2013年6月30日日曜礼拝説教「信仰の祖アブラハムにおける選択の第一条件は、神を畏れることであった」創世記24章1〜67節

投稿日時 2013-06-30 16:48:04 | カテゴリ: 2013年礼拝説教

20136月30日 日曜礼拝説教

「信仰の祖アブラハムにおける選択の第一条件は、神を畏れることであった」 
    
  創世記24章1〜67節(旧約聖書口語訳26p)
 
 
はじめに
 
人生において最も困難なことは人生の伴侶を選択するということでしょう。取り敢えずだれでもよい、というのであれば、それほど難しいことではないかもしれませんが、選択を誤ると泣きを見るということもあり、そうであるならば独り身を貫いた方がよいという選択もあるかも知れません。
 
ただし、アブラハムの場合、子孫を残し、しかもその子孫が信仰のモデル民族を形成するという使命を担うということから、跡取り息子が独身貴族を謳歌するというわけには行かず、しかもその伴侶には、アブラハムが神から受けた使命を理解し、受け止めるという信仰が必要であったため、それは慎重を要することとなりました。
 
そのアブラハムは神から与えられた使命、すなわち、自らと自らの子孫が、神の祝福の基となり、その祝福を全世界、全民族に及ぼすための祝福の媒介者たるべく、跡取り息子であるイサクの伴侶の選択に着手します。
そしてその使命達成のための選択の条件としてアブラハムが挙げたものが、神を畏れるという一事だったのでした。
 
 
1.信仰の祖アブラハムは、選択の条件に神を恐れるという一事を挙げた
 
一般に、高齢の夫が逝くと遺された妻は元気になるが、反対に妻に先立たれた夫は元気をなくして急速に衰えると言われています。
アブラハムの場合もそのようで、彼もまた、ヘテ人から買い取ったマクペラのほら穴に妻サラの亡骸を葬ったあと、一気に老い込んでしまったようです。
 
「アブラハムは年が進んで老人となった」(創世記24章1節 旧約聖書口語訳27p)。
 
しかし、老いたとはいっても、自分に与えられた神からの特別な使命を、アブラハムが忘れたわけではありませんでした。
サラが亡くなって三年後、彼は自分に遺された最後の仕事に着手すべく、信頼している大番頭を呼び寄せて一つの任務を与えます。
それはイサクの伴侶を選び出すという任務でした。そしてその際、イサクの伴侶は彼らが居住していたカナンの娘からではなく、彼の出身地の親族の中から見出すようにとの指示をこの大番頭に与えたのでした。
 
「さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、『…あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない』」(2節前半、3、4節)。
 
 アブラハムの言う「わたしの国」(4節)とは彼がカナンに来る前に住んでいた「ハラン」という町のことで、地理的には現在のトルコ東南に位置し、シリアの国境付近にありました。
そこはアブラハムの父親が亡くなった土地であって、そこで今は彼の兄弟のナホルが一族を形成しておりました(22章20〜24節)。
 
 アブラハムはなぜ、イサクの配偶者を今現に住んでいる「カナン人のうちから」(3節)ではなく、「親族の所」(4節)から「めとらなければならない」(同)という指示を番頭にしたのかということについては、カナン人の宗教が偶像礼拝であったからである、という解釈があるのですが、そうではありません。
 
もしもそんなことを言ったならば、日本の宗教土壌は多神教ですから、クリスチャンはノンクリスチャンとは結婚することはできなくなりますし、そこを突き詰めて行けばノンクリスチャンの配偶者とは離別しなければならない、ということになってしまいます。
 
二年前の東日本大地震の際に、国民の三分の一がキリスト教徒であることを誇る隣国のさる有名教職者が、「大地震と大津波は日本の偶像礼拝に対する神の罰だ」という妄言を吐きました。
しかし世界を驚嘆させたのは、その「多神教」の国の国民、とりわけ東北の被災者が見せた気高い倫理性にありました。
 
その隣国で、日本の新聞社からの特派員として言論活動を行っている名物記者がいるのですが、昨六月二十九日の朝刊に掲載されたコラムに何とも興味深い指摘がありました。一部をご紹介したいと思います。
 
韓国人は国際ランキングが大好きだ。マスコミには各種のランキングが毎日のように紹介され韓国の順位に一喜一憂している。そこでは決まって日本のランキングも注目されていて、韓国の位置が日本と比べられるようになっている。
 
(中略)最近の国際ランキングに英BBC放送による世界各国で好感を持たれている国の調査というのがある。今年は16カ国などが対象でその結果、韓国は10位で日本は4位だったという。日本は昨年の1位から落ちたが、その原因は韓国と中国での評判が悪かったせいだという。韓国にとって日本のダウンは快感だからそれがニュースになっていた。
 
ところが英字紙「コリア・ヘラルド」(25日付社説)が異例の主張をしていた。韓国は日本に対し過去を反省していないとか右傾化といって非難ばかりしているが、にも関わらず国際社会では韓国よりも日本の方がはるかに好感されていることを知るべきだというのだ。
 
その上で韓国のイメージアップに必要なものは礼儀、正直、理性、誠実、信頼性…(である)という。珍しい自己省察だ「2013年6月29日産経新聞 朝刊コラム『礼儀、正直、理性…がない』(黒田勝弘)」。
 
国民の三分の一がキリスト教であるにも関わらず、その国民に足りないものが人間の基本的道徳でもある「礼儀」「正直」「理性」「誠実」「信頼性」だという、「自己省察」を、英語圏読者を対象とした英字紙とはいえ、韓国の新聞がしているのは「珍しい」ことだと、この特派員は皮肉っているのですが、同じ昨二十九日配信の韓国の有力紙「朝鮮日報」には、「韓国の家庭内暴力、先進国の五倍」という見出しの記事が掲載されておりました。
 
家庭内暴力、つまりDV(ドメスティック・バイオレンス)は彼の国の女性大統領が根絶を目指す、韓国社会の四大社会悪の一つなのですが、その犯罪ともいうべきDVが何と「先進国の五倍」というのですから驚きです。
韓流スターの「日本のフアンは私の家族です」などというつくり笑いと甘い言葉に幻惑されて、「韓国人男性は優しい」などという間違ったイメージを持っていると大変なことになる、というわけです。
 
アブラハムは実際に六十年以上もの間カナンの地に住んで、カナン人と直接交流をし、カナン人の文化、風習、物の考え方に接して、彼らが偶像礼拝者であるからというよりも、「礼儀」「正直」「理性」「誠実」「信頼性」という人間の基本が欠けているという側面を見もし、体験もしたからこそ、「カナンびとのうちから、…めとってはならない」(3節)という指示を番頭にしたのではないかと思われます。
 
では、アブラハムの親族はアブラハムと同じように、唯一神を礼拝する者たちなのかと言うと、そうとは言えませんし、また倫理的にすぐれているかと言いますと、物欲に目の眩んだ計算高い人間もいたようです(24章30節)。
 
では、アブラハムが息子イサクの伴侶の選び先として「親族」を選んだ理由は何かということですが、一つの理由としては自分の「親族」(4節)という安心感と信頼性があげられると思います。
 
しかし、では彼らの宗教が一神教であったかと言いますと、その証拠もありません。実際、アブラハムの生まれ故郷であり、アブラハム一族の出身地であった「カルデヤのウル」(11章28節)における彼の父「テラ」の職業は、ユダヤの伝説によれば、偶像の製作と販売であった、ということです(この「カルデヤのウル」がどこであるかという解釈については、2013年2月24日説教「信仰の祖アブラハムは、祝福の基たるべく召し出された」に慨述)。
もちろん、この伝説には確たる証拠などはなく、それゆえ、信憑性に関しては何ともいえませんし、また、一族の中でどのようにしてアブラハムのみが多神教から一神教に転向したのかも不明です。
 
ただ一つ言えることは、そのような親族の中にあってアブラハムが多神教から一神教へと転向し、その結果、唯一の神を畏れる者となったということは厳然たる事実であって、そのアブラハムの一族への宗教的影響、とりわけ倫理的感化は当然あったであろうと推測することは可能だと思われます。
 
以前、偶像礼拝の本質は何かということをご一緒に学びました。極言すれば、偶像礼拝なるものに関し、問題とされているのは何を拝むかではなくて、どのように、そして何のために拝むのか、すなわち、如何なる動機で、何を目的として拝むのか、ということであって、ですから、「イエス様、イエス様」と唱えていても、その信仰や祈りの動機が己れ一人の成功や繁栄、幸福であるとするならば、それは偶像礼拝的な礼拝であるということでした(2013年3月24日 棕櫚の日・受難週礼拝説教「キリストのあがないの有り難さ―なぜキリスト教なのか」)。
 
真の礼拝とは、神が神であるがゆえに神を拝む、それが礼拝の本質であって、その具体的な現われが神への畏敬の感情、すなわち神を畏れて生きるということです。
アブラハムが最も重要なことと考えたのは、神への畏敬の念でした。そしてアブラハムから見て、カナンの住民に決定的に欠けているものが神を畏れるという姿勢であったのでしょう。
 
 
2.信仰の祖アブラハムの使者は、選択の条件として他者に対する配慮の有無を挙げた
 
そしてこの神への畏敬の念があるかどうかは、「木は実によって知られる」とありますように、日常生活の何気ない振る舞いに現われるのですが、そのことをこの大番頭は、アブラハムとの長い関わりの中で学んでいたのです。
 
主人アブラハムから跡継ぎイサクの伴侶選びという重大任務を与えられた大番頭は、命を受けてアブラハムの親族の住む「ハラン」(12章4節)に向かいます。
そこはアブラハムの兄弟「ナホル」の名を取って、「ナホルの町」と呼ばれていたようです。
 
「しもべは主人のらくだのうちから十頭のらくだを取って出かけた。すなわち主人のさまざまの良い物を携え、立ってアラム・ナハライムにむかい、ナホルの町へ行った」(24章10節)。
 
 番頭は旅を続け、目的地の町のはずれの共同井戸のそばに着きました。
 
「彼はらくだを町の外の、水の井戸のそばに伏させた」(24章11節)。 
 
時は夕暮れ時、町の若い女性たちが水甕を肩にして、夕食の支度に使う水を汲みに来る時間帯でした。
大番頭はその娘たちの中に、主人アブラハムの跡取りイサクの伴侶になる娘がいることを期待しましたが、しかし、問題がありました。それはその女性が誰であるのか、それをどのようにしたら見つけることができるのか、そして何よりもその娘が神を畏れる人物であるかどうかをどうやって見分けたらよいのかということです。
 
そこで彼が見分ける方法としてあげたものが、英語で言えばホスピタリティ、つまり他人に対する配慮、もてなしの心がその娘に有るかどうか、という一点だったのです。番頭は祈りました。
 
「主人アブラハムの神、主よ、どうか、きょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施してください。わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、娘に向かって、『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにしてください。わたしはこれによって、あなたがわたしの主人に恵みを施されることを知りましょう」(24章12〜14節)。
 
 当時の井戸は、十数段の階段を下りて行って、持参の水がめで水をくみ上げるという構造になっていたようです。
つまり、水を汲むということは大変な作業で、しかも十頭のらくだが満足するまで水を汲むなどということは、時間もかかる上、消耗する体力も尋常ではありませんし、おまけに知り合いのためならばいざ知らず、見ず知らずの旅人のために、しかも頼まれもしないのに自分から申し出るということは、まさに有り得ないことのように思える条件でした。
 
 しかし、この番頭の祈りが終わるか終わらぬうちに一人の娘が水を汲みにやってきたのです。あとでアブラハムの兄弟の孫であることがわかるのですが、その時にはどこの誰であるかは全く不明です。
 
井戸に降りて水を汲んで上がってきたこの娘に対して大番頭が水を飲ませてくれるようにと頼んだところ、快く飲ませてくれたばかりか、何と、彼が頼みもしないのに自ら進んで、らくだへの水の供給を申し出て、何段もある階段を上り下りしてはらくだのために、幾度となく水を汲んだのでした。
 
「(しもべに)飲ませ終わって、彼女は言った、『あなたのらくだもみな飲み終わるまで、わたしは水をくみましょう。彼女は急いでかめの水を水ぶねにあけ、再び水をくみに井戸に走って行って、すべてのらくだのために水をくんだ』」(24章19、20節)。
 
まさにこの娘こそが、大番頭の条件に適う娘であったため、親兄弟、そして親族の許諾と手続きを経て彼は、「アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘リベカ」(13節)を、イサクの伴侶としてカナンの地に連れ帰ります。
 
「リベカは立って侍女たちと共にらくだに乗り、その人に従って行った。しもべはリベカを連れて立ち去った」(24章61節)。
 
 神を畏れているかどうかは、日頃の立ち居振る舞い、とりわけ、他者への細やかな配慮の有無で知ることができるということを教えるもの、それがこの物語におけるリベカの振る舞いでした。
 
 韓国の英字紙の記者が自国を分析した結果、日本に比して諸外国の自国に対する好感度が決定的に低い理由として挙げたものが、まさにこのリベカの姿勢、リベカの精神の欠如であった、だからこそ、自国のイメージアップに必要なこととして、礼儀、正直、理性、誠実、信頼性という基本的道徳の養成という提言を改めてせざるを得なかったのでしょう。
 
 明治の歌人、というよりも与謝野晶子の夫としての方が有名な与謝野鉄幹の歌に「人を恋うる歌」というものがあります。
 
妻を娶(めと)らば才(さい)長(た)けて 
顔(みめ)美(うるわ)しく情けある 
 
友を選ばば書を読みて 
六分(りくぶ)の侠気 四分の熱 
 
 これは鉄幹が明治三十年の二十四歳の夏に、朝鮮の京城(今日のソウル)で作った歌だそうです(「日本の詩歌 鉄幹子」25p 中央公論社)。
 
 この作品において鉄幹は、男性が生涯の伴侶を選ぼうとするならば、賢明であって才能があり、眉目秀麗である他に、何と言っても思いやりがあり、心の優しい人であることが肝要である、と言います。
 
 人はとかく、外側の容貌やスタイルに目がいってしまいます。しかし大事なのは何か、それが「情けある」、つまり、打算抜きで、自ら進んで「あなたのらくだもみな飲み終わるまで、わたしは水をくみましょう」(19節)と、見ず知らずの旅人に申し出て、それを実行した「リベカ」のような女性を、というわけです。
 
 ただし、リベカを模範とする場合、注意すべきことがあります。それは状況を考慮して、ということです。
 ある職場では長い間、女性社員がお茶くみをするという習慣がありました。しかし、なぜ女性だけがしなければならないのか、という疑問が起こり、その結果、お茶は飲みたい人が自分で淹れるということになりました。ところがそこに他の職場から移ってきた女性社員がいて、「私、お茶を淹れるのが好きなの」とか言って、全員のお茶を淹れ始めたというのです。男性社員は喜びますが、苦労して習慣を改善した女性社員たちにとっては折角の苦労が一夜にして水の泡、まさに「小さな親切、大きなお世話」な行為だったのです。
 
 手を出すか出さないかは、状況によるのです。そして状況を勘案して、今は手を出すべき時と判断した時には、敢然と行動に移る、そういう者でありたいと思います。
 
 なお、リベカの精神、そして姿勢は友人を選ぶ場合の条件でもあるのです。「人を恋うる歌」で鉄幹は続いて、友を選ぶならば、その友は書物を読む思慮深い人がいい、そして、義を見てせざるは勇なきなり、という義侠心、つまり弱者、困窮者の側に立つという勇気が六割、そして秘めたる情熱を内に四割持っている、そのような者をこそ友とせよ、と言います。
なぜならば、人は善にせよ悪にせよ、友だちの影響を受けるからです。高校の国語の若い教師が口癖のように言っていた言葉を思い起こします。
 
水は方円の器(き)に従い、人は交わる友による
 
 水は四角い入れ物に入れれば四角となり、丸い器に入れれば丸くなる、そのように、人は交わる友の影響を受ける、だから君たちは友人を選べ、と言っていたのだと思います。
「神様」「信仰」「ハレルヤ」「アーメン」を連発しているから、信仰熱心なのではありません。信仰は日常の何気ない振る舞いにこそ、表れるのです。
 
以前、先輩教職が話してくれたことを思い出します。求道していた青年が洗礼を志願してきた、ところが間もなく、家族から反対されていると、まるで迫害をされているかのような口ぶりなので、そこで牧師が家庭訪問をしたところ、母親曰く、「この子は教会に行くようになってからも家での態度は以前とまったく変わっていないんですよ、外から帰ってくれば脱いだ靴下を壁に放り投げるので、靴下が壁に引っ掛かっているという有様です」というわけです。その家の座敷の壁はざらざらとした砂壁だったようです。
 
親の躾にも原因があるかとは思いますが、やはり、人目を気にする必要のない家の中での振る舞いにこそ、信仰のあるなしが見えてくるというわけです。
 
かつてインドネシアから来た牧師さんが説教の中で言っていました、
「みなさん、犬だって少し訓練すれば一時間くらいは人間のように二本足で立っていられます、そのように教会に来た時の一時間だけ、信仰的な様子をして、普段は生まれつきのまま、というのでは本当の信仰とは言えません」
 
そういう意味で、与謝野鉄幹に従えば、自分勝手な歴史認識に立って、七十年も前の先祖がしたかも知れないし、していなかったかも知れないあやふやな出来事を持ち出してきて、その子孫に対して謝罪と賠償を執拗に要求し、しかも外国にまで出かけて行って、隣国の悪口を声高に言い続けて止まない者を友達に選ぶべきではないということになるのかも知れません。
 
主人の息子の配偶者選びという大任を担った大番頭がこのような条件で神に願ったのは、神への畏れがあるかどうかはその振る舞いによって知ることができるという確信を持っていたからだったのでした。
 
 
3.信仰の祖アブラハムの神は、神への恐れを優先させる者の祈りに耳を傾ける神であった
 
大番頭は、娘がせっせと水を汲んでいる途中の時点では、まだこの娘が主人の親族の娘であるということは知らぬまま、娘の行動を注視しておりました。
それは、神が彼の祈りを受け入れてくださるのか、そしてこの旅の目的を完遂させてくださるのかを見定めるためでありました。
 
「その間その人は主が彼の旅を祝福されるか、どうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた」(24章21節)。
 
 娘は娘で、自分がテストを受けているなどということは露ほども知らず、ただただ、長旅の末にこの町に辿りついた旅人の十頭の駱駝たちの渇きを癒し、休ませることだけに思いを集中して、苦とも思わずに、一銭の稼ぎにもならないこの重労働をし続けていたのでした。
 
 そして十頭の駱駝が水船から水を腹いっぱい、飲み終わった時、大番頭がカナンから携えてきた贈り物を娘に贈って、そこではじめて、彼女の身元を訊ねたところ、彼女がアブラハムの兄弟の孫であるということを知らされます。
 
「言った、『あなたはだれの娘か、わたしに話してください。…彼女は彼に言った、『わたしはナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です』」(24章23、24節)。
 
 ここで番頭は初めて、選択の条件をクリアした娘が主人の親族の娘であるという事実を知り、祈りに応え給うた主なる神を拝礼します。
 
「その人は頭を下げ、主を拝して、言った、『主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを兄弟の家に導かれた』」(24章27節)。
 
 アブラハムのしもべの祈りが神になぜ受け入れられたのかと言いますと、第一に、彼の祈りの動機が神に受け容れられたからだったのです。番頭はただただ、アブラハムの願いの実現に役立ちたいと考え、その願いの中心を理解して祈ったのでした。
神は自らの野心や欲望の実現のためではなく、神への畏れを優先させる者の祈りを尊重してくださるお方です。祈りは言葉数が多ければ聞かれるというものではありません。祈る動機が神の心を動かすのです。
 
第二の要素は何を願い、何を祈るかという、祈りの内容です。祈りの内容が神の御旨に合致しているかどうかが肝要です。大番頭の祈りが、真に神を畏れる娘を見つけ出したいというアブラハムの意図に合致しているがゆえに、リベカと出会わせたのだと思われます。
 
そして三つ目が、祈り手自身が神に喜ばれていること、それこそが聞かれる祈りの秘訣です。
ヤコブの手紙の著者は、力と効果がある祈りは、特に祈り手による所が多いと言いました。
 
「義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである」(ヤコブの手紙5章16節)。
 
 この節を読みますと、真面目な人ほど、自分は義人ではない、義人とはほど遠い、と嘆くのですが、その必要は全くありません。
なぜか、実は聖書が言う「義人」とは、自らが弱い者であることを自覚して、それゆえに、神が共にいてくれなければ自分は立ち得ない、罪の赦しをもたらす十字架の恵みがあるからこそ、生きていることができるという、言葉を変えれば神への畏れを持って生きている者を意味します。
そのような人はみな、自分のためにイエス・キリストが十字架に架かって、罪の清算をしてくれたことを信じます。つまり、「イエスは主なり」と告白する者こそ、「義人」なのです。
 
そうなりますと、キリストを信じる私たちは、まことに恐れ多いことですが、皆が皆「義人」なのです。「義人」とされているからこそ、十字架の主を仰いで、大胆に神に迫っていくことができるのです。そしてその祈りは「大いに力があり、効果がある」祈りとなるのです。まことに有り難いことです





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