2015年12月20日(日) クリスマスファミリー礼拝説教
キリストとの運命的な出会い?
長患いの男はベテスダの池の辺(ほとり)で、確かな希望に向かって立ち上がったー不確かな希望を後にして
ヨハネによる福音書5章1~9節前半(新約口語訳142p)
はじめに
紛争や貧困が原因ということで、中東やアフリカなどからの難民が欧州に押し寄せていますが、その難民に紛れこんで来たイスラム過激派がパリで同時多発テロを起こすなど、世界的規模での民族紛争、宗教戦争の兆しが現われ始めています。
これらの現象を受けて、未来に対する悲観的観測が目立ち始めました。確かに国と国、民族と民族、そして宗教や文化、イデオロギーの相克が原因ともいえる紛争が、この世界に絶えないのは事実です。
混乱は欧州だけに起きているのではありません。尖閣への野心、南シナ海の人工島建設、大気汚染拡大等、大陸から始まる災厄は日本、東南アジアへと及んできている昨今です。
おまけに、このたびの産経新聞元ソウル支局長の裁判の例のように、民主主義国家、法治国家とは名ばかりの半島の日本への理不尽極まる攻撃もまた、煩わしい限りではあります。
しかし、長期的に見れば、世界は確実に良くなっているといえます。それはあの二度の世界大戦を経た二十世紀と比べれば一目瞭然です。
日本に限っていっても、暮らしも含めて政治、経済、社会の状態は確実に良くなってきております。自国を悲観的、批判的に論ずる論調は後を絶ちませんが、もはや、三年以前の日本に戻りたいとは誰も思いません。それが現政権の支持率に現われていると言えます。
ただ、そういう漸進的進展の陰で、「自分はとり残されている」という思いを持つ者も決して少なくはないようです。
政治にはそういう所に佇む人に、光を当ててもらいたいと切に思うのですが、主の降誕日十二月二十五日を前にした待降節第四主日でもある本日のクリスマス礼拝では、長患いの中で不確かな希望にしがみ続けてきた男が、イエス・キリストによって確かな希望に向かって立ち上がることのできたことを取り上げたいと思います。
1.長患いの男は池の辺(ほとり)で、不確かな希望にしがみ付いていた
ヨハネの福音書の四章では、南部のユダヤを後にしたイエスの一行は、サマリヤを経て北部のガリラヤに向かっておりました。
「(イエスとイエスの一行は)ユダヤを去って、またガリラヤに行かれた」(ヨハネによる福音書5章1節 新約聖書口語訳140p)。
事実、六章はガリラヤでの出来ごとの記録です。
「そののち、イエスはガリラヤの海すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた」(6章1節)。
ところが五章の舞台はユダヤのエルサレムです。
「こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた」(5章1節)。
恐らくは五章の出来事は、ガリラヤ巡回の後の記録だと思われますが、ヨハネがこの記録をここに持って来たわけは不明です。
しかし、このエルサレムにおいてイエスは、不確かな希望にしがみ付きながら日を送っていた一人の長患いの男に、その目を留められたのでした。
場所はエルサレムの出入り口のそばにある「ベテスダの池」の回廊でした。
口語訳での「ベテスダ」は、どうやら「ベスザタ」が正しいようです。そこでこの箇所は新共同訳でお読みすることにしたいと思います。
「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(5章4節 新共同訳)。
この池、「ベテスダの池」は長さが約百メートル、横幅がその半分くらいで、四辺と真中の仕切りに回廊が設けられていて(五つの回廊)、そこには当時の医学や医療ではどうにもならないような病者や障害者が横たわっていたようなのです。
何でそこなのかと言いますと、一つの俗信、迷信が最後の希望として信じられていたからでした。
実はこの池は間歇泉で、時々底からボコボコと水が湧く現象が起こる、そしてそれは、神の使いが天から降りてきて沐浴しているからであって、その瞬間に入水した者は神の力を受けて、どんな病気も癒されるという俗信が信じられていたからでした。
そしてその回廊に、ひとりの長患いの男が体を横たえておりました。
「さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった」(5章5節)。
「三十八年の間、病気に悩んでい」(5節)たということは、彼が池の恩恵に与かって来なかったことを示します。つまり、彼は長い間、この池の周りか池にかかる回廊に横たわりながら、真っ先に池に入れば癒されるという、不確かな希望にしがみついて日を送っていたことになります。
見方を変えればこれほど残酷な望みもありません。水が動いた時に真っ先に飛び込んだ病者が元気になったり、あるいは「これで元気になる」と思い込んで、家族と共に帰宅する姿を横目で見ながら、次こそは、と思いつつ、どうせ次も無いだろうと諦めて日を送っていたことになるからです。
デンマークの思想家のキエルケゴールは、絶望というものを「死に至る病」としましたが、この病人は生きているというのは名ばかりで、実は死につつあるという状態を生きていたのだと思われます。
しかしそういう彼に、あのイエスが目を留めてくださったのでした。
2.長患いの男に池の辺(ほとり)で、神の御子のイエスから声を掛けられた
この男に目を留めたイエスは、次に声をかけられます、「治りたいのか」と。
「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に『治りたいのか』と言われた」(5章6節)。
考えて見れば奇妙ともいえる質問です。長患いで苦しんできたのだから、だからこそこの回廊に身を横たえているのだから、治りたいに決まっているじゃないか、と読者は思います。
しかし、彼の答えは「はい、私は治りたい」ではなく、その口から零れ出たものは支援の無さに対する不満でした。
「この病人はイエスに答えた、『主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りていくのです』」(5章6、7節)。
なぜ、イエスは敢えて「治りたいのか」と聞いたのでしょうか。推測ですが、彼がこの池の回廊にいるうちに、元気になって人生を再出発する、という最初の目的を忘れて、水が動いた時、とにかく真っ先に水に入ろうという一点に、関心が集中していたのではないか、と思われます。
この男にとって水に入るということは、治るための手段の筈でした。しかしいつしか手段が目的に変わってしまい、治りたいという当初の目的がどこかに行ってしまったのでしょう。
その結果、自らの不運を嘆く思い、手を貸してくれない周囲への怒り、治って回廊を後にする者への羨望など、それまでに澱のように溜まっていた思いが一気に溢れ出たのかも知れません。
イエスの「治りたいのか」という問いは、実は彼を原点に戻すための問いであったのではないでしょうか。
例えば、家族を幸せにしようと働くうちに、働くことが目的となってしまい、いつしか家族の気持ちを考えなくなってしまったとするならば、それは本末転倒ということになります。
手段はあくまでも手段であって、手段は目的を達成するためのものです。だからこそあえて彼に向って「治りたいのか」と問われたのではないかと思います。
3.長患いの男はイエスにより、池の辺(ほとり)で確かな希望に向かって立ち上がった
興味深いのは、うじうじと不満を口にする男の言葉には委細かまわず、イエスが彼に命じた言葉でした。イエスは言いました、「そこから起き上がって、藁布団を畳んで、自分の足で歩き出しなさい」と。
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』」(5章8節)。
イエスから見たこの男は、言うなれば病気であるという現状に慣れ親しんでしまっていて、治って元気になり、具体的には自分の足で立つ、というイメージをとうの昔に失っていたのでしょう。
ですからイエスは言ったのです。「私があなたを自分の足で立ち上がって歩けるようにしてあげる、だからその藁布団から抜け出して起き上がりなさい、長年親しんできたその藁布団を処分しなさい、そして足を挙げて歩き始めなさい」と。
このイエスの言葉が彼の心に届いた時、彼の中に変化が起こります。「起き上がりたい、この藁布団から抜け出したい、自分の足で力強く歩きたい」と。
治りたい、良くなりたいと自身が思わない限り、願わない限り、人は自分の足で立つことはできません。
そしてこの三十八年もの長い間、病気に悩んでいた男は、イエスの言葉を信じて起き上がろうとします。
そして変化が起きました、彼は起き上がり、彼の過去と惨めな人生を象徴する藁布団を担いで、家族がいる懐かしい我が家へと歩き出したのでした。
「すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った」(5章9節前半)」。
二千年前、この世界に来られた主イエスは、この後、十字架で刑死しました。しかし、神はイエスを死の世界からよみがえらせました。
イエスは今も見えない姿で私たちに語りかけてくださいます、「私は知っている、あなたは治りたいのだろう?元気になりたいのだろう?ならば諦めないで、『起きて、床を取りあげ、そして(自分の足で)歩きなさい』」と。
クリスマスはこのイエスの現臨を私たちが経験する機会です。そうぞ、心に主イエスの言葉をお聞きください。