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2013年7月28日日曜礼拝説教「詩篇を読む? 神を称えるのは、絶体絶命の時に神が叫びを聞いてくれたから」詩篇34篇1~10節

2013年7月28日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む? 神を称えるのは、絶体絶命の時に神が叫びを聞いてくれたから」
 
  詩篇34篇1~10節(旧約聖書口語訳775p)
 
 
はじめに
 
 心が沈んでとても祈れそうにないという時があります。そのような時に助けになるのが詩篇です。
それは詩篇の多くが、打ちひしがれた者が神に呼ばわって助けられたという体験を詩句にしたものだからです。
 
 今週も先週に続いて詩篇を読みたいと思います。今週は三十四篇です。
 
 この三十四篇はいろは歌、つまりアルファベット歌に分類されます。
 
各節の一行目がヘブル語のアルファベットで始まっているからで、一節の一行目はアレフで、二節の一行目はベース、三節はギーメル、四節はダーレスというように、です。
 
ですから、この詩篇は即興で作られたものではなく、文学的な技巧を凝らし、練りに練った文章で成り立っていることがわかりますが、だからこそ、万人の心を撃つのであろうと思います。
 
今回は前半の一節から十節までを通して、人が神を称えるわけについて考えたいと思います。
 
 
1.わが魂よ、私は常に主を誉め奉る―個人的救済体験が源 
 
 三十四篇の冒頭に、この詩篇が書かれた謂れが置かれています。
 
「ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌」(詩篇34篇前書き 新約聖書口語訳775p)。
 
この詩篇の背景にある事件とは、サムエル記上二十一章十節から十五節に記載されている出来ごと、すなわち、ダビデがサウル王の家来として輝かしい戦功を次々と挙げたことが、却ってサウルの内に疑心を生んで、その結果、ついにダビデを亡き者にしようとするサウルの被害意識ににより、理不尽にも国外に逃れざるを得なくなったダビデが、逃れて行った先の敵国ペリシテのガテの王の警戒心を解くため、精神の異常を装ったという歴史的事実を指します。
 
なお、この敵の王はサムエル記では「ガテの王アキシ」となっていますが(21章10節)、この詩篇では「アビメレク」となっているのは、当該箇所にダビデがガテに逃れる直前に幕屋に立ち寄った際、ダビデに応対した祭司の名前がアヒメレクであることから、詩篇の編纂者が混同をしてしまったのではないかと思われます。
 
三十四篇はダビデ王の作というよりも、後代にダビデの孤独感、絶望感を想い、ダビデの立場と心理を想像し、自らをダビデに擬して作ったもの、それが三十四篇なのです。
 
ダビデは王サウルのため忠実に、命を賭けて戦場を往来してきたにも関わらず、ダビデが王位を纂奪するに違いないという恐怖心を勝手に抱いたサウルによって命を狙われ、安住する場所もなくなって、敵地に逃れざるを得なくなり、しかも敵の王の警戒心を解くために気が触れた振りをしなければならないという、絶体絶命の情けない状況に追い込まれたのです。
 
このような二進も三進も行かなくなってしまった状況にある人にとって、詩篇三十四篇は大いに力となり慰めとなったことと思います。
 
作者はダビデの苦衷を想像し、にも関わらず、そのような切羽詰まった状況の中で、ダビデは「わたしは常に主を誉め奉る」と言ったとダビデに言わせているのです。
 
「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう」(34篇1、2節)。
 
 では、なぜこのような目に遭っても、それでも神を讃美することが彼には可能であったのかと言いますと、それは神が祈りを聞いて、恐れの中から救出をしてくれたという個人的経験があったからでした。
 
「わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された」(34篇4節)。
 
詩人は自分が主に求めたとき、「主はわたしに答え」(4節)「すべての恐れから私を助け出された」(同)と、ダビデに言わせています。
人はしばしば、「恐れ」というものを感じて怯えます。恐れと不安は少し違います。不安が特に具体的な理由もなく感じるのに対し、恐れは具体的に恐れる対象を認識して恐れるのです。
 
経済的な困窮という恐怖があります。病気、そしてそれに伴う死への恐怖を人は感じます。中には親しい者との間に生まれた軋轢によって恐れを感じる場合があります。
特に、自分としては良かれと思ってしたことが却って身近な人との間に誤解や軋轢を生じさせてしまい、気まずい状態に陥ってしまうという経験をする場合があります。
 
ある牧師の経験談です。神学校を卒業して、ある地方都市で開拓伝道を始めました。徒手空拳で臨んだ開拓伝道でしたが、幸い、宣教師が協力してくれることになりました。
一年目か二年目のことですが、十二月二十四日のクリスマス・イブの夜に伝道礼拝をしたらどうかというアイデアが浮かんだそうです。
キリスト教に関心のない日本人も、クリスマスは別だ、クリスマス・イブならば教会に行こうと思う人も出るかも知れない、グッドアイデアだと思い、協力してくれている宣教師に話しをしました。
 
賛成してくれるかと思いきや、「クリスマス・イブの夜は家族でクリスマスを祝うことになっている。だから参加することはできない、日曜日の夜ならばできるが」というのです。でも彼は、「いや、イブの夜こそ、伝道の機会である」ということで、イブ礼拝を決行しました。当然、宣教師は宣教師でイブの夜は家族でクリスマスを祝いました。
 
年が明けて宣教師から昼食を、と宣教師館に招かれました。
行ってみますとそこにはベテランの牧師も招かれていた、そしてその牧師に宣教師が綿々と訴えたのです、「○○先生は私たちを無視する。私たちの協力が不要であるならば、私たちは別のところで働きたい」と。
 
結果、ベテラン牧師の「まあまあ、お互いに話し合って」という執り成しによって、協力関係は継続ということになったのですが、収まらないのは若い牧師の気持ちです。
 彼は神に向かって、祈りというよりもむしろ愚痴を零し始めました。。
 
「神様、彼らは何しに日本に来たのでしょうか、伝道するためでしょう? ならば日本人が最も教会に行こうという気持ちになるイブの夜に集会を計画するのは当然ではありませんか、家族でクリスマスを祝いたかったら、何も日本に来る必要はないじゃないですか」
など、心に滾った思いや感情を神にぶつけながら伝道所に帰ってきたのですが、時間が経って気持ちが落ち着いてきてから考えが変わり、
「いやいや、神さま、そうではないですね、日本は文明国とはいえ、文化も生活習慣も言語も違う異国であって、そこで暮らすというだけでも大変な犠牲を彼らは払っています、第一、自分が出来るかと言ったら、異国で暮らすなど、とても出来ません、日本に来てくれただけでも感謝なことですし、毎週、遠い所から来て、私の説教を聞いて若い求道者たちと交わってくれる、いつも未熟な牧師のため、伝道所の働きのために心を込めて祈ってくれている、もうそれだけで十分ですよねえ」
という、有り難いという気持ち、感謝の気持ちに段々となってきたというのです。
 
つまり、「宣教師とはこうあるべきだ」という既成の評価基準で彼らを判断していたことに気づいたのでした。見方を変えることができたのは神の助けであった、この結果、この宣教師夫妻の宣教に対する情熱、神への真摯な信仰姿勢、円満な人柄などの好ましいイメージを思い出すことができ、宣教師に接する態度も変化した、そしてその変化した思いが宣教師夫妻にも以心伝心で伝わったようで、その後、伝道所の働きが進展して、一定の成果を上げることができるようになるまで、そして宣教師が「これで自分たちの働きを卒えた」と思える時まで、彼らとよい関係を保つことができたのは、神の助け以外の何物でもなかった、それがこの若い牧師の体験であったというわけです。
 
 この宣教師夫妻が定年で帰国する際、彼は成田空港まで見送りに行き、以後、地上で顔を合わせることはなかったが、彼の日には、天に召された彼らが主なる神により、大いなる報いを受けることになる筈、それが老境に入りつつあるこの牧師の確信となっているとのことです。
 
「この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された」(34篇6節)。
 
 
詩人は、「わたしは常に主をほめまつる」と歌いましたが、それは「この苦しむ者が」(6節)神に向かって「呼ばわったときに」(同)主がすぐ傍で「聞いて」(同)くれていて、悶々とした「悩みから救い出された」(同)という個人的救済体験があったからでした。
 
私たちの心に神への感謝を生み、そして讃美を育てるもの、それは神による個人的救済体験なのです。
 
 
2.神を畏れる者よ、共に主を崇めよ―救済体験の共有を
 
ダビデに自分を擬した詩人は自らが神を讃美するだけでなく、周囲の仲間に向かって、「一緒に主なる神を崇めよう」と呼びかけます。
 
「わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう」(34篇3節)。
 
 詩人が呼び掛けた仲間とは、「主を恐れる者」(7節)、つまり、神の実在を知っていて、かつ神を敬う者たち、現在でいうならば礼拝を共にする信仰の仲間と言うことです。
わざわざ教会に行かなくても、自宅で、あるいは自分の部屋で、自分の都合のよい時に神を礼拝すればいいではないか、という人もいます。
しかし、環境や状況が許すならば、一つの所に定期的に集まって信仰の仲間と「共に主をあがめ」(3節)、「共にみ名をほめたたえ」(同)ることを、作者は奨励します。
 
 それは詩人が信仰の仲間に、自分と同様、神の大いなる恵みを味わってもらいたいからに他なりません。その上で、もしも人生の途上において行き詰まることがあれば、そして出口の見えないトンネルの中にいるように思える時があるのであれば、その時は、「主なる神を仰いで光を得よ」と奨めるのです。
 
「主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない」(34篇5節)。
 
 人はしばしば得体の知れない恐れに囲まれているように感じ、孤立無援の状態に陥っているように思える場合があります。しかし、詩人は言います、主の守りは強力である、と。
 
「主の使いは主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる。主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む者はさいわいである」(詩篇34篇7、8節)。
 
 作者は「主の使いは主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」(7節)と断言しますが、これは恐らくは預言者エリシャの物語にある出来事を想起しての言葉であると思います。
 
 ダビデによるイスラエル統一王国はソロモンの死後、三代目のレハベアムの代になって南北に分裂しましたが、北のイスラエル王国にあって紀元前九世紀の後半から半世紀にわたって預言者活動を行ったのが神の人と呼ばれたエリシャでした。
 
 エリシャの活動地盤であった北イエスエル王国は北の大国シリヤからの略奪行為によって常に悩まされていましたが、その国家的危機を救ったのが預言者エリシャの超絶的予知能力でした。つまり、シリヤ軍の作戦本部が立案したイスラエル攻撃案がエリシャによって予知され、そのためシリヤからの攻撃地点にはいつもイスラエル軍が待ち構えている、という状態が続いたのです。
 まさに預言者エリシャは「ひとりNSC(国家安全保障会議)」であったわけです。
 
これに悩んだシリヤ軍は、目の上のたんこぶともいうべきこの預言者を捕獲しようと、当時エリシャが住んでいた町に軍勢を派遣します。
そしてある朝、エリシャの召使いが家の外に出てみると、シリヤの軍勢が町を囲んでいることに気づきます。恐怖に慄いた召使いがこの事態をエリシャに告げた時に、怯える召使いにエリシャが答えたのが、「恐れるな、我々と共にいる者は彼らと共にいる者よりも多い」という、彼の臆する思いを払拭させる信仰の言葉だったのです。
 
「神の人の召使いが朝早く起きて見ると、(シリヤの)軍勢が馬と戦車をもって町を囲んでいたので、その若者はエリシャに言った、『ああ、我が主よ、わたしたちはどうしましょうか』。エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』。そしてエリシャが祈って、『主よ、ぞうぞ、彼の目を開いて見させてください』と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」(列王紀下6章15~17節 口語訳528p)。
 
 三十四篇の作者の念頭にあったものは、「彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」(17節)という列王紀の記述だったのでしょう。
 
 教会とは何か。教会とはこの神の救済のわざを共々に喜び合う集まりとして、神によって召し出されたものなのです。
 ですから、身体的、時間的に状況が許すならば、ぜひ、教会の集会に出かけて行って、これからも「共に主をあがめ」(3節)、「共にみ名をほめたたえ」(同)ていただきたいと思います。
 
 教会は神による救済体験を共有するところでもあるのです。
 
 
3.主の聖徒よ、主を恐れよ―過去の救済体験を思い起こせ
 
さらに詩人は身近な信仰の仲間を超えて、神の民に向かって、「主を恐れよ」と勧めます。なぜかならば、主を恐れる者の人生を主が責任を持って守られるからであると。
 
「主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである」
若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし、主を求める者は良き物に欠けることがない」(34篇9、10節)。
 
 「主の聖徒」(9節)とは、神の民を意味します。「聖徒」とはセイントや聖人のことではなく、神によって特別な者として選り分けられた者を言います。
 ローマン・カトリックでは洗礼を受けると洗礼名が与えられるそうですが、それは使徒の名であったり、教会が認定した歴代の聖人であったりします。
 ではなぜ、聖人の名を洗礼名とするのかと言いますと、それは聖人、セイントとされた者が持っている有り余る功徳を分けてもらうためであって、その功徳によって信者は死後、中間地点である「煉獄」からスムースに「天国」に行けるというわけです。
 
 このローマン・カトリックの教理の是非は別として、詩人のいう「聖徒」(9節)はいわゆる聖人、セイントのことではなく、神によって選び分かたれた神の民すべてを意味するということを覚えてください。
 
かつては熱心に主に仕えていたが、様々の事情により、いつしか教会から遠ざかり、祈ることもしなくなってしまった、だから自分はもう聖徒ではない、と思い込んでいる人がいるかも知れません。
 
しかし、今がどのような状態であれ、神がひとたび選んで聖別したからには、嘗てと同様、今も依然としてその人は「聖徒」であり、「主の聖徒」なのです。
そのような思いのある人に向かって詩人は、今一度「主を恐れ」(9節)、「主を求める者」(10節)とされて、「良き物に欠けることのない」(同)幸いな信仰人生、讃美の生活に戻ってきて欲しいと願っているのです。
 
その際に求められているものは、過去に味わった救済の体験を思い起こすことです。それは記憶の彼方に色褪せて沈んでいるかも知れません。しかし、人が忘れても神は忘れていないのです。神は嘗ての日、あなたが心を燃やして神に祈り、思いを尽くして神に従ってきたことをお忘れになることはないのです。
 
「しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、救いにかかわる更に良いことがあるのを、あなたがたについて確信している。神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない」(ヘブル人への手紙6章9、10節 新約聖書口語訳 348p)。
 
 神は「あなたがたがかつて聖徒に仕え」(10節)、「御名のために示してくれた愛を、お忘れに」(同)なってはいません。そこに希望があるのです。