2013年5月26日日曜礼拝説教「信仰の祖アブラハムこそ、本当の意味での成功者であった」創世記19章1〜29節

投稿日時 2013-05-26 16:18:22 | カテゴリ: 2013年礼拝説教

20135月26日 日曜礼拝説教

「信仰の祖アブラハムこそ、本当の意味での成功
 者であった」 
 
 
  創世記19章1〜20節(旧約聖書口語訳20p)
 
 
はじめに
 
今週は、本物の成功とは何なのか、真の成功者とはいかなる人であるかということを考察すると共に、ソドムの滅亡という事実をどのように見るかということについて考えたいと思います。
 
なお、今週のアブラハムの物語は、見方によっては残酷な物語であって、心が痛む場面が出てきます。しかし、これらもまた歴史的事実です。神の心情を想像しながら、貴重な教訓を得たいと思います。
 
 
.真の成功者はアブラハムの甥のロトではなく、アブラハムの方であった
 
 夕暮れ、町の実態調査をするためにソドムに到着した二人の御使いを、ロトが鄭重に家に迎え入れました。
 
「そのふたりのみ使いは夕暮れにソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して言った、『わが主よ、どうぞしもべの家に立ち寄って足を洗い、お泊りください。そして朝早く起きてお立ちください』」(創世記19章1、2節前半 旧約聖書口語訳20p)。
 
 二人は一度はロトの申し出を辞退し、町の広場で夜を過ごすと言いましたが、ロトが強く勧めたため、彼らはロトの家に泊まることになりました。しかし、問題が発生しました。ソドムの町の人々がロトの家を取り囲んで、「旅人を出せ」と要求をしたのです。
 
「ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、ロトに叫んで言った、『今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼を知るであろう』」(19章4、5節)。
 
 二人は恐らくは眉目麗しい美青年、美少年の姿をしていたのでしょう。
「われわれは彼を知るであろう」(5節)とは、外から来た人と交流をしたい、という意味ではありません。ここで使われている「知る」という用語は性的な事柄を指す言葉であって、いわゆるホモセクシャルを意味する言い方です。
ソドムの町の人々はロトに対して、二人の旅人を彼らの倒錯的享楽の対象として差し出すよう要求したのでした。
 
 確かに世の中には、たとえば生物学的には男性あるいは女性として生まれてきても、異性にではなく同性にしか興味も持つことができない、いわゆる「性同一性障害」という障害がありますが、それ自体は決して罪悪ではありません。
 
しかし、ソドムの場合はこれとは違ったものであって、人間の欲望をいうものを極限にまで追求した結果の倒錯が、町の中で日常化していたことを意味しました。しかも「若い者も老人も」(4節)という記述は、この傾向がソドムの町の全世代に蔓延していることを物語ります。そしてこのこと一つをとっても、ソドムが神の審査の対象となったわけがわかります。
 
 ロトは町の人々を何とか宥めようと努めますが、彼らはロトの言葉を聞こうともせず、それどころか、怒りの矛先をロトに向けます。そしてこの時に示された町の住民たちの態度や反応は、ロトがソドムの町では浮き上がった存在であったということを明らかにしました。
 
「彼らは言った、『退(しりぞ)け』。また言った、『この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼に加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう』」(19章9節)。
 
 アブラハムと別れて、ヨルダン川流域の低地の町、商業的にも文化的にも繁栄している町ソドムに移り住んだロトは、たしかにこの町において、一定の成功をおさめていたようです。「ロトはソドムの門にすわっていた」(1節)とありますが、古代では、町の「門」とは各種の裁判が行われる所であり、町の重要な事柄が町の有力者たちによって協議され、決定される所でした。
 
つまり、ソドムの町でロトは勤勉に働き、努力もして、この町で富と地位とを手に入れて、その結果、町の有力者の一人になっていたのです。
彼は叔父であるアブラハムが地味な山地で羊の群れを養いながら神の約束の実現を求めているとき、それなりの成功者となっていたのでした。
 
しかし、ロトは神の前には本当の成功者ではありませんでした。彼は移住した町に同化しようとして、信仰の事柄は表に出さないようにしたのかも知れませんが、その結果が、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつもさばきびとになろうとする」(9節)という住民の冷ややかな声だったのです。
 
ロトは二人の娘を町の若者と婚約させましたが、この婚約者たちは神の存在や神の心には無関心でした。ロトが、神の審きが迫っていることを告げても、彼らにはそれは冗談ごととして聞き流されてしまいます。
 
「そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、『立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます。しかしそれはむこたちには戯(たわむ)れごとに思えた』」(19章14節)。
 
 ロトは移住したソドムの町において、寸暇を惜しんで懸命に働き、そして町の「門にすわ」(1節)るほどの地位と名誉を手に入れたのでした。けれども、彼はこの町の住民に対し、霊的、信仰的影響力を振うことはできなかったのです。
ロトはロトなりに神を崇めており、移住した町に蔓延る悪徳には心を痛め、そして町の浄化を願っては神に祈るということもしていたかも知れません。しかし、ロト自身、自分の信仰を保つのが精一杯で、住民に対して神の恵み、神の義を伝えることができないまま、ついに滅びの日を迎えることになったのでした。
 
 パウロは、私たちはこの世に神から送られた推薦状であり、手紙であると言っています。
 
「わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、読まれている。そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている」(コリント人への第二の手紙3章2、3節 新約聖書口語訳280p)。
 
 残念なことにロトは、ソドムの町において神による「推薦状」、神からの「手紙」にはなり得なかったのでした。それは彼の設けた優先順序に問題があったからではないかと思われます。ロトにとっては目に見える成功こそが第一の目標であって、神に喜ばれるか否かということは第二、第三だったのでしょう。
 
 一方、アブラハムこそ、本当の意味での成功者であったと言えます。アブラハムもまた、不完全な人間でした。しかし、アブラハムを見る者は、その背後に目に見えない神の姿を見、聞こえない筈の神の声を聞いていたのでした。
生涯、山地に住み続けたアブラハムでしたが、彼は常に神からの「推薦状」であり、神の「手紙」でありました。
 
 結果として、ソドムは滅びました。それは「十人」(18章32節)の義人がいなかったからでした。しかし、にも関わらず、ロトと家族は滅びの町から、命からがら脱出することができました。
なぜか。それはロトの信仰、ロトの義のゆえではなく、神がアブラハムの祈りと信仰を評価したからでした。
 
「こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救いだされた」(19章29節)。
 
 ロトとその家族が救われたのは、神が「アブラハムを覚えて」(29節)、つまり、神の前にひとり立って、必死に執り成したアブラハムの祈りを、そして祈るアブラハムを神が評価したからに他なりません。
 
神との交渉におけるアブラハムの目算は、ロトがソドムで証しを立てることによって、最低六人の回心者を得ることにありました。
具体的にはロト自身とロトの妻、二人の娘で四人、娘の婿で二人、その二人の婿の両親で合計十人となる、そうなればこの十人の義人のゆえに、ソドムへの審判は取り敢えず回避される、それがアブラハムの計算であったのでしょう。
 
しかし、厳正な審査の結果、神による審判は実行されました。低地の町々は壊滅し、ロトとロトの家族だけが神の憐れみによって、み使いに手を引かれて町の外へと連れ出してもらえたのです。
そしてそれが、アブラハムの祈りへの神の答えでした。神の前に立ち塞がって、必死に祈ったアブラハムの祈りは神に聞かれたのでした。
 
勿論、心を燃やして祈ったからといって、願いどおりの現象が必ず起こるというわけではありません。しかし、どんな場合でも筋の通った祈りは神に聞かれているのです。それがロトとその家族の滅びの町からの奇跡的な救出だったのです。
 
アブラハムの必死の執り成しがなければ、ロトもロトの家族もソドムの住民と共に滅んだ筈でした。まさに、「正しき者の熱き祈りは、全能なる神の手をば動かす」(聖歌253番3節)という歌詞の通りです。
そういう意味においてアブラハムこそ神の前における、本当の成功者だったのです。
 
 
2.この世のものに心惹かれて後ろを振り向く者は、大事なものを失うことにもなりかねない
 
 ソドムから脱出する際、み使いはロトの一家に対して、「後ろを振り返ってはならない」と警告しました。
 
「彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、『のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければあなたは滅びます』」(19章17節)。
 
しかし、ロトの妻は町から逃れる際に、み使いの警告を聞かずに後ろを向いて立ち止まったのです。その結果、彼女は空から降ってきた溶けた岩塩を浴びて、塩の柱になってしまいました。
 
「しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった」(19章26節)。
 
 塩の柱になったロトの妻に関するイエスの警告が福音書にあります。
 
「ロトの妻のことを思い出しなさい」(ルカによる福音書17章32節 新約聖書口語訳119p)。
 
 「うしろをふりかえって見てはならない」(17節)というみ使いの勧告をロトの妻が無視して「うしろを顧みた」(26節)のはなぜかということについては、創世記はその事実のみを記述するだけですが、西暦一世紀のユダヤ戦争において、ユダヤ側の指揮官としてローマ軍と戦いながら、土壇場でローマに寝返って、その後、ローマの歴史家として名を馳せることとなったヨセフスが、その著「ユダヤ古代誌」において、好奇心が動機であるかのように書いています。
 
ところでロトの妻は、神に固く禁じられていたにもかかわらず、好奇心から町の運命を見定めようと、逃走中にたえず町の方を振り返ったため塩の柱に変えられてしまった」(フラウィウス・ヨセフス著、秦剛平訳「ユダヤ古代誌第一巻」84p ちくま学芸文庫)。
 
 しかし、彼女が「うしろを顧みた」わけは、ヨセフスのいう好奇心というよりも、町に残してきた各種の不動産や財物を惜しんだからではないかと思われます。
実際、知らぬ土地に移り住んで、夫と共に辛苦したその末に、やっとの思いで築き上げた財産が灰燼に帰して行くのですから、ロトの妻の気持ちもわからぬでもありません。しかし、この場合、彼女は夫と自分、そして二人の娘が神の特別な憐れみによって助かることができたことを僥倖として感謝し、神の使いが言うように「自分の命を救」(17節)うべきだったのです。
 
 ロトの妻を思う時、三重苦のヘレン・ケラーが言ったとして伝えられている言葉、「失ったものを数えるのではなく、残っているものを数えよう」という言葉を思い起こします。
 
人の性(さが)として、人生の途上において失くしたもの、捨てねばならなかったもの、取り去られてしまったものを数えては嘆き悲しむという傾向があることは否定できません。ロトの妻の場合、家に泊まった神の使いの口から、ソドムが滅びること、しかし、夫ロトの叔父であるアブラハムの必死の執り成しが神の心を動かして、ロトの家族だけは救済されるということを聞いていた筈です。しかし、目に見えるものへの執着が、彼女を悲劇的運命へと誘ってしまったのでした。
 
 確かにパウロはコリントの教会に対して、この世は過ぎ行くものであるがゆえに、過度に深入りすべきではないと勧めています。
 
「時は縮まっている。…世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」(コリント人への第一の手紙7章29、31節)。
 
 その背景には、パウロ自身が執筆時に持っていた世の終わりに対する切迫感があったようです。しかしまた、この手紙よりも先に書いたテサロニケ教会への手紙では、落ち着いた生活をして、自らの仕事に身を入れよ、とも勧めています。
 
「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい」(テサロニケ人への第一の手紙4章11節)。
 
 パウロがこれらの書簡で言いたかったのは、「確かに世の終わりは来るが、だからといって徒に右往左往するのではなく、むしろ、日々の暮らしを大事にし、社会的責務を果たすようにすべきである、しかしまた、この世が永遠に続くかのように思うべきではない、いつの日か到来するであろう終末は意識せよ」ということだったのです。
 
 ソドムに移り住んだ「ロトの妻」は、今がいつまでも続くと思っていたのかも知れませんが、人は神が「そこに止まれ」と言えば止まる、「後ろを振り向くな、前に進め」と言われれば、後ろを振り返ることなく、神の備えた道を進む、それが塩の柱となってしまった「ロトの妻」がわたしたちに残した教訓でした。
 
もちろん、「ロトの妻」のことを考えると、そして塩の柱となった妻、母を置いて逃げなければならなかったロトや娘たちを思うと胸が痛みます。
しかし、「ロトの妻」とならないようにすること、そして「ロトの妻」予備軍を少しでも減らすこともまた、「ロトの妻」の出来事がわたしたちに教えてくれた、貴重な教訓の一つなのかも知れません。
 
 
3.ソドムの滅亡という事象の解釈に必要なこと、それは神学の素養と健全な知識
    
 アブラハムの住んでいた所は山地です。そしてロトとロトの家族の安否、ソドムの町の運命を気遣って眠れぬ夜を過ごしたアブラハムは、早朝、前日に神の前に立って必死の執り成しをした所に立って、遥か東の低地の町々を眺めます。
そのアブラハムが見たものは、低地の町々が彼の執り成しも空しく、壊滅的な惨状を呈しているように見えたことでした。
 
「アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた」(19章27、28節)。
 
 しかし、後になって、アブラハムは神が彼の切なる思いを汲んで、ロトとその家族を滅びの中から救出してくれたことを知り、神を崇めた筈です。
 
「こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわち、ロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された」(19章29節)。
 
 ところで創世記の記者は、ソドムをはじめとする低地の滅びは、主なる神によってなされた、悪に対する審判であったと記します。
 
「われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」(19章13節)。
 
 それは、具体的には主なる神が天から硫黄と火とを降らせたことによってなされたかのように描写されています。
 
「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と。その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた」(19章24、25節)。
 
 しかし、これらの現象は、神が直接的に手を下した超自然的な現象というよりも、この地域における地震や噴火による地殻変動が原因で起きた自然現象、自然災害であったと考えるのが妥当です。「天から」「硫黄と火」(24節)が降ってきたという証言は、この地域の地殻の特徴を物語ります。
 
そしてそれはタイミングとしては、低地の町々の腐敗と悪とが極限に達した時期と重なったのだと思われます。低地の町々の滅亡は、あくまでも地球と言う巨大な自然の営みとしての自然現象、自然災害であって、神が直接ソドムに「硫黄と火」を下したという訳ではありません。
最近になって、地震の予知は不可能であるという見解が地震学会の定説になってきましたが、全知の神にとって、この地域の地殻変動を予知することは容易かったと思われるからです。
 
なお、この事象の結果、この地域に広大な湖が出現した、それが後に死海と呼ばれることとなった、いわゆる「塩の海」である、死海は低地の町々が滅亡した跡に出来上がった湖だ、という説があります。
 
実は、良く言えば素朴、厳しい言い方をすれば無知な人々は、このソドムの滅亡という事例を自分に都合よく拡大解釈して、天変地異や自然災害が起こると、自らの偏見と感情のままに、それは神が下した刑罰であると決めつけがちです。
 
たとえば二年前の東日本巨大地震、そして地震に伴う大津波も、偶像礼拝が盛んな日本に悔い改めを促すために神が下した刑罰であると主張する牧師さんが、お隣りの国におりました。多分、受けた神学教育が不十分な方々なのでしょうが、東日本巨大地震、そして大津波はあくまでも自然災害であって、神が起こしたものではありませんし、ましてや神による天罰などではありません。
 
そのことに関しましては、大地震の二週間後に「この大地震は天罰でもなければ世の終わりの前兆でもない」ということを論じた小論、「3・11東日本巨大地震について」という文章を書いて教会の皆さんにお配りしたり、メールで送ったりしました。なお、この文章は昨年の十月に、教会のホームページに掲載しました。
 
神を信じるものが留意しなければならないのは、自然災害という異常現象を神と結びつけて、自分の都合のよいように解釈してしまうことです。ソドムの場合は、ソドムの悪と地殻変動とが絶妙のタイミングで重なった珍しい事例なのです。
 
自然災害と神の審判とを根拠もなく恣意的に結びつけることは慎まなければなりません。況してや、人の手による空襲や原爆投下による大量殺戮行為は、神とは全く無関係です。
私は時々、お隣りの国の新聞をネットで読むのですが、先週の五月二十日月曜日の韓国・中央日報の「時視各角」というコラム欄に掲載された、「安倍、丸太の復讐を忘れたか」というタイトルの論説には呆れ果てました。
 
記事にはこうありました。
 
    神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も過酷な刑罰が大規模空襲だ。歴史的には代表的な懲罰が2つある。第二次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。
 広島と長崎は軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。
 
 論旨は支離滅裂で突っ込みどころ満載の、まるで酔っ払いが書いた戯言(たわごと)のようですが、書いた記者は同紙のれっきとした論説委員なのだそうです。
 
なお、英語版は「安倍が神の報復を呼び込む」に変わっているそうなのですが、何で安倍首相なのかと言いますと、安倍首相が今月の十二日に、宮城県東松山市の航空自衛隊東松山基地で搭乗したブルーインパルスの練習機の機体番号がたまたま「731」だったことから、「731部隊」を想起し、そこから生体実験に使われたとされる「丸太」と呼ばれた犠牲者を連想して、その犠牲者による復讐が原爆投下なのだという、何とも強引で常軌を逸した主張が展開されていたのでした。
 
 しかし、安倍首相が乗ったのは「T−4(ティーフォー)」という練習機で、「T−4」の「T」は練習機(Trainer)の頭文字、「4」は4番目に開発されたということを示すもので、この「T−4」の初号機の機体番号が601ですので、それから数えて百三十一番目に製造されたから「731」で、それはブルーインパルス(青い衝撃)というアクロバットチームをリードする隊長機の機体番号であって、それに安倍首相がたまたま搭乗したことを受けて「731部隊」に結びつけるという牽強付会ぶりは、もう狂っているとしか思えません。
 
 ドイツのドレスデンへの英米軍による絨毯爆撃は、当時、世界中から無意味にして残酷な大量殺戮と非難された無慈悲悪辣な攻撃でした。ドレスデンは「無防備都市宣言」をしていた軍事施設皆無の、しかも普通の住民が暮らしていた都市でした。何をもってこれを神の懲罰、ユダヤ人の復讐というのか、理解に苦しみます。
 
無辜の住民が多数暮らす広島、長崎への残虐極まる原爆投下も、しかもポツダム宣言をいかに受諾して戦争を終わらせるかという交渉が進んでいる時期になされた原爆投下は、黄色人種を対象にした米国による新型爆弾の実験以外の何物でもない、残虐非道の所業でした。
 
この原爆投下の経緯に関しては、この一月に亡くなった近現代史研究家の鳥居民(とりい たみ)の著書、「原爆を投下するまで日本を降伏させるな―トルーマンとバーンズの陰謀」(草思社)は、米国による原爆投下の背景の公正かつ正鵠を射た分析です。
 
ドレスデンへの絨毯爆撃も、そして広島、長崎への原爆投下も、人の手による大量殺戮という戦争犯罪であって、神とは無関係です。況してや戦争犠牲者の復讐などという発想はナンセンスもいいところです。
 
もしもそれを「神の懲罰」というならば、米軍の原爆投下によって被曝し亡くなった数万人にものぼる在日朝鮮人は、如何なる悪を行ったから懲罰を受け、復讐の的となったのでしょうか。
また、同じ民族同士で争った結果、三百万人が死んだとされる朝鮮戦争の犠牲者も神の懲罰を受けたということなのでしょうか、また三百万人の死者は誰による復讐の結果なのでしょうか。
さらに、もしも神の懲罰云々というならば、朝鮮半島が日本に統治されたのは朝鮮民族に対する神の懲罰ということになりますが、それはどう説明するのでしょうか。
 
この論説委員は神の名を濫りに使い、また神の懲罰なるものを考案して、しかもそれを空襲という事態に勝手に限定しているのですが、その根拠は何も示していません。まさに酔っ払いの戯言のような文章でした。
 
この論説を掲載した後、悪評芬芬の上、日本政府などからの抗議を受けた中央日報社は二十四日、「これは個人の主張で社の公式見解ではない」との苦しい弁明記事を掲載しました。
しかし、新聞社と無関係の人の寄稿であっても掲載した社には一定の責任が生じるのは常識です。まして新聞社が任じた正規の論説委員の文章に対して、社は無関係という論理は通用しません。
なお、この論説の日本語訳は、いつの間にか全文が削除されていました。でも二十六日の今日現在、新聞社も本人も謝罪は一切していません。日本に対しては謝罪せよ、謝罪せよと執拗に迫るのに、です。
 
ソドムの滅亡はアブラハムが生きた時代に起きた歴史的出来事でした。そして、ソドムの滅亡という事象から後世の私たちが学ぶこと、それは聖書に記されている事象はもとより、歴史に生起した出来事を解釈するにあたっては一面的かつ一方的な解釈を退けて、多面的、多角的に検討すること、そしてその際、解釈をする者に必要なものは健全な神学的素養、そしてバランスの取れた知識、判断力であるということです。
 
そしてこれらの要素は、聖書の正しい解き明しを、心を尽くして聞き続けることによって、私たちの内に自ずから備わってくるのです。





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