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2016年2月14日日曜礼拝説教 信仰を生きた人々? 挫折の経験者だけが、神と人の役に立つ者となるーモーセは「私はあなたと共にいる」との神の言葉に促されて、解放者への道を進み始めた 出エジプト記2章14節~4勝20節 ヘブル人への手紙11章27節

16年2月14日 日曜礼拝説教

信仰を生きた人々?
 
挫折の経験者だけが、神と人の役に立つ者となる
ーモーセは「私はあなたと共にいる」との神の言葉に促されて、解放者への道を進み始めた
 
出エジプト記2章14節~4章20節 
ヘブル人への手紙11章27節

 

はじめに
 
二月十二日金曜日の四大紙朝刊の一面は、いずれも「重力波 初観測」という大見出しになっておりました。重力波と聞くとアニメフアンの場合、「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲や、ドラゴンボールの「かめはめ波」が頭に浮かんだのではないかと思います。
 
新聞報道によりますと、重力波は今からちょうど百年前に、アインシュタインが「相対性理論」の中でその存在を示したもので、このたびの米国チームによる検出は、世界初だとのことです。
今回検出された重力波とは、太陽の二十九倍と三十六倍の質量を持つブラックホール同士が、十三億年前に合体した際に生じた空間の歪みが、ちょうどさざ波のように遠くまで伝わる現象のことなのだそうです。
 
検出の意義は何かといいますと、これによって宇宙の成り立ちの解明に近づけるかも知れないとのことだそうです。それにしましても、重力波なるものの存在を、百年も前に預言していたアインシュタインの頭脳にも驚きますが、この宇宙がどうやって出来たのかという疑問を持つ時、「はじめに神は、天と地とを創造された」という創世記の一章一節を知る者であることの幸いを、改めて実感させられました。
 
宇宙物理学などの科学と、キリスト教に代表される宗教は一見、対立しているかのように思えますが、科学の発展は神の存在、とりわけ天地の創造者である神の実在を証ししてくれるように思えてなりません。
 
キリスト教神学では、自然科学が事実を積み重ねて真理に迫ることを「自然啓示」と言います。
 
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇一九篇一節 旧約聖書口語訳762p)。
 
しかし、神の事柄は「自然啓示」という間接的啓示だけで解明するには不十分です。この「自然啓示」の限界を超えさせるものが、創造者である神自身からの「直接啓示」でした。
 
古代においてはしばしば、神が選んだ者たちに対する神からの自己啓示がありました。そして、神からの啓示を受け、その啓示に促されて躊躇いつつ尻込みをしながら、神の民イスラエルの解放者としてエジプト脱出を実現した人がモーセでした。
今週の「信仰を生きた人々」の六番目はこの解放者モーセです。
 
 
1.挫折や蹉跌を経験した者だけが、神と人の役に立つ者となることができる
 
「挫(くじ)け、折れる」で挫折ですが、企図した事業や計画、試みなどが中途でだめになってしまうことを「挫折」と言います。
この挫折とよく似ている言葉が「蹉跌(さてつ)」です。「蹉」も「跌」も「つまずく」と読みます。
 
そして虐げられている同胞を見るに見かねて救済行動に出たにも関わらず、その同胞からは警戒され、当局からは指名手配されて、国外へ逃亡したのが若き日のモーセでした。
モーセについてのヘブル書の記述です。
 
「信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた」(ヘブル人への手紙11章24~26節前半 新約聖書口語訳355p)。
 
でもこの記述には少々の美化があるようで、出エジプト記の記述を読む限り、そんな格好のいいものではありませんでした。
 
ヨセフの死後、エジプトに新しい王朝が成立しました。この新しい支配者は、エジプトに定着、繁栄しているイスラエルの民を警戒し、国家的施策として彼らを奴隷として重い労役を課すと共に、助産婦に対してはヘブル人の出産に際し、女児は生かして男児は殺すようにとの命令を下したりもした程でした。
 
モーセの場合も、その誕生を隠しきれなくなった三カ月後、両親によってナイル川の辺に捨てられたところに、水浴びにきたパロの娘が拾って我が子として育てるという経緯があって、モーセは「パロの娘の子」(24節)として成人したのでした。
 
しかしある時、彼は同胞が働く現場で、同胞がエジプト人の監督から虐待されるのを見、民族の血が騒ぐあまりに、そのエジプト人監督を殺害してしまいます。
しかし、助けた筈の同胞からは、感謝されるどころか却って警戒され、結局、逃れ逃れてシナイ半島の東に辿りつき、失意のうちに現地の娘と結婚し、羊を飼う者となります。
 
「彼は言った、『だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプト人を殺したように、あなたもわたしを殺そうと思うのですか』。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに坐していた」(出エジプト記1章24、25節 旧約聖書口語訳75p)。
 
ある日、彼はホレブという山で、神の呼びかけを聞きます。
 
「モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた」(2章1節)。
 
この「神の山ホレブ」(1節)は現在のエジプト領シナイ半島にあるシナイ山のことではないかとされています。
この「ホレブ」の山で神がモーセに現われて、ご自身を「アブラハムの神」と紹介します。
 
「『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』」(2章6節前半)。
 
そして重ねて言います、「私は圧制者であるパロのもとにあなたを遣わして、イスラエルの民の解放を求めさせよう」と。
 
「いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプト人が彼らをしえたげる、しえたげを見た。さあ、わたしはあなたをつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導きださせよう」(3章9、10節)。
 
嘗て、差別され、虐待されている同胞のために立ち上がったものの、同胞からは受け入れられず、エジプトの官憲からはお尋ね者として追われる身となっていたのがモーセでした。
神はなぜ、そんな人物に白羽の矢を立てたのでしょうか。答えは一つ、神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給うお方だからです。
 
若い頃に読んで感動した、十九世紀のスイスにおいて教育者、政治家として活躍したカール・ヒルティの著作「幸福論」の、「人間知について」の中の有名な一節を思い起こします。
ヒルティは言います。
 
若い人が謙譲でなく、ただひどく自信があるばかりで、多少のはにかみさえ持たないという場合は、その人は性格的に何か欠陥があり、ほんとうの価値に乏しい人であるか、また少なくとも非常に早熟で、もはやそれ以上さきに進まない人である。
(中略)ついぞ大きな苦痛を知らず、自分の大敗北を体験せず、失意の底に沈んだことのない者はものの役に立たない。そうした人には何かせせこましさがあり、またその態度振舞には高慢にして独善、しかも不親切なところがある。そのために彼らは、ふつう彼らの大いなる誇りとする公正心にもかかわらず、神にも人間にも嫌われるのである(カール・ヒルティ著 斎藤栄治訳「幸福論?」121、2p ヒルティ著作集第二巻 白水社)。
 
人生の挫折、青春の蹉跌を経験しなかった者は、失敗者の気持ち、人の痛みを理解することが不得手になりがちなため、神と心を合わせることが難しいのです。それで神は、好んで失敗者を用いるのです。
 
ペテロも恐怖に負けて、自己保存本能が促すままに「イエスなど知らない」と言ってしまいましたし、パウロの場合もキリストの教会を激しく迫害した、という負い目がありました。いずれも挫折、蹉跌の経験者でした。
 
「神の山ホレブ」(3章1節)で燃える「しば」(2節)の中から聞こえる神の呼び掛けを聞いたモーセは、同胞救済の使命感に燃えた嘗てのモーセではありませんでした。自らの弱さ、限界を嫌と言うほど知ってしまったモーセは逡巡し、幾度となく神の要求を拒みます。
 
「モーセは神に言った、『わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか』」(3章11節)。
 
人の考える「時」と、神が認める「時」とは微妙に異なることがあります。でも、人生における失敗、挫折の経験は、決して無駄ではありません。神に見捨てられたかのように思える時も、神は見捨ててはいないのです。
 
モーセがホレブの山で神の声を聞いた時から七百年の後、高慢の鼻をへし折られたイスラエルが失意の底で出会ったのも、自らの愚かさが招いた捕囚という挫折の中にある者たちを見捨ててはいないという神、かつてホレブの山でモーセに現れてくれた神でした。
 
「人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。…主はとこしえにこのような人を捨てられないからである」(哀歌3章28、31節 1145p)。

 

2.解放者として選んだモーセに向かって、神が自身の心情と実体とを明らかにした
 
これまでにも触れてきましたが、ギリシャ人の神観とヘブライのそれとの決定的な違いは、感情の有無にあります。
論理を追求したギリシャ人は、「神は第一原因でなければならない、第一原因の資格は他からの働きかけに動かされないことである」という論理から、同情することもまたその資格を損なうと考え、その結果、神の性格から感情、情感という要素を除去してしまいました。
「神は世界を創造したけれども、その世界がどうなろうと関知しない」という無関心、無感動の神、それがギリシャの神観でした。子供は生んだけれども、あとは知らない、という親のようなものです。
 
しかし、聖書の神はその対極にある神です。アブラハムとの約束を実現するため、イスラエルの「すえを地に残すため」(創世記45章7節)に不条理な目に遭わせてまでも、罪の無いヨセフをエジプトに導きだした神は、エジプトにおけるイスラエルの「すえ」(同)に目を留め続け、その呻き、叫びを聞いているお方でした。
 
「主はまた言われた、『わたしは、エジプトにいる私の民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。…いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た』」(出エジプト記3章7、9節 76p)。
 
 神は苦しむ民の悩みを「見」(7節)、その叫びを「聞」(同)いて共感し、その苦しみを「知」(同)る情感豊かな神なのです。しかも、神は心を動かすだけでなく、民の救済のために行動する神でもあります。
 
「わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている」(3章8節)。
 
 神がご自身の心情と言葉とに責任を持つ神であることは、モーでの質問に対する自己紹介の言葉で明らかとなります。
 
「神はモーセに言われた、『わたしは、有って有る者』。また言われた、『イスラエルの人々にこう言いなさい、わたしは有る、というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」(3章14節)。
 
 神は自らの実体を「わたしは、有ってある者」(14節)、「わたしは有る」(同)というかたちで明示されました。
古来、ユダヤ学でもキリスト教神学でも、この言葉の意味を巡って侃々愕々の論議がなされてきましたが、要は、神がその愛する民から遠く離れた安全地帯に閑居しているのではなく、側近くにいつもいる、という意味だと思われます。
だからこそ、神はたじろくモーセに向かって、「わたしはあなたと共にいる」と励まします。
 
「神は言われた、『わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう』」(3章12節)。
 
 神は救済される者と共にいるだけでなく、救済のために遣わされる者とも共にいてくださる神です。それが「わたしは有る」(14節)と名乗られた神の本質でした。
 そしてその神は今や、復活のキリストにおいて私たちの守護神となってくださっています。

 

3.自信喪失状態であったモーセは、神の言葉に促されて解放者として立ち上がった
 
それでもまだ、モーセは躊躇し続けます。モーセの自信喪失状態がいかに深刻なものであるかがわかります。エジプトでの出来事はまさにトラウマとなってモーセを縮こまらせていたのでした。
挫折感に囚われていたモーセには、二つの障害を立ち塞がっていました。
 
一つは、「パロの娘の子」としてエジプトで生育したモーセに対する、民らの拒否感でした。
 
「モーセは言った、『しかし、彼らはわたしを信ぜず、またわたしの声に聞き従わないで言うでしょう』」(4章1節前半)。
 
 民は言うに違いありません、「主がお前に現われたなどというのは嘘だ、アブラハムの神が『パロの娘の子』のお前になど現れる筈がない」と。
 
「『主はあなたに現われなかった』と」(4章1節後半)。
 
 モーセの言い訳に対する神の対応を見てみましょう。神はモーセが持っている羊飼いの杖に目を向けさせます。
 
「主は彼に言われた、『あなたの手にあるそれは何か』。彼は言った、『つえです』」(4章2節)。
 
 神が言うまま、モーセが杖を地に投げると杖は蛇に変わり、その尾をモーセが掴むと、蛇は杖に戻ります(3、4節)。
私たちは今日、奇跡を行う杖を持ってはいません。しかし、杖に代わる賜物、能力、技術を与えられています。
例えば、ヨッパの弟子のドルカスは、その手にある針と糸を使い、身につけた縫物の能力を生かすことによって多くの寡婦を助けました(使徒行伝9章36節)。神は今も、「あなたの手にあるそれは何か」(2節)と問うています。
 
 もう一つ、モーセを躊躇わせたものは、弁証能力の欠如というものでした。
 
「モーセは主に言った、『ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口が重く、舌も重いのです』」(4章10節)。
 
 モーセはパロの娘として世界最高クラスの教育を授けられました。当然、弁論技術、雄弁術も身につけている筈です。ですからこの、「わたしは口が重く、舌も重い」(10節)という告白は、彼が受けた精神的、心理的ダメージの大きさを物語っているのかも知れません。 
 
 これに対して神は、「あなたが訥弁であることは十分に承知している、だから、訥弁であるあなたの協力者として弁舌に優れた実兄のアロンを選んでおいた、言葉の働きに関してはアロンが担う、あなたはあの杖をとってしるしを行い、そして民を導きなさい」と励まします。
 
「彼はあなたの口となり、あなたは彼のために神に代わるであろう。あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」(4章17節)。
 
 これらのやり取りの結果、ついにモーセは神の選びに応じる決断をし、杖を手に執って、同胞から拒否された地であるエジプト、お尋ね者の手配書がまだ残っているかも知れないエジプトの地へと出立して行くのです。
 
「モーセは手に神の杖を執った」(4章20節)。
 
 あの偉大な指導者モーセでさえも、神を散々手古摺らせたのでした。大事なことは納得が行くまで神に食い下がることです。
 そして納得が行き、また時が満ちたと思った時に、決然として立ち上がればよいのです。
 モーセの神は私たちの神です。そして私たちの神は我慢強いお方なのです。