人は天地を創造した神により、
地の塵(ちり)を素材として造られた
「二位じゃダメなんですか」という仕分けの女王さまの発言で一躍注目されたのが、日本製スーパーコンピューター「京(けい)」でした。その後、演算速度で世界ランキング一位となった「京」は、いよいよ今年の六月末に完成し、九月末から本格運用が予定されているとのことです。
演算速度で「京」は、今年の秋に完成予定の米国IBM社製「セコイア」に抜かれて二位となりますが、「京」の驚異的な演算速度には、新薬の開発、防災対策などをはじめとする各種の分野において、著しい成果をあげることが期待されています。
特に医療の分野では心臓病の研究、治療に役立てるために、コンピューター内に人の心臓と全く同じ形と機能を持つ心臓の映像を造り上げるまでになりました。開発者はこれをもって「心臓を再現した」と言いました。確かに驚くべき技術ですが、「再現」を正確に表現すれば本物の「模倣(コピー)」ということであって、それも画像としてです。
そしてコピーが精巧であればあるほど、本物(オリジナル)と、そして本物を最初に造ったものの凄さに驚嘆させられることになります。
そして、精巧な人体を持つ人間を最初に造ったのは誰かと言いますと、聖書はそれを創造者である神、と言っています。
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」(旧約聖書口語訳 創世記2章7節)。
聖書の記述は少々神話的のように思えますが、複雑かつ精密な人間という生き物が、偶然に地球上に生まれたとするよりも、知的かつ能力的にすぐれたある種の知的存在者が構想をし、設計をして造り上げたと考える方が妥当で合理的といえます。そして聖書はその存在を「神」と呼んでいるのです。
わたくしどもの教会では毎週日曜日に、聖書の講話を中心とした日曜礼拝を行っておりますが、今年は六月から十一月までの毎月第一日曜日を、はじめての方をお招きして、特別礼拝を行うことにいたしました。
そして二回目の七月は、一日です。閉塞感の漂う昨今ですが、日曜日の爽やかな朝、街角の小さな教会で聖書の講話とゴスペルで、より元気になっていただけたらと願っております。
ぜひ、ご来会ください。お越しを心より歓迎致します。
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