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2014年12月21日クリスマスファミリー礼拝説教「運命的な出会い? 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストを客とすることにより、人生の門出を祝われた若き男女ー水がぶどう酒に」ヨハネによる福音書2章1~11節

14年12月21日(日) クリスマスファミリー礼拝説教 

「キリストとの運命的な出会い? 『世の罪を取り除く神の小羊』なるキリストを客とすることにより、人生の門出を祝われた若き男女ー水がぶどう酒に」
 
ヨハネによる福音書2章1~11節(新約聖書口語訳137p)
 
 
はじめに
 
「ゲスト」といったら「お客さん」のことですが、そのお客さんには、是非来てもらいたいと思って招く客と、招いてもいないのに来てしまう迷惑な客とがあって、招いていないのに来る客のことを一般的には「招かざる客」と言います。
 
日本は今、観光に力を入れていて、今年中の外国人観光客の数は千三百万人になるそうです。中でも正規のルートを経て来日する中国からの観光客は、日本各地で沢山の買い物をすることから、多少のマナー違反には目をつぶってでも歓迎の意向を示すべき客ということになります。
 
一方、来て欲しくないにも関わらず何千という数の中国の密漁船が小笠原諸島附近に押し寄せて来て、赤珊瑚という日本の貴重な海洋資源を違法操業で根こそぎに持っていってしまうという不法ぶりが、日本国民の怒りを買ったことはまだ記憶に新しい出来ごとしたが、これなどはまさに「招かざる客」です。
 
しかし、実は「招かざる客」と言いますのは本来、よい意味での「客」のことであって、招いていないにも関わらず、人が困った時に来て、援助の手を差し伸べてくれる者のことを言いました。
古代中国の占いの書物で五経の一つである「易経(えききょう)」にそれがあります。
 
穴に入る。速(まね)かざるの客三人来(きた)るあり。これを敬すればついには吉なり(丸山松幸訳「易経 水天需」中国の思想? 63p 徳間書店)。
 
 穴に入ってしまい、出るに出られず困惑していたところ、そこに呼んだわけでもないのに三人の人が来てくれた。これが招かざる客というわけです。そこで感謝して彼らを受け入れれば、幸せになる、という意味です。
 因みに「需」とは「待つ」という意味です。
 
今日、十二月二十一日、私どもの教会ではクリスマスファミリー礼拝を捧げていますが、キリストは失望したり行き詰まったりして、「神も仏もあるものか」と嘆いていた私たちの人生に「招かざる客」として来てくれて、最も必要とする救済のわざを行ってくださったお方です。
 
そこで本日は人生の門出において、末代までも面目を失う破目に陥りかかったひと組の若きカップルが、臨席していたイエス・キリストの知恵と信仰によって危機を回避し、大勢の人々の前で面目を施すことになったという事件を通して、キリストを見えざる客とすることの幸いについて教えられたいと思います。
 
 
1.人生の要所に、キリストをゲストとして迎える者は幸いである
 
人生においてはその前途を左右するようなここ一番、というべき要所があります。そのような要所の一つが、親の庇護から巣立って、社会へと出てゆく結婚の式典でしょう。
 
イエス自身は独身を貫いて生涯を終えますが、そのような人生の要所ともいうべき婚礼の席に弟子たちと共に出席をしていたという珍しい記事が、「ヨハネによる福音書」の二章にあります。
 
「三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼の席に招かれた」(ヨハネによる福音書2章1、2節 新約聖書口語訳137p)。
 
「ガリラヤのカナ」(1節)、そこはユダヤの荒野にいたイエスが「行こうとされた」(1章43節)「ガリラヤ」(同)の目的地でした。
その「カナ」では前日に、ピリポの伝道によってナタナエルが信仰告白をしたばかりでしたが、イエスが「カナ」に来たのは「婚礼」(1節)に出席するためだったのです。
 
この「婚礼」(2節)には「イエスも弟子たちも」(同)正式の客として「招かれた」(同)ようですが、「イエスの母」(1節)であるマリヤの場合は、「そこにいた」(同)という記述、そしてその後の言動から、客としてではなく、婚礼の主催者側の人として「そこにいた」と思われます。
 
イエスもまた、母の関係からだけでなく、婚礼の当事者や主催者と近しい関係にあったからこそ、列席していたのでしょう。
 
婚礼、それは当事者だけでなく、家族、親族、友人、知人にとっても幸せをもたらすイベントでした。そして基本的に、キリストは人が幸せになることを心から寿(ことほ)ぎ願う救い主でもありました。
だからこそ、若いカップルの門出を弟子たちと共に祝うべく、ユダヤの地からサマリヤを越えてはるばるとガリラヤの地へと帰ってきたのだと思います。
 
キリストの基本姿勢は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣」(ローマ人への手紙12章15節)く、というところにありました。
ですから、キリストは時には「招かざる客」となってでも、私たちの人生に、とりわけ大事な要所に臨席をして、時には祝福をし、あるいは慰め、励ます言葉をかけてくださるお方なのです。
 
そして、もしもそういうお方であるならば、もう一歩進んで、イエス・キリストを人生のあらゆる局面に、重要な欠かすことのできない賓客(ひんきゃく)として積極的にお迎えをしてはどうでしょうか。
少なくとも、人生の要所、要所にキリストを大事な客として迎える者は、幸いな人と呼ばれることでしょう。
 
 
2.人生の緊急事態において、キリスト自身を頼る者は幸いである
 
その「婚礼」に想定外の緊急事態が発生しました。ユダヤの祝宴には決して欠かすことのできない「ぶどう酒」が切れてしまったのです。
そのことはイエスの母マリヤから密かにイエスに伝えられました。どうも、イエスの母はこの「婚礼」では配膳の手伝いなどをしていたようでした。
 
「ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、『ぶどう酒がなくなってしまいました』。」(3節)
 
 当時、「婚礼」(2節)で「ぶどう酒」(3節)が無くなってしまうということほど、主催者側にとって恥ずかしいことはありませんでした。それは末代までの恥として知られることとなってしまいます。
「ぶどう酒」はふんだんに準備するのが招待者側の常識だったからです。ですから、これを知ったマリヤは青くなってイエスに告げたと思われます。
 
 実はユダヤ人社会では、婚礼は一週間は続いたようでした。聖書正典に入っていない文書の中で、特に重要とされる文書を外典といいます。
 その外典の一つ、紀元前三世紀から二世紀にかけて書かれたとされる「トビト書」という文書の中の、捕囚の民としてメソポタミアのニネベに住んでいたユダヤ人トビトの息子、トビアスの婚礼についての記述は、ユダヤ人の慣例を知る手掛かりとなります。
 
「こうして、ニネベに住むトビトの親族すべての間に大きな喜びがあふれた。アヒカルも甥のナダブもやって来て、トビアスの結婚の祝は七日の間盛大に行われたのである」(新見 宏訳「旧約聖書外典(上)トビト書11章19節」186p 講談社文芸文庫)。
 
 ここには「トビアスの結婚の祝は七日の間盛大に行われた」とあります。大勢の客が来て、七日の間飲み続ければ、いい加減、ぶどう酒も尽きてしまうと思うのですが、それがユダヤ社会の習慣でした。
 
ところでイエスの母がこの事実をなぜイエスに告げたのかということに関しては、理由は不明なのですが、イエスならば何とかしてくれるのではないかと期待したからかも知れません。
 
ネットが発達している現代ならばまだしも、古代において急に大量のぶどう酒を調達することなどは誰が考えても不可能です。まさに「万事窮す」という状況陥ったにわけです。
 しかしこれを聞いたイエスは特に慌てることもなく、その家の使用人たちに対して、「そこに置かれていた大きな水甕それぞれに水を満たすように」と指示をします。
 
「そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた」(2章6、7節)。
 
 でも、不足しているのは「ぶどう酒」であって、「水」などではありません。この場合、「水」は何の役にも立たない筈です。ところがイエスは水を入れたばかりの甕(かめ)から水を汲んで、それを料理がしらのところに持っていくようにと命じたのです。
 
そして、不思議なことが起こりました。何とただの「水」が「ぶどう酒」に、しかも極上の「ぶどう酒」に変わっていたのです。
 
何も知らされていない「料理がしら」は花婿に言います、「私の経験から言いいますと、誰でも最初は上等のぶどう酒を出して、酔いが回ったころ、質の劣っているものを出すものです、しかし、あなたは上等のぶどう酒を今までとっておかれました。あなたにはほとほと感服しました」と。
 
「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、…花婿を呼んで、言った、『どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころに悪いのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました』。」(2章9、10節)。
 
 この結果、「花婿」(9節)は人生の門出において、恥をかくどころか、招待客に対し、面目を施すことになるわけですが、後に事情を知ったならば、マリヤの機転に感謝すると共に、何よりも、「ぶどう酒も惜しんだケチンボ」という汚名を着せられて、人生の門出を台無しにするその寸前、「水」を「ぶどう酒」に変えることによって、晴れの舞台である自分たちの門出の婚礼を支えてくれたイエスに対し、「足を向けて寝ることは出来ない」と、尽きることのない感謝、満腔の謝意を表明したことと思います。
 
 「ぶどう酒になった水」(9節)など、俄かには信じられない、と普通は思いますが、古典落語にはその反対に、酒が水になったという噺があります。
 
若い衆が集まって酒盛りをすることになった。それぞれが酒を持ち寄るということで、各自、持ってきた酒を大鍋に入れた。そして酒盛り、の筈が汲んだ酒はただの水だった。
 
タイトルは覚えていませんが、「自分一人くらい、水を入れてもばれないだろう」と思って全員が水を持ってきたから」という落ちでした。勿論、笑いのための落語ですが、小学生ながら、腹を抱えて笑った記憶があります。
 
なぜ、水がぶどう酒になったのか。それはキリストが神の御子だからというのが伝統的解釈です。
しかし、人であった時のイエスは、神の属性としての全能性を制限されていた筈です。
ということは、この「奇跡」はあくまでも聖霊がなしたわざであって、それを引き出したものがイエスの信仰だったということになります。
 
私たちと人であった時のイエスとの違い、それは信仰の強さ、大きさにあると言えます。「ちいろば牧師」として知られた牧師さんがある信仰雑誌に書いていた話を思い出します。
 
ある寒い冬、牧師たちが集まって隙間風が入る、古い日本家屋で会議をしていた、暖をとるための器具は小さな電熱器しかなかった。その電熱器にみなで手をかざしていたところ、ある宣教師が言った、「これはまるで私たちの信仰みたいです。電気は壁まで来ているのに、電熱器が小さいために部屋は少しも温まりません」。
 
イエスがなした奇跡的みわざは、すぐそこにまで来ている聖霊の圧倒的な力を、御自身の信仰で引き出した結果なのです。
そしてイエスはその尊い信仰を、世の中へと出て行く名もなき若いカップルのために惜しみなく用いられたのでした。
イエスは今も私たちの人生における緊急事態の際には、愛と思いやりの「しるし」を現わしてくださいます。
 
「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現わされた」(2章11節前半)。
 
 神の「栄光」(11節)とは、人が幸いな人生を生きることです。そして「鬼面人を驚かす」というようなセンセーショナルな出来ごとよりも、平凡な人間を無事、幸せへと送りだすことこそがキリストが示す「しるし」(同)なのです。
 
 今も「水がぶどう酒に変わる」ような奇跡は、人生にキリストをゲストして迎えている人の暮らしの中に、何気ないかたちで現われているのですが、気付いていないだけなのです。
 
寝込むほどの病気にもならず、健康で仕事を続けることができていること、トラブルもあるけれど、それでもどうにかこうにか仕事が回っていること、贅沢は出来ないけれど、何とか暮らしが立っていること、人と折り合いをつけながら日常が送れていることなど、考えて見ればそれは奇跡そのものです。
 
見方を少し変えれば、たとい小さくても奇跡は私たちの日常に、常に起こされているともいえるのです。
 
平穏無事である日々であっても、朝ごとに賓客として主なるキリストをお迎えしましょう。
それは「晴れたる朝もわれ主に縋らん 嵐の夜は縋り祈りせん 絶えず主イェスの手に寄り縋らん 静けき昼も 風吹く寄るも」(聖歌490番「われはおさなご」3節)という聖歌の歌詞を実感することでもあります。
 
 
3.信頼と素直な心で、キリストの指示に常に従う者は幸いである
 
最後に、信頼と素直な心でキリストの指示に従う者たちが感じる幸いというものについて教えられましょう。
 
ただの「水」が「ぶどう酒」に変わったことを知っていたのは誰か、ということですが、それはイエスの的外れとも思える不思議な指示に唯々諾々と従って、大きな石甕に水を汲むという、徒労とも思える作業に従事した「僕たち」でした。
 
「母は僕たちに言った、『このかたがあなたがたに言いつけることは、なんでもしてください』。」(1章5節)。
 
 水道などが無い時代、水は町はずれの井戸から汲んだものだったのでしょう。招待客が「ぶどう酒」を飲みながら歓談し、歌い、踊っている間、彼らは汗みずくになりながら、文句も言わずに黙々と水を汲んできて、「六つ」(6節)の大きな「石がめ」(同)にそれを満たす作業を続けたのでした。
 
「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)」(1章10節)。
 
 水道のない時代の水汲みは重労働です。しかし、「水をくんだ僕たちは知っていた」(10節)のです、水がぶどう酒に変わるという出来ごとの全過程を。
 
特別手当もなかったでしょうし、彼らに対する賛辞もなかったことと思います。しかし、彼らにとっては花婿の門出が神の祝福に満ちたものとされたという事実、そして、自分たちのささやかな行動がメシヤ・キリストなるイエスという人物によって用いられたという喜びの感動に満たされたことと思います。
それが彼らの労苦に対する上からの報酬だったのでした。
 
そういう意味では、賛辞や名誉を目的とはせず、また損得抜きで、客に対して良い物を提供したいと考えて自らの職務に勤しむ日本人の民族性は、この「水をくんだ僕たち」(同)の遺伝子を受け継いでいるとも言えます。
 
時々覗く、「レコードチャイナ」というネットサイトに掲載されていた中国人旅行者の投稿は、このような日本人の資質を称賛するものでした。
十二月八日付けの中国版ツイッター微博(ウエイボー)の記事です。
 
新宿のある店でカメラを入れるためのウエストポーチを買おうとした、女性店員さんに「もっと大きなものがありますか」と聞くと、彼女は首を振る。彼女は私に後についてくるように身振りで示して歩き出した。すると彼女はそのまま店の外に出て、反対側のまったく別の店へと案内してくれた。そこでわたしは気に入ったポーチを買うことができた。
 
投稿者は、自分の店には何の儲けにもならないどころか、ライバル店を益するだけでしかない行動を、一見(いちげん)の客のために取ってくれたこの女性店員のサービス精神を、何としても自国の人々に伝えずにはいられなかったのだと思います。
 
「水をくんだ僕たち」(10節)の場合、何よりも、イエスというお方の指示に従っていれば道は必ず開かれる、という教訓を得たこともまた、その後の人生にとって大きな力となったことでしょう。
 
 考えてみれば、家事や育児は単調な繰り返しの連続です。老親の介護なども然りでしょうし、職場においてもその多くは昨日の地味な業務の続きかも知れません。しかし、主なるキリストが汲めと言われたならば、汲んだ「水」は必ずや人に役立つ「ぶどう酒」に変わるのです。
 
教会における奉仕もそうです。それは無意味なことどころか、その都度、そこに見えないかたちで臨席されている主なるキリストにより、馥郁(ふくいく)たる香りを放つ「よいぶどう酒」(10節)に変えられて、その場にいる人を生かし、幸せにし、生ける神の「栄光を現わ」(11節)す尊い奉仕となるのです。
 
この「ガリラヤのカナ」での出来ごとからおよそ三十年後、使徒パウロはコリントの教会に四通の書簡を書き送りましたが、「第一の手紙」として新約正典に加えられた二通目の手紙の結びを今日、ご一緒に味わい、その後、神の独り子でありながら、人としてこの世に生まれてくださり、そして私たちの人生に「招かざる客」として来てくれたお方に対し、感謝の祈りをお捧げしたいと思います。
 
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」(コリント人への第一の手紙15章58節 276p)。