2015年7月19日 日曜礼拝説教
詩篇を読む?
滅びの穴、泥の中から引き上げられたのみか、
新しい歌を、神への讃歌を口に授けられた
詩篇40篇1~11節(旧約聖書口語訳782p)
〈説教のアウトライン〉
1.原点―呻き叫ぶ声が神に聴かれ、滅びの穴、泥沼の中から引き上げられた
2.転換―新しい歌、神に捧げる讃美の歌が、呻き叫びに代えて私の口に授けられた
3.使命―神の教えを胸に刻んで、喜びのおとずれを口を閉じずに恐れず語る
はじめに
日本人が発明したり開発したりした世界的発明品は、数え切れないほどあります。
たとえば昨年の秋、三人の日本人(ひとりは米国籍)がノーベル賞の物理学賞を受賞しましたが、スウェーデン王立科学アカデミーは受賞理由を、「青色LEDを使うことにより、白色光を新しい方法で生み出すことが可能となった。LEDランプの登場を受けて、我々は従来の光源に比べて長寿命で高効率の光源を手に入れた」(日経テクノロジー)として、LEDの発明と実用化が「世界を照らす新しい光をもたらした」と称えました。
LEDは消費電力が低いため、安価な太陽光を電源として使えるようになり、これによって今まで電力の供給を受けることができなかった十五億人もの人々が、電力の恩恵に与かることができるようになるのだそうです。
もっともLEDが自転車のライトにも使われるようになったのはよいのですが、時々、不必要なまでに眩しすぎる光度と光量のライトを点灯している自転車に遭遇しますと、何とかならないものかと思ったりしますが。
ところで胃カメラが日本人医師と光学技師による、苦労に苦労を重ねての発明であることは、十数年前、NHKの「プロジェクトX」で知りました。
戦後間もなくのこと、東京大学付属病院の外科医が、胃の中を映し出すカメラを造れないものかと、現在のオリンパスの技師に相談したのがきっかけで、戦後五年しか経っていない昭和二十五年、世界で初めて、「胃カメラ」が誕生したのでした。画期的な発明、開発でした。
私も過去に二度ほどお世話になっていますが、次に世話になる時は鼻からのカメラが備えられている病院で受けたいと思っています。
胃カメラ、つまり、食道や胃などを視る「上部消化管内視鏡」は、医療にとって無くてならぬものですが、「カラオケ」もまた日本人の発明品で、今やローマ字の「KARAOKE」で世界中に広まっています。
カラオケの特徴は、これが気軽に自己を表現することが出来るツールであることと、コミュニケーションの手段として手軽であるということでしょうか。
尤も最近は、歌がうまいか下手か、ビブラートがどのくらい入っているか、楽譜通りに歌ったかどうかなどを機械が採点するのだそうですが、もしも高得点をとるために機械に合わせて歌うようになるとするならば、それは本末転倒ではないかと思ったりもします。
それでも、歌を歌いたい、でも、楽器を演奏する技術がない、身近に伴奏してくれる人もいない、という一般の人にとってカラオケの発明は、とりわけ有り難いことであるようです。
でも私たちの場合、日曜日に教会に行けば、ゴスペルやワーシップを歌い易く導いてくれる讃美リード担当者、そして正確無比なだけでなく、時にはその場の雰囲気を考慮して、臨機応変に伴奏をしてくれるピアニストの助けにより、思いのたけを神に向かって思い切り歌うことできるという特権を享受することができています。
機械が採点していたらビビるかも知れませんが、少々音痴であっても教会にはとがめる者はおりません。
どうぞこれからも教会で、歌う、ということを満喫してください。
さて、先週で「使徒信条」の講解説教が完了しました。この半年、時には理屈っぽくもなりましたが、皆さまの祈りで支えられて語り切ることができました。
最初の日に予告しましたように、「使徒信条」への取り組みが私たちひとりひとりにとって、そして教会にとって信仰の「体幹」の強化につながることを確信しております。
どうぞ折りあるごとに繰り返し繰り返し、週報に挟まれていた説教要旨やホームページの記事を読んで、神の恵みを味わい直してください。
そこでこの夏ですが、一昨年、昨年に続いて、「詩篇を読む」ことに致しました。
今週は通算十一回目として、「滅びの穴、泥の中から引き上げられたのみか、新しい歌、神への讃歌を口に授けられた」と題し、詩篇四十篇を味わいたいと思います。
1.原点―呻き叫びが神に聴かれ、滅びの穴、泥沼の中から引き上げられた
「ここから始めた」、という「原点」を持つ者は幸いな人と言えます。
その「原点」が成功体験であれば、それはそれで幸いですが、痛みを伴う出来事が「原点」であるという場合もあります。そして日本という国の場合、それは間違いなく敗戦という出来事でした。
ただ、この敗戦という出来事を利用して、「日本人は恥ずかしい歴史を持つダメな民族である」という自虐意識をこれでもかこれでもかと植え付けたのがGHQであって、これに便乗したのが大手マスコミであり、左翼思想をバックにした政党や労働組合でしたが。
それはイスラエルの民の場合、民族共同体としての「原点」は紀元前十三世紀初めの出エジプトの出来ごとであり、宗教共同体としての「原点」は紀元前六世紀のバビロン捕囚からの解放でした。
「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた」(詩篇40篇1、2節 旧約聖書口語訳782p)。
パレスチナにいた族長ヤコブ(イスラエル)とその子たちが、ヤコブの第十一子であるヨセフの信仰と才覚により、国家存亡の危機ともいうべき大飢饉に対して、ひとり泰然自若としていたエジプトに逃れて、一族の滅亡という危機を脱してから約三百年が経過した紀元前十四世紀、エジプトにとっては国家的大恩人ともいうべきヨセフを知らない王朝が台頭しました。
この結果、在エジプトのイスラエル民族は権力の簒奪を恐れた新王朝により、奴隷の境遇に落とされて、苦難の数十年が経過します。
そして、イスラエルの民の呻きに答えて、彼らをエジプトの苦役から脱出させたのが、彼らの先祖アブラハムの神でした。
神はシナイ半島、ホレブの山において、自らの胸中の思いと計画とをモーセに披歴します。
「また言われた、『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。
主はまた言われた、『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これを彼の地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地…に至らせようとしている』」(出エジプト記3章6~8節 76p)。
この「出エジプト」すなわちエジプト脱出の指導者として立てられたのが解放者「モーセ」(6節)でした。紀元前一二九〇年のことでした。
そして、これがイスラエル民族の「原点」でした。それはまさに「滅びの穴」「泥の沼」(詩篇40:2)という、「陰府」にも匹敵するような絶望状態「から引きあげ」(同)られるという経験でした。
そしてこれはまた、私たち個々人の経験でもあります。ある日ある時、福音を聞いて、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られて、キリストという堅固な「岩の上にお」(同)かれた、それが今の自分であるという経験と認識を「原点」とする者は幸いです。
2.転換―新しい歌、神に捧げる讃美の歌が、呻き叫びに代えて私の口に授けられた
歴史の転換、民族の転換が起こりました。いつ終わるとも知れない苦難と労役の中で、喘ぎ絶望していたイスラエルの民の口に、神は呻き、呟き、叫びに代えて新しい歌、神を称える讃美の歌を授けてくださったのでした。
「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた」(40篇3節)。
それはまた、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られた個々の信者の経験でもあります。
それは人生の悲哀を歌う哀歌でもなく、互いの傷を舐め合うような演歌、怨嗟に満ちた怨歌でもありません。
それはかつて歌ったことのない「新しい歌」(3節)であり、神に捧げる感謝の歌、神を称える讃美の歌でした。
この、嘗て歌ったことのないような「新しい歌」(同)は、神が「わたしの口に授け」(同)てくれる「われらの神にささげるさんびの歌」でした。
先週、東京の牛込キリスト教会の佐藤 順牧師が書いた「エルヴィス・プレスリーの真実」という伝道トラクトを、出入りの本屋さんに持ってきてもらいました。
エルヴィス・プレスリーについては以前、プレスリーが歌うゴスペル「Take my hand,precious Lord(聖歌557番 慕い奉る主なるイェスよ)」がとっても感動的であるということを紹介したことがあります(20130512日曜礼拝説教「アブラハムの妻サラは、苦い笑いを喜びの笑いへと変えられた」)。
実際、you tubeで多くの歌手の「Take my hand,precious Lord」を聴きましたが、プレスリーの歌唱ほど、心を打つものはありませんでした。
もしも比肩しうるとするならば、大衆伝道者のジミー・スワガートがピアノの弾き語りで歌うソロでしょうか。
二人とも、「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(3節)られたという個人的経験が、「神にささげるさんびの歌」(同)となって、心の底からの祈りとして歌われているのだと思いました。
この伝道トラクトには、「彼(註 エルヴィス・プレスリー)の本当の夢はゴスペル歌手になることだったことはご存知でしょうか」という書き出しで始まって、彼が子供の頃、両親と共に出席していた教会の「礼拝を抜け出しては、近所の黒人教会に行き、そこで説教とゴスペル(黒人の讃美歌)に耳を傾けてい」て、「いつか自分もプロのゴスペル歌手になるのだと決めていた」と、子供時代のプレスリーの夢が紹介されています。
なお、トラクトには「エルヴィスが育った教会」の写真が掲載されていますが、その教会の名称として「First Assembly of God Church」とありました。「Assembly of God」は「Assemblies of God」でしょうか。
米国のアッセンブリー教会は、その町で最初に始められた教会に「First(第一)」をつけるのが慣例ですが、彼が生まれたミシシッピー州テューピロの町の、彼が両親と共に通った教会というのは、私たちと同じ系列のアッセンブリーの教会ということになります。
プレスリーは一九七七年、「医師が処方した睡眠薬や鎮痛剤などを誤用し」(同トラクト)たことによって、「42歳で心臓発作により急逝」(同)しますが、トラクトの著者はそれは「過労死」であったとします。
よく、「そういう生き方をしていると、畳の上では死ねないだろう」などという言い方を聞くことがあります。しかし、どういう死に方をしたかは問題ではありません。
私が敬愛してやまなかった牧師は、風呂の湯加減を見に行って、あやまって足をすべらし、熱湯の浴槽に落ちて亡くなりましたが、生涯、忠実な聖徒として神に仕えておりました。神の報いは甚だ大きいことと思っています。
問われるのはその心がどこに、そして誰に向かっていたかということです。プレスリーの心と思いはこの世の成功や人々からの称賛にではなく、確かに神に向かっていたのだと思います。
トラクトは記します、「エルヴィス・プレスリーはその派手なイメージとは異なり、真面目で几帳面、神の御心の実現を望む、謙虚な男だった」と。
芸能界に身を置けば誘惑もまた多く、間違えることも多々あったことでしょう。しかし、「キング オブ ロックンロール」と崇められたプレスリーはある意味では、生涯にわたり罪の赦しの福音を生きたゴスペル歌手として、神から授けられた「新しい歌」(3節)、「さんびの歌を」(同)歌い続けたとも言えます。
私たちの多くは楽器を奏でる技術もなく、人前で人に聴かせるような声を持っていないかも知れません。
しかし、主から「新しい歌を」(同)心と「口に授け」(同)られ、「われらの神にささげるさんびの歌を」(同)暮らしの中に「授けられ」(同)ていることは事実です。
そして、心と口に感謝と讃美の絶えない日常は、必ずや、周囲によい影響をもたらすのです。
「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう」(40篇3節)。
3.使命―神の教えを胸に刻んで、喜びのおとずれを口を閉じずに恐れず語る
「滅びの穴から、泥の沼から引きあげ」(2節)られた者は、自らの経験を神の憐れみの証しとして語りたくなってきます。
「わたしは大いなる集会で、救いについての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。わたしはあなたの救いを心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救いとを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを大いなる集会に隠しませんでした」(40篇9、10節)。
詩篇の作者は自らが受けた「喜びのおとずれ」(9節)を「告げ示」そうとします。
「大いなる集会」(同)とは、この詩が捕囚期後のものであるならばシナゴグ(会堂)を意味するものと思われます。
つまり彼は礼拝の場において「くちびるを閉じ」(9節)ることなく、また神の恵みを「隠」(10節)したりしなかったのです。
以前もご紹介しましたが、私たちの教会の開拓時代に手伝ってくれた宣教師夫人の若い頃のエピソードです。彼女は重い病に罹り、病床で必死に癒しを祈ったところ、何と、その病が癒されたという経験をしたそうです。
「主が私の身に大いなることをしてくださった」私は機会あるごとに自らに神がなしてくれた恵みを証しし続けていました。しかしある時、「ルースはいつも同じ話しをしている」という声が耳に入ってきてしまったのです。それを聞いた時、心に恐れが来て、以来、証しができなくなり、それと共にあの喜びも薄れていってしまいました。そんなある日の集会で、「神が自分の身にしてくださったことを隠してはならない」というメッセージを聞きました。
彼女はそこで口を閉ざしていたことを悔い改め、勇気を出して再び語り始めたのです。そして、あの、失われた喜びが心いっぱいに戻ってきた、というのです。
夫人は言いました、「人が何と言おうと、主がして下さったことを語り続けてください」と。
詩人も言います、「わたしはくちびるを閉じませんでした」(9節)と。
説教をしなくてもよい、教訓を垂れなくてもよい、自分の人生に示された神の「いつくしみとまこととを」(10節)「隠」(同)さなければよいのです。
トラクトの続きです。
あるとき、テレビ伝道師の夫人から、『あなたが人生を完全に神にお委ねし、何百万もの人々を神の国に導く伝道の第一人者となるよう祈っています』と告げられた瞬間、エルヴィスの目は涙であふれます。不完全な自分をも神が赦し、受け入れてくださることを体験したのでした。そしてマネージャーの反対を押し切って、ラスベガスのホテルでのショーにまでゴスペルを持ちこんだのです。
それが神が自分に与えた「使命」であると思ったからでしょうか。神からの「使命」を認識する者は幸いです。
プレスリーがこの世を去って、間もなく四十年になります。その評価は毀誉褒貶(きよほうへん)、様々かも知れませんが、この人が生涯にわたって神を愛し、神を恐れ、神に従おうとしていたことは事実だと思います。
願わくはその生涯に新しい光が当てられて、ひとりの信仰者として生きたことが更に明らかにされていくことを心から願います。
最後にヘブル人への手紙から、アベルについて書かれている記事を読みたいと思います。
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブル人への手紙11章4節後半 新約聖書口語訳354p)。
ロックの偉大な歌手としてだけでなく、神を求め続け、神への祈りの歌、讃美の歌を歌い続けたプレスリーは既に世にありません。しかし、その「信仰によって今もなお」(4節)、神の救いを「語っている」(同)ように思えます。
私どもまた、それぞれが神から受けた恵みを「告げ示し」(40篇10節)続ける者でありたいと思います。