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2014年10月 日曜特別礼拝のご案内「日本人とキリスト教 第五回 日本仏教における救いとキリスト教の救い」

日本仏教における救いと
キリスト教の救い

治安と地獄

 外国から日本を訪れる観光客が異口同音に言うことは、自国に比べてこの国の治安がびっくりするほどよい、ということだそうです。
確かに先進国の中でも日本の犯罪率は飛び抜けて低いという統計がそのことを証明しています。
 その日本の治安の良さ、犯罪率の低さの一つの理由として、仏教の、とりわけお寺の存在と働きが挙げられます。
 戦前の多くのお寺の屏風絵などには、地獄に関する絵が実に多く描かれていて、子供たちはそれらの絵を見て、「悪いことをしたら地獄に落ちて、「嘘をついたものは閻魔(えんま)さまに舌を抜かれる」、あるいは「それぞれの悪行に応じて火の池、針の山で苦しむ」ということを教えられ、それが、「たとい人が見ていなくても人に迷惑をかけるようなことはしない」「良心に従って正直に生きる」という生き方を育てることに貢献したというわけです。
我が国における仏教の功績はまことに大であるといえます。
 

罪障(ざいしょう)の消滅

仏教は日本人の中に罪意識の豊かな、つまり良心の敏感な国民性をつくることに大きく貢献しました。それが外国人を驚かせるような治安の良さにつながったと考えられています。
しかし、罪意識を生み出す根本原因である「罪障(ざいしょう)」というものをどうしたら消すことができるか、ということが課題がとして残りました。
そこである高僧は、「衆生(しゅじょう)を救済したいと願う御仏(みほとけ)の本願(ほんがん)に徹底的にすがることによって、人は救われる」と教えました。
いわゆる「他力本願」という教えです。実に魅力的な教えです。
でも、西暦一世紀の末に著わされた新約聖書には、この高僧が教えを説いた千数百年も前に、「他力本願」という有り難い救済の道が既に設けられていたと書かれています。
すなわち、「罪なきイエス・キリストが人類の罪の身代わりとなって十字架に架けられた、だから誰であっても自らの罪を認めてキリストを信じ受け入れれば、一切の罪障が消滅し、地獄に落ちるべき者も神の国で永遠に生きることができるようになる」と説かれていたのでした。
まことに都合のよい話に聞こえますので、にわかには信じられない話であるとは思いますが、しかし、罪深い私どもには、「自力救済」は絵に描いた餅のようなものなのです。
そこで、私どもの教会では、聖書が語る真理を分かり易くご紹介する機会をご用意致しました。
聖書の話は聞いたことがない、教会などは初めて、というお方も、この秋の日曜日、街中の小さな教会にぜひお気軽にお越しくださって、講話とゴスペルに耳を傾けていただけましたら幸いです。
ご来会を心よりお待ちしております。