人は神により、地球の管理者として立てられた
ネットに流れている一つの有名なジョークがあります。
神は最初に天と地を造った。海をつくり、山をつくった。
そして日本という国を造った。
日本には四季豊かな気候と、世界一美しい風景と、世界一おいしい食べ物を与え、世界一勤勉な民族を住まわせた。
そこで天使が言った、「神様、これではあまりにも日本が恵まれ過ぎています」
神が答えた、「心配するな。日本の隣りに中国と韓国と北朝鮮をつくっておいた」
このジョークがネットに流れ始めたのは数年前のことですが、卑劣な拉致事件は言うまでもなく、竹島、そして尖閣をめぐる近隣諸国からの常軌を逸した攻撃は、「あまりにも恵まれ過ぎてい」る代償としても、日本としては少々うんざりです。
ところで「四季豊かな気候」「美しい風景」「おいしい食べ物」は自然の恵みですが、この自然という地球環境と人類との関係が軋(きし)んできています。
古来、日本人は、すべての物には神が宿るという汎神論(はんしんろん)的価値観に基づいて、自然を天の恵みと考え、自然と共生することを文化、伝統としてきました。
これに対し、自然は神によって造られた被造物に過ぎないと考えたキリスト教国は、いつの間にか自然に対して支配者として君臨するようになり、結果として自然破壊、環境汚染という問題を引き起こし、その反省に基づいて、近年、環境保護、エコロジー運動を展開するようになりました。
聖書は言います、地球、そして地球環境という自然は創造者である神のものである、と。では人類と自然、あるいは地球環境との関係はというと、神は人類を地球の支配者ではなく、管理者として立てたのだと言います。
「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」(創世記1章24節)。
そこには確かに「地を従わせよ」「すべての生き物とを治めよ」とありますが、それはあくまでも、神が造られたものを神の意思に沿って管理せよ、という意味です。
人は神により、地球あるいは地上世界の管理者に立てられた存在なのであって、所有者ではありません。しかし人類が管理人としての立場を逸脱して、所有者である神をないがしろにした時から、人類に対する自然からの反抗が始まりました。その一つが自然の破壊、環境の汚染なのです。人類は創造者である神を認めると共に、自らが神により、地球の管理者として神に立てられたものであるという本来の位置を認めた時、改めて自然の恵みを有り難く満喫することができるようになります。
毎月の第一日曜日には、創世記を通して「神と人間」「人間と自然」など、人生の根源的な問題についてのわかり易い講話を聞いていただく機会を用意しております。
初秋の十月七日の日曜日、街角の小さな教会で、ゴスペルの歌声で心を癒され、聖書の講話を通して人生を考えるひととときを是非持ってください。
ご来会を心より歓迎致します。
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