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2014年12月24日クリスマスイブ礼拝説教「永遠のロゴスが人となった理由(わけ)」ヨハネによる福音書1章1、2、12、14節

14年12月24日(水) クリスマスイブ礼拝説教 

「永遠のロゴスが人の姿をとった理由(わけ)」
 
ヨハネによる福音書1章1、2、12、14節(新約聖書口語訳135p)
 
 
はじめに
 
テレビ離れが伝えられています。
確かにどのチャンネルにも同じ顔ぶれのお笑い芸人たちが出ていて、ウケを狙ったしょうもないしゃべりをし、面白くもないのにゲラゲラと笑うなどの場面を視ると、思わずチャンネルを替えるかスイッチを切るかしてしまいます。
 
ドラマの方も一部を除いて低調そのもののようです。
ただし、四半期ごとに放映される民放のドラマの中には、感動させられるものもあります。
 
私自身、話題になったものなどは録画をしておいて、後で時間が出来た時などに視るのですが、今年の場合、内容に惹かれて最終回まで視てしまったドラマは、二つほどありました。
 
一つは一月から三月にかけて放映された、有名子役の芦田愛菜(まな)主演による、児童養護施設を舞台にした「明日、ママがいない」というドラマでした。この子役は子役の域を超えていて、まさに女優と呼ぶにふさわしい演技者でした。
 
このドラマの最初の放映の段階では、「似たような環境にいる子供たちが虐められる」などという批判が関係団体から寄せられたようですが、ドラマの展開に伴って批判も影をひそめてしまったようでした。
 
個人的には、リアルで本当に感動的なドラマであったと思います。特に主演の子役が演じた、「ロッカー」というニックネームで呼ばれた主人公は小学生の女の子ですが、侠気(おとこぎ)のある実に魅力的な役柄でした。
 
もう一つは森山直太朗の主題歌で話題になった「若者たち2014」という秋のドラマです。
 
このドラマはいつも、長男である主人公が丸い座卓を囲んで弟妹たちと朝食を食べるシーンで言う、「理屈じゃあねえんだよ」という定番の台詞で始まります。
 
確かにドラマ自体は理屈を越えてしまったような突飛な展開が目立ちはしましたが、それはそれで昭和の古き時代にはあったかも知れない、日本人のノスタルジアを掻き立てるような家族愛を内容としたドラマでした。
もっとも「若者たち2014」というタイトルですから、平成二十六年の現代の話しとなってはいるのですが。
 
「理屈じゃあない」。確かに日本人の精神の特性である「義理と人情」は、理屈を超えた感性というものに訴える概念です。しかし、そうは言いましても、理屈もまた大事な要素です。
理屈によって支えられればこそ、人はどうであれ、自身の信念は揺るぐことなく、確信を持って信じる道、我が道を往くことが可能となるからです。
 
そこでクリスマスイブの今晩は、理屈では説明できない出来事と、それでもその出来事が出来(しゅったい)した理由と論理とを、理屈において精一杯説明しようとした聖書記者の思いに迫りたいと思います。
 
ところで「イブ」は夜を意味するイブニングの「イブ」ですが、十二月二十四日の「イブ」は本来、クリスマスの前夜祭などではありませんでした。
古代、ローマ帝国の支配地域では、「一日は日没から翌日の日没まで」でした。つまり、十二月二十四日の夜は、既に二十五日で、クリスマスの日の本番であったわけです。
 
そういう意味では二〇一四年、平成二十六年の十二月二十四日の夜のこの時間、クリスマスの日を既に迎えているのです。
 
「クリスマスイブ」、何やら心浮き立つ響きですが、中学三年までの私にとってクリスマスは苦々しいものでした。「キリスト教徒でもない日本人が何で外国の宗教の行事に浮かれ騒いでいるのか」と思いつつ、何となく心寂しい思いで、クリスマスの時期を過ごしておりました。
 
しかし、高校一年生のクリスマスは違いました。イブの夜は照明を落とした教会の会堂に座り、蝋燭を手に持って聖歌を歌っておりました。
ただ、蝋燭を顔に近づけ過ぎて、当時は豊かであった前髪を焦がしてしまったという思い出がありますが。
 
クリスマスの恵みがお一人一人の上に豊かにありますように。
 
 
1.まだ何もなかった時に、神の御子は既に存在をしていた(超越)
 
教会に行くようになって、新約聖書の始めにある福音書を読み始めた時、一つ読み終わって次に進むとまた、似たような言葉や出来ごと、物語が出てくるので、これは何なんだろうと思った方もおありかと思います。
 
でも、四つ目の福音書、つまり「ヨハネによる福音書」になりますと様相が一変します。おそらくは難解な言葉や哲学的というのか文学的というのか、とにかく「言い回しや使われている用語などが難しい」というのが率直な感想だろうと思います。
 
中でも、冒頭の言葉が私たち日本人には難解です。一章一節、二節です。
 
「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった」(ヨハネによる福音書1章1、2節 新約聖書口語訳135p)。
 
 「初めに」(1節)というのは、太陽も月も地球も、つまり太陽系も、それどころか銀河系宇宙全体、そして大宇宙そのものがなかったとき、それが「初め」でした。
 
当然、そのような空間だけでなく、時間も始まっていなかった時、つまり歴史も何も、とにかくまだ何にもなかった時、永遠の昔です。
そんな時から存在していたのが「言(ことば)」(1節)であったと著者は言いますが、「言(ことば)」の原語は「ロゴス」です。
 
 著者は何で「初めにロゴスがあった」という出だしでこの福音書を書き始めたのかと言いますと、この福音書が聖書そのものに精通していたユダヤ人ではなくて、ギリシャ文化の中にいたギリシャ人やローマ人を対象にして書かれたからです。
 
 ギリシャ語の「ロゴス」は英語で「ロジック」などと言いますように、論理、原理、理性などを意味するのですが、ギリシャ文化、つまりヘレニズム社会における「ロゴス」は、単なる知識や知恵ではなく、神的な性格を持った超越的な力であって、永遠の昔から存在していた創造神的な神とされて崇められていました。
 
 ですから、著者は敢えて「ロゴス」という用語を使用することによって、ギリシャ世界の人々に、神の御子であるイエス・キリストを紹介しようとしたのでした。
 
 だからこそ、これを日本語に翻訳しようとした人々は、本当に苦労をしたのでした。なぜならば、日本文化や日本宗教には、神性を持った超越的な絶対的存在というものはなかったからです。
 
でも、日本語の翻訳聖書がないと宣教は始まりません。そこでカール・ギュツラフというドイツ宣教師はマカオにおいて日本人漂流魚民であった音吉、岩吉、久吉の三人の協力を得て、ヨハネの福音書とヨハネの手紙第一、第二、第三をカタカナ文で翻訳をして、シンガポールで出版します。
それが一八三七年、明治維新の三十一年も前のことでした。
 
 どのように訳したのか、とても興味がありますが、「ロゴス」は知的概念でもあることから、ギュツラフさんはこれを「カシコイモノ」と訳したのです。まさに名訳です。
 
ハジマリニカシコイモノゴザル、コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノゴクラクトモニゴザル(ギュツラフ訳 約翰福音之伝一章一、二節)。
 
そして、ギュツラフ訳の出版から四十三年後の一八八〇年(明治十三年)に本格的な新約聖書の日本語訳が完成、出版されます。これが「明治元訳(もとやく)」です。では、ヨハネの福音書の冒頭はどう訳されたのでしょうか。
 
太初(はじめに)道(ことば)あり道(ことば)は神(かみ)と偕(とも)にあり道(ことば)は即(すなは)ち神(かみ)なりこの道(ことば)は太初(はじめ)に神と偕に在(あり)き(明治元訳 約翰傳福音書一章一、二節)
 
ここで「ロゴス」は「ことば」として紹介されるのですが、それに充てられた漢字は「道」であって、これを「ことば」と読ませたわけです。これもよく考えられていると思います。
 
そしてこのあと「文語訳」を経て私たちの教会が使っている「口語訳」となるのですが、そこでは「ロゴス」は「言(ことば)」となります。
 
面白いのは明治五年に宣教師のブラウンとヘボンによって訳されたものです。彼らは一節を「元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり」と訳したのです。このヘボンはローマ字のヘボン式で有名です。
因みにヘボンは女優のオードリー・ヘップバーンのヘップバーンです。当時の日本人にはヘップバーンがヘボンに聞こえたのでしょう。
 
彼らは「言霊(ことだま)」という訳語を使うことによって、「ロゴス」を単なる「言」ではなく、背後にある生命や意思、理性を伴なった人格的な存在として伝えようとしたのだと思われます。
確かに、「ロゴス」に最も近いのがこの「言霊(ことだま)」だと私は思います。
 
実はもともと、日本人にとって、言葉は極めて重いものであって、絶対的なものでした。
それを表す言い方が「武士に二言はない」でした。その背後にあるものが偽りや嘘の対極にある「誠」でした。
 
新渡戸稲造は「武士道」の中で、「誠」という表意文字は「『言』と『成』の部分から出来ている」こと、そして武士の社会で証文、つまり契約書がなかったのは、武士の言葉がそれほど重かったからであると説明します。
 
このような語句(註 武士の一言)があるように、武士のことばは重みをもっているとされていたので、約束はおおむね証文なしで決められ、かつ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。「二言」つまり二枚舌のために死をもって罪を償った武士の壮絶な物語が数多く語られた(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳「武士道」66p 三笠書房)。
 
まさに「武士の一言」は「誠」に基ずく人格と同一視されたのでした。そしてこの武士道を超える(ことば)、それが「ロゴス」でした。。
 
この「ロゴス」すなわち「言霊(ことだま)」は永遠の昔から神と共に存在したお方であって、「ロゴス」自身、「神であった」(1節後半)、すなわち、神の御子として、「神であった」のです。これを専門用語では、あらゆるものを超える「超越」的存在と言います。
 
信じ難いことであるかも知れません。しかし、何もなかった時、「はじめに」(1節)神の御子は永遠の「ロゴス」として、既に存在をしていたのでした。
 
 
2.何の義理もないのに、神の御子は敢えて人の姿をとられた(内在)
 
ですからクリスマスとは、この超越的な存在である神の永遠の「ロゴス」が、人の姿をとって、人間世界に住まわれた日でもあるのです。それを専門用語では「受肉(じゅにく)」と言います。
 
「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。私たちは その栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みとまこととに満ちていた」(1章14節)。
 
 永遠の「ロゴス」、言霊(ことだま)である神の御子は、空間的には無限であり、時間的には永遠の存在でした。
しかし、人となることによって、つまり人間の肉体を纏うことによって物質的存在となり、限界を持つ者、病み、痛み、衰え、老い、死ぬべき存在となりました。
中でも最も大きな特徴は、罪を犯す可能性を持つものであるということでした。
 
このようにして神の「ひとり子」(14節)が「わたしたちのうちに宿った」(同)のでした。つまり、神であったお方が、人間世界に来られて、人間の仲間となり、罪びとの一人となったのです。
 
世間には降格人事というものがあります。しかし、この場合、降格どころではありません。すべてを超えた「超越」的存在である神が有限な存在である人となったのです。これを専門用語では「内在」と言います。
 
ところで日本にも、神が人の世界に降りて来た、という神話があります。いわゆる「天孫降臨(てんそんこうりん)」です。
 
日本の宗教は基本的には沢山の神様がいる多神教なのですが、それらの神々の中で一番偉い神様が「天照大神(あまてらすおおみかみ)」でした。
そしてこの神様が大黒主(おおくにぬし)と交渉をして国を献上させます。いわゆる「国譲り」です。
 
そこで天照大神は自身の孫にあたる「邇邇藝命(ににぎのみこと)」に対し、地上にある葦原(あしはら)の国を治めるよう命じます。
そこで「邇邇藝命」は高天(たかま)の原から天下って葦原の国に降りてきます。これが天孫降臨です。
わからないのは大黒主が譲った国は出雲の国の筈なのですが、邇邇藝命が降り立ったのはなぜか九州なのです。尤もそんな些細なことにはこだわらないのが日本神話のよいところかも知れません。
 
日本最古の歴史書とされる古事記や日本書紀では、日本の歴史は二七〇〇年近いことになっているのですが、実際はもっと短いものと思われます。
なぜかと言いますと、古事記や日本書紀の成立は八世紀の初めであって、それは福音書が書かれてから七〇〇年以上あとの時代だからです。
 
つまり神の「ロゴス」が地上に下って人間となったという話が日本列島に伝わって、それが日本神話におけるエピソードの基となるには、十分な時間です。勿論、断定はできませんが。
 
理性や常識では信じ難いことかも知れません。しかし、神のひとり子の人としての誕生は単なる神話ではなく、歴史的事実です。
それは紀元前七年から五年に起こりました。
 
一般的に西暦と言われている暦はキリストの誕生を起点として数えられています。つまり、この世界はキリストを中心として、その誕生前のいついつ、誕生後のいついついつ、という数え方をしているわけです。
 
西暦は今から一五〇〇年ほど前の六世紀に、「ディオニシグス・エクシグウス」という舌を噛みそうな名前の、ローマ教会の偉い学者さんが考案した暦なのですが、後に計算間違いがあったことがわかりました。
 
その結果、イエス・キリストは「キリスト誕生」の年とされる西暦一年より、七年から五年前に誕生したことが明らかとなりました。
なお、西暦零年はありません。西暦一年の前年は紀元前一年です。
 
 神の御子は人類に対しては何の「義理」もありません。では、御子は何でまた、物好きにも敢えて人間なんかになったのか、ということですが、それこそ、理屈ではありません。
そうしたかったのです。それを一口で言うなれば、人類を「放っておけなかったから」ということでしょう。それ以外に理由はありません。
 
 
3.何の功績もないのに、神の御子は罪びとを神の子供にしてくれた(恩寵)
 
でも、物好きにも限度というものがあります。行動には理由(わけ)がある筈です。そしてその理由とは何かと言いますと、被造物に対する神の憐憫の情でした。
 
日本神話における「天孫降臨」の目的は地上を神の国にすることですが、神の御子が人となった目的は、神に背いている罪びとを聖なる神と和解させ、それによって罪びとに神の子という立場、身分を与えることでした。
それが一章十二節です。
 
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(1章12節)。
 
「彼」(12節)とは地上に降臨した神の「言(ことば)」、永遠のロゴスのことです。
 
具体的には、神の御子を罪から救う救い主として「信じ」(同)「受け入れ」(同)ることによって、人は誰であっても「神の子」(同)という立場を与えられるのです。
それも、「何の功績もないのに」、です。
 
つまり、神の御子の降誕、神学的に言えばその尊い「受肉」は、私たちを一人残らず、「神の子」(12節)とするためのものであったのでした。これを論理化して理屈で説明したものが神学です。
 
神の御子が、しかも「超越」的な存在であった神の独り子が、この地上に天下って人間となり、人間世界に「内在」したのは、そして罪の誘惑こそ退けたとはいえ、数々の試練を通り抜けて、、罪びととして十字架に架けられたのは、私たちの神に対する罪を身代わりとなって、ことごとく処分をするためでした。
 
つまり、神の御子が人となったことにより、人の子である私たちはただ一つの条件である信仰という条件によって「神の子となる力」(同)を与えられたのでした。この「力」とは権利、特権のことです
神が人となることによって、人が神の子とされる道が開かれたのでした。これこそが「福音」です。
 
今晩、このクリスマスの夜に、神でありながら私たちに「神の子」(同)という身分を与えるために人となられたお方、「めぐみとまこととに満ちていた」(14節)恩寵溢るるお方を、感謝して仰ぎ望みたいと思います。