2015年5月31日 日曜礼拝説教
基本信条としての使徒信条?
最大の幸運それは、「聖なる公同の教会」に恵みによって加えられること
エペソ人への手紙1章22、23節(新約聖書口語訳302p)
はじめに
私どもの教会では、初心者の方々への読み物として、福音派系出版社が毎月発行するタブロイド版4ページ程の伝道新聞を購入しているのですが、六月号の一面記事に少々ひっかかる文章がありました。以下の文章です。
終戦の詔勅から十日経った八月二十六日のことです。当時の日本政府のリーダーだった東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)首相は、賀川豊彦をはじめ日本におけるキリスト教会の指導者数人とアメリカ人宣教師数人を首相官邸に招き、次のように語りました。
「わが国は、イエス・キリストの教える新しい倫理を必要としている。仏教も神道も、敵をゆるせとは教えてくれない。― 日本が復興するためには、国民生活の基礎にイエス・キリストが必要である」(レイ・ムーア編『天皇がバイブルを読んだ日』)
「天皇がバイブルを読んだ日」という一九八四年に講談社から発行された書籍には、六名の日米の学者・研究者によって、戦後の占領時代について書かれた八篇の論文が掲載されていて、編者でもあるレイ・ムーアが書いた、「神の兵士 日本をキリスト教国とするマッカーサーの試み」という第一部冒頭掲載の論文には、東久邇宮稔彦首相(当時)が上記のように語ったと記されています。
但し、「神の兵士 日本をキリスト教国とする…」というレイ・ムーアの論文によれば、それは「八月二十六日」ではなく、ダグラス・マッカーサーが占領軍最高司令官として来日した「八月三十日」よりも、そしてミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた「九月二日」よりも後の「九月二十日」なのですが。
一九四五年九月二十日、東久邇宮稔彦首相は、日本のキリスト教指導者数人と戦争中も日本に残留していた数人のアメリカ人宣教師を、首相官邸に招いた(同書 34p)。
因みに、著者の同論文は、「日本をキリスト教国にしようとしたマッカーサーのあまり知られていない運動を分析したもの」(5p「序文」)なのだそうです。
この記録が事実であるとするならば、同首相の行為と発言はとんでもないものなのです。一国の首相が特定の宗教指導者を招いて、しかも私邸などではなく「首相官邸に招い」(34p)て、その影響力を行使することを期待する意向を示したわけですから、占領下の出来ごととはいえ、今なら大問題です。
これを知ったら「極左」とされる新聞社や、「右翼」とされる新聞社なども黙ってはいないでしょうし、「信教の自由を守る」ことに命をかけている日本のキリスト教界もまた、問題にしなければ片手落ちと批判される筈です。
そんな大きな問題をはらんでいる出来ごとにも関わらず、何の疑問も持たずにこのエピソードを嬉しそうに取り上げる伝道新聞側の思考もまた不思議です。
それはともかくとして、執筆者は同書の記録を紹介したあと、、「ここで注目したいのは、『仏教も神道も敵を許せとは教えてくれない』という言葉です」として、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」というマタイ福音書五章のイエスの言葉を引用します。
確かにイエスはそのように教えもし、教えるだけでなくその教えの通りに命がけで、敵対する者たちを赦し、愛し抜きました。
しかし、「仏教も神道も敵を許せとは教えてくれない」といって、日本の伝統宗教を倫理的に低いものと見るのは、物の見方が偏っているだけでなく、それ自体、正確な認識とは言えません。
「キリスト教」という宗教は、キリストを尊び、キリストの教えを奉ずる宗教ですが、その「キリスト教」を国家の宗教として認定し、あるいはそれに準ずる宗教として受け入れている国を「キリスト教国」と言います。
では、敗色濃厚の日本の東京、大阪、名古屋、神戸などの主要都市をはじめ、百数十もの地方都市を空襲爆撃して、三十万人を超える非戦闘員の婦女子、高齢者、年少者、赤子を殺戮したのは「キリスト教国」の米国でした。
中には逃げ惑う女性や子供などを狙って機銃掃射をしたとも言われています。
絨毯爆撃で十万人以上が亡くなった東京大空襲の場合、私の父親が経営する木材問屋があった深川の木場などでは、火災を逃れて川に飛び込んだ人々が、川が焼夷弾のために煮え湯状態になっていたため、のたうち回りながら死んでいったと、子供のころに親戚から聞かされたものでした。まさに地獄絵図そのものであったということです。
また、ポツダム宣言受諾寸前の日本の状態をよく知りながら、新型爆弾の効果を試すため、広島と長崎に相次いで原爆を投下し、合わせて二十数万にのぼる無辜の一般市民を一瞬にして焼き殺した国の大統領は、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」というイエスの教えを奉ずる国民によって選ばれた「キリスト教徒」でした。
枢軸国として連合国と戦ったドイツに対し、戦争の帰趨が決まった一九四五年二月、米国と英国はドイツ東部の都市、ドレスデンを無差別爆撃しました。
爆撃は第一陣が榴弾という爆弾で建物の屋根を吹き飛ばしておいて、内部が剥き出しになったところに、第二陣が焼夷弾を落として建物を人間もろとも、焼き尽くし破壊し尽くすという、緻密に考え抜かれた残忍な作戦行動でした。
この爆撃で十万人をはるかに超えるドレスデン市民が犠牲となったとされていますが、軍事施設皆無のドレスデンは「無防備都市宣言」をしていたのですから、その残酷さは目を覆うばかりです。
そして英国もまた米国同様、「キリスト教国」であって、しかも同国の場合、たとい名目とはいえ、代々の王あるいは女王が「英国国教会(アングリカンテャーチ)」という教会の首長に就いている国なのです。
なお、首相就任から十日目(上掲論文によれば三十五日目)に、キリスト教関係者を招いて、「仏教も神道も敵を許せとは教えてくれない」と言ったとされる東久邇宮稔彦という人物は皇族の出身で、首相就任早々「一億総懺悔」なるものを説いてGHQの不評を買うなどしたため、在任僅か五十四日で首相を退任します。
しかし、日本の伝統宗教の倫理性に疑問を呈する発言をしたとされる五年後の昭和二十五年、このお方は小原唯雄という禅僧から勧められて、禅宗系の「ひがしくに教」という新宗教を始めようとしたと伝えられています。
昭和四十三年に行われた、作家の松本清張との対談で語ったというご本人の述懐が遺されています。
「あれはある人が小原唯雄という坊さんを紹介したんです。立派な禅宗の坊さんだから……と。小原はわたしに、いま終戦で日本人は精神的虚脱状態になっている。どうして生きていったらいいかわからない。だから立派な教えで世間の人たちを救うべきだ、と言いました。わたしも賛成して、小原にまかせたら、『ひがしくに教』と名をつけていろいろ宣伝して、ああいう大きなことになってしまったのです」(浅見雅男著「不思議な宮さま 東久邇宮稔彦根王の昭和史 467p 文藝春秋」)。
もっとも、これは実現しませんでした。皇籍離脱をしたとはいえ、元皇族が新興宗教の教祖になることに対して法務府(法務省の前身)が反対をし、東京都も認可をしなかったからなのですが、「仏教も神道も、敵を許せとは教えてくれない。…日本が復興するためには、国民生活の基礎にイエス・キリストが必要である」(天皇がバイブルを読んだ日)と言い切ったとされる人の信念は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか。
尤も、松本清張に対し、「あれはまったくわたしの不明のいたすところで、一生の不覚でした」とも言ったようですから(上掲書)、良く言えばフランク、厳しく言えば軽い人物だったのでしょう。
では、「敵を許せとは教えてくれない」筈の「仏教」や「神道」などの伝統宗教を奉じていた当時の日本人は、残虐極まる大空襲や原爆投下に対する怨みを高じらせて復讐の牙を研ぎ、どこかの国のように、七十年経っても、執拗に謝罪と賠償を要求しているかといいますと、そうではありません。
怨みを忘れ、過去は水に流して、敵であった国と緊密な同盟関係を結んでいるのです。
但し、どうかとは思うのですが、東京オリンピックが開催された年の一九六四年(昭和三十九年)、日本政府は東京大空襲の作戦を立案し、指揮をしたカーチス・ルメイに対し、日本の航空自衛隊の育成に貢献したという名目で、何と「勲一等旭日大綬章」を授与したのでした。
ここに至っては日本人のお人好しぶりは流石に限度を超えているとさえ思えますが、イエスの「敵を愛」せという教えを実践してきたのは欧米などの「キリスト教国」でしょうか、それとも「偶像礼拝の国」の日本でしょうか。
「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」式の我田引水的な、しかも的外れの記事は、単純なクリスチャンには受け入れられたとしても、思慮深い日本人には却ってキリスト教に対する反感を助長させることにもなりかねません。
イエスの教えを奉じている「キリスト教国」だからといって、イエスの教えを実践している国、倫理的に優れた国であるとは限らないのです。そしてそれは、「キリスト教会」も同様です。
「使徒信条」は今週から、神の第三位格である聖霊が信者にもたらす賜物についての告白表明に移ります。聖霊がもたらす賜物は五つですが、最初の賜物は「聖なる公同の教会」です。
そこで今週のタイトルは「最大の幸運それは、『聖なる公同の教会』に加えられること」としました。
「聖なる」とは何か、「公同の」とはどういう意味か、そしてそもそも「教会」とは何であるのか、ということについてご一緒に学びたいと思います。
1.「教会」は「神に召された者の集まり」「キリストの体」でとして存立している。
聖霊なる神の働きとして、「使徒信条」が最初に挙げたものが「教会」、すなわち「聖なる、公同の教会」でした。ではこの「教会」とは一体何なのでしょうか。
一般的に教会といいますと、十字架が立てられた教会堂という建物を想起します。しかし、教会堂が教会なのではありません。教会堂は教会を入れる入れ物のようなものであって、中身が「教会」なのです。
「使徒信条」の「教会」を意味するラテン語「エクレシアム」の元となったギリシャ語は「エクレシア」で、これは「エク(外へ)」と「カレオー(呼ぶ、召す)」から成っている言葉です。
その意味は「(神によって)召し出された者の集まり」であって、これを英訳したものが、私たちの教会が所属する教団の名称の「アッセンブリーズ・オブ・ゴッド」であり、それを中国語で表記したものが「神召会」です。
この、「神に召し出された者の集まり」である「教会」を「キリストの体」に喩えたのが、エペソ人への手紙の著者でした。
『そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物のかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ち満ちているものにほかならない」(エペソ人への手紙1章22、23節 新約聖書口語訳302)。
そこでは、「教会はキリストのからだであ」(23節)るということが強調されています。でも「からだ」を支配し、コントロールするものはヘッド、つまり「かしら」(22節)であって、それがイエス・キリストです。
「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。そして自らが、そのからだなる教会のかしらである」(コロサイ人への手紙1章17、18節前半 314p)。
「からだ」(18節)は多くの「肢体」、つまり器官から成っています。
「実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている」(コリント人への第一の手紙12章14節 270p)。
そして、イエスを主と告白した者は、人種、民族、国籍、性別等を超えて、「キリストのからだ」という教会を構成する「肢体」なのです。
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である」(同12章27節)。
実は、生まれながらの人間は、自分の努力やがんばりだけでは信仰を持つことがきません。それは先週教えられましたように、「助け主」である聖霊の導きが無ければ不可能なのです。
「また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」(12章3節後半)。
つまり、一人の人が「イエスは主である」と告白したということは、まさに聖霊の特別な働きの結果であると共に、聖霊によって「イエスは主である」と告白できた者は、出自も過去も関係なく、その告白の瞬間に「肢体」の一つとして、キリストを「かしら」とする「キリストのからだ」(27節)なる教会(エクレシア)の一員となっているのです。
そして、その第一号が、十字架の上で回心したあのテロリストでした。
教会はこのように、「神に呼び出され者、召し出された者たちの集まり」であると共に、「肢体」という私たち一人一人によって構成されている「キリストのからだ」なのです。
私たちは先ず、神も希望もない状態から、神により憐れみのゆえに呼び出され、召し出された者であることを覚え、同時にからだを構成する肢体のように、「キリストのからだ」に連なる肢体とされている幸福を噛みしめたいと思います。
2.キリストの体である教会は、「聖」にしてかつ「公同の教会」として一つである
ところで、「使徒信条」ラテン語原文は、教会について、「サンクタム(聖なる) エクレシアム(教会) カソリカム(公同の)」と告白します。
でも、冒頭で申し上げましたが、「キリスト教国」がそうであるように、二千年の歴史を通じて教会は、とても「聖なる」と形容できるようなものではありませんでした。
私は二十数年の間、神学校の夜間校で「教会史」という教科を受け持たされ、三年から四年に一回、通年で一世紀から二十一世紀までの教会の歴史を講じる特権を与えられておりました。
レジメは毎回作り直しましたし、相当な時間を費やしもしました。しかし、その結果、自分自身、多くの知識を蓄積する機会に恵まれることになり、それは教会における働きに十分に還元されてきました。
ただ、講義のため、改めて学び直して知ったキリスト教会の歴史の実態は、栄光や聖潔の姿ではなく、偽善と腐敗に満ちたものでした。
教会史に現われたキリスト教会、特に西洋のキリスト教会は、昨年の日曜特別礼拝でも指摘しましたように、それを奉じてきた人間の側の民族的、文化的、遺伝子的特質がブレンドされて形成されたものであって、無色透明、無味無臭どころか、キリストの香りの正反対の、悪臭を放つような有様でした。
教会の歴史は、ある意味では、正統を自負する多数派の強者が、少数派の弱者を敗者、異端者として排撃、弾圧してきた歴史であることは否定しようのない事実です。
でも、角度を変えて見れば、にも関わらず、神はなお、人間を見捨てるわけではなく、不完全な教会を忍耐を持って見守り続け、用いてきたということを実感させられた学びでもありました。
「使徒信条」は教会を「聖なる教会」と告白しますが、この「聖なる」の本来の意味は、内実を意味するというよりも、それが他のものとは「異なっている」ということを意味するものなのです。
これを、別の言葉を使えば、「取り分ける」でしょう。教会が普通の集まりと違うのは、神によって特別に、それがキリストのものとしてこの世から取り分けられた「聖なる」ものだからです。
例えば、瀬戸物屋さんから陶器を購入してきて、そのうちの一つ、あるいは一セットを大切なお客さん用に取りのけておくということがありますが、そのようなことが「聖なる」あるいは「聖とする」という意味なのです。
「教会」とは、他の集団や共同体とは異なったもの、「聖なる」ものとして他から取りのけられたがゆえに「聖なる教会」なのです。
パウロはアジア州を去るにあたって、残された集会の指導者たちに、教会とは何かということを思い出させようとします。
「聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである」(使徒行伝20章28節後半 217p)。
教会は「御子の血によってあがない取られた」(28節)「神の教会」です。神は弱さ、罪深さなどを包含したままの教会を、他とは「異なる」特別なものとして「聖」別してくれたのでした。ですから高ぶってはなりません。教会とは神の犠牲によってこの世から取り分けられた「聖」なるものです。ですから「聖なる教会」なのです。
では、「公同の教会」とは何のことでしょうか。
「公同の」のラテン語「カソリカム」は、「普遍的な」とか、「一般的な」という意味であって、その対義語が「特殊な」とか「異端的な」という言葉です。つまり、「エクレシアム カソリカム(公同の教会)」とは、正統的な教会を意味します。
だからこそペテロの後継者を自認し、地上における唯一の正統教会を自負するローマ教会は、自分たちだけが「公同の教会」であるとして、「ローマ・カソリック教会」を名乗ったのでした。
しかし、「使徒信条」をその本来の意味で認証しかつ告白しているのであれば、どんな教会でも、たといその過去に過誤が多くあったとしても、「公同の教会」なのです。
そういう意味では、教会史における西洋教会もまた、「カソリック教会」であり、東洋の一角に位置する私たちの教会も、キリストを基とするただ一つの「聖なる公同の教会」「カソリック教会」に属しているといえます。
その、神によって「聖」とされ、かつ神から教えの面においてまさしく正統的な「公同の教会」すなわち、「聖なる公同の教会」に、憐れみによって加えられていることこそ、最大の幸運といえるのではないでしょうか。
3.「聖なる公同の教会」は、地上にあっては「制度的教会」として使命を果たす
私たちは誰であっても、この世に誕生すると、役場に出生届が出され、入籍手続きが行われます。手続きが完了すれば親の戸籍に入籍し、晴れて日本国の一員になり、これによって国の法律の下に置かれ、同時に国、地方自治体の保護と福祉を受けることもできるようになります。
しかし、手続きをしなければどうなるかといいますと無国籍扱いとなり、法律上の権利を行使することができなくなります。
ついでに言いますと、よくテレビなどで芸能人が、「わたしたち、入籍しました」なる報告をしている場面を見ることがありますが、「入籍」というのは既にある戸籍に入ることを意味します。
しかし、戦後の民法では結婚は、既存の戸籍に入るのではなく、届け出によって新しい戸籍が作られるですから、「入籍しました」は間違いです。ただ、「結婚しました」と言えばいいのです。
ついでのついでに触れますと、日本の結婚制度はあくまでも「法律婚」が基本です。最近は役場に届けないで同居生活をするカップルが出てきて、それを「事実婚」などと言ったりします。しかし、弱者を守るために制定されたものが法律です。
そして女性が強くなったといっても社会的にはまだまだ女性は分の悪い弱者であって、「事実婚」などというのは強者である男性にとって都合のよいシステムなのです。
そういう意味では、法律によって保護され、権利を主張することができる「法律婚」の価値をもっと認識をする必要があると思います。
少し、話しが脱線しましたが、法整備というものは、人を束縛するものではなく、弱い立場の者を守るためになされるものなのです。
そして、それと同じように、たとい神の恵みによって神の子という立場を与えられてはいても、人というものが地上的存在である以上、ひとりで健全な信仰を保持することは困難です。
そこで神は、私たち弱さを持つ信者のために、「公同の教会」を目に見える地上における「制度的教会」として設けられました。それが、「○○教会」「○○集会」という名称の地域教会です。
私たちはみな、ある日ある時、「イエスは主である」という告白によって、ただ一つの「聖なる公同の(カソリック)教会」の構成員にしてもらうと共に、地域の「制度的教会」の一員となって、教会の「かしら」なる主に仕え、また主の保護下に入るのです。
「制度的教会」の「制度」の原語のギリシャ語「タッソー」には、「隊列を整える」という意味があります。
古代のキリスト教会は自分たちの使命を、失われた魂を悪の支配から奪還する共同体として位置付けていたようですが、そういう意味から洗礼式は、キリストの軍隊への栄光溢れる入隊式にも擬せられていたとされています。
つまり、戦闘地域か後方支援かの違いはあっても、皆がキリストの兵士であるとの自覚のもとにいたわけです。
勿論、それは強制でもなければ徴兵でもありません。自由意志を尊重する志願制です。ボランティアの本来の意味は志願兵です。
そして、たとい特定の教団、教派に属していない単立教会であったとしても、神はその教会には、羊の群れを御言葉によって養い、導く者として「牧師、教師」を立てられました。
その「牧師、教師」が神によって立てられた者かどうかを客観的に判断するために設けられたのが「制度的教会」における「教職制度」でした。
「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者と、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさえ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致とに到達し、全(まった)き人となり、ついに、キリストの満ち満ちた徳の高さにまで至るためである」(エペソ人への手紙4章11~13節 304p)。
ここにある「伝道者」(11節)とは、任地を持たずに巡回伝道に従事する者のことでしょう。しかし今は、「使徒」(同)も「預言者」(同)もいません。
時々、「使徒」や「預言者」を名乗る者が出てきますが、信用してはなりません。インチキか、さもなければ本人や周囲が勝手にそう思い込んでいるだけです。
すなわち、「神が御子の血であがない取られた神の教会」(使徒行伝20:28)に所属する「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだ(なる教会)を建てさせ」(12節)るために、今もなお、神が「お立てにな」(11節)っているもの、それが「牧師、教師」(同)です。
この「牧師、教師」は、ご自身の大事な羊を守るように、とりわけ、狼や泥棒などの外敵から羊を守るようにと、神から任命されているのです。
日本には内村鑑三に代表される「無教会」というユニークな教会がありますが、これは正確には、制度を否定した「無制度的教会」のことです。
このグループには教職制度がありません。聖書を解き明かす指導者はいますが、いわゆる「職業牧師」ではありません。
彼らは自前の教会堂を持ちません。ですから集会は地域の会館等を借りて行っています。