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投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-07-26 16:19:14 (1085 ヒット)
2015年礼拝説教

2015年7月26日 日曜礼拝説教 

詩 篇 を 読む
 
「祈りを聞かれる方よ」と呼びかける相手があるこ 
 との幸せを噛みしめる
 
詩篇65篇1〜4節(旧約聖書口語訳801p)
 
 
説教のアウトライン
 
1.「祈りを聞かれる方よ」と呼びかける相手があることの幸せ
2.「肉なる者」であるとの自己理解を持っていることの幸い
3.神が住む「聖なる宮」に神の祭司とされて常に住まう幸福
 
 
はじめに
 
漫才コンビ「ピース」の静かな方、髪の毛と顔の長い方の又吉直樹さんの作品「火花」がこのたび、第一五三回芥川賞に選ばれました。
 
この人は当市、寝屋川市で誕生し、高柳六丁目の寝屋川市立啓明小学校、上神田(かみかみだ)二丁目の市立第五中学校を経て、大阪市内の高校を卒業し、卒業後はお笑い芸人を目指して上京、苦節十七年、本業とは別のジャンルにおいて、文学を志す者にとっては垂涎、憧憬の的ともいえる芥川賞の受賞に至ったわけです。
 
寝屋川市出身の有名人と言えば、最近では大相撲の大関豪栄道、少し前ならば不惑を迎えながら、今もメジャーで抑えの切り札として活躍している上原浩治がおります。
ついでに言いますと、関西学院大学の相撲部出身で、今年、木瀬部屋に入門し、先場所、序の口で優勝した由良もまた、寝屋川市の出身です。由良は小兵ながら居反りというアクロバティックなわざで巨漢力士を倒すなどで話題となりました。
 
受賞後の又吉直樹さんは、同時受賞の人が全く目立たない中、テレビのあちらこちらの番組に引っ張り凧ですが、報道によりますと「走れメロス」や「人間失格」の作者として有名な、太宰治という作家に傾倒しているとのことでした。
性格的にメランコリックなところなどに、共感するのでしょうか。
 
この太宰治という作家の文章は確かに見事なものであって、私もピンチヒッターで受け持った神学校の夜間校での説教学の授業で、この人の「駆け込み訴え」を教材の一つとして使ったことがあります。
 
ただ、この作家さんは戦前、何度も自殺未遂、心中未遂事件を起こした人でしたが、戦後間もなく、玉川上水に飛び込んで入水(じゅすい)心中事件を起こし、この時はついに成功を遂げてしまいます。
「成功を遂げてしまいます」と言いますと変ですが、本気というよりも周囲に構ってもらいたいという気持ちからの行動ではなかったかという推測もあるからです。
 
しかし、もしも彼が死ぬ気であったのであれば、そして本当の意味において人の苦悩を知り、親身になって心の叫びを、そして「祈りを聞かれる方」のことを知ったならば、きっと、水の中にでなく、そのお方の懐に飛び込んだのではないかと思うのです。まことに残念でなりません。聖書の神は「祈りを聞かれる方」なのです。
 
そこで本年二回目の「詩篇を読む」は、「『祈りを聞かれる方よ』」と呼びかける相手があることの幸せを噛みしめる」として味わいたいと思います。
 
 
1.「祈りを聞かれる方よ」と呼びかける相手があるこの幸せ
 
まだ娘が小学生であった頃、妻に誘われ、マズロー心理学を基にした親のための勉強会というものに、一年ほど通いました。
講座は週一回、昼間ですから受講生は私以外はみな女性で、小、中学生の子供を持つ主婦五、六人で一クラスを構成しておりました。
 
この勉強の中で特に記憶に残っている内容の一つは、次のようなものでした。考えさせられました。
 
ジミーは二体のロボットを持っている。この二体のロボットは、ジミーの言うことなら何でも聞いてくれる。そして一体はママといい、もう一体はパパと呼ばれている
 
つまり、家庭というものは子供中心ではなく、親が中心であるべきにも関わらず、いつの間にか子供が王様あるいは女王様に、そして親が忠実な召使になってしまっている、という多くの家庭の現実を指摘した教訓であったと思います。
 
子どもの言うことなら何でも聞いてくれるという親は、子どもにとっては便利ですし、重宝な存在ですが、その延長線上で、神様というものを、自分の言うことは何でも聞いてくれる都合のよいロボットのように考えている人がいます。
そしてそういう人に限って、神は願いを聞き入れてくれないと文句を言うのです。
 
たしかに聖書では神は、人の願いや「祈りを聞かれる方」として理解されております。
 
「神よ、シオンにて、あなたをほめたたえることはふさわしいことである。人は誓いを果たすであろう。祈りを聞かれる方よ」(詩篇65篇1〜3節 旧約聖書口語訳801p)。
 
しかし、神は決して便利なロボットなどではありません。
詩は「神よ、シオンにて」(1節)で始まりますが、この「シオン」とはエルサレムの町の別名で、詩的、文学的表現でもあります。
 
「シオン」はもともと、カナンの原住民であるエブス人が支配するエルサムの丘に据えられた要害のことでした。
ダビデはパレスチナ統一戦争の過程でエブス人が支配するこの要害に目をつけ、これを攻撃し、占領します。イエス・キリスト誕生の約千年前のことです。
 
「王と従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブス人を攻めた。エブス人はダビデに言った、『あなたはけっして、ここに攻め入ることはできない。…ところがダビデはシオンの要害を取った。これがダビデの町である』」(サムエル記下5章6、7節 539p)。
 
ダビデがエルサレムを、そしてその丘、「シオン」を占領した結果、二代目のソロモン王の時代に、この「シオン」の丘の上に神殿が建つことになりました。豪壮にして華麗なソロモンの神殿です。つまり、詩篇のこの箇所における「シオンにて」(1節)はこの場合、丘の上に建っている神殿にてという意味です。
 
 神殿とは通常、神がいますところ、とされました。ですからその「シオンにて」神の民の一人として神を「ほめたたえる」(同)者は、「シオン」にいます神に向かって、私の、あるいは我らの「祈りを聞かれる方よ」(2、3節)と呼びかけることがゆるされているという意味です。
 
私たちは神に向かっては「父なる神よ」と呼びかけ、それがイエスである場合は「主よ」、また聖霊である場合は「御霊よ」と呼びかけるのが常なのですが、神のご性格や働きに踏み込んでより具体的に、「祈りを聞かれる方よ」と呼びかけることが許されているというわけです。
 
ここで昔読んだユダヤ?ジョークを思い出しました。
 
鉄の女と称されたマーガレット・サッチャーが英国の首相であった頃、イスラエルの首相のペギンであったかペレスであったかがロンドンにあるサッチャーの執務室を訪問し、デスクの上の赤い電話を見て、「これは?」と聞いたところ、サッチャー、「それは天国への直通電話です」
イスラエル首相「かけてもいいですか?」サッチャー「どうぞ、どうぞ。でも天国は遠いですから長距離料金がかかりますよ」
 
その後、サッチャー首相がエルサレムのイスラエル首相の執務室を訪れ、執務室のデスクの上にある赤い電話を見て、「これは?」と聞いたところ、イスラエル首相曰く、「天国への直通電話です。でも料金の心配はいりません。エルサレムから天国へは、市内料金でかけられますから」
 
エルサレムこそ神の都、というユダヤ人の自負を感じさせるジョークです。
しかし、クリスチャンは時間、場所に関わりなく、いつでもどこからでも、神への通話は常に無料です。この特権を生かさなければ、それは宝の持ち腐れとなります。
でも、無料なのはなぜかと言いますと、御子イエスの犠牲という莫大な支払いが済んでいるからなのです。
 
どのような状況下でも、親しく「祈りを聞かれる方よ」(2、3節)と呼びかけ、話しかけることのできる相手を持っていることの幸せを、私たちは改めて噛みしめたいと思うと共に、信じるだけで得ることのできるこのすばらしい特権を、より多くの日本人に知ってもらいたいと心から思います。
 
 
2.「肉なる者」であるとの自己理解を持っていることの幸い
 
「祈りを聞かれる方よ」と呼びかける相手があることの幸せ、という感覚は、自らが「肉なる者」であるとの理解を持っている者ほど、より実感を持つことが可能です。
 詩人の自己理解、それは自分自身が「肉なる者」という理解でした。
 
「すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る」(65篇3節前半)。
 
 「すべての肉なる者」(3節)の原語は「コル(すべての) バーサール(肉)」で、聖書では人類全体を意味しますが、「肉」はここでは、弱さや脆さ、限界を持つ者、とりわけ「罪」(同)を抱え、罪意識に苛まれる者を意味すると思われます。
 
自分の努力や頑張りだけではどうしようもないと思った時、「肉なる者」(3節)は自らを超えた全能の神に向かって、「祈りを聞かれる方よ」と取り縋るのです。
 
 太宰治に傾倒しているとされる又吉直樹さんが芥川賞を受賞しましたが、実は太宰治をまた、芥川賞の受賞を渇望していた人であったようで、選考委員の佐藤春夫や川端康成に宛てて、自らの受賞を切に希(こいねが)う手紙を送ったと伝えられているのです。
 
結果、第一回芥川賞には、太宰の候補作品は落ちて、石川達三の「蒼氓(そうぼう)」という作品が選ばれたため、太宰は打ちのめされてしまいます。昭和十年のことでした。
 太宰治の作品は第三回芥川賞の候補作品にも上がりましたが、結果はやはり落選だったそうで、選考委員を大いに恨んだということでした。
 
 太宰治がなぜ芥川賞に固執したのかという理由はよくわかりませんが、やはり我欲があったのではないかということが想像されてしまいます。
この太宰治のことを考えますと、ヤコブ書の言葉が頭に浮かんできてしまいます。
 
「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(ヤコブの手紙1章14、15節 新約聖書口語訳360p)。
 
 でも、人が「肉なる者」(3節)であるということが、それが直ちに「罪びと」であるという意味ではありません。
しかし「肉なる者」である限り、罪の誘惑を覚え、時には誘惑に負けることもあります。そこで道が二つに分かれます。
 
一つは、罪と戦った結果、罪に敗北した、だからこそ「祈りを聞かれる方」(1節)の御許に額ずいて、罪のゆるしを受けようと考える者です。
三節の後半をお読みします。
 
「われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる」(65篇3節後半)。
 
「われらのとががわれらに打ち勝つとき」(3節)とは、罪の誘惑と戦いはした、しかし抵抗むなしく、敗北を喫してしまった、という個人的体験を表現したものでしょう。
「私は負けた、そして敗残兵のようになって神の許を訪れた、叱責される、罰せられるかと思いきや、神は『これ』(3節)、つまり私の罪や失敗を『ゆるされる』(同)という驚くような経験をした」、それが詩人の告白です。
 
そしてもう一つのタイプが、「祈りを聞かれる方」(1節)に背を向けるという者たちでした。
 
難しいことはわかりませんが、太宰治は飛び込むところを間違えたのだと思います。彼は玉川上水などにではなく、「祈りを聞かれる方」(2、3節)の懐に、弱さを、そして罪を負ったままでよいから飛び込めばよかったのです。
 
太宰治は聖書をよく読んではいたようです。しかし、日本の文学者に共通することなのですが、「罪」、とりわけ神への「罪」がよくわかっていなかったのかも知れません。「罪」がわからなければ、キリストもキリストの救いもわかりません。結果、自分の始末は自分ですることになってしまいます。
 
「駆け込み訴え」が示す通り、太宰には心情的に、イエスを裏切ったイスカリオテのユダへの共感があるように思えます。最後の晩餐においてユダのことを、イエスは血を吐くような思いで、「生まれざりし方よかりしものを」と嘆きました。
 
「しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生まれなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイによる福音書26章24節後半 44p)。
 
 太宰治の二十八歳の時に刊行された作品に、「二十世紀旗手」という短編がありますが、タイトルの後に「生まれて、すみません」という何とも意味深なサブタイトルが続きます。
 
生まれざりし方よかりしものを」「生まれて、すみません」―これを比べるのは読み込みかも知れませんが、太宰治には「自分などは生まれて来ない方がよかったのだ」という自己否定の思いがあったのではないかと思うのです。
 であるとするならば余計に、水にではなく、神の赦しと愛の中にこそ、飛び込むべきであったのです。
 
 自らが弱さを纏う「肉なる者」(3節)であるとの自己理解を持つ者が幸いなのは、その理解が人をして、神に向かい、「祈りを聞かれる方よ」(1節)と呼びかけさせることになるからです。
 
 
3.神が住む「聖なる宮」に神の祭司として常に住まう幸福
 
詩人は神によるゆるしを経たのち、「シオン」(1節)すなわち「聖なる宮」に住まうことの幸福について告白します。
 
「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の恵みによって飽くことができる」(65篇4節)。
 
 「あなたの大庭に住む人」(4節)とはどんな人か、ということですが、まず「大庭」とは厳密に言うと前庭のことであって、そこは祭司以外は入ることができない所でした。
 
ただ、イスラエルの民自体、神によって、神なき世界に神の教えと存在とを伝える「祭司の国」として選ばれたものでした。
それは神がモーセに対して、イスラエルの民に語るようにと命じた言葉にあります。
 
「『あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」(出エジプト記19章6節 101p)。
 
 イスラエルの民は「祭司の国」である、では、イスラエル民族に属さない者はどうなるのかと言いますと、まことに有り難いことに、イスラエルとの血縁関係が無い者でも、イエス・キリストの恵みによって、イエスを主と信じる者はみな、神の民、「イスラエル」とされているのです。
 ガラテヤの諸教会に宛てられたパウロの書簡の、末尾にある祝福の祈りです。
 
「この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように」(ガラテヤ人への手紙6章16節 300p)。
 
 「この法則に従って進む」(16節)とは何かといいますと、モーセ律法を行うことによって得られるとされる「義」ではなく、イエスへの信仰によって義とされる道を行くことを意味します。口語訳では「この法則に従って進む」(同)クリスチャンと、次の「神のイスラエル」(同)とは別のように読めます。
しかし、両者は「カイ」というギリシャ語で結ばれています。
 
「カイ」は英語では「アンド」ということですから「と」あるいは「そして」となるのですが、「カイ」は「すなわち」とも訳せます。
つまりこの部分は、「『この法則に従って進む人々』(クリスチャン)すなわち『神のイスラエル』」(16節)とも訳せますし、パウロの神学からすると、そのように訳するのが彼の意図であると断言しても差し支えありません。
 
私たちはキリストによって、神の民すなわち「神のイスラエル」となり、その結果、神の祭司という立場をも与えられておりますので、朝に夕に、生ける神に向かって「祈りを聞かれる方よ」と親しく呼びかけ、語りかけることが許されているのです。
 
ところで詩人は「シオン」にいます神、神殿にいます神に向かって「祈りを聞かれる方よ」と呼びかけました。
しかし、ソロモンの神殿は紀元前五八六年、バビロン軍の攻撃によって灰燼に帰し、捕囚からの解放の後、紀元前五一五年に再建され、ローマ時代にヘロデ大王によって改築された第二神殿も、西暦七十年に至り、ローマの軍隊によって破壊、炎上してしまいました。
目に見える神殿は地上にはないのです。
 
 でもイエスは第二神殿、正確にはリフォーム中のヘロデの神殿の近未来における破壊を予告した後、自らが真の神殿であることを表明します。
 
「イエスは彼らに答えて言われた、『この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起こすであろう。…イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである』。」(ヨハネによる福音書2章19、21節 138p)。
 
 この地上には神の住む、人手による神殿は存在しません。しかし、復活のキリストが人の手によらない神殿となって下さったので、私たちはこのキリストの中に住まいを持ち、聖なる祭司となって、「祈りを聞かれる方」(1節)に向かって自らの悩みを打ち明け、悩んでいる者のために、真正の祭司として執り成すことができるのです。
 
 この日本という国に住む「すべての肉なる者」(3節)が生ける真の神に向かい、「祈りを聞かれる方よ」と依り縋るような、そういう日本となりますよう、執り成しの祈りをこれからも、希望を持って続けていく、それが私たちの使命であり特権です。
 


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-07-19 16:24:11 (1284 ヒット)
2015年礼拝説教

2015年7月19日 日曜礼拝説教 

    詩篇を読む
 
滅びの穴、泥の中から引き上げられたのみか、
新しい歌を、神への讃歌を口に授けられた
 
詩篇40篇1〜11節(旧約聖書口語訳782p)
 
 
〈説教のアウトライン〉
 
1.原点―呻き叫ぶ声が神に聴かれ、滅びの穴、泥沼の中から引き上げられた
2.転換―新しい歌、神に捧げる讃美の歌が、呻き叫びに代えて私の口に授けられた
3.使命―の教えを胸に刻んで、喜びのおとずれを口を閉じずに恐れず語る
 
 
はじめに
 
 日本人が発明したり開発したりした世界的発明品は、数え切れないほどあります。
 
たとえば昨年の秋、三人の日本人(ひとりは米国籍)がノーベル賞の物理学賞を受賞しましたが、スウェーデン王立科学アカデミーは受賞理由を、「青色LEDを使うことにより、白色光を新しい方法で生み出すことが可能となった。LEDランプの登場を受けて、我々は従来の光源に比べて長寿命で高効率の光源を手に入れた」(日経テクノロジー)として、LEDの発明と実用化が「世界を照らす新しい光をもたらした」と称えました。
 
LEDは消費電力が低いため、安価な太陽光を電源として使えるようになり、これによって今まで電力の供給を受けることができなかった十五億人もの人々が、電力の恩恵に与かることができるようになるのだそうです。
 
もっともLEDが自転車のライトにも使われるようになったのはよいのですが、時々、不必要なまでに眩しすぎる光度と光量のライトを点灯している自転車に遭遇しますと、何とかならないものかと思ったりしますが。
 
 ところで胃カメラが日本人医師と光学技師による、苦労に苦労を重ねての発明であることは、十数年前、NHKの「プロジェクトX」で知りました。
 
戦後間もなくのこと、東京大学付属病院の外科医が、胃の中を映し出すカメラを造れないものかと、現在のオリンパスの技師に相談したのがきっかけで、戦後五年しか経っていない昭和二十五年、世界で初めて、「胃カメラ」が誕生したのでした。画期的な発明、開発でした。
 
私も過去に二度ほどお世話になっていますが、次に世話になる時は鼻からのカメラが備えられている病院で受けたいと思っています。
胃カメラ、つまり、食道や胃などを視る「上部消化管内視鏡」は、医療にとって無くてならぬものですが、「カラオケ」もまた日本人の発明品で、今やローマ字の「KARAOKE」で世界中に広まっています。
 
カラオケの特徴は、これが気軽に自己を表現することが出来るツールであることと、コミュニケーションの手段として手軽であるということでしょうか。
尤も最近は、歌がうまいか下手か、ビブラートがどのくらい入っているか、楽譜通りに歌ったかどうかなどを機械が採点するのだそうですが、もしも高得点をとるために機械に合わせて歌うようになるとするならば、それは本末転倒ではないかと思ったりもします。
 
それでも、歌を歌いたい、でも、楽器を演奏する技術がない、身近に伴奏してくれる人もいない、という一般の人にとってカラオケの発明は、とりわけ有り難いことであるようです。
 
でも私たちの場合、日曜日に教会に行けば、ゴスペルやワーシップを歌い易く導いてくれる讃美リード担当者、そして正確無比なだけでなく、時にはその場の雰囲気を考慮して、臨機応変に伴奏をしてくれるピアニストの助けにより、思いのたけを神に向かって思い切り歌うことできるという特権を享受することができています。
機械が採点していたらビビるかも知れませんが、少々音痴であっても教会にはとがめる者はおりません。
どうぞこれからも教会で、歌う、ということを満喫してください。
 
さて、先週で「使徒信条」の講解説教が完了しました。この半年、時には理屈っぽくもなりましたが、皆さまの祈りで支えられて語り切ることができました。
最初の日に予告しましたように、「使徒信条」への取り組みが私たちひとりひとりにとって、そして教会にとって信仰の「体幹」の強化につながることを確信しております。
どうぞ折りあるごとに繰り返し繰り返し、週報に挟まれていた説教要旨やホームページの記事を読んで、神の恵みを味わい直してください。
 
そこでこの夏ですが、一昨年、昨年に続いて、「詩篇を読む」ことに致しました。
今週は通算十一回目として、「滅びの穴、泥の中から引き上げられたのみか、新しい歌、神への讃歌を口に授けられた」と題し、詩篇四十篇を味わいたいと思います。
 
 
1.原点―呻き叫びが神に聴かれ、滅びの穴、泥沼の中から引き上げられた
 
「ここから始めた」、という「原点」を持つ者は幸いな人と言えます。
その「原点」が成功体験であれば、それはそれで幸いですが、痛みを伴う出来事が「原点」であるという場合もあります。そして日本という国の場合、それは間違いなく敗戦という出来事でした。
 
ただ、この敗戦という出来事を利用して、「日本人は恥ずかしい歴史を持つダメな民族である」という自虐意識をこれでもかこれでもかと植え付けたのがGHQであって、これに便乗したのが大手マスコミであり、左翼思想をバックにした政党や労働組合でしたが。
 
それはイスラエルの民の場合、民族共同体としての「原点」は紀元前十三世紀初めの出エジプトの出来ごとであり、宗教共同体としての「原点」は紀元前六世紀のバビロン捕囚からの解放でした。
 
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた」(詩篇40篇1、2節 旧約聖書口語訳782p)。
 
 パレスチナにいた族長ヤコブ(イスラエル)とその子たちが、ヤコブの第十一子であるヨセフの信仰と才覚により、国家存亡の危機ともいうべき大飢饉に対して、ひとり泰然自若としていたエジプトに逃れて、一族の滅亡という危機を脱してから約三百年が経過した紀元前十四世紀、エジプトにとっては国家的大恩人ともいうべきヨセフを知らない王朝が台頭しました。
 
この結果、在エジプトのイスラエル民族は権力の簒奪を恐れた新王朝により、奴隷の境遇に落とされて、苦難の数十年が経過します。
 
 そして、イスラエルの民の呻きに答えて、彼らをエジプトの苦役から脱出させたのが、彼らの先祖アブラハムの神でした。
 神はシナイ半島、ホレブの山において、自らの胸中の思いと計画とをモーセに披歴します。
 
「また言われた、『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。
主はまた言われた、『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これを彼の地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地…に至らせようとしている』」(出エジプト記3章6〜8節 76p)
 
この「出エジプト」すなわちエジプト脱出の指導者として立てられたのが解放者「モーセ」(6節)でした。紀元前一二九〇年のことでした。
そして、これがイスラエル民族の「原点」でした。それはまさに「滅びの穴」「泥の沼」(詩篇40:2)という、「陰府」にも匹敵するような絶望状態「から引きあげ」(同)られるという経験でした。
 
そしてこれはまた、私たち個々人の経験でもあります。ある日ある時、福音を聞いて、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られて、キリストという堅固な「岩の上にお」(同)かれた、それが今の自分であるという経験と認識を「原点」とする者は幸いです。
 
 
2.転換―新しい歌、神に捧げる讃美の歌が、呻き叫びに代えて私の口に授けられた
 
 歴史の転換、民族の転換が起こりました。いつ終わるとも知れない苦難と労役の中で、喘ぎ絶望していたイスラエルの民の口に、神は呻き、呟き、叫びに代えて新しい歌、神を称える讃美の歌を授けてくださったのでした。
 
「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた」(40篇3節)。
 
 それはまた、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られた個々の信者の経験でもあります。
それは人生の悲哀を歌う哀歌でもなく、互いの傷を舐め合うような演歌、怨嗟に満ちた怨歌でもありません。
 
それはかつて歌ったことのない「新しい歌」(3節)であり、神に捧げる感謝の歌、神を称える讃美の歌でした。
この、嘗て歌ったことのないような「新しい歌」(同)は、神が「わたしの口に授け」(同)てくれる「われらの神にささげるさんびの歌」でした。
 
 先週、東京の牛込キリスト教会の佐藤 順牧師が書いた「エルヴィス・プレスリーの真実」という伝道トラクトを、出入りの本屋さんに持ってきてもらいました。
 
エルヴィス・プレスリーについては以前、プレスリーが歌うゴスペル「Take my hand,precious Lord(聖歌557番 慕い奉る主なるイェスよ)」がとっても感動的であるということを紹介したことがあります(20130512日曜礼拝説教「アブラハムの妻サラは、苦い笑いを喜びの笑いへと変えられた」)。
 
実際、you tubeで多くの歌手の「Take my hand,precious Lord」を聴きましたが、プレスリーの歌唱ほど、心を打つものはありませんでした。
もしも比肩しうるとするならば、大衆伝道者のジミー・スワガートがピアノの弾き語りで歌うソロでしょうか。
 
二人とも、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(3節)られたという個人的経験が、「神にささげるさんびの歌」(同)となって、心の底からの祈りとして歌われているのだと思いました。
 
 この伝道トラクトには、「彼(註 エルヴィス・プレスリー)の本当の夢はゴスペル歌手になることだったことはご存知でしょうか」という書き出しで始まって、彼が子供の頃、両親と共に出席していた教会の「礼拝を抜け出しては、近所の黒人教会に行き、そこで説教とゴスペル(黒人の讃美歌)に耳を傾けてい」て、「いつか自分もプロのゴスペル歌手になるのだと決めていた」と、子供時代のプレスリーの夢が紹介されています。
 
 なお、トラクトには「エルヴィスが育った教会」の写真が掲載されていますが、その教会の名称として「First Assembly of God Church」とありました。「Assembly of God」は「Assemblies of God」でしょうか。
 
米国のアッセンブリー教会は、その町で最初に始められた教会に「First(第一)」をつけるのが慣例ですが、彼が生まれたミシシッピー州テューピロの町の、彼が両親と共に通った教会というのは、私たちと同じ系列のアッセンブリーの教会ということになります。
 
プレスリーは一九七七年、「医師が処方した睡眠薬や鎮痛剤などを誤用し」(同トラクト)たことによって、「42歳で心臓発作により急逝」(同)しますが、トラクトの著者はそれは「過労死」であったとします。
 
 よく、「そういう生き方をしていると、畳の上では死ねないだろう」などという言い方を聞くことがあります。しかし、どういう死に方をしたかは問題ではありません。
私が敬愛してやまなかった牧師は、風呂の湯加減を見に行って、あやまって足をすべらし、熱湯の浴槽に落ちて亡くなりましたが、生涯、忠実な聖徒として神に仕えておりました。神の報いは甚だ大きいことと思っています。
 
 問われるのはその心がどこに、そして誰に向かっていたかということです。プレスリーの心と思いはこの世の成功や人々からの称賛にではなく、確かに神に向かっていたのだと思います。
トラクトは記します、「エルヴィス・プレスリーはその派手なイメージとは異なり、真面目で几帳面、神の御心の実現を望む、謙虚な男だった」と。
 
芸能界に身を置けば誘惑もまた多く、間違えることも多々あったことでしょう。しかし、「キング オブ ロックンロール」と崇められたプレスリーはある意味では、生涯にわたり罪の赦しの福音を生きたゴスペル歌手として、神から授けられた「新しい歌」(3節)、「さんびの歌を」(同)歌い続けたとも言えます。
 
 私たちの多くは楽器を奏でる技術もなく、人前で人に聴かせるような声を持っていないかも知れません。
しかし、主から「新しい歌を」(同)心と「口に授け」(同)られ、「われらの神にささげるさんびの歌を」(同)暮らしの中に「授けられ」(同)ていることは事実です。
 
そして、心と口に感謝と讃美の絶えない日常は、必ずや、周囲によい影響をもたらすのです。
 
「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう」(40篇3節)。
 
 
3.使命―神の教えを胸に刻んで、喜びのおとずれを口を閉じずに恐れず語る
 
「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られた者は、自らの経験を神の憐れみの証しとして語りたくなってきます。
 
「わたしは大いなる集会で、救いについての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。わたしはあなたの救いを心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救いとを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを大いなる集会に隠しませんでした」(40篇9、10節)。
 
 詩篇の作者は自らが受けた「喜びのおとずれ」(9節)を「告げ示」そうとします。
「大いなる集会」(同)とは、この詩が捕囚期後のものであるならばシナゴグ(会堂)を意味するものと思われます。
 
 つまり彼は礼拝の場において「くちびるを閉じ」(9節)ることなく、また神の恵みを「隠」(10節)したりしなかったのです。
 
 以前もご紹介しましたが、私たちの教会の開拓時代に手伝ってくれた宣教師夫人の若い頃のエピソードです。彼女は重い病に罹り、病床で必死に癒しを祈ったところ、何と、その病が癒されたという経験をしたそうです。
 
「主が私の身に大いなることをしてくださった」私は機会あるごとに自らに神がなしてくれた恵みを証しし続けていました。しかしある時、「ルースはいつも同じ話しをしている」という声が耳に入ってきてしまったのです。それを聞いた時、心に恐れが来て、以来、証しができなくなり、それと共にあの喜びも薄れていってしまいました。そんなある日の集会で、「神が自分の身にしてくださったことを隠してはならない」というメッセージを聞きました。
 
彼女はそこで口を閉ざしていたことを悔い改め、勇気を出して再び語り始めたのです。そして、あの、失われた喜びが心いっぱいに戻ってきた、というのです。
 
夫人は言いました、「人が何と言おうと、主がして下さったことを語り続けてください」と。
詩人も言います、「わたしはくちびるを閉じませんでした」(9節)と。
 
説教をしなくてもよい、教訓を垂れなくてもよい、自分の人生に示された神の「いつくしみとまこととを」(10節)「隠」(同)さなければよいのです。
 
トラクトの続きです。
 
あるとき、テレビ伝道師の夫人から、『あなたが人生を完全に神にお委ねし、何百万もの人々を神の国に導く伝道の第一人者となるよう祈っています』と告げられた瞬間、エルヴィスの目は涙であふれます。不完全な自分をも神が赦し、受け入れてくださることを体験したのでした。そしてマネージャーの反対を押し切って、ラスベガスのホテルでのショーにまでゴスペルを持ちこんだのです。
 
 それが神が自分に与えた「使命」であると思ったからでしょうか。神からの「使命」を認識する者は幸いです。
 
プレスリーがこの世を去って、間もなく四十年になります。その評価は毀誉褒貶(きよほうへん)、様々かも知れませんが、この人が生涯にわたって神を愛し、神を恐れ、神に従おうとしていたことは事実だと思います。
 
願わくはその生涯に新しい光が当てられて、ひとりの信仰者として生きたことが更に明らかにされていくことを心から願います。
 
最後にヘブル人への手紙から、アベルについて書かれている記事を読みたいと思います。
 
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブル人への手紙11章4節後半 新約聖書口語訳354p)。
 
 ロックの偉大な歌手としてだけでなく、神を求め続け、神への祈りの歌、讃美の歌を歌い続けたプレスリーは既に世にありません。しかし、その「信仰によって今もなお」(4節)、神の救いを「語っている」(同)ように思えます。
 私どもまた、それぞれが神から受けた恵みを「告げ示し」(40篇10節)続ける者でありたいと思います。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-07-12 16:44:21 (1097 ヒット)
2015年礼拝説教

2015年7月12日 日曜礼拝説教 

基本信条としての使徒信条 (21) 最終回
 
「とこしえの命」の付与という約束は、夢まぼろしでは決してない
 
ヨハネによる福音書17章1〜3節(新約170p)
 
 
はじめに
 
最近、よく耳や目にするのが「アンチエイジング」という言葉です。「エイジング」は加齢、もっとはっきり言うと老化であって、「アンチ」が否定とか対抗などを意味する言葉ですから、「アンチエイジング」とは「抗加齢」「抗老化」、つまり加齢や老化を阻止したり抑制したりする手当て、対策、技術、努力などの全般を意味すると思われます。
 
因みに、最近、あるインターネット調査会社が一万二千人の男女を対象に行ったアンケートによりますと、男性の四割、女性の七割が「アンチエイジング」に関心があると答えたそうです。
また、実際の年齢より若く見られたいと思っている人が六割、年相応に見られたいが二割だったとか。
 
人は生き物ですから、生きている限り、時間の支配下にあります。ですから「アンチエイジング」とは、ある人にとっては、自分の身に及ぶ時間の流れの影響というものを、出来る限り遅くすることであるとも言えるかも知れません。
 
しかし、見た目が若く見えるように努力したとしても、内臓や血管などの見えない器官が年齢以上に衰えているならば本末転倒です。
その本末転倒の極致が、健康を重視する余り、「健康のためならば死んでもいい」などと口走るというジョークですが、痩せ願望が高じた結果、見た目は美しくスレンダーであっても、内臓や血管がボロボロという若い人が増えているそうです。
 
時間は冨者、貧者、権力者、一般庶民を問わず、冷厳に、そして時には残酷なまでにその支配下に置いていて、それぞれの持ち時間が尽きた後、そこに待っているのが死という最後の敵です。
 
どこに書いてあったのか記憶が定かでないのですが、昔、フランスにルイ何とかという王様がいたそうです。この王様はとにかく、死を恐れるあまりに臣下に対し、自分の前では一切、死という言葉を使わないようにと命じたということですが、その王様を嘲ったのが有名な皮肉屋の哲学者であったとか。この哲学者が言うには、「それは駝鳥(だちょう)の知恵である」と。
たしか、こんな話でした。
 
この地上で最も速く走ることのできる生き物が駝鳥(だちょう)である。駝鳥は猟師に出会うと全速力で逃げ出す。しかし、悲しいことに駝鳥は長距離ランナーではなく短距離走者であるため、息が続かず、長くは走れない。そこで逃げ切れないと悟った駝鳥は窮余の一策で、砂の中に頭を埋める。
自分には周囲が見えなくなる、だから自分の姿も猟師の眼から隠れていると駝鳥は思い込む。そこを後から追いかけてきた猟師が、「頭隠して尻隠さず」の駝鳥を、悠々と捕獲してしまう。
「王様はこの駝鳥と同じだ。死という言葉を自分の回りから排除したからといって、死から逃れられるわけではないのだ。彼がしたことは駝鳥の思考と変わらない」
 
一月から取り組んできました「使徒信条」の講解説教も、今回で二十一回目の最終回を迎えることとなりました。
最初は上半期のうちに十九回で終える予定でしたが、二回に分けた方がよいと思える主題が二つありましたので、七月に入ってしまいました。
 
ところで、人間である私たちのの最大の関心事は、何と言いましても人生の終末としての死でしょう。「しゅうかつ」と言いましたら少し前までは就職活動の「就活」でしたが、最近の「しゅうかつ」は「終活」のことなのだそうです。
 
そして一般に「終活」と言いますと墓の準備とか身の回りの整理などを意味するのですが、真の「終活」とは人の死後の状態を知り、自らの行く先をしっかりと確かめることではないかと思います。
 
このことに関し「使徒信条」は、その第三条の霊霊の働きに関する告白において、人の死後のかたちとしては「からだのよみがえり」とし、死後の状態としては「とこしえの命」として告白します。
 
そこで「使徒信条」の最終回の題目は、「『とこしえの命』の付与という約束は、夢まぼろしでは決してない」としました。
この世の知者、識者には荒唐無稽にも思える「とこしえの命」は、決して夢や幻ではなかったのです。
 
 
1.人類の永遠の夢であったもの、それが不老長寿、不老不死
 
戦国武将として人気があるのが織田信長です。その織田信長が人生の要所要所で謡い舞ったのが幸若舞の「敦盛」の一節だったそうなのです。有名なのが桶狭間の戦いに際し、これを謡い舞い、それから出陣をしたそうですし、本能寺の変においてもこれを謡い舞ったと伝えられています。
 
この「敦盛」は源平の戦いの一つ、須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で平敦盛の首を討ち取った熊谷次郎直実が、後にこれがトラウマとなって出家を志す中で、世を儚んで詠ったとされています。
 
人間五十年 化天(けてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり 
一度生を享け 滅せぬもののあるべきか(「敦盛」幸若舞)
 
 「人間五十年」とありますが、ここでの「人間」はこの世とか人の世を意味するものなので、「にんげん」ではなく「じんかん」と読むのがよいそうです。
 
化天(けてん)のうちを比ぶれば」の「化天(けてん)」は「化楽天(けらくてん)」とも言いますが、仏教の世界観の「天上界」の下部の「六欲天」の一つであって、そこに住む者の寿命は八千歳とのことです。
 
なお、信長はこれを「下天(げてん)」と謡ったそうですが、「下天」は「六欲天」の最下層の天で、その住人の寿命は五百年だそうです。
 
「化天」にしろ「下天」にせよ、とにかく、この世において権力の頂点に登り詰め、あるいは成功を果たして称賛を享けたとしても、それはせいぜい五十年という短さでしかない人間の、儚さ、脆さを嘆いたのが「敦盛」の一節でした。
 
しかし、この現実を受け入れることができなかった権力者がいました。群雄割拠の中華世界を初めて統一した秦の始皇帝です。
彼は不老不死の霊薬を得るべく、徐福という人を東方にあるという蓬莱(ほうらい)に派遣するのですが(紀元前219年)、徐福の帰還を俟たず、四十九歳で死去してしまいます。紀元前二百十年のことでした。徐福は今でいう詐欺師みたいな人だったのでしょう。
 
始皇帝に限らず、不老長寿、不老不死は人類全般の変わらぬ夢でした。そういう意味では進歩の著しい近代医学、最新医療の発展は、夢の不老長寿への形を変えた挑戦であるかも知れませんし、「アンチエイジング」などの試みは、思いっきりハードルを下げた憧れであるのかも知れません。
 
もちろん、長く生きること、出来る限り健康で暮らすことを願うことはよいことです。
「PPK運動」というものがあるそうです。「PPK」とは「ピンピンコロリ」の略ですが、長寿日本一の県である長野県で、最も長寿の地域が佐久市だそうで、この佐久市には「ぴんころ地蔵」なるものが建立されているそうです。
 
佐久市と言えば堂場瞬一の警察小説「アナザーフェイス」の主人公である大友鉄刑事が、この佐久市出身であることを最新刊の「高速の罠」で知りました。
この作家の小説は、主人公の心理分析、心理描写がウジウジと長いのが特徴で、謎解きを求める読者としてはいい加減イライラすることが多いのですが、このシリーズに限っては比較的早いテンポで物語が展開します。
 
なお、「ぴんころ地蔵」のご利益については、まだ調べておりません。
 
しかし、人はいつかは死にます。ローマ時代に発展した初期ユダヤ教に「死人の復活」という信仰に見られますように、死後への希望が顕著ですが、バビロン捕囚以前のヘブライ民族の死生観は、きわめて現世的であったようです。
長命、富裕、美貌、子沢山など、目に見える繁栄が神の祝福の象徴とされる一方、短命、貧困、不妊などは神から見放されたしるしとされていたことが、旧約聖書の物語から窺い知ることができます。
 
でも、死後の運命は共通していて、正しい者も悪しき者も等しく行くところが陰府(黄泉)であるとされ、陰府は神のいない所であり、希望もなく、ただただ死者が空しく漂うところと考えられていたようです。
 
「死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、だれがあなたをほめたたえることができましょうか」(詩篇6篇5節 旧約聖書口語訳753p)。
 
 では、現実はどうかと言いますと、現実の人生は骨折りと悩みの連続であるという嘆きを、詩篇の中に見ることができます。
 
「われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです」(詩篇90篇10節)。
 
だからこそ、イエスの時代のユダヤ教では現世利益の結晶としてのメシヤ王国への待望と、死後における不老不死の実現としての「死人の復活」が強調されたのだと思われます。
 
 
2.不老不死としての永遠の生命は、夢まぼろしでは決してない
 
では、不老不死としての「永遠の生命」は、所詮、夢や幻でしかないのかといいますと、決してそうではありません。
使徒信条が告白するまでもなく、不老不死としての「とこしえの命」の付与は確実な約束です。
 
ただ、「不死」といいましても、古来、キリスト教会にはいくつもの不死説がありました。
同志社大学の故大塚節治元総長の著書によりますと、不死説には三つの説があるとのことです。
 
第一は天国に行く者と地獄に行く者との二様に分かれるとする二元的不死または甦りの信仰、
 
第二はすべての者が究極においては天国に行くとする一元的不死、または甦りの信仰である。これは万人救済説(Universalism)と呼ばれる。
 
第三は救われる者のみ永存するとなすもので、これを通常、条件的(conditional)不死また甦りと呼ぶ。
それは救われるという条件に叶う者のみが甦り、永存するとなすゆえんである(大塚節治著「キリスト教要義」301p 日本基督教団出版局 1971年)。
 
なお、「条件的不死説」では、「どうしても頑強に神に反抗する者は神によって無に帰せしめられる。換言すれば神に帰順するという条件のもとに永生が与えられる」(上掲書303p)そうで、「無に帰せしめられる」とは、要するに絶滅するという意味です。
なお、この「条件的不死説」を採用する教会は現在、多くはないようです。
 
素朴に考えれば「一元的不死説」の、「すべての者が究極において  は天国に行くとする」、いわゆる万人救済説は、私たちの目には極めて魅力的な説に映りますが、この説は、保守的ではない、どちらかと言いますとリベラルな信仰を持つ教会やキリスト教徒が支持をしているようです。
 
では保守的教会は、と言いますと、「二元的不死説」を支持しているようです。では使徒パウロは、と言うと、パウロもどうやら「二元的不死説」を主張していると思われます。
 
「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと憤りとが加えられる」(ローマ人への手紙2章6〜8節 新約聖書口語訳234p)。
 
 問題はこれらの神学説が、国民の大多数がキリスト教徒であるあるいはあった、いわゆるキリスト教国で論じられてきた学説であって、では国民の大多数が非キリスト教で構成される我が国の場合はどうなるのか、ということなのです。
 
 福音派教会を結集しているとされる日本福音同盟(JEA)の信仰基準では、「キリストを信じない者は永遠の刑罰に定められる」と明確に謳われているのですが、そうなりますと、日本人の多くは「永遠の刑罰に定められる」ことになる「キリストを信じない」者になってしまうのでしょうか。
 
 統計では我が国の現時点でのキリスト教人口は総人口のせいぜい一パーセントです。戦後、マッカーサーの個人的野望もあってキリスト教ブームが起こり、このまま行くと日本もキリスト教国になるのではという期待が米国で持たれたりもしましたが、それは一時的な現象でした。
戦後七十年の今日も「一パーセント」で推移しているのが現実です。
 
 では、キリスト教徒ではない九十九パセントの日本人は、「キリストを信じない」者として「永遠の刑罰に定められ」ているのでしょうか。
 
 一つの手掛かりがパウロの書簡にあります。
 
「すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じることを行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。
彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現わし、そのことを彼らの良心と共にあかしをして、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。
そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリストによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう」(ローマ人への手紙2章14〜16節)。
 
 もしもこのパウロによる記述が、福音を聴くことのないままこの世を去った人に適用されるとすれば、神が「良心」(15節)的に生きた日本人のひとりひとりの生き方を丁寧に調べて、適切な判断を下すことになるという希望があります。
 
 でも、大事なことは、御子を信じる者は確実に永遠の生命に与かることができるという事実です。そして伝道の意義はそこにあります。
 
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節 139p)。
 
 
3.生ける神との究極の和合の永続こそが、永遠の生命の本質
 
「永遠の命」についてはこのように、不老不死という観点から見ることが通常なのですが、不死という、いわゆる量的長さは永遠の生命の本質ではありません。
実は量的長さは、永遠の生命という本質の結果です。では永遠の生命の本質は何かと言いますと、それはイエス・キリスによる生ける神との和合にあるのです。
 
最後の晩餐における弟子たちへの説教のあとに捧げられた父なる神へのイエスの祈りに、それが示されています。
 
「永遠の命とは、唯一のまことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」(ヨハネによる福音書17章3節)。
 
 イエスは断言します、「永遠の命とは」(3節)「唯一のまことの神」(同)と、「イエス・キリストとを知ることであ」(同)ると。
では「知る」(同)とは何かということですが、それには知識として「知る」以上の意味があります。
 
それは人格的に交わること、密接不離の一体になることを意味します。
 つまり、「永遠の命」(同)とは父なる神、子なるキリストとの不断の交わり、和合という質的な面こそが本質であって、量的長さは神との和合という本質に対する賜物、贈り物なのだということです。
 
「使徒信条」の最後が「とこしえの命を信ず」という告白で締め括られているのは、「使徒信条」という信仰告白がこれに集約されているから、神の大いなる恵み、憐れみがこの告白に凝結されているからだと思われます。
 
まさに、敢えて人類という病者の主治医となられた父なる神と、死に至る病の特効薬となられたイエス・キリストの犠牲、そして聖霊なる神の細密な看護の結晶としてもたらされたもの、それが「とこしえの命」であって、その内実が神と御子とを「知ること」(3節)なのです。
 
そうであるならば、「とこしえの命」は死後に享けるものではなく、この世において、「イエスは主である」と告白したその瞬間に享けているとも言えるのです。その証拠があのテロリストへのイエスの宣言です。
 
「イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』」(ルカによる福音書23章43節)。
 
「使徒信条」の完結にあたり、このような豊かでまことに有り難い告白に導かれていることを感謝すると共に、ひとりでも多くの同胞がキリストの教会に導かれ、あるいは聖書の言葉を通して、この「とこしえの命」に与かることができますよう、これからも心を合わせて祈り、命に満ちた福音の伝達に努めていきたいと思います。
 
この半年、「使徒信条」の拙い説教を聴いてくださり、また説教要旨、教会ホームページを読んでくださった方々の上に、生ける神と御子と、そして聖霊なる神の祝福が、常に豊かに注がれますように。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-07-05 16:25:31 (882 ヒット)
2015年礼拝説教

15年7月5日 第二回日曜特別礼拝説教 

祝福された人間関係 その二
 
こじれた人間関係を立て直す和解のための知恵
 
ローマ人への手紙12章17〜21節(新約口語訳249p)
 
 
はじめに
 
その晩年、色紙に好んで野菜などの絵を描き、これに自身の言葉を揮毫したのが小説家の武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)ですが、その中でも一般に最も好まれた言葉が、「仲良きことは美(うるわ)しき哉」でした。
 
当教会の一階にも、それを模倣したのか、胡瓜とトマトの絵の横に「互いに愛し合いなさい」という聖句が書かれ色紙が以前から、和風の丸い額に入って掛けられています。
購入したのか寄贈されたのか記憶にないのですが、サインが「昇太郎」とあります。どちらの「昇太郎」さんか定かでありませんが、見ると心が和むのは確かです。
 
「仲良きこと」、それは誰もが願うことではあります。
もっとも、こちらは仲良くしたい、なりたいと願っても、異常な敵愾心をもって何だかんだと、理屈に合わない理由からイチャモンをつけてくる人あるいは国が出てきたりしますと、いい加減うんざりもしてしまいますが。
 
こういう人(国)には武者小路実篤の「君は君、我は我なり されど仲良き」という名言を贈ってやりたいと思うのですが、「そうはいかない、我々の主張する歴史認識を認めて謝罪せよ、賠償せよ」と言ってきたりしますから何とも厄介です。こういう手合いは距離を置いて、相手にしないことが賢明かも知れません。
 
 さて、本年の日曜特別礼拝における「祝福された人間関係」シリーズの初回(6月7日)では、「人間関係を滑らかにする潤滑油」についてご紹介しましたが、二回目の今回はこじれた関係を立て直す秘訣について考えたいと思います。
 
ただし、「秘訣」といいましても、そんなに大それたものではありません。あったり前の心得なのですが。
 それはともかく、今回のタイトルは「人間関係を立て直す和解の秘訣」です。
 
 
1.この社会においては、できる限りすべての人と和らぐ
 
人間関係の面倒臭さについて、人口に膾炙(かいしゃ)されている有名な言葉があります。明治四十(1907)年に刊行された夏目漱石の「草枕」の冒頭の一節です。
 
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、くつろげて、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ(夏目漱石著「草枕」旺文社)。
 
これは作者である漱石自身の実感であったのかも知れません。「住みにくさが高じると、安い所」つまり人間関係に煩わされない暮らし易いところに「引き越したくなる」という記述は、この文豪の願望そのものだったのでしょうか。
 
「住みにくいところを」「束の間でも住みよく」するためには最低限、人と争わない、揉めないという関係を保つことが重要です。そして、そのような関係を保つ秘訣の一つが「付かず離れず」、つまり、深入りをしない関係を保ち、付き合いはほどほどにする、会えば挨拶を交わす程度、という関わり方です。
 
その点、女性同士の関係はなかなかそうも行かない、ということもありますし、地域性、たとえば関東と関西では気質の上での濃淡が異なる場合があります。
問題は、こちらとしては付かず離れずでいきたいのに、ずんずんと距離を縮めて来られるようなケースです。そのような場合、一定の間隔を保とうとしますと、冷淡だと、機嫌を悪くされたりもします。
 
また、これまでよりも関係を深めようとして、つまり仲良くなろうとした結果、その過程で行き違いが生まれて関係がこじれてしまうというような場合もあります。
善意があればうまく行く、というものでもありません。「仲良きことは美(うるわ)しき哉」といいましても、気持ちや言葉に齟齬が生じて、かえって亀裂が生まれることもあります。
まさに「とかくに人の世はすみにくい」ものでもあります。
 
しかし、折角神によってこの世に呼び出されたのですから、住みにくい世の中における日々を楽しみ、滑らかな人間関係を保ち、さらに和やかな和解の関係へと昇華させたいものです。
 
そこで今月はまず、一世紀の半ばに、ローマ帝国の首都のローマで信仰の戦いを続けていた信徒たちに宛てて使徒のパウロが書いた書簡の一節を読むことにしたいと思います。
 
「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」(ローマ人への手紙12章18節 新約聖書口語訳249p)。
 
 ここでいう「平和」(18節)とは、単に争わない、諍(いさか)いを起こさないということよりも、もう少し積極的な意味において、仲の良い関係を構築する、ということです。
 
ここで使徒が言う対象は「すべての人」(同)です。好ましいタイプの「人」だけではありません。苦手な「人」も含まれます。
ただし、それは絶対に、ということではありません。「できる限り」(同)です。聖書は理想を掲げて無理強いをするようなことはしません。「できる限り」でよいのです。
そこで、「できる限りすべての人と平和に過ご」す、つまり和らぎの関係というものを築くよう、努めていきたいと思います。
 
 
2.謝らねばならない時には、進んで謝ることを心掛ける
 
しかし、関係がこじれてしまうということがあります。そこで、福音書から「和解」に関するイエスの二つの勧めを読んでみたいと思います。
場面の一つは自分が人に恨まれているような場合、そしてもう一つは自分が訴えられているという場合です。
まず、人に恨まれている人の場合です。
 
「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい」(マタイによる福音書5章23、24節 新約聖書口語訳6p)。
 
そして、訴えられている人の場合です。
 
「たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい」(ルカによる福音書12章58節 111p)。
 
ここで「和解し」(マタイ)あるいは「和解する」(ルカ)と訳された原語は、語幹が少し違いますが、「変える」という語が基本の言葉です。
つまり、「和解」とは、自らの過失に気づいた者が自らを「変える」こと、それが基本となって成立します。
 
その場合、自らの非を認めて「謝る」という態度、行動に出ることが和解の第一歩となるわけです。自らに非がある場合、「謝る」ことを先延ばししてはなりません。
 
ただし、身に覚えがない場合はその限りではありません。日本文化の特徴の一つは、先に謝ってしまうというところにあります。
時々、「レコードチャイナ」という、中国大陸や朝鮮半島のネット情報を紹介するサイトを覗くのですが、先週の日曜日のサイトに、中国のネットで紹介された「日本に長く滞在すると身に付く12の習慣」という記事に笑ってしまいました。
 
そこには「電話で話しているときに思わずお辞儀をしてしまう」とか、「ごみのポイ捨てをしなくなる」とか、「家の鍵を閉め忘れたのを思い出しても気にならない」、「天気予報を完全に信じる」などが、自分の習慣になったとありました。
 
そういえば二、三年前の同サイトへの投稿で、「日本で悪い癖がついてしまった」というタイトルで、「中国に帰国してからも、買い物をしてもお釣りを確かめなくなってしまった」とか、「お札を太陽や照明にかざさなくなってしまった」などという、日本で身についてしまった「悪い習慣」があげられていたのを思い出しました。
 
釣銭を確認しないのは日本のレジが正確無比である上に店員が正直であるということ、そして札を確かめないのは日本では偽札をつかまされる心配が皆無だからなのですが、あえてそれらを「悪い習慣」としたところに、この投稿者のユーモアのセンスを感じました。投稿を読む限り、中国人にはユーモアを解する人が多くいるようです。
 
さて、「12の習慣」に戻りたいと思います。投稿者が筆頭に挙げた「習慣」が、「『すみません』が口癖になる」というものでした。
実はこれこそが日本人の特質であって、自他共に過失があったとしても、先ず自分から「すみません」と謝ってしまう、そうなれば相手も「いえ、いえ、こちらこそ、すみませんでした」となるわけです。これが一般の日本人の経験です。
 
多神教の日本は、世間体を気にする「恥の文化」で、一神教の西欧が神を意識する「罪の文化」だと主張したのは米国の文化人類学者のルース・ベネディクトでしたが、この人は日本のことなどよく知りもしない、米国政府の御用学者であって、その主張には何の根拠もなく、学問的でもありません。
 
アジアやアフリカを植民地にして搾取の限りを尽くしながら、今に至るまで謝罪をしない西欧の先進諸国、また、原爆を投下して無数の無辜の民を虐殺しながら、それは戦争を終わらせるためであったと臆面もなく嘯く米国のどこが、罪意識が敏感な「罪の文化」でしょうか。
 
また、一切の責任をナチになすりつけて、自分たちは謝罪をした、国際的責任を果たしたと弁明するドイツのどこが「罪の文化」でしょうか。
 
むしろ、古来、罪意識を持った「罪の文化」を精神的、文化的伝統として育んできた民こそ、日本人でした。
その伝統に付け込んで「謝罪せよ」「賠償せよ」と執拗に要求し続けているのが隣の某国です。
 
勿論、謝らなければならないことをしたのであれば潔く罪を認めて謝罪しなければなりません。しかし、身に覚えがないのに謝るのは偽善でさえありますし、その場しのぎの不誠実な行動は何よりも正義の神が嫌うところです。
大事なことは、事実は何であったのかということの究明です。
 
たとえば「ヘイトスピーチ」という用語がマスコミに良く出てきます。「ヘイト」は憎悪、「スピーチ」は発言です。
確かに一部の団体の言動や行動にそれらしいものも見られますが、本屋の店頭に並ぶいわゆる嫌韓本までもこの範疇に入れようとする動きはどうかと思います。
 
私の個人的見方では、いわゆる「嫌韓ムード」は韓流ブームなどの造られたブームによって美化されていた隣国の実態や、歪曲されてきた歴史的事実というものを日本人が正しく知った結果として、必然的に醸しだされてきたムードではないかと思うのです。
 
事実を知ってしまえば、「謝れ」と言われても、何を謝るのか、何で謝る必要があるのか、ということになるわけです。
確かに日本人同士の場合、少々理屈に合わなくても、とにかく謝りさえすれば「わかった」ということでその場が丸く収まるということがありましたし、今でもあります。
しかし、それは国際社会では通用しません。「負けるが勝ち」ではなく、「負ければ永遠に負け続け」、それが国際社会の現実です。
 
人格つまりパーソナリティの障害に「自己愛性人格障害」というものがあります。その特徴は自分は百パーセント被害者であって、相手が百パーセント加害者であるという認識にあります。
 
こういうタイプの人、あるいは国には出来るだけ関わらないことが賢明だそうです。何しろ、そう思い込んでおりますから、相手側の要求を百パーセント飲まない限り、満足するということはありませんし、仮に百パーセント飲んでも、それで終わるかといいますと、かえって要求はエスカレートするばかりとなります。
 
確かに「謝る」のは美徳であり、勇気ある態度です。しかし、謝る必要がない場合、敢然として謝らないということもまた美徳であり、勇気ある行動なのです。
要は、謝るべきことかそうでないかを見極める判断力にあるといえます。
 
 
3.怒るべき時には怒る、ただし、正義の神の怒りに任せて
 
では、立場が変わって、自分が被害者であるという場合はどうでしょうか。
 
このことに関して理不尽な仕打ちを受けることの多かった被害者代表のような使徒パウロが、ローマの信徒たちに対し、二つの勧めをしております。
 
一つは自分で報復をするのではなく、正義の神に任せよ、というものでした。
 
「愛する者たちよ。自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである」(ローマ人への手紙12章19節)
 
 この「復讐はわたしのすることである」(19節)の部分は文語訳では「復讐するは我にあり われ これに報いん」と訳されて、それが映画のタイトルにもなったりしましたが、本来は自分で仕返しをするという私的報復をせずに、怒りというものを神の正義に委ねよ、という意味です。
 
パウロは「と書いてある」(同)と言ってますが、それがどこに書かれているかと言いますと、モーセ五書の申命記です。
 
「彼らの足がすべるとき、わたしはあだを返し、報いをするであろう」(申命記32章35節 旧約聖書296p)。
 
これは「理不尽な目に遭っても我慢しろ、辛抱しろ」という意味ではありません。「正義の神に、神の正義に一切を委ねよ」という勧めです。
 
人の報復は報復を招きます。それが報復の連鎖です。ですから聖書(旧約)は「目には目を、歯には歯を」という律法で、公的裁判によって加害者に同程度の償いをさせることにより、私的報復の連鎖を断ち切ろうとしたのでした。
 
「目には目を、歯には歯を」という古代の規定は、報復を是認するものではありません。むしろ、これは「同態復讐法」と言いまして、報復の連鎖を断ち切ろうとする古代の知恵なのです。
 
このような規定とその精神を理解しつつ、その上で、人の行う不完全な裁判をうまく凌いだと思った者については、すべてを見通す神に委ねよ、という勧めが第一の勧めでした。
 
そしてもう一つの勧めが、「善をもって悪に勝て」という勧めでした。
これは具体的には、敵に対して「報復をする」のではなく、反対に「情けをかけよ」という勧めです。
 
「むしろ、『もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである』」(12章20節)。
 
 この「あなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい」(20節)という驚くべき勧めは、知恵文学の結晶である箴言にあります。
 
「もしあなたのあだが飢えているならば、パンを与えて食べさせ、もしかわいているならば水を与えて飲ませよ。こうするのは、火を彼のこうべに積むのである。主はあなたに報いられる」(箴言25章21、22節 912p)。
 
 こうなりますともう、有徳の聖人の領域のように思えてしまいます。しかし、キリスト教の歴史を見ますと、時々、これを実践した名もなき人が出てきます。
そしてパウロは励まします、悪には悪で対抗するのではなく、善で対抗せよ、と。
 
「悪にまけてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」(12章21節)。
 
報復するということは「悪」に対し、「善をもって」対応することであって、これを実践したのが主イエスであり、そのイエスを愛してやまなかったパウロその人でした。
 
凡人である私たちにとって、これを実践することは至難の業といえます。しかし、仇する者の上に、神の祝福があるようにと、ひと言でも祈るということが、この勧めを実践したこと、つまり、「善をもって悪に勝」(21節)つということなのかも知れません。
そして、それ自体、大変な勇気であることもまた、事実です。
 
なぜかといいますと、人の怒りはたとい正当なものであったとしても、しばしば、破壊の力となって現われることがあるからです。それが長老ヤコブの指摘でした。だからこそ、神に委ねることがベストなのです。
 
「人の怒りは神の義を実現しないからです」(ヤコブの手紙1章20節 新共同訳)。
 
 他者から理不尽な仕打ちを受けた場合、泣き寝入りをするのではなく、正規の機関を経て、相手の非を訴えること、時には償いを求めることは古代から現代まで、個人の正当な権利です。
 
 しかし、そのような場合でも、最終的には裁量を神の正義に、あるいは正義の神に委ねることが求められています。なぜならば、人が私憤という個人的感情をバネにして行動した場合、現われる結果はその願いとは裏腹に、破壊や苦痛であることが多いからです。
 
 そういう意味では、和解はまず、自分自身の内部において、主なるキリストの仲介により、自身の頭すなわち理性と自身の心すなわち感情との間で実現されるべきものなのかも知れません。
 そしてその時、「仲良きことは美しき哉」という感慨が自然に湧いてくると思われます。


投稿者 : famillia 投稿日時: 2015-06-28 16:10:00 (962 ヒット)
2015年礼拝説教

2015年6月28日 日曜礼拝説教 

基本信条としての使徒信条
 
究極の望みは霊魂の不滅にはなく、「からだのよみがえり」にある
 
コリント人への第一の手紙15章42〜44節(新約275p)
 
 
はじめに
 
私ごとですが、この三カ月、なかなか止まらない咳のため、皆様に心配や迷惑をおかけしました。幸い、わが教会の附近には各種のクリニックと薬局が開業しております。徒歩で三十秒のところには整形外科と皮膚科があり、一分のところには眼科と耳鼻咽喉科が、そして三分のところには内科があります。
まことに恵まれた位置環境に教会があります。大概の疾患はこれらのクリニックで間に合います。
 
咳ですが、症状が出たのは三月半ばで、風邪をこじらせたかと思い、まず徒歩三分のところにあるかかりつけの内科に行って、処方された薬を飲んでいたのですが、五日目の朝、喉が腫れあがっているような感覚になったため、鼻から入れるカメラで喉の奥を見てもらおうと、徒歩一分ほどの耳鼻咽喉科を受診しました。
 
診察の結果は、喉全体に炎症があり、特に食道の入り口の炎症がひどくなっているとのことで、抗生物質その他計五種類の薬を処方されたのですが、原因については何とも言えないということでした。ただ、医師の口ぶりから加齢が匂わされました。
 
咳が続くと声帯がダメージを受けて、声が出なくなる、声が出なくなると話しができなくなる、話しが出来なくなるということは説教することができなくなるということですから、説教のできない牧師は不要ということになります。
 
幸い、咳も治まり、声も回復してきて、先々週の耳鼻科での診察では、ほぼ完治ということになりました。もっとも、「ほぼ完治」という言い方は、日本語としてはどうかと思いますが、それはさて置き、長い間、生きてきてはいましたが、咳が三カ月も続いたという経験は初めてのことでした。
今後、原因の一つとしてそれとなく示唆された「加齢」を意識して、健康管理に努めるべきことを思い知らされました。
 
加齢といって思いつくのが記憶力に加えて、体力、筋力、運動能力の低下です。
この時期、自宅の玄関横の枇杷の木が鈴なりの実をつけます。その実を狙って数十羽の鳥が来て、せっせと啄んでいるのですが、そこで完熟した実を所有者としても堪能すべく、枇杷の木に登ろうとして枝に飛びついたのはいいのですが、体を思うように持ち上げることができず、懸垂能力が落ちていることを痛感させられました。
 
結果、普段は使わぬ筋肉に無理を強いたため、三日経った今日も、上腕二頭筋の裏側の痛みが去りません。
年月と共に加齢は確実に進行してきます。そして加齢の先には死というものが待っています。
 
ある有名な哲学者が、「人は生まれた時から死に向かっている」と言ったそうですが、死んだ先について、つまり、人は死んだらどうなるのか、ということを気にしない人はいません。
人が死んだら存在自体が消滅してしまうのか、霊魂として存在し続けるのか、それとも…と、真剣に考えれば考える程、懊悩は尽きないものです。
 
「使徒信条」は死後の問題について、終わりの二つの告白である「からだのよみがえり(を信ず)」と「とこしえの命を信ず」の項目で挙げております。
 
そこで今週は「(われは)からだのよみがえり(を信ず)」において、人のからだは死後、どのようなかたち、状態になるのかということを、そして最終回の「(われは)とこしえの命(を信ず)」では、不死という究極の希望について取り上げることとしました。
 
 
1.霊魂不滅の教えは、慰めではあるが中途半端な希望でもある
 
異なった教えを混ぜ合わせた宗教を「シンクレティズム」と言います。日本語にしますと「混合主義」とでもいうのでしょうか。
 
日本の福音派はこれを間違ったものとして排除することを宣言しているのですが、実はキリスト教の教えとされるものには、種々雑多の思想や宗教観、地域の習慣や思い込みというものが入り混じっているのです。そしてその最たるものが、人が死ぬと体を離れた霊魂が天に昇ってキリストの懐に抱かれるという信仰でしょう。
 
この考えの由来は、おそらくはイエスによる「金持ちとラザロ」の譬え話が根拠ではないかと思います。
 
「この貧乏人がついに死に、御使いたちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持ちも死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた」(ルカによる福音書16章23節 新約聖書口語訳117p)。
 
 しかし、譬え話から教理を引き出すことは厳禁です。またこの譬え話はユダヤの民間に伝わっている説話をイエスが自由に改変したものであって、それは当時のユダヤ人の間に流布されていた考え方でしかありません。
 
つまり「アブラハムのふところ」が、イエス・キリスト「のふところ」あるいは胸に変わって、人が死んだらイエスのもとで安らぐという構図になったというわけです。
 
 そしてこのような信仰がユダヤ教に生じた背景には、ペルシャ宗教、そしてギリシャ思想の影響があるということが考えられます。
 ペルシャ宗教とギリシャ思想の特徴は二元論にあるのですが、特にギリシャ思想の二元論は、「霊魂は善で永遠不滅、物質は悪で朽ちゆくもの」というもので、これを「霊肉二元論」といいます。
 
ギリシャ人は、人の肉体は物質でしかなく、しかもその内に不滅の霊魂を閉じ込めている牢獄のようなものであって、死は霊魂を牢獄から解き放つ喜ばしい出来ごとであると考えていました。これを「霊魂不滅の思想」といいます。
 
 「人は死ぬ、そして死と共に存在が終わる」としていた仏教に、人が死んだ後、魂が極楽に救済されるという教義が生じたのも、このギリシャ的な「霊魂不滅の思想」の影響があると思われます。
 
過去に、日本にキリスト教が入ってきた時に、布教のためにキリスト教側が強調したのは、死に際して、人の体は地中に葬られ、あるいが荼毘(だび)にふされはするが、魂はキリストのもとに行き、一切の労苦から救済、解放されて安息を得る、という教えでした。
 
この教えが一般化した理由の一つとしては、唯物思想に対する弁証という側面もあったのではないかと思います。
戦後、マルクス主義が一気に浸透してきました。この思想の根底にあるものは無神論、唯物論であって、そこには神はいない、死後もない、人は死んだら終わり、という考えがあります。
 
この思想に対抗する意味において、死後の生命というキリスト教の教えを強調する際、都合がよかったのが霊魂不滅の思想だったのでしょう。 
つまり、便宜的に取り入れられた教えがいつの間にか、キリスト教の教えとして定着をしてしまったというわけです。
 
しかし、霊魂不滅の思想は本来のキリスト教教理とは似て非なるものなのです。なぜかと言いますと、人が亡くなった直後に、キリストのもとで安らうことになるのであれば、それで「メデタシメデタシ」となり、救済完了ということになってしまいかねないからです。
 
そうなりますと当然、死者のよみがえりも必要なくなります。なぜなら、一番大事な魂は既にキリストの許にあって、平安の中に憩うているわけですから。
 
たしかに人情という面から見た場合、霊魂の不滅という考えは、愛する者を亡くした遺族にとって大きな慰めであったことは事実でした。
しかし、それは中途半端で不完全な救いでしかないのです。その愛する者たちのために神が備えている救済は、霊魂の救いなどではなく、完全かつ完璧なかたちでの救済です。
 
EU(欧州連合)がいま、ギリシャの債務問題で揺れていますが、ギリシャがEUの前身であるEEC(欧州経済共同体)に加盟した時、西欧全体が歓喜をしたものでした。なぜかと言いますと、西欧にとって古代ギリシャの精神文明は憧憬の対象であったからです。
当然、ギリシャ思想もキリスト教の信仰に影響をもたらしましたが、その一つが実は「霊魂不滅」という考えだったのです。
 
以前、フランスの神学者、オスカー・クルマンの著書、「霊魂の不滅か死者の復活か」をご紹介しましたが(20140417 日曜礼拝説教)、クルマンはその中で死を友として迎えたソクラテスと、死を人間の敵、恐怖として捉えていたイエスを対比することによって、霊魂不滅の思想がキリスト教とは無縁であることを例証しています(オスカー・クルマン著 岸千年・間垣洋助訳「霊魂の不滅か死者の復活か」25〜27p 聖文社)。
 
 
2.霊魂の不滅ではなく「からだのよみがえり」こそが究極の望み
 
では、霊魂不滅の教えが中途半端な救いであるとしたら、完全、完璧なかたちとは如何なるものなのかと言いますと、それが使徒信条が聖霊の賜物の一つとして告白する「からだのよみがえり」なのです。
 
「からだのよみがえり」はラテン語原文では「カルニス(体の)レスレクティオ(復活)」です。
 
ただし、この言葉は新約聖書にはなく、これに近い表現が「死人のよみがえり」あるいは「死人の復活」です。「死人の復活」はユダヤの最高法院(サンヒドリン)におけるパウロの弁明に見ることができます。
 
「パウロは、議員の一部がサドカイ人であり、一部はパリサイ人であるのを見て、議会の中で声を高めて言った、『兄弟たちよ、わたしはパリサイ人であり、パリサイ人の子である。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、裁判を受けているのである』」(使徒行伝23章6節)。
 
パウロはここで「死人の復活の望み」(6節)という言葉を使うことによって、パリサイ人たちの理解を得ようとします。
 
議会の主な構成は、親ローマで合理主義的思想を持ったサドカイ派と、保守的立場に立つパリサイ派でなされていたようです。
このパリサイ派に代表される保守的ユダヤ教は、天使の存在も復活も信じない合理主義的、現世主義的思考のサドカイ派とは異なり、最終的希望としての「死人の復活」の教えを堅持しておりました。
 
しかし、ユダヤ教のそれとキリスト教の教理とは、使っている用語は同じでも、その中身は微妙に違ったものでした。
ユダヤ教が「死人の復活」というときの「死人」はあくまでも、墓に埋葬された肉体を意味しました。
ですから、イエスの埋葬でもわかるように、香油を塗った遺体を亜麻布で丁寧に包んで、来たるべき復活に備えたのでした。
 
実は、このユダヤ教の復活観がキリスト教徒にも浸透して、ユダヤ教と同じような理解を持つ人が今でも大勢いるようなのです。
 
二十数年前、聖地旅行に参加する機会を与えられましたが、オリブ山を訪れた際、ガイドさんがオリブ山のふもとや中腹の至るところに、欧米の富裕層の墓があるのだと言っておりました。
 
その理由が、ある解釈によりますと、キリストの再臨の場所がオリブ山なので(そんなことは聖書は明言していませんが)、だから、オリブ山に葬られていれば、再臨の際、まっさきによみがえらせてもらえるということなのだそうです。まさにユダヤ教です。
 
十四世紀から十五世紀にかけて百年以上にわたって戦ったのがフランスとイングランドですが、劣勢のフランス軍を立ち直らせたのが聖女ジャンヌ・ダルクでした。
 
しかし、彼女はイングランド軍に捕まり、異端審問裁判において有罪とされ、火あぶりの刑を宣告されます。
その際彼女は裁判長に、火あぶりだけはやめてほしいと嘆願したそうです。
でも、彼女の要請は退けられて火刑が執行され、火が燃え尽きたあと、さらに遺体に火をつけられて灰にされ、その灰はセーヌ川に流されたと伝えられています。ジャンヌ・ダルク、十九歳の身空の出来ごとでした。
 
ジャンヌ・ダルクがなぜ火刑ではなく、他の方法での処刑を必死になって願ったのか、また、イングランド側がなぜジャンヌ・ダルクを火あぶりにすることに固執したのかという理由ですが、当時の信仰が、「遺体が残っていれば最後の審判の際によみがえらせてもらう可能性があるが、灰になってしまえばたといキリストであっても復活させることは不可能である」というものであったからです。
 
しかし、使徒信条が告白する「からだのよみがえり」の「からだ」とは肉体のことではありません。それは新しいからだの付与です。
ですから、地上の肉体がバラバラにされようと、灰になろうと問題ではないのです。なぜならば「からだのよみがえり」の「からだ」とは地上の肉体のことではないからです。
クルマンの主張をご紹介します。
 
われは肉のよみがえりを信ず」という使徒信条の古代ギリシャ教会本文にある表現は、まったく非聖書的である。パウロは、そのように言うことはできなかった。肉と血とはみ国をつぐことはできない。パウロは、〈からだ〉のよみがえりを信じているのであって、〈肉〉のよみがえり(を信じているの)ではない。肉は死の力があって、破壊されなければならないものである。
このギリシャ信条における誤りは、聖書の用語が、誤ってギリシャ的人間学の意味で解されたときに、はいりこんできたのである。さらに、わたしたちのからだ(わたしたちの魂だけでなく)は、終末の時によみがえるであろう。その時、み霊のよみがえりの力は、すべてのものを、例外なく、新たにする(前掲書55p)。
 
地上における肉体は死と共にその使命を完了します。そして将来、よみがえりのからだとして与えられる「からだ」は、地上の肉体を材料としたようなものではなく、また延長したようなものではなく、創造の神、全能の神が備える新しい完璧な「からだ」なのです。
 
「死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるのである」(コリント人への第一の手紙15章42〜44節)。
 
 ここで口語訳が「肉のからだ」(44節)とした原語は、「ソーマ(体) プシュキコン(肉の)」で、これは自然の体、生まれながらの体という意味です。
 
これに対する「霊のからだ」(同)は「ソーマ(体) プネウマティコン(霊の)」で、これは御霊による体とも訳せますので、そこで新改訳は「御霊に属するからだ」と訳したのでしょう。
 
結論です。「使徒信条」の「からだのよみがえり(を信ず)」という告白の「からだ」は、地上の肉体の延長線上にあるものではなく、神が備える、天の暮らしに適合した全く新しい「からだ」なのです。
 
工務店だか建築会社だったかの宣伝では、新築したとしか思えないような見事なリフォームが話題です。しかし、天における「からだ」は、地上における肉体のリフォームなどではありません。完全な新築の建物のように、神の手による新しい「からだ」なのです。
 このような「からだのよみがえり」こそが、私たちの究極の望みです。
 
 
3.「からだのよみがえり」は神による人類救済のゴールとして起こる
 
イエスを主と告白する者の世の終わりに起こる「からだのよみがえり」は、「天地の造り主、全能の父なる神」(第一条)と「その独り子、われらの主イエス・キリスト」(二条)による人類救済計画の最終ゴールとして実現します。
 
そのために神の御子は第二条後半の、ピラトによる苦難、十字架の恥辱、恐怖の死、陰府への降下という数々の受難を経て、死人のうちからのよみがえり、昇天、神の右への着座という道程を踏んでくださったのです。
 
そしてわたしたち人類の究極の望みである「からだのよみがえり」は、具体的にはイエス・キリストの来臨に際に実現します。
なお、15章51節の「奥義」の振り仮名を口語訳は「おくぎ」とふっていますが、これは「おうぎ」と読んでください。ついでにヨハネ福音書十九章二十六節の「愛弟子」は「あいでし」ではなく「まなでし」と読むのが正しい読み方です。
 
「ここで、あなたがたに奥義(おうぎ)を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」(15章51〜53節)。
 
肉体の死と「からだのよみがえり」との間には、地上に生きる者には長い時間の経過があるかも知れません。
 
しかし、肉体の死は時間からの解放であって、死から復活までの間(かん)は「眠り」(51節)と表現されますように、それは、死者にとっては一瞬の間です。
夜、眠りについて朝、目覚めるという状態に似ているともいえます。うなされることもありません。夢すら見ない、ただただ爽やかな目覚めが待っています。
 
しかも眠りから目覚めた時に備えられる「霊のからだ」(44節)は地上での肉体とは違い、不滅不朽のパーフェクトな「からだ」です。
 
持病に苦しんでいる方がおられるかも知れません。障害を持って生まれた方もおられるでしょう。美と若さを謳歌した日々が過ぎて、老いを感じ始めた方もいるかも知れません。
しかし、いつの日にか完璧な「からだ」を備えてくださると約束されたお方は、私たちの今の「からだ」を生かし、支え、時には修理しながら、地上の役割を果たさせてくださいます。
 
究極の望み、それは霊魂の不滅にあるのではなく、また肉体の復活にあるのでもなく、生ける神による「からだのよみがえり」にあることを信じ感謝して、これからも心を込めて日曜日ごとに使徒信条を告白し続けていきたいと思います。


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