2013年6月16日 父の日・日曜礼拝説教
「アブラハムは、最大の試練を神を信じ切ることによって乗り越えた」
創世記22章1~19節(旧約聖書口語訳25p)
はじめに
「理不尽」とよく似ている言葉に「不条理」があります。条理は道理と意味が良く似ていますので、両者は同じ意味かと言いますと、やや違うようです。
「理不尽」というのは「無理が通れば道理が引っ込む」と言いますように、力のあるものが力のない者に対して自分の意向を無理やりに押し付けるというニュアンスがあるのですが、「不条理」には、理性や常識では到底考えられないような、あり得ない事態を指す場合に使います。
中学生の頃に読んだ富田常雄の小説「姿三四郎」の中に、三四郎が住んでいた長屋の家主の娘だったかが、洗濯をしながら自分ではどうにもならない現状を、歌に託してぼやくように歌う場面があったことを思い出します。「間違えばまちがうものだよ、木の葉が沈んで小石が流れる…」
通常、流れるのは軽い木の葉であって、重量のある石は流れず下に沈みます。つまり常識では有り得ないこと、有る筈のないこと、有るべきではないこと、それが「不条理」ということなのです。
前回、アブラハムは神のゆるしがあったとはいえ、心ならずも我が子イシマエルとその母親に対して、彼らを天幕から放逐するという「理不尽」な取り扱いを致しましたが、その記憶が薄れかけたころ、彼自身が信じてやまない神から「不条理」としか思えない命令を受けることになります。
それはまさに「理不尽」を突き抜けて「不条理」の典型とでもいえるようなものでした。
では、アブラハムはその「不条理」といえる事態をどのように乗り越えたのか、それが今週の主題です。
1.信仰の祖アブラハムは、信頼してやまない神により最大の信仰的試練を受けた
イサクの母サラの立場と視点から見れば禍の種にも見えたイシマエルを、サラの要求通りに天幕から追い出してから、アブラハムの家庭には平穏無事な日々が流れていました。そして約束の子イサクも何事もなく成長していきました。
そんなある日、予期せぬ命令、耳を疑わせるような指示が神からアブラハムに下ったのでした。
それは「息子イサクをモリヤという地に連れていって、そこでイサクを燔祭として捧げよ」というものでした。
「これらのことの後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、『アブラハムよ』。彼は言った、『ここにおります』。神は言われた、『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(はんさい)としてささげなさい』。」(創世記22章1、2節 旧約聖書口語訳25p)。
「燔祭」(2節)とは新改訳では「全焼のいけにえ」、新共同訳では「焼き尽くす供え物」と訳されている通り、生贄の動物を炭や灰になるまで焼き尽くして香りを神に捧げるという供え物のことです。
つまり神はアブラハムに対し、息子のイサクをモリヤという地に連れていって、そこで彼を生贄として灰にして神を礼拝するようにと命じたのでした。
これはアブラハムにとっては信じ難い命令でした。イサクは高齢の夫婦に奇跡的に誕生した実の子です。目に入れても痛くない「愛する」(2節)子供です。
この神の命令がアブラハムにとって、信じ難い不条理極まりない命令であったのは、神も指摘している通り、イサクがアブラハムの「ひとり子」(2節)であったということでした。
イシマエルは既に天幕から放逐されておりますので、イシマエルにはアブラハムの名と立場を継承する権利はないということです。
つまりアブラハムの祝福を継承する跡継ぎはイサクだけということになるのですが、その跡継ぎの「ひとり子」を「燔祭としてささげなさい」(2節)と神が命じたのでした。
しかも、イサクは神によって与えられた約束の子供です。その子供がこれからという時に命を絶たれたならば、神とアブラハムとの契約は反古になってしまいますし、アブラハムのこれまでの労苦も無意味なものとなってしまいます。
これこそが、神のアブラハムに対する命令が不条理である所以です。
創世記はこの事態を、アブラハムを神が「試み」(1節)たのだとしています。
「試み」とは何かと言いますと、相手を試すことによって、その人に資格があるかどうか、また、動機が純粋であるかどうかなどを確かめることです。
では、アブラハムは何を試みられたのでしょうか。アブラハムが試みられたもの、それは神へ信仰と神への従順、言い換えれば神を第一としているかどうかという忠誠心でした。
それはまさにアブラハムの生涯における最大の試練でした。しかも、試練を与えたのは敵である悪魔でもサタンでもなく、何と彼が信頼してやまない、味方の筈の神だったのです。
長い人生、時には味方である筈の神が遠くに行ってしまったように感じるだけでなく、あろうことか神が向こう側に回ってしまっているように思える場合があるかも知れません。では、アブラハムはこの試練をどのように乗り越えたのでしょうか。
2.信仰の祖アブラハムは、最大の信仰的試練を神を信じ切ることによって乗り越えた
神のお告げは恐らくは夜の内に臨んだのでしょう。翌日、アブラハムは早朝に起きて燔祭の準備をし、サラには告げずにイサクと二人の使用人を連れて神が示す地、モリヤへと向かいます。
「アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた」(22章3節)。
アブラハムにとってはそれもまた、一つの信仰的決断でした。信仰がなければ神の命令を無視するか反論をするかして、抵抗の姿勢を示す筈ですから。
彼が燔祭の支度を整えて出かけたということ自体が、一つの信仰的行為であったからです。
そして三日目、四人は目的地に着きました。そこでアブラハムは二人の使用人にここで待つように告げて、燔祭に必要な薪をイサクに背負わせ、自分は火と刃物とを持って出かけます。
「三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。そこでアブラハムは若者たちに言った、『あなたがたは、ロバと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます』。アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った」(22章4~6節)。
この時のイサクが何歳であったかについては、創世記は何も触れていませんが、ユダヤ人歴史家のヨセフスは、その著作のユダヤ古代誌において、二十五歳と言い切っています。
二人は、犠牲獣を除けば、供犠に必要なすべてのものを備えていた。そこでイサク ― 彼もすでに二五歳の年齢に達していた ― は、祭壇をつくりながら、犠性もないのに、いったい何を供えようとしているのかと父に尋ねた(フラウィウス・ヨセフス著 秦剛平訳「ユダヤ古代誌?」092p ちくま学芸文庫)
ただし、ヨセフスは年齢算出の根拠を示していませんので、イサクの実際の年齢は不明です。しかし、焼き尽くことを目的とする「燔祭」の性質上、持参した薪は相当な分量となる筈です。
それを一人で担いで山を登るということを考えると、イサクが体の出来ていない十代ではなく、十分な筋力、体力を供えた成人であることが推察できます。そうなりますと、ヨセフスの「二五歳」という説は説得力を持つといえるかも知れません。
やがて二人は神が示す山に着きました。やおらアブラハムはそこに生贄を捧げるための祭壇を築き、そこに薪を並べて、イサクを縛ってその上に載せたのでした。
「彼らが神の示された場所に来たとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた」(22章9節)。
そして、刃物を振り上げてそれをイサクの上に降ろそうとしたのです。
「そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした…」
(22章10節)
アブラハムを敬愛してやまない十九世紀前半のデンマークの哲学者、セーレン・キェルケゴールは、その著書「おそれとおののき」の中で、この場面について畏れつつそして慄きつつ、アブラハムの行動をあたかも目撃者のように活写します。
イサクの運命は刀をとるアブラハムの手中におかれていたのであった。かくて彼は、この老人は、彼の唯一の希望とともに、そこに立った!
彼は自分に要求されるものが、この上なく重大な犠牲であることを知っていた。しかしまた彼は、神が要求するとき、いかなる犠性も重すぎることはないことも知っていた。- かくして彼は刀を抜いた。
この光景を目のあたりに見る者は、驚愕に茫然自失するであろう。
このさまを目のあたりに見る者は盲(めし)いるであろう。
(キルケゴール著 桝田啓三郎訳「おそれとおののき」20p 河出書房新社)
そして刃物を振りおろそうとしたその瞬間、彼を呼びとめる天からの声を聞くことになるのです。
「刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、『アブラハムよ、アブラハムよ』。」(22章11節)。
アブラハムの名を呼んだ主の使いは重ねて言います、イサクを殺してはならない、わたしはあなたの真情を知った、と。
「み使いが言った、『わらべに手をかけてはならない。また、彼に何もしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを今知った』。」(22章12節)。
このことから、究極の意味においてアブラハムが「試み」られたのは、彼が「神を恐れる者である」(12節)かどうかということであったことがわかります。
「神を恐れる」とは神を怖がることではありません。「神を恐れる」とは、神を神として尊び、崇めることであって、具体的には神の善を信じ切る、ということなのです。
サラが笑ったという箇所で、北森嘉蔵牧師の説教を引用しましたが(五月十二日説教「信仰の祖アブラハムの妻サラは、苦い笑いを喜びの笑いに変えられた」)、北森牧師は別の著書で、信仰の類型として、信仰には猿型の信仰と猫型の信仰がある、という説明をしておりました。
猿型の信仰とは何かと言いますと、母猿が樹上を移動する場合、子猿を背中に背負って木から木へと飛び移って移動するのですが、その際、母猿の首っ玉にしっかりしがみ付いていないと子猿は地上に振り落とされてしまう、一方、猫が子猫を連れて移動する場合、母猫は子猫の首っ玉を咥えて部屋から部屋へと移動する、その時、子猫は全くの受け身で母猫に自分を任せておけばよい、つまり信仰にも、猿の母子のように、神にしっかりしがみついていないと信仰から脱落してしまうという形と、猫の母子のように、ただただ身をじっと神に委ねる受け身のかたちのものとがある、という説明でした。
そして、この時のアブラハムの信仰は、人間がジタバタしてもはじまらない、すべてを知っていて、しかも最善をなしてくれる神にすべてを任せるという、いうなれば猫型の受け身の信仰であったのです。
長い間、アブラハムの信仰は猿型の信仰でした。ですから先走って、ハガルによって跡継ぎを得ようとしたり(16章)、サラに息子が生まれると神に言われても、ハガルが産んだイシマエルに拘ったりと(17章)、自分自身の考えや計画を前面に出すことがしばしばでした。
しかし、ここに至っては、ただただ神にすべてを委ねる以外、執るべき手段はなかったのでした。アブラハムは子猫が自分を母猫に委ねるように、神を信じ切って、自らを神に委ねたのでした。
千数百年後の一世紀末、無名の教師がユダヤ教出身のユダヤ人クリスチャン達に宛て、キリスト教の優位性を強調することによってキリスト信仰を励ます書簡を書いた際に、彼はその中で、アブラハムは神が死んだイサクを生き返らせることができると信じたのだと主張しました。
「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。この子については、『イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう』と言われていたのであった。彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから、彼は、いわば、イサクを生きかえしてわたされたわけである」(ヘブル人への手紙11章17~19節 新約口語訳355p)。
しかし、アブラハムが文字通りに、「神が死人の中から人をよみがえらせる力がある」と信じていたと言い切るにはためらうものがあります。
ただ言えることは、アブラハムが神の善性と真実性を信じて、自らの煩悶も疑問もすべて、神に委ね切った、だから刃物を振り上げたのだということです。
それは決してポーズなどではありませんでした。この時、アブラハムは実際に息子イサクを屠って薪に火をつけて燔祭として神に捧げようとしていたのでした。
それは現代の基準ではどんな説明を加えても許されることではありません。しかし、それはアブラハムの信仰の練磨のためには通らねばならない試練だったのでした。そしてアブラハムは刃物を振り上げることによって、その試練を乗り越えたのです。
3.信仰の祖アブラハムの神は、試練と同時に逃れる道をも備え
てくれる神であった
アブラハムがこの段階において神を信じ切る信仰に到達していたことは、イサクの問いへの答えにもそれが表れています。
「やがてイサクは父アブラハムに言った、『父よ』。彼は答えた、『子よ、わたしはここにいます』。イサクは言った、『火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか』」(22章7節)。
イサクの問いはもっともです。そして父は即座に答えます、生贄は神が備えてくださる、と。
「アブラハムは言った、『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう』。こうしてふたりは一緒に行った」(22章8節)。
そして、刃物を息子に向かって振りおろそうとしたアブラハムが、神の使いの声によって手を止めてあたりを見回した時、そこに角をやぶに掛けてもがいている雄羊を見つけたため、これをイサクの代わりの燔祭として捧げたのでした。
「この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子の代わりに燔祭としてささげた」(22章13節)。
この順序の重要性について、キェルケゴールは指摘します。彼がもしも山の上で逡巡して刀を抜く前に辺りを見回して羊を発見したら、そして神がその羊をイサクの身代わりにささげることを彼に許したとしたら、二人は無事に帰宅もし、また前のような生活が続いたであろう、しかし、信仰の様相は一変したであろう、と言います。
なぜなら、そのとき、彼のたどる家路は逃亡であり、彼の脱出は偶然であり、彼の報酬(むくい)は羞恥であり、彼の将来はおそらく破滅であったであろうから。
しかし彼(註 著者自身を指す)はけっして忘れることがないでありましょう。あなたが思いがけなくもなく老齢の子を得られるために百年の間待たれたということを、あなたがイサクをもちつづけられる前に、刀を抜かなければならなかったことを。
(前掲書20p)
この結果、アブラハムはその所をアドナイ・エレと名づけました。
「それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお、『主の山に備えあり』と言う」(22章14節)。
「アドナイ・エレ」(14節)とは直訳すれば、「主、見給う」ですが、これが「主は備え給う」となり、これから「備え(プロヴァイド)」、そして「摂理(プロヴィデンス)」という信仰が誕生することとなりました。
この「摂理」を意味する「プロヴィデンス」は、ラテン語の「プロ(前を)」と「ウィデーレ(前を)」から成った言葉です。
アブラハムの神は、神を愛する者の傍にいて、その「前を」「見る」すなわち、予知し、良きものを備えてくださるお方なのです。
そしてアブラハムはその晩年に至って、神を信じ切るという信仰の高い嶺へと登り詰めていったのでした。
確かに人の前途は、「一寸先は闇」です。そして、信仰の祖アブラハムの神は信仰を練磨するため、ぞれぞれのレベルに応じて信者が試練に遭うことをゆるすことがあります。
しかし、神はその愛する者が、乗り越えられずに挫折してしまうような試練に遭わせることは決してありません。
遭わせることがないばかりか、試練と同時に逃れる道も、その「前に(プロ)」「備えて(ウィデーレ)」下さる摂理の神なのです。
「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(コリント人への第一の手紙10章13節 新約267p)。