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2015年10月4日 第五回日曜特別礼拝説教 祝福された人間関係? 人間関係を結ぶ、愛という名の帯 ローマ人への手紙3章14節

15年10月4日 第五回日曜特別礼拝説教

祝福された人間関係 その五

人間関係を結ぶ、愛という名の帯
 
コロサイ人への手紙3章14節(新約口語訳317p)
 
《今週の説教アウトライン》
 
1.不変の愛は、信頼し合う者を更に一層強固に繋ぐ帯である
2.無償の愛は、寄る辺無き者の盾として命へと繋ぐ帯である
3.無私の愛は、仇敵をも包み込む力として救いへと繋ぐ帯である
 
 
はじめに
 
先週の日曜日の夜のことでした。
夕食を終え、もうひと仕事をするため教会に戻ろうとして家を出て、何気なく夜空を見上げますと、東の空の雲間から眩いばかりの月が見えます。
そのあまりの美しさに家に戻って妻を呼び出し、家の前でしばらく月を観賞するひとときを持ちましました。
 
うっかりしていましたが、先週の日曜日の九月二十七日は十五夜で、まさに中秋の名月というものを心ゆくまで堪能することができたというわけです。
 
ご存じのように十五夜とは旧暦の八月十五日前後に見られる満月のことで、中秋の名月というのは、八月が旧暦の秋である七月、八月、九月の中、つまり中秋の八月に見ることができる名月という意味です。因みに竹取物語のかぐや姫が見て泣いた月も十五夜の月でした。
 
月と言ったら誰もが思い出すのが古今集の、在原業平(ありわらのなりひら)の甥とされる大江千里(おおえのちさと)の歌でしょう。
 
月みれば ちぢにものこそ かなしけれ
我が身一つの 秋にはあらねど
 
 「かなしけれ」が「悲しい」のか、「愛(かな)しい」のかが不明ですが、それが「悲しけれ」だとすれば、夜空の月に象徴される秋は、誰もが一種の物悲しさ、淋しさ、寂寥感といったものを感じさせる季節ともいえます。
 
人が悲しさや寂しさを感じる時とは第一に、愛する者のとの死別ですが、それに次いでのものが、身近な人間関係にきしみや溝を感じたりした時でしょうか。
喜びをもたらすのも人間関係なら、痛みや侘しさを感じさせるのも人間関係だからです。
 
そこで今月の「祝福された人間関係」では、「人間関係を紡(つぐ)む、愛という名の帯」というタイトルのもと、聖書に登場する三つの人間関係を題材にして、「愛という名の帯」の力について考えたいと思います。
 
 
1.不変の愛は、信頼し合う者を更に一層強固に繋ぐ帯である
 
信頼関係は既に十分に出来ている、という関係もあります。それが続けばそれに越したことはありません。
しかし、人の心は変わり易く移ろい易いものです。今が信頼し合っているからといって、それが変わらないという保証はありません。
置かれている環境が変わったり、状況が変化することによって、その影響を受けて心変わりをするというケースもあります。
悲しいことですが、それが脆く儚い人間というものが持つ宿命なのかも知れません。
 
しかし、聖書の中には、環境の激変、利害の渦を越えて、純粋な友情を最後まで貫き通したという麗しい関係があります。
それが、統一イスラエル初代の王ダビデと、統一前のイスラエルの王サウルの息子ヨナタンの関係でした。
 
ダビデが子供の頃、イスラエルに王政が布かれました。紀元前十一世紀の半ば頃のことです。
パレスチナの地中海沿岸に勢力を広げていたペリシテ人との戦いにイスラエルが勝つには、部族を統合した組織的な対応が無ければならず、そのためには王政を布く必要であると考えられたからでした。
 
最初の王に任職されたのが背丈の高い美丈夫のサウルでした。
 
「サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた」(サムエル記上13章1節 旧約聖書口語訳398p)。
 
「二年イスラエルを治めた」(1節)とありますが、「二年」は統治期間としては余りにも短か過ぎますので、学者は「二十年」が写本の段階で「二年」となってしまったのだろうと推測します。
 
ダビデですが、ダビデの父親の名はエッサイで、ダビデは八人兄弟の末っ子でした。イスラエルとペリシテとの戦いは常に熾烈を極めるものでしたが、ある時父は、ダビデに対し、ペリシテとの戦いに参戦している三人の兄たちのところへ弁当を届けに行くよう命じました。
 
弁当を持ったダビデが戦場に行きますと、ペリシテの巨人、ゴリアテが、イスラエルに対し一対一の勝負を求めて出てきておりました。
しかし、イスラエルの陣営から誰ひとり名乗り出る者はありません。巨人を恐れていたからでした。そしてこの巨人に、羊飼いの武器である石投げをもって立ち向かったのが少年ダビデで、彼は見事、ゴリアテを打倒するという勲功を上げます。ラグビーのワールドカップで日本が南アメリカに勝った以上の大番狂わせが起こったのでした。
 
イスラエルの危機を救ったダビデをサウル王が謁見するのですが、その様子を垣間見たのが王の息子のヨナタンでした。
ヨナタンはダビデに魅かれ、以後、二人は熱い友情を持ち続けるに至ります。
 
「ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結び付き、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した」(サムエル記上18章1節)。
 
 これがダビデとヨナタンとの運命的な出会いでした。その後、ダビデはサウルの親衛隊長に抜擢され、輝かしい武勲を立てるようになり、国民的人気を博するようになります。
しかし、ダビデの高い人気に不安を感じたのが王のサウルでした。ダビデによる王位簒奪を恐れたサウルは、やがてダビデの抹殺を謀るようになります。
しかしヨナタンのダビデへの気持ちは揺るぎません。彼は疑心暗鬼に陥った父親を諫めると共に、ダビデを父の手から救うべく、陰に陽に支援の手を差し伸べ続けます。
 
考えるまでもなく、ヨナタンは正当な王位継承者ですから、ダビデはライバルということにる筈です。しかし、ヨナタンは神が自分ではなくダビデを選んでいることを知っており、神の選びが実現することを心から願っていたのでした。
ですから、競争相手の事前の抹殺の必要を説く父サウルに対し、猛然と抗議をします。
 
「エッサイの子がこの世に生きながらえている間は、あなたの王国も堅く立っていくことはできない。…彼は必ず死ななければならい。ヨナタンは父サウルに言った、『どうして彼は殺されなければならないのですか。彼は何をしたのですか』」(20章31、32節)。
 
やがてヨナタンとサウルはペリシテとの熾烈な戦いの末に、戦場において命を落としてしまいます(31章1~6節)。
このサウルとヨナタンの訃報を聞いたダビデが、哀悼の気持ちを示すために詠んだ歌が、「弓の歌」として知られる歌です。
 
「ダビデはこの悲しみの歌をもって、サウルとその子ヨナタンのために哀悼した。
『イスラエルよ、あなたの栄光は、あなたの高き所で殺された。ああ、勇士たちはついに倒れた。
…わが兄弟ヨナタンよ、あなたのためにわたしは悲しむ。あなたはわたしにとって、いとも楽しいものであった。あなたがわたしを愛するのは世の常のようでなく、女の愛にもまさっていた。
ああ、勇士は倒れた。戦いの器はうせた』」(サムエル記下1章17、19、26、27節)。
 
ダビデはヨナタンが彼に注ぎ続けた愛について、それは「女の愛にもまさっていた」(26節)と歌いましたが、ヨナタンのダビデへの友情はあくまでも細やかであって、ただ尽くすだけの一途の愛であり、たとい状況や環境が変化したとしても変わることのない愛、不変の愛であったという意味でしょう。
 
ダビデはその後、ヨナタンへの友情の証、ヨナタンの温情への感謝のしるしとして、ヨナタンの遺児の面倒を生涯にわたって見続けるのですが、この二人が強固に結ばれ続けたのは、二人の間に神がおられたからでした。
 
サウルの手を逃れてダビデが身を隠す際に、ヨナタンが送った祝福の言葉です。
 
「無事に行きなさい。われわれふたりは、『主が常にわたしとあなたの間におられ、また、わたしの子孫とあなたの子孫との間におられる』と言って、主の名をさして誓ったのです」(サムエル記上20章42節 415p)。
 
神をその間に入れた関係は、信頼し合っているという今の状態を、更に密なるものへと変えてくれることになります。その実例がヨナタンとダビデの関係でした。

 

2.無償の愛は、寄る辺なき者の盾として命へと繋ぐ帯である
 
世の中には、義理も義務もないという関係にも関わらず、見捨てるわけにはいかない、という愚直とも思える気持ちから、関わりを続けるという愛があります。
これを無償の愛というのですが、その愛を体現した人物がナザレの大工のヨセフでした。
 
ヨセフが婚約者のマリヤの妊娠という事実を知った時、彼はマリヤを訴えることもできました。しかし彼はマリヤの将来を考えて、穏便なかたちでの解決を模索しました。
 
「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重(みおも)になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した」(マタイによる福音書1章18、19節)。
 
「婚約」(18節)でありながら「夫ヨセフ」(19節)、「離縁」(同)とあるのが不思議かも知れませんが、当時のユダヤの結婚は、三段階の順序を経るのが通例でした。
第一は親同士が決める許嫁(いいなずけ)です。これは当事者が年頃になった時に解消することもできました。
第二の段階は法的な意味での夫婦になるということです。しかし、この段階では同居には至らず、約一年後に同居をするという習慣がありました。
 
つまりマリヤはこの第二の段階において妊娠をしたわけです。
身に覚えのないヨセフは煩悶しつつ、マリヤのため、事を密かに収めようと思慮しますが、夜の夢の中に御使いが現われて、「離縁をするのではなく、マリヤを妻として迎えるように」という啓示をもたらします。「胎児は不義の子などではなく、神の聖霊によるものであって、生まれ出る子は世を救うメシヤ・キリストなのだ」と(1章20~22節)。
 
眠りから覚めたヨセフは納得をし、決然としてマリヤを妻に迎えます。
 
「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた」(1章24節)。
 
 ヨセフの印象は一見、草食系男子のようです。しかしこの時ヨセフは、この先に待つ、自らが浴びる嘲笑、陰口を覚悟しつつ、誤解に基ずく世間からの非難、悪罵、中傷から母と子を守る防波堤となるべく、選択をし、行動をしたのでした。
 
このヨセフについての、かつて山口百恵と三浦友和の結婚式を司式した飯清牧師(故人)の論評は的を射ているだけでなく、実に感動的です。
 
神はその独り子を世に遣わすにあたって、母となるべき女性を選ぶよりも、いわば養父として保護者の役目を果たす男性を探すことのほうに、はるかに骨を折られたのではないかと思うのです。
もしこのヨセフのような思慮深い協力者が与えられなかったら、マリヤはとうてい「救い主の母」という大任に耐えられなかったのではないでしょうか(飯清著「飼葉おけと十字架 アドベントとレントのための小説教集」58p 日本基督教団出版局)。
 
 著者はこの小説教のタイトルを「信仰の勇者ヨセフ」としていますが、まさにヨセフは「信仰の勇者」であり、「愛の勇者」でもありました。もしも私がタイトルをつけるとするならば「男の中の男ヨセフ」とするところです。
 
彼は世間的には寄る辺の無い者となるであろう母子に対し、これ以後、見返りを求めない無償の愛を注ぎ、その盾、防壁、保護者として世間の非難、攻撃から守り続け、それによって私たち人類を神の命へと繋ぐ役割を果たしたのでした。
 
 
3.無私の愛は、仇敵をも包み込む力として救いへと繋ぐ帯である
 
 愛は仇敵同士とも言える間を繋ぐ帯ともなります。
使徒パウロのヘブル語名は、ヨナタンの父親と同じですが、西暦三十年代の後半、回心前の若き律法学者のサウルは、原始キリスト教会に対する迫害と弾圧の中心人物として知られておりました。
 
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、迫害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書(てんしょ)を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった」(使徒行伝9章1、2節)。
 
 ところが目的地のローマ帝国の属州シリヤ州の「ダマスコ(ダマスカス)」郊外において、この「サウロ」に強烈な光が天から照射します。光を浴びて地に倒れた彼に対し、呼びかける声が天から聞こえました。
それは何と、「サウロ」が異端者として指弾してきた死んだ筈のナザレのイエスの声でした。
 
「彼は地に倒れたがその時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(9章4節)。
 
 天からの声は、動顛をし、しかも光のために視力を失ってしまった彼に対し、「町に入るように」と命じます。
 
「彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。そこで彼は『主よ、あなたは、どなたかですか』と尋ねた。すると答えがあった、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』」(9章5、6節)。
 
一方、ダマスコ在住の弟子であるアナニヤは、サウロの許を訪れて祈るようにという啓示を、祈りの最中、幻として受けます。
 
「さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現われて、『アナニヤよ』とお呼びになった。彼は『主よ、わたしでございます』と答えた。
そこで主は言われた、『立って、真すぐという名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。
彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである』」(9章10~12節)。
 
主ご自身の言葉とはいえ、アナニヤには信じ難い指示でした。当然です。サウロはキリストの教会にとっては厄災をもたらす、将に親の仇のような人物なのですから。
しかし、主は重ねて言われます、「私は彼を異邦人に福音を伝える器として選んだのだ」と(15、16節)。
 
 これを聞いたアナニヤはサウロの許に行こうと心を決めます。傍にいた教会の仲間たちは止めたかも知れません。
でもアナニヤは立ち上がり、仇ともいうべきサウロを尋ねて、彼に手を按(お)き、心を込めて祈ったのでした。
 
「そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、『兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現われた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです』」(9章17節)。
 
 この結果、パウロの身に劇的な変化か起こります。鱗のようなものがサウロの目から落ちて、彼の視力は元に戻り、「イエスこそ主キリストである」との信仰を告白してバプテスマを受け、こうして後の使徒パウロが誕生することとなるのです(9章18、19節)。
 
 この時、教会側にとっては報復をする絶好の機会でもありました。視力を失っているサウロには、抵抗するすべもありません。
 しかし、アナニヤは報復をするどころか、手を按いて祈ってくれたのでした。
 
とりわけサウロの心を揺り動かしたものは、アナニヤの口から発せられた「兄弟サウロよ(サウール アデルフェー)」(17節)という呼びかけではなかったかと思うです。
憎んでも余りある筈の仇敵です。にも関わらず、そのサウロに対してアナニヤは、「アデルフェー(兄弟)」と呼びかけてくれたのでした。
イエスの言葉に次いで、律法学者サウロの心に影響をもたらしたもの、それがこのアナニヤの、サウロにとっては想像すらできない、愛に満ちた呼びかけであったのでないでしょうか。
 
コロサイ書の著者がパウロかどうなのかという議論がありますが、たとい著者がパウロでなかったとしても、そこには使徒パウロの心情と経験が豊かに反映されていると思われます。三章十四節です。
 
「これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」(コロサイ人への手紙3章14節 317p)。
 
 「アナニヤ」という人物の名はこれ以後、聖書にも歴史にも出てきませんが、しかし、自分を捨てた彼の愛、無私ともいうべき愛こそが、あたかも獲物を追いかける猟師のように、キリスト者を求めて「脅迫、殺害の息をはずま」(9章1節)せていたサウロの心を溶かしたのでしょう。こうして教会の迫害者であったサウロのために、愛は彼と教会とをつなぐ帯となって用いられたのでした。
 
愛こそが、「すべてを完全に結び帯で」(14節)す。そしてこの愛の本源、はイエス・キリストです。月は夜、太陽の光を反射して輝きます。私もあなたも、神の御子キリストの不変の愛、無償の愛、無私の愛で愛されて、愛する者へと変えられるのです。