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2015年3月22日日曜礼拝説教 基本信条としての使徒信条? 陰府からよみがえったキリストが「天に昇」ったのは、愛する者たちと共におるためであった 使徒行伝1章6~11節

15年3月22日 日曜礼拝説教 

基本信条としての使徒信条?
 
陰府からよみがえったキリストが「天にのぼ」ったのは、愛する者たちと共におるためであった
 
使徒行伝1章6~11節(新約聖書口語訳180p)
 
 
はじめに
 
先日、久し振りに東海道新幹線に乗りました。その日はちょうど、最高時速が二十三年ぶりに、それまでの270?から15?上がって285?になった日だとかで、そう言えばどこだったかを走っている時、「ただ今、時速285?で走行中」とかいった車内放送が流れていましたが。
これで、東京駅と新大阪駅間の所要時間が三分間ほど、短縮されることになったそうです。
 
ところで五月には、二重行政の解消を謳った「大阪都構想」なるものの是非を問う住民投票が大阪市民を対象にして行われることになりました。
現在の二十いくつかある市の行政区を五つの特別区に改編して、行政と財政の効率化を図るのだそうです。
それはそれで結構なことですが、なぜわざわざ「都」をつけて「大阪都」という呼称にしようとするかが、さっぱりわかりません。
 
そもそも「都(みやこ)」とは「宮処」を意味しました。「宮処」とは「みやどころ」であって、それが「みやこ」になったのですが、「宮処」とはもともと、天子様のおわすところ、つまり天皇の宮殿を指し、やがて国の中心地、首都を意味するようになりました。ですから「東京都」というわけです。
 
大阪は首都でもなければ天皇が居住する宮城(きゅうじょう)があるわけでもないのに、何で「大阪都」としなければならないのか、大阪市を改編するにしても、それはそれで大阪府のままではなぜいけないのかが今ひとつ不明です。
 
日本の中心は何と言いましても東京です。それは鉄道の「上り下り」の表示が東京を起点としていることでもわかります。
開通したばかりの北陸新幹線も金沢行きは「下り」で、東京行きが「上り」です。それは東海道新幹線も東北新幹線も同じです。
 
かつて、都と言えば京都でした。関東は東胡(あずまえびす)と言って卑しめられました。ですから誇り高い京都人は、東京に行くことを「東(あずま)に下る」と言い、京都に行くことを「京(みやこ)へ上る」あるいは「上洛する」と言ったとか。
因みに「洛」は京の都のことですが、中国の大都市であった洛陽への憧れから呼ばれたもののようです。
 
ところで「使徒信条」は、死者の世界である陰府と、そして密閉されていた筈の墓から死後、「三日目によみがえ」った主イエスについて、「(主は)天にのぼり、全能の父なる神の右に坐したまえり」と告白します。
 
そこで今週は、陰府にまで降下したキリストが死者の世界からよみがえった後、地上にとどまらないで「天にのぼ」った理由とその意義とをご一緒に考えることにより、神が私たち人間に払っておられる深い配慮に思いを馳せたいと思います。
 
タイトルは「復活のキリストが『天に昇』ったのは、愛する者と共におるためであった」です。
 
 
1.キリストは「天に昇」ったことによって、偏在の神へと戻られた
 
 イエス・キリストの復活から昇天までの出来事を詳細に記しているのがルカ文書です。
 マタイには昇天の模様の記録はありませんし、マルコの場合は、昇天を含めた復活後について書かれている部分(16章9~20節)が、信頼できる聖書写本にないことから、ほんとうにマルコが書いたかどかについては疑問があるとされています。
 
 ルカ文書の前篇であるルカ福音書の方も、イエスの昇天に関する部分は亀甲括弧(きっこうかっこ)で括られています。
 
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。
祝福しておられるうちに、彼らを離れて、〔天にあげられた。〕」(ルカによる福音書24章50、51節 新約聖書口語訳134p)。
 
 ところが何年か後に、同じルカの手によって書かれた後篇の使徒行伝の方では、昇天の場所もオリブ山と明記され、昇天の描写の方も詳細になってきています。
 
「こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
…それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った」(使徒行伝1章9、12節 180p)。
 
 同じ著者なのに、と思うのですが、使徒行伝を執筆する段階で、新しい資料、伝承が見つかったかしたのかも知れません。
 
 ルカは使徒行伝一章においては、復活したキリストが昇天までの四十日の間、しばしば、弟子たちの前に姿を現わしては、教え続けたと書いています。
 
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現われて、神の国のことを語られた」(1章3節)。
 
 ここに「四十日にわたって」(3節)とあることから、四世紀の教会はこれを文字通りにとって、復活の日から四十日後となる六週間目の木曜日をキリストの「昇天日」と定めたのでした。
 
 ただし、聖書における「四十日」は、
 
ノアの洪水(創世記7章12、14節)、
モーセのシナイ山における十戒授与(出エジプト記24章18節)、
預言者エリヤの逃避行(列王記上19章8節)、
イエスの荒野における断食(マルコによる福音書1章13節)
 
などに出てきますが、これらは「四十日」間というきっちりした期間を指すというよりも、相当な長期間を表す際に用いられた象徴的な意味での日数と考えられます。
 
でも、古代の教会はこれを文字通りにとった結果、教会暦においては、今年のキリスト昇天日は、五月二十四日の木曜日ということになっています。
 
ところで、復活したイエス・キリストが昇天をしたという事実が物語ることそれは、人であったイエスが、それまで封印していた神の尊い独り子という立場に戻ったことを意味します。
 
ということは、イエスがもう一度、神の属性としての能力を帯びることとなったということなのですが、とりわけ、地上を生きる私たちとの関連でいえば、イエスが「偏在(へんざい)」という神の属性を再び帯びることになったということが重要です。
 
「偏在」とは書いて字の如しで、「遍(あまね)く在(あ)る」ということですから、昇天後のキリストは、地上を生きる者、時には地を這いまわるような日々を生きる者の傍らにも常におられる、ということになるのです。
勿論、肉眼で見ることはできませんし、肉声を聞くこともできません。「天」と「地」では次元が異なるからです。
 
でも、人によっては、復活のキリストが天に昇ったりしないで、よみがえりの体を持ったままでこの地上にいてくれれば、どれほどに心強いことかと思うかも知れません。
しかし、イエスが「天」に昇ったからこそ、神の住まうところの「天」は、地上を生きる私たちの傍らに広がることとなったのです。
 
古代の人々は、「天」は人が住む大地の上方、青空の彼方にあると信じておりました。しかし、神の住まう「天」と人が住む「地」とは、次元が異なるだけであって、近接をしているともいえます。
 
イエスが昇天したということは人間にとって、とりわけ信者にとって「天」が身近なものとなり、同時にイエスが傍近くにいてくれることを信じさせるものとなったのです。
 
「主は近い」(ピリピ人への手紙4章5節後半 312p)。
 
 これを新共同訳は分かり易く、「主は近くにおられます」と訳しました。そうです。死の世界からよみがえったキリストは、偏在の神として、信じる者のすぐ近くに常にいてくださるのです。
 キリストが天に昇ったのは、御自身が愛してやまない私たちと共におるためであったとも言えます。
 
 私の妻の従弟は僧侶で、五年前から京都東山にある、紅葉で知られる永観堂という寺の管長を勤めています。
 
 その永観堂は紅葉の他にも「みかえり阿弥陀」という伝承があることで知られています。
永観堂の正式名称は禅林寺だそうですが、その伝承は永観堂という通称のもととなった永観(ようかん/えいかん)という僧にまつわるものです。
永観堂のホームページから引用します。
 
永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払曉(ふつぎょう)、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正坐し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道(ぎょうどう)していた。
すると突然、須弥壇(しゅみだん)に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。
 
この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀像は今にその尊容を伝えると言われている(永観堂ホームページ「みかえり阿弥陀さま 『永観、おそし』」より)。
 
 「永観、おそし」は決して叱責などではなく、「立ち止まることなく、共に行こう」という阿弥陀如来の呼びかけでしょう。
 私たちもこの人生、ときには戸惑い、時には行き詰まり、道に行き暮れる時があるかも知れません。
 
また、その歩みがともすれば遅れがちになるかも知れません。「これではだめだ」と自らを叱咤鼓舞しても、歩みは遅くなるばかり、他の人にとって足手まといになるのではないかと恐れる場合もあります。
 
 しかし、我らの主なるキリストは、時には先導し、時には傍らを歩み、時には後ろから支えてくださるため、弱さを託(かこ)つ私たちのために、一たび、天へと昇られ、そして偏在の神に戻ってくださったのでした。
 
 私たちの前を先導しつつ、後ろを進む私たちを案じてふりかえり、慈愛を込めて「○○、遅し」と声をかけてくださるお方、それが今も生きていて、偏在の神として共にあるイエス・キリストです。
まことに心強いことです。天に昇られた主はどんな時も、あなたの「すぐ近くにおられ」るのです。
 
 
2.キリストが「天にのぼ」られたのは、もう一人の助け主を地上に送るためであった
 
キリストの昇天によって、神の住まいである「天」は、空間的な意味での高き雲の上にではなく、人間が呼べばすぐに反応し、手を伸ばせばたちどころに届くようなところにあるものとなりました。
 
復活のキリストがオリブ山から昇天する際の描写として、ルカは、イエスは「雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」と書いています(使徒行伝1章9節)。
 
「雲」を地学では、大気中の水の滴や氷の結晶を表すものを意味しますが、弟子たちが見た「雲」は自然現象としての雲とは違い、神の栄光、神の臨在を示す現象のことでした。
ソロモンによって建立された神殿の奥にある本殿に契約の箱が搬入された際にも「雲」が神殿に満ちたという記録があります。
 
「そして祭司たちが聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである」(列王紀上8章10、11節 488p)。
 
使徒行伝は、イエスが「天」に帰った際に起きた事象を、その場にいた弟子たちの体験として伝えています。使徒たちの感覚ではイエスがあたかも「雲に迎えられて」(9節)「天にあげられ」(同)たように見えたのでしょう。
 
この「オリブ山」(12節)から「天に上げられ」(9節)たイエスは生前、ご自分が取り去られること、そして天に帰ることによって、ご自分に代るもう一人の助け主が到来することを告げておりました。神の御霊、聖霊です。
 
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせてくださるであろう。それは真理の御霊である」(ヨハネによる福音書14章16、17節前半 165p)。
 
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。」(ヨハネによる福音書14章26節)。
 
聖霊につきましては、使徒信条の第三条を取り上げる際に改めて詳しく解説したいと思いますが、聖霊はイエスに代る「もうひとりの助け主」(16節 新改訳)として、在天の父なる神と、昇天したイエスとによって天から送られた神、第三位格の神でした。
 
「助け主」(16節)とは傍で慰め、励まし、弁護する者という意味であって、一つは「真理の御霊」(17節)という紹介のように、イエス・キリストという「真理」を、そして聖書という「真理」の言葉を分かり易く教え諭してくれるお方です。
 
また聖霊は、昇天の直前にイエスが約束したように、キリストの証人としての力を弟子たちに与える神の霊でもありました。
 
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)。
 
そして復活から五十日目、昇天から十日目の「五旬節」という祭の日、ギリシャ語で「ペンテコステ」の日に、約束の通り、聖霊が地上の教会に傾注されたのでした。
 
「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っていた家いっぱいに響きわたった」(2章1、2節)。
 
専門的な用語を使えば、昇天したキリストとキリストが地上に遣わした聖霊、そして「イエスは主なり」と告白した時に、信じる者の内に住みたもうた聖霊とは、相互に内在しています。つまりキリストは聖霊において、信者の内に住んでいてくださるのです。
 
 
3.キリストが「天にのぼ」られたのは、信者の住まいを天に備えるためであった
 
 そしてもう一つ、キリストが「天にのぼ」(使徒信条第二条)られたのは、ご自身を信じる者たちのために、天に永遠の住まいを準備するためでした。
 
 ヨハネによる福音書には、いわゆる最後の晩餐、実際には過越の食事の席上、イエスの言動に不安を感じる弟子たちに対してイエスが語った希望の言葉が遺されています。
 
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(ヨハネによる福音書14章1~3節)。
 
 イエスが昇天したのは、ご自身を信じる忠実な人々のために、その住まいを神のいます天に備えるためでもありました。
 天にある永遠の住まいという望みがあるからこそ、理不尽なことが罷り通る地上にあっても、日々のせちがらい暮らしを耐えることができ、耐え難い試練の数々を乗り越えることができるのです。
 
この望みがキリストを信じる者たちの力の源泉の一つでもあって、それを自らの生き方で例証した人物のひとりが、一昨年の一月から七月にかけて取り上げた信仰の祖、アブラハムでした。
 
「彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
…これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
…事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである」(ヘブル人への手紙11章10、13、16節 355p)。
 
 地上の「都」は遷都をしたり、時には消滅の憂き目に遭うこともあります。
しかし、神によって「ゆるがぬ土台の上に建てられた」(10節)天の「都」は永遠であり、そこには人間でしかない天子様ならぬ、尊い神の御子が主として、そして圧倒的な守護者として君臨しておられるのです。
 
この「都」の存在をより明らかにし、現実のものとしたのがキリスト昇天の事実でした。そこに私たちの揺るがぬ希望、支えがあるのです。