2014年8月10日 日曜礼拝説教
「『信教の自由を守る日』に寄せて 何を何か
ら、あるいは誰からどのように守るのか―
共同体への正しい関わり方」
ヨハネによる福音書8章31、32節(新約聖書口語訳152p)
はじめに
今、「若者たち 2014」というドラマがテレビで放映されています。これまでに五回放映されているのですが、視聴率がどんどん落ちて来ていて、先週はついに六%台にまで下がってしまいました。
しかし、一話ごとに必ず泣かせる場面が設けられていて、質のよいドラマであるとは思うのですが、何といっても心を打つのがドラマの冒頭と最終場面に流れる、森山直太朗が歌う「若者たち」(作詞:藤田敏雄 作曲:佐藤勝)です。
君の行く道は 果てし無く遠い
だのに なぜ 歯を食い縛り
君は行くのか そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのに なぜ 何を探して
君は行くのか あてもまいのに
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽が昇るとき
若者はまた 歩き始める
三年八カ月に及んだ大東亜戦争(太平洋戦争)の無残な敗戦から年を重ねて、今年で六十九回目の八月を迎えました。
私たちが所属する教団は一九八二年秋の教団総会において、ポツダム宣言の受諾を表明して連合国に降伏することを宣言した、実質的な意味での敗戦の日である八月十五日を、自由の根幹である「信教の自由を守る日」と定め、以来、八月十五日に最も近い日曜日に「信教の自由を守る」という観点から、啓発を目的とした礼拝を行うよう、アピールしてきました。
これを受けて私どもの教会でもこの日を大事な日とし、最近の礼拝でも、二〇一〇年には「神の国の民にふさわしく生活する―終戦記念日に祈る」、二〇一一年「終戦記念日を迎えるにあたって―幻想から現実へ」、二〇一二年「『信教の自由を守る日』に寄せて―人間の本分、国家の本分とは何か」、二〇一三年(「信教の自由を守る日に寄せて」)「今、求められていること、それは自虐からの脱却」という主題を掲げて、標題のテーマについて考えてきました。
そこで敗戦から七十回目を迎える前年の今年は、「守る」にあたって、一体全体、「何を」「何から、あるいは誰から」「どのようにして守るのか」という基本的な問題について論じ、祈りを深めることによって、国民によって構成されている国の未来を展望し、更にそれによってこの国の将来が「希望へと続く」ものとなり、とりわけ夢を失いがちな「若者たち」が「空に」「昇る」「陽」の下で誇りを持って「歩き始める」ことを期待したいと思うのです。
1.何を守るのか
「守るべきもの」あるいは「守られるべきもの」は何かというならば、具体的には何といっても日々の暮らしです。
内閣によればデフレ退治は道半ば、ということですが、その恩恵を早く我々末端にまで及ぼしてほしいと思います。
第二に守られるべきもの、それは国民の生命の安全、健康な生活、そして財産等です。特に生命の安全と健康とは直結をしています。
中国の食の安全が改めて問題となっていますが、私どもの教会では紙コップ、紙皿、割箸、爪楊枝など、割高ではあっても、口に入れるものはすべて国産品を使用しています。中国製の割箸を金魚鉢に入れたら、すぐに金魚が死んでしまったそうですから、そんな製品はいくら安価でも恐ろしくて使う気にはなれません。
そういう意味では食材の生産地が不明の外での食事は、健康への不安から、勇気がいります。
第三に守られねばならないもの、それは国の主権であり、国民の権利です。国家を構成する三要素とは、主権と領土、領海、領空、そして国民の三つです。
憲法は国家を構成する国民を国家が保護する責任があることを定めていますが、先月の十八日、永住外国人が生活保護法の対象になるか否かで、最高裁が画期的な判決を下しました。
判決は「永住外国人は生活保護法の適用対象ではない」というもので、外国人が保護を受けているのは「行政措置による事実上の保護対象にとどま」るのであり、「受給権はない」としました。当然の判決です。
外国人が保護を受けているのは、敗戦後九年目の昭和二十九年に旧厚生省が「外国人についても(日本)国民の取り扱いに準じるように」との通知をしたことが発端で、これは平成二年に保護対象が「永住外国人」に限定されましたが、外国人への適用はあくまでも「恩恵」であって「権利」ではないのです。
第四に保障されるべきもの、それが「自由」です。自由には「思想・良心の自由」、「集会・結社・表現・言論出版の自由」、「居住・移転・職業選択の自由」、「学問の自由」などがありますが、これらの自由の根幹となるものが「信教の自由」です。
日本国憲法第二〇条[信教の自由、国の宗教活動の禁止]信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
「信教の自由」とは普通、「何をどのように信じるか」という、信仰の自由と思われていますが、実は「信じない自由」をも保障したものでもあるのです。
特にキリスト教国では少し前の時代まで、偉い人が領民や国民に対し、自分が信奉している教えを信じることを強制することがしばしば、ありました。
そういう強制の中で、人は何を信じるか、何を信じないかという自由権というものを有していることを明確にしたものが「信教の自由」でした。
そして、「信教の自由」が侵されるということは、他の自由が脅かされることを意味したのでした。なぜかと言いますと、「信教の自由」こそがその他の諸々の自由の根幹だからなのです。
でも、憲法で信仰の自由が保障されているからといって、実際に保障されている、とは限りません。お隣の国の「中華人民共和国憲法」にも、「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されています。
しかし、憲法において信仰の自由が保障されているからといって、それが実際に保障されている、とは言えないのです。かの国では中国共産党の指導に従わない教えは邪教とされ、弾圧の対象となってきた、という事実は誰でも知っています。つまり、お隣には信教の自由はないことになり、ということはその他の諸種の自由も制限があるということになるわけです。
もう一つ、自由には「奴隷的拘束及び苦役からの自由」というものがあります。
第一八条[奴隷的拘束および苦役からの自由]何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。
論議を呼んだ「集団的自衛権の限定的行使容認」の問題について、反対派から奇妙奇天烈な反対論が上がってきたのに驚きました。曰く、「集団的自衛権の行使が容認されると、徴兵制が復活する」と。
冗談ではありません。徴兵制は自分の意志に反しての拘束、つまり「奴隷的拘束」を「受けない」ことを保障した憲法一八条の規定に違反するものです。
ですから、憲法改正をしない限り、徴兵制度の導入はあり得ません。集団的自衛権と徴兵制の間には何の関係性もありません。
第一、全世界で集団的自衛権を行使しないとしている国は日本とスイスの二国のみであって、その他の国はすべて、集団的自衛権の行使を当然のこととしています。
しかし、その集団的自衛権を国家の当然の権利としている欧米諸国のほとん
どは随分昔から徴兵制を廃止して志願制に切り替えていますし、反対に、集団的自衛権を行使しないことを国是とするスイスなどは、しっかりと徴兵制を布いているのです。
仮に徴兵制を布いたとしても、国を守ろうという意志も気概もない若者を無理やり、軍隊に徴用したとしても足手まといになるだけです。
二十一世紀の先進国においては、徴兵制はナンセンスなのです。集団的自衛権と徴兵制とは何の関係もありません。
ところで、自由を守ることができなければどうなるのかといいますと、次に来るのが奴隷状態への転落です。
わたしたちはかつて、罪、厳密にいえば原罪の奴隷でした。しかしキリストは私たちを自由な立場を持つ者へと解放してくださいました。
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(ローマ人への手紙8章15節 243p)。
キリストの尊い犠牲のお蔭で原罪の呪いから解放され、神の子という有り難い身分を与えられたにも関わらず、この国のキリスト教徒は、平和、人権などという口当たりのよい「平和主義」なるものに幻惑されて、もろもろの自由の根幹である「信教の自由」を脅かされるという危機が目前に迫っていることについて、きわめて鈍感であるという声があります。
戦後六十九年、わたしたち日本人は「信教の自由」を含めて、諸種の自由を満喫しています。しかし、この天与の「自由」とりわけ自由の根幹である「信教の自由」を奪われないように努めることこそが、今日のわたしたちに課せられている務めなのです。
2.何から、あるいは誰から守るのか
では、大切なものを「何から、あるいは誰から守る」のでしょうか。それは敵対勢力からですが、具体的には法の秩序を無視して、力により、現状を変更して自らの野望を実現しようとする勢力の手からであり、あたかもその手先のようになって胡麻を摺りながら、自らの利益を優先的に追求することを日常としている輩が仕掛ける、巧妙な罠からです。
我が国は主権が回復する以前の戦後七年目、一九五二年一月に、火事場泥棒のようにして固有の領土を韓国に盗み取られてしまいました。竹島です。
そして、二十一世紀の今も違法な領海侵犯を繰り返しながら、我が国の領土を横奪しようとする動きを行っている国があります。
そういう脅威の中で、集団的自衛権の限定的行使容認の動きが起きてきました。これに対し、反対者は解釈変更は憲法違反であるとします。
しかし、その憲法の成立後、解釈改憲が幾度となく行われてきたことについて反対者が目を瞑るのは片手落ちです。
現行憲法はその原案作成の過程においては、日本国が戦争をすることも、戦力を持つことも禁じる内容のものでした。
そこで、原案の修正作業を経て成立した、現憲法の九条を読んでみたいと思います。
まず、第一項です。
第九条[戦争の放棄、軍備および交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
続いて、第二項です。
?前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
実は原案には無かった文言が第一項と第二項に修正案として挿入されました。いわゆる「芦田修正」といわれるものです。
第一項では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言がそれです。
この修正案が持ち出され、成立したのが芦田 均を委員長とする小委員会であったことから「芦田修正」と言われているのですが、この文言を入れることによって、第一項で「放棄」しているのは「国際紛争を解決する手段」としての「戦争」「武力行使」、つまり侵略を目的としている「戦争」や「武力の行使」だということにされました。
しかし、普通に読めば、たといそれが自衛のための戦争であってもそれは「国際紛争を解決する手段」ということになります。
第一、「我が国が行っている戦争は侵略戦争である」と宣言して戦争を始める国はありません。どの国でも国家の自衛を大義名分に掲げて戦争を始めます。
ということは、憲法の成立の始めから、九条にはある種の解釈が施されていたということになります。これが明確になったのが一九七二年のことでした。国会は日本国が個別的自衛権を持っていることを確認しました。
しかし、現行の日本国憲法を素直に読めば、侵略戦争は無論のこと、自衛の戦争も禁じているとしか読めません。何しろ「国際紛争を解決する手段」としての「国権の発動たる戦争と」「武力の行使は」「永久にこれを放棄する」とあるのですから。
おまけに第二項では何と、「国の交戦権はこれを認めない」とダメを押しています。侵略戦争であろうと自衛の戦争であろうと、戦争とは「国」が「他国」と「交戦」することに他なりません。
つまり、日本国憲法はその成立時と、その二十五年後に、「戦争」に関する解釈の重要な変更が行われたのでした。
にも関わらず、集団的自衛権の行使容認のみを声高に憲法違反とするのは筋が通りません。
もう一つ、自衛隊ですが、今から六十年まえの一九五四年、自衛隊は警察予備隊、保安隊を経て、正式に自衛隊として発足しました。
今年は自衛隊発足六十周年の記念の年です。ついでに言うと、映画「ゴジラ」の第一作が上映されたのも一九五四年でした。私はその翌年、入院中の母親を東京信濃町にある慶応病院に見舞った帰りに、第二作となる「ゴジラの逆襲」を有楽町の映画館で観た記憶があります。映画の中での自衛隊は、ゴジラには全く歯が立ちませんでしたが。
九条の第二項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあります。ここでまた「芦田修正」です。
修正案ではこの文言の前に「前項の目的を達するため」が加えられ、その結果、「侵略戦争」という目的のためではなく、自衛という目的のためであるならば「戦力」を保持することは可能であるという解釈が導き出されてきたのです。
それならば、自衛隊を堂々と自衛のために存在する「軍」隊として位置付けてもいい筈なのですが、後ろめたいのか、自衛隊は憲法上、「軍」ではないという詭弁を使うことによって、現実の矛盾を糊塗してきたのです。
つまり、憲法は成立以来、解釈の変更に次ぐ変更によって今日に至っているといっても過言ではありません。
では、このような過程あるいは過去があるにも関わらず、集団的自衛権の行使容認に限ってなぜ、反対勢力は激しく反対をするのでしょうか。
考えに考えて出てきた結論は、それは反対者が「反日」思想の持ち主だからだということでした。
今月の五日、朝日新聞が「慰安婦問題の本質 直視を」という尤もらしいタイトルの特集を組みましたが、その中で二つの事実を初めて認めました。
一つは戦時中、韓国南部の済州島で慰安婦狩りをしたという「吉田清治」なる人物の主張について、「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」という項目の「読者のみなまさへ」の中で、吉田証言が虚偽であったということを告白したことでした。
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だったと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした(2014年8月5日朝日新聞朝刊)。
朝日新聞が「吉田清治の証言」を事実とした前提で書いた記事を十六回も書いてから、しかも最初の記事から三十二年も経って、やっとそれが偽証であったことを認めて取り消しを表明したというわけです。
この「吉田清治」なる詐話師については、昨年八月十一日の礼拝説教「今、求められていること、それは自虐からの脱却」において、その著作と講演を引用して、それが偽りの創作でしかないこと、そしてその作り話を朝日が事実として誤報したまま、放置をしてきていることを指摘しております。
一九八三年に至って、吉田清治は著書の中でこれを事実として発表しました。著書の第三話「済州島の『慰安婦狩り』」の結びは以下の通りです。
私は翌朝、二百五名の済州島の女を船倉へ収容して、定期船は小雨の中を出港した(吉田清治著「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」151p 三一書房)。
なお、吉田清治はその前年の一九八二年六月、大阪森の宮のピロティホールにおける講演で、慰安婦の強制連行を事実として証言しています。
私は昭和一七年から敗戦までの約三年間、数千人の朝鮮民族を強制連行しました。その中には千人近い慰安婦を強制連行しました(前掲書付録1「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」155p)。
この吉田清治という詐話師の告白を真に受けて、検証もしないまま、これを事実として大々的に報じたのが朝日新聞でした。
しかし、その後、秦郁彦という著名な現代史家が済州島で現地調査を行って、吉田の証言に何の信憑性もないことを明らかにしたこともあってか、吉田自身、一九九五年になって、慰安婦に関する自分の主張が自身による創作であったことを告白するのですが、吉田の証言を事実として報道し続けた朝日新聞は、今に至るまで頬かむりをしたまま、誤報を訂正しようとしていません(2013年8月11日日曜礼拝説教「『信教の自由を守る日』に寄せて 今、求められていること、それは自虐からの脱却」)。
朝日新聞はやっとのことで、吉田証言が虚偽であったということを告白して、記事の取り消しを表明しましたが、これまでに十六回にもわたって「吉田証言」を事実として取り上げたことによって、「日本による強制連行」なるものが日本国の国家犯罪として、韓国人はもとより、国際的にも歴史的事実であるかのように刷り込まれてしまったことについては口を噤んだままであり、謝罪もしておりません。朝日の報道が「河野談話」にも繋がっているのに、です。
この特集においてもう一つ、朝日新聞が認めた誤りは、「女子挺身隊」と「慰安婦」とを混同してきたことでした。朝日は「『挺身隊』との混同 当時は研究が乏しく同一視」というタイトルの記事の「読者のみなさまへ」の中で、恥ずかしげもなく、これを「誤用」として告白します。
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました(同)。
「女子勤労挺身隊」とは戦時中の昭和十八年から、十四歳から二十五歳までの若い女性によって構成され、主に軍需工場などで勤労奉仕に当たった組織でした。半島も日本の一部ですから当然、動員されることになります。これは国民としての勤労奉仕でした。
一方、「慰安婦」は金銭を代償とする戦時売春婦のことで、中には兵隊の給料の十倍から二十倍も稼ぐ女性もいたとされています。
ところが朝日は一九九二年の記事で「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」と記述したのです。
そしてその一年前の一九九一年八月十一日にも、植村隆という名の記者により、「思い出すと今も涙 元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という記事が掲載され、その中で、「女子挺身隊」の名で戦場に連行されて日本軍人相手に売春行為を強いられたなどと、挺身隊と慰安婦とを混同した記事が、その後の「河野談話」を後押しする結果になったとされています。
なお、植村記者の妻は韓国人で、その母親、つまり姑が韓国で「太平洋戦争犠牲者遺族会」という団体を組織して、老人たちに「日本から賠償金を取る」と持ちかけて一億五千万円を騙し取ったという容疑によって起訴されていたところ、つい最近、無罪判決が出されて検察が控訴をした、という事実も明らかになっています。
なお、特集においては「『元慰安婦 初の証言』記事に事実のねじ曲げない」と、植村元記者を弁護していますが、朝日の言い訳を俄かには信用することはできません。
在米韓国人により、日本を貶めるために米国各地で建設が進んでいる[慰安婦像]の碑文には、「日本軍は数十万の女性を『性奴隷』とした」という文章が堂々とあるのは、「挺身隊」を「慰安婦」と混同したことから来るものであって、そのお先棒を担いだのが、日本の良心、クオリティペーパーを自負する朝日新聞だったのです。
しかし、工場での勤労奉仕を目的とした「女子挺身隊」と、戦時売春婦である「慰安婦」とを混同した、などということはあまりにも初歩的な間違いであって、報道機関としては考えられない錯誤です。しかも「当時は研究が乏しく同一視」などという子供だましの言い訳は全く通用しません。常識的に考えれば、敢えて同一視したのでは、と勘繰りたくもなります。
「神の痛みの神学」という神学説で有名な、北森嘉蔵という日本を代表する神学者の、「共同体への態度」という講義を思い出します。彼は言います、「共同体への関わり方には三つある」と。
一つは「直接肯定」というもので、関わっている対象を無条件で肯定してしまう、という関わり方、もう一つは「直接否定」という態度であって、共同体の外に出て、当該の共同体を外側から批判をするという関わり方である。
そして三つ目が「間接否定」、あるいは「仲保媒介的態度」で、その共同体の問題を直視しつつ、しかし、外側に飛び出して批判をするのではなく、内側に入って、その共同体が抱えている問題を自らの問題として担い、解決に向かって取り組む姿勢である、そしてその代表例が人類に対するイエス・キリストの態度であった、キリストは人類の罪を直視しつつ、これを外側から一方的に批判するのではなく、人となって自ら人間の仲間になり、人類の罪をその身に担って身代わりとなって救済の道を開いた、というのです。
これを当てはめると、「反日」の立場に立つ者の心情には、「悪」である日本あるいは日本人を外側から糾弾することによって、自分は罪がない、責任もないという、いうなれば無罪の証明を得ようとする意識が働いているのではないかと推測されます。
そして朝日が検証もせずに吉田清治の言説を記事にして言い広めたのは、いち早く、日本の「罪悪」を指弾するという「直接否定」をすることによって、自分たちの無罪性を証ししようとしたのではなかったのか、と思ってしまいます。
実際、戦時中の朝日新聞はどの報道機関よりも国民の戦意を煽り、軍部に協力的であったが、その朝日には戦後、多数のマルキストが入り込んで、いち早く平和の使者という顔を打ち出したと言われています。
朝日が取る「反日」姿勢の背後には、日本という国を「悪」と指弾することによって、自らの無罪性を立証しようとする意図があったのではないか、という見方も可能です。
朝日新聞の罪は捏造記事を掲載し続けたことだけにあるのではありません、同紙は記事の取り消しはしても謝罪をするわけでもなく、それどころか、「狭義の強制連行はなかったかも知れないが、広義の強制性はあった」と、論点をすり替えて、現時点でもなお、自己の義を主張しているところにあるのです。
朝日新聞の説明を読んでいて、手を洗う総督ピラトの姿と朝日新聞とが重なりました。
「ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、『この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい』」(マタイによる福音書27章24節 48p)。
青山繁晴独立総合研究所社長が先週水曜日(8月6日)午後の関西テレビ「水曜アンカー」で、この記事について解説し、これが「朝日の終わりの始まりになると思う」と言っていたことを思い出します。
ただし、朝日が真の意味での悔い改めに導かれれば、社名のようにまた、「昇る」こともできるかも知れませんが。
3.どのようにして守るのか