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2015年1月11日日曜礼拝説教「基本信条としての使徒信条? 幸いなのは『我は神を信ず』と告白できること」イザヤ書43章10~13節 45章5~7節 

15年1月11日 日曜礼拝説教 

 基本信条としての使徒信条?
 
「幸いなのは『我は神を信ず』と告白できること」
 
イザヤ書43章10~13節 45章5~7節
 
 
はじめに
 
年明け、フランスの首都パリで、世界、特に欧米を震撼させるテロが、イスラム教の過激派グループに属していると思われるテロリストによって起こされました。
フランスの風刺週刊紙として知られるシャルリー・エブドのパリ本社を、覆面をし武装した三人組が襲撃し、銃を乱射して警察官を含む十二人を殺害して逃亡したのです。
 
一人はその後警察に出頭したようですが、二人が人質をとって印刷会社に立て籠もり、結局、強行突入したフランス特殊部隊によって殺害され、人質の方は無事に救出されました。
一方、この事件と連動したものと思われる立て籠もり事件もパリ市内のユダヤ人向けのスーパーで発生し、結果、容疑者は射殺されました。しかし、四人の人質が巻き添えで亡くなったとのことです。
 
前者の事件の場合、容疑者が逃走車に乗り込む前、「預言者ムハンマドの復讐だ」と叫んでいる映像を視ましたが、表現の自由と宗教的信条がぶつかったとされるこの類いの事件は、移民問題、さらには人種差別、経済格差などの問題も複雑に絡まって、今後も西欧社会で勃発する危険性があるようです。
 
そして、このような事件が起こるとすぐに湧き上がってくるのが欧米の場合はイスラム教批判であり、そして我が国の場合は宗教そのものに対する警戒心です。
 
しかし、どんな思想にも宗教にも過激思想はあってそこから必然的に過激な活動家が出てくるものです。それはキリスト教の歴史も同様でした。
中世の十字軍などの運動は盲信がなした愚かしい行為としか思えませんし、ローマ教会による異端審問や魔女狩りなどは狂信の最たるものです。
 
狂信、盲信は避けなければなりませんが、もう一つ歪信とでもいうべきものがあります。己が信じるところの教義を歪んで理解することによって、本来の教えが意図してもいない事柄を本義と思い込んで、過激な行動に出るというケースです。
因みに歪信という言葉は私が勝手に造ったもので、辞書には載ってはいないと思います。
 
今回のような衝撃的な事件もこの「歪信」という歪んだ信仰から生み出されたものであると思われますが、その副産物として、我が国の場合、宗教や信仰そのものを過剰なまでに危険とみなして、これを遠ざけようとする雰囲気や動きが出てくることも予想されます。
 
確かに宗教は取り扱いを誤ると危険ではあります。今年二〇一五年は、今週土曜日の一月十七日が阪神・淡路大震災の発生から丸二十年になりますが、翌々月の三月にはオウム真理教といういかがわしいカルト宗教団体によって「地下鉄サリン事件」という無差別テロが東京で惹き起こされ、結果、十三名の無辜の命が奪われ、数千人の人が負傷したりもしました。
この事件では関係者全員が逮捕され、裁判が継続中の者もおりますが、負傷者の中には今も後遺症で苦しんでいるという人もいます。
 
この地下鉄サリン事件を受けて公安調査庁はオウム真理教に対し、破防法(破壊活動防止法)の適用を検討しましたが、当時の日本のキリスト教界はそれが信教の自由を侵しかねない、宗教弾圧につながる危険性があるとして、適用反対のアピール運動を展開しました。
 
私も当時はまだ朝日新聞の影響をまともに受けていましたので、当然のように適用反対の側にいたのですが、もしもオウムに破防法を適用していれば、その時点でオウム真理教の命脈を断つことができていたかも知れません。
 
破防法の適用が見送られた結果、オウムはかたちを変えて生き残り、教祖の影響力もまた生き残って今日に至っています。
改めて思い返しますと、まことに忸怩(じくじ)たる思いになります。
 
オウム真理教の例などは、宗教が道を外れて暴走するとどうなるかという見本ではあります。しかし、現代の日本においてはオウムのようなケースは例外と言ってよいでしょう。むしろ、過剰な反応の方が心配です。
 
今から二三〇〇年前の紀元前三世紀はじめ、中国の政治家で詩人であった屈原は、度を超すまでに用心深いことを、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」(屈原「楚辞 九章 惜誦」)と表現しました。
もっともそれは、痛い目に遭っても遭っても、それでも同じことを繰り返してしまう性懲りもない自らを自嘲しての表現でしたが。
 
この故事に出てくる「羹(あつもの)」といいますのは、肉や野菜を煮込んだシチューみたいなものです。また「膾(なます)」とは牛肉の刺身のことです。
つまり、熱々のビーフシチューで舌や喉を火傷してしまった人がその経験に懲り、もう二度と火傷はすまいと考えて、冷えた刺身までもフーフーする、という姿を表現したものです。
 
ただし、屈原が書いたとされる「楚辞」の原文では、冷ますために息を吹きかけたものは「膾(なます)」ではなく、「(あえもの)」のようですが。
 
虀(あつもの)は生姜(しょうが)や韮(にら)などを搗(つ)きまぜた味噌のような物で、野菜などを和(あ)えて食べる料理。熱い吸い物で舌を焼いたのに懲りて、冷たい和え物まで吹いて食べる、とは懲り方の甚だしい比喩である(青木正兒訳「中国古典詩集 楚辭」267p 世界文学大系7A 筑摩書房)。
 
今回の事件の結果、欧米においてはイスラム教とイスラム過激派とを一緒くたにする批判が湧かないように、そして日本では宗教そのものをまとめて否定する見方が起こらないようにと願うものです。
 
さて宗教についてですが、宗教あるいは信仰というものは人が人であることのしるしとでも言うべきものです。
その際重要なことは、人が「信じる」ということにあたって、「何を」、そして「どのように」して信じ仰ぐべきか、ということです。
 
そしてキリスト教と雖も、一歩誤れば狂信、盲信、歪信に陥ってしまうことは歴史が証明するところです。
しかしまた、これを正しく理解して信じ受け入れれば、信じる者には今と永遠の幸いを保証するという結果をもたらします。
 
そこで二〇一五年はキリスト教の根本教理を信仰告白のかたちにした「使徒信条」を一つ一つ項目ごとに取り上げることによって、健全な信仰の基盤を強化し、揺るがぬ確信としたいと思います。
 
昨年は一月から三月まで八回にわたって、主イエスが弟子のしるしとして与えてくれた「主の祈り」を学びましたが、「使徒信条」の場合は初夏まで、二十回程になるかと思われます。
 
アスリートと呼ばれるスポーツ選手が以前と違って見違えるように逞しくなって活躍する場合がありますが、実は体幹、つまり体の中心を支える筋肉を鍛えた結果だということがあるようです。
 
私たちにとりましても、「使徒信条」への取り組みが信仰の体幹を鍛えるものとなると思います。
少し長丁場になりますが、今年の前半は、「使徒信条」にぜひ、お付き合いください。
 
 
1.「我は信ず」という告白
 
 私たちの教会では礼拝の冒頭で歌う、聖歌三八四番の「すべての恵みの元なる御神を 造られし者よ、いざ称え奉れ」という呼びかけに続いて、信仰告白として「使徒信条」を告白し、その上でイエスの弟子の徴しとして与えられた「主の祈り」を祈ります。
 
この順序は重要です。厳密に言えば「イエスは主なり」と告白をした者こそが、「主の祈り」を祈ることが相応しいといえるからです。
 
もちろん、何もわからぬままに「主の祈り」を唱えた場合であっても、寛容な主はそれをその人の「祈り」として受け入れてくださいますから安心して「主の祈り」に加わってください。
 
さて「使徒信条」ですが、これはローマ教会において二世紀の後半にまとめられた「ローマ信条」に沿って作られたものであって、現在の形になったのは八世紀になってからと言われています。
 
これは三条から成っていて、第一条が「父なる神」、第二条が「子なるキリスト」、そして第三条が「聖霊なる神」についての告白条項で、ローマ教会もプロテスタント教会もこれを基本的信条として扱うことはほぼ同じです。
 
ただ、条項の中のいくつかの解釈に関しては大きな違いがあります。
例えば第二条の「おとめマリヤより生まれ」の場合、「マリヤ」についての解釈は大きく違います。プロテスタントは「マリヤ」の神性を認めません。ですからマリヤは尊敬の的ではあっても、祈りの対象ではありません。
 
更に第三条の聖霊の働きである「聖徒の交わり」についても、ローマ教会はこれをいわゆる「聖人(セイント)の有り余る功績を信者が分けてもらうこと」と解釈するのですが、プロテスタントではイエスを主と告白する「信徒同士の交わり」を意味するとします。
 
「使徒信条」の本文はラテン語です。そして最初の言葉が「信ず」を意味する「クレド」あるいは「クレド―」です。
つまり「我は信ず」で始まる信仰告白、それが「使徒信条」が示す性格です。
 
信仰の内容をまとめたものには「ステートメント」つまり声明や宣言といものがあります。
 
アッセンブリーの場合は「基本的真理の宣言」というのですが、これは米国アッセンブリーが二十世紀の初めの教団結成時にまとめたもので、以後何度か改訂されてきました。
そして日本のアッセンブリーはこれをそのまま有り難く押し戴くだけで、意見を述べることも、口を挟むこともできません。
 
そこで一九八十年代の末に、「教団も間もなく創立五十年、もうそろそろ、教団独自の信仰告白を策定してはどうか」と、その必要性を訴えたところ、「今は『アッセンブリー一九九九』という伝道計画に精力を集中する必要があることから、現段階では米国で改訂されたものを翻訳するだけにして、本格的な信仰告白への取り組みは『一九九九計画』が終了してからにしましょう」という回答で、その結果、それまでの「信仰綱要」を「基本的真理の宣言」に改訂しただけで済ませることになりました。
 
そして「一九九九計画」が終了した十年後の一九九九年に、改めて独自の「信仰告白」への取り組みを要望したところ、教団執行部はこれを受けて「信仰告白検討委員会」という諮問機関を設けることとし、人選までも固める段階になりました。
まさに感無量でした。やっと独自の信仰告白ができると。ところが執行部の任期満了、交代ということで、この構想はいつのまにか雲散霧消して今日に至ってしまいました。
 
そういうわけでまことに情けないことに、わが教団は結成後七十年、今でもアメリカさんが作った信仰箇条の翻訳を後生大事にしているわけです。
 
愚痴?はそのくらいにして本題に戻ります。何を信じるか、あるいは誰を如何なる理由で信じるのかという信仰箇条の精査は重要です。
そしてその信仰箇条を信仰告白のかたちでまとめたものが古代の「信条」でした。
 
ところで、偉大なる、崇敬すべき存在を信じ仰ぐということは、人間が人間であることの徴しです。
 
もちろん、動物も仲間同士信頼し合います。狼などにしましても、狩りの際には互いに助け合い、とりわけ群れのリーダーを信頼してその指示に従います。そこにあるのは群れ相互の信頼関係です。つまり、狼でも信じるということを行っているわけです。
 
でもそれは彼らが生き物として生き延びるための手段であり、本能的なものなのです。自由、平等、博愛などの理念に基ずいての行動ではありません。
 
野生動物とは違って、家畜の場合、特に犬や馬には飼い主への忠誠心があります。とりわけ、犬の場合、絶対的な忠誠心を発揮します。その代表が「忠犬ハチ公」でしょう。
渋谷駅前に立つ「ハチ公」の銅像を初めて見た時、あまりの小ささに驚いたものですが、この犬の感動的な話しは実話です。あまりにも感動的なので、米国で「HACHI」というタイトルの映画が作られて世界に配給された程です。
 
しかし、動物の信頼、忠誠はそこまでです。人間だけが、人類だけが根源的な存在に向かって「我は信ず」と告白することができるのです。
そしてその告白こそが、人が人たるの徴しなのです。
 
信仰は時代遅れの産物などではありません。それは人が動物とは違う特別な生き物であることを証明する証拠です。
ですから、信仰を否定するということは、自分は人ではないと告白することにもなりかねません。
 
「今日を生きて行く為に必死だ」「家族を養うためには教会どころでは」と言う方もおられるでしょう。それはそれでその通りです。
でも、そういう方も心の隅に、人が人たる所以は人間を超えた絶対的存在を信じ仰ぐことにある、ということを覚えておいていただきたいと思うのです。
その思いが人生の途上でいつか結実することを祈ります。
 
人は特別な存在です。人は偉大なるものを畏敬する信仰心が備えられているのです。
「我は信ず」と告白することができる人はまことに幸いな人なのです。なぜならば、信仰が無ければ、絶対者である神に喜ばれることがない、からです。
 
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」(ヘブル人への手紙11章6節 新約聖書口語訳354p)。
 
 
2.「我は神を信ず」という告白
 
「信徒信条」の第一条は、日本語訳では「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」です。
 
この冒頭のラテン語原文を直訳しますと「信ず 神を 全能の父なる 天地の造り主」となります。
 
そこで最初に「(我は)信ず、神を」から、「我は神を信ず」という告白について取り上げたいと思います。
 
「神」につきましては、昨年の日曜特別礼拝の説教シリーズ「日本人とキリスト教」において、「日本の神々とキリスト教の神」として、日本人が信仰する神々との対比あるいは類似する点をあげて、キリスト教が説く神についてお話させていただきました(2014年6月1日日曜特別礼拝説教)
 
ところで無神論者を公言する人がおります。実は嘗て私もその一人でしたが、神信仰をめぐっては三つの立場があります。
 
神は存在するとする「有神論」、神は実在しないとする「無神論」、そして神が存在するかしないかはわからないとする「不可知論(ふかちろん)」、この三つです。
 
「無神論」には二種類あります。
 
一つは、「自分は神を見た事がないから神はいないと思う」というような、単純素朴な「無神論」です。
つまり、自分の体験のみが判断の基準という、幼い無神論です。しかし、この無神論が唯物論(ゆいぶつろん)という思想によって強化されますと、少々厄介となります。
 
唯物論と言いますのは、世界は物質で形成されていて、しかもその物質は永遠ではない、人間も肉体という物質で出来ているのだから心臓の働き、脳の機能が止まれば人は死に、その存在は停止し消滅する、という考えです。
ですから、天国もなければ極楽もなく死後もない、現世だけがすべてだ、神にいない、というわけです。
 
しかし、これも所詮、人間の体験、知識の範囲内で下された結論なのです。
 
これに対し、神の存在を認めながら、敢えて自らを神として振る舞うという積極的な無神論というものがあります。
 
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自らを地者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである」(ローマ人への手紙1章20~23節 新約聖書口語訳234p)
 
後者の積極的無神論者は、神の存在を当然とするキリスト教国で育った者が多いのに対し、日本人の多くは前者のような、単純な無神論者でしょう。そこに希望があるといえます。
 
ところで、冒頭でフランスにおけるテロについて触れましたが、この事件を言論や表現、報道の自由に対する挑戦と捉える論調が西欧の主流となっているようです。しかし、それには少々違和感を感じます。
 
襲撃された「シャルリー・エブド」社の社名ですが、「エブド」は「週刊の」で、「シャルリー」は英語のチャーリーで漫画スヌーピーに出てくるスヌーピーの飼い主のチャーリー・ブラウンから取ったもののようです。
つまり「週刊チャーリー」あるいは「週刊のチャーリー」とでもいうのでしょうか。毎週五万部ほどの風刺を中心とした週刊誌を発行している言論機関です。
 
でも、この会社のスタンスは無神論、反宗教で、過去にはムスリム(イスラム教徒)が最大の預言者として崇敬してやまないムハンマドを、同性愛者として描いた風刺画像を掲載するなど、ムスリムの感情を逆なでするような無神経ともいえる出版活動を行って、彼らの怒りや反感を招いてきました。
 
自らが無神論者であることを標榜することは勿論、言論の自由であり、それもまた信教の自由の一つであって、それ自体は尊重されなければなりません。
しかし、他者が崇敬するもの(この場合は預言者ムハンマド)を意図的に貶しめる、嘲笑することが伝統文化であり言論、表現、報道の自由の許容範囲であるとして許されるのかという問題は、別の問題であるように思われます。
 
今回の問答無用の暴力によるテロは勿論、否定され、指弾されるべきですが、もう少し事態が沈静化してから、本質的な論議がなされることを願うものです。
 
 神の存在に関するもう一つの立場、それが「不可知論」です。真剣に聖書に取り組み、神の存在を突き詰めて考え抜いた末に、神の存在に関しては結論を保留する「不可知論」者となったという人は、欧米には多く存在するようです。
 
けれども、日本人の場合はそこまで深く突き詰めて考えるというよりも、西暦一世紀の「アテネ市民」と同じように、単に結論を先延ばしにしているだけのような人が多いのではないかと思われます。
 
「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ある者たちは、『このことについては、いずれまた聞くことにする』と言った」(使徒行伝18章32節 212p)。
 
 これはパウロの主張に対する一部のアテネ市民の反応です。このような人の場合、いずれの日にか、神の前に出るという場面が訪れるということを覚えなければなりません。
 
 そして三つ目が神の存在を認める「有神論」です。「有神論」にも二つの種類があります。「多神論」と「一神論」です。
 
「多神論」とは、神は複数存在するという考え方です。一時、「トイレの神様」という歌が評判になりましたが、特に日本人の場合、「汎神論(はんしんろん)」と申しまして、森羅万象にはことごとく神霊が宿っているという考えがあり、そこから発展して、人の考えや力を超えるものすべてを素朴に「神」として崇める伝統がありました。
 
特に祖霊と申しまして、亡くなったご先祖が祖先神として子孫を見守ってくれているという神観念が、今に至るまで続いています。 
流石に最近では本格的な門松は見なくなりましたが、正月に設ける門松とはもともと、年の神である祖先神が子孫の家を訪れる際に、道に迷わぬように目印として立てられたものでした。
そういう点から見れば、日本には八百万(やおよろず)どころか、それをはるかに超える厖大な数の神様がいることになります。
 
 一方、「一神論」とは超越的な神は一人であるとする考えです。
そして、使徒信条が「我は神を信ず」と告白する「神」はこのただ一人の神なのです。
 では多神教と一神教ではどちらが先なのか、ということですが、宗教学的には、多神教が発展して一神教になったというよりも、一神教がぼやけた結果、人のうちに残っている宗教心を満足させるために多神教が発展した、とされています。
 
 
3.「我は唯一の神を信ず」という告白
 
今話題のイスラム教も、そしてユダヤ教もキリスト教も、論理的区分では「一神論」であり、宗教的には「一神教」です。
つまり、使徒信条が「我は神を信ず」という場合、それは「我は神々を信ず」ではなく、「我は唯一の神を信ず」という告白を意味します。
 
 なぜ「唯一の神を信ず」と告白するのか、ということですが、それは単純な理由からです。なぜか。それは本物の神は一人しかいないからです。
 このことはバビロン捕囚から解放された後の神の民がとりわけ肝に銘ずべき事柄でした。
 
ですから神は捕囚の民に向かい、何度も何度も確認しようとします。それは彼らが先祖をエジプトから救出してくれた神を忘れて、というよりも神以外の他の神々に心を移したからでした。
だからこそ、神の唯一性を強調する必要があったのです。
 
「わたしより前に造られた神はなく、わたしより後(のち)にもない。ただわたしのみ主である。
…『わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう』。」(イザヤ書43章10節後半、11節前半、13節 旧約1004p)。
 
 この、神こそが唯一の神であって、他に神なるものは存在しない、ということは、バビロニアを滅ぼして世界の覇者となったペルシャ王クロスに対して