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2014年12月14日待降節第三主日礼拝説教「運命的な出会い? 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストとの出会いにより、祈りが通じていたことを知ったナタナエルーいちじくの木の下で」ヨハネによる福音書1章43~51節

2014年12月14日 待降節第三主日礼拝説教 

「キリストとの運命的な出会い? 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストとの出会いにより、祈りが通じていたことを知ったナタナエルーいちじくの木の下で」
 
ヨハネによる福音書1章43~51節(新約聖書口語訳137p)
 
 
はじめに
 
本日十二月十四日は多くのメディアや野党が声を揃えて、「大義なき解散」などと非難をした総選挙の投票日です。選挙権のある方は是非、投票所に足を運んで票を投じてください。
 
尤も当選者が一人しか出ない小選挙区制は、政党間の駆け引きによって、立候補者が絞られてしまう場合があり、その結果、選択のしようのない選挙区も出てきます。とりわけ、宗教政党と革命政党の一騎打ちなどという選挙区の場合、足以前に気持ちが向かないのは確かです。
 
これが複数の当選者が見込まれる中選挙区であるならばまだ、投票のしようがあるのですが。私自身、個人的な考えとしては、選挙民が選択をし易く、また少数者の民意が反映され易い中選挙区に戻すことが、ベターだと思っています。
 
その「個人的」ついでで、個人的感想を言えば、五年三カ月前の総選挙結果は悪夢そのものでした。
まさに、つい先日亡くなった俳優、高倉健が主演して、名作として評価された「幸福の黄色いハンカチ」と併せて映画賞を獲得した「八甲田山」における神田大尉の、「天は我々を見放した」という有名な台詞を当時、思い出しもしたものでした。
 
なお、この映画の元となった新田次郎原作の「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」(新潮文庫)では、「天はわれ等(ら)を見放した」(同書193p)とあるのですが、小説の中での神田大尉のモデルとなった神成(かんなり)という大尉が現場で実際に言ったのは、生存者の証言によれば「天はわれわれを見捨てたらしいッ!」だそうですが。
 
二〇一一年三月の東日本大震災への対処にしましても、後手後手に回る悲惨な対応ぶりで、それを含めて、とにかく日本という国がボロボロになってしまったというのが、その悪夢としか思えない三年三カ月に対する個人的な感想でした。
 
しかし、ちょうど二年前、天すなわち神は我々の国、日本を、そして日本人をまだまだ見放してはいなかった、という思いを新たにすることができました。
 
もちろん、この国が受けた傷はまだ癒えてはいませんが、本日、「神は日本国を見捨ててはいない」「日本人は捨てたものではない」という確かな希望と確信を日本国民一人一人が持ち、自らの信念に基づいて、しっかりとした投票行動をとることができますようにと念じるものです。
 
ところで、今から二千年前、ガリラヤのカナに、「天は我々を見放した」のではないか、という疑念と不信に抗いながら、それでもなお、希望を持って神から遣わされる救世主の現われを待ち望んでいたひとりの「イスラエル人」がおりました。
 
待降節第三主日を迎えた今週は、その「イスラエル人」に対するキリストの取り扱いを通して、疑惑と不信感を突き破って永遠の神と繋がる道を開いてくれた救世主を仰ぎたいと思います。
 
 
1.友人に対してキリスト自身を、論より証拠として紹介したピリポ
 
人がキリスト教に触れるきっかけとなるのは何か、ということですが、案外多いのが家族や友人に誘われてというものでしょう。 
初期の弟子の一人であった「ピリポ」はどうだったのでしょうか。
 
「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、『わたしに従ってきなさい。ピリポは、アンデレとペテロとの町ベッサイダの人であった』。」(ヨハネによる福音書1章43、44節 新約聖書口語訳136p)。
 
何がきっかけであったのかについての言及は何もありませんが、「ピリポは、アンデレとパテロとの町ベッサイダの人であった」(44節)とありますように、彼はアンデレやペテロと同郷の人であって、アンデレと同じく、バプテスマのヨハネの指導を受けようと、ガリラヤのベッサイダからユダヤへとやってきたのかも知れません。
 
更に想像なのですが、アンデレが兄弟シモンをイエスに紹介した「その翌日」(43節)に、そのアンデレが「ガリラヤに行こうとされた」(同)イエスにピリポを紹介したのかも知れません。
そうであるならば個人伝道の達人、アンデレの面目躍如というところです。
 
 聖書は登場人物の言葉や行為など、必要最小限の事実しか書かれていないことが多いものですから、想像力を働かせることが大事です。
連続テレビドラマの「花子とアン」で、主人公の花子が「想像の翼を広げ」る場面が何度も出てきますが、聖書を深く味わう際にも、「想像の翼を広げて」読むとよいと思います。
 
なお、クリスチャン新聞福音版十二月号には、ドラマ「花子とアン」の原作となった「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(新潮社)の著者で、村岡花子の孫にあたる村岡理恵というクリスチャンの証しが掲載されております。
是非お読みください。
 
 ところでバプテスマのヨハネが活動した地域は、死海の西側のユダヤの荒野です。一方「ガリラヤ」はサマリヤを挟んでパレスチナの北に位置します。
 
イエスに同行してそのガリラヤの北方にある「カナ」に着いたピリポは早速、カナに住む友人のナタナエルを訪問してイエスの話をし、このイエスこそ、我々が待ち望んでいたキリストである、と告げます。
 
「このピリポがナタナエルに出会って言った、『わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った』。」(1章45節)。
 
 私たちが旧約聖書と呼ぶヘブライ語の聖書は当時、「モーセ」あるいは「モーセと預言者」と呼ばれていました。
ですからピリポが言う、「モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人」(45節)とは、ヘブライ語聖書がその出現を予告しているところの救世主、終わりの日に神がイスラエルに遣わすメシヤ・キリストを意味します。
 
 しかし、ナタナエルはピリポの言葉を言下に否定します。「ガリラヤから出た者たちはみな偽物だった、そのイエスとやらもそうに違いない」と。
 
「ナタナエルは彼に言った、『ナザレから、なんのよいものが出ようか。』」(1章46節前半)。
 
 ガリラヤ人の熱狂的気質は、自薦他薦を問わず多くの自称メシヤ・キリストを輩出し、その都度、その試みは挫折しました。ナタナエルは幾度も期待し、その期待を裏切られてきたのでしょう。
この「ナザレから云々」はナザレを蔑視したものではなく、カナやナザレも含めた熱し易いガリラヤの気質や風土を指摘したものだと思われます。
 
ところでもしもピリポがなまじ弁舌に自信がある人であったならば、イエスがキリストであるということを論証しようとしたことでしょう。しかし彼はそうせずにナタナエルに向かってひと言、「来て、自分で確かめてはどうか」と言ったのです。
 
「ピリポは彼に言った、『きて見なさい』。」(1章46節後半)。
 
 実は聖書学校に在学中、私が最も力を入れて学んだ教科は「キリスト教弁証論」でした。「弁証」とはたとえば法廷において検事が被告が有罪であることを立証しようとする弁論、あるいは弁護士が被告の無罪を証明しようとして行う論証行為をいいます。
若かったころ、反対者を理論で屈服させる武器として「弁証論」が効果的であると思ったからです。
 
しかし、議論に負けた場合、人は却って心を頑なにするということにやがて気づくようになりました。人にはプライドがあるからです。
ピリポが採った伝道方法とは、相手を論破することではなく、「論より証拠」で、対象者を「証拠」としてのキリストの許に連れていくことでした。
 
今日では、(相手の人の了解を得た上でですが)自分自身が体験した事実(これを「証し」と言います)を淡々と語ることもまた、一つの方法といえます。
自分自身の信仰体験を簡潔に整理しておき、機会があればその場で証しすることもまた、「きて見なさい」(46節)というピリポの方法でもあります。
そのために一度、信仰体験を文章化してみるのもよいと思います。
 
 
2.不信の中に潜む誠実な「イスラエル人」を、ナタナエルに見出だしたキリスト
 
 真面目であるがゆえに融通が利かない、というタイプの人がいます。ナタナエルがそういうタイプであったようです。
 
しかし、彼は真面目であるがゆえに、折角ピリポが誘っているのだからと思って、イエスに会うべく、ピリポに同行致します。その初めて見るナタナエルをイエスが、「彼こそ真のイスラエル人である、なぜならば誠実な人間だからだ」と評価します。
 
「イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、『見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人(びと)である。その心には偽りがない』。」(1章47節)。
 
 イエスは初対面の筈の彼に、「その心に偽りがない」(47節)人、彼こそ「ほんとうのイスラエル人である」(同)という評価を下しました。
イエスのこの評価は、聖書に、そしてイスラエルの伝統的人間観に基ずいたものでした。代表的な章句が詩篇にあります。
 
「主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである」(詩篇32篇2節 旧約聖書口語訳773p)。
 
 その「霊」つまり「心に」「偽りのない人」とは、たとい失敗することがあったとしてもしっかりと自らの過ちを認めて神の前を正しく生きようとする人、つまり誠実であることを心掛けている人のことを意味しました。
 
それは言動が首尾一貫しているということでもあります。政治家の言動はメディアによって細かく報道されますが、九月の段階ではさかんに解散を迫っていた野党のある幹部が、まさか解散などはないだろうと高を括っていたのでしょうが、十一月に至って、いざ解散という状況になったら大慌てで、「解散に大義がない」などと言って、解散を批判していました。
 
この時期に解散されて一番困るのは選挙準備が整っていない自分であり、自分の政党だからです。一体、どの口が、と思いましたが、こういう人とは正反対の人が「その心には偽りがない」人なのです。
そしてヨハネの福音書では偽りの多い偽善的な人を「ユダヤ人」、心に偽りのない人を「ほんとうのイスラエル人」として区別しているようです。
 
ナタナエルは聞きます、「初対面なのになぜそう言えるのですか、あなたはどこまで私のことを知っているのですか」と。
これに対してイエスは答えます、「私はあなたがいちじくの木の下で瞑想しているのをこの目で見ていた」と。
 
「ナタナエルは言った、『どうしてわたしをご存じなのですか』。イエスは答えて言われた、『ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た』。」(1章48節)。
 
 これについては、イエスがあたかも千里眼のような超能力を用いて「いちじくの木の下にいる」(48節)ナタナエルを見た、というように解釈をする必要はありません。人であったイエスは、神の属性である全知全能という能力を制限されていたからです。
 
当時、普通のユダヤ人の家には塀や垣根はありません。しかし、少し余裕のある家にはいちじくの木が植えられていたのかも知れません。 
つまり、イエスはたまたまナタナエルが家の前の「いちじくの木の下」(48節)で神に祈り、また瞑想に耽っている姿を通りがかりに目撃していたのでしょう。
 
日を遮る葉を茂らせる「いちじくの木の下」(同)は、ユダヤ人にとっては瞑想や黙想に耽る絶好の場所でした。
そして、ナタナエルは自宅の「いちじくの木の下」で、ローマの支配下にある祖国と同胞の現状を嘆く一方、湧き上がってくる疑念と不信感に抗いながら、聖書が約束しているメシヤ・キリストの到来を祈っていたのでしょう。
 
そのナタナエルが瞑想し、祈っている姿を見ただけで、その全身から漂う誠実な人間性、神への真摯なる思いを、イエスは把握したのだろうと思われます。
私たちは事あるごとに祈りますし、常に祈ってはいます。しかし、心に忍び寄ってくる、「この祈りは神に届いているのだろうか」という疑念と戦うことがしばしばかも知れません。
 
しかし、祈りは聞かれているのです。祈っている姿は確かに見られているのだということを、ナタナエルとイエスのやりとりから窺うことができる者は幸いです。
そして、況してや主として神の御座の右に着座している今、イエス・キリストは何でも出来る、何でもわかっている全知全能の神でもあります。
 
「いちじくの木の下」と言いますと、思い出すのが古代キリスト教会における最大の教父と称されたアウグスティヌスの回心の場面です。彼は自らの罪深さに悩み、煩悶しつつ、ミラノの「いちじくの木の下」に身を投げ出して祈っていた時、隣家から聞こえてきたわらべの声に従ってローマ人への手紙を読み、そこで回心に導かれるのです。
 
わたしはどのようであったかは覚えていませんが、いちじくの木の下に身を投げ出し、涙の堰(せき)をはずしました。わたしの目から涙がどっと溢れ出ました。
涙があなたに受け入れられる犠牲です。…わたしは哀れな声を張りあげました。「いつまで、いつまでなのでしょうか。…どうして、今、この時に、わたしの醜さに終わりがこないのでしょうか」。
わたしはこのように(神に)話しながら、心からの痛恨の思いに打ち砕かれ、苦渋に満ちた涙を流し、泣いていました。するとその時、となりの家から、少年か少女か分かりませんが、歌のような調子で繰り返し話している声が幾度か聞こえて来ました。
「トレ、ヨメ、トレ、ヨメ」
 (中略)そこでわたしはかりたてられたように、…使徒の書(のローマ人への手紙)…を取り、開き、最初にわたしの目に止まった章句を無言で読みました。
  「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、主イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を満たすことに心を向けてはならない」。
この節を読み終えるやいなや、平和の確かな光のようなものが、わたしの心に注ぎ込まれ、すべての疑いの闇は消え去ってしまった…(アウグスティヌス著 宮谷宣史訳「告白録 上」437、8p アウグスティヌス著作集5/1教文館)。
 
因みに「トレ、ヨメ」はラテン語では「トッレ、レゲ」です。
私たちの「いちじくの木の下」、そこは起床時や就寝前の床の上かも知れません。居間や勉強部屋、あるいは台所かも知れません。また、仕事のために駅に急ぐ道の上かも知れません。しかし、イエスはそういうあなたを「見」(48節)ているのです。
 
況してや、あなたが「イエスは主なり」と告白し、心の戸を開いてイエスを主、救い主として迎え入れている今、皆様の内に聖霊によって住まわれている主は、あなたが抱えている問題や悶え、疑問や課題に関して、あなた自身よりもようく理解をしてくださっている筈なのです。
 
最後に勝つのはバカ正直な人です。目先の利害得失で右往左往するのではなく、泰然自若として、すべてを見抜く主に従っていきたいと思います。
 
 
3.密かなる思いを見通すキリストに対して、全面降伏をしたナタナエル
 
ことここに至っては、全面降伏するしかありません。ナタナエルはイエスをメシヤ・キリストと認めてひれ伏します。
 
「ナタナエルは答えた、『先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です』。」(1章49節)。
 
 これがナタナエルの精一杯の信仰告白でした。しかし、彼のキリスト理解は当然、まだまだ不十分です。
 
そこでイエスはご自身がなそうとされているキリストとしての救済のみ業について語り出されます。
それはキリスト御自身の働きが、単なるイスラエルの民族的復興などではなく、神が住まう天と、人が住む地とを直接的に繋ぐ架け橋を、自らの身で築く、ということについてでした。
 
「イエスは答えて言われた、『あなたがいちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう』。また言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上に、上り下りするのを、あなたがたは見るであろう』。」(1章50、51節)。
 
 ひとりの人の疑念や不信感を解決することは大切なことです。しかし、原罪という難問を解決することにより、神から遠い罪びとと聖なる神との関係を築くこと程、重要なことは他にありません。
「いちじくの木の下」(48節)でナタナエルが祈った祈りは、本人も理解していなかった内容と奥行きを伴なって、天にいます神に通じていたのでした。
   まさに「至誠 天に通ず」(孟子)です。
 
イエスがナタナエルに語った事柄とは、キリストなるイエスが「天を開」(51節)いて神と自由に行き来もでき、交わりを可能とする梯子(はしご)を創る、という救済のみわざでした。
 
 ここではまだ、十字架の出来ごとは隠されていて、「神の御使いが」(同)イエスという「人の子の上に上り下りするのを見る」(同)というぼやけた言い回しでしか語られていませんが、この三年後の西暦三十年四月、イエスは私たち日本人を含む全人類の罪を一身に背負って、十字架上で身代わりの死を遂げられました。
 
それこそがまさに「世の罪を取り除く神の小羊」(29、36節)としての死でした。その時、救済のみ業が事実上、完成したのでした。
 
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(19章30節)。
 
 「すべてが終わった」(30節)と訳された原語は、「完了した」という意味の言葉です。
それは原理的には罪の支配が終了し、救済のみわざが完了したことを意味する宣言でした。この結果、すべての人類が神の選民である「イスラエル人」という聖なる民とされる道が開かれたのでした。
 
有り難いことに、神に背いていた「ユダヤ人」も救世主キリストを信じる信仰によって「ほんとうのイスラエル人」(47節)とされ、神から遠く離れていた異邦人もまた、神の家族の一員とされる道が、十字架によって万人に開かれています。
 
いつの日にか、私たちは神を父とし、主なるイエスを長兄、バプテスマのヨハネやアンデレ、ペテロ、ナタナエルを兄弟と呼ぶ神の家族としての交わりに入れられるのです。より多くの人がこの恩恵に与かることができますよう、この時期、心を合わせて祈りたいと思います。