人は神により、
神に応答する者として創造された
日本では普通に、年の初めの正月は神社に初詣に行き、葬式ではお寺さんのお世話になり、結婚式はキリスト教式であげ、さらにはキリスト教の一大行事であるクリスマスになると、ケーキやプレゼントで盛り上がります。
これを、日本人は宗教的に無節操である、と批判する向きもありますが、見方によればこれらの習慣は日本人が持っている宗教心の豊かさを示しているとも言えます。
ところで聖書の創世記には、人は神により、「神のかたち」に創造された、と書かれています。
「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1章27節)
「神のかたち」とあることから、ということは、神は人間のような形(かたち)なのかと思ってしまうのですが、「神のかたち」はラテン語では「イマゴ(かたち)・デイ(神の)」で、「イマゴ」は英語の「イメージ」の原型です。
つまり人が「神のかたちに創造された」とは、人が神のイメージに似せて造られたという意味なのです。では神のイメージとは何でしょうか。
ドイツの神学者で国際キリスト教大学でも教鞭をとったことのあるエミール・ブルンナーは、「神のかたち」を「神への応答性」として説明しています。
つまり、人が神のかたちに造られたということは、人が神の呼びかけに対して応答する機能を持つ者、そして、神に向かって呼びかけることのできる者として造られたという意味だというわけです。
どのような未開の部族にも祈りや宗教がある一方、人間以外の動物が神に向かって祈ることも礼拝をすることもないのは、人のみが「神のかたち」に創造された特別な存在だからなのです。祈りや礼拝という行為は、人のみに与えられた特権であり、人が人であることの最大のしるしなのです。
そして、この「神のかたち」は宗教性と呼んでも差し支えありません。
宗教心は「神のかたち」に造られた人間が潜在的に持っている、人間を超える存在への畏敬の思いの現われです。日本人は昔から、恐れ多いものへの尊崇の念を確かにしてきました。そういう意味において、宗教性に富んでいる日本人は、創造者である神にとりわけ愛されている民族といえるかもしれません。
私たちの教会では、毎週日曜日に日曜礼拝を開催しておりますが、特に六月から十一月までの第一日曜日の礼拝を、初心者の方にも分かり易い聖書の講話と、心を癒す讃美歌(ゴスペル)の特別礼拝としております。
次回、八月五日の日曜日の午前、街角の教会に、ぜひお気軽に足をお運びください。
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