【お知らせ】2024年3月より、寝屋川市錦町に移転しました。

2014年8月31日日曜礼拝説教「詩篇を読む? ただ一つの願い、それは主の麗しきを仰ぎ見、そして尋ね究めること」詩篇27篇1~10節

14年8月31日 日曜礼拝説教

「詩篇を読む? ただ一つの願い、それは主の 
 麗しきを仰ぎ見、そして尋ね究めること」
 
詩篇27篇1~10節 旧約聖書口語訳768p
 
 
はじめに
 
九月三日に行われる内閣改造と政権党の役員人事を前にした一昨日の金曜日、重要な会談が総理大臣官邸で行われました。総理大臣と政権党幹事長との、俗にいうサシでの会談でした。
 
この会談はある意味では現政権が今後、安定的に存続するかどうかを左右するような重要なものであったとされていましたが、結果は幹事長が現総理の軍門に下ったものと評されるかも知れませんし、一方、幹事長が自らの野心よりも党の結束を優先させたとの評を得るかも知れません。
 
私見では、この幹事長さんの安全保障に関する知識と弁証能力は、政権党の中でも一頭地を抜いていると思われますから、今からでも辞退を思い直して、日本のために、そして自らが信じるところを実現する機会が到来したと受け止めて総理の要請に従い、新設予定の「安全保障法制担当大臣」を淡々と受けたらどうかと思っております。
 
ところで、この幹事長さんの母方の曽祖父の金森通倫(ともみち、つうりん)は、同志社において新島襄から洗礼を授けられた人で、後年、総長の新島襄が余命宣告を受けた時には新島襄自身から同志社総長の代理を依嘱された程の人物でした。
 
金森通倫のキリスト教信仰はその孫にあたる母親を通して、その息子の幹事長さんにも伝えられたようですが、政権に復帰する直前の、まだ野党であった一昨年の夏、国会内で開かれたクリスチャン議員による「国政報告会」において、敬虔な信仰者として注目すべき発言を、この人が致しました。
 
インターネット新聞のクリスチャン・トゥデイの記事を引用いたします。
 
4代目クリスチャンである石破茂氏はクリスチャン政治家としての活動について「『自分たちがやっていることは正しいのか』という思いがいつもあります。それは神様に対する恐れ、という気持ちであると思います。『本当にこれで良いのだろうか、御心に適うものだろうか』と常に思っており、『御用のためにお用いください』と祈る気持ちだけは常に持っています」と述べた(20120704 クリスチャン・トゥデイ)。
 
この人は日本の安全保障のためには「『集団的自衛権』の行使容認」は不可欠という立場ですから、その法整備推進のための「安保法制担当大臣」は適任どころか、余人も以て替え難いと、傍目には思うのですが。
とりわけ、昨年末に成立した「特定秘密保護法」の担当となった女性閣僚の国会答弁が、何とも頼りないものであっただけに、その感をより強くします。
 
この人が二年前の国会報告会において吐露した真摯な言葉の通り、「自分の考えが『本当にこれで良いのだろうか、御心に適うものだろうか』」と吟味しつつ、『御用のためにお用いください』と祈り、その上でもしも神が、「その担当を受けよ」と示されるのであれば、「虚心坦懐」になって日本の安全保障のため、持てる知識と能力の限りを尽くしてもらいたいと思うのですが。
 
さて、「詩篇を読む」の最終回、昨夏から通算十回目となる今週は、神との親しい交わりを通して、その尊い御心を伺いつつ、主なる神ご自身を知ることの喜びへと導かれたいと思います。
 
 
1.告白 「主は私の光、私の救い、そして私の命の砦」
 
何も知らない中学生であったころ、生意気にも「宗教などは弱い人間が持つものだ」などと嘯いておりました。まことに厚顔無恥でありました。
 
しかし、人というものは人生経験を積めば積むほど、おのれの弱さ、無力さを知り、自らを超える偉大な存在を意識するようになるものです。私もやがて神の前に、自らの卑小さを思い知らされて、神の偉大さと尊厳性を崇めることになるのですが。
 
詩篇二十七篇の作者がまさにそうでした。彼は生ける神に向かって告白します。あなたこそ、我が光、我が救い、わが命の砦である、と。
 
「主はわたしの光、わたしの救いだ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう」(詩篇27篇1節 旧約聖書口語訳768p)。
 
「光」(1節)も「救い」(同)も「命のとりで」(同)も、助け主が持っている圧倒的な力、とりわけその防御能力をも超えて、生ける神ご自身を指す告白です。
 
ですから、作者は続けて告白します。「だから、たといを命を狙って攻め寄せてくる敵がいたとしても、私が怖気づくようなことはない、決してない」と。
 
「わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。たとい軍勢が陣を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない」(27篇2、3節)。
 
男子、家を出(いず)れば七人の敵あり」とか、「男は閾(しきい)を跨げば七人の敵あり」などという言葉が死語になりつつある時代ですが、しかし、この先人の言葉は今も有効です。なぜならば、昔も今も人は人が怖いからです。
 
そして、それは「男子」だけではなく、女性にも言えることであって、女性もまた別の意味において、外に出れば他者の目や言葉によって傷を負いがちな生き物なのです。それはその造りが男性に比べて繊細にできているため、よりダメージを受け易くなっているからです。
 
でも、全能の神様がボディガードになってくれれば安心です。恐れることは無くなります。
これまでに色々な映画を見てきましたが、ホイットニー・ヒューストンが演じる歌手を守るためにボディガードとして雇われたケヴィン・コスナ―の、ストイックで捨て身のガードぶりを描いた「ボディー・ガード」は、その主題歌と共に心に残る映画でした。
 
恐れに囲まれるとき、恐怖に戦く時、「主はわたしの命のとりでだ」(1節後半)と、大胆に告白することのできる立場にあることを、改めて感謝をしたいと思います。
 
 
2.願望 「生涯かけて主の麗しきを見、そして尋ね究める」
 
二十七篇の作者は告白に続いて、正直に自らの願望を表明します。
その、彼が切望してやまないこととは、神の臨在を象徴する神の幕屋において、主なる神の麗しきを親しく仰ぎ見、かつ尋ね究めることでした。
 
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを」(27篇4節)。
 
 彼が願い求めているのは神からもらう御利益などではありません。
彼が求めているのはただ「一つの事」(4節)であって、それは主なる神の御顔を親しく仰ぎ見ること、そして主なる神ご自身の思いや考え、御心というものを正しく知ることでした。
 
「主の家に住んで」(同)とは「主と同居する」「主と共に暮らす」という意味です。
「主のうるわしきを見」(同)ることについては、後段の「その宮で尋ねきわめる」(同)で説明されます。
 
この、口語訳が「宮で尋ねきわめる」と訳した箇所を新改訳は「その宮で、思いにふける」と訳し、新共同訳は「その宮で朝を迎えることを」とし、そしてリビングバイブルは「主の宮で黙想にふけり」と、新改訳に近い意味で訳しています。
 
では、原語はどうかと言いますと、当該語句のヘブル語辞典には最初に、「気を付けて調べる」とあります。そこから口語訳は「尋ね求める」としたのかも知れません。
 
それから千数百年後のことでした。使徒パウロはマケドニアの信徒たちに対し、その書間の中で自らの個人的願望を打ち明けます。
それはローマ帝国の首都のローマにおいて、皇帝の裁判を待つ間に書かれたもので、西暦六十三年頃のことだと思われます。獄中で書かれた書間は獄中書間として有名です。
 
少し長いのですが、その箇所をリビングバブルで読んでみたいと思います。
 
「しかし、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。
それは、ただキリスト様だけに信頼し、キリスト様にだけ望みをかけるためです。
そうです。主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです。
私は、キリスト様以外のものは、がらくた同然にみなし、全部捨ててしまいました。
 
それは、キリスト様を自分のものとするためであり、また、もはや、良い人間になろうとか、おきてに従って救われようとか考えるのではやめて、ただキリスト様を信じることによって救われ、キリスト様と結ばれるためです。
 
…私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。
つまり、真にキリスト様を知ること、キリスト様を復活させた超自然的な力を、身をもって体験すること、そして、キリスト様と共に苦しみ、また死ぬとは、どういうことかを知ることです」(ピリピ人への手紙3章7~10節 リビングバイブル)。
 
勿論、パウロが「がらくた同然にみなし、全部捨ててしま」(8節)ったものとは、律法を遵守することによって神に義とされるという律法主義的救済方法のことです。
ですから、家族や家庭、仕事や職業、趣味や楽しみはこれまでと同じように大事にしてよいのです。
 
詩篇に戻りたいと思います。作者もまた、「主の家」(4節)で主の麗しきを仰ぎ見、主の麗しさを尋ね究めることこそが、ただ一つの願いであることを言い表します。それはなぜか。
 
それは彼が孤立無援という危機的状況に陥った時に、神が彼を幕屋の奥に匿ってくれたからであり、今後も変わることなく、そうしてくれるお方であると確信していたからでしした。
 
「それは主が悩みの日にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである」(27章5節)。
 
 「悩みの日」(5節)を新共同訳は「災いの日」と訳しましたが、これはもともと、「悪」を表す言葉です。
それは、決して我が身に起きては欲しくない「災い」や「悩み」を意味しました。そして人生、思いもかけぬ災いに見舞われることがあり、その結果、苦悩の日々が続くということがあります。
 
しかし作者はかつて、身も縮むような苦痛を伴う「悩みの日」「災いの日に」、主なる神のみ翼の陰に匿われたという経験があったのでしょう。
だからこそ、彼は神を賛美するのです。
 
「今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう」(27篇6節)。
 
 なお、この詩には「主の家」(4節)、「その宮」(同)、「その仮屋」(5節)、「その幕屋」(同)、「主の幕屋」(6節)という幕屋の時代を思わせる言葉が出てきますが、詩の雰囲気からはこの詩篇が神殿建立以前の、移動式幕屋の時代につくられたものであることを思わせます。
 
しかし、これらの幕屋、あるいはその後の神殿を今日、即、教会堂と考えてはなりません。
 
そもそも、旧約の幕屋あるいは神殿は、キリスト教の教会堂とは異なったものであって、民はそこで犠牲の動物を献納し、とりわけ大祭司は年に一度、聖なる幕屋の奥に入っていって、自らを含めた国民(くにたみ)の罪のゆるし、贖いのために、生贄の血を注いだのでした。
つまり、幕屋または神殿は、罪の贖いのための犠牲を捧げるところでもあったのです。
 
しかし、教会堂では犠牲は捧げません。犠牲は一度、ゴルゴタの丘で罪なき小羊となったイエスにおいて完璧に捧げられたからです。
 
ですから、教会堂の献堂式の式文などで、ソロモン王によるエルサレム神殿奉献の箇所を使用することについては、疑問を感じるのです(なお、このことに関しましては二年前の八月二十六日のマルコによる福音書からの説教「手で造られた神殿から、人手によらない神殿へ」を思い出してください)。
 
では、「主のうるわしきを見」(4節)、「主のうるわしきを」「尋ねきわめる」(同)ところとしての「主の家」(同)とは今日、どこなのかと言いますと、それは主ご自身の御前なのです。
なぜならば復活後、主イエス・キリスト自身が生ける宮となられたからです。
 
「イエスは彼らに答えて言われた、『この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起こすであろう』…イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである」(ヨハネによる福音書2章19、21節 138p)。
 
 イエスこそ、生ける神殿であって、信じる者は誰であってもこのイエスにおいて罪を赦され、生ける神と交わり、神を知り、そして、神の御心がどこにあるかを探る者となるのです。そして、それぞれが置かれている立場、持ち場において、4代目のクリスチャン議員さんのように、「御用のためにお用いください」という祈りに導かれるのです。
 
 
3.確信 「たとい父母から見限られても、主は見捨てない」
 
 告白、そして願望の次に表明されるもの、それが作者の神への信頼の言葉、確信です。
 
詩篇二十七篇は七節からは雰囲気が一転して、神への嘆願にも見える祈りへと変わります。そこである人は二十七篇は二つの詩篇を一つにしたのでは、と考えます。
でも、よく読めば、一つの詩であることがわかります。
作者は神との親密で個人的な信頼関係に基づいて、神との関係を確認します。
 
「主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに応えてください。あなたは仰せられました、『わが顔をたずね求めよ』と。あなたにむかって、わたしの心は言います、『主よ、わたしはみ顔をたずね求めます』と」(27篇7、8節)。
 
作者への神の呼び掛け、「わが顔をたずね求めよ」(8節)と作者からの神への応答、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」(同)の「たずね求め」るは、作者の願望である「主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめること」(4節)を神が是認した結果です。
両者に使用されている語句は同根であって、七節以降も神との親しい関係は続いています。
 
主は今日、私たちに向かって、「わが顔をたずね求めよ」(8節)と言われます。ですから日曜日、さっさと起きて、あるいは眠い目をこすりつつ、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」(同)と応答しながら家を出て、教会での礼拝へと向かうのです。
 
それはまた、朝ごとであり、夕ごとです。一日の始まりの朝、あるいは一日の終わりの夕べ、私たちに向かって主は、「わが顔をたずね求めよ」と言われ、私たちもまた主に対し、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と応答して一日を始め、あるいは一日を終えるのです。
 
礼拝には主の日に捧げる公同の礼拝と、個人として平日に捧げる個人礼拝とがあります。それは朝ごとに、あるいは夕ごとに捧げられ、この個人的礼拝としての神との交わりを、英語で「デボーション」と言ったりします。
 
なお、この、忠誠、あるいは献身を意味する「デボーション(devotion)」という英語は、ラテン語の「devotionem(ディウオティオネム)」からきているのだそうです。
 
そしてそのような神との親しい交わりの中で洩れ出る確信が十節の告白です。
 
「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう」(27章10節)。
 
 最近、「親子とは何であるか」をめぐって、最高裁の判断が下されましたが、通常、親は子供を第一にするものです。
 
しかし、何らかの理由で親がその子を愛せない、あるいは諸種の事情で捨てざるを得ない、という場合があります。
先の戦争時における朝鮮人女性の強制連行を告白した「吉田証言」が、実は真っ赤な嘘であったことを朝日新聞が告白してから一カ月になろうとしています。
 
問題は朝日新聞社の意に反して、沈静化するどころか、燎原の火のように燃え広がりつつありますが、「従軍」慰安婦なるものは高額の報酬目当てに自ら志願した者と、自らの意に反し、親に売られた者、あるいは女衒(ぜげん)の甘言に乗って「慰安婦」とされた者の三種類に分けられるようです。
 
悪徳業者に騙された者も気の毒ですが、親に売られた者もまた悲惨です。何しろ、守り保護してくれる筈の親から見捨てられたのですから。まことに深い同情を禁じ得ません。
 
聖歌は「あり得ぬことのみある憂き世」と歌いますが(612番 3節)、「あり得ぬこと」である、実の「父母がわたしを捨て」(10節)るということが身に起こったとしても、主なる神はその捨てられた者を受け入れ、迎え入れてくださるお方なのだ、「主がわたしを迎えられる」(同)と、二十七篇の作者は言い切ります。
 
その神と私たちの間には血の繋がりはありません。にも拘わらず、憐れみ深い父なる神は、私たち罪びとを我が子とするための手続きとして、愛するその独り子を犠牲にしてくださったのでした。
その結果、有り難いことに神と私たちの関係は、法的な意味での養親と養子という親密な関係に変わったのでした。
 
そしてそれはまさに想像を超えた出来ごとなのですが、そのことが、すなわち、私たちを神の子供とし、神の子供となった者たちとの親密な交わりの実現と継続こそが、実は、父なる神にとって「ただ一つの願い」であったのでした。
 
だからこそ、私たちもまた、「ひとつのことを主に願」(4節)うのです。 
「わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを」(同)と。
 
讃美「ただ一つの願い」を歌って、ご一緒に主を崇めたいと思います。
 
ただ一つの願い
 
ただひとつ 私の願い求めは
主の家に住まうこと 命の限り
麗しき主を仰ぎ見て 主の宮に住み 主を想う
麗しき主を仰ぎ見て 主の宮に住み 主を想う
 (作詞 Stuart Scott   訳詞 染本伸行、ひろ子)