2014年10月5日 十月日曜特別礼拝説教
「日本人とキリスト教? 日本仏教における救い
とキリスト教の救い―他力による救済」
使徒行伝16章29~34節(新約聖書口語訳209p)
はじめに
一年と一カ月前の昨年九月、日本列島は歓喜に包まれました。東京が二〇二〇年の夏期オリンピックの開催都市に当選したからです。その招致のプレゼンで有名になったものが「おも て な し」でした。
「来訪者すべてに、生涯忘れ得ぬ思い出を約束します」という言葉で締め括られたプレゼンの冒頭で、女性タレントは東京という都市を以下のように紹介しました。
もし皆様が東京で何かをなくしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。例えば現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として東京の警察署に届けられました。世界を旅する7万5千人の旅行者を対象としておこなった最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市です(20130908 2013年IOC総会 滝川クリステルスピーチ)。
「3000万ドル」は1ドル100円として、30億円という巨額なものです。大都会の東京でさえそうなのですから、日本の地方都市はもっと「安全」といえるでしょう。
もっとも、日本にも悪いヤツは大勢います。実際、目を背けたくなるようなひどい事件は後を絶ちませんし、紛失物にしましても、拾われた財布や現金が届けられることなく拾得者が私物化してしまったというケースも相当ある筈ですが。
しかし、紛失した財布が戻ってきたという事例もまた、無数に報告されていることは確かです。
「レコード・チャイナ」という、中国情報のネットサイトに先月、「訪日韓国人観光客は『まさか本当に…』と驚きの体験!=『日本は嫌いになれない国になった』」というタイトルの、韓国ネットに掲載された韓国人ブログの記事が載っていました。要は以下の通りです。
5月に5泊6日の日本旅行で日本に来た韓国人の「僕」は二日目、羽田空港に行こうと財布をカメラ用の鞄に入れて、宿泊先の新大久保のホテルから街に出て、撮影をしながら乗り換え駅の品川に着き、そこで切符を買おうとして気づきます、「鞄に入れていた財布がない」と。そこで何を思ったのか小銭をかき集めて彼は空港行きの切符を買い、用事を済ませてから途方に暮れてしまいます。
空港で用事を済ませたが50円しかない、そこで(韓国人の)友人に連絡をしたが電話はつながらない、やむなくツイッターで日本人の知人たちに助けを求めたところ、一人が今から行くという、気の毒だからと断ったが、その知人は2時間かけて羽田まで来てくれて、その上、交番で紛失届を代筆してくれて、「遠くまで来たのだから楽しんで」と言って、5000円札をむりやり胸ポケットに入れてくれた。
なくなった財布は結局見つからず、旅行を終えて韓国に帰国して1週間後、財布が見つかったという連絡が(日本から)あった、思わず町の中で叫び出したくなるほどであった、財布は知人が受け取りに行ってくれて、三日後、国際郵便が自宅に届いた、中には現金と各種のカードがそっくりそのまま入った財布、そして日本のお菓子が入っていた。「日本だから、もしかしたら」と少し期待していたが、まさか本当に戻ってくるとは思わなかった。韓国では空の財布でも戻ってくればラッキーなのだ(以上、ブログの要約)。
彼のブログの最後は、「助けてくれた(日本人の)知人には本当に感謝している。そして今回のことで、日本は僕にとって、嫌いになろうとしてもなれない国になってしまった…。」と締め括られていました。
紛失した財布が戻ってくる日本、つまり言い換えれば、拾った財布をそっくりそのまま正直に交番に届け出るという人が多くいる国の、稀有ともいえるこのような国民性はどのようにして養われたのか、先進国の中でも飛び抜けて犯罪率が低いとされる日本人の高い倫理観はいかにして形成されたのかという説明の一つに、仏教の、とりわけ戦前のお寺の存在と働きがある、という説があります。
仏教がまだ力を持っていた戦前までの日本のお寺は、地域の子供たちが日常的に訪れる場所でもあったそうです。
そして、地域のお寺には地獄の場面を描いた屏風絵やふすま絵が多くあり、子供たちはそれらの絵を見て、「悪いことをしたら地獄に落ちる」「嘘を吐(つ)いたら閻魔(えんま)さまに舌を抜かれる」「悪いことをしたら火の池、針の山で苦しむ」ということを教えられ、子供心に、「たとい、人が見ていなくても人に迷惑をかけるようなことはしない」「良心に従って正直に生きる」という生き方を学んだというのです。
そういう意味において、日本仏教の我が国における功績はとても大きい、と言えると思います。
六月から十一月までの予定で月初めに行っている日曜特別礼拝では、これまで四回にわたって比較宗教学的な視点から、日本の宗教や精神とキリスト教についてお話しをしてきましたが、五回目の今月は「日本仏教における救いとキリスト教の救い」を主題にして、それぞれの特徴をご紹介したいと思います。
1.苦悩からの救いを目指した仏教
よく使われる四字熟語に「四苦八苦(しくはっく)」という言葉があります。
これはもともとは仏教用語であって、「四苦」は「生(しょう)」と「老(ろう)」と「病(びょう)」と「死(し)」のことで、これら四つは人が人としてこの世に生まれてきた以上、誰もが逃れることのできない根源的、必然的苦しみを指すわけですが、実はそれ以上の意味があるそうで、その意味とは、これらがすべて、人が思うようにならないということを象徴するものなのだそうです。
この「思い通りにならない」という苦しみをまとめて「一切皆苦(いっさいかいく)」と言います。
「生 老 病 死」という「四苦」の場合、人が「老」いることは人というものが生き物である以上、必然です。「病」もまた然りです。
そして通常、「老」いと「病」がもたらすものが「死」なのですが、逆縁と言いまして、時には親よりも先にこの世の生を終える例もあります。
では「生(しょう)」は喜びではないのかと思うのですが、まさに生きるということこそ、人が思うようにならないことの代表ですから、それこそが苦悩なのだというわけです。
これらの「四苦」に加えられるもう一つの「四苦」があります。それで合わせて「八苦」となるわけです。
それらは「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つです。
「愛別離苦(あいべつりく)」とは、親や家族、教師や友人など、どんなに愛していても、いつかは別れなければならないという苦しみのことです。
「怨憎会苦(おんぞうえく)」。これは努力してもゆるすことが出来ず、どうしても怨みや憎しみを覚えてしまう人と出会うという苦しみです。
「求不得苦(ぐふとくく)」は、金銭や物質、地位や名誉、時には好意を持つ者を手に入れることが出来ないという苦しみを指します。
そして四つ目の「五陰盛苦(ごおんじょうく)」は「五蘊盛苦」とも言いますが、自らの心身の欲求を思うように抑制できないという苦しみを意味します。
「五陰」あるいは「五蘊(これは「ごうん」とも読みます)」は五つの集まりという意味の言葉だそうで、人は肉体としての「色(しき)」、感情や感覚としての「受(じゅ)」、イメージを想像する感覚としての「想(そう)」、意志や衝動としての「行(ぎょう)」、そして認識を掌る「識(しき)の集まりであって、これらの欲求に人が執着をしてしまう苦しみを指すのが「五陰(五蘊)盛苦」なのだそうです。
まことに人というものは昔も今も、思うようにいかないという苦悩を生きる存在と言ってもよいかと思います。
でも幸いなことに、私たちは苦悩する人々に目をとめ、その声に耳を傾けてくれる存在を知っています。創造者なる神さまです。
神はシナイ半島にあるホレブの山において、モーセをイスラエルの民の解放者として召し出す際に、自らを救済者として紹介されました。紀元前十三世紀の始めのことでした。
「わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである」(使徒行伝7章34節前半 新約聖書口語訳191p)。
2.自力救済から他力本願への転換
仏教の教えは高遠で広大無辺なのですが、一口に言ってしまえば、これらの苦悩からの救済の道を示す教えであり、それが仏教であると言うことができるかと思います。
問題はこれらの苦悩から救済されるのか、人はどうやって根源的な苦しみから逃れることができるのか、ということです。
ところで仏教の源泉はインド思想ですが、そのインド文明に歴史という文化が発達しなかったのかというわけについて、「インド文明に特有な、転生(てんしょう 魂の生まれ変わり)の思想から来ている」と、歴史家の岡田英弘東京外語大学名誉教授は言います(「歴史とはなにか」18p 文藝春秋社)。
岡田教授は説明します。
日本に伝わった仏教用語で説明すると、衆生(しゅじょう 生物)は、その形によって『六道』という六種類の存在に分かれる。
「天」(神々)、『阿修羅(あしゅら 悪魔)、「人間」、「畜生」(動物)、「餓鬼」(がき 幽霊)、「地獄」の六種類の衆生がある。
天の神々から地獄の住民に至るまで、それぞれ長い短いの差はあるけれども寿命があって、寿命が尽きると、魂が死体から抜け出して、七七、四十九日の間『中有(ちゅうう)』(中間的存在)に在って、中有の期間が終わると、次の生物に生まれ変わる(転生する)。
このサイクルが「輪廻(りんね)」である。
(中略)ところでこの輪廻の思想では、来世でどんな種類の生物に生まれ変わるか、また生まれ変わってから、どんな生涯をたどるかは、今生(こんじょう)でどんな業(ごう)を積んだかによって決まる。
前世が原因で、今生が結果、今生が原因で、来世が結果、と考えられている」(前掲書18p)。
この終わりなき「円環(えんかん)」という時間の概念はインドに限らず、ギリシャ思想に共通するものなのですが、仏教ではこの輪廻転生から抜け出した者を「仏」と言うのだそうです。
つまり、仏教とは人が「仏」になるための道を示す教えであるとも言えるでしょう。ですから戒名、あるいは法名といいますのは、仏になるべく、生きている間に仏道に帰依して修行をした人に与えられるものなのに、仏教には無縁の人生を送りながら、死後、お金を払ってつけてもらう戒名あるいは法名には意味がない、という声もあります。
確かに仏教は「葬式仏教」などと揶揄されます。しかし、人生の終着点である葬儀を引き受けているがゆえに、仏教は強い、とも言えるようです。
政治家の違反行為に連座して有罪を宣告された作家、評論家の佐藤 優元外交官は、同志社大学神学部出身という異色の経歴を持つ、まさに「知の巨人」ともいうべき人物ですが、二年前に臨済宗の僧侶を対象として行われた研修会での連続講義において、仏教の強みを強調しました。
我々(註 キリスト教のこと)は仏教に勝つことができない、近未来においても勝てないでしょう。日本の仏教は葬式仏教という形でよく揶揄されますが、これは大きな間違いです。宗教において、葬式を司るということは、死というものをその宗教との関係において受け入れるということだからです。それは宗教としては最も強い影響力を持つということです(佐藤 優著「サバイバル宗教論」122p 文春新書)。
その通りだと思います。でもここで、次の問題が出てきます。人はこの世において、どうしたら「四苦八苦」の苦悩の状態から脱して本物の仏になることができるのか、ということです。
そのために、仏教は主に二つの道を提示したとされます。
一つは修行を積み重ねることによって、欲望や執着心などの煩悩を断ち、それによって悟りを開き、その結果、仏になるという道です。
それが飛鳥、奈良時代、そして平安時代に最澄(さいちょう)が開いた天台宗であり、空海が開いた真言宗など、なのだそうです。
しかし、そうなりますと、誰もが悟りを開く、というわけにはいきません。
「狭い道」ですので必ず、落ちこぼれが出てきます。というよりもほとんどの人が落ちこぼれてしまいます。
それに加えて時代的には、平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけて、世は乱れに乱れ、戦乱の世の中となり、飢餓、疫病が蔓延する、いわゆる末法の時代となって、人心が荒廃していきました。
そういう荒廃した時代の中で、修行という「自力救済」の限界を覚えて、念仏こそがすべての人を救済するとして、「他力救済」を唱えたのが浄土宗の開祖、法然(ほうねん)であったとされます。
彼の教えは「すべての衆生(しゅじょう)を救おうとする阿弥陀仏の慈悲を信じて『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と唱えよ」というものでしたが、
その法然の教えを更に分かり易く説いた人が法然の弟子で、浄土真宗を開いた親鸞(しんらん)なのだそうです。
親鸞は、誰であっても救済をしようとする阿弥陀仏の本願(ほんがん)が、「南無(なむ)阿弥陀仏」と唱える者を、たといそれが悪人であったとしても、極楽浄土に往生させてくださると説きました。
これを「他力本願」と言います。
よく知られているものが、親鸞の教えを弟子の唯円(ゆいえん)が書いたとされる歎異抄(たんにしょう)です。
そしてここまで来ると皆様は、「どこかで聞いたような教えでは」と思うのではないかと思います。そうです、まさに新約聖書の教えそのものであって、それは使徒行伝における使徒ペテロの説教を思い出させます。
ペテロはエルサレム神殿の大回廊において、多くの参拝者に向かい、聖書の言葉を解き明かしながら、「世の終わりが来る前に、ただただ、主の名を呼び求める者は、誰であっても救われる」と説きました。
「主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやむに、月は血に変わるであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう」(使徒行伝2章20、21節 182p)。
3.他力本願による救済は十字架において
高僧たちが教えるように、「南無阿弥陀仏」と称(とな)えることによって輪廻の束縛から解き放たれて、極楽浄土に往生することができればよいのですが、更なる問題はその裏付けの有無にあると言えます。
つまり、その教えには保証、確証があるのかどうか、ということです。
極楽行きの切符をもらったけれど、それで果たして極楽に行けるのか、極楽行きの汽車というものが果たして出ているのか、第一、それは誰も見た事がないし、行ってきたという人に会ったことがない、というわけです。
もちろん、法然上人や親鸞上人は人格的にも尊敬すべき人たちであって、日本の誇りでもあり、その教えも深く優れた教えでした。ですから欧米では知らぬ者のない有名な神学者であったカール・バルトが親鸞の教えを、「十字架のないプロテスタント(神学)だ」と評したそうです。
このバルトの評に関しては出典を確かめたわけではありませんので断定はできませんが、バルトがもしもそのように言ったのであれば、恐らくはそれを批判などではなく讃嘆の言葉として発したのではないかと思うのです。
「東洋の一角で、使徒パウロが打ち出した、『信仰のみによって救われる』という考えによくぞ到達した」という意味でですが。
親鸞の教えはまさに十字架のない信仰義認論です。西暦十三世紀の親鸞が、どこかでキリスト教の思想や神学に触れていたという証拠はないようですが、とにかく、「信じるだけで救われる」というその教えはパウロの主張と実によく似ています。
問題は、「なぜ信じるだけで救われるのか」ということです。「それが阿弥陀仏の意図、本願だからだ」という、その動機が阿弥陀仏の深い慈悲にあるという教えに納得することもできます。
問題は極楽浄土、キリスト教で言う神の国への道が果たして存在するのか、もしも存在するのであれば、誰がどのようにして開いてくれたのか、ということです。
人間と言うものは仏教でいう「罪障(ざいしょう)」、キリスト教で言えば「罪過(ざいか)」というものを持っています。
「救い」あるいは「救済」というときに欠かせないことは、罪障、罪過さらにはその根である「原罪」を誰がどのように処分、始末して、極楽、あるいは神の国に入る資格を与えてくれたのか、ということです。
残念ながら親鸞上人の教えにはそれが語られてはいないようです。でも、末法の時代と言われた鎌倉時代、法然上人や親鸞上人が悩める衆生と共に生き、共に苦悩した末に「他力本願」を打ち出したその時代の千二百年も前に、遠く離れたパレスチナの地に、神の子でありながら人となり、人として罪の誘惑を退けて罪なき生涯を送り、その無垢の体を人類の身代わりとして十字架に晒した一人の人がいたのです。イエス・キリストです。
このお方が私たちの罪障、罪過を代わりに受けて十字架にかかって身代わりの死を遂げてくださったからこそ、信じる者は誰であっても救われると、聖書は主張します。
西暦五十年の春あるいは夏のこと、使徒のパウロはローマ帝国のマケドニヤ州ピリピにおいて、所有者たちの利益のために奴隷となって働いていた薄幸の少女を救うのですが、金儲けの手段を失った所有者たちの怨みを買い、裁判も受けぬまま、投獄されて不当にも残酷な鞭打ちの刑に遭ってしまいます。
真夜中、パウロと同行者のシラスが痛みに耐えながら詩篇を歌っていたその時、地震が起こって獄屋の戸が開き、囚人をつないでいた鎖や足かせも外れてしまいます。
この事態を見た獄屋番は当然、囚人たちが逃げ出したものと思います。管理責任を問われるのは自分です。家族も一蓮托生で罰を受ける可能性が大です。
そこで獄屋番は災いが家族に及ばないようにと、責任をとるつもりで自死を決心します、そして剣を自分に向けたその瞬間、牢屋の中からパウロが大声で止めます、「死ぬな、あなたは死ぬ必要はないぞ、囚人は一人残らず、ここにいる」と。
間一髪、死を免れた獄屋番はパウロたちを外に連れ出して尋ねます、「自分のような愚かな者が、どうしたら神に受け入れられるでしょうか」と。
「それから、ふたりを外に連れ出して言った、『先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか』」(使徒行伝16章30節 209p)。
この真摯な問いにパウロは答えます、「自分の罪の身代わりになって死んでくれたイエスをキリスト、救い主として信じ、受け入れなさい。そうすればあなたのすべての罪は赦され、そして救われて永遠の生命を受けることができる、神の国に入ることができる」と。
「ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』」(16章31節)。
「他力本願」という、すべての人の救いを目的とした究極的な救いの道は、まことに有り難いことに、西暦三十年の四月、キリストとして選ばれたナザレ出身の、イエスという罪なき救世主の十字架の死によって、全世界の人々に、そして日本人のためにも造られていたのでした。
この、キリストによる救済を、「アメイジング グレイス」つまり、「びっくり仰天するような神の恵み」という讃美歌として書いたのが、イングランドの奴隷商人であったジョン・ニュートンでした。
そこで今日はご一緒に、聖歌二二九番「驚くばかりの恵みなりき」を心を込めて歌うことに致しましょう。まことに有難いことに、キリストという他力による救いは実現しているからです。