2015年3月1日 日曜礼拝説教
基本信条としての使徒信条?
「罪なきキリストが『十字架につけられ』たのは、
神との和解を実現するためであった(下)
―贖罪、そして和解」
マタイ福音書27章45~50節(新約聖書口語訳48p)
はじめに
「天地の造り主」である全能の神と、その神によって造られた存在である私たち人間との関係を断絶させているもの、それが人間の罪、正確に言えば「原罪」です。
そもそも「原罪」が何なのか、といいますと、それは「人が神になる」、あるいは「人が神であろうとする志向のこと」なのです。
先週二月二十二日の日曜日、沖縄県八重山郡の与那国島で、島への「陸上自衛隊沿岸監視部隊」の配備についての住民の意思を問う住民投票が行われました。
与那国島は日本の最西端に位置する島ですが、国境の島でありながら島の防衛体制はというと、二名の警察官と二丁の拳銃だけというのが現状です。
そして島の位置関係から、台湾国が目と鼻の先にあるだけでなく、軍備増強著しい共産中国の艦船が、日夜、周辺海域を遊弋、通行をしております。
一方、安全保障上、極めて需要な島であるにも関わらず、沖縄本島からも遥か離れた離島ということもあって、島の人口は減少の一途を辿っており、一九五〇年には六千人が住んでいた島は、現在では二千人以下になっています。
そこで、領土、領海の監視、防衛のための自衛隊による監視部隊をこの島に配備したいとする防衛省と、島の活性化のために自衛隊の基地誘致を考える島の町議会とが島への基地建設を推進していたところ、基地建設に反対の議会野党が、基地建設の是非についての民意を問う住民投票の実施を提案してきたのです。その結果、住民投票が二月二十二日に実施されることとなったのでした。
そもそも、国の安全保障を左右するような事柄を住民投票で決めるなどと云うことほど、常軌を逸脱したナンセンスなことはありませんが、流れの中でそうなったのでしょう。
それはともかく、投票結果はどうなったのかと言いますと、当日有権者合計1276人、投票率は85、74%で、賛成が632票(57,76%)、反対が445票(40、67%)、無効17で、配備賛成が反対を上回りました。
この住民投票のために町議会が定めた条例はその第14条で、「住民投票において、有効投票総数の過半数の結果に達したときは、町長及び本町議会は投票結果を尊重し、国及び関係機関と協議して、本町への陸上自衛隊沿岸警備隊…の配備について町民の意思が正しく反映されるよう努めなければならない」としておりますので、結論は出た、ということになります。
この住民投票について興味を持ちましたのは、何と言いましても、テーマが国の安全保障に関する事柄であったからでした。特に国境の島における防衛体制の不備についてはかねてから、不安を覚えていたからです。
また、これと関連して、議会の野党議員側の主張によって、投票には中学生をも含む未成年者九十六人に投票権が与えられただけでなく、日本国の安全保障の事案についての住民投票にも関わらず、日本国籍を有しない永住外国人にも投票権を与えたということを知ったからでした。
配備反対派はこれによって反対票が増えると踏んだからでしょうか。確かに先の町長選挙では四十七票の僅差で、基地配備推進の町長が三選されています。
そして三つ目、もしも賛成票が有効投票の過半数を上回った場合、基地建設に反対する側がそれに対して、どのような反応をするのだろうか、という点にも興味を覚えました。
といいますのは、基地配備反対の地元新聞の一つが、投票四日前の二月十八日の社説において、「住民投票は自己決定権を行使し、(住民が)島の将来への責任を果たす好機である」として、これが島の住民の自己決定権の行使であることを強調すると共に、「住民投票結果に法的拘束力はないが、民主主義国家ならば示された民意を尊重しなければならない」と、町長と町議会に対して、投票結果を与那国島住民の「民意」として尊重すべきことを強く促していたからでした。
ところがこの五日後の二月二十三日(投票の翌日)の同紙社説を見ますと、「与那国島住民投票 島の将来見据えた選択を」のタイトルのもと、太字で「島を二分した住民投票について政府は重く受け止める必要がある」としているのですが、続きを読みますと、「(投票した町民一人一人が)島の未来を考え、それぞれが悩み抜いた判断に違いない」のだから、「ただ(投票の)結果をもって、計画が町民の全面的な信任を得たとまでは言えない」筈である、ゆえに「防衛省は2015年度末までの配置予定にこだわらず、慎重に対応すべきだ」などと書いておりました。
ということは、投票結果そのものをこの新聞社自身が「重く受け止め」ていないということになってしまいます。
反対票が多数を占めると踏んでいたのかも知れませんが、五日前には「住民投票結果に法的拘束力はないが、民主主義国家ならば示された民意(という結果)を尊重しなければならない」とし、「防衛相は…町議会が可決し、町長が実施を決めた住民投票を軽々しく扱う言動は決して許されない」という警告で社説を結んだばかりです。
「許されない」はずの、「住民投票を軽々しく扱う言動」をとっているのは一体誰なのでしょうか。
なぜ、このような矛盾した論理になるのかと言いますと、それは、自らが「神」だからであるといえると思われます。「神」は絶対的正義、絶対的善であって、無誤、無謬、つまり間違いはあり得ません。
つまり、「神」にとってはいつも自分が正しく、反対者が間違っているという論理になるわけです。政治は足して二で割るような妥協の産物とも言えるものなのですが、「神」である当該の新聞社、そして反対者の教理には妥協なるものはないようなのです。
「神」にとって、島への基地配備は許すことのできない絶対的悪なのでしょう。住民投票の結果がどうであろうと、悪は許容できない、そこで今後も反対活動を続ける、ということになります。たとい独り善がりではあったとしても、その動機がなまじ純粋であれば純粋であるだけ、迷いはありません。
実際、投票後も「反対する住民は、工事差し止めを求める裁判を起こすことも検討している」(20150222 21:21朝日新聞デジタル)、「配備反対派はレーダーの電磁波による健康不安も強く訴えている。建設差し止め訴訟も検討している」(20150223琉球新報電子版)とのことです。
おわかりいただけるかと思います。罪の根である「原罪」とは、自分自身を正義の神とすることなのです。そしてこの「原罪」が真の神との断絶を招き、和解を損なってきたのでした。
しかも、人は誰もみな、この「原罪」の影響下にあって、他者を、時には天地の創造者である神様をも自らの意向に従わせたい、と思う欲求を内に秘めているのです。
この「原罪」がある種のイデオロギー、あるいは宗教と結びつくと、世界が正義と悪の戦場に見えてきて、自らの活動が聖戦に思えてきてしまうということになります。もちろんその場合、自分たちが「正義」の側にいることは論を俟ちません。
民主主義も住民投票も、自らが正しいと信じるところの「正義」実現の手段にしか過ぎませんから、もしも自分たちが考える「正義」と相いれない結果が出た場合は、それは無視をすることとなります。なぜならば、「神」である者の考えと相いれない結果は、「悪」であるということになるからです。
真の神と私たち人類の和解は、人間一人ひとりが持っていて、深層心理にまで沁み込んでいるこの厄介な原罪というものを、何とかすることによってしか実現することはできないのです。
そこで、創造主である父なる神と、父の独り子とが協議をして達した結論がただ一つ、御子が人となって地上に降り、この厄介な原罪を身に負って処分をする、ということでした。
原罪の処分を贖罪(しょくざい)と言います。そして、贖罪が完了して、そこにおいて初めて神と人類の間に和解が成立します。
そこで今週は十字架刑のクライマックスを通して、原罪の贖いとしての贖罪がどのようになされたのか、神との和解の道は如何にして開かれたのか、という問いに対する答えを探ることとしたいと思います。
1.罪なきイエスは罪びとたちの身代わりとなって、義なる神に見捨てられたー犠牲
イエスが訴えられたのはピラトが見抜いていたように、神殿を中心とした宗教利権を独占する大祭司一族にとって、既存宗教の改革を説いて民衆の人気を集めるイエスを放置していれば、いつか自分たちの足元が根底から崩されることになることを恐れたからでした。まさにイエスはそういう危険な存在に見えたのです。
一方、脛に傷持つピラトにとってはローマの官僚として、上層部の信任をえ続けるため、つまり自己保身のためにも、大祭司一派を敵に回すわけにはいかず、彼らに迎合するしかない立場にいたのでした。
その両者の利害が一致した結果が、イエスの十字架刑でした。
その理不尽極まりない十字架に、イエスが架けられて六時間が経過した午後の三時ごろ、イエスが十字架上で大声で叫んだのです。
それは、「神が今、私をお見捨てになった、なぜなのか」という悲痛な叫びでした。
「さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マタイによる福音書27章45、46節 新約聖書口語訳48p)。
実はイエスが叫んだ言葉は、ユダヤ人には馴染みの詩篇の言葉でした。
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」(詩篇22篇1節 旧約聖書口語訳764p)。
通常、ユダヤ人は詩篇を荘重に朗誦するのですが、イエスのそれは声を限りの絶叫となって、ゴルゴタの丘に響き渡りました。
それまで、何を言われようと反論をせず、罵詈雑言を浴びられようと罵り返す訳でもなく、ただ、罪びとらのため「父よ、彼らを赦し給え」と執り成す祈りを捧げるのみであったイエスが、でした。
なぜか。それはこの時、イエスが経験したことのない経験をしたからです。イエスはこれまで、罪を別にすればおおよそ、人間が嘗める辛酸、経験する痛み、悲しみ、辱めのすべてを経験してきました。
でも、一つだけ経験していないものがありました。それは、父なる神との交わりの断裂、関係の切断という経験です。
天においては父と子として共にある時は無論のこと、人として地上に生を享けて十字架に架けられているこの瞬間まで、父なる神の眼差しは常にイエスに注がれており、イエスもまた十字架の苦痛と屈辱の中にあっても、自身が神と共にあることを実感していたのでした。
しかし、この日の午後三時、イエスは父なる神がそのみ顔を自分から背けたということを、感じ取ったのです。
しかもそれだけではありません。イエス自身の意識が、かつて経験したことのない感覚に襲われたのだと思われるのです。それは自分自身が罪深い存在だという自己意識、つまり罪意識でした。
私たちの感覚としては、罪を犯したことのないイエスが何で罪意識を持つのか、と疑問を感じるかも知れません。
しかし、イエスの心境は自分は罪びとなのだという意識で満ちたのでした。そこまで私たち罪びとと同化をし、一体化してくださったのでした。
造られた者であるにも関わらず、驕り高ぶって神のようになろうとした私たち人類は、神に見捨てられても仕方のない存在です。
そんな私たちに代り、罪びととなって神に見捨てられたお方、それが主イエスでした。
でも、それはイエスにとっては未知の領域、経験したことのない感覚であったため、我知らず、幼い頃から朗誦してきた「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(46節)という詩篇の一節が、まさに絶叫となってその口から迸(ほとばし)り出たのではないでしょうか。
罪なきお方は十字架の上で罪びととして神に審かれ、罪びとして神に見捨てられたのです。その犠牲は他でもない、このわたしのためであったのです。
小説の「氷点」や随筆の「道ありき」で有名な三浦綾子が初心者向けの伝道トラクトに書いたとおりです。
「あなた一人だけのためにでも、キリストはあなたの罪を負って、十字架にかかってくださったでしょう」と、ある伝道師が言った時、私は戦慄にも似た激しい感動を受けた。この自分の罪のために死んでくれた人がいた、というそのことが、理屈ではなくて肌身に沁みてわかったのである(三浦綾子「聖書と私」日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団発行)。
罪なきキリストは私たちという罪びとたちの身代わりとなって、義なる神に見捨てられ、そして犠牲となってくださったのでした。
2.イエスの犠牲によって帳消しとなったのが、人が負うべき罪と罰であったー贖罪
十字架上のイエスの叫びを聞いて、イエスがてっきり助けを呼んでいるのだと思った者たちがおりました。ローマ兵たちです。
「わが神、わが神」(46節)はヘブライ語では「エーリー、エーリー」です。
そこで、ユダヤ教のことを聞きかじったかしていたローマ兵たちは、てっきり、イエスが預言者エリヤに助けを求めたのだと思ったのでしょう。
「するとそこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、『あれはエリヤを呼んでいるのだ。…ほかの人々は言った、『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう』。」(27章47、49節)。
しかし、イエスは助けを求めたわけではありませんでした。十字架刑は覚悟の上での刑罰でした。
それは、イエスは自分を犠牲にすることによって、原罪の下(もと)にある人類の、原罪という罪と、原罪の結果である罰としての死の支配を終わらせて、ご自分を信じる者に対し、罪と罪の結果としての罰の赦し、そして命への出発をもたらそうとしていたからです。
その証拠が、イエスが事切れる前に叫んだ大声でした。
「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた」(27章50節)。
「もう一度」(50節)とありますので「エーリー、エーリー‘(わが神、わが神」と叫んだようにも思えますが、この今際の際の言葉はそうではなく、一世紀末に書かれた第四福音書によりますと、「完了した」という言葉であったようです。
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(ヨハネによる福音書19章30節 175p)。
「すべてが終わった」という直訳は、それだけでは「万策尽きた」という敗北宣言のような印象を受けるかも知れません。しかし、これは勝利の宣言でした。
ですから新改訳はこれを「完了した」と訳し、新共同訳は「成し遂げられた」と訳したのです。
人類救済の道、罪と罰からの解放の道は、イエスの十字架の死によってこの時に開かれたのでした。
使徒信条の第二条は、人類の救済が神の独り子であるイエスによって、すなわちイエスの業績を通してどのように始まり、またどのようにして展開されたのかという事柄についての告白であって、これをまとめたものを学問的に「救済論」「贖罪論」あるいは「和解論」と呼びます。
「救済論」とは、神から迷い出た人類の「救済」という神のみ業の全体を表現する論理体系で、その神による救済、つまり「贖罪」のメカニズム、仕組みを論ずるものが「贖罪論」であり、そして、キリストの贖罪によって実現した救済の出来事を「和解」という視点から整理したものが「和解論」です。
この神による救済の出来事を簡潔に述べた言葉を読みましょう。
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた」(ペテロの第一の手紙2章24節 368p)
キリストが「十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた」(24節)ということは、「わたしたちの罪」(同)だけでなく、罪に伴なう刑罰をも「負われた」(同)という意味です。
アダム以来、人類を支配してきた原罪と原罪に伴う罰は、原理的にはキリストの十字架によって帳消しにされているのです。
あとはこれを個人的に理解し、信じ受け入れて、今も生きているイエス・キリストを自分自身の主、救い主として告白すれば、誰であっても救われて、神と和解することができるのです。
あまりにも有り難いことなので、これを使徒パウロは幸福の音信、「福音」と名づけました。
「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである」(ローマ人への手紙1章2、3節 233p)。」
決して忘れてはならないこと、それは、人が負うべき罪と罰とは、キリストの身代わりによって帳消しとされたということです。
私たちの教会の正式名称「寝屋川福音キリスト教会」は、「寝屋川」の地にあって、この有り難い「御子に関する」「福音」を信じ、伝える「キリスト」が建てた「教会」という意味です。
このキリストなるイエスをご一緒に崇めてまいりましょう。
3.キリストの身代わりの死が、人類の罪と罰の帳消しを可能にする理由(わけ)
先週と今週にかけて礼拝説教を準備している時、脳裏にいつも行き交っていたのが「あなたの瞳」という讃美の前半の歌詞でした。
どんな傷みも つらさも愧(は)じも あなたは受け入れられた
自分を捨てる程に 私たちを愛された(作詞 中山有太)
いい讃美です。キリストが受けた苦難が私たちへの愛の現われてあったという事実が胸に迫ります。でも、キリストの受難が人への愛の現われであることの論理が実は今一つ、判然としないのですが、詩なのですから当然といえば当然です。
ところが、それは福音書も同様なのです。
福音書は、キリストの十字架の死の状況を詳細に描写し、またそれによって人間の罪と罰は帳消しになったと宣言します。
つまり「何が」起こったのかということに関しては十分に理解することができます。しかし、現代人はそれだけでは納得しません。キリストの死が人類の罪と罰を帳消しにできるのは「なぜか」というその理由の解明を求めます。
そこで簡潔に、古代、中世、近代における贖罪についての教え、あるいは和解の教理の変遷を辿ることによって、キリストによる救済についての正確な理解を得たいと思います。
この点につきましては、アラン・リチャードソンという、教理の歴史の専門家の著作「キリスト教教理入門」(日本聖公会出版)に負うところ、大でした。
古代教会における贖罪論は「賠償説」と呼ばれました。古代の教会によれば、キリストの命は悪魔への賠償であった、人間は罪によって自分の霊魂を悪魔に売り渡してしまった、そこで、神はキリストの命という賠償をサタンに払って、人間を買い戻したのだ、というものでした。その根拠になったものが以下の聖句でした。
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコによる福音書10章45節 69p)。
しかし、悪魔あるいはサタンには、人を騙す悪知恵はあっても、人を所有する権利はありません。ですからサタンに賠償をした、とする考え自体、ナンセンスなのです。
二つ目は十一世紀になってから、アンセルムスという英国の学者によって提起された「充足説(満足節)」と呼ばれるものでした。
アンセルムスは神を、騎士などの臣下から尊敬を受ける封建的大君主になぞらえました。
騎士道の時代、臣下が君主の名誉を著しく傷つけた場合、臣下は償いとして相応の罰を受けるか、君主に対して十分な満足を与えるかのいずれかをしなければなりませんでした。
しかし人間は神の名誉を著しく傷つけたにも関わらず、神を満足させることはできない、しかし神は人類を滅ぼすことになる罰を与えることを好まず、その代わりに、侵害された名誉の償いのために、人間性をとった御子を地上に送り、その罪なき死を償いとして受け入れて、満足をされたのだ、という教理を打ち出したのでした。
これはそれまでの「賠償説」よりは整ってはいました。しかし、神は決して封建時代の封建領主などではありません。そこに中世という時代的限界がありました。
三つ目が十二世紀のはじめに、アベラール(アベラルドス)というフランス人によって唱えられた説で、「道徳感化説」と呼ばれています。
アベラールは言います、キリストの十字架は、神の愛を最も強力に訴える手段であった、キリストの死を仰ぐ時、罪びとはそこに神の愛を見、その結果、人は自己中心的な生き方を恥じ、悔い改めて生活の改善を願う、というのです。
しかし、この説は、人間の情感に訴えることができたとしても、そこには限界というものがあります。人にもよりますが、人の決心は長続きしないものなのです。
何よりも問題なのは、神のわざに対してよりも、悔い改めや生活の改善への努力という、人間のわざに依拠する救済説である、ということであって、つまるところこの説は、自力による救済説でした。
十六世紀、つまり近代になり、宗教改革者たちによって、「法の不可侵性」と「神の正義」を柱とする、政治的、法的概念を取りれた「刑