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2015年1月25日日曜礼拝説教「基本信条としての使徒信条? 真の安心立命は『我は天地の造り主なる神を信ず』との告白から始まる」創世記1章1~3節 伝道の書12章1節

15年1月25日 日曜礼拝説教 

 基本信条としての使徒信条?
 
 「真の安心立命は『我は天地の造り主なる神を信ず』との告白から始まる」
 
創世記1章1~3節 伝道の書12章1節
 
 
はじめに
 
自明のことのようでよくわからないもの、それが人間と動物とはいったい、どこがどう違うのかということです。
 
中学生のころ、学校で「進化論」を教わりました。「自然淘汰」「弱肉強食」「適者生存」というやつです。
弱い生物は自然環境の中で淘汰、つまり生き残ることができずに滅びてしまい、環境に適したものだけが生存する、そして人類とはこのような過程を経て地球上に生き残ったのだというわけです。
因みに「淘汰」の「汰」には水を勢いよく流すこと、「淘」には水で洗ってよいものとよくないものとを選り分けるという意味があるようです。
 
これが人間と動物との違いを説明しているうちにいいのですが、ではこの法則が人類社会に及んだ場合はどうなるのか。頭脳明晰、体力剛健、能力抜群の者だけが適者として生き残り、そうでないものは淘汰される、つまり落ちこぼれていくことになります。
 
そして、この進化論的論理こそが、ナチズムの論理でした。ナチズムの象徴であるハーケンクロイツ(鍵十字)はシャルリー・エブドの風刺画を是として最大限、表現の自由を擁護するフランスでも、流石に是認はされません。
しかし、そのナチの根本論理は捕鯨反対論と軌を一にした論理なのです。
 
人とは何なのかという問いは、難しい言葉を使えば「アイデンティティ」を問うということのようです。「アイデンティティ」を辞書で引くと自己同一性と出て来ますが、これではますますわかりません。
要するに自分は何者なのか、どこから来てどこに行こうとしているのかという、自己の正体を明らかにする身分証明みたいなものです。
 
そのような証明の縁となるものは日本の場合、戸籍です。戸籍を見ればその人がどこで生まれたのか、親が誰かということはわかります。
しかし、先祖を辿っていけば段々とあやしくなっていって、先祖はもともと、日本で生まれた人のか、海外から渡来してきたのか、もしもそうであるならばどこからなのか、というようにわけがわからなくなってきます。
私の先祖の場合、以前にも少しだけ触れましたように、父親の父親までは十八代続いた材木問屋でした。明治時代には神奈川県の江の島の神社に大きな手水鉢を奉納したりもしたようです。
 
しかし、十八代前の開業以前のことになりますと、さっぱり分かりません。そのように、先祖を過去へと辿っていった場合、自らの出自を説明したり証明したりすることができる者はほとんどいないでしょう。
仮に千年、二千年前の先祖を証明することができたとしても、その遥か以前、つまり進化論によるならばついには、人類以前の生物にまで遡っていくことになるのです。
 
では逆に、人類の未来はどのような姿なのか。進化か退化かは別にして、生き物としての変化がとまらないとするならば、将来的に人類はどのような存在に変容するのか、ニーチェのいうような超人になるのか、それともわけのわからない不気味な怪物になっていくのか、考えただけでも心が寒くなっていきます。
 
昨晩というよりもきょう日曜日の未明、テレビに「イスラム国」に捕えられて人質となっているジャーナリストが一人で写真を掲げている映像が映し出されました。
映像は静止画像のようしたが、流れている英語の音声によりますと、もう一人の人質は既に殺害されていること、そしてテロリストが残ったジャーナリストを解放する代わりに、ヨルダンで収監されている女性死刑囚を解放するよう求めているようでした。
 
このジャーナリストさんは優しい人柄なのでしょう。でも、自分自身というものを知らなさ過ぎます。危険地帯に入ればこうなってしまうことは十分に予想できたことでした。想像をたくましくすれば、交渉カードとして使われるため、罠をかけられて「イスラム国」へと誘(おびき)き出されたのかも知れません。
運よく救出されたならば、このような無謀な挙になぜ出たのかということを低姿勢で説明をする責任があると思います。
 
動機は純粋な善意なのかも知れませんが、あたかも「飛んで火に入る夏の虫」のように危険地帯に入り込み、その結果、テロリストに捕まって取引の材料にされてしまっているこの日本人ジャーナリストを画面で見つつ、十年前の事件を思い出しました。
 
政府の制止警告も聞かずにイラクに入った青年が、「イスラム国」の前身と言われている「イラク聖戦アルカイーダ」に捕まってしまい、身柄解放の条件として、自衛隊のイラクからの撤退を日本政府が要求された事件です。
結果、日本政府はテロリストの要求を拒否しました。当然のことです。そして残念なことにはその後、この青年の遺体がバグダードで発見されることとなりました。
 
この青年は日本を発つ時、友人に対して「自分探しの旅に出る」と言ったそうなのですが、危険極まりないイラクに入らなくても、「人間とは何か、自分とは何者なのか」という「自分探し」はどこにいても出来た筈でした。
 
私たちはこの日本にいたままで、そして暮らしを立てるための労働に日々従事しながらであっても、自分自身を、そして自分が生きている意味を、更には自分は何者なのか、という問いに対しても、きちんとした答えを見つけることが出来る筈なのです。
 
そしてそのヒントこそ、聖書の神が天地万物を創造した「天地の造り主」なのだと聖書が告げています。
そこで使徒信条の三回目は、「我は天地の造り主なる神を信ず」という告白を取り上げます。この告白を理解する時、人は自らを見出すと共に、真の安心立命の境地へと導かれるのです。
 
 
1.世界が神か、神が世界を造ったのか
 
使徒信条」の一回目で、神の存在を認める有神論には、多神論と一神論とがあり、日本における伝統的宗教は複数の神々を畏敬する多神論に基ずく多神教である、ということをお話しました。
 
しかし、多神教は日本古来の宗教観というよりも中国経由のインド宗教の影響が濃いものなのです。日本の本来の神概念は「汎(はん)神論」といいまして、大自然に神霊が宿っていると考える自然崇拝でした。
つまり、自然そのものが神である、という宗教観です。
 
ですから汎(あまね)く神である、「すべては神である」「神即世界」「世界即神」ということになるわけです。
 
その典型が太陽を拝む太陽信仰です。太陽の日照は穀物や作物の実りを左右します。
だからこそ、宮沢賢治は、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアル(日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩)」いたのでしょう。因みに「ヒデリ」は「ヒドリ」つまり日雇い労働のことだという説もあるそうですが。
 
それはともかく、日本人にとって太陽はいつしか「お天道(てんとう)様」として崇められ、食事の際には子供には「おてんとさん」に「いただきます」と感謝するように躾け、道徳の基本として「人が見ていなくてもおてんとさんが見ているよ」と教えたのでした。
 
二十年前の阪神・淡路大震災を取材した欧米メディアを何よりも驚かせたのが、大災害の被災地には付き物の暴動どころか、略奪行為の欠片(かけら)すらもなかったという日本人の倫理観の高さでした。
そしてその背景にあるものが日本特有の汎神論的宗教観から来る倫理観でした。
 
でも、汎神論的宗教観は、日本人に対して、自然に感謝し、自然と調和して生きることを促しはしますが、目に見える宇宙や世界の由来、ひいては人類の起源については説明をしてくれません。
 
古事記には伊耶那岐命(イザナギノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)による世界創世、というよりも日本という島が生み出された神話がありますが、それはあくまでも神話です。
 
しかし、古事記よりも千年以上も前に編纂された旧約聖書の創世記には、「天地が神」なのではなく、「神が天地を創造した」と書かれております。
 
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記1章、2節 旧約聖書口語訳1p)。
 
 「天と地」とは地学で言えば、「天」は宇宙、「地」は地球を指します。
つまり、地球を含めたこの宇宙全体は、「使徒信条」の一回目と二回目で強調した「唯一の神」、「全能の神」によって創造された被造物である、と聖書は言うのです。
 
宇宙物理学によりますと、宇宙の始まりは一三七億年前なのだそうです。「天」すなわち宇宙は、神の偉大さを示すものでした。
 
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざを示す」(詩篇19篇1節 762p)。
 
そして宇宙がはじまって間もなく、「光」が創造されました。
 
「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(1章3節)。
 
 宇宙物理学は言います、「光」(3節)は一三七億年前のビッグバンから程なくして生じたであろう、と。
二〇一二年の六月、日本の国立天文台のチームは、ハワイに置いてある「すばる望遠鏡」を使って、地球から一二九億光年かなたにある銀河を発見しました。
つまり、「天」すなわち宇宙の誕生から八億年後には、既に「光」が生まれており、宇宙の文字通りの夜明けが始まっていたことになるのです。
 
 太陽という、日本人が愛してやまない恒星を含めた太陽系の始まりは、といいますと、それはビッグバンから八十七億年後の五十億年前です。
この太陽という恒星は、人間の住まいとなる地球環境を整備し保持するために造られました。
 
「日は花婿がその祝いのへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない」(19篇5、6節)。
 
 太陽の「暖まりをこうむらないものは」(6節)人を含めて地上には存在していないのです。
 
人類を始めとする各種の生き物を生かす地球という惑星の始まりは、四十五億年前とされています。そして人類が十分に生存できる環境、つまり自然環境というものが整備された段階で、人類の歴史が始まりました。
 
日本人は自然という大いなるものを神と同一視し、その結果、自然を崇拝し、自然を尊び、自然の保護に努め、自然と共存してきたのでした。
でも、自然は神ではありません。自然は人類をはじめとする地球上の生き物のために、神が備えた恵みの賜物なのです。
 
たしかに日本列島は自然に恵まれております。以前、一つのジョークを紹介しました。
 
神は最初に天と地を造った。海をつくり、山をつくった。そして日本という国を造った。日本には四季豊かな気候と、世界一美しい風景、世界一おいしい食べ物を与え、世界一勤勉な民族を住まわせた。
そこで天使が言った、「神様、これではあまりにも日本が恵まれ過ぎています」
神が答えた「心配するな。日本の隣りには中国と韓国と北朝鮮をつくっておいた」(2012-09-26「2012年10月の日曜特別礼拝へのご招待」)。
 
来日する外国人観光客が激増していますが、目玉の一つが日本の四季が織りなす日本の山河、風景、植物などの自然なのだそうです。
 
しかし、美しい自然は、保護の対象ではあっても、礼拝の対象ではありません。「それは天地の造り主」である神に感謝をして用いるべき賜物なのです。
日本人が崇めるべきは、自然ではありません。自然ではなく、人類のために自然を無から創造した「天地万物の創造者」なのです。
 
 
2.天地を造ったという神の、天地との関係は
 
「世界が神」なのではなく、「神が世界を創造した」のでした。では、天地を造ったという神と、天地の関係とはどのようなものなのでしょうか。
 
十八世紀、英国に理性を強調した啓蒙(けいもう)主義という思想が生まれました。「啓蒙」とは「蒙(もう)」つまり愚かさや無知を「啓(ひら)」く、あるいは明らかにするということです。
 
フランス革命は、実は英国発の啓蒙主義の影響を受けて勃発をし、ついには宗教そして神を否定するに至ったものだとされています。フランスに見られる反宗教的雰囲気は啓蒙主義に端を発していると言ってもいいかも知れません。
 
 しかし啓蒙主義の本場の英国ではフランスのように、神を否定するところまでは行きませんでした。そして理性を強調する啓蒙主義から生まれた神学が「理神論(りしんろん)」として出現したのでした。
 
この「理神論」という英国で生まれた神学説は、「確かに神は天地を創造した造物主ではある。しかし、神は天地を創造したあと、世界の動きからは手を引いてしまった」と主張します。
 分かり易く言えば、時計を製作する者と時計の関係のようなものです。
 
時計の製作者が時計をつくった。そしてつくったあと、時計との関係を断ってしまった。関係が断たれたあと、それでも時計は時計として時を刻み続ける。しかし、その時計が故障をしたとしても時計の製作者が時計を修理するようなことはない。
 
そのように、神は世界を創造しはした。でもその後については一切関与をしていない。人間の歴史の場合も同様である。
だから神による奇跡はないし、宗教というものは理性を超えるものであってはならず、信仰はもっぱら理性のゆるす範囲に限る、としたのです。
 
 この結果、キリスト教の伝統的教理は否定され、当然、「使徒信条」なども否定されることとなりました。
 
 確かに理性は大切です。理性を軽視するところから盲信、狂信、歪信が生まれるのです。そういう意味では理性もまた、人間に与えられた神からの賜物です。でも、人間の理性は完全でもなく万能でもありません。なぜならば人間自体が不完全な存在だからなのです。
 
理神論はギリシャの神観と同じように、神はこの世界から「身を退いた、引退した、関与はしない」と主張しました。
しかし、神は子供を生んだあと、子育てを放棄するような、あるいは放棄せざるをえないような弱い母親とは違います。
 それどころか、神は自らが創造したこの世界を見捨てるようなことはせず、昔も今も、世界の支配者として宇宙と世界とを管理し、人類の歴史を見守っているのです。
 
「地と、それに満ちるもの、世界と、その中に住む者とは主のものである」(詩篇24篇1節 765p)。
 
 ご自分が全知全能の粋を尽くして創造した「天と地」すなわち、「地と、それに満ちるもの、世界と、その中に住む者」(1節)に対する所有権や管轄権を、「天地の造り主である」神が、むざむざ放棄するなどということは有り得ないことなのです。
 
なぜかならば、「天と地」とはまさに、神の愛の対象である人類のために創造されたからでした。
 
「神が造ったすべての物を見られたところ、それははなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。こうして天と地と、その万象(ばんしょう)とが完成した」(創世記1章31、2章1節)。
 
 「はなはだ良かった」(31節)とは最高の傑作という意味です。人類を含めて、神がその精魂を傾けて創造した「天と地」とは、偉大な神による最高の作品、傑作なのです。
 
 
3.天地を造ったという神の、人との関係は
 
では、最後に、「天と地とを創造した」造物主と被造物である人間との関係はどうあるべきなのでしょうか。
 
紀元前三世紀ごろに書かれたとされる知恵文学の一つ、「伝道の書(新改訳では「伝道者の書」、新共同訳では「コヘレトの言葉」)」の作者は自らの魂の遍歴を基に、人は多感な青少年の時代にこそ、自らの創造者と出会い、そしてこれを信じこれに従うように」と勧めました。
 
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしには何の楽しみもない』というように鳴らない前に、(そのようにせよ)」(伝道の書12章1節)。
 
この勧告からは二つのことが読み取れます。
一つは時期です。伝道者は言います、「あなたの若い日に」(1節)と。
 山本利雄兄は今、腰椎を痛めて入院加療中ですが、兄弟が四年前に特別集会における証しのために認めた文章を、先週、入院中の兄弟の許に持って行って、神の恵みを分かち合いました。
 
兄弟の承諾を得ましたので回心時の内容をかいつまんでご紹介したいと思います。
 
一九六一年秋、枚方公園駅から枚方駅に向かって、昔の京街道を歩いていたところ、商店の店頭らしきところに「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」と書かれた紙が貼ってあった。
そこはフィンランドから来た女性宣教師が開いていたキリスト教の教会で、そこにはもうひとり、日本人の若い伝道師がいた。
当時、大学三年生であった自分は就職活動に不安を感じていた頃で、その教会で行われていた集会に積極的に出席した。
また当時、大阪で開かれた大衆伝道者の本田弘慈牧師や羽鳥明牧師の集会に導かれ、聖書が神の霊感によって書かれた神からのメッセージであることを知らされた。
その後、家で悔い改めの祈りをし、「あなたを生涯の神として受け入れます」と祈り、一九六二年三月に京都で洗礼を授かった。
 
 山本兄はまさに、その「若い日に」(1節)「造り主」(同)なる神を信じたわけです。爾来、天地万物の創造者である神は、兄弟の「造り主」として兄弟の傍らを歩んでくださっています。
それは苦しかった過去も、そして入院中の今も、そしてこれからもなのです。
 
伝道者が言う「若い日」というのは年齢だけを指すのではありません。年齢を超えて、気持ちが「若い日」つまり心がまだまだ柔軟な時に、という意味でもあります。
つまり、神さまのことをもっと知ろう、と思った時がその人の「若い日」なのです。しかし、気持ちに「年が寄って」(1節)こころが硬化してしまうと、信じる機会と気持ちとが失われてしまうという場合があります。
 
ギリシャ神話に「カイロス」という神様が出てきます。この神様は「チャンス」を掌る神様なのですが、かかとに羽根がついていて、ものすごいスピードで走ります。
人はこの神様とすれ違う際に神様の頭を掴まなければならないのですが、この神様、髪の毛が後頭部にはなく、前にしかありません。そこで人はすれ違う際に前髪をしっかりと掴まないと、チャンスは過ぎ去ってしまうというのだそうです。
 
まさに機会は「今」なのです。時間が経ってしまうと、造り主に出会う機会は永遠に失われてしまいかねません。まさに「今でしょ!」というわけです。
 
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である」(コリント人への第二の手紙6章2節後半 新約聖書口語訳283p)。
 
 神を「天地の造り主」として信じ受けれいる日は先ではなく、「今」(2節)です。
 
 そして伝道者が強調するもう一つのこと、それは万物の創造者を個人的に「あなたの造り主として覚えよ」(1節)という勧めです。
 これは、人というものはそれぞれ、神の作品として個別に造られたのだということを意味することばでもあります。
 
 私たちは工場の流れ作業の中で大量生産品として製造されたのではなく、神の目と手が加わる中でひとりひとり、丁寧に造られた者なのです。
言うなれば、レディメイドではなく、オーダーメイドです。
 
以前にもお話しましたが、まだ信徒であった頃、礼拝説教の中で、「神の造りに感謝しましょう」という一言が語られました。いつであったか、どんな文脈の中であったのかは定かではありません。
 
しかし、これがその後の歩みを支えてくれて今に至っています。「神の造りに感謝」する生き方は、人を不毛の競争意識から解放します。また羨望や嫉妬という否定的な感情からも解き放ちます。
「人は人、自分は自分」と、よい意味において割り切ることができるようになることができるからです。
 
神は「我らの造り主」ですが、神は「あなた」(1節)を独自のかけがえのない者として創造してくれた「造り主」(同)でもあるのです。
「私は何者か、私はどこから来てどこに行くのか」、という根源的疑問は、人類を含めた、そして私やあなたという個人を含めた「あなたの造り主を覚え」(同)ることによってのみ、氷解します。
 
人としての真の安心立命は、「天地の造り主」である神に向かい、全幅の信頼を以て、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白するところから始まるのです。
 
この偉大な神のことがまだよくわからないという方がおられたならば、ぜひ、聖書を読み、教会に行って道を求めてください。
必ず「天地の造り主」であり「全能の父」である真の神にお会いすることができる筈です。その時、人は自らを発見すると共に、真の安心立命の境地に立つことができるようになります。