2012年5月13日日曜礼拝「救い主は、神の期待に応えることを最優先した」マルコによる福音書11章1〜11節

投稿日時 2012-05-13 16:28:14 | カテゴリ: 2012年礼拝説教

2012年5月13日  日曜(母の日)礼拝説教

「救い主は、神の期待に応えることを最優先した」 

       マルコによる福音書11章1〜11節(新約聖書口語訳70p) 
 
 
はじめに
 
 英国のマスコミを代表するBBC放送が日本の読売新聞社などと、二十二カ国で共同実施した世論調査が、先週発表されました。
 
調査は世界の主要な国である十六カ国とEU(欧州連合)についての評価を聞いたもので、それによりますと「世界に良い影響を与えた」国の第一位は日本の58%で、次いでドイツ56%、カナダ53%、英国51%の順ということでした。
因みに「世界に悪い影響を与えた」国の一位はイランで、二位以下はパキスタン、北朝鮮、イスラエル、ロシア、そして韓国の順でした。
 
 昨年は原発事故があり、しかも事故に対する政府の対応の目も覆わんばかりの不手際が世界に喧伝されたにも関わらずの高い評価結果には、驚きを禁じ得ません。日本人は世界では確かに、日本人自身が考える以上に高く評価されているようです。
 
大正十年から六年間、駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは日本の敗戦が濃厚となった昭和十八年、パリで開かれたある夜会において、
 
私がどうしても滅びて欲しくない一つの民族があります。それは日本人です。彼らは貧しい、しかし高貴です
 
と語ったと伝えられています。
 
しかし残念ながら近年、日本人は劣化しつつあるようです。今年、横浜ベイスターズがディーエヌエイとか言う交流サイト会社に買われてしまいましたが、この球団が横浜球場に観客を呼び寄せようとしてか、ゴールデンウイーク期間中の五試合を対象に、もしも観客が満足をしなかったという試合については、代金の返還要求に応じるという企画を打ち出したところ、連敗が続いていた同球団は奮起したのか、五試合で三勝一敗一引き分けという好成績。
 
ところが何とチケット購入者二五〇人のうちの八割もが返金を求めてきたというのです。「貧しい、しかし高貴」の筈の日本人はどこに行ってしまったのかと、クローデルが生きていたら幻滅するのではないかと思いました。
 
しかしそうは言いつつ、一方では、東京都が打ち出した尖閣諸島三島の購入計画には二週間で五億円の寄付金が全国から寄せられているそうですから、まだまだ日本人も捨てたものではないのかも知れません。
 
日本という国が、国際社会に良い影響を与える国として映っていることがこのたびのBBC調査で確認されましたが、「影響」には良い影響と悪い影響があります。
そして人類に比類のない良い影響を与えてきたのが救い主キリストです。
 
本日は五月の第二日曜日、母の日ですが、この母の日に、母親あるいは母なるものから受けてきた情愛と助けに感謝しつつ、マルコの福音書から、母親の愛にもまさる無償の愛を私たちのために貫いたイエスの高貴な行動とその影響に思いを向けたいと思います。
 
 
1.幸いなのは神の期待に応える生涯を生きること
 
 人がついつい負けてしまう誘惑の中に、周囲の期待に応えたい、人を失望させたくないというものがあります。
しかし、人からの期待と神の期待とが一致しない場合、あるいは両者が反する場合、人を失望させることがあったとしても敢然として神の期待に応える道を選び取ったお方がイエスでした。
 
イエスは誘惑に負けて人の期待に応じるよりも、多くの人を幸せにすることを目的として、神の期待に応える方を選び続けた人だったのです。
 
西暦(キリスト紀元)三十年四月二日の日曜日、イエスはろばの子に乗ってエルサレムの町に入城致しました。
当時の都市は町を外敵から防御するために堅牢な塀で囲まれておりました。エルサレムには八つの門があったそうで、おそらくはイエスは東側の門から入城したのだと考えられます。
 
「そこで弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いて来て、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた」(マルコによる福音書11章7、8節 新約聖書口語訳70p)。
 
 イエスがろばに乗ってエルサレムに入城したのは、メシヤはろばの子に乗って神の民のところにくるというゼカリヤ書の預言を意識したからであると思われます。
 
「見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって、勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る」(ゼカリヤ書9章9節 旧約聖書口語訳1317p)。
 
 その週はエルサレム神殿において、イスラエル民族がエジプトでの奴隷状態から救われた歴史を思い起こすための過越(すぎこし)の祭りが開催される予定でした。
その祭りに出席するためにパレスチナ内外から集まってきた何千という巡礼たちと一般民衆は、自分たちが着ていた大事な「上着」や「葉のついた枝」つまり棕櫚(しゅろ)の枝をろばの通る道に敷いて、歓呼の声をあげてイエスを迎えたのでした。
 
「そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた。『ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高きところに、ホサナ』。こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた」(10章9〜11節前半)。
 
 イエスに対する民衆の期待は、イエスが征服者となって憎きローマ帝国の頸木(くびき)からイスラエルを解放すると共に、エルサレムを中心としたユダヤ人国家を建設することでした。そしてそれが一般民衆の描くメシヤ像であり、イエスへの期待であったのです。
 
しかし、幾日もしないうちに、一向に決起しないイエスに期待を裏切られたと感じた民衆は、その五日後の四月七日の金曜日、ユダヤ当局に扇動されて、「イエスを十字架に付けよ」と叫ぶに至ります。
 
「しかし祭司長たちは、バラバの方をゆるしてもらうように、群衆を扇動した。そこでピラトはまた彼らに言った、それではおまえたちがユダヤ人と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか』。彼らは、また叫んだ、『十字架につけよ』」(15章11〜13節)。
 
 もしもイエスが大衆の支持率を気にする政治家であったならば、もう少しうまく立ちまわったことと思います。でもイエスの関心は父なる神の期待に応えることにありました。
それは人間の幸福が地上の一時的な福祉にではなく、罪を取り除くことによって得られる神との和解、平和の実現にあり、そしてそれに伴う永遠の生命の付与にあることをイエスは知っていたからでした。
 
いっとき、人を失望させることがあったとしても、根源的な問題を解決するために、イエスは民衆の現世的期待に背を向けて、生ける神の期待に応えるべく、十字架への道を真一文字に進み行かれたのでした。
 
 
2.幸いなのは自らの期待を吟味する人生を送ること
 
 イエスのエルサレム入城を大歓迎した一般民衆の間違いは、彼らが自分たちの期待を勝手に聖書に折り込んだことにありました。
ろばの子に乗るイエスに向かってホサナを叫ぶ民衆の叫び(11章9、10節)は旧約聖書の「詩篇」に基づいています。
 
「主よ、どうぞわれらをお救いください。主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。主のみ名によってはいる者はさいわいです。われらは主の家からあなたをたたえます」(詩篇118篇25、26節 旧約聖書口語訳853p)。
 
 「主の御名によってきたる者」(9節)とは神から遣わされる救世主キリストを指しますが、問題はその中身の理解でした。
彼らは自分たちの民族に都合のよい解釈を聖書に施して、彼らの要求を叶えてくれるキリストをイメージしていたのです。
 
また彼らは「ホサナ」を連呼しました(9、10節)。しかし「ホサナ」の本来の意味は「我らを救い給え」でしたが(詩篇118篇25節前半)、その神の「救い」というものを彼らユダヤ人は政治的、軍事的救い、地上的繁栄というように、自分たちに都合よく理解していたのでした。
 
たとえば献金についてですが、最近、「献金は神への感謝を表すことであるが、もう一つの意味は収穫を期待して種を蒔くことである」と強調している勧めを聞き、少々情けない気持ちになりました。
 
確かにパウロはコリントの教会への献金のアピールで、「豊かにまく者は豊かに刈り取る」(第二の手紙9章6節)と書いてはいますが、それは献金全般について書いているのではなく、貧窮しているエルサレム教会の今を救援することが、後にあなたがた異邦人教会の苦難に際しての援助となって返ってくるということを言ったにすぎません。
 
しかもそれは貧しいエルサレム教会への義援金を、「満ちあふれる喜び」をバネにして「極度の貧しさにもかかわらず、惜しみなく施す富」として自主的に捧げた「マケドニヤの諸教会」(コリント人への第二の手紙8章1、2節)には決して言う必要のないアピールであって、関心が常に自らに集中し、紛争に明け暮れていたコリントの教会だからこそ言わざるを得なかった勧めだったのです。
 
いうなれば「情けは人のためならず、廻(めぐ)り廻りて我が身に返る」、「豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる」(9章6節)のだから義援金をよろしく、という、パウロとしてはあまり使いたくない窮余の一策的なアピールであったのです。
因みに、「マケドニヤ(州)」と「コリント」があった「アカヤ州」はそれぞれ現在のギリシャの北部と南部に位置していました。
 
昔、超教派の集会で司会者が、「神様はあなたがスプーンで献金すればスコップで返してくださいます、もしスコップで献げればバケツで返してくださいます」というアピールをしていましたが、とんでもない勧めでした。
 
今日は母の日ですが、母親への贈り物をする際に、「母親にいま贈り物をしておけば遺産の分配が有利になる」という動機で贈り物をする人がいるでしょうか。
親への贈り物は卑しい動機からではなく、ただただ愛情をもって育ててくれ、老いた今も成人となった自分を常に案じてくれている親への感謝の気持ち、それだけで用意するものです。
 
献金も同様に感謝のみを動機とすべきであって、見返りを求めてするような種まきを動機とした献金は投資ではあっても、神が喜んで受けてくれるものではありません。
 
献金や供え物は断じて繁栄の手段ではない筈ですが、残念ながらイエス時代のユダヤ教には信仰を繁栄の手段とする「繁栄の神学」があったようです。
このような繁栄を期待する神学が、彼らの現世的期待を裏切ったイエスへの失望となったため、「ホサナ」という叫びが「十字架につけよ」に代ったのでした。
 
もうひとつ、聖書についてですが、聖書を神の言葉、神の約束と信じるだけでは不十分です。聖書の言葉の意味の、正確な理解が必要です。
 
ある人は帰宅して、妻に言いました。
「職場でいいことを聞いた。半身浴(はんしんよく)が体にいいそうだ。今から風呂に入る」
夫が上がってきたので妻が聞きました。
「どうだった?」
「いやあ、半身浴はしんどいなあ」
「なんで?」
「だってな、まず右半身を湯につけて、それから左半身だろ。窮屈でしんどい」 
 この人は「半身」の意味を誤解していたというわけです。
 
聖書を神からの言葉と信じるだけでは不十分です。聖書の意味の正確な理解が必要です。でも一度思い込んでしまうとなかなか修正がきかないものです。
 
 
ある教育評論家がテレビで学校の教師を擁護して、「ほとんどの先生たちは身を『こな』にしてがんばっているのよ」と言っていました。
身を「粉にして」は「コナにして」ではなく「コにして」と読むのですが、一度「コナ」と読むと思い込んでしまいますと、指摘をされない限り、修正できないようです。しかも、この先生は評論家になる前は国語の教師であったとか。
 
幸いなのは、自らの神への期待を吟味して、正しい信仰理解に生きることです。
 
 
3.幸いなのは神の期待に備える日常を積み重ねること
 
 イエスが乗ったろばは、この日のためにイエスが村人に頼んで用意をしてもらっていたものと思われます。
 
「さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、『むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。もし、だれかがあなたがたに、なぜそんなことをするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい』」(11章1〜3節)。
 
 弟子たちが村に行ったところ、イエスの言った通りのことが起こりました。福音書のどこにも持ち主の名前は出てきません。しかし持ち主はまさにこの日のため、イエスの「お入り用」に備えてろばを飼育していたのでした。
 
 幸いなのは神の期待に備える日常を積み重ねることです。将来の夢を明確に懐いて勉学に励む学生や生徒は幸いですが、いま、将来が漠然としているとしても嘆くことはありません。ただ、どのような将来であるにせよ、現在は基盤を築く備えの時期であることを覚えて、勉学に励めばよいのです。
 
「いざ鎌倉」と言う時になって、武器も鎧もない人は惨めです。この「いざ鎌倉」という言葉は、謡曲の「鉢の木」が出典です。
 
時代は鎌倉時代、佐野、現在の群馬県高崎に住む佐野源左衛門常世(つねよ)という貧しい武士の家に、ある雪の夜、旅の僧が一夜の宿を求めてきます。
最初、あまりにも貧しいのでもてなすことができないと断るのですが、あまりの大雪に、僧を泊めることになりました。
 
常世はなけなしの粟を炊いて旅の僧に供し、燃やす薪がないからといって家宝のように大事にしていた梅、松、桜の鉢植えの木を切って囲炉裏にくべて焚き、精一杯のもてなしをしつつ、僧に向かって、
「今は事情があって落ちぶれてはいるが、一旦緩急あれば、つまり『いざ鎌倉』というときはいち早く鎌倉に駆けつけ、命がけで戦う所存である」
と語ります。
 
春になり、御家人たちに鎌倉から招集があり、常世もやせ馬にまたがり、みすぼらしい身なりながら武具に身を固め、武器を携えて鎌倉に駆けつけますが、出迎えた者はあの旅の僧、実は、前の執権の北条時頼であったことを知ります。
 
 
時頼は常世に礼を言い、その言葉には偽りがなかったことを称賛し、恩賞として失った領地を安堵すると共に、梅、松、桜の名がついた荘を賜った、という物語です。なお、この時頼の息子が二度にわたって元の襲来を退けた北条時宗です。
 
もちろん、この話は実話ではありませんが、精一杯のもてなしをするということと、いざという時のために備えをしておくことの教訓として、日本人に愛されてきた話しです。
 
かつて今太閤と謳われた有名政治家の口癖は、「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」でしたが、そうは言いつつ「駕籠に乗る人」は最後の最後まで自分でしたし、その直弟子は今、乗った駕籠から決して降りようとはせずに、世間を騒がせています。
 
 しかしイエスは身を低くして駕籠を降りるのみならず、駕籠を担ぐ人、草鞋を作る名もなき人々のために、この世の栄えを捨て、尊い命を投げ出してくださったのです。
 
人生のある局面で、もしも「主がお入り用なのです」という声がかかった時は、逡巡することなく喜んで、手もとの「ろばの子」を主に供するものでありたいと思うのです。





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