日曜日とキリストの復活
日本人の多くが健康で長生きなのは、イエス・キリストのおかげである、ともいえます。実は我が国の暦は1868年の明治維新になっても旧暦(太陽太陰暦)のままでした。
ところが、明治5年の11月9日になって、明治政府は突然、その年の12月3日を西暦(太陽暦)6年1月1日に改暦するという太政官布告を発したのでした。何とも乱暴な政策です。
その表向きの理由にあげられたのは、西暦を採用している欧米の先進国に日本が歩調を合わせるため、ということでしたが、隠された理由は政府の懐(ふところ)事情、つまり財政事情にありました。
実はこの少し前、明治政府は官吏(国家公務員)の給料を年俸制から月給制に変えたばかりだったのですが、旧暦の場合、翌年の明治6年は閏年であるため、一年が13カ月となり、そうなりますと一カ月分の給料を政府が余分に払わなければなりません。
そこで財政難の政府は、その一カ月分と前年つまり明治5年の12月分とを節約するために太陽暦への改暦を企てて、そして12月3日を正月にした、というのが真相なのです。
私たちが普通に使っているカレンダーは、今でこそ七日単位の七曜制ですが、七曜制はこの時の改暦の際に、キリスト教国である西欧から我が国に導入されたものでした。
ところで現代の私たち日本人は当然のように日曜日を休日としていますが、昔、商家の奉公人などの場合、藪入といって年に二回だけ、盆と正月に休みをもらって実家に帰るという、苛酷な労働状態の中にいたのでした。
一方、明治政府は維新(1868年)の9月に太政官布告で、毎月1と6のつく日を休日に定めていました。しかし、それですと日曜日を休日としている欧米諸国との交易や交際に支障をきたすことになります。そこで明治政府は太陽暦に改暦した三年後の明治9年3月になって、土曜日の午後と日曜日の一日を休日とすることを定めたのです。
では欧米諸国が日曜日を休日としているはなぜでしょうか。それはイエス・キリストが墓からよみがえったのが週のはじめの日である日曜日だったからです。その日曜日は、西暦30年の4月9日でした。
キリスト教がローマ帝国で国家の公認宗教となった今からちょうど1700年前の西暦313年に、イエス・キリストの復活を記念するため、日曜日が公式に休日に定められました。
私たち日本人が少なくとも週に一日、日曜日に公然と仕事や学校を休めるようになったのは、そういう意味では、イエス・キリストの復活のおかげ、とも言えます。そういうわけで、キリストの復活は私たち日本人の日常生活とも、密接に関係しているのです。
このキリストの死からの復活を記念する2013(平成25)年のイースター(復活祭)は、今年は3月31日の日曜日です。
今年、街角の小さな教会で行われるイースター・復活祭礼拝に、よろしければぜひお出かけください。
あなたのご来会を心より歓迎いたします。