2012年12月24日 クリスマスイブ礼拝説教
「クリスマス、それは希望の門が開かれた日」
マタイよる福音書7章13、14節(新約聖書口語訳10p)
はじめに
今夜はクリスマスイブです。イブ礼拝にようこそお越し下さいました。「イブ」は夜を意味するイブニングの省略形ですが、一般にクリスマスイブはクリスマス前夜というように理解されています。
しかし、十二月二十五日がキリストの生誕日とされた古代のヨーロッパでは、一日は日没から始まって次の日の日没で終わりました。ですから現代の十二月二十四日の夜は、すでに二十五日だったのです。
つまり、クリスマスイブの今夜はクリスマス前夜などではなく、クリスマス本番の日なのだということを、最初に確認したいと思います。
沖縄と大阪を舞台としたNHKの朝の連続テレビドラマの評判は今ひとつですが、主人公が就職した大阪のホテルのロビーの柱に、ラテン語の銘板が掲げられているという場面が出て来ました。
そのラテン語の訳は「歩み入る者には安らぎを、去りゆく者には幸せを」というものであって、先代の社長のお気に入りの言葉であるということでした。
そこで思い出したのが、もう二十年くらい前になるでしょうか、梅田のデパートで、画家の東山魁夷(ひがしやまかいい)の絵画展があって、たまたま通りがかりに入った時に見た、ドイツのローテンブルクという古い町の城門の絵の解説にあったのが、確か、この言葉でした。
正直に言いますと、絵の方はあまり印象がないのですが、絵に添えられていたこの言葉の方には強く心を惹かれたことを覚えています。
ドラマでは、この言葉は町を囲む門の一つであるジュピタール門の上辺に刻まれている原文の通り、ラテン語大文字で
PAX INTRANTIBVS SALVS EXEVNTIBVS
と表示されていました。
これらはそれぞれ、「パークス イントランティブス」「サルース エクセウンティブス」と発音するのですが、「BVS」を「ブス」、「LVS」を「ルス」、「EXEVN」をエクセウンと読むのかと言いますと、ラテン語で「U」が母音として使われるようになったのは中世になってからであって、古代では「V」でウーと読ませたからだそうです。
ということは、西洋史に出てくるローマ帝国の実質初代の皇帝、アウグストゥス・オクタヴィアヌスは、オクタウィアヌスと読むのが正しい読み方ということになるのでしょう。
ラテン語の発音談義はともかくとして、この言葉が刻まれている門の名称の「ジュピタール」は英語では「ホスピタル」だそうですが、このような言葉が刻まれている門であるならば、誰もが気分良く出入りがすることができると思います。実際、日本でもこの言葉をモットーとしている空港やホテル、テニスクラブなどがあちこちにあるとのことです。
ところで、人には人生を生きていくにあたって、どうしてもくぐらなければならない門というものがあります。
問題は、人が入るべき門とは何か、また避けるべき門とは何のかを識別することであり、その結果、どのような門をくぐるべきかを選択することが重要であるということです。
フランスの小説家、アンドレ・ジッドは今から百年前ほど前、イエスが語った言葉、「力を蓋(つく)して狭き門より入れ」(ルカによる福音書13章24節 文語訳)に基づいて、「狭き門」という小説を発表しましたが、門には入るかどうかを人が決めることのできる門と、選ぶことができない門とがあり、さらに、選ぶことができる門にも二つの門があることを教えています。
今晩のクリスマスイブにおいては、イエスが入ってはならないとした滅びに至る門と、イエスが入るようにと勧めた命に至る門について考え、さらに不可抗的に入らざるを得なかった門の中にも、希望の門があるということを教えられたいと思います。
1.大きく開かれた、滅びに至る絶望の門を選ぶな
門には狭い門と大きな門があるようです。そこで今晩は最初に、広い、大きい門について考えたいと思います。
皆様はダンテ・アリギエールという名前を聞いたことがあるでしょうか。ダンテという人物は中世のイタリア・フィレンツェに生まれた詩人であり、哲学者です。彼は「神曲(しんきょく)」という壮大な叙事詩を遺しました。
その作品はダンテが死後の世界を旅するという構成になっていて、彼が最初に行く場所が地獄で、そのあと煉獄、天国と旅することになるのですが、因みに煉獄というのはキリスト信者が天国に行く前に刑期を務める刑務所、あるいは更生施設のようなところであって、ローマ・カトリック教会独特の教義です。
ダンテが「神曲」で描く地獄についての描写は実にリアルであって、そこには身の毛もよだつような情景が描かれます。
特にその書き出しは、
「人の世の旅路のなかば、ふと気がつくと、わたしはますぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」(寿岳文章訳 集英社)で、
やがてダンテは森の奥で地獄の門に行きあたるのですが、その門に掲げられている言葉が、
われをくぐりて、汝らは入る なげきの町に
われをくぐりて 汝らは入る 永劫の苦患(くげん)に
われをくぐりて 汝らは入る ほろびの民に
であって、その最後に来る言葉が、有名な
「一切の望みを捨てよ 汝ら われをくぐる者」
でした。
つまり、ダンテによれば、ひとかけらの望みさえも持つことが出来ないところ、それが地獄なのでした。そして地獄は神話や伝説の世界ではなく、現に存在しております。
なぜ、地獄が一切の望みを持つことができないところなのかと言いますと、そこは神がいない所であり、神と断絶をしたところであるからです。
イエスの言葉を読みましょう。
「滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い」(7章13節)。
いま、中国が沖縄の尖閣諸島の領有権を主張して、公船つまり公の船を毎日のように日本の領海に乗り入れています。しかし、中国の指導者たちは尖閣諸島が歴史的にも国際法的にも中国のものではないことくらい、百も承知なのです。
地図を九十度、左に傾けてみればわかるのですが、中国から見れば沖縄を含む日本列島は、ちょうど、鍋の蓋のようなもので、太平洋に出て行くには目障りでしようがないのです。
もちろん、一九六〇代末に、国連の調査によって尖閣の海底に石油資源が眠っていることがわかってから、急に領有権を主張したことからも分かる通り、中国の尖閣「領有」は海底に眠っている厖大な資源欲しさからはじまった主張なのですが、最近はもっと大きな意味で、海洋覇権を得ることを目的としていることが明白になってきました。
彼らが、倫理的にも法的にもそれが明らかに間違いであるわかっていながらでも、人の物を自分の物と主張するのはなぜかと言いますと、それは、神を恐れるという信仰がないからなのです。これを「無神論」といいます。また、人は死んだら終わりであって、死後の命などはないという死生観で生きているからです。これを「唯物論」と言います。
たとえば「南京大虐殺」にしましても、それが捏造であるということは知識人ならばわかっているのです。でも、この見解は、日本という国を倫理的に屈服させるためには極めて都合のよい事なので、捨てようとしないだけです。
日本軍が南京に侵攻した時の南京の人口は二十万人とされています。どうやって三十万人も四十万人もの市民を殺害することができるでしょうか。しかも日本軍が南京を支配してニ、三週間後には、町の人口は元に戻っていき、間もなく元の人口以上に増えているのです。本当に虐殺なるものがあったならば、逃げた住民は決して帰ってはこなかったでしょう。子供にでもわかる理屈です。
もちろん、中国人全部が全部というわけではありません。中国には良心的な人も沢山います。九月の反日暴動に眉を顰(ひそ)た国民も大勢います。しかし、戦後の共産主義体制における学校教育は、徹底的に神を排除し、宗教を否定しました。まさにそれ自体が「滅び」なのです。
イエスは言います、「滅び」に至る門は大きく開かれている、それは一切の希望を捨てなければならない絶望の門である、昔も今も「そこからはいって行く者が多い」(13節)、だからこそ、その門を選んではならない、と。
無神論、そして唯物論の国家にそして人民には、未来はないのです。そしてそれは万人共通の真理です。イエスは言われました、「滅びに至る門は大きく、その道は広い」(13節)と。
自分が入ろうとしている門が何のかということを、人は問わなければなりません。
2.小さく開かれた、命に至る希望の門を選ぼう
神なき滅びに至る門が大きいのに対し、命に至る門は狭い、とイエスは言います。
「狭い門からはいれ。…命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」(7章13、14節)。
命に至る門は狭く、小さくしか開かれていません。でも、その門は確実に命の希望に至る門なのです。それは神を恐れる道であって、神を恐れるからこそ、神が愛してやまない他者をも敬う生き方が、人には可能となります。
そしてこの門は小さく、狭いがゆえに昔も今も「見出す」ことが困難なのですが、しかし、発見が困難ではあっても、命に至る希望の門です。
「命」とは何かと言いますと、「命」は「滅び」の反対のことであって、「滅び」が神を否定する神なき人生の終焉であるのに対し、神を恐れ、神との交わりをこよなく愛する人生を意味します。
実はこの希望の門とは、イエス・キリストとの交わりのことであり、実存的に言えばイエス自身が門なのです。
「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」(ヨハネによる福音書10章9節 156p)。
我が国でクリスチャンが少ないのは当然なのかも知れません。なぜかならば命に至る門という「それを」(14節)しっかりと「見いだす者が少ない」(同)からです。しかし、望みがないわけではありません。
東日本巨大地震で見せた日本人の倫理、道徳は、日本人には命に至る狭い門を見いだす可能性が豊かにあることを示唆しているように思えます。
また、キリスト教のイベントであるクリスマスに対して極めて好意的であることも、日本人が、キリストが示す「命」の門に近づいていることを示しているように思われます。
この日本でもキリスト教に対する関心が高まってきているようです。今年、二人の大学教授のキリスト教をめぐる対談を記録した「ふしぎなキリスト教」(現代新書)という新書が、「新書大賞2012」という賞を受賞しました。
何がきっかけであってもよい、昔も今も、命に至る門は狭く、見いだしにくいのですが、私たちは、私たちの愛する同胞が「力を蓋(つく)して狭き門より入(い)れ」(ルカによる福音書13章24節 文語訳)というイエスの言葉に耳を傾け、いつの日にか「狭い門」であるイエス・キリストを「見いだす者」となるように、心をつくして祈りたいと思います。
教会のホームページを覗いてくださる方々には、ぜひ日曜の礼拝に気軽に来ていただきたいと願っております。
3.希望の門を選んだ者に、希望は失望を来らせない
絶望の門にしても希望の門にしても、共通点は自分でそれを選ぶということでしょう。ですから選択の結果は自らに還ってきます。
しかし、中には人生の途上において、自分では決して選ばないであろう門から不可抗的に入る、あるいは入れられる場合があります。
そんな理不尽な状況下にあっても、神に望みを抱く者には命の門が開かれていることを知りたいと思います。
理不尽な門、絶望的な門の典型的な例がナチスによる強制収容でしょう。
強制と言いますと、「強制連行」という言葉が浮かんできます。とりわけ、日本の統治下において半島の住民をその意志に反して、日本が多数強制連行したという主張がありますが、現在の研究と調査ではそれはまさに神話であって、日本にいる在日の方々の祖父母、曽祖父母のほとんどが自らの意志で戦前あるいは戦中、中には戦争が終わってから日本に渡ってきて、そのまま日本に残ったという事実が、聞き取り調査からでも明らかとなっています。
私の場合は長い間、「強制連行説」を信じ込んでいましたが、鄭大均(ていたいきん)東京都立大学(現首都大学東京)教授が著した「在日韓国人の終焉」(文春新書)および、「在日・強制連行の神話」(文春新書)を読んで、強制連行説が作られた神話でしかないことを確信することができました。
なお、鄭教授は在日韓国人で、二〇〇四年に日本に帰化した学者です。
またいわゆる「従軍慰安婦」なるものにしても、慰安所があったことは事実ですが、日本の軍や官憲が民間の女性を強制的に連行したという事実はなかった、ということがわかってきました。
これもでっち上げであって、何しろ、証拠は慰安婦だったという人たちの証言しか見当たらず、しかもその証言も最初は「親に売られた」がいつしか「日本軍に連行された」に変わっていて、信憑性がないことも明らかになってきているからです。
しかし、ドイツ・ナチスによる強制連行が歴史的事実であることは論を俟ちません。ナチスが設けた強制収容所の門はまさに絶望の門でしかありませんでした。
ヴィクトル・E・フランクルの書いた「夜と霧」でも有名な、第二次世界大戦時にナチス占領下のポーランド南部に設置されたアウシュビッツ第一強制収容所の正門には、「ARBEIT MACHT FLEI(アルバイト マッハト フライ」という文字が大きく掲げられていました。
これを直訳すれば「労働が自由をつくる」ということですが、阿漕(あこぎ)な強制労働が収容者に生みだしたものは耐え難い苦しみと無残な死でしかありませんでした。
アウシュビッツをはじめとする各地の強制収容所には多くの無辜の人々がユダヤ人であるというだけで、あるいはユダヤ人を匿った、また連合国に属していたという理由で、送り込まれていきました。そこには選択の自由も余地もありませんでした。
しかし、その地獄と形容するしかない環境も、イエスという希望の門を知る者には、絶望の門ではなかったのです。
私にとっては、かつて見た映画の中でこれに勝るものがないと言ってよい映画があります。「隠れ家」という映画でした。
戦時中、時計店を営んでいるオランダ人のテン・ブーム一家が、ユダヤ人を匿ったという嫌疑でナチスに目をつけられ、ゲシュタポに逮捕されます。老いた父親は逮捕後間もなく死亡しますが、娘二人はドイツ東部のラーフェンスブリュック収容所に送られてしまいます。
この収容所は中央収容所と付属収容所から構成されていて、中央収容所は女性だけを収容し、主に連合国の女性が収容されていたそうです。
しかし、ある時、姉妹は二人が共にその地獄とも言うべきラーフェンスブリュック収容所から外に出ることができるという強い導きを体験するようになります。
どうなったかと言いますと、病弱であった姉のベッツィはやがて収容所の中で亡くなり、一方、妹のコーリーの方は事務的な手続きを経て釈放されることとなります。
そして釈放された妹は戦後、米国やヨーロッパで、姉妹二人が収容所の中で経験したキリストの恵みについての証しをするようになるのですが、ある日、妹は気付くのです。二人が収容所から出られるという示しは確かに成就したのだと。
それは、姉が衰弱して亡くなったということは、もともと病弱であった彼女の魂は、収容所から救出されて直接、生ける神のもとで安らいでいるということであり、それもまた、収容所から出られるという導きの成就であって、そして比較的丈夫であった自分の場合は、収容所における神の恵みの数々を全世界に証しをするために、神が生きたままで収容所から出してくれたのだということに思いつくことになるのです。
実際、妹、コーリーの釈放は考えられないような事務的ミスの結果であったことが後に判明することになります。二人は収容所から、姉は直接、神の御許へと釈放され、妹は神の不思議な働きによって合法的に自由の身とされたというわけです。
ベッツィとコーリーの姉妹がラーフェンスブリュック収容所で学んだことの一つは、人を赦すことができるように神が助けてくださる、ということでした。
戦後、コーリーは自分たち姉妹の体験から、このことを人々に伝えようと決心します。
ドイツにおけるある講演会のあと、一人の男性がコーリーに近づいてきました。何と、それは収容所で彼女たちを苦しめた看守の中でも特に無慈悲な看守の一人でした。
彼は言いました、「私はラーフェンスブリュック収容所で看守をしていました。でも、その後、クリスチャンになりました。私は自分が行った残酷な行為について神に赦しを求めてきました。私はあなたに赦してもらうことができるでしょうか」
この時コーリーは心の中で祈ったそうです、「お助けください、彼に手を差し出すことができますように、大きな一歩を踏み出せますように、赦す気持ちを与えてください」と。そのとき、不思議なことが起こりました。
元看守が差し出した手に彼女が自分の手をぎごちなく、機械的にふれたその瞬間、肩から電気が走り、腕を伝って、つないだ二人の手にそれが流れ込んできて、癒し主なる主のぬくもりが彼女の体全体に満ち、そして彼女は泣きながら「あなたを心から赦します、兄弟」と言ったというのです。
「かつての看守と囚人がそこで長い間、手を握り合っていたときほど、神の愛を深く知ったことはなかった」と、コーリーは述懐したそうです。
クリスマスとは、二千年も前に、絶望の門を選んでしまったため、地獄のような人生を彷徨(さまよ)い歩かざるを得ない人類を神が憐れんで、ご自分の御子をこの世界に送ってくださったという出来ごとが起こった日なのです。
そして人はたとい自分が選んだわけではない不可抗的な力による絶望的状況の中であっても、目の前に開かれている希望の門から確かな希望へと、ベッツィやコーリーのように入っていくことができるのです。それはイエスこそが希望の門だからです。
イエス・キリストがゴルゴタの丘で刑死してから十年後、教会の迫害者であったサウロという男が回心をして、パウロというキリスト教の伝道者になりました。
そしてそれからさらに十数年後、彼はローマ帝国の首都であるローマにあるキリスト集会に手紙を送り、「希望は失望に終わることはない」と書いて、彼らを励ましました。
「そして、希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちに注がれているからである」(ローマ人への手紙5章5節 238p)。
「希望は失望に終わることはない」は直訳しますと、「希望は恥を来(きた)らせない」です。イエス・キリストという門を希望の門として選んだ者には、希望は恥を来らせることはない、のです。
ローテンブルクの門に刻まれている言葉の「pax(パークス)」は平和を意味し、「salus(サル-ス)」は幸せだけでなく、安全や健康を意味することばだそうです。
まさにイエス・キリストという希望の門を出入りする者は、今も生きているイエスにより、和らぎと平和、幸せと安全を行き来することができるのです。
「クリスマス、それは希望の門が開かれた日」です。
クリスマスイブの今夜、神が愛してやまないお一人一人の上に、より一層の希望と祝福が豊かにとどまりますように。