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2012年7月29日日曜礼拝説教「キリストはダビデの子か、それともダビデの主か」マルコによる福音書12章35~40節

2012年7月29日  日曜礼拝説教

「キリストはダビデの子か、
                          それともダビデの主か」 
   
   マルコによる福音書12章35~40節(新約聖書 口語訳73p)
 
はじめに
 
 昨日の土曜日、現地時間では金曜日、英国ロンドンにおいてオリンピックが開幕しました。日程の関係からサッカーの予選が開幕前から始まり、女子の「なでしこジャパン」は初戦のカナダ戦に危なげなく勝利をし、「なでしこ」に較べるともう一つ影の薄かった男子の「アンダー23」の方もスコットランドのグラスゴーにおいて、下馬評では圧倒的に不利と見られていたスペイン戦で劇的勝利をおさめ、日本列島を興奮の渦に巻き込みました。
 
女子と男子が共に初戦に勝利したことはまことにご同慶の至りですが、特におさまらないのは格下の相手と見做していた日本に対するスペインの勝利を、聊(いささ)かも疑うことなく信じていたスペイン国民でしょう。
サッカー発展途上の日本の勝利は世界から見たとき、「グラスゴーの奇跡」ですが、世界の覇者であるスペインから見れば、それは「グラスゴーの屈辱」以外の何物でもないからです。
 
 屈辱という言葉を聞くとヨーロッパ人がすぐに思い出すのが「カノッサの屈辱」です。
 
 十一世紀の西ヨーロッパでは教会と国家、具体的には教皇庁と神聖ローマ帝国という二つの権力が地上の支配権をめぐって熾烈な権力争いを続けておりました。
一〇七三年、枢機卿(すうきけい)から選出されて教皇グレゴリウス七世となったヒルデブランドは、二十七条からなる教皇令を発布して、教皇の無謬性を打ち出すと共に、特に教会の国家への優越を強調して、それまで普通に行われていた王権による高位聖職者の叙任を禁じたため、これに反発したドイツ王ハインリヒ四世がグレゴリウスに退位を迫り、一方、グレゴリウスはハインリヒの廃位と破門を宣言するという事態が起こりました。
 
この結果、それまではハインリヒに忠誠を誓っていたドイツ諸侯の中に、教皇に破門をされたハインリヒに対する離反の動きが起こり始め、また帝国内の教会も教皇に付く動きが顕著になったため、危機感を感じたハインリヒは教皇に屈し、悔悛の情を示すため、教皇が滞在していた北イタリアのカノッサ城の門前で、雪の中を家族と共に裸足のまま赦免を請うという行動に出たのでした。
そして三日後、頃合いを見計らった教皇が雪の中のハインリヒに赦免を与えたので破門は解け、ハインリヒはドイツ王にとどまることができるようになり、離反していた諸侯ももう一度、ハインリヒへの忠誠を誓うこととなりました。
 
その一〇年後、「カノッサの屈辱」をバネにして力を回復したハインリヒは、イタリアに軍を進めて教皇庁のあるローマを占拠します。そのため、グレゴリウスはローマを離れて南イタリアに逃れざるを得なくなり、亡命の地において失意のうちに死去してしまいます。グレゴリウスはやり過ぎたのかも知れません。ハインリヒはそれこそ臥薪嘗胆、おのれに屈辱を与えた教皇への復讐の機会を待って、教皇を追い詰めたのでした。
 
筋を通すことは大事なことです。しかし、屈辱感を与え過ぎるとグレゴリウスのように、それは怨念となっておのれに跳ね返ってくることがあります。
 
ただし今回の「グラスゴーの屈辱」の場合は、九〇分間、互いに死力を尽くしての堂々の攻防であったうえ、試合後の日本側には相手国を貶めるような発言が一切なかったこともあって、屈辱という表現は適切ではないと思われます。
 
グレゴリウスとハインリヒの相克の主要な原因は、誰が国の主(あるじ)であるのかという命題、正確に言えば全地の主である唯一の神から地上を支配する権利を授けられたのは誰か、それは教皇なのか皇帝なのかをめぐってのものでした。
 
なお、その後、英国やフランスに起こった王権神授説は時代錯誤の見解としてすっかり廃れてしまいしたが、教皇側は現代になっても、ローマ法王は主であるキリストの地上における代理人であると主張し続けています。しかし、キリストが教皇庁との間で代理人契約を結んだという記録は聖書のどこにもありません。 
 
 今週の礼拝では、主権というものをめぐって、この世界の主(あるじ)はそもそも誰なのか、キリストとは何者であるのか、イエスは果たしてキリストなのか、もしもイエスがキリストであるならばそれは、わたしたちにとって如何なる意味があるのか、ということについて、イエスの言葉から教えられたいと思います。
 
 
1.キリストとは何であるのか
 
 イエス時代のユダヤ人の中でも、特に聖書の専門家である律法学者たちは、やがて到来するであろうメシヤ、つまりキリストのことを、その千年前にパレスチナ全土を支配してイスラエルの黄金時代を築いたダビデ王の家系から生まれるとして、来るべきメシヤ・キリストを「ダビデの子」と呼びました。
これに対しイエスはそれは「どうして」と、疑問を投げかけました。
 
「イエスは宮で教えておられたとき、こう言われた、『律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子だというのか』(マルコによる福音書12章35節 新約聖書口語訳73p)。
 
 そして言葉を次いで、キリストのことを「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる」のにと、その疑問の根拠を提示したのでした。
 
「ダビデ自身が聖霊に感じて言った、『主がわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に坐していなさい』。このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」(12章36、37節前半)。
 
 イエスが引用した聖句は旧約聖書の詩篇にあります。
 
「主はわが主に言われる、『わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に坐せよ』と」(詩篇110篇1節 旧約聖書口語訳848p)。
 
 つまりここでは作者のダビデ王自身が神のことを「主」と呼び、そして将来現われるであろうキリストのことを「わが主」と呼んでいる、ならば「どうしてキリストはダビデの子であろうか」(37節)と、律法学者の聖書解釈の問題点を指摘したのでした。
 
イエスが指摘したのはこういうことでした、確かにキリストは人間の家系という点ではダビデ王の子孫として生まれる、しかしキリストはそれ以上の存在である、キリストはダビデにとっても崇めるべき「主」なのだ、ということだったのです。
 
キリストがダビデの主であるということは、キリストはダビデの主であるだけでなく、地上の覇権者であるダビデを超える存在である、ということです。
だいたい、ユダヤ人が期待したメシヤ、キリストはダビデ王の再来としての政治的、軍事的な王であって、それはあくまでもユダ人のためだけの救済者でしかありませんでした。イエスはその民族的偏りを正すために、メシヤ、キリストはユダヤ人の主であるだけでなく異教徒にとっても主である、つまりメシヤ、キリストはユダヤ人を含めた世界人類全体の主であるということをここで解き明したのでした。
 
二〇四カ国・地域の参加によって、英国のロンドンにおいてオリンピックが開幕しましたが、キリストは国、地域、人種、民族、宗教の垣根を超えてすべての人の主なのです。
 
 
2.イエスはほんとうにキリストなのか
 
では誰がこのメシヤ、キリストなのかと言いますと、それがイエスなのです。イエスこそがダビデも主と仰ぐキリストであり、ユダヤ人も異邦人もすべての人が崇めるべきキリストです。このことを使徒パウロはローマ帝国の中心地に生まれたローマ教会に宛てて書いた書簡の中で強調しました。
 
「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」(ローマ人への手紙1章3節 233p)。
 
 「肉によれば」は家系としてはという意味です。また「御子と定められた」とは神の御子として、神によって改めて定められた、確証されたという意味です。
 
 二十一世紀の現代でもユダヤ人(ユダヤ教徒)はユダヤ人のためにダビデの王国を再興してくれるメシヤ(キリスト)の来臨を待望しているとのことですが、彼らが切望してやまないキリストは、イエスとして既に二千年も前に来てくれていたのでした。 
 
しかもイエスが主なるキリストであるということは、キリストは単に全人類の主であるということだけでなく、もっと深い意味があります。それはキリストであるイエスが、自らが死ぬことによってすべての人の罪を償う救い主となったということです。それが「贖(あがな)い」ということでした。
イエスの死人からの復活は、イエスの死がイエスの独り善がりの行為ではなく、神によって認証された人類救済のための出来ごとであるということが証明されたというしるしでした。
 
イエスが全人類の罪のための贖いとなってこの世に来たと言うことを最も強調している福音書がマルコによる福音書です。
 
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10章45節)
 
「あがない」と訳された四十五節の言葉は、聖書では罪のための犠牲を意味する言葉です。イエスがなぜ主なのかと言いますと、イエスは人類の罪のために犠牲となることによって、罪と罪の結果としての死からわたしたち人類を解放してくださったからでした。ですからキリストであるイエスは人類すべてにとって贖い主という「主」でもあるわけです。
 
 
3.イエスがキリストならば、私個人とは如何なる関係になるのか
 
ダビデによる詩篇の言葉の意味を解き明かしたあと、イエスの話しを喜んで聞いていた群衆に向かって、イエスは唐突に聖書の専門家である律法学者についての警告をし始めました。
 
「大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。イエスはその教えの中で言われた、『律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。また、やもめの家を食い倒し、見栄のために長い祈りをする。彼らはもっともきびしいさばきを受けるであろう』」(12章37節後半、38~40節)。
 
 イエス時代の文献を研究している日本人専門家によりますと、当時のユダヤ教社会は福音書から窺えるよりもずっと明るく、喜びの多い社会であったようです。
しかし良い政治家もいれば悪い政治家もいるように、律法学者の中にはイエスが指摘するような悪辣な者もいたのでしょう。
 
 「長い衣」(38節)は目立ちたいという欲望の現われであり、「広場であいさつされることや」(同)、人々が安息に集う「会堂」正面の、律法の巻物が納められている箱の前にある「上席」(39節)、そして金持ちが主催する「宴会の上座を好」(同)むという傾向は虚栄心のしるしであり、「見栄のために長い祈りをする」(40節)という行為は彼らの信仰の空疎さを示す証左でした。
そして裕福な婦人たちの素朴な信仰心を利用して、彼ら律法学者への金銭的サポートが神の祝福をもたらすなどという教えを吹き込んで、「やもめたちの家を食い倒」(同)すという例も多く見受けられたのでしょう。
 
 しかしイエスは彼ら、人の宗教心、信仰心を利用する、虚栄心と世俗的な欲望に満ちた一部の律法学者とは正反対のお方でした。
まことのメシヤ、キリストであるイエスは、強者によって食い物にされがちな貧しい者や友なき者の友として生きたのでした。イエスはまさに神そのものを体現された人であったのです。
 
「その聖なるすまいにおられる神はみなしごの父、やもめの保護者である」(詩篇68篇5節 旧約804p)。
 
 イエスは正統的ユダヤ教徒からは律法を守らない罪人、地の民として蔑まれている人々の傍らに立ち、友なき者の良き友として歩み続けられました。病で苦しんでいる者のためには無報酬で癒しのわざを行いました。
そして神のみを敬い、人を愛して与え尽くす生涯を生き、私たちを含めた人類を罪と死、永遠の滅びから救い出すため、身代わりの贖いとなってその清い罪なき体を十字架にかけてくださったのでした。
 
 イエスこそキリストです。そしてキリストであるイエスはこの苦悩に満ちた現代世界にあって、今も私たちの友となりまた僕(しもべ)にさえなって、労苦を共にしてくださっているのです。
日本人にとってもイエスは決して無関係な存在なのではありません。世界の主であるイエス・キリストは、私たちが知らないところで私たちの救いのために苦しんでくださっていたのです。
 
 では、イエスがキリストであり、主であるとするならば、私たちはこの世においてどう生きるべきでしょうか。
 
私の尊敬する牧師の一人である木村幸広先生(浜松北教会牧師)は高校の英語の教師でしたが、ある時、「神を教えない教育は、知恵のある悪魔をつくる」という言葉に出会って、神の言葉を教える牧師の道に進む決意をしたと、神学校の入学式後の証し会において証しされていたことを思い出します。
 
確かに、神を恐れることを知らない子供たちは、人を恐れて自己保身に走りがちです。大津の中学校の事件の場合も、多くの目撃生徒が加害生徒からの仕返しや自分が苛めのターゲットになることを恐れるなど、要するに人を恐れて口を噤んでいたこともまた、事態を悪化させた原因の一つでした。
神を恐れることを教えられていたならば、加害者たちからの圧力を押しのける勇気をもって行動する生徒も出てきたことでしょう。また、教師たち、特にクラスの担任が神を恐れる心を持っていたならば、事態はもう少し違った展開になっていたかも知れません。
 
木村牧師の場合は、神からの召命を受けて牧師への道を選びましたが、学校教師として止まりつつ、神を恐れる教育を行う方法もあります。
もちろん公教育の場合、あからさまに神を語ることは出来ませんが、「律法学者」のようにではなく、「イエス・キリストを常に思う思いをもって子供たちに接することは可能です。それは隔靴掻痒の感を否めないかも知れませんが、しかし、イエスとの個人的な関係は知らず、滲み出てくるはずです。
そこでパウロの名によって書かれた書簡を最後に読みましょう。
 
「ダビデの子孫として生まれ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である」(テモテへの第二の手紙2章8節 234p)。
 
 この個所は、原文をそのまま直訳すると、「思い続けよ、死人のうちからよみがえった、ダビデの子孫のイエス・キリストを、わたしの福音によれば」です。著者のいう「わたしの福音」とはイエス・キリストを思い続けることだという意味ですが、「福音」は福音を伝えること、福音の宣教という意味もありますので、「イエス・キリストを、いつも思ってい」るということが福音の宣教なのだと理解することも可能です。
 
 福音を語りたい、しかし置かれている状況はそれをゆるさないという場合があります。福音を語らねばならないと思いつつも、恐れが来てしまって、なかなか語ることができないという時もあります。しかし、私の主となるために「ダビデの子孫として生まれ」てくれたイエスを、私を罪と死から贖うために十字架で死に、そして「死人の中からよみがえっ」てくれたキリストを思い続けながら人に接すること、それが「福音」の宣教だということも出来るのです。
真面目なクリスチャンほど、自分は伝道をしていないと自らを責めることがあります。責める必要はありません。イエス・キリストを常に思っていることが「わたしの福音」であり、「わたしの福音宣教」なのです。
 
大津の中学校の事件がニュースになって以来、公立中学校の荒廃が一斉に報道され始めました。先週は寝屋川市でも中学生が警察に逮捕されるという事件がマスコミで報道されましたが、実際、教師の多くが多忙をきわめているということは事実です。しかし、まだまだ心が摩耗していない教師は大勢いると思われます。ですから教師を批判するのではなく、意欲のある教師たちのために祈ることが大切です。
 
特に、志をもって教師となって現場で奮闘している全国のクリスチャン教師のためにも心を込めて、主の助けと知恵とが与えられるようにと祈りたいものです。
よみがえられたイエス・キリストはプライベートな時間帯だけではなく、公的な仕事の場でも主であり続けてくださっているからです。