2015年2月1日 日曜礼拝説教
基本信条としての使徒信条?
「イエスは我らの主なるキリスト、神の独り子と信ず」と人が告白することこそ、神の夢、神の喜び
ピリピ人への手紙2章6~11節(新約聖書口語訳309p)
はじめに
一月半ばの土曜日昼に放映された、政権党の官房長官が出演したテレビ東京の番組で、夢の有無についての調査が発表されていました。
インターネットを使ったこの調査においては、対象の二十歳以上の男女が、「夢がありますか」という問いに対して、72、6%が「ある」と答え、27、4%が「ない」と答えていました。
番組ではキャスターも官房長官さんも、「ある」が意外に高かったと驚いてはいましたが、「ある」とした人たちの「夢」の内容が、「やりたい仕事がある」「仕事の成功」「結婚」「子供を産む」「マイホーム」「安定」「金持ち」「宝くじを当てたい」「国内外の旅行」というものだったのです。
確かに「ない」よりは「ある」方がよいかも知れません。しかし、答えに上がった「夢」は、当面の目標とでもいうべきものではないか、しかもそれらのほとんどが個人的な願望や欲望の達成を「夢」と言っているわけであって、改めてそういう時代なのかと思わせられました。
でも、繰り返しますが、小さくても「ない」よりは「ある」方がよいのでしょう。願わくはその「夢」がもう少しだけ、個人の枠から外へと向かっていくものでありますように。
同じ人たちを対象にしたと思われるもう一つのアンケート結果も発表されました。
それは「戦争」についての問いであって、結果は「国際協調のために戦争が必要な場合もある」が9、8%、「日本を存立させるためなら戦争もやむを得ない」が13%、「どんな場合にも戦争をしてはならない」が72,2%、「その他」が5%でした。
「集団的自衛権」の行使についての賛否は二分されてはいます。でも、日本は過去の「解釈改憲」の結果、「個別的自衛権」つまり、日本は「他国から武力攻撃を受けた場合には、武力という実力を以てこれを排撃する権利を持っている」という、自衛のための戦争は可能であるという憲法解釈、に関しては統一見解になっているのですが、「どんな場合にも戦争をしてはならない」ということになりますと、自衛のための戦争も「してはならない」ことになるわけです。
たとえば隣国が「イスラム国」のような暴虐な国であって、武力を以て一方的に攻め込んできたとしても、あるいはミサイルを撃ち込んできても、ただ避難するだけ、最悪の場合、侵略をされ、領土を奪われても抵抗はせず、支配に服するだけということになるわけですが、それでも「どんな場合にも戦争はしてはならない」というのであれば、その根底には国がどうなろうと国民がどうなろうと我が身が安全でさえあればそれでよい、という考えがあることになってしまいます。
「夢」のアンケートといい、「戦争」についてのアンケートといい、そこには自分だけの幸福、自分だけの安全という自己中心性が見られるような気がして、いい悪い以前に、何とも物悲しい気分になってしまいました。
「夢」と言いますと頭に浮かぶのが米国における公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の演説です。
彼は一九六三年八月二十八日に行われたワシントン大行進において、「私には夢がある」という有名な演説を致しました。
私には夢がある。それは、いつの日にか、ジョージア(州)の赤い(土の)丘の上で、かつて奴隷であった者の子孫と奴隷所有者であった者の子孫とが、兄弟として食卓を共にするということである。
私には夢がある。それは、いつの日にか、私の四人のちいさな子供たちが肌の色によってではなく、彼らの人間性のよしあしで評価される国に住むということである。
彼はこの演説の中で何と八回も「私には夢がある(アイ ハブ ア ドリーム)」を繰り返しました。
しかし、五年後の一九六八年四月、キング牧師はテネシー州メンフィスで凶弾に倒れました。享年四十でした。因みにメンフィスはエルビス・プレスリーが十代の頃に育った町です。
キング牧師が「私には夢がある」と叫んだその五十一年後の昨年の夏、ミズーリ州ファーガソンで、十八歳の黒人の少年が白人警官から六発の銃弾を受けて射殺されるという事件が起こりました。
これを受けた大陪審が白人警官を不起訴としたため、それを理不尽とする抗議デモが全米で起こりましたが、米国においては依然として黒人差別が根深く残っていることを改めて思い知らされる事件とその経緯でした。
しかし、キング牧師の描いた「夢」は米国において、紆余曲折を経ながら、蕾がふくらむように少しずつではあっても、実現していることは確かです。
先週の水曜日一月二十八日、米国南部サウスカロライナ州の裁判所は、一九六一年に不法侵入で逮捕され、三十日間の禁錮刑を受けた黒人九人の判決取り消しを言い渡しました。
罪状は彼らが雑貨店内の白人専用のランチカウンターに座ったからというものでした。彼らの大半は地元のフレンドシップ・ジュニア・カレッジの学生であったことから「フレンドシップ・ナイン」と呼ばれたそうです。
新聞報道によりますと、判決無効を言い渡した判事は、有罪を言い渡した判事の甥であったということでした。何とも粋な計らいです。
人種差別は依然として残ってはいます。しかし米国は確実に変化しております。キング牧師が持った「夢」は、実現しつつあるのです。
実は「天地の造り主、全能の父なる神」もまた、遠大な「夢」を抱き、その「夢」の実現に向かってその尊いエネルギーを費やしてくださったのでした。
遥か昔、神が創造の冠として地上に生み出した人類の祖は、神との約束を破った結果、神により楽園を追放されました。
でも、失敗者である人類を見捨てるには、神は余りにも憐れみに満ち、恵みに富むお方でした。
その結果、神が描いた「夢」が人類の救済であって、具体的には人類の罪を処分して、今一度、神との平和の関係に導き戻すこと、神と罪びととが「同じ食卓に着く」という願いであったのです。
そしてそのために選ばれたのが神の御子でした。「天地の造り主、全能の父なる神」(第一条)は、「その独り子」を人の子として地上に送ることによって、罪深き存在である「人」が、聖なる「神」と和合する道を設けさせたのでした。
今週から「使徒信条」の第二条に入りますが、第二条のラテン語原文は
「(我は信ず)イエス・キリストを 神の唯一の子を 我らの主を」
です。
そこで「イエス・キリスト」「神の独り子」「我らの主」の順序で、神の「夢」の実現のため、自発的に自らを捧げた神の御子について学びたいと思います。
1.我はナザレのイエスをメシヤ・キリストと信ず
「使徒信条」の第二条は、信仰の対象としての「イエス・キリスト」について告白します。
つまり、「(我は信ず)イエス・キリストを」と。
最初に、「イエス・キリスト」とは何か、あるいは誰か、ということについてご説明したいと思います。
「イエス・キリスト」の「イエス」はヘブライ語の「ヨシュア」のギリシャ語化した形で、「ヨシュア」には「ヤハウェは救いである」という意味があるそうです。
この「イエス」という名前はユダヤ人の間では一般的なものであって、先々週の説教でも紹介した、旧約外典「ベン・シラの知恵」の著者の名前も「イエス」でした。
では「キリスト」は何かということですが、これは氏や姓(かばね)ではありません。
「姓名」と言いますように日本ではたとえば「安倍晋三」と、「姓」が先にきますが、欧米では「バラク・オバマ」というように「バラク」という個人名が先で、「オバマ」というファミリーネームが後になります。
だから「イエス・キリスト」もきっと、「キリスト」家の「イエス」だろうと思ってしまうのですがそうではないのです。
ユダヤ人にはファミリーネームはありません。そのかわり、父親の名前を使って「ベン・○○(○○の子)誰それ」と呼んだのです。
マリヤが産む男の子を「イエス」と名づけよとマリヤの結婚相手ヨセフに指示したのは天からの御使いでした。
「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのものもろの罪から救う者となるからである」(マタイによる福音書1章22節 新約聖書黄口語訳1p)。
神により、幼子の養父として選ばれたヨセフは、指示された通りに「イエス」と命名しました。
「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた」(1章24、25節)。
では「キリスト」は何かと言いますと、これはヘブル語「メシヤ」のギリシャ語訳であって、本来は「あぶらを注がれた者」という意味でした。
「あぶら」と言いましても揚げ物に使うような「油」ではなく、貴重な植物から採取してつくる上等な、香り豊かな「香油」のことです。
古代のヘブルでは、神の特別な任務に就く者、たとえば預言者、祭司、王などの就任における儀式として、頭に香油を注いで就任式を行いました。
そしてこのように正規に香油を注がれた者を、「あぶら注がれた者」「メシヤ」と呼んだのです。
つまり「メシヤ」または「キリスト」は、もともとは神によって特別の職務に任じられた者を意味しました。
しかし、やがてメシヤの中のメシヤ、「ザ・メシヤ」とでもいうべき究極的救世主としての「メシヤ待望」がイスラエルに起こってきました。
その根拠は統一イスラエルの初代の王であったダビデに与えられた神からの約束でした。
「主はわが主に言われる、『わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に坐せよ』と」(詩篇110篇1節 旧約聖書口語訳848p)。
ユダヤ人はこの章句をダビデ自身の体験として信じていました。そして聖霊降臨の騒ぎの際にシモン・ペテロが、引用した言葉がこれだったのです。
「ダビデが天に上ったのではない。彼自身はこう言っている、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足台にするまでは、わたしの右に坐していなさい』」(使徒行伝2章34節 183p)。
ダビデが「わが主」(34節)と呼んだ者こそ、神が遣わすあぶら注がれたメシヤ、究極のメシヤであって、そのメシヤ・キリストこそ、最高法院サンヒドリンが神を穢す者という汚名を着せて十字架につけたナザレのイエスなのだとペテロが宣言したのでした。
「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」(2章36節)。
使徒信条の第二条の「(我は信ず)イエス・キリストを」という告白は、「イエスこそ、私を救うため、神が遣わした救世主メシヤ・キリストです」という、驚天動地の告白なのです。
神にも見捨てられたか思っていた者たちが、神の救いに与かって、「イエスはキリスト」と告白するに至ること、それが、神の抱いた遠大な「夢」であったわけです。
2.我はイエス・キリストを神の独り子として信ず
では、「キリスト」である「イエス」は誰なのか、と言いますと、使徒信条は告白します、「イエス・キリスト」は神の唯一の子、つまり、「天地の造り主、全能の父なる神」(第一条)の「独り子」である、と。
実は古代のキリスト教会において、イエスはキリストと信じる人々の中でも、イエスが神の子であるということを否定する教説が二つ存在しました。
いずれも神は一人である、という立場を擁護するための真摯な動機から生まれた教説なのですが、異端説として退けられています。
一つは「養子論」と言われるものです。
これは、「イエスはあくまでも人間であるが、神の力(デュナミス)、あるいは流出(エマーション)を受けて神の子とされたと主張するもので、具体的にはイエスがバプテスマのヨハネから洗礼を授けられた際に、神の霊を受けて、神の子、つまり神の養子にされたのだ」とする説です。
その根拠とされる箇所を読んでみましょう。
「イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』。」(マタイによる福音書3章16、17節)。
ついでに言いますと、この立場では、「イエスに宿ったこの力(聖霊)は、イエスが十字架上で事切れる際に、イエスの中から出て行った、だからイエスは人間として死んだのだ」と説く場合もあります。
それを裏付けるものが次の聖句だといいます。
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終わった』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(ヨハネによる福音書19章30節 175p)。
日本語訳は「イエスは…首をたれて息をひきとられた」(30節)と訳しましたが、それは日本人読者のためであって、原語を直訳しますと、「イエスは…首をたれて息を吐き出した」となります。
ユダヤ人は、死とは内なる命の息が外に吐き出された時に訪れると考えていたからです。
それで養子論者は「息を吐き出した」、「息」は「霊」だ、だから死ぬ寸前のイエスから聖霊、あるいは神のロゴスが出て行ったのだと考えたわけです。
もう一つの異説は四世紀のはじめに、エジプトのアレキサンドリアの司祭であったアレイオスによって説かれたもので、歴史的には「アレイオス論争」として有名です。因みに「アレイオス」はギリシャ語読みで、一般的にはラテン語読みの「アリウス」として知られています。
アレイオス(アリウス)は三つのことを主張しました。
一つは「神だけが神であり、キリストは従位の造られた神である」、二つ目は「超越の神、至高の神が受肉することはありえない」、そして三つ目が「キリストは神そのものではなく、また人そのものでもない、中間的な一被造物であって、神と人とを仲介する神である」でした。
ゆえに「子と神とは異質的(ヘテロウーシオス)であり、同質(ホモウーシオス)ではなく、むしろ同類(ホモイウーシオス)である」としたのです。
さらにアレイオスは「子は存在しなかった時があり(有始性)、無から存在するようになった(被造性)」という考えを主張しました。
この論争はギリシャ語のアルファベット「イオータ(ι)」の有無をめぐるものでもあったことから、「イオータ論争」として有名となりました。
つまり、「イオータ」を入れて「ホモイウーシオス」とすれば「同類」に、しかし、これを取って「ホモウーシオス」とすれば「同質」ということになるからです。
日本人の宗教感覚では「同類」を唱えたアレイオスの方に分があるように思われるかもしれませんが、しかし、イエスが父なる神と「同質」の神であるからこそ、「その独り子」なのです。
長い論争の結果、この教義は三八一年のコンスタンティノポリス総会議において異端として排撃されましたが、一時、大きな影響力を振るいました。
でも、教会会議の決定がどうであれ、イエスは永遠の昔から神の子であり、神の唯一の子(第二条原文)であったのでした。
「キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕(しもべ)のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピリピ人への手紙2章6~8節 309p)。
この聖句については過去の礼拝説教をそのまま引用したいと思います。
二〇〇九年十月二十五日の説教です。
「キリストは神のかたちであられた」(6節)とパウロは言います。「かたち」とは何か。英国の聖書学者でギリシャ語の権威であったウィリアム・バークレーによると、「かたち(フォーム)」にあたるギリシャ語には二つあって、一つは「モルフェー」で、もう一つは「スケーマーであり、「モルフェー」は変化しない本質を意味し、「スケーマー」は時間や環境によって変化する外側の「かたち」を指すのだということです。
たとえば当教会の牧師は「モルフェー」としては年がいくつになっても人類ですが、外側の「スケーマー」は子供、青年、中年と変化してきて、今は老人という範疇に入れられます。
パウロが「キリストは神のかたちであった」という時の「かたち」は「モルフェー」であって、キリストが人間になっても神という本質は保持していることを意味します。
またパウロはその「神のかたち」であるキリストが、「人間の姿になられた」(7節)とき、「その有様は人と異な」(同)っていなかったとも書いていますが、「有様」の原語は「スケーマー」ですので、キリストが人間であったということは地上の生活の間だけであったということを意味します(2009年10月25日日曜礼拝説教「人が神の子となるために、神が人となった」)。
少し長く引用しましたが、ご理解いただけたかと思います。
イエスは一時的には人間となりましたが、しかし、永遠の昔から父なる神の「唯一の子(独り子)」であり、父なる神と「同質」の神なのです。ですから、イエスにおいては「神のかたち」は永遠に不変です。
幸いなのはこのお方に向かい、我は天地の造り主、全能の父なる神の、「その独り子なるイエスをキリストと信ず」と告白できることです。
3.我は神の独り子なるイエス・キリストを我らの主として信ず
そして最後の告白が「イエス・キリストを我らの主として信ず」という光栄溢れる告白です。
ユダヤ人にとり、「主」と崇めるべきお方は彼らの先祖を地獄のようなエジプトから導き出してくれた神を意味しました。
ですから「神聖四文字」と言いまして、神名「ヤハウェ」を声に出して読む際に、恐れ多いということで、これに「主」を意味する「アドナイ」を当てていたため、いつしか「ヤハウェ」という発音が消えてしまった程でした。
その類い希なる「主」という称号は、父なる神から、神の「夢」であった人類の罪の贖いをなし遂げ、神との和解を実現したイエス・キリストに贈られることとなったのでした。
「それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」(ピリピ人への手紙2章9~11節)。
人類救済の任務を遂行したキリストを神は「高く引き上げ、すべての名にまさる名」(9節)、つまり「主」(11節)という「名を彼に賜った」(同)のでした。
ですから、地上の諸国民すべては、もしも信じるならば、いえ、信じるだけで誰もが「『イエス・キリストは(われらの)主である』と告白」(11節)する栄誉に与かることができるようになったのでした。
まさに神の第一の「夢」はここにおいて実現したといえるのです。「我はその独り子我らの主、イエス・キリストを信ず」と告白できることは、感謝しても感謝し切れないほど、有り難いことなのです。
そして現段階における神の「夢」は、今はまだ、キリスト教は外国の宗教であると思い込んでいる私たちの愛する同胞が、神の独り子であるイエス・キリストを「わが主」と崇める日の到来であると思われます。
その父なる神の「夢」の完成に向かって、私たち一人一人が神から与えられたこの告白を生きることもまた、神が抱いた大いなる「夢」の実現の一環です。
ただ、感謝あるのみです。