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2015年12月6日 待降節第二主日礼拝説教 キリストとの運命的な出会い? 女は井戸の側で思いもかけず、待ち望んで止まなかった救世主に出会った(前)ー救い主イエスは今も人生の井戸のそばで、あなたを待っている ヨハネによる福音書4章1~15節

15年12月6日 待降節第二主日礼拝説教

キリストとの運命的な出会い?
 
女は井戸の側で思いもかけず、待ち望んで止まなかった救世主に出会った(前)ー救い主は今も人生の井戸のそばで、あなたを待っている
 
ヨハネによる福音書4章1~15節(新約口語訳149p)

 

はじめに
 
「無くて七癖、あって四十八癖」などといますが、人というものにはそれぞれ、癖というものがあります。
テレビドラマ「相棒」の杉下右京警部の場合は、「細かいことが気になるのが僕の悪い癖」と自覚しているようですが、当教会の牧師の場合、説教題が長ったらしいのが悪い?癖なのかも知れません。
 
今週もまた、やたら長いタイトルなのですが、これを思いっきり短縮するとするならば、「井戸の側で」あるいは「あの井戸の側で」ということになるのでは、と思います。
 
さて、サマリヤの女の場合、彼女は井戸の側で、思いもかけず、待ち望んで止まなかった救世主キリストに出会ったのでした。それは衝撃の出会いでした。
 
 
1.女が井戸の側で出会ったのは、差別意識を全く持たない救世主であった
 
ある時期、所属している教団の社会問題に関する取り組みの一環として、差別の解消、特に部落差別の解消を推進する団体の運動に、教団として関わっておりました。その後、この運動に関しては一定の成果が上がったとの認識のもとに、教団としてはこの団体から退くことになりました。
 
差別と言えば、ここ数年、いわゆる「ヘイトスピーチ」をめぐる論争が世間、特にネット社会を賑わしています。
「ヘイト」とは憎悪、「スピーチ」は言論ですが、人種や民族その他の要素を捉えて、憎悪や悪意を表現する行動を「ヘイトスピーチ」と呼びます。
 
ただ、気になるのは、差別の撤廃や人権の尊重を声高に叫ぶ人の中には、自分たちこそが正義、という意識が強すぎて、自分の意見とは異なる見解や思想の持ち主に対しては、過剰なまでに攻撃的に反応するという傾向があるように見えることです。
 
つまり、自分は正しい、しかし相手が間違っている、という観点から物事を見て事態を評価する結果の産物かも知れません。
以前もご紹介しました、某大手新聞の投稿欄に掲載されていた主婦の経験談を思い出します。
 
この投稿者がある時、近所のスーパーの刺し身売り場で刺し身を選んでいたら、そこに二人連れの男女がやってきた。
 
奥さんらしき人がケースを覗いてその中の一つを取り上げたところ、連れの男性がひと言、言った、「やめておけ、それは色がおかしい」。そこでこの女性が別のを取り上げたところ、件の男性がまたも、「それも色がおかしい」。 
 
その主婦にはその刺し身はおかしな色に見えないので、「男性なのにシビアだなあ、いったい、どんな人なのだろう」と興味を持ってその男性の顔をみたら、何とその顔に濃い色のサングラスがしっかりとかかっていた、のだそうです。
 
サングラスつまり色眼鏡をかけたまま見れば、どんなに新鮮な刺し身であっても、おかしな色に見えてしまいます。
 
「差別根絶」「人権擁護」を声高に謳う人々の中には、「自分は正義、相手は悪」という色眼鏡をかけて物事を見ていて、しかもそのことに少しも気付かずにいるという人が少なくないようです。
 
人はまず、鏡を見て、自分が色眼鏡をかけているかどうかを点検することが肝要です。
 
人は罪深い生き物です。そしてその罪深い人間から差別意識を無くすということは、非常に困難なことです。なぜならば、人というものは無意識のうちに差別をしてしまう存在だからです。
しかし、今から二千年前、差別とは全く無縁の人として行動した一人の人物がおりました。イエス・キリストです。
 
そのイエスはある時、自分を敵視するユダヤ当局、中でもパリサイ人らとの衝突を避けるため、パレスチナ北方に位置するガリラヤに行くべく、南部のユダヤを離れて、中部のサマリヤ地方を通過しようとしました。
サマリヤを突っ切れば、ガリラヤへはユダヤのエルサレムから、三日程で行くことができたからでした。
 
「イエスが、ヨハネよりも多くの弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるというこいとを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)ユダヤを去って、またガリラヤに行かれた。しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった」(ヨハネによる福音書4章1~3節 新約聖書口語訳140p)。
 
 「イエスはサマリヤを通過しなければならなかった」(3節)という記述を、深読みした註解書などがありますが、ヨルダン川の向こう岸つまり、東側を迂回するルートに比べれば、「サマリヤを通過」(同)することの方がずっと早くガリラヤに着きます。
 ですから、ガリラヤに早く行くためには、「サマリヤを通過しなければならなかった」のです。
この記述にはこれ以外の、またこれ以上の意図はありません。
 
 旅の疲れを覚えたイエスは、「スカルという町」の外れにある井戸の傍らで休息をしておりました。
 大都市ならばともかく、水道などの無い地方都市の場合、井戸は大概、町の外れに設けられておりました。
弟子たちは町に食糧などの買い出しに行っており、井戸の傍らにはイエスひとりが残っておりました。
 
そこにひとりの女性が水を汲みにきましたので、喉の渇きを覚えていたイエスは彼女に、水を飲ませて欲しいと願ったところ、この女性はびっくりして、「この私にですか?」と聞き返したのでした。
 
「そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、『水を飲ませて下さい』と言われた。弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。すると、サマリヤの女はイエスに言った、『あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか』」(4章5~9前半)。
 
 この女性が不審顔で聞き返したわけは二つあります。
一つは、律法の教師であるラビが女性である自分に話しかけてきたからでした。
 
当時、女性は社会的に低く卑しいものとして、差別される存在でした。ですから律法の教師たる者が道端で女性と話をするなどということはあり得ない事だったのです。ところが何と、ラビであるイエスの方から彼女に話しかけてきたのです。
 
 でもそれは、イエスにとってはごく普通のことでした。なぜならば、イエスという人は女性もまた男性同様、神に創造され、かつ神に愛されている尊い人間であるという理解に立って行動した、この時代においては将に稀有の存在ともいうべきお方だったからでした。
 
 我が国における女性もまた、常に差別の対象でした。NHKでこの秋から始まった連続テレビドラマ、「あさが来た」のモデルの広岡浅子は、生涯かけて女性の地位向上に尽力した人ですが、六十二歳でキリスト教に入信し、個人的にイエス・キリストを知るようになってからは、ますますその思いが強まっていったようです。
 ドラマの後半には彼女が設立に尽力した女子大創設の話しが出てくるかと思います。
 
しかし、広岡浅子などの先達者が活躍したにも関わらず、この日本において女性が男性と同様に扱われるようになったのはごくごく最近のことです。
たとえば参政権にしましても、その権利を男性同様、女性が行使できるようになったのは戦後の一九四五年、昭和二十年のことでした。
 
誰もが女性を低く見ていた西暦一世紀という時代において、差別意識というものを一切持たなかった人がいたのでした。
サマリヤの女が井戸の側で出会ったのは、そんな類い稀な人、救い主のイエスだったのです。

 

2.女が井戸の側で出会ったのは、あらゆる偏見から解放された救世主であった
 
このイエスに対してサマリヤの女が驚いたもう一つの理由、それはユダヤ人であるイエスが、サマリヤ人の自分に、「水を飲ませて下さい」(7節)と頼んできたことでした。
 
イエスの時代の西暦一世紀の初期、ユダヤ人とサマリヤ人との間では、交際とか交流などというものは全くゆるされてはいなかったのです。
 
「これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである」(4章9節後半)。
 
 「サマリヤ人」(9節)は、民族的にはイスラエル民族と周辺民族との混血の民でした。
 そのため、アブラハムの子孫としての民族的純潔を重んじるユダヤ人による、サマリヤ人への偏見は凄まじいものがあり、「混血のサマリヤ人には神の選民としての資格はない」と決めつけ、彼らを穢れたもの、選民失格者として徹底的に蔑みました。
 結果、テーブルや、料理を盛った皿などの食器を一緒に使う食事をサマリヤ人と共にするという行為は、自らを穢す行為であるとユダヤ人は考えました。
 
 ということは、井戸から水を汲む道具を持たないイエスが、この女性から水を飲ませてもらうということ自体、穢れたサマリヤ人の穢れた入れ物から水を飲むことによって、自らを穢すということになるわけです。
 
 しかしイエスはあらゆる人種的・民族的、宗教的偏見から、全く自由でした。イエスは人を偏り見たり、分け隔てをしながちな狭量な人間とは、質的に全く別の存在であったのです。
イエス・キリストこそ、人を偏り見ることのない神を体現した救い主であったのでした。
 
 実はあのペテロでさえも、ひとりのユダヤ人としてこの民族的偏見に囚われておりました。
 聖霊の傾注によって始まったキリスト教会の形成から十数年後、巡回伝道でヨッパに滞在していたペテロは、カイザリヤに駐屯していたローマの軍人コルネリオの家を訪ねるようにとの示しを受けて、集会に赴くのですが、そこで福音が異邦人にも及ぶという事実を目の当りにして、吃驚仰天しております。ペテロの正直な告白です。
 
「そこでペテロは口を開いて言った、『神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受け入れてくださることが、ほんとうによくわかってきました』」(使徒行伝10章34、35節 198p)。
 
この、「人をかたよりみないかた」(34節)である神をその生き方で示したのがイエスという名の救世主キリストだったのです。
 
「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」(ヨハネによる福音書1章18節 135p)。
 
 このイエスはキリスト、救世主として今も生きていて、昔と同じように私たち一人一人を、偏見無しで受け入れてくださいます。
だからこそ、私たちもまた人を差別することなく、分け隔てすることなく、神が愛してやまない存在として受け入れる生き方をすることができるようになるのです。
 
 
3.女が井戸の側で出会ったのは、永遠の満足を与える救世主であった
 
 この時、自身は激しい疲労の中にありながら、井戸の傍らで出会った女性のために、彼女が真に必要としているものを、イエスは与えようと致します。
 
イエスは彼女に対して、人は二つの知識を持つべきであると言いました。
その一つは神が与えて下さる賜物についての知識、そしてもう一つが、今、彼女に対して水を求めている人物についての知識でした。
 
「イエスは答えて言われた、『もしあなたが神の賜物のことを知り、また、また水を飲ませてくれ、と言った者がだれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう』」(4章10節)。
 
 先ず、イエスが言われた「神の賜物」(10節)とは何なのか、ということですが、会話が進んであの有名な「生ける水」についての御言葉がイエスの口から発せられます。
 
「イエスは女に答えて言われた、『この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(4章13、14節)。
 
 人の内にあって「泉となり、永遠の命に至」(14節)らせる水、すなわち「生ける水」(10節)こそが、神がくださる「神の賜物」(同)です。
 
「生ける水」とは溜まり水の反対で、流れる水や湧き出る水を意味するのですが、ユダヤ人はそこから、「生ける水」を神から与えられる神の御言葉として捉え、更には神を信じる者に対して神が惜しみなく注いで下さる霊、すなわち「神の御霊」と考えるようになりました。
 
神の御言葉は神への信仰を生み出し、神の御霊は神との交わりを実現させてくださいます。
その結果、それは人の内から「永遠の命」に至る水として湧き上がってくるとイエスは語り教えました。
 
「永遠の命」という場合、二つの側面があります。一つは量的な側面、つまり永遠に死なない、という不死です。
しかし、もっと重要な側面があります。それが神を信じ受け入れることによって与えられる真の満足です。
 
不満や不足感を持ったままでただ長生きをしているのであれば、それは拷問になるかも知れません。
満足感を持って、神と人に対する感謝の気持ちを持って日々を暮らす、その延長線上に量的意味での永遠の命があると考えてみることです。
 
この満足感は、キリストの十字架の贖いによって実現した神との交わり、生ける交わりから生み出されます。
人が時間の中を生きるということは、多くのものを得る一方で、多くのものを失うことでもあるわけです。
 
しかし、神が与える「生ける水」(10節)を「飲む者は、いつまでもかわくことがない」(14節)という状態に至らせられます。
物に執着した日々、名声を求めた時代は過去のものとなります。失ったものを追憶するよりも、あるものを感謝するようになります。
 
三重苦のヘレン・ケラーが言ったそうです、「失ったものを数えるのではなく、今あるものを数えて感謝しましょう」と。
サマリヤの女性はこの井戸の側でのイエスとの会話を、生涯忘れることはなかったでしょう。
 
考えて見れば私たちの誰もがかつて、人生の井戸の側において、イエスに迎えられたのでした。
私の場合は十五歳の春、横浜の小さな教会の入り口が、あの「井戸の側」でした。今から思えば、そこには見えないキリストが確かに立って、十五の私を出迎えてくれていたのでした。
 
私を実際に出迎えてくれたのは柴田さんという男性信徒でした。この柴田さんが九十歳で存命しており、しかも教会では活動会員として今も奉仕をしているという情報を先日聞き、往時を振り返って主を崇めました。
 
今朝は「リラ」の歌集にある心に沁みる名曲、「井戸のそばで」をご一緒に歌って、今も私たちを待っている主を崇めたいと思います。
 
            井戸のそばで (リラ)
 
彼女は生きることに疲れて すべてを投げ出したい日々の中
誰にも分かってはもらえない痛みと涙を持っていた
彼女を あの井戸のそばで 温かな微笑みをして
ずっと待っていた ずっと待っていた イェス様は待っていた
 
雲は流れ 風も過ぎてく 慌ただしく変わるこの時の中
けして変わらないみ言葉は 今も私に語りかける
確かに あの井戸のそばで 温かな微笑みをして
ずっと待っている ずっと待っている イェス様は私たちを