【お知らせ】2024年3月より、寝屋川市錦町に移転しました。

2013年2月10日日曜礼拝「選ばれたのは、無きに等しい者たちであった」マルコによる福音書3章13~19節前半

20132月10日 日曜拝説教

「選ばれたのは、無きに等しい者たちであった」 

マルコによる福音書3章13~19節前半(新約聖書口語訳55p)
 
 
はじめに
 
 新政権の経済政策であるアベノミクスの発動により、日本の経済が活気づき始めたようです。アベノミクスはご存知のように、総理大臣の安倍(アベ)と経済学を意味するエコノミクスとを掛け合わせた造語です。
政権が発足してまだ六週間ですが、円安が進んで、株価も上昇し、輸出産業が好調のようです。これで雇用状況がよくなって失業率が低下し、廻り廻って国民一人一人の収入上昇につながればよいのですが。
 
 雇用と言えば就職試験ですが、思い出すのは黒柳徹子という早口のタレントさんのエピソードです。
 
彼女が音大を卒業して就職しようと考え、先ず新聞の求人広告を見た、ところがどこもみな一様に「細面」とある、しかし自分の顔は丸顔、採用要件に合わない、途方に暮れていたところ、わかったのが「細面」は「ほそおもて」と読むのではなくて「さいめん」、つまり細かい事は会ってから話すという、「委細面談(いさいめんだん)」の省略だった、というものでした。
 
このエピソードはどこで読んだのか、手もとにある「窓際のトットちゃん」にはないので、「トットの欠落帖」の方で読んだのかも知れませんが、この話には続きがあって、数多の求人広告の中で唯一、「細面」と書いてなかったところに応募したところ、めでたく合格通知がきた、それがNHKだったとか。
 
 ところでイエス・キリストもその活動の初期に、使徒を採用しようと考えて、弟子の中から十二人を選抜しました。彼らの中には面長もあれば丸顔もあったでしょうが、イエスが使徒たちをどのような基準で選んだのか、また何のために選んだのか、興味を惹かれます。
 
今週も先週に続いて、二年前に取りあげた聖書箇所から説教を致します。二年かけてマルコによる福音書を丁寧に読んできてわかったのは、弟子たちの何とも情けない体(てい)たらくでした。
 しかし、初期の困難な宣教を担ったのは、そして教会の堅固な土台を据えたのは、その情けない弟子たちでした。情けない弟子たちは頼りがいのある指導者に変貌しました。何が彼らを変えたのでしょうか。
 
 
1.選ばれた理由は、無にも等しい者たちであったから
 
 ヨハネからヨルダン川でバプテスマを受けたイエスは、故郷のガリラヤに戻り、そこで宣教活動を始めました。
 
「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」(マルコによる福音書1章14、15節 新約聖書口語訳51p)。
 
 イエスのガリラヤでの活動が進展するにつれて、イエスに従う者が増えてはきましたが、それらの人々の多くは今でいうフアンのようなものでした。そこで、イエスはそれらの人々の中から自分の眼鏡に適った者をフルタイムの弟子にしようとして、十二名をみもとに呼び寄せたのでした。
 
「さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった」(3章13、14節前半)。
 
 「お立てになった」(14節前半)と訳された言葉は、「任命した」という意味です。辞令こそありませんが、彼らを正式に採用したわけです。この十二人のリストが十六節から十九節に列記されています。
 
筆頭がペテロというあだ名を付けられたシモンで、十二人目がイスカリオテのユダでした。この十二人のうち、十一人までもがガリラヤの出身で、ユダヤの出身はイスカリオテのユダだけでした。そしてこのユダだけが唯一、インテリであって、他の十一人はいわゆる庶民の出身だったようです。
 
 使徒行伝によれば、イエスが昇天したあと、使徒たちによる大胆な宣教活動が展開されるのですが、その結果、使徒たちはイエスを処刑に追い込んだサンヒドリンに逮捕されて、予備尋問に召喚されるという事態に追い込まれます。
ところが、イエスの裁判の時点ではサンヒドリンを恐れてイエスの弟子であることを必死になって否定したペテロが、今度は堂々とした態度で、イエスがメシヤであるという弁論を、聖書に基づいて展開し、彼らサンヒドリン議員たちをびっくりさせます。
 
「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った」(使徒行伝4章13節)。
 
 「人々」とあるのはユダヤのエリートであるサンヒドリンの議員たちのことです。
彼らの弟子たちに対する認識は「無学な、ただの人たち」ということでした。この「無学」という表現の意味には二つの説があります。
一つは、「無学、ただの人」というのは、学者のような専門的訓練を受けていない、という意味だというものです。現在で言えば神学教育を受けていない、あるいは学位を持っていない、という意味だというのです。
 
 そしてもう一つの説は、文字通りの無学文盲という意味の、教育をほとんど受けたことのない者、昔風に言えば,目に一丁字もない、ということです。
 
 私の理解では、ふつうのユダヤ人は子供の時に「シナゴーグ」つまり「会堂」でヘブライ語で書かれた聖書を教えられますので、読み書きは普通に出来たでしょうし、義務教育程度の知識は持っていたと思います。ですから、文字通りの無学文盲ではなかった筈ですが、パウロのような高等教育、専門教育を受けた訳ではなかった筈で、そういう意味ではまさに「ただの人」(13節)であったのだと思います。
 
 最初の弟子たちは、まさにそういう人たちだったのです。そしてイエスは敢えてそのような人を「ただの人」たちを弟子に選抜したと思われます。そのヒントになるものが、パウロの書いた書簡にあります。
 
「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである」(コリント人への第一の手紙1章27~29節)。
 
 コリントの集会の悪弊の一つに党派心というものがあって、有力者のグループに所属していることを誇示することによって自らを誇る、という傾向が顕著であったようでした。つまり「虎の威を借(か)る狐」です。
 
 手紙の中でパウロが言いたかったことは、有力者も含めて、所詮はみな、神の前には「無きに等しい者」(28節)である、だから人を誇るな、誇るならば気高い身分にありながら、最も低いしもべのかたちを取ったイエスを誇れ、ということだったのです。
 
「誇る者は主を誇れ」(1章31節)。
 
 自らが「無きに等しい者」(29節)であったことを誰よりも痛感していたのは、「使徒」に選ばれながら、失敗を積み重ねて自信を喪失し、まさに引きこもり状態にあった「十二人」の弟子たちであったでしょう。
しかしイエスは弟子たちのそのような実像を見抜いた上で、敢えて彼らを弟子に選んでいたのでした。
使徒に選ばれたのは「無きに等しい者たち」であったのです。
 
 では、このような「無きに等しいもの」、何の取り柄のない者が、なにゆえに選ばれたのか、何が選びの基準であるのか言いますと、それはただ一つ、彼らがイエスを愛している、という一事に尽きました。
この一事に関して、彼らは抜きん出ていたのです。弟子の唯一の資格、それはイエスを愛するということです。それは二千年後の現代も同じです。
 
 
2.選ばれた最大の目的は、側で仕えるためであった
 
 では、「十二人」が選ばれた目的は何だったのかと言いますと、不思議なことなのですが、何かをさせるためではなかったのです。では何のために選んだのか、それはご自身の「そばに置くため」であったとマルコは言います。
 
「そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、…」(3章14節前半)。
 
 人材を採用する側は通常、仕事をしてもらうために人を採用します。ところがイエスは「そばに置く」ということを優先させたのでした。側に置くのは便利屋として、身の周りの世話をさせるためか、というとそうではなく、互いに語り合い、そして交わるためでした。
イエスが弟子を選んだ第一の目的は、側に置いて親しく交わるため、そしてその交わりの中で手取り足とりして、大事なことを教え、訓練するためだったのです。
 
 槇原敬之という歌手が作詞作曲をした「世界に一つだけの花」という歌があります。私の記憶ではテレビドラマの主題歌だったと思いますが。
 
小さな花や大きな花 
一つとして同じものはないから
  No.1にならなくてもいい  
もともと特別なOnly one
 
この「オンリーワン」という締め括りの歌詞に、作者の意図が凝縮されていると思われます。ただし、「もともと特別なオンリーワン」であるということに甘えてしまって、これを、努力することを否定し、怠惰であることを肯定する理由にしてはなりませんが。
 
「オンリーワン」は「唯一の」という意味であって、他のものでは取り換えが利かないということです。
その意味で、バビロンで捕囚となっていた神の民への預言者による解放の預言は、「もともと特別なオンリーワン」であったイスラエルが、その罪深さ、愚かさにも関わらず、今も依然として「オンリーワン」であることを確認させるものでした。
 
実は民族としてのイスラエルの過ちは彼らが高慢になって、自分たちが「ナンバーワン」であるという自負心を持ったことにあるのです。しかし、捕囚の期間において、彼らの自負心は打ち砕かれて、自信喪失状態に陥っていました。
そこに、神からの預言が預言者イザヤを通して語られたのです。バビロンに強制連行されてから七十年後のことでした。それがイザヤ書の四十章から五十五章でした。
 
特に、四十三章の言葉は心を打ちます。色々な牧師さんたちが好んで引用する聖句です。本日は口語訳ではなく、新改訳聖書の訳で読みましょう。
 
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節前半 新改訳)。
 
 「わたし」とは神です。そして「あなた」とはイスラエルのことです。神の目には、ボロボロのイスラエルは依然として値のつけようのないほど「高価で」かつ「尊い」存在である、つまり、「もともと特別なオンリーワン」なのでした。
 
 紀元二十七年、イエスもまた、「人間的には」(第一コリント1章26節)「無きに等しい者」(同28節)である十一人のガリラヤ人と一人のユダヤ人それぞれを、「オンリーワン」として交わりのために側に置く、という目的で選んだのでした。
 
 私たちを今日、イエスが弟子として選んだ目的の第一もまた、イエスの「そばに置くため」なのです。
 
 
3.選ばれたもう一つの目的は、遣(つか)わされるためであった
 
 そして、「十二人」が選ばれたもう一つの目的が、イエスの手伝いをするということでした。「十二人」のことを、この箇所の並行記事であるルカによる福音書では、彼らはイエスによって「使徒」と呼称されたということです。
 
「夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった」(ルカによる福音書6章13節)。
 
 「使徒」と言いますと何やら仰々しい感じがしますし、実際、後になるとヒエラルキーといいまして、使徒職は教会制度の頂点に君臨する職制を指すようになります。ローマ教会の主教などは使徒ペテロの後継者を僭称して、キリストの代理人を自称しますが、何の根拠もありません。
 
「使徒」の動詞形は「派遣する」「遣わす」です。ですから「使徒」とは元々は、師匠であるイエスの指示、命を受けて、イエスから命じられた任務を果たすために遣わされる人を意味したのです。
 弟子たちは二つの任務に派遣されるという目的で選らばれたのでした。
 
「そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった」(3章14、15節)。
 
 一つは「宣教につかわ」(14節)ためであり、もう一つは「悪霊を追い出す権威を持たせるため」(15節)でした。
 
 「宣教」(14節)とはイエス・キリストの教え、メッセージを伝えることです。イエスの伝えたいメッセージとは、
?    この世には愛に満ちたひとりの神が実在していること、
?    その神は人間を含めた世界の創造者であること、
?    神はまた、造り主を見失っている人類に神を示すため、独り子を人として世に遣わしたこと、
?    その独り子なる神は人類の罪を清算するため身代わりとなって死んだけれども、その後、神によってよみがえらされて今も生きていること、  
?    そして砕かれた心でみ許に来る者の罪を赦して救ってくれること、
?    信じる者には永遠の生命が与えられること、
などでした。
 
 では、これは「使徒」に選ばれた特定の弟子たちだけの任務であるかというと、そうではなく、イエスを信じている者はみな、「宣教につかわ」(14節)されているのです。
 
もちろん、訓練された「個人伝道法」を駆使して、「宣教」に当たることができればベストですが、そうでなくても、自らの信仰体験を話すだけでも立派な「宣教」なのです。
 
 昨年の秋に、私たちの教会の初期の働きを手伝ってくれたロバート・フリボールド元宣教師が亡くなったという連絡を受けました。思い出は多くありますが、先に天に召されたルース夫人の証しをいま、思い出します。
 
若かった頃、重い病に倒れた、もう二度と、ふつうの生活はできないと言われた、その病床で主に祈った、私を癒してください、この病の床から立ち上がらせてください、と。そして主は私を癒して病の床から立ち上がらせてくれた、それが嬉しくて嬉しくて、機会あるごとに主イエスが自分にしてくれたことを証しをし、証しするたびごとに心が喜びに溢れた、
 
しかしある時、「ルースはまた同じ話をしている」という声を聞いてしまった、心が恐れに支配されて、その結果、証しをしなくなってしまった、そのうち、心の中から、あの喜びが消えてしまった、
 
ある時、人からどう思われようと、主が自分にしてくれたことを黙っているのはよくない、と考えて、証しをやめてしまっていたことを悔い改めて、勇気を出して、また証しをするようになった、そうしたら、またあの湧き上がるような喜びが心の中に戻ってきた
 
夫人は目に涙を溜めてこう証しをし、「主が自分にしてくれたことを黙らないように、いつでもどこででも証しをするように」と勧めてくれました。
私たちはみな、それぞれのレベルで、イエスの「そば」から「宣教につかわ」(14節)されているのです。
 
 もしてもう一つの任務、それは人を精神的、心理的な悩み、葛藤から解放する働き、つまり癒しの手伝いをすることでした。
 
 西暦一世紀のパレスチナは、迷信と呪いが横行する世界でした。庶民は暮らしの苦労と明日への不安に加えて、各種の迷信によって不安と恐怖を煽られていました。
そういう環境の中で、心を病む人が続出しましたが、医学の知識がなかった社会では、心の病はすべて悪の霊の働きとされ、その治療に使われていたものが、ユダヤ教のラビ(教師)による怪しげな服薬治療、そして呪文による悪霊の追い出し行為でした。
 
しかし彼らの治療は多くの場合、状態を却って悪化させるのが常でした。それは、自分の中に悪霊が住み込んでいると思い込んでいる人に向かって、「悪の霊よ、出て行け」と命じる方法でしたので、その思い込みを助長させるだけの結果になったからでした。
 
しかし、イエスの弟子たちがイエスを通して与えられた神の権威によって命じると、不思議なことに病んでいる人の心に平安が与えられ、正常な状態に復帰するという人もいたのです。ただし、この悪霊追放の方法は、医学の知識も医療技術もなかった古代だからこそ、取られた方法でした。
 
今日ではそのような症状の人のためには、痛みを共感して祈ると共に、適切な医療機関における受診を勧めることが重要です。なぜならば、発達した今日の医学と医療は、現代における恵みとしての神による癒しの働きの一つだからです。
私の見聞きした範囲では、精神的疾患を持つ人に向かって、「悪霊よ、出て行け」などと言って、状態が寛解した例は見た事がないばかりか、例外なく、状況は悪化していきました。
 
イエスが弟子に与えたもう一つの任務は、人を精神的苦しみから解放する癒しにありました。でも、その癒しのためには専門知識と資格とが必要です。
では私たちには何ができるか、と言いますと、苦しんでいる人を受容すること、つまりその苦しみを理解し、共感をすることでしょう。
 
人は自分が歓迎されていることを知ったとき、解放に向かいます。以前、ご紹介しました、米国カリフォルニア州フレズノの教会の中に自発的に結成されていた婦人グループのことを思い出します、彼女たちは音楽の才能もない、個人伝道もできない、でも自分たちには手がある、と考えて、日曜礼拝のあと、来会者全員を握手で歓迎する奉仕にあたるようになったのですが、これもまた、癒しの働きの一つといえるかも知れません。
「ウエルカム」という笑顔で差し出された手が、人の心を和らがせ、元気づけるからなのです。「悪霊を追い出す」(15節)という解放と癒しの任務は、現代に即した多様なかたちで、今も与えられているのです。
 
 宣教と癒しという、二つの任務のために、今週もまた主の「そば」(14節)から、この世へとイエスによって「つかわ」(同)される弟子のひとりでありたいと思います。