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2013年1月20日日曜礼拝「空(から)の墓が語る大いなる真実」マルコによる福音書16章1~6節

13年1月20日  日曜礼拝説教

「空(から)の墓が語る大いなる真実」

マルコによる福音書16章1~6節(新約聖書口語訳81p)

  
はじめに
 
 「ビブリア古書堂の事件手帖」というドラマがテレビで始まりました。ネットではこの古書店の店主を演じる剛力彩芽(ごうりきあやめ)という女優が、原作のイメージと違うという声があがっているようですが、しかし、原作を知らない視聴者にとっては取り立てて違和感はないようで、謎解きのドラマとしてはまあまあの出来ではないかと評価できる初回でした。
 
 この古書店は、原作では神奈川県の北鎌倉駅近くにあるという設定だそうですが、北鎌倉駅はわたしが昔住んでいた町から二つ目の駅で、中学生の頃、夏休みにこの北鎌倉駅のすぐ近くにある円覚寺(えんがくじ)という古寺に、座禅を組みに行ったことがありました。
 
お寺の方では初めて参禅しに来た中学生に対し、座禅の意味を解説した上で、座布団は二つ折りにしてその前半分に胡坐をかくように座って瞑想をするのだと、座禅の仕方を丁寧に教えてくれたという記憶があります。
 
円覚寺は鎌倉時代の十三世紀末、元寇の役による戦没者の菩提を敵味方なく弔うため、鎌倉幕府八代執権北条時宗によって創建された臨済宗の寺院です。
 
臨済宗は禅宗で、一方我が家は先祖代々浄土宗ですから、同じ仏教でも宗旨は大分違うのですが、当時はそんなことはわからず意識もせず、精神修養にでもなればと思って行ったのでしょう。何十年も忘れていたことを、「北鎌倉」という三つの漢字が思い出させてくれました。
それにしてもその時には、二年後の夏にはキリスト教会にせっせと通うことになるとは想像もできませんでしたが。
 
ところでこの古書店の名称、「ビブリア古書堂」を作者はどのような意図、経緯でつけたのかに興味を惹かれました。といいますのは、「ビブリア」はラテン語であって、その語源のギリシャ語「ビブロス」は、文書、巻物を意味し、後には聖書を指すようになったからでした。
 
「ビブロス」はマルコによる福音書にも出てきます。
 
「死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクノ神、ヤコブの神である』とあるではないか」(マルコによる福音書12章26節 新約聖書口語訳73p)。
 
 ここで「モーセの書」の「書」と訳された言葉が「ビブロス」で、このギリシャ語「ビブロス」が後にラテン語の「ビブリア」になって、「ビブリア」と言えば「聖書」を指すようになり、それがイタリア語の「ビッビア」、フランス語の「ビーブル」、ドイツ語の「ビーベル」、そして英語の「バイブル」となったわけです。たとえば、「ビブリア・ヘブライカ」とはヘブライ語で書かれた旧約聖書のことです。
 
 「ビブリア古書堂」の作者が物語の舞台として設けた北鎌倉の古書堂の名称を、「ビブリア」としたわけについても知りたいものです。
 
 さてわたしたちがこの二年間、ひたすらに読んできたマルコによる福音書も、「ビブリア」「バイブル」、つまり「聖書」の一部なのですが、そのマルコによる福音書もいよいよ最終場面を迎えるに至りました。
 
 今週はイエスの遺体を納めた墓が、埋葬の三日目には空っぽであったという出来ごとを通して、空(から)の墓が語る真実について教えられたいと思います。
 
 
1.空(から)の墓が語る事実、それはイエスの死者の中からの復活
 
 
 「一難去ってまた一難」ということがあります。女性の弟子たちの場合がそうでした。
 
イエスの遺体をどうするかという難問については、ユダヤ最高法院サンヒドリンの有力議員であるアリマタヤのヨセフが、ローマ総督ピラトに遺体の引き渡しを要請し、引き渡された遺体を自らが所有する墓に埋葬したため、墓の問題は一安心、ということになりましたが、埋葬は慌ただしくなされたため、イエスの遺体の処置については、亜麻布という布に包んで墓の中に安置するということしかできませんでした。
 
ユダヤでは、埋葬にあたっては遺体に香油を塗ることが必須のことだったのですが、埋葬の当日は安息日の始まりを目前にしていて、時間のゆとりがなかったからでした。そこで安息日が終わった日曜日の早朝、女性の弟子たちはイエスの遺体に自分たちで香油を塗ろうと考えました。
 
しかし、安息日終わった次の日、日曜日の早朝、香油を携えて墓に急ぐ女性の弟子たちには、実はもう一つの心配がありました。それは墓の入り口を塞いている大きな石をどうやって動かすかという難問でした。
 
「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして彼らは『だれが、わたしたちのために、墓の入り口から石をころがしてくれるのでしょうか』と話し合っていた」(16章1~3節)。
 
 古代のユダヤの墓は「岩を掘って造った」(15章45節)横穴式のものであって、二千年後の現在、イエスが葬られた墓とされているのは二カ所です。
一つはエルサレムの旧市街にある「聖墳墓教会」で、もう一つは旧市街の外にある「園の墓(ガーデン トーム)」と呼ばれる墓です。聖地旅行の折、どちらにも行きましたが、見た目にはどうも後者の方がそれらしく見えます。
 
その「園の墓」の方は、中に入ってみると穴の右手に人の体を横たえることができるほどのスペースがあって、ガイドさんの説明によりますと、そこにイエスの遺体が安置されたのだということでした。
 
古代のユダヤの墓は通常、穴の入り口に溝が掘ってあって、その溝に円形の大きな石を回転させて蓋としていました。ところが彼女たちが案じつつ墓に近づくと、何と蓋の石は横に動かされていて、墓の入り口が開いていたのでした。
 
「ところが、目をあげて見ると、石がすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった」(16章4節)。
 
 彼女たちが恐る恐る中に入って見ると、右側に白い衣を着た「若者」が座っているのを見て仰天します。
 
「墓の中にはいると、右手に真白(まっしろ)な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた」(16章5節)。
 
 そして彼女たちは「若者」の言葉に更に驚きを強めます。「若者」が、「イエスはここにはいない、なぜならばよみがえったからである」と言ったからでした。
 
「するとこの若者は言った、『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい。ここがお納めした場所である』」(16章6節)。
 
 「園の墓」の入り口には英語で
HE IS NOT HERE  FOR HE IS RISEN
(彼はここにはいない、なぜならば彼はよみがえったからである)
という表示があります。
 
 ところで仏陀の遺骨や遺灰を仏舎利(ぶっしゃり)というのですが、ここ寝屋川市の成田東ヶ丘に、仏舎利を納めた仏舎利塔が、市内在住の篤志家により、昭和三十四年に建立されています。
 
納められている骨が本物かどうかは別にして、お釈迦様の遺骨や遺灰があるということは、お釈迦様が亡くなって、その後火葬に付されたからです。これを荼毘にふす、と言います。
釈迦が尊敬に値する一級の人物であるということに関しては、異論は全くありません。
 
ところが、イエスの遺骨というものは存在していません。なぜかと言いますと、イエスは、一度は死んだがよみがえって、以後、二度と死んではいないから、つまり今も生きているからであると聖書は言うのです。
それが墓の中にいた「若者」(6節)の「彼はよみがえった、彼はいない、ここには」(同 原文直訳)という宣告でした。
 
 死んだ人間が復活をしたということは、現代人には俄かにには信じられませんが、当時の人々も同様でした。
 
最近、四百人以上の死者を神の力で生き返らせたと主張する牧師がアフリカのタンザニアから来日して集会をしたそうですが、四百人もの死者が生き返ったというような事例が、医学的には全く検証されていないにも関わらず、これを信じ込む人がいるというのは何とも嘆かわしいことで
 しかし、イエスが死者の中からよみがえったことは事実です。その証拠の一つが空(から)の墓なのです。
 
 
2.イエスの復活が伝える福音、それはイエスの身代りの有効性
 
 
では、イエスの復活が何を伝えているのかと言いますと、それはイエスの十字架における死が、人類の身代わりの死として有効であったということです。
人類の身代わりとして有効であったからこそ、神がイエスを死からよみがえらせた、あるいはよみがえらせることができたのです。イエスは自力でよみがえったのではありません。神がよみがえらせたのです。
 
 使徒行伝から三カ所、読むことにします。
 
「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである」(使徒行伝2章24節前半 182p)。
 
「このイエスを、神はよみがえらせた」(同2章32節)。
 
「しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた」(同3章15節)。
 
 聖書の神は全能の神、世界の支配者ですが、しかしその神と雖も、死人を不死の体へとよみがえらせる権限はありません。もしも神が死人を不死のからだへとよみがえらせることが出来るとするならば、一つは対象者にその資格がある場合、そしてもう一つが、対象者を死の世界に閉じ込めておく前提が無くなった場合です。
 
 一つ目のケースとしては、イエスは個人的な罪は何一つ犯しませんでした。罪とは何かと言いますと、それは一般には法に違反すること、道徳に背くことと理解されます。しかし、厳密に言えば、罪とはもっと根源的なものであって、一口に言えば愛さないということが罪なのです。
 
わたくしが、自分は罪びとであるという自覚を持ったのは、「もしも目で人を殺すことができるならば、街路は死人で満ちるであろう」という言葉を読んだときでした。
 あんな奴は死んだらいい、いなくなったらいい、という気持ちで人を見る、ということは、その瞬間、相手の存在を目で殺している、ということなのです。そう考えると、それまでに何人を殺してきたことか、いやその前に目によって殺されているに違いない、と思ったわけです。
 
 この基準をイエスに当て嵌めた場合、イエスは罪を犯したことがなかった人でした。つまり、イエスが人を見る時、たといそれが裏切り者であり、敵であった場合であっても、その目は慈しみに満ちた目であったのでした。
 
死は罪の結果ですから、死の世界は罪のないイエスをいつまでも拘束しておくことはできません。だからこそ正義の神は、罪のないイエスを死の拘束から解き放ったのです。
 
 しかしそれだけでは、イエス一人、よみがえることができたとしても、しかし罪あるわたしたち人類は依然として滅びたままです。
 
そこで二つ目のケースです。つまり、神がイエスをよみがえらせるには、前提が無くなったから、という状態が必要なのですが、その前提あるいは条件を、有り難い事にイエスの十字架の死が打破してくれたのでした。
 
先週も先々週も引用したイエスの言葉を今週も引用します。
 
「人の子がきたのも、…多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコによる福音書10章45節 69p)。
 
 「あがない」とは「購(あがな)い」つまり、代金を払って対象物を購入する、あるいは買い戻すことであることを、先週の説教で確認しましたが、それは対象を自由へと解放することでもあります。
 
たとえば、法を破ってペナルティを科せられた者は罰金を払わない限り、自由を奪われて収監されたままです。しかし、誰かが罰金の全額を払ってくれたとすれば、その人は拘束を解かれて自由へと釈放されます。
 
つまりイエスはご自分のいのちを比類のない高価な罰金として、人類の罪のために払ってくれた、だからそれによって正義の執行官である神は、人類の罪を赦し、信じる者を自由へと釈放してくれた、そして最初に罪の結果である死から解放されたのが墓の中のイエスであった、ということなのです。
 
 イエスの復活が力強く伝える福音、それはイエスの十字架による身代わりの死が有効であったということ、言い換えれば正義の神が有効と認めたこと、だからこそ、神はイエスをよみがえらせたのだというメッセージでした。
 
 
3.イエスの身代わりが有効である意味、それは信者の復活の保証 
 
カトリック作家の遠藤周作は、戦後の日本が生んだ一級の文学者だと思います。個人的には三島由紀夫と共にこの人こそ、ノーベル文学賞に相応しい作家であったと思います。ただ惜しいことに、近代神学を学んだせいか、遠藤周作はイエスの復活をそのまま信じることができませんでした。
 
そこで彼が考えたのが、「イエスの弟子たちのその後の活動を見ると、イエスはよみがえったとしか思えないが、それはイエスとの懐かしい思い出、つまり、子供が、優しかった母親が死んだあとも、いつも横にいて見守ってくれるような、そんな気持ちになるように、イエスが死んだあとも、自分たちのそばにいるような心理になった、その際の生き生きとした感情が弟子たちの復活体験であったのだ」という論理でした。(遠藤周作「私のイエスー日本人のための聖書入門」祥伝社刊
 
 でも、そうは説きつつも、それでは物足りないと思ったのか、自分もいつの日にかイエスの文字通りの復活を信じる時が来るかもしれないと、どこかで書いていたように思えます。
ただし遠藤周作は、六十歳を四年ほど過ぎてから出版したエッセー集「眠れぬ夜に読む本」(光文社)での中で、幽体離脱を主張したスイス人の精神科医キューブラー・ロスの著書「死の瞬間」などを引用して、死後の命について熱く説いているところをみると、死後の命というものの存在は信じていたようです。
 
 しかし、聖書が約束する希望は、幽体離脱や霊魂における不死などという、中途半端なものではありません。
 
イエスが墓から、死の世界からよみがえって今も生きているということは、イエスを信じる者の場合、イエスと同じように不死の体によみがえって永遠を生きるという希望がえられたことを意味します。
遠藤周作のいう、イエスが横にいて語りかけてくれているというか体験は、イエスの復活が事実であってこそ、信じる者が日々に経験する体験となるものなのです。
 
使徒のパウロは西暦五十年代の半ば、ギリシャ・コリントの信者たちに対して、復活とはイエスだけの経験ではなく、あとに続く者の最初の実なのだと教えました。
 
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(コリント人への第一の手紙15章20節 274p)。
 
 「眠っている者」とはこの世を去った人のことです。我が国では通常、人の死を呼んで「永眠」と言います。「永眠」とは「永」い「眠」りというよりも、目覚めることのない眠り、「永」遠の「眠」りを意味します。
 
 しかし、イエスの死が人類の罪の身代わりとして有効であるならば、イエスだけでなく、イエスのあとからイエスのように永遠の生命へと、不朽の存在としてよみがえることが可能となるのです。
 
 そして、それこそがキリスト教の最大の希望です。わたしたちは死後、その存在が消滅するのでもなく、また得体の知れない虚空を亡霊のようになって永遠に漂うのでもなく、先によみがえったイエスと共に、不朽の体を与えられて、永遠の喜びに入るのです。
 
 だからこそ「希望をもって今を生きよ」と、思い惑うことの多いコリント集会に向かってパウロは心を揺さぶるような檄を飛ばしたのでした。
 
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」(同15章58節)。
 
 「主のわざ」(58節)とは「主イエスの仕事」という意味です。教会における奉仕も「主のわざ」ですが、現実社会における過酷ともいえる仕事、日々の暮らしの中の単調ともいえる家事や育児、次から次へと科せられる学業など、たとい苦労の多い日々であったとしても、「主にあっては」(同)すなわち、今も生きている主イエスとの繋がりの中にいれば、「あなたがたの労苦がむだになることはない」(同)のです、決して。
 
 目にこそ見えませんが、しかし、常にそして共にいる復活のイエスを意識しながら「全力を注いで」(同)それぞれの「主のわざに励み」(同)たいと思います。