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2012年1月29日日曜礼拝説教「狭量を超えて寛容を生きるーイエスとの関係が判定の基準」マルコによる福音書9章38~41節

12年1月29日 日曜礼拝説教

「狭量を超えて寛容を生きる
   -イエスとの関係が判定の基準
 
マルコによる福音書9章38~41節(新約聖書口語訳66p)
 
 
はじめに
 
防衛大臣が交代しました。二代続けて素人だと、評判はよろしくありませんが、いや、そうではない、前大臣はただの素人だったが、新しい大臣は正真正銘のド素人だという声もあります。日本国の防衛は大丈夫なのでしょうか。
 
ところでこの新大臣の奥さんがかつて某省の大臣であった時、省の幹部を集めて、「人間には敵か、家族か、使用人しかいない。使用人(である官僚)は(主人である私に)従いなさい」と言ったと伝えられています。
信憑性は定かではありませんが、大臣は主人であり、官僚は召使いであるという身分設定、だから召使いである官僚は主人である大臣に服従しなければならないという関係設定の適切性の問題以上に問題なのは、人は「家族」と「使用人」以外はすべて「敵」であるという考え方にあります。
 
 今週はマルコによる福音書の、狭量を超えて寛容を生きたイエス・キリストの御言葉に焦点を当てたいと思います。
 
 
1.狭量を超えて寛容を生きたイエスは、全人類の模範である
 
今はほとんど使われなくなった言葉に「料簡(りょうけん)」があります。特に男性にとって、「お前は料簡が狭い」などと言われることは、昔は恥ずかしいことでもあったわけです。
料簡の「料」は米(こめ)に斗(ます)で、米をますで量ること、「簡」は選ぶとか調べるという意味ですので、人が心の中で考えをあれこれと量り、選ぶことから「考え」とか「思案」という意味になり、「料簡が狭い」ということは、度量がない、器が小さい、人間が狭量であるなどを意味するようになりました。
 
料簡と言えば、「料簡法意(りゃけんほうい、りゃんけんほうい)」つまり、仏の教えをもとによく考えてみること、という言葉が物事を決める時の掛け声となり、それが「じゃんけんほい」「ジャンケンポン」になったという説もあります。
ついでに関西ではじゃんけんを「いんじゃんでほす」というのですが、これは九州長崎において、中国渡来の「いー(1)、りゃん(2)すー」が訛って「いんじゃん」となったとか。
 
ところで、イエスの弟子たちもまた狭量であったようで、中でもヨハネは激情家で排他的なところもある、とても狭い心の持ち主であったようです。
そのヨハネがイエスのところに、少々得意げに報告をしに来ました。「わたしたちの仲間にはなろうとしないのに、先生のお名前を使って悪霊を追い出しているけしからん奴を見つけました。そこでそれはダメだと言ってやめさせました」と。
 
「ヨハネがイエスに言った、『先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました』」(マルコによる福音書9章34節 新約聖書口語訳67p)。
 
 「わたしたちについてこない者」とは積極的に仲間に加わらない者という意味ですが、ヨハネはそのような部外者は、わたしたち正規の弟子のように、救い主キリストの働きをする資格はない、だからやめさせました、と言ったようです。ヨハネはこの時、イエスから「お前は適切な判断をした」と言われることを期待しました。
しかし、イエスの答えはヨハネにとっては想定外のもので、「やめさせたことは適切ではない」だったのでした。
 
「イエスは言われた、『やめさせないがよい』」(9章39節前半)。
 
現代医学、特に精神医学の知識などがなかった一世紀前半のユダヤ社会では、今日では精神疾患に分類される症状はすべて、悪霊の働きとされていました。そこで対策としては、効力のある名前による祈祷で悪霊を追い出すという方法がとられていました。
そして各地で目覚ましい活動を続けているイエスの名前は最も効き目のある名前であるとされていたのでした。
ヨハネにとってはイエスの名前はまさに専売特許であって、勝手に使われては特許権侵害、著作権違反になると思ったのでしょう。ですからイエスの「やめさせないがよい」(39節)という反応は彼には意外だったのです。
 
イエスの関心は、長期的には人類全体の解放です。しかし短期的には今まさにその時代のただ中で精神に異常を来(きた)し、それによって本人も、そして家族も苦しんでいるという状況からの解放にあります。
ですから、ご自分の名を使ってであっても、それで苦しみから解放される人が出てくるのであれば、やめさせる必要はない、と判断されたのでした。
狭量な料簡のヨハネに対し、イエスは料簡の広い、度量の大きい、まさに寛容そのものを生きたお方だったのです。
 
ただし残念ながらこのイエス・キリストの寛容の精神は、中世のキリスト教国には宿りませんでした。
千年前にアラブに対して行われた十字軍による行為は、それは身の毛もよだつような残虐行為であって、その記録と記憶が今日まで、イスラムのキリスト教への敵意、そしてキリスト教世界である西欧への敵意となって残っていると言われています。
 
五百年前にはキリスト教国のスペイン、ポルトガルによって行われた中南米に住む先住民への暴虐もまた、表現の仕様のない程の殺戮行為となりました。中南米諸国の言語が、ブラジルはポルトガル語、ブラジル以外がすべてスペイン語であるという事実は、両国による侵略が如何に苛烈なものであったかを物語っています。
十七世紀初期の日本の統治者がキリスト教禁止令を定め、鎖国政策を取らなければ、我が国は中南米諸国と同じ運命を辿っていたかも知れません。
 
四百年前にはピルグリム・ファーザーズと呼ばれた清教徒たちによって、北米大陸の東部に住む住民への、まさに恩を仇で返すような非情な打ちがありました。信仰の自由を求めてきたという清教徒たちは、あろうことか、彼らの恩人の酋長の死後、先住民たちの土地を収奪した上、部族の多くを虐殺し、恩人の息子の妻と子供をバミューダ諸島に奴隷として売り払ってしまったのです。
 
百年前にはキリスト教国である西欧列強によってアジア、中東、アフリカなどへの苛烈な植民地支配などが起こりましたが、それこそイエスの精神とは真逆の、キリスト教国の名が泣く無残さでした。
 
そして同じ一神教のイスラム教が二十一世紀になっても排他性、独善性を際立たせていることから、日本では一時、多神教こそ平和の宗教であるとして、一神教批判が巻き起こることもありました。
 
しかしキリスト教を標榜する国だからイエスの精神が根付いているというわけではありませんし、キリスト教徒だからキリストの心を受け継いでいるわけでもありません。重要なことは個人的にイエスにつながり、個人的にイエスとの関係を持続することです。その時、その人の中には、狭量を超えて、寛容を生きたイエスの精神が芽生える筈です。
 
 
2.イエスに積極的に反対しない人は、教会の仲間である
 
 ヨハネの想像に反して、イエスの名の無断使用による治療行為を「やめさせないがよい」(39節)と言われたイエスは、言葉を継いで、良きわざ自体の影響力の大きさについて触れると共に、積極的に反対しない者はわたしたちの仲間なのだと言われたのでした。
 
「だれでも、わたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。わたしに反対しない者は、わたしの味方である」(9章39節後半、40節)。
 
 聖書は、神の人類創造の際、神は人を神のかたちに造ったと述べています。
 
「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1章27節旧約口語訳2p)。
 
 この「神のかたち」は外側の形状のことではなく、ラテン語では「イマゴ」、英語では「イメージ」、日本語では「像」のことです。人は神の内面に似せて造られたのです。
この「神のかたち」は人類の祖であったアダムの堕罪において破壊されたと言われていますが、鏡が割れてもその断片が鏡としての働きをするように、アダムの子孫の中には割れて不完全になったとしても、神のかたちを残している人は大勢いるようです。
とりわけ、島国であることと農耕文化であることが幸いしたのか、日本人には神のかたちが残存しているように思えます。
 
起業家として成功しているアメリカ人があるテレビ番組で、日本再生の切り札は何かという問いに対して「日本人」と言い切っていました。
理由を問われて彼があげたものは、一つは日本人の他人や周囲に対する思いやりの心、そしてもう一つは取り組んだ仕事に対しては自分の利害を度外視してもとことん取り組む責任感でした。
彼は「これまでに五十数カ国の人を使ってきたけれど、日本人ほどすばらしい国民はいない」と達者な日本語で言い切りました。
 
誰かの役に立ちたいという思いがイエスの名を使っての治療の動機であるならば、その人が良きわざの直後にイエスの反対者になることはない、そういう意味で、イエスと同じことを行おうとする者はイエスを否定することはない、そのようにイエスに対して積極的に反対をしない者は、潜在的な意味においてイエスとイエスの教会にとっては仲間なのだとイエスは言われたのでした。
 そういう観点から言うと、日本人の多くは大きな目で見れば、今は信仰を告白してはいなくても、イエスと教会の仲間なのです。
 
隣国を含めて外国から入ってきた宣教団体は、日本人はキリストを信じていないから罰あたりだと決めつけます。
昨年三月の大震災の直後、隣国の著名な牧師が教会の集会で、「日本には災難が多いがその理由は罪のためで、罪が多い理由は天皇のため」であり、「それで神様が『これを見ろ』という気持ちで日本を打って揺さぶったということだ」と発言し、その上で「日本が普通の国と違い世界で一番傲慢で、偶像と鬼神が多い国で」あって、傲慢の理由が「偶像の数が八百万を越え、一億を越える国民すべてが各種の偶像にお辞儀するからだ」と語ったそうです。
 
この牧師さんの考えは、たといイエスに「反対しない者」であっても、それだけでは神の敵なのだということなのでしょう。イエスの教えとは天と地ほどにかけ離れた考えで、痛ましいまでの狭量な思考であり姿勢です
 
 私たちの国にはミッションスクールに通ったり、個人的に聖書を読んだりなどして、キリスト教に好意を抱き、キリストについて興味を持っている人、あるいはキリストを偉大な聖人、また教師として尊敬している人が大勢います。
それらの人の多くは様々の事情で教会には来ないけれど、また教会の仲間には今は加わらないけれど、彼らについてもイエスは「わたしたちに(積極的)に反対しない者は、わたしたちの味方である」(40節)と見ておられるのです。
 
そういうクリスチャン予備軍がこの日本には大勢いることを覚えて、希望をもって礼拝を続けたいと思います。
 
 
3.イエスへのささやかな協力と貢献は、神の報いの対象となる
 
 「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方」(40節)なのだと言われたあと、イエスはイエスや教会、クリスチャンへのささやかな協力と貢献は、それが未信者であっても、他宗教の人であっても、神の報いの対象となる、と言われました。
 
「だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることがないであろう」(9章41節)。
 
 「水一杯」とは小さな協力、ささやかな援助を指す言葉です。「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるもの」(41節前半)とは、今はキリスト教の信仰を持っていなくてもキリストの教会に協力的である人、あるいは以前は熱心であったが何らかの事情で今は教会活動には加わることができなくなっても、それでも教会の活動のために祈ると共に、教会の活動の展開のために重荷を持って、ささやかであっても時間的、物的、経済的サポートなどをする人のことを意味します。
 
 このような人には、天にいます神がその志と行為を見ておられ、また喜んでくださって報酬を与えてくださるのだ、「決して(神の)報いからもれることがない」(41節後半)のだと、イエスは言いました。
 紀元四十年頃、ユダヤの法廷サンヒドリンにおいて、イエスはキリストであると叫んで処刑されたあの「七人」のひとり、ステパノの遺体をユダヤ当局から受けて葬ったのは、エルサレム在住の「信仰深い」ユダヤ教徒たちでした。
 
「信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ」(使徒行伝8章2節 192p)。
 
 どうしてかといいますと、当時クリスチャンたちはエルサレムから追放されてしまっており、十二使徒も当局の監視下にあったため、ステパノを葬ることなど、教会としてはできなかったからなのです。「信仰深い人たち」(2節)とは、その時はまだイエスを主とは認めていなかったユダヤ教徒たちのことです。
 
 そして彼ら「信仰深い」ユダヤ教徒たちもまた、確かに神の報いの対象者となったのでした。イエスへの、そしてイエスの教会へのささやかな協力と貢献は、神の報いの対象なのです。イエスとの関係が判定の基準だからです。
 
 料簡の狭いキリスト教徒によって、イエスの教えが誤解されています。しかし、イエスは今も変わらず驚くほど寛容で大らかなお方なのです。狭量を超えて寛容を生きたお方、それが私たちの主なるキリストでした。このイエスを模範として生きる者は幸いです。