2014年11月23日 日曜礼拝説教
「慰めに満ちたる神? 目に見えないものを、あたかも見えるが如くに凝視して暮らす」
コリント人への第二の手紙4章16~18節(新約聖書口語訳282p)
はじめに
今から九十三年ほど前、スイス人のカール・グスターフ・ユングという心理学者が「人間のタイプ」という著作を発表しました。
彼はこの論考において、人間を大きく二つに分け、それを「外向的タイプ」と「内向的タイプ」とした上で、更にこれを「思考」「感情」「感覚」「直観」で分類しました。つまり、「外向的思考タイプ」「内向的感情タイプ」など、計八つのタイプに分類したわけです。
私は「関心」ないしは「りピドー運動」の方向によって区別せられる前者を一般的態度のタイプと呼び、これに対して後者を機能のタイプと呼ぼう。
(中略)一般的態度におけるこれら二つのタイプを互いに区別しているものは、客体に対するそれぞれの態度の相違である。内向型の人間は、客体に対して抽象的な態度をとる。…これに反して、外向型の人間の客体に対する態度は積極的である。…この型の人間は、…自分の根本的態度を、いつも、客体を基準にして決定したり、これと関係づけたりする。…客体はこの型の人間にとっては無上の価値を持って…いる(カール・グスターフ・ユング著 高橋義孝訳「ユング著作集 1 人間のタイプ」3、4p 株式会社日本教文社)。
普通、わたしたちは「外向的」と言いますと、それを物怖じすることなく誰とでもコミュニケーションのとれる明るくてきさくで社交的な性格の持ち主だと思う一方で、「内向的」なタイプの人とは内気で人付き合いが苦手な、非社交的な人、というように理解をします。
しかし、ユングの理解はそれとは少し違っていて、その関心が何であるのか、持っているエネルギー(これを専門用語でエピドーと言います)がどこに向かっているかということで、人間を二つのタイプに分けたのでした。
ユングによりますと、その関心が外のものよりも自分自身の内面に向かっている人が「内向的」で、その関心の対象が専ら、自分の外側に向かっている者は「外向的」というわけです。
ですから、たとえば気が小さくて小心翼翼人とした、いつも他人の顔色を窺っているような人の場合、私たちが持っている一般的理解では「内向的」という範疇に入るわけですが、そのような人はユングによりますと、実は「外向的タイプ」となるわけです。
どうしてかと言いますと、自分自身が自分の外にいる他人の目にどのように映っているかということが気がかりになっている、つまりエネルギーが専ら外に向けられているからである、というわけです。
反対に、社交的な性格であっても、他人からどのように見られるかということなどよりも、自分の良心の声や内なる価値観に従って生きようとしている人は、そのエネルギーが外よりも内に向いている、ということによって、「内向的タイプ」ということになるようです。
ユングの著作を読む限り、彼は両者のどちらが良い、などという評価を下してはいません。ただ、人間のタイプというものを研究、分析した上で、これを二つに分類しただけなのですが、では、使徒パウロはどちらのタイプかと言いますと、彼はキリストに出会うまでは「外向的」なタイプの人であったようです。
しかし、キリストに出会ってからは彼は明らかに「内向的」なタイプへと変わり、自分自身が大きな変化を遂げただけでなく、キリストにある者の生き方として、ユングがいうところの「内向的」であることを推奨し続けたようでした。
その顕著な証拠が今週取り上げる聖句です。
今週はコリントの教会に宛てられた「第二の手紙」から、「目に見えないものをあたかも見えるが如くに凝視して生きる」ことの大切さを確認したいと思います。
1.落胆とは無縁を生きる人は、衰えつある「外なる人」ではなく、日毎に新しくなる「内なる人」凝視する
使徒パウロほど、キリストのために苦難を味わった人もいないと思われます。
しかし、まるで痩せ我慢をしているのではないかと勘繰られるほど、その手紙の中では意気盛んです。
それは先週も確認をした通りです。もう一度、先週取り上げたところをリビングバイブルの訳で読んでみたいと思います。
「私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。『どうしてこんなことが……』と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしません。迫害されていても、神様は決してお見捨てになりません。打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます」(コリント人への第二の手紙4章8、9節 リビングバイブル)。
キリストの使徒となってからのパウロの歩みは、傍目から見れば、それはある意味では、「落胆」に次ぐ「落胆」の連続であった筈でした。
しかし、彼は、わたしは「落胆」とは無縁の生涯を生きている、と宣言しました。
「だから、わたしたちは落胆しない」(4章16節前半)。
パウロが「落胆」と無縁の日々を生きることが出来たのは、一つには彼が「外なる人」から「内なる人」に目を転じることができるようになったからでした。
パウロにとり、彼の「外なる人」は衰えていく一方で、反面、その「内なる人」は日を追うごとに新しくなっていったのでした。
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(4章16節後半)。
この「外なる人」(16節)、「内なる人」(同)とは何を指すのかということですが、多くの人は「外なる人」を肉体、「内なる人」を魂としているようです。
しかし、それはギリシャ的人間観であって、ギリシャの思想や宗教を熟知しつつも、ヘブル的思考の持ち主であったパウロが使った場合、そんな単純な二元論的分け方ではなく、もっと深い意味があった筈です。
ギリシャ的思考では、人というものは不滅の霊と有限である肉体とによって構成されているとしますが、ヘブル的思考では霊と体は不可分で一体、とされているからです。
パウロにとり、人間はみな、キリストと出会う前と出会った後とでは大きく変化をしております。
例えばパウロが「サルクス(肉)」という言葉を使う時、それは「肉体」を指すことよりも「古い人間性」を意味することが多かったことからもいえるのですが、パウロが「外なる人」と言った場合それは、止むにやまれず、この世のしがらみを抱えて生きていかなければならない古い在り方を指し、一方、「内なる人」と言った場合、それはキリストに繋がって、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(3章18節)神の子としての在り方を意味したものと思われるのです。
私たちはこの地上を生きる限り、「外なる人」として生きるという、言うなれば誰もが逃れることのできない運命(さだめ)の中にいます。
しかし、キリストに繋がり続けることにより、時間の経過の中でその人の「外なる人」は「滅び」(16節)衰えていき、一方、キリストにあって新しく生まれ変わった神の子としての性格、在り方、すなわち「内なる人」は「日ごとに新しくされていく」(同)のです。
パウロが落胆と無縁の生き方をすることが出来たのは、彼が自身の「外なる人」ではなく、日毎に新しくされていく「内なる人」に目を留めていたからであろうと思われます。
2.もう一つ、落胆と無縁を生きる人は、暫しの軽い患難の向こうにある永遠の重い栄光を視ている
そしてもう一つ、パウロが落胆とは無縁を生きる者となったのは、彼が受けてきた、そして今も受け続けている「患難」の向こうに待つ、大いなる「栄光」を視ていたからでした。
「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光をあふれるばかりにわたしたちに得させるからである」(4章17節)。
パウロは常に、自らの歩みの向こうに待ち受けている「栄光」(17節)を、マラソンランナーがそのコースを、ゴールを思いつつ走るような心境で捕えていたのでしょう。
パウロにとって、彼を待ち受けている「栄光」(同)は、貰ったあとに押し入れに投げ込んで忘れてしまうようなどうでもよいものではなく、極めて「重い栄光」(同)であり、朽ちることのない「永遠の」(同)「栄光」であったのでした。
ですからパウロにとってはその「永遠の重い栄光」(17節)と較べた場合、今の「患難」は「軽い患難」(同)であり、かつ「しばらくの」(同)、つまり時間的には一時的な「患難」に映ったのだと思います。
しかもパウロたちが信じている神は、神を信じる者たちが待望してやまない「永遠の重い栄光」(同)を、確かに「あふれるばかりに」「得させる」(同)神でした。
武士道において「武士に二言はない」、つまり二枚舌がないのであれば、況してやキリストには二言はない筈です。神の約束は必ず実現する、それがパウロの確信でした。
だからこそ、彼は落胆とは無縁、を生きることができたのです。
3.だからこそ、刹那の見えるものにではなく、永存する見えないものを凝視して信仰を生きるのである
つまり、パウロの生き方とは一口で言えば、「目に見えるものではなく、見えないものを視る」という生き方であったことがわかります。
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」(4章18節前半)。
なぜか。パウロは言葉を継いで説明します。目に見えるものは刹那のものであるが、見えないものは永存するからである、と。
「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」(4章18節後半)。
ここでパウロが使った、口語訳で「目を注ぐ」と訳された言葉は「じっと視る」、つまり「凝視する」という意味の言葉でした。
そしてここで、ユングのいう「人間のタイプ」が参考となります。
「外向的タイプ」とは外側の事柄、つまり、物とか金とか名誉とか出世などの「見えるもの」(18節)、そしていつかは消えていく「一時的」(同)な刹那の事柄に対して大きな価値を感じ、その結果、これをひたすらに求めるというタイプです。
これに対し「内向的タイプ」は自らの内側など、目に「見えない」(同)ものに関心を持つタイプであって、そこから、目には「見えない」(同)生きている神、約束された神の国、永遠の生命、死後の世界などの、「永遠につづく」(同)ものに関心を持つのです。
勿論、「見えるもの」(同)が無価値であるというわけではありません。見える世界における暮らしを大切にし、日々の務めを責任を持って遂行し、家族や健康を神から与えられた賜物として大事にすることは言うまでもないことです。
自らを向上させるために教室に通うこと、読書に勤しむこと、気持ちをリフレッシュさせる趣味を楽しむことなどもまた、人生を豊かにすることです。
行ったことのない内外の観光地をめぐって、景観や文化財を観賞したりすること、あるいは美味しいものを味わったり、ファッションを楽しんだりすることもまた、よいことです。
しかし、「見えるもの」(同)が「一時的」なものであることを踏まえた上で、「見えるもの」の向こうに「永遠に続く」(同)、「見えないもの」(同)を凝視して生きることこそが、本来の人間の生き方です。
「見えないもの」を凝視する中で、「見えるもの」を楽しむということが大切なのです。
紀元前六世紀にギリシャ人の「アイソープス(イソップ)」という奴隷によって作られたとされる「イソップ物語」では、「アリとキリギリス」の話しが有名ですが、手許の「イソップ寓話集」では「セミとアリ」の話しになっています。
冬になって穀物がしめったので、アリたちがそれを風にあててかわかしていました。腹をへらしたセミが一ぴき、アリたちに食べ物をくれとたのみました。アリはいいました。
「なぜ夏のうちに、おまえの食べ物をあつめておかなかったんだね?」
「そんなひまはなかったよ。調子よくうたっていたもんだから。」と、セミは答えました。アリたちはせせら笑っていいました。
「そうか、夏のあいだうたっていたのなら、冬におどればいい。」(渡辺和夫訳「イソップ寓話集? 222p 小学館)。
この「寓話集」に出てくるアリの言いようは少々、意地悪っぽく描かれていますが、言ってることは正当なものです。
寓話に描かれている「セミ」は「見えるもの」だけを見ている人を、そして「アリ」は「見えないもの」を見て生きる人を指しているというように適用することも可能でしょう。
一時的でしかない目先の「見えるもの」だけを見ていると、いつの日にか泣きを見ることになる、という教訓かも知れません。
人生、理不尽な目に会うことがあります。しかし、大事なことな「見えるもの」の向こうに「見えないもの」を見ることです。
そしてそのために大切なことは、わたしたちを見守り助け給う「見えない」お方をいつも意識することなのだと聖書は言います。
「ヘブル人への手紙」の著者はその例として、イスラエルの民を奴隷状態から脱出させた解放者モーセを挙げています。
「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは彼が(天の)報いを望み見ていたからである。信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした」(ヘブル人への手紙11章24~27節 355、6p)。
エジプトの専制君主であるファラオ(パロ)の娘の養子として育てられたモーセには、エジプトの王宮において特権を行使した生き方を享受することも可能でした。
しかしモーセは同族の苦難を目の当りに見て、イスラエル同胞と共に生きることを選択し、指導者として、困難を極めたエジプト脱出を決行します。
それはまさに艱難辛苦の連続でしたが、打ち続く患難を「彼は、見えないかたを見ているようにして忍びとおした」(27節)のでした。
一度しかない人生、私たちは何を見つめながら生きるのかを、今週も御一緒に考えつつ、次週から始まる「待降節(たいこうせつ)」を迎えたいと思います。