。
イエス・キリストが案じている迷える羊は、この街に、そして私たちの周りに今も数多くいるのですから。
 
また、もしも何らかの事情で途中下車をしているのであれば、是非もう一度、神へと向かう電車に乗り込んでください。
なぜならば、あなたは今もイエス・キリストが愛してやまない「一匹」の「羊」であり、かけがえのない「一枚」の「銀貨」なのですから。


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