日本人の精神とキリスト教の精神
七月三〇日、久しくモンゴル人が席巻していた大相撲に日本人大関がもう一人誕生しました。境川部屋の豪栄道豪太郎です。
新大関豪栄道はわが寝屋川市の出身で、寝屋川市立明和小学校、第四中学校を経て相撲の名門、埼玉栄高校に進学しましたが、卒業を待たずに二〇〇五年一月場所で初土俵を踏みました。
そして精進に精進を重ねた結果、ついに大関への昇進を果たすことになったのですが、その大関伝達式での豪栄道の口上が、「これからも大和魂を貫いてまいります」でした。
「大和魂(やまとだましい)」を辞典で引きますと、「日本民族固有の精神。勇敢で潔(いさぎよ)いことが特徴とされる」とあります(デジタル大辞泉)。
この「勇敢で潔いこと」こそが、古来、日本人の精神の特徴だったのです。私たちはこの伝統を大事にしたいものだと思います。
「七たびを七十倍するまでゆるす」、それがキリスト教の精神
「恨みは千年忘れない」という国もありますが、その国で先日、ミサに集まった群衆に向かってローマ法王フランシスコが、「七たびを七十倍するまで赦しなさい」と諭したそうです。
この教えは「何回ゆるさなければなりませんか?七回までですか」と質問した弟子たちに対してイエス・キリストが語った言葉であって、この言葉にこそキリストの教えの精髄、キリスト教の精神が込められています。
実際、イエス・キリストは知識を教えるだけでなく、自ら、その教えを身をもって実践した稀有なお方でした。
とりわけ、イエスが無実であることを知りつつも、おのれの保身のためにイエスを十字架に追い遣った人々のために、十字架上でその報復を祈るどころか反対に、神に向かって、「父よ、彼らを赦し給え」と心の底から敵の赦しを祈ったのでした(ルカによる福音書23章34節)。
まさにキリストは「七たびを七十倍するまで」も、人を赦したお方でした。
講話とゴスペルとで、魂の癒しを
私どもの教会では六月から十一月までの第一日曜日、はじめての方々を対象にして「日本人とキリスト教」という題で日曜特別礼拝を行い、講話で聖書の神さまを分かり易くご紹介しておりますが、四回目の九月は「日本人の精神とキリスト教の精神」をテーマに、それぞれが持つ特徴に焦点をあてることによって、一度しかない人生というものをより良く生きる秘訣を学びたいと願っております。
ヒグラシが鳴き、赤とんぼが飛ぶ夏の終わりの九月七日の日曜日、街角の小さな教会にぜひお越しくださって、分かり易い講話と心を癒すゴスペルの歌声に耳を傾けてくだされば幸いです。
ご来会を心よりお待ちしております。