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2013年10月27日日曜礼拝説教「ルカによる福音書の譬え話? 神殿で祈ったパリサイ人と取税人の譬え―神に義とされたのは、罪意識を持って祈った取税人の方であった」ルカによる福音書18章9~14節

13年10月27日 日曜礼拝説教 

「ルカによる福音書の譬え話? 神殿で祈ったパリサイ人と取税人の譬え―神に義とされたのは、罪意識を持って祈った取税人の方であった」
 
ルカによる福音書18章9~14節(新約聖書口語訳120p)
 
 
はじめに
 
まだ若かった頃、ルース・ベネディクトが書いた日本文化論である、「菊と刀 日本文化の型」を読んで、キリスト教国である欧米は神を意識する「罪の文化」、唯一の神を信じない日本人は世間体を気にする「恥の文化」だという説に妙に納得して、以後、「恥の文化」である日本という国をどこかで恥じながら生きてきたように思います。
 
しかし、十年ほど前、長野晃子東洋大学社会学部教授(現在は名誉教授)が著わした「日本人はなぜいつも『申し訳ない』と思うのか」(草思社 2003年)を読んで、それまでの迷妄が一気に晴れたような思いになりました。確かに私もルース・ベネディクトに洗脳されていたのでした。
 
長野晃子教授はその著書の中で、「菊と刀」は米国政府によって日本の文化が正当なものではないことを裏付けるための戦争プロパガンダ(政治的宣伝)だったのだということを、元津田塾大学教授で西洋政治思想史を専攻していたダグラス・スミスの論文『内なる外国―「菊と刀」再考』(加地永都子訳 時事通信社 一九八一年 一五八ページ)を引用して論証をしております。
 
『菊と刀』は人類学研究の著作というよりは政治論文である。(中略)だがこれは物語化された日本であり(中略)、ベネディクトが創造するのはアメリカにとって当然敵となるべき国、理論的にも道徳的にもアメリカが第二次大戦で打ち負かして至極当然であるような国である(前掲書148、9p)。
 
長野教授が同書の中で言わんとしていることの一つは、日本の文化は「罪の文化」であり、日本の「罪の文化」の方が欧米の「罪の文化」よりも犯罪抑止力があり、日本を治安の良い国にしてきた(5p)ということでした。
 
なお、二〇〇九年に出版された同氏による「『恥の文化』という神話」(草思社)では、ベネディクトの日本像は「確かな根拠に基づく科学的な見方ではなく、科学的な装いをこらした念入りな創作であり、日本人を道徳観のない民族として裁くことでアメリカの原爆投下を正当化するプロパガンダだった」という分析を述べています。
 
「罪意識」、難しい用語を使えば「罪責感」は、日本という国からは確かに年々薄れつつあるようにも思えますが、それは元々、日本人の心の根底を流れる意識でもあったのです。
 
今週の礼拝におけるイエスの譬えの要諦は、「罪意識」をめぐるものです。
 
 
1.パリサイ人の祈りの特徴―自らの義を神に向かって誇らかに述べた
 
 今回のイエスの譬え話の対象は「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」でした。
 
「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬えをお話しになった」(ルカによる福音書18章9節 新約聖書口語訳120p)。
 
 そして、「二人の人が祈るために神殿に行った、ひとりはパリサイ人で、もうひとりは税金を集める取税人であった」と続けます。
 
「ふたりの人が祈るために宮に上(のぼ)った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった」(18章10節)。
 
 イエス時代のパレスチナにおいては、ユダヤ教徒は一日に三回、午前九時、正午、午後三時に神に祈るという習慣がありました。彼らはその定めに従って「祈るために」(10節)「宮」つまり神殿に行ったのでしょう。
 
「パリサイ人」(同)とは律法で定められた規則を厳密に守ることを誓った人々によって構成されていた宗教的誓約集団で、ウイリアム・バークレーによりますと、イエス時代のユダヤ社会には六千人ほど、いたそうです。
 
イエスの譬えに出てきた「パリサイ人」は堂々とした態度で祈りを捧げました。
 
「パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します』」(18章11節)。
 
 彼は「立って」(11節)祈りましたが、これは通常のユダヤ人の祈りの姿勢です。当然、彼は神がいますとされていた天に向かい、顔と目を上げて祈った筈です。そこには何の躊躇いもなく、満々たる自信が示されていたと思われます。
 
「ひとりで」(同)「祈った」(同)とありますが、この原語は「自分自身に」ですから、「心の中で」(新改訳、新共同訳)という意味でしょう。つまり、彼は姿勢では天にいます神に向かって祈っているようですが、実は自分自身に対して「祈った」というわけです。
 
ところで「神よ」(11節)は神への呼び掛けですが、彼はその次に、私は「感謝します」(同)と、感謝の心情を吐露します。
問題は何をどのように「感謝」したのかということですが、彼は二つのことを感謝したようです。
 
その一つは自分が倫理的な面、律法遵守の面において「ほかの人たちのような」(11節)道徳的破綻者でなく、また「取税人のような」律法違反者ではないこと、すなわち、悪に染まっていない聖潔な人間であること、罪とは無縁の神の民であるということを、彼が蔑んでいる輩とおのれとの比較の中で、高らかに宣言した言葉に表れています。
 
そしてもう一つの彼の「感謝」は、とりわけ、神の国への入国を左右する律法遵守、律法への従順という面において、満点であるという自己採点の結果にありました。
 
「わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」(18章12節)。
 
 イスラエル共同体の構成員には、断食の義務がありました。しかしそれは年に一回の「贖罪の日」だけでした。
 
「主はまたモーセに言われた、『特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。その日には、どのような仕事もしてはならない。これは、あなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである』」(レビ記23章26~28節 旧約聖書170p)。
 
 ですから彼が「一週に二度」(12節)つまり月曜日と木曜日にも「断食をして」(同)いたということは、律法の規定にないことですので、それをする、しないは彼の自由でした。しかし、そのことが、彼が自分自身に高得点をつける要素となったのでした。
 
 また彼は、「全収入の十分の一をささげている」(12節)と誇りましたが、「十分の一」という律法の規定は、神殿祭儀に奉仕をするため、土地を嗣業として割り当てられることのなかったレビ族の生活を、イスラエル民族全体で支えるために定められた規定でした。
 
「わたしはレビの子孫にはイスラエルにおいて、すべて十分の一を嗣業して与え、その働き、すなわち、会見の幕屋の働きに報いる」(民数記18章21節 213p)。
 
 現代の教会において、教会に奉仕をする教職者が献金の中から生活費を得る、というシステムはこの定めに由来しています。
 
ところで、この「十分の一」の対象は、律法では必ずしも「全収入」ではなく、畑からの収穫や果樹、あるいは牛や羊などの群れでした。
 
「地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なるものである。…牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なるものである」(レビ記27章30、32節 180p)。
 
しかし、芳香植物のはっかやうん香、また野菜類などは律法では「十分の一」の対象外であったと、イエスは指摘をしています。
 
「しかし、あなたがたパリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛をなおざりにしている」(ルカによる福音書11章42節)。
 
「パリサイ人」は規定外の収入までも「十分の一」の対象にして、そして、その「全収入」の「十分の一」を献げることによって自らの行為を誇ったというわけなのです。
 
 この譬えに出てくるパリサイ人の特徴は二つです。一つは罪意識というものが全くと言っていいほど無いこと、そしてもう一つの特徴は自分自身を過大なまでに高く評価しているということです。
 
実は、この譬え話は何気なく読みますと、「パリサイ人」を対象にしたものであるかのように見えますが、そうではありません。
パリサイ人が直接の対象であるならば、譬えにパリサイ人を登場させたら余りにも露骨過ぎるからです。
 
イエスは「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」(9節)に対する教訓としてこれを語られたのでした。つまり、それはご自分の弟子を含め、「パリサイ人」のように自分を誇って他者を見下げるすべての者へのメッセージだったのです。
 
 韓国の女性大統領の硬直した反日姿勢によって、日本と韓国の関係が冷え込んでいますが、日韓の首脳会談が行われなくても日本は少しも困りません。日本の首相は泰然自若としていればいいのです。困難な状況に追い込まれているのは韓国の方なのですから。 
 
最近、韓国通の海外知識人が、韓国人の過剰な自信と「反日」の論理に対する警告を発したそうです。たとえば、「外国人に十五分間、ウリ(われわれ、韓国・韓国人を表わす韓国語)と言ったら逃げられる」「世界で唯一だと宣伝すれば、国粋主義に傾倒しているように思える」と。 
 
私たちは隣国が正常化するように祈りたいと思います。自国の実態を正確に認識すれば、罪責感も生まれるでしょうし、そうなれば根拠もなく自慢をすることも、無暗に他国を誹謗することもなくなることでしょう。
 
 
2.取税人の祈りの特徴―自らの非を神に向かって悲しみつつ述べた
 
イエスは過度に「自分を高くする者」を戒めるために、その対比として取税人を登場させたと思われます。
そういう意味ではこの譬えでは取税人は脇役です。しかし、イエスは敢えて取税人を登場させることによって、高慢な者への教訓としたのでした。
 
「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と」(18章13節)。
 
 この「取税人」は祈る際、「遠く離れて立」(13節)ったようです。エルサレム神殿は中央の聖所を四重の庭が囲んでいました。
内側から順に「祭司の庭」、「男子の庭」、「婦人の庭」、そして広大な「異邦人の庭」となっており、庭と庭との間には垣根が設置されていたとのことです。
 
「パリサイ人」は当然大きな顔をして「男子の庭」で祈ったのでしょう。
しかし、同じユダヤ人でも取税人は「遠く離れて」外側の「異邦人の庭」で祈ったのだと思われます。
 しかも彼はその「目を」(13節)神がいます「天にむけようともしないで」(同)「胸を打ちながら」(同)、ただひと言、「罪人のわたしをおゆるしください」(同)と祈ったのでした。それは呻きにも似た祈りでした。
 
 彼の特徴は深い罪意識にありました。その罪意識、つまり罪責感が「罪人のわたしをおゆるしください」(23章32~34節)という祈りになったのです。パリサイ人と違い、彼は自分が罪深い者であるという自覚がありました。
ところで、この「罪人のわたしをおゆるしください」(13節))と口語訳が訳した言葉は、直訳しますと「罪人のわたしを贖ってください」です。
 
では「贖い」と何かというならば、聖書では聖所の奥に安置されていた契約の箱の蓋に(この蓋を「贖罪所」、あるいは「贖罪蓋」と言います)年に一回、(前述の)「贖罪の日」に大祭司が民の罪の贖いとして犠牲の血を注ぐことを意味しました。
 
つまり、自らに有罪を宣告した者がその罪責感のゆえに神の憐れみと赦しを求め、そして神が犠牲の血を身代わりとして民の罪を赦すという儀式が「贖罪の日」だったのです。
イエスがこの譬えにおいて取税人に、「罪人のわたしを贖ってください」と祈らせたのは、取税人が持っている罪意識が深刻なものであって、それゆえに身代わりの犠牲を必要としているという自覚を持つ者であるという意味と思われます。
 
実際、この譬え話はなされた時点では明らかにはされていませんでしたが、イエスこそ、全人類の罪を贖うために犠牲となられた救世主だったからです。
 
 この譬えの主題は罪意識の有無にあります。その有無が明暗を分けます。但し、不必要な罪意識、罪責感を持つ必要はありません。なぜならば罪責感はしばしば他者を支配する道具として利用されてきたからです。
 
このたび、泉佐野福音キリスト教会(重本 基牧師)から、信徒研修会において「憲法の改正」をめぐる問題点についての講義をして欲しいという要請をいただいたこともあって、改めて日本国憲法の成り立ちについて学び直す機会がありました。
この時期、信仰者の視点から、日本国憲法が抱える問題について真正面から取り組もうとした泉佐野教会と教会指導者の真摯な姿勢に対しては、衷心から尊敬の念を抱きます。
 
ところで憲法学者の西 修駒澤大学名誉教授によりますと、米国の日本占領政策としてGHQによって実施されたものが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人に植え付ける計画)
であった、そして、その「プログラム」実施の狙いは日本人に対し、拭うことの出来ない贖罪意識を強く持たせ続けることであって、それが米国の国益に適う、という趣旨であったというのです(西 修著「憲法改正の論点 第4章 刷り込まれた護憲意識」81、2p 文藝新書)。
 
事実、七年間にわたる占領政策は、日本人の中に、戦争についての罪悪感はもとより、自分たちは歴史も文化も誇るもののない劣等民族であるという自虐意識を刷り込むことに成功したようです。
しかし、私たちは持つべき罪意識、持たねばならない罪責感と、持つ必要のない、あるいは持つべきではない押し付けられた罪責感とを区別しなければなりません。 
 
 
3.神に義とされたのは、自らを誇る者ではなく低くする者であった
 
イエスは罪責感を持つこともなく、ひたすら「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たち」(9節)を対象にし、ただし、その悔い改めを願って、「神に義とされて神殿を後にしたのは、罪責感に満ちて祈った取税人であった、すなわち、自分を高くする者は神によって低くされ、自分を低くする者は神によって高くされるのだ」という真理を教えようとされます。
 
「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(18章14節)。
 
 私は最近、グレッグ・ローリーという米国人の説教者のことをなぜか懐かしく思い出すのです。
 
現在六十歳のグレッグ・ローリーは、アルコールと煙草を嗜み、ドラッグに取り憑かれていたヒッピー同然の高校生の時に、在籍する高校の中庭で開かれていた「イエスを信じる変人達」という集会にひょんなことから関わるようになり、それが縁でローニー・フリスビーという牧師によって回心に導かれたそうです。
 
その後、彼は、自分は説教者に召されているとの思いが募り、「説教をさせて欲しい」と主任牧師(記憶ではたしか、チャック・スミスという名前でした)に願うのですが、「わかった」と言われて渡されたのが掃除道具一式、そしてひたすら掃除に明け暮れていた二年後の十九歳の時、その牧師さんから三十人ほどの聖書研究会を任され、それを十年と少しの期間で九千人の集会に育て上げたということで有名でした。
 
そのグレッグ・ローリーが来日して教職者を対象とした集会を催すというので、出席をしました。二十五年くらい前のこと、会場は大阪・三国の一麦教会だったと思います。 
 
その数年前、米国研修旅行に参加しました。行く先々のスーパーチャーチの主任牧師はだれもが、まるでファッション雑誌から抜け出てきたような洗練された服装で説教をしていたものでした。
しかし、大阪の教会の講壇に上がったグレッグ・ローリー牧師はノーネクタイのオープンシャツにジーパン姿で、開口一番、何を言ったかといいますと、
 
私が今回、日本に来たのは自分の成功談を話すためではありません、私は日本の教会が、そして先生方が非常な困難な中で主のわざに励んでおられることをよく知っています。私はそういう皆さまから多くのことを学びたい、教えられたいという思いで日本にまいりました。そして、もしも私の方で何か、日本の皆さま様方にお分けするものがあるとするならば、それを喜んでお分かちしたいと願っております。
 
感動しました。いわゆる成功をした牧師で、こんな言い方をした人は初めてだったからです。
 
実を言いますと当時私は、お隣の国からやって来る牧師さんたちに辟易としておりました。説教は情熱的ですので、それなりに心は燃やされもするのですが、彼らには二つの特徴がありました。
一つは自慢です。たとえば、「私は一年で百人が出席する教会を作った」などと。それはそれでいいのですが、次に批判がきます。曰く、「日本の先生たちは勉強ばかりしていて、祈らない、伝道しない、だから教会は成長しないのだ」
 今で言えば上から目線です。まあ、それでも言われたことには一理はあるかも、というわけなのですが、いい加減うんざりしている時に聞いたグレッグ・ローリーさんの話はとにかく新鮮でした。心から感動したものでした。
 
その後、日本に来た、というニュースを聞きませんが、ネットを検索しますとグレッグ・ローリー牧師は今も全米各地を回って、大衆伝道者として活躍をしているようです。
彼は未来に希望も光もなかったヒッピーの時代に自分を救済してくれた神さまの前を、今も少しも変わることなく、若い時と同じ気持ちで歩いているのだろうと思います。
 
神に義とされるのは、自らを誇る者ではなく、神の前にそして人の前に自らを常に低くする者なのです。