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2015年2月15日日曜礼拝説教 基本信条としての使徒信条?「 『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」たキリストは、自ら進んで有罪となった」マタイによる福音書26章59~68節 27章1、11~26節

15年2月15日 日曜礼拝説教 

 基本信条としての使徒信条?
 
「『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け』た
 キリスは、自ら進んで有罪となった」
 
マタイによる福音書26章59~68節 27章1、11~26節
 
 
はじめに
 
 先週の礼拝説教では、人類の祖であるアダムの堕罪について触れましたが、聖書を読み始めた方々が持つ疑問の一つが、創造主である神はなぜ、人に自由意志というものを備えたのか、というものです。
 
つまり、なまじ、自由意志などが人にあるものだから、神の戒めを破り、食べてはならないとされた実を取って食べたのだ、という理屈です。
 
 でも、戒めを守るというのは、相手の気持ちを尊重しているからこそですので、単にそのように決まっているから守る、あるいは罰を受けたくないから守るというのでは、動物と変わりがありません。
 
 人が人である徴しの一つは、道徳的、倫理的判断力を持っていることであって、その判断の根底にあるのは他者への配慮、いうなれば愛に基ずく思いやりです。
 
その愛が時には自己の欲望を制限もし、また犠牲を払うことも厭わないという、崇高な意志的行動へと向かうのです。
 
「使徒信条」の第二条は神の独り子であるイエス・キリストに関する告白ですが、今週は「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」という条文についてです。
 
この短い言葉が告げる、キリストの私たち人類への愛に満ちた思いやりに基ずく尊い自己犠牲を見る者は幸いです。
 
 
1.キリストはピラトの法廷でも、自ら進んで有罪の宣告を受けようとした
 
ご存じのように、日本の裁判制度は三審制です。
被告は一審で有罪という判決を受けた場合、上級審に控訴することができます。
それが身に覚えのない無実の罪であるとすれば、無罪判決を求めて、そしてたとい身に覚えがあったとしても証拠不十分ということで、あわよくば無罪判決を勝ち取ろうとし、あるいは裁判官の裁量による刑の軽減を求めて必死になります。
 
それは法治国家である日本国の構成員である国民にとっては、裁判を受けるということが当然の権利だからです。
日本国憲法は国民に対しては裁判を受ける権利を、そして刑事事件の被告となった者に対して、裁判における諸権利を有することを保障します。
 
 
日本国憲法
 
第三二条[裁判を受ける権利]何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
 
第三七条[刑事被告人の諸権利]すべて刑事事件においては、被告人は、公正な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
 
 この、第三十七条の「諸権利」(第三七条)の中には、自己のための証人を求める権利、有資格者の弁護人を依頼する権利等が含まれています。
 
では、イエスの裁判はどうであったのかと言いますと、イエスは二つの裁判を経て、人間が考えた中で最も残酷な刑罰といわれる十字架刑に処せられました。
 
「使徒信条」のラテン語原文は「(主は)ポンテオ・ピラトの下(もと)で苦しみ」と告白します。
「ポンテオ・ピラト(ポンティウス・ピラトス)」とは誰かと言いますと、西暦二十六年から三十六年までの十年間、シリヤ州総督の下で、パレスチナ南部のユダヤ地域を治めた行政長官のことです。
 
「使徒信条」が「ポンテオ・ピラト」という固有名詞をあげた理由の一つは、イエス・キリストの受難がキリスト教会に伝わる単なる伝承などではなく、それが時間と空間における出来事として生起した「歴史的事実」であるということを示すためであり、そしてもう一つの理由が、ポンテオ・ピラトというローマ帝国の高級官僚がユダヤの総督在任中に起きた、「年代史的事実」であることを確認するためのものであった、と研究者は言います。
 
と言いますのは、キリスト教会が伝える福音は、捏造あるいは偽造などではなく、正真正銘の事実に基ずくものであることを示すためでもあったからでした。
昨年八月の朝日新聞の告白によって、いわゆる「従軍慰安婦」なるものの「強制連行」説が、捏造であり偽造であるということが白日の下に明らかにされましたが、ある種の人々は、また民族は、自らの立場の正当性を訴えるためであるならば、事実をねじ曲げて、有りもしないことを有ったかのようにでっち上げるという習性があるからです。
 
自らの利害得失のために平気で事実を隠蔽し、あるいは捏造をする習慣のある人々は、自分がするのだから他の者もそうするに違いないと考えます。
教会はそういう思い込みによる批判に対応するために、キリストの出来事が年代史的にも事実であるということを証明しようとしたのでした。
 
そしてもう一つ、キリスト教信仰を純粋に持ちたいと考える求道者が安心して福音を受け入れることができるようにと考えた古代教会が、キリストの出来事が確かな根拠も基ずく事実であるということを示すため、福音書の記述に、そして洗礼式の信仰告白文でもある古代の「信条」に、「ポンテオ・ピラト」という実在の人物の固有名詞を入れたのです。
 
時は西暦三十年四月七日の金曜日、夜を徹して行われたユダヤ最高法院サンヒドリンにおける裁判において、イエスは自らをメシヤとしたという罪で有罪を宣告され、夜明けと共に、神殿に隣接していたユダヤ「総督」ピラトの官邸に送致されました。
 
「世が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した」(マタイによる福音書27章1、2節 新約聖書口語訳47p)。
 
「イエスを殺そうとして協議をこらし」(1節)とありますが、当時、ローマ帝国の「属州」となっていたユダヤは、死刑の執行権限をローマに取り上げられておりました。
 
つまり、ユダヤ議会はイエスに対して死刑宣告をしたとしても、刑を執行することができなかったのです。
そこで「イエスを殺そうとして」(同)、ローマ法違反の容疑で、ローマの行政長官に訴え出たのでした。
 
二〇一二年十二月のマルコによる福音書連続講解説教でもご説明しましたが、イエスの時代、ローマ帝国の版図はとにかく広大であって、その統治は皇帝の下、イタリアはもとより、現在のイベリヤ半島、フランス全土、ライン川から南のドイツ、ベルギー、オランダ南部、ルクセンブルグ、スイス南部、バルカン半島、ギリシャ、トルコ、アルメニア、シリヤ、レバノン、イスラエル、エジプト北部、北アフリカにまで及んでいたのでした。
 
この広大な帝国は当時、主に三つに区分されていました。
ローマ「本国」と「同盟国」そしてローマに降伏し占領された「属州」の三つであって、その「属州」も、統治がし易い地域は元老院が治める「元老院属州」、そして情勢が何かと不穏でややこしい地域は「皇帝属州」とされ、皇帝に任命された総督が軍隊と共に駐留しておりました。
 
パレスチナは「皇帝属州」の「シリヤ属州」として、皇帝が任命した「シリヤ総督」が統治しておりましたが、「シリヤ属州」中のサマリヤとユダヤは、皇帝によって任命されたユダヤ総督が特別に治めておりました。
ですからピラトの役職名は「総督」というよりも、行政長官や代官などの訳語が適当なのだそうです。
 
そしてローマ法に基ずく裁判が始まるのですが、開廷後まもなく、裁判長席に座る「総督」のピラトは、不思議な光景を目の当たりにします。
何かと言いますと、目の前の被告人は、自らの潔白を主張しないどころか、あえて不利な状況に自分を追いやろうとしているように思えたからでした。
 
「さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、『あなたがユダヤの王であるか』。イエスは『そのとおりである』と言われた」(27章11節)。
 
 「あなたがユダヤの王であるか」(11節)というピラトの尋問は、イエスが訴えられている犯罪容疑を意味するものでした。
つまり、イエスは自らを「ユダヤの王」とすることによって、ローマ皇帝の統治権に逆らう国家反逆罪を犯しているということを意味するであって、これこそが、ユダヤ議会がイエスを訴え出た罪状であったのでした。
 
裁判の結果、もしも有罪となれば、ローマ法によって政治犯に課せられる十字架刑がイエスに待っていることになります。
でも、イエスは何と、ピラトの面前で、自らの無実、自己の義を主張するどころか、ユダヤ当局の訴えに対して、沈黙を守り続けたのでした。
 
「しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。するとピラトは言った、『あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたに聞こえないのか』。しかし、総督が不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった」(27章12~14節)。
 
 イエスはなぜ沈黙を守ったのでしょうか。実は、イエスは前夜に行われたユダヤの法廷でも、偽証に対しては沈黙を守っておりました。
 
「すると大祭司が立ち上がってイエスに言った、『何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか』。しかし、イエスは黙っておられた」(26章62、63節前半)。
 
 そこで、このままではイエスを無罪として放免しなければならないことに焦った議長の大祭司が、ついに違法な誘導尋問の挙に出ます。「あなたはキリストなのか」と。
 
「そこで大祭司は言った、あなたは神の子キリストなのか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ。
 
ここでもしもイエスが沈黙を貫いていれば、裁判は終了し、イエスは晴れて自由の身となります。少なくともその直前までは、審理自体は合法的に進められていたからでした。
 しかし、何と、ここまで沈黙していたイエスが口を開き、自らが聖書に預言されているメシヤ・キリストであると言ってしまいます。
 
「イエスは彼に言われた、『あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは間もなく、人の子が力ある者の右に坐し、天の雲に乗ってくるのを見るであろう』」(26章63節後半、64節)。
 
 それはユダヤ社会では決定的な言葉でもありました。こうしてイエスは、沈黙を貫いてさえいれば、無罪、釈放となる筈のユダヤ法廷では、口を開く一方、沈黙を破って証言をしていれば無罪となる筈のローマの法廷では、完全黙秘を続けたのでした。
 
 これらの事実は一つのことを物語ります。つまりイエスには無罪を勝ち取ろうという気は始めからなかった、というよりも、有罪を宣告されて十字架に架けられる道を自ら選んだとしか思えないということでした。
 
この時のイエスは、自ら進んで有罪となろうし、有罪宣告の向こうにある、十字架刑による死を覚悟していたのでした。
 
 
2.キリストが進んで有罪となったのは、罪びとを無罪とするためであった
 
では、助かる道があったにも関わらず、その道を選ばずに、自ら進んで有罪となったのはなぜなのでしょうか。
それは自らが処刑されることによって、それを人類の罪の身代わりの死として神に認めてもらい、その結果、人類の罪を清算するという目的を達成するためであり、それによって罪びとを無罪とするためでした。
 
人類の身代わりとして死ぬためには、その人物に一点の罪も染みもないことが条件です。ですからイエスは罪の誘惑と戦い、罪の誘惑を退ける日々を送ることにより、「神のように」(創世記3章5節)なろうとする人類の原罪そのものを克服した最初の人、唯一の人として神に認定されたのでした。
 
コリント集会に宛てられたパウロの、実質四通目の手紙をお読みします。
 
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである」(コリント人への第二の手紙5章21節 283p)。
 
 「神の義となる」(21節)とは法律用語であって、「神によって無罪を宣告される」という意味です。
 「罪を知らないかた」(同)とは「無原罪」の人という意味ではありません。そうではなく、罪に陥る可能性がありながら、罪の誘惑に陥ることなく、常に罪と反対の生き方、つまり愛に生きるという生涯を生きたイエスのことでした。
 
 イエスは単に大祭司の官邸で行われたユダヤの法廷、サンヒドリン議会において「死に当たる」(マタイ26章66節)罪として有罪とされただけでなく、またユダヤ総督のピラトにより、ローマの法廷で有罪を宣告されただけでなく、実は生ける神の大法廷において、審判者である神から「罪とされた」(同)のでした。
 
では、誰のためにかと言いますと、「わたしたちの罪のために」(同)です。「わたしたち」(同)とはユダヤ人を含む人類すべて、すなわち、今も生きている人類、かつて生きていた人類、これから生まれるであろう人類すべてを意味します。
 
その「わたしたち」人類「の罪のために」(同)すなわち、そのもろもろの罪を身に背負って、まさに大罪人として神により、有罪を宣告されたのがイエスでした。
 
 人類などといっても規模が大きすぎて実感が湧かないという場合には、「わたしたちの」を「日本人の」とし、更には「わたしの」、つまり「わたしの罪のために」神は「罪を知らないかたを罪とされた」、つまり「有罪を宣告されたのだ」と読んでみてください。
 
 信じる、信じないに関係なく、西暦三十年の四月七日、イエス・キリストはユダヤとローマという二つの法廷で、自ら進んで有罪となって死刑判決を受け、同時に天の法廷においても有罪とされたのでした。
 
 それは「わたしたちが、彼にあって神の義となるため」(21節)すなわち、有罪判決を取り消されて、創造主であり、主である神から無罪を宣告されるためであったのです。
 
 
3.キリストの崇高な自己犠牲を、真に理解することのできる者は誰か
 
 イエスの行動を形容する最も適切な言葉は「犠牲」、それも自己を犠牲にした「自己犠牲」であるということがいえます。
人は時には、ヒロイズムという動機によって自己犠牲を払う場合もあります。
 
 しかし、キリストの自己犠牲は無償の愛を動機としたものでした。それも、犠牲を払うに値しない者への理屈を超えた愛によってなされたものだったのです。
 
「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは時いたって、不信心な者たちのために死んでくださったのである」(ローマ人への手紙5章6節 238p)。
 
 キリストが身代わりとなって死のうとした時、その対象である私たちは、神に対しては不敬そのものの「不信心な者たち」(6節)であったのです。
 
 人は通常、無関係の人のためには、それがたとい品行方正の立派な人であったとしても、自身が犠牲を払うということはありません。
ただし、「善人のためには」、つまり過去に、多大の恩義を受けた恩人のためであるならば、ひょっとすると犠牲となることもあるかもしれません。
 
「正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう」(5章7節)。
 
 でも、キリストが身代わりという尊い犠牲を払った対象は「正しい人」(7節)でもなければ「善人」(同)や恩人でもなく、神に背を向けている、罪びとだったのです。
 
「しかし、まだ罪人(つみびと)であった時、わたしたちのためにキリストが死んでくださったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである」(5章8節)。
 
 「見解の相違」という言い方があります。しかし、「見解の相違」で片付けることのできない文章が一流新聞のコラムに掲載されました。一月十三日の朝日新聞夕刊「素粒子」です。
 
少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった(20150113「朝日新聞夕刊素粒子」)
 
 「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派」とは、ナイジェリアの過激派組織、「ボコ・ハラム」のことでしょう。
 
一月十二日、ナイジェリア北部の町の市場で十五歳の少女が自爆し、四人が死亡するという悲惨な事件が起きましたが、その前日には隣接する州で十歳ほどの少女による自爆により、十九人が死亡するという事件が起きました。
コラムはこのことを言っているのでしょう。
 
惨い事に、彼女たちは爆弾が仕込まれたベルトを体に巻き付けられて、自爆テロに使われたもようです。コラムが非難するように、本当に「卑劣」な行為です。
 
 しかし、後半が問題です。コラムは「70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」と書いて、「卑劣」極まりない過激派の「自爆テロ」と、日本軍の「特攻」を同一視しているのです。
 
このコラムから、映画にもなった百田尚樹の小説、「永遠の0」の一場面を思い出しました。
前後の文章から、朝日新聞の記者を思わせる高山という記者が、かつて特攻要員であって、戦後、経済界の大物となった武田という元海軍中尉に対し、「特攻はテロだった、特攻隊員はテロリストだ」と決めつける場面が出てきます。
 
私は、特攻はテロだと思っています。あえて言うなら、特攻隊員は一種のテロリストだったのです(百田尚樹著「永遠の0」422p 講談社文庫)。
 
 これに対し、元特攻要員の経済人が激高して反論します。
 
(特攻が)テロリストだと―ふざけるのもいい加減にしろ。自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にしたものだ。ニューヨークの飛行機テロもそうではないのか。…我々が特攻で狙ったのは無辜の民が生活するビルではない。爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ。米空母が我が国土を空襲し、一般市民を無差別に銃爆撃した。そんな彼らが無辜の民というのか(前掲書423p)。
 
 「素粒子」というコラムを読んで、汚い言葉ですが「ミソもクソも一緒」という言葉を頭に思い浮べる人は、健全な思考と感覚の持ち主だと思います。
いわゆる自爆テロと特攻の共通点は二つあります。一つは爆弾が使われていること、そしてもう一つが自死であるということなのですが、ナイジェリアにおけるボコ・ハラムによる犯行の場合、自爆テロに利用された少女たちの死は、自らが望んだ自死ではなく強制です。
 
日本のメディアの「ミソもクソも一緒」ぶりは、如何ともし難い状態です。
今月はじめ、いわゆる「イスラム国」に捕まっていたヨルダン人パイロットが実は一月のはじめに、檻に入れられて、生きたままガソリンをかけられて焼き殺されていたことを示す動画が配信され、これに憤ったヨルダンがその六時間後に、自爆テロ犯で生き残っていた女性死刑囚を処刑したという出来事が報道されました。
 
ところが何と、これを報じた同日夜のNHKテレビのニュースでは、女性キャスターが賢(さか)しら顔で、「暴力の応酬は避けて欲しいものです」などと言ったのには唖然としました。
 
ヨルダンに収監されていた女性死刑囚は十年前、首都アンマンのホテルで自爆テロを決行した犯人グループの生き残りであって、正式の裁判を経て死刑判決を受けた死刑囚です。この時、ホテルでは結婚式が行われていて、六十人もの民間人が自爆テロの犠牲となったということです。
テロ集団によるヨルダン人パイロットの惨たらしい殺戮と、正規の法的手続きを経て行われた犯罪者への処刑とを同一視して、「報復の連鎖」などと憂えて見せるメディアには呆れ果てます。
 
朝日新聞夕刊コラムの当該記事は、一月二十七日の産経新聞夕刊コラムが問題視し、そして翌々日の同紙の朝刊で、同社の編集委員が「朝日新聞『素粒子』にもの申す」として、「特攻隊とテロ、同一視に怒り」という長文の論説文を掲載し、朝日の「素粒子」というコラムが、特攻と自爆テロとを同一視していることの問題点を正面から正確に指摘しておりました。
 
特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設であり、決して無辜の民を標的にしなかった。(民間人を対象とした)無差別攻撃を行う(自爆)テロとは根本的に違うのである(20150129「産経新聞編集委員 宮本雅史」)。
 
 この批判記事の中で、モーリス・パンゲというフランス人文学者が一九八四年に上梓した、「自死の日本史」(原題は「日本の自発的死」)という著作の一部が引用されておりましたので、早速これを入手して読んでみました。
 
同書の訳者によりますと、著者のモーリス・パンゲという人は戦後のフランスの最も良質のインテリジェンス(知性)を代表するひとりだそうで、東京大学でフランス文学とフランス思想を講じ、日仏文化の交流に多大の貢献をした人のようです。
 
特攻についてモーリス・パンゲは分析します。
 
それ(註 特攻)は日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。
しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、何物にも曇らされることのない明晰な論理というべきものではないだろうか。
この〈意志的な死〉はひとつの三段論法の上に立っていたのだ(モーリス・パンゲ著 竹内信夫訳「自死の日本史」515p 講談社学術文庫)。
 
パンゲは続けます。
 
彼らにとっては単純明快で自発的行為であったものが、われわれには不可解な行為に見えたのだ。
強制、誘導、報酬、妄想、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。
しかし実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の目には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。
彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。
彼らは確かに日本のために死んだ(前掲書524p)。
 
 特攻が「不可解な行為に見えた」「われわれ」とは連合国側の者、あるいは欧米人を意味すると思われます。
欧米人はそれを最初、「強制、誘導、報酬」がもたらしたものと考え、更には精神的な「妄想」によるもの、また「麻薬」や「洗脳」の結果と考えた、「しかし実際には、…水晶のごとき自己放棄の精神」の現われであったと分析したのでした。