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2013年10月13日日曜礼拝説教「ルカによる福音書の譬え話? 晩餐会への招待の譬えー感謝の心で招きに応じたのは、心低き者たちであった」ルカによる福音書14章15~24節

2013年10月13日 日曜礼拝説教

ルカによる福音書の譬え話? 晩餐会への招待の譬え―感謝の心で招きに応じたのは、心低き者たちであった」
 
ルカによる福音書14章15~24節(新約聖書口語訳114p)
 
 
はじめに
 
マナーとエチケットはどう違うのか、という議論があります。でも基本的には同じものだと思います。強いて言えば、マナーは英語、エチケットはフランス語ですので、アングロサクソンの文化とラテンの文化という違いはあるかも知れませんが。因みに日本語ではこれを行儀作法と言い、その神髄は「おもてなし」ということになります。
 
それぞれ、多少の違いはあっても、他人には迷惑をかけない、人の物には手をつけない、約束は守る、周囲の人を気遣う、などは共通の理解だろうと思うのですが、マナーを無視し、その結果、国内だけでなく国外でもトラブルを引き起こして顰蹙を買うことの多いのがお隣の大国の人々なのだそうです。
 
少し前、シンガポール航空の機内での食後のことだったそうです。その隣国から参加したツアー客たち三十人ほどが、機内食を食べるのに使ったステンレス製のナイフとフォークをポケットなどに入れているので、それを見たCA(キャビン・アテンダント)が彼らに向かい、「それは備品ですから返却をして下さい」と言ったところ、言を左右にしてなかなか返そうとしない、結局、ツアーの添乗員の説得でポケットに入れたものを渋々返したというのですが、こうなりますとマナー違反というよりも窃盗罪という犯罪です。
 
衣食足りて礼節を知る」、人口に膾炙されているこの格言は紀元前七世紀、斉の桓公(かんこう)に仕えた管仲(かんちゅう)が言った言葉ですが、彼の国では死語になってしまったのでしょうか。海外旅行が出来るくらい、ゆとりのある生活をしているのに、と思ってしまいます。貧困に喘いでいた昔と違い、今は「衣食」が「足り」るようになっているのに、それでも「礼節」、つまりマナーを「知」らないのはなぜなのでしょうか。
 
マナーの基本は何か、それは自分以外の他者に対する配慮、心遣いにあります。たとえば、晩餐会への招待に対し、「出席します」と応じておきながら、当日になって理由にもならない理由を並べて、晩餐会への出席を断ったとするならば、これはもう悪質なマナー違反です。出席する気がないのであれば、最初の段階で欠席としておけばよかったのです。
 
今週のイエス・キリストの譬え話は「晩餐会への招待の譬え」です。神との関係においてもマナーは大切です。
 
 
1.晩餐会の主催者は、礼を尽くして客を招いた
 
 ユダヤ社会の富裕層には律法教師を食事に招いて講話を聴くという習慣があったそうです。そしてイエスもしばしば、そういう食事会に招かれて講話を語ったようでした。
そのような食事会には通常、主催者の友人が同席すると共に、中庭などで行われる場合、講話を聞くべく、近所の人たちが集まってくることがありました。
 
そのような宴の席上、イエスの講話が一段落した時に列席者の一人が突然、「新しい時代が来て、神の国でメシヤが主催する晩餐会に出席することのできる私たちは何と幸いなことでしょうか。私はそれを考えるだけで胸がワクワクします」と言ったのでした。
 
「列席者のひとりがこれを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、さいわいです』と言った」(ルカによる福音書14章15節 新約聖書口語訳114p)。
 
恐らく彼は、自分は正統的なユダヤ人であるのだから、当然、メシヤ主催の晩餐会に出席できるものと素朴に思い込んでいたからこそ、そう言ったのだと思われます。
 
ところがイエスはこの発言に対して、水を差すようにも思える譬えを語り始めたのでした。
 
「そこでイエスが言われた、『ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた』。」(14章16節)。
 
 学者によりますと、ユダヤにおける宴会への正式の招待は、二度にわたって行われたそうなのです。最初、主催者により、日付の入った招待状が招待客に送り届けられます。しかし、それには時刻は書かれてはいません。
そしてそうこうするうちにその日が来て宴会の準備万端が整うと、主催者は招待を受諾していた客たちのところへ僕たちを直接行かせて、「晩餐会の用意ができた」ことを伝えさせます。
 
「晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕(しもべ)を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた」(14章17節)。
 
通常、使いからの直接の知らせを聞いた招待客たちは、そこで招きに応じて出かけることになります。
 
この譬えでは晩餐会を主催した「ある人」(16節)は神を指します。また「盛大な晩餐会」(同)は来るべき神の国において、神の主催によって催される祝宴を意味します。
神は人を喜びの祝宴へと招きます。聖書の神は招く神なのです。
 
そして、教会で行われる日曜ごとの礼拝は、この天における本格的な祝宴を地上で味わうべく、神がキリストの名によって開催する喜びの宴なのです。
神は人を喜びの祝宴へと招いておられます。神は今日も私たちを、礼を尽くして招いてくださっているのです。
 
 
2.無礼にも神の招きを軽んじたのは、驕り高ぶった者だった
 
しかし、主人の言葉を伝達すべく招待客の許を訪れた僕たちは、「お客様に断られてしまいました」と、失望して主人の許へと帰って参ります。
 
「ところが、みんな一様に断りはじめた」(14章18節前半)。
 
 最初の招待客の断りの理由は、「土地を購入したので、現地に行って契約をしなければならなくなったから」というものでした。
 
「最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行ってみなければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った」(14章18節後半)。
 
 ほかの人たちの断りの理由は、「五対の牛を購入したので、実物をこの目で確かめたいから」ということであり、そしてもう一人は「結婚をしたので、行けなくなった、ほら、モーセ五書には新婚の夫は戦争に行かなくてもよい、とあるからお伺い出来ない」というような筋違いのものでした。宴会への出席は兵役に就くことではありません。
 
 
「ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、もう一人の人は、『わたしは妻を娶りましたので、参ることができません』と言った」(14章19、20節)。
 
三番目は「妻を娶りましたので、参ることができません」(19節)と言ったとあります。確かにモーセ五書には新婚の夫婦に対する配慮の規定があります。五書の五番目の文書、申命記です。
 
「人が新たに妻をめとった時は、戦争に出してはならない。また何の務めも負わせてはならない。その人は一年の間、束縛なく家にいて、そのめとった妻を慰めなければならない」(申命記24章5節 280p)。
 
 でもこれは兵役猶予の規定なのであって、どんなに拡大解釈をしたって、晩餐会欠席の理由にすることはできません。
 
 ビジネスも大切です。家庭も大事です。しかし、土地購入の理由も「五対の牛」(19節)の理由も、そして「妻」(20節)云々もすべて口実です。
要するに彼らは行きたくなかったのです。行く気がなかったのであれば、最初の招待に応じなければよかったのです。無礼にも程があります。
 
彼ら、無礼にも驕り高ぶって神の招きを拒んだ人々は、自らを正統と考えるユダヤ人たちを意味しました。
 
ユダヤ人はモーセによる招きには確かに応じました。
でも、二度目の招き、すなわちイエス・キリストによる招きには応じようとしなかったのです。要するに彼らは、自分たちの用件の方が常に重要だったのです。でもそれだけではありません。それ以上に彼らの心中には神への侮りがあり、自らの立場への過信がありました。
 
彼らは自分たちが神の国の晩餐に与るだけの価値を持っていると一方的に自負していたのでした。結局彼らはメシヤが主催する神の国の晩餐会に与ることはできなくなる、とイエスから宣告をされてしまいます。
 
「あなたがたに言っておくが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう」(14章24節)。
 
 
3.感謝の心で招きに応じたのは、自らを無価値とした心低き者たちだった
 
最初の招待客に出席を拒まれた家の主人は、怒り心頭に発するという思いであったのでしょう。宴会場には最初の客たちのために用意した席が余っています。
そこで家の主人は僕たちに言いつけます、「町の大通りや小道に行って、地の民として蔑まれている人々に声をかけ、晩餐会に招きなさい」と。
 
「僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここに連れてきなさい』」(14章21節)。
 
 これらの人々は民族としては同じユダヤ人であっても、正統的ユダヤ人からは「律法を弁えない罪びと、地の民」として蔑まれ、自分たち律法を遵守する選民と違って、神の国に席の用意がない、とされていた人々でした。
そういう人々をイエスは神の宴会へと招いたのでした。
 
しかし、それでも大宴会場には空席が沢山ありました。
 
「僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』」(14章22節)。
 
 そこで主人は僕に命じます、道や垣根のあたりに出ていって、そこにいる人々を手当たり次第に家に呼んできなさい、と。
 
「主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい』」(14章23節)。
 
 この「人々」(23節)とは、ユダヤ人とは血縁関係にない異邦人を指すと思われます。彼らは自分たちには無縁だと思っていた晩餐会に招かれて、天にも昇る心地であったと思われます。
こうして、アブラハムとは縁のない異邦人は、心低きがゆえに、すなわち、自分は招かれる価値のない者である、という自己認識を持っていたがゆえに、神の招きを感謝の心で喜んで受けたのでした。
 
彼らが自分たちは無価値な者であるという自己認識を持っている限り、その価値なき者に目をかけてくれたという、感謝の心から溢れる神への讃美は途絶えることがないでしょう。
 
ルカの続編の使徒行伝には、強情、高慢なユダヤ人に背を向けて、異邦人宣教へと向かうパウロの姿が描かれます。それは第一回目の長期伝道旅行の際の、「ピシデヤのアンテオケ」でのことでした。
 
「ピシデヤのアンテオケ」は現在のトルコ共和国の中部にあった町で、当時はローマ帝国アジア州とガアテア州との境界にあり、そこには大勢のユダヤ人が居住しておりました。そのため、パウロはバルナバと共にその地のユダヤ会堂(シナゴグ)に出席し、詩篇の第二篇を引用しながら、律法の遵守によっては義とされなかった者も、神が死からよみがえらせたイエスを信じる信仰によって、どんな人でも神に義とされると説いたのでした。
それは西暦四十六年あるいは四十七年のことでした。
 
しかし、この地のユダヤ人たちは会堂に集っていた多くの異邦人たちが、パウロの言葉に熱心に耳を傾けている様子に嫉妬し、イエスを冒るような表現で激しい反対論を展開したのでした。
 
「するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに激しく反対した」(使徒行伝13章45節 204p)
 
 そのため、パウロは傲慢不遜のユダヤ人たちに対して絶縁を言い渡し、今後はパウロらの語る福音に心低くして耳を傾ける異邦人たちに向かって方向転換をする旨の宣言をします。
 
「パウロとバルナバとは大胆に語った、『神の言葉は、まずあなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。…異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言葉をほめたたえてやまなかった』」(使徒行伝13章46、48節)。
 
 私たち日本人は、最初の招待客であったユダヤ人が神の招待を軽んじたために、ただただ憐れみによって「道やかきねのあたり」(23節)に佇んでいた時に、神の僕に声をかけられ、そして神との交わりという栄光ある場へと導かれた者なのかも知れません。
そういう意味でこれからも感謝の心、低き心で神の招きに応じ続けたいと思います。
 
 
日曜ごとに行われている私たちの教会における礼拝も、たといささやかなものであったとしても神が主催する宴なのです。
私たちの教会の礼拝はどちらかといいますと、「リタージカル(典礼的)」と言いまして、伝統的なかたちで進行しますが、礼拝順序にこそ意味を込めます。
 
最初に「すべての恵みの元なるみ神」を称え、次いで代々の聖徒たちに引き継がれてきた使徒信条を告白した後、イエスの弟子の徴しとして与えられた主の祈りを祈ります。
その後、讃美リード担当者が選曲、リードするワーシップ讃美を歌って、開会の祈りを神に捧げ、その後に出席者同士が握手によって挨拶を交わします。
 
説教の前には前週の説教後に歌った応答としての聖歌を、説教を思い出しつつ歌ってから、神の言葉の解き明しであるその週の説教を味わいます。
説教後の順序はすべて神からの呼び掛けに対する応答として行われます。祈り、讃美(聖歌)、献金は神の呼び掛けと恵みに対する応答、感謝、讃美として捧げられます。
 
つまり、ささやかではありますが、礼拝こそ、来たるべき神の国において開かれるメシヤの祝宴の前味を味わう機会であって、その主催者は牧師ではなく神ご自身です。
 
礼拝式は牧師が一人、獅子奮迅の働きをしても成り立つものではなく、奉仕をする方々の手助けがあって成立します。そして、それらの奉仕もまた、神への礼拝なのです。
 
英語では「礼拝」も「奉仕」も「サービス」という言葉で表現されるそうです。ですから日曜の午前の礼拝は「モーニング・サービス」ですので、米国から日本に来た旅行者が、日本では喫茶店でも礼拝をしている、と驚いたそうなのです。何しろ、ほとんどの喫茶店のメニューに「モーニング・サービス」があったからです。もちろん、それは笑い話ですが。
 
目立つ、目立たないに関係なく、教会における奉仕は神への礼拝であることを覚えて、だからこそ、一つ一つの奉仕には手抜きをしないで心を込めて行うのです。
 
でも、「私は礼拝に出席するのがやっとで、何の貢献もしていない」  と言う方がおられたら、どうぞ確認をしてください。あなたの礼拝(サービス)が神への奉仕(サービス)となっているということを。
 
ですから、他の方々のそれぞれの賜物を活かしての奉仕を感謝して受けつつも、自分の礼拝出席そのものが、実は神の目には神への奉仕として受け入れられているのだということを知っていただきたいと思うのです。
 
そして、さまざまの事情で、今は日曜日の礼拝に参加することが困難な状況にあるという方々も、日曜日、職場であるいは家で捧げる個人礼拝を、神はご自身への礼拝として受け入れていてくださり、いつの日にか、公同の礼拝に出席して、共々に神を喜び神を称える宴に同席する恵みに与る日が来ることを信じて、日々の務めに励んでいきたいと思います。
 どこにいても常に低き心そして感謝の心で神の招きに敏感な者であることを願いつつ。