2014年5月11日 (母の日)日曜礼拝説教
「神を畏(おそ)れて心を守れ 箴言? 父の諭(さと)しに聞き従え、また母の教えを疎(おろそ)かにするな」
箴言1章7~9節 旧約聖書口語訳880p
はじめに
五月の第二日曜日の今日十一日は、「母の日」です。先週の週報お知らせ欄でも少しだけご紹介しましたが、「母の日」は米国起源で、キリスト教信仰と深い関わりがあります。
米国東部のヴァージニア州のウエブスターにアン・ジャービスという女性が住んでいました。敬虔なクリスチャンであったこの女性は、地域における医療や衛生環境の改善に取り組むボランティア団体を組織して地域活動を続けていました。
そんな時、南北戦争が起こりました。一八六一年のことです。たまたま、彼女が住むウエブスターに両方の軍隊が駐屯することになりました。
やがて劣悪な環境下で、両軍の兵士たちの間に腸チフスや麻疹が流行したため、彼女が組織したボランティア団体は南北の垣根を越えて兵士たちの医療救助活動に取り組むこととなりました。
南北戦争は一八六五年に終結しましたが、アンが住んでいたウエブスターがあるヴァージニア州の西側は、奴隷制度に反対して南北戦争開戦の二年後に、ウエストヴァージニア州として独立します。
そして一九〇五年、アン・ジャービスは信仰を全うして神の許に召されました。
それから二年後の一九〇七年五月九日の第二日曜日、アンの娘のアンナは、母が所属していた教会で行われた母アンを偲ぶ記念会で参列者に対し、母親の愛情と献身への感謝をかたちで示す意味から、母親が好んだ白いカーネーションを配りました。
このエピソードを聞いて深く感動した人がいました。デパート王として知られていたジョン・ワナメーカーでした。ワナメーカーは翌年の五月の第二日曜日に自分のデパートで母親を讃える記念行事を行い、アンナ・ジャービスの行為をPRしました。
また、アンナ自身も母親に感謝をする日を設けるべきことをアピールする運動を続けておりました。
そしてこれが牧師の子供でもあった、時の米国大統領ウッドロー・ウイルソンの心を動かしました。そしてウイルソン大統領が連邦議会に上程した、五月の第二日曜日を祝日の「母の日」とするという提案が議会で可決され、翌年、法律が施行されることとなったのです。一九一四年、今からちょうど、百年前のことでした。
この、カーネーションを贈るという「母の日」が日本に広まったのは戦後です。私が子供の頃は学校で造花の赤いカーネーションが配られたりしたものでした。
日曜学校の教師でもあったアン・ジャービスは日ごろから生徒たちに対し、十戒の「あなたの父と母を敬いなさい」という言葉を通して、母親の恩に報いることについて考えさせていたとのことですが、そこで今週の箴言では、箴言冒頭の一章を通し、親と子の関係、神との関係について教えられたいと思います。
1.あなたの父の諭(さと)しに聞き従え
モーセを通して神の民に授けられた十戒の五番目が、「父母を敬え」という有名な戒めです。
「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである」(出エジプト記20章12節 旧約聖書口語訳102p)。
「敬え」とは「重視せよ」、つまり「重んぜよ」という意味です。
エジプトから脱出したイスラエルの民に十戒が授けられたのは、紀元前十三世紀の始めであると考えられていますが、それから約八百年後、孔子もまた、親を敬すべきことを説きました。原文(読み下し文)と意味とをご紹介します。
子游(しゆう)、孝を問う。子曰く、今の孝は是(こ)れ能(よ)く養うを謂(い)う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば何を以(もっ)て別(わか)たん(論語 為政第二)。
子游というお弟子さんが師の孔子に、親孝行について質問をした、これに対して孔子が答えた、今では親に生活の不自由をさせないことが孝行というが、だれもが犬や馬などの家畜の世話はよくやいている。だから食べさせるだけで敬うということがなければ、親を犬や馬とどうやって区別するのであろうか。
親は敬うべきです。なぜかというならば、親は神を代表していると考えられたからです。しかし、それには親自身が神に対して敬虔であり、従順であるという生活をしていることが前提でした。
身勝手で家族を顧みないような父母に何が何でも服従しろと、十戒が命じているわけではないのです。ですから、親は絶対権力を振るうべきではありませんし、無茶な要求を子にすべきではありません。
子が親に従うのは、親が神を畏れ、神に従うという生き方をしているからであって、子に対し、盲従を命じているわけではありません。
ユダヤ社会においては特に、父親が神を代表すると考えられていました。ですから箴言は、子は父の「教訓」「訓戒」「諭(さと)し」に耳を傾け、聞き従うべきことを強調しました。
「わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、」(箴言1章8節前半 880p)。
口語訳ではここは「教訓」と訳しましたが、新改訳は「訓戒」、新共同訳は「諭(さと)し」としています。それは場合によっては今日でいう体罰を伴う場合もあったようです。
「むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は。つとめてこれを懲らしめる」(13章24節)。
現代の日本でしたらすぐに児童相談所に通報されるかも知れませんが。
ユダヤでは、子は例外なく誰もみな、神を畏れ、神を敬っている「父の」その「諭しに聞き従」(新共同訳)うことが求められていました。そしてそれは古代も現代も変わることはありません。
2.あなたの母の教えを疎(おろそ)かにするな
箴言はまた、母親をも敬すべきこと、とりわけ、その教えを聞き流してはならない、と勧告します。
「(わが子よ、)母の教えを捨ててはならない」(1章8節後半)。
「母の教え」(8節)の「教え」は言葉による教えです。
そして子はその母の「教えを捨ててはならない」(同)、「おろそかに」(新共同訳)してはならない、つまり「ウルセー!」と言って、聞き流してはならないということを、箴言は強調します。
最近、ブラック企業という言葉を聞くようになりました。
労働基準法を無視した苛酷な長時間労働を強いる職場を指して「ブラック」というのですが、先月の半ば、動画投稿サイトのユー・チューブに流れた求人面接の映像が世界中で評判となりました。
動画に登場した面接官は求職者に対して、勤務条件を提示するのですが、それが常軌を逸した「ブラック」そのもので、応募者は一様に呆れ果てます。
面接官は告げます、「勤務時間は週135時間、つまり、休日なしで平均一日19時間、時には24時間勤務で、365日仕事をする場合もある、休憩時間がないこともしばしば、さらに仕事をこなすには体力が必要な上、経済、料理、薬などの多岐にわたる知識が必要であり、長期休暇などはない」と。
極めつけはその待遇です。それほどの重労働なのだから、さぞや高額の報酬が、と思いきや、面接官は言います、「給料は無給である」と。
唖然、茫然とする応募者に対し、面接官は平然として、「やりがいのある仕事です、大勢の人が喜んでこの仕事に従事しています」と言い放ちます。
そこで堪りかねたひとりの女性応募者が聞きます、「誰ですか?それは」
面接官はおもむろに答えます、「お母さん」と。
この求人会社の「Rethom.Inc」という会社は勿論架空で、これを反対から読むと「Mother(マザー)」となります。
つまり、朝も夜もなく、また休日もなく、しかも無報酬で家事に育児に家族の世話にと、ひたすら奮闘をしている母親こそが、この「ブラック」な仕事に従事している人の正体だったというわけで、この意表をついた動画は、米国のあるメッセージカード会社が「母の日」に向けて作製したものでした。
視た方もおられると思いますが、何とも洒落た、それも説得力のある秀逸な企画でした。
翻って考えれば、私たちの多くはそのような母親の有形無形の無償の愛情と、そして厖大な犠牲のおかげで、大きくなったのです。
勿論、中には不幸ともいえる生い立ちの中で、母親の手を煩わせることもなく、がんばって来た人もいるでしょう。しかし、そういう人もまた、母親的な存在の支えや助けを受けて大きくなったといえるのではないかと思います。
今日は「母の日」です。母親が存命であるならば、言葉と共に何かのかたちで感謝の気持ちを示し、もしも他界をしているのであれば、思い出して心からなる感謝をしたいと思います。
いずれにしましても、「母の教えを捨ててはならない」(口語訳、新改訳)「母の教えを疎(おろそ)かに」(新共同訳)しないことが求められています。
「母の教え」を大事にした人と言えば、十戒をイスラエルに取り次いだモーセでしょう。
エジプトの地で奴隷状態であったヘブライの民に、当局から苛烈な命令が下されました。「生まれた男児はナイル川に投げ込め」と。
「それでパロはそのすべての民に命じて言った、『ヘブルびとに男の子が生まれたならば、みなナイル川に投げ込め。しかし、女の子はみな生かしておけ』」(出エジプト記1章22節 74p)。
命令が出た直後にヘブルの家庭にひとりの男の子が生まれました。三か月の間隠して来ましたが、隠しきることが出来なくなったため、両親は防水加工を施した手編みの籠にその子を入れて、ナイル川の葦の間に置くこととなりました。
そして、そこに沐浴に来た、エジプトの専制者パロ(ファラオ)の娘が籠を見つけ、籠の中の男の子をわが子として育てようとします。
そこに様子を見ていた姉のミリアムが飛びだし、機転を利かせて実母を乳母としてパロの娘に紹介します。
この結果、モーセは幼児期をヘブルの生みの親の許で育てられることとなりました。
「そのとき幼子の姉はパロの娘に言った、『わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか』。パロの娘が『行ってきてください』と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。パロの娘は彼女に言った、『この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます』。
女はその子を引き取って、これに乳を与えた。その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。
彼女はその名をモーセと名づけて言った、『水の中からわたしが引き出したからです』」(2章7~10節)。
こうしてモーセはその幼少期に、万物の創造者である唯一の真の神への信仰を生みの母親から教えられ、そしてパロの娘の子としての立場から、当時の最先端のエジプトの教育を受けることができるようになったのでした。
「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった」(使徒行伝7章22節)。
モーセは後に指導者として立つ為に必要な貴重な「教え」を、そして豊かな愛情というものを二人の母親から受けたのです。
当然、生みの親と育ての親の両方に、満腔の感謝の気持ちを持ち続けたことと思います。
3.知識の始めとして、先ず神を畏(おそ)れよ
しかし、子と親との間に、特に母親との間に神が介在してこそ、健全な関係が育つと、箴言は言います。それが神を畏れるということでした。
「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる」(1章7節)。
箴言は明言します、「主を恐れること」(7節)こそ、あらゆる知識、知恵の「はじめ」、根源である、と。
しかし、「知識」とは、人を蹴落とし、自分だけが良い目を見るために身につけるものではありません。
先週末、中国系の日本語メディアが出した「『教育の質ランキング』で韓国が日本を抑えて1位にー英国教育出版社」という記事が、ネットに出ました。
でも、記事をよく読みましたら、「教育の質ランキング」ではなく、「教育システム」の「ランキング」であることがわかりました。
人を押しのけてでも、とにかく財閥系の企業に入社することによって高収入を得るということを目的とした教育は、知識の量だけを詰め込むという「教育の量ランキング」は「1位」でも、「質」が一位とは言えない教育の結果が現在の惨状を招いたとするならば、今こそ、「質」を求める教育が、同国には必要ではないかと思われます。
昔も今も、「主を恐れる」ことこそが、「知識のはじめ」です。そして、「主を恐れる」は「主を畏れる」、つまり主なる神を畏敬の対象として畏れ敬うことを意味します。
それがあらゆる人間関係の基礎となり、とりわけ、親と子の関係の基本となると箴言はいうのです。
今日はひとりの少年の話をしたいと思います。その少年が中学三年生の時、彼の最愛の母親が入院先の病院で亡くなりました。肺がんでした。
やがて、彼の父親は旧知の女性と再婚しました。家に新しい母親が来たわけです。
この女性は若い時分、東京で有名な料亭の仲居頭を務め、主人の信頼も厚い中で独立をし、東京大学の赤門近くに小料理屋を開いておりました。店の客層としては当然、東大の教授、職員、学生などの学校関係者が多く、そのような雰囲気の中、豊かな人間関係を経験し、そして耳学問ながら多くの知識を吸収したようです。
彼女は化粧っけのない人で、見た目の年齢は実年齢よりも大分上に見られましたが、人間性自体は人を惹きつける魅力の持ち主でした。
ところが生みの母親を忘れることのできない少年は、この女性に向かって、「僕には母親と呼べる人は一人しかいません。ですからあなたをお母さんとは呼びません。お母さんではなく、おばさんと呼びますからそのつもりでいてください」と宣言をし、以後、どうしても呼ばねばならない場合は、「おばさん」と呼ぶことが常となりました。
「おばさん」と呼ばれる方も情けなかったことと思いますが、一生、「おばさん」のままかと思っていたその三年後のある時から、少年はこの女性を「お母さん」と呼ぶようになったのです。
高校三年生になった少年は、その少し前から教会に熱心に通うようになっていて、それまでは夕食が終るとすぐに自分の部屋に引き上げることが多かったのですが、大学受験の時期であるにも関わらず、いつのころからか食後も居間に残って家族の団欒に努めるようになっていたのです。
随分経ってから、やはりクリスチャンとなっていた弟が聞きました、
「何でお母さんと呼ぶようになったの?」
少年は答えました、
「俺が『おばさん』と呼ぶことを、神は喜んではいない、そうではなく『お母さん』と呼ぶことが神のみ心だ、と思うようになったからだ」と。
恐らく、感情の面ではまだ抵抗があったのではないかと思われます。でも、自分の感情よりも神の意志、自分の気持ちよりも神の願い、自分の信念よりも神のみ心を優先しようとしたというわけです。
つまり、「神を恐(畏)れる」(7節)という要素が、義理の母親との関係の中へと入ってきたのです。
「神を畏れる」とは、神の意志、神の好み、神の願い、神のみ心を、自分の意志、好み、願い、心の上に置くことです。
「あの子は教会に行くようになって、ほんとうに変わった」 それが家族の一致した見方でした。
三月の下旬、大学入学直前の少年は、高校のクラブ活動の締め括りで、土日に山に行くことになりましたが、弟に「俺はいないけれども、お前は今度の土曜日、ひとりで教会へ行け、お前のことは教会の先生たちに話してある」と言って、聖書と聖歌を包んだ風呂敷包みを渡しました。
キリスト教そのものに非常な抵抗感を持っていたにも関わらず、その弟が「では一度だけ」と素直に応じたのは、「教会に行くようになって変わった」兄の姿を身近で実際に見ていたからだそうです。
その後、彼は牧師になるべく献身をして神学校に行きました。その在学中、義理の母親は生みの親と同じく肺がんで入院をし、結局、病院で亡くなりましたが、亡くなる日の前夜、神学校から入院先まで駆けつけて、祈りのうちに夜を徹してその母親に付き添ったのも彼でした。
父母は敬うべきであり、親孝行は子の務めです。
そして主なる神への畏れがその根底にあるとき、子の親への関わりはより豊かなものとなる、それが聖書の変わることのない教えです。
今日、母と呼ばれているすべての母親たちに、神の豊かな労いと祝福とが、豊かに豊かにありますように。