2014年11月2日 十一月日曜特別礼拝説教
「日本人とキリスト教? 西洋のキリスト教と日本人のキリスト教―何が『聖書的』なのか」
コリント人への第一の手紙1章22~24(新約聖書口語訳257p)
はじめに
私どもの教会が所属する教団では三年に一度の割合で、全国聖会というイベントが行われております。
十数年前のことです。全国聖会に続けて教職者のための研修会が行われることになりました。
その研修会において、招待されていた米国人講師が、どういう脈絡でだったかは覚えていませんが突然、「日本の先生方は聖書的ではない」と言い出したのです。
そしてその理由はと言いますと何と、「夫婦が一緒に座っていないから」と言うことでした。
確かに当時、日本人の男性教職は男性教職で、女性の教職は女性教職でそれぞれに固まって座るという傾向は、ありました。
見回してみますと米国人宣教師たちのほとんどはカップルで座っていたようでしたが、その宣教師たちからは「アーメン」という声があがる一方、日本人教職の中からは「ナーンセンス」という抗議の反応がありました。
問題は講師の「聖書的云々」という評価でした。聖書の中に、あるいは聖書が示唆する教えの中に、「夫婦は席を同じくすべきである」というようなものがあるなどとは、長い間聖書を読み、また説いてきた者として、習ったことも聞いたことはありません。
つまり、この米国人講師は聖書を持ち出しておりますが、それは米国の文化ではあっても、聖書の教えではないのです。聖書のどこにもそんなことは書いてありません。
米国では道を歩く際、夫は常に妻をかばいながら歩くそうですが、それは、もしも妻が転んで怪我をしたりした場合、妻を守る義務を怠ったとして妻が夫を裁判所に訴える事例があることによる知恵から生まれたものなのだと、何かで聞いたか読んだかした記憶があります。
夫婦が席に並んで座ることそれ自体は麗しいことだと思います。しかしそれは聖書の教えとは何の関係もありません。
しかし、この例からも分かる通り、いわゆるキリスト教、それも米国や欧州経由のキリスト教の中には、聖書あるいは聖書の中心的使信とは直接的には関係のない、その民族固有の文化的特徴が加味されているにも関わらず、それがキリスト教の教えであり精神であると思い込んでいる、あるいは思い込ませているという面を持つものもあるのです。
六月から月に一回、「日本人とキリスト教」というテーマで、日本人の宗教性を分析しつつ、その比較の中でキリスト教の特質をご紹介してきました。
その上で最終回でもある今回は、その集大成として、日本人が信ずべき、あるいは持つべきキリスト教とはどのようなものであるのかという点から、西洋のキリスト教の功と罪とを論い、また一般に理解されているキリスト教は聖書の教えそのものというよりも、民族というものが保持してきた文化的特質がない交ぜになったものであるという観点から、その誤解を解くと共に、ならば、日本人には日本人の特質に適ったキリスト教の可能性を目指してはどうかという問題提起をしたいと思うのです。
秋も深まりつつあるこの十一月、頭と心を柔らかにして、聖書が語る言葉に耳を傾けたいと思います。
1.宗教としてのキリスト教の、日本という国における功と罪
先週の金曜日の十月三十一日は「ハロウィン」だったそうで、テレビには西洋風の不気味なコスプレの若者や子供たちが映し出されておりました。
何年か前からか、ケーキ屋の店先などに、目や口を不気味にくり抜いたつくりもののかぼちゃが飾られていましたが、「ハロウィン」なるものがなぜか今年になっって一気に広まったようです。
幼稚園や保育所に通う子供たちが仮装をして喜んでいる分にはゆるせますが、しかし、いい大人が嬉しそうに仮装して、人の迷惑も顧みずにバカ騒ぎをするのは、何とかならないものかと思いました。
まことに嘆かわしいことですが、占領時代以来の日本人の癖である白人文化崇拝は、まだまだ改善されてはいないようです。もしもはやらすならば、「なまはげ」の方がよっぽど教育効果があると思うのですが。
この「ハロウィン」などというカタカナに弱いのは、戦後の日本人の悪い癖だと思いつつ、中学生のころのクリスマスに対する感情を思い出しました。
「何でクリスチャンでもない日本人が、クリスマスの時期にはケーキを買ってきたり、プレゼントをしたり、飲み屋でとんがり帽子をかぶってどんちゃん騒ぎをするのか」と。
クリスマスもサンタクロースも、そしてバレンタイン・デーもキリスト教由来ですが、それが日本に定着した背景の心理的理由には、日本人の白人文化崇拝感情があるのではないか、そして、日本においてキリスト教が一定の尊敬を得ることになったことについても、戦後の占領期におけるダグラス・マッカーサーによる日本キリスト教化政策の影響だけでなく、何と言いましてもキリスト教そのものが文明国である白人の宗教であったからだと思われるのです。
実際、戦後の我が国では、キリスト教がよいものをもたらしてくれたという理解が浸透しています。
たとえば、二年前に「新書大賞2012」を受賞した、二人の大学教授の対談をまとめた「ふしぎなキリスト教」です。出版された当時、品川駅で時間をつぶすため、構内の書店でこれを取り上げ、何気なく「あとがき」を読んで木村拓也ではありませんが、「ちょっと待てよ」と思いました。
なぜ、日本人は、キリスト教を知らないといけないのか。キリスト教を理解すると、どういういいことがあるのか。それは、こんな感じだ。
昔むかし、あるところに、七人家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。
家族は両親と、五人のきょうだい。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名のいい子たちでした。
でもある日、五人とも、養子だったことがわかります。「キリスト教」という、よその家から貰われてきたのです。
そうか、どうりで。ときどき、自分でもおかしいなと思うことがあったんだ。そこできょうだいは相談して、「キリスト教」家を訪問することにしました。
本当の親に会って、自分たちがどうやって生まれたのか、育てられたか、教えてもらおう。忘れてしまった自分たちのルーツがわかったら、もっとしっかりできるような気がする…。(橋爪大三郎 大澤真幸著「ふしぎなキリスト教」344p 講談社現代新書)
私自身、これには少々異論があります。「日本国憲法」以外は、戦前の日本にもあったからです。「憲法」が、米国人が即席で作って、占領下の日本に押し付けたものであることは既に常識です。しかし、その他のものは戦前からありました。
たとえば、「民主主義」は戦後に教えられたものではありません。マッカーサーが日本を評して「日本人は十二歳である」と言ったということが伝わったことによって、日本におけるマッカーサー人気が一気に下落したという話は有名ですが、マッカーサーの発言の真意は誤解されて伝わったのです。
一九五一年五月三日、マッカーサーは米国上院の軍事外交委員会において、先の戦争が「(侵略戦争などではなく)日本の安全保障上の、つまり自衛のための戦争であった」と証言をしました。
その証言自体は正鵠を射たものでしたが、五日のロング委員長からの、「日本とドイツの違い」についての質問に対し、「民主主義の理解と成長度に関しては、ドイツは成年であるのに対し、日本は未熟な十二歳程度であった、しかし、自分が日本に民主主義を教えてやったので、日本における民主主義はこれから急速に発展するであろう」という意味の、それはそれで彼なりの日本弁護をしたわけですが、しかし、日本に関する歴史認識に関しては無知丸出しであることを露呈してしまう発言でした。
軍部が幅をきかせていた戦時中の一時期を除いては、我が国では早い時代から民主主義は機能していましたし、特に昭和の前の大正時代には既にしっかりと根付いておりました。
ただし、「民主主義」が早い時代に、欧米というキリスト教先進国から導入されたことは歴史的事実ではあります。明治時代、日本政府は米国やドイツ、英国、フランスなどのヨーロッパ先進国に調査団を派遣して、政治の仕組みや体制に関する知識を、貪欲なまでに吸収致しました。
そういう意味では民主主義も「キリスト教」国からもたらされたということはできるかも知れません。しかし、決して戦後ではありません。
「科学技術」の場合、その分野においても、戦前、医学とりわけ細菌学のなどの分野では野口英世、北里柴三郎などの、ノーベル賞級の研究成果があがっていました。ただ、黄色人種への偏見と差別から、多くの業績が白人のものとして世に出たという見方もあることは事実です。
また、先進的な工業技術、航空機や船舶、兵器などの製造に関しても、米国と戦争をすることが出来るほどに戦前の日本の科学技術は発達をしていたのでした。
その端的な例が宮崎駿の「風立ちぬ」や百田尚樹の「永遠の0」でも有名になった零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦です。
「科学技術」は「戦後日本」に「キリスト教」からもたらされたものではありません。もちろん、明治以降、欧米のキリスト教文明を積極的に導入した結果であったことは事実ですが。
しかし、自然を神として崇め、自然の中に神の霊の存在を見る日本人の宗教性を、一神教のキリスト教は異教、悪しき偶像礼拝と決めつけ、これを否定し排撃もした結果、キリスト教は非寛容な宗教だというイメージが日本人の意識に定着をしてしまうことになりました。
つまり、便宜をもたらし進歩を促すキリスト教文明は受け入れるが、肝腎の宗教としてのキリスト教そのものは日本の良き伝統を破壊する異物として拒否する構えが形成されてしまったのです。
その一因が偏狭な白人宣教師の姿勢にあったことは否定できません。
使徒パウロの場合、その宣教活動の心構えとして、相手を理解し、相手の立場に身を置くことを心掛けておりました。
「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るたまえである。律法の下(もと)にある人には、私自身は律法の下(もと)にはいないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には―わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが―律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。何とかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんなことでもする。わたしも共に福音にあずかるためである」(コリント人への第一の手紙9章19~23節 新約聖書口語訳266p)。
日本における白人宣教師の献身的な活動には敬意を表するものですし、私どもの教会もまた、開拓伝道の初期に、白人宣教師一家の愛に満ちた祈りと協力を得て進められもしたものでした。
私が知っている限り、出会った白人宣教師たちはみな、揃いもそろって善人で情に脆く、とにかく好人物ばかりでした。
しかし、明治以来の日本におけるキリスト教の歴史を概観した限りにおいては、欧米からの多くの宣教師が、このパウロの精神を徹底的に理解した上で活動をしてくれていたならば、我が国へのキリスト教の浸透は、また別の展開を見せていたかも知れないと思うのです。
2.民族的特性と文化がミックスされたもの、それが西洋のキリスト教
実は、問題は日本宣教を担った白人宣教師だけにあったわけではありません。見方を変えれば彼らは本当によくやってくれたと思います。しかし、白人宣教師自身、どうしようもない問題というものがありました。
その問題とは彼らが伝えようとし、また伝えてきたキリスト教自体にありました。
それは欧米の、あるいは西洋のキリスト教が聖書の純粋な教えではなく、「はじめに」で例にあげましたように、多分にその民族的特性や文化的特徴、社会的傾向が加味された、つまりブレンドされたキリスト教であったからでした。
たとえば米国の場合、政治と社会の支配層は建国以来「W・A・S・P(ワスプ)」です。これは「ホワイト」「アングロ」「サクソン」「プロテスタント」の略です。
この原則はローマン・カソリックのジョン・F・ケネディ、白人と黒人の混血のバラク・フセイン・オバマの出現によって有名無実化したかのように見えますが、そんなことはありません。
第一、オバマは初の黒人大統領の出現として持て囃されましたが、母親は白人ですから、果たして黒人大統領といえるか疑問です。
そういう点から、これから先、有色人種の大統領が米国に誕生することはまずないだろうと思います。
なぜかといいますと、米国はもともと白人国家なのです。建国のルーツは十七世紀初頭の、信仰の自由を求めて英国から新大陸に渡ってきた「ピルグリム・ファーザース」でした。
しかし、彼らが恩人である先住民に何をしたか。餓死寸前の彼らに土地と食糧を分け与えた酋長が死ぬと、無情にもその妻と子供たちとを奴隷に叩き売ったと言われているのが、建国の祖先であったとされているからです。
なぜか。先住民は彼らにとっては人間の範疇には入っていなかったからです。
一七七六年のトーマス・ジェファーソン起草による独立宣言の、「人間はすべて平等に創造され、…」にしましても、そこで言う「人間」は白人のことであって、黒人奴隷はもちろんのこと、先住民もアジア人も含まれてはいなかったのです。
それはどうしてかと言いますと、聖書の独善的な解釈に原因があったといわれています。それが「ノアの洪水」の後日談の解釈です。
「さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。…やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、『カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える』。また言った、『セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ』」(創世記9章20~22、24~27節 旧約聖書口語訳10p)。
洪水後、ワインを飲み過ぎて酔っ払い、無様な醜態を見せた父ノアを、次男のハムが辱めたというので、ノアがハムをのろったという話です。
この伝承はその後、ノアの三人の子はそれぞれ、「セム」の子孫は黄色人種、「ハム」の子孫は黒人種、そして「ヤペテ」の子孫が白人種となったという伝説を根拠に、ノアは黒人の先祖である「ハム」の子の「カナン」に対し、「ヤペテ」の「しもべとなれ」(27節)と言った、だから白人が黒人を支配して当然だ、という何とも強引な解釈が、奴隷制度の背景にあるのだそうです。
その信憑性は別としても、欧米のキリスト教には白人優位の姿勢と考えが内在していることは一つの大きな特徴です。
人類愛を説くキリスト教国の米国が、白人国家のドイツにではなく、黄色人種の日本に原爆を投下して数十万人を平然と虐殺することができたのは、その民族的特色が彼らのキリスト教理解にブレンドされているからだという考えには頷けるものがあります。
3.日本人の、日本人による、日本人のためのキリスト教は可能か
勿論、人間が信じ、理解し、受け止める限りにおいて、それを受け取る人間の特徴がキリスト教に何らかの影響を与えるということは、避けては通れないことです。
そこで重要なことはキリスト教を受容する民族の特質のいかん、です。すなわち、その民族がいかなる人間観、倫理観を有しているか、どのような文化を生きてきたかという要素です。
そういう点で、明治維新後の日本において、武士階級出身者にキリスト教が浸透したのは、西洋のキリスト教が強調する聖書の倫理観、とりわけピューニタリズム(清教徒主義)という禁欲的で質素堅実を旨とする教えが、武士道の精神と似通っていたからであって、それは新渡戸稲造がその著「BUSHIDO(武士道)」で分析しているとおりです。
米国のキリスト教には聖書の誤った解釈に基ずく人種差別があったと思われますが、札幌農学校で教鞭を執ったクラーク博士のように、一方では人種差別から解放されていて、神のため、あるいは天下国家のために身を捧げることを推奨するピューリタン(清教徒)も存在していたことは確かです。
有名な「少年よ、大志を抱け」と訳された「ボーイズ・ビー・アンビシャス」は、世俗的な栄達や立身出世を奨めたものではなく、「世のため人のために役立つような人間になれ」という意味です。
ですから、この言葉の最後には「イン・クライスト」つまり「キリストにあって」という言葉があったのだという説もあるくらいです。
これまで五回にわたって日本人の伝統文化や精神性、宗教性、そしてそれに基ずく日本の宗教について学び、キリスト教の本来の教えとを比較してきましたが、その集大成として、日本人による、日本人のためのキリスト教のイメージを考えることとしたいと思います。そしてその際、わたしたちが学ぶべきものは使徒パウロの理念でしょう。
パウロの活動と営みの中心あるものは常に「十字架につけられたキリスト」でした。
「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシャ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである」(コリント人への第一の手紙1章22~24節 257p)。
ここには民族的特徴というものが表れています。キリストが十字架上で刑死した二十年後の紀元一世紀の半ば、キリスト教の第一の指導者とされたパウロに対し、信仰の民を自負する「ユダヤ人」は、真理の証しとして目に見える「しるし」を求めましたし、一方、何よりも叡智を究めることに吝かでなかったギリシャ人は、理性を納得させる「知恵」をもって論証せよ、と迫りました。
しかし、血統的には生粋いの「ユダヤ人」であり、知的、文化的環境の点では「ギリシャ人」でもあったパウロが、それらの特質を十分に理解した上で重要視したものが、全人類の罪の贖いのために罪なき身を身代わりとして十字架に捧げたキリストでした。
この「十字架にかけられたキリスト」(22節)を正しく信じ、正しく論証し、正しく宣べ伝えることこそ、真に「聖書的」なのです。
異教的と言われる日本、宣教においては不毛の地と評されるこの日本において、日本人による、日本人のための、「日本人のキリスト教」が花を咲かせ、実を結ばせることは可能、です。
では、日本人による、日本人のためのキリスト教とは如何なるキリスト教なのか、ということですが。
キリスト教の二本柱は教理と倫理、つまりキリスト教教理とキリスト教倫理です。
「キリスト教倫理」につきましては、日本人の礼節が答えです。関西在住の作家、百田尚樹が街頭演説で語っていたことです。
一九九五年一月の阪神・淡路大震災の折り、西宮のある地域に二つあったコンビニの一つが早々に店じまいをした、商品の大半がダメになってしまったからである、しかし、もう一つのコンビニの店主は商品を整理して店を開け、地域の人たちに対して、必要な物を自由に持っていくようにと言った、地域の人たちが店に来て、各自、おにぎり一個、ペットボトル一本など、家族が必要な分だけを持って帰って行った、間もなく店の棚は空っぽになった、数カ月して被災地である地域が少し落ち着いた頃、商品を持って帰っていった客たちがそのコンビニを訪れて、それぞれが感謝の言葉と共に、未払いの代金を置いて行った、その代金の合計は商品の価格をはるかに超えるものであった…。
これが日本人の文化であり精神性です。阪神・淡路大震災でも、そして東日本大震災においても、外国人が一様に驚くことが、暴動もなければ、略奪もないという事実です。被災者が互いに助け合い、譲り合って秩序正しく行動するという、日本人にとっては当たり前のことが、それが彼らには何とも衝撃的なことなのだそうです。
日本人の「礼節」は既に十分に「聖書的」です。「礼節」がかたちをとったもの、それが「礼儀」です。
百十五年も前に、新島襄が英語圏の人々に向かって書いた「武士道」でも強調したとおりです。
礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。私たち(註 日本人)は敬虔な気持ちをもって、礼は『長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない』ものであるといえる(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳「武士道」55、56p 株式会社三笠書房)。
もう一つの柱、キリスト教教理についてですが、その要諦については「我は…信ず」で始まる「使徒信条」がこれを簡潔にまとめており、これを否定したり、修正したりした場合には異端と見做されて、正統的キリスト教ではないことになります。
しかしこれをどのように理解し、かつ分かり易く解説するかが重要であって、その論理的学問的営みを「神学」あるいは「教義学」と申します。
教義とか教理などと言いますと無味乾燥な印象を受けますが、これを料理に喩えた場合、料理が食材の安全性、栄養の有無に加えて、どのような料理をつくるかというメニューとその味付けが重要な要素となります。食材は勿論、聖書です。
ところで日本人の精神性の基本にあるものは「義理と人情」でしょう。
一九六六年、まだ大学紛争が華やかであったころ、巷に流れていた歌の一つが、高倉 健主演の映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」において高倉 健本人が歌った主題歌「唐獅子牡丹」です。
特に「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」という出だしの歌詞は、自分が理想と現実の狭間に立って苦悩している(と思い込んでいた)若者たちだけでなく、多くの日本人の情感に響いたものでした。
「義理と人情」とは何かということですが、「義理」が他者や上位の者から受けた恩義に対する意識であるとするならば、「人情」は家族や仲間などのどちらかと言えば身内への情愛を意味します。
これを聖書は「兄弟愛」と言うのですが、日本人はこれを人類愛にまで広げて適用しています。
笹川良一が掲げた「世界は一家、人類皆兄弟」という標語は、日本人の常識となっています。
反日教科書と抗日ドラマで教育されたため、ハリネズミのような警戒心を持って恐る恐る来日した中国人観光客が、自分たちを差別なく扱い、誰に対しても親切な日本社会に最初は戸惑い、そして感動したという話はネットでおなじみになっています。
そういう意味で「義理」が恩人への返礼であるとするならば、神は人類に対しては何の「義理」もありません。
しかし、神は人類への「情」のゆえに、ご自分の独り子への「情」を敢えて棚上げして、つまり個人的な「人情」を犠牲にしてまで、人類に対する贖いのわざを完成させてくださったのです。
これを「神の痛み」という視点から論じた神学論が北森嘉蔵という日本人の神学者によって提唱された「神の痛みの神学」でした。
神学とは福音の厳密なる理解にほかならぬ。(中略)痛みにおける神は、御自身の痛みをもって我々人間の痛みを解決し給う神である。イエス・キリストは、ご自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である(北森嘉蔵著「神の痛みの神学」20、21p 講談社)。
人という存在は「御自身の痛みをもって我々人間の痛みを解決し給う」神から受けた恩義に対して、大いなる義理を感じ、また義理を果たすべき立場となりました。
いうなれば、神に信従するということは、神に対して義理を感じ、義理を果たし続ける在り方を意味すると理解することができます。
思い返せば、私が牧師になろうと思った理由がまさにこれでした。若き頃、ある聖会において聖書の言葉の一節を耳にしました。
「主は我らのために命を捨て給えり、これによりて愛ということを知りたり、われらもまた兄弟のために命を捨つべきなり」(ヨハネによる第一の手紙3章16節 文語訳)。
その時、この聖句の「我らのために」の部分が、自分の名前となって繰り返し繰り返し、心に聞こえてまいりました。そこで「献身」となったのですが、当時の私にとってはそれが神とキリストへの義理を果たすことであり、神の「情」に対する応答であったわけです。
勿論、義理を果たす方法や在り方は千差万別であって、それは各自に委ねられています。