2014年9月7日 九月日曜特別礼拝説教
「日本人とキリスト教? 日本人の精神と
キリスト教の精神―大和魂と自己放棄」
マタイによる福音書18章21、22節(新約聖書口語訳29p)
はじめに
土木工学に興味を持ち、土木系の仕事に進む女性が増えているそうです。
最近では、そのような女性を主人公にしたコミックも人気で、こういう女性たちを「土木女子」、これを縮めて「ドボジョ」というのだそうですが、「ドボジョ」は響きが悪いから、呼ぶなら「なでしこ」がいい、という声もあるようです。
「なでしこ」は女子サッカー日本代表の愛称でもお馴染みですが、その「なでしこジャパン」は二〇〇四年のアテネ・オリンピック出場を前に日本サッカー協会が一般公募の中から選んだもので、「清楚で凛とした美しさを持つ日本女性を讃える言葉『大和撫子』からの『なでしこ』に、世界に羽ばたくようにと『ジャパン』を組み合わせたもの」だそうです。
秋の七草のひとつでもある「撫子(なでしこ)」という花は、日本人にとり、とりわけ、心を魅かれる花なのでしょう。
「なでしこ」は清少納言も「枕草子」の第六十四段で、「草の花は、撫子(なでしこ)、唐(から)のはさらなり、大和(やまと)のもいとめでたし」(花は何と言っても撫子である。特に唐(中国)の撫子は良いし、「大和のも」つまり日本の撫子もまたすばらしい)と書いています。
いくつかの撫子のうち、「カワラナデシコ」という種類が特に「大和撫子(ヤマトナデシコ)」と呼ばれるようになったようですが、これはまた、可憐で清楚、繊細であるが、芯の強さを併せ持った日本女性を撫子の花に見立てて呼ぶものとして知られています。
そして今日、第四回目の日曜特別礼拝における「日本人とキリスト教」では、「大和」という言葉から、とりわけ日本人の精神性を示す「大和魂」、あるいは「大和心」とは何かを解明し、他者のための「自己放棄」という崇高なるキリスト教の教えと、キリスト教の精神そのものである「赦し」、について考え合わせることにより、日本人であることの幸せと、イエス・キリストという人格に繋がって生きることの幸について、改めて感謝をする機会としたいと思っております。
1.「大和魂」あるいは「大和心」に日本人の精神が具現した
大相撲の七月場所が終わった直後の七月三〇日、モンゴル人の活躍が目立つ大相撲に日本人大関が誕生しました。境川部屋の豪栄道豪太郎です。
豪栄道はわが寝屋川市の出身で、寝屋川市立明和小学校、第四中学校を経て、相撲の名門である埼玉県の埼玉栄高校に進学し、卒業を待たずに二〇〇五年一月場所で初土俵を踏みました。
そして精進に精進を重ねた結果、ついに大関への昇進を果たすことになりましたが、その大関伝達式での豪栄道の口上が、「これからも大和魂を貫いてまいります」でした。
「これからも」ということは「これまで同様」という意味です。付け焼刃で意味もわからずに丸暗記をした四字熟語の口上とは重みが違います。
この「大和魂」について辞典はどう説明しているかといいますと、デジタル大辞泉では「日本民族固有の精神、勇敢で潔(いさぎよ)いことが特徴とされる」とありますように、それはそもそも「日本民族固有の精神」であり、具体的には「勇敢で潔いことが特徴とされる」精神であるということでした。
でも、「大和魂」と言っただけで、軍国主義、戦争という単語を連想する、想像力の豊かな人がいるようです。その的外れのターゲットになったのが「日本男児」です。
今年の二月、日本中を沸かせた人がソチオリンピックで金メダルに輝いた羽生弓弦選手でした。表彰式のあと、羽生選手の優勝を祝う電話が安倍首相からかかってきました。
「本当に羽生選手のあの素晴らしい演技、そして氷に向かって一礼するあの佇まいが流石、日本男児だと思いました。どうかこれからも頑張ってください」。
ところが何と、これにいちゃもんをつけた新聞社が出てきました。北海道新聞です。
同紙は「卓上四季」というコラムで、「日本男児」は戦時中、いざ征(ゆ)け つわものニッポンーダンジーなどと歌われ、代表的な“戦中用語”だった。かつての用例を知ってか知らずか…いや承知の上だろう。そんな言葉がさらりと口をつくような人物に、教育の『再生』を叫ばれてはたまらない」と批判したのです。
しかし、その三年前、イタリアのセリエAのインテルでサイドバックとして活躍している長友佑都選手が書いた自伝のタイトルが「日本男児」であって、それは二年後、同じ書名で子供向けにも発刊されていることを「知ってかしらずか…いや承知の上」で(このような情報をジャーナリストが知らなかったとするならば、ジャーナリスト失格でしょう)、それには何も言わずに安倍首相の発言を問題にするのは不公正であって、あまりにも物の見方が偏向しているとしか思えません。
同紙のコラムの執筆者が、自伝のタイトルを敢えて「日本男児」とした長友佑都を、そして同書を出版しポプラ社を批判したという事実がないということは、このたびのコラムがある種のイデオロギーを動機としたイチャモン以外の何物でもないことを証明していると思われます。
ところで「大和魂」ですが、「大和魂」が「日本民族固有の精神」であるということは、千年前の平安時代に書かれた、紫式部の源氏物語でも確かめることができます。
そこには、光源氏が葵の上との間にできた十二歳の息子夕霧の元服の際、夕霧の祖母にあたる、葵の上の母親に向かって夕霧の将来を綿々と語る場面があり、そこに「大和魂」が出てまいります。
なほ、才(さえ)をもととしてこそ、大和魂の世にもちゐらるる方(かた)も強うはべらめ…(紫式部「源氏物語 第二十一帖 少女(おとめ)」)
この場合の「才」は学問、つまり、中国から渡来した知識や知的体系としての漢才のことで、夕霧の父親である光源氏は、「そもそも大和魂という精神は、学問、知識、教養の基礎があってこそ、十分に発揮することができると思います」と、外からの知識と日本的心情の両立を強調しているわけです。
これが江戸中期以降になりますと、「大和魂」は「大和心(やまとごころ)」として、国学者である本居宣長(もとおりのりなが)などによって、人を陥れる謀略や欺瞞が背後にある中国思想としての「漢意(からごころ)」とは違った、日本固有の「嘘、偽りのない、ありのままの潔(いさぎよ)い心」として称揚されることになります。
そしてその「大和心(魂)」を形に表したものが「桜」の花でした。「武士道」において著者の新渡戸稲造は、本居宣長が自画像に書いたとされる有名な三十一文字を引用して、「大和魂」を説明しています。
本居宣長は、
しきしまのやまと心を人とはば
朝日ににほう山さくらばな(肖像自讃)
とよんで、日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表わした。たしかに、サクラは私たち日本人が古来からもっとも愛した花である。そしてわが国民性の象徴であった(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳「武士道」164、5p 株式会社三笠書房)。
なお、「しきしま」は敷島で日本国を、そしてそこに住む日本人を意味します。
ところで「大和魂」の大元は神道用語であるという説をネットで見つけました。古学(国学)や古神道の研究家である紀瀬美香さんという方の、「きのせみかの大和撫子な生活」というブログから、勝手に引用させてもらいます。
大和魂(やまとだましい)という言葉で多くの人が連想するのは「神風特攻隊」のように、「命を捨てる覚悟」という精神ではないでしょうか?しかしその大元は、神道用語の「おおにぎみたま」で、「大いなる和魂(にぎみたま)」という意味です。
「和魂」とは和らいだようすを表しており、調和して穏やかなことを意味しており、この和魂のはたらきが大きい人は温厚で篤実(とくじつ)な人とされています」(紀瀬美香ブログ「きのせみかの大和撫子な生活」2011.08/17[Wed]「大和魂」とは「大いなる和魂(にぎみたま)のこと」)。
本来の大和魂が「調和して穏やかなこと」であるという説明から、私たちが思い到るのが、聖徳太子が作ったとされている十七条憲法の第一条です。
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ(日本書紀 書き下し文)
この「和を以て貴しとなす」は一般には、「とにかく対立は避けて、妥協できることは妥協する、とにかく何事も穏便に」というように理解されていますが、求められているのは対立を克服した「調和」です。
そして、この精神に憧れて日本に帰化して日本人になったのが、いま、評論家、著述家、大学教授として活動している呉 善花(オ ソンファ)さんです。
新聞のインタヴュー記事です。
私が(韓国で)子供の頃に思っていた日本は、ほとんど今の日本そのままだと思います。
やさしく親切な人が多く、世界で最も貧富の格差が少ない豊かな社会があって、世界で最も治安の良い平和な国です。日本の文化、精神性を今も探り続けています。
世界が理想としてつくり上げることができなかった社会、それを日本はつくり上げることができた。それはなぜか。
日本人に特有な「和をもって尊しとする」調和の精神があるからこそです。
日本人はことさら対立を嫌い、ことさらに融和を好む、他に例を見ない平和な国民だと思います。
世界の一部で誤解されていますが、今はそこに気づいている人たちが増え続けています(産経新聞 平成26年8月8日 オピニオン 話の肖像画 評論家 呉 善花? 「韓国よ、日本よ…融和への思い」)。
「韓国よ、日本よ…融和への思い」という記事のタイトルに、この方の、生まれた国と帰化した国への熱い思いが溢れています。
日本が平和なのは「平和憲法」があるからではありません。呉 善花教授がいみじくも指摘しているとおり、「和(やわらぎ)を以て貴しと為」すという精神が残っているからです。
しかし、それは一般にはしばしば、「足して二で割る」式の妥協のためと誤解されがちで、それが混乱を引き起こすこととなっています。
それはまた、時には「長いものには巻かれろ」「強いものには負けろ」という処世術となって、権力に盲従する傾向に陥ることは事実です。
その端的な例が戦後の日本人の、GHQへの態度、とりわけダグラス・マッカーサーに対する各界からのお追従(ついしょう)でしょう。
確かに占領軍の言論統制を伴う日本自虐化政策が功を奏したこともあってか、マッカーサーはあたかも解放軍の英雄の如くに持て囃されました。そのお先棒を担いだのが朝日新聞社です。
そして日本人の多くは素人同然の米国人が即席で作った新憲法を、有り難く押し戴きもしたものでした。
それでも、大和魂を受け継ぎ、「和(やわらぎ)」を大事にしてきた日本人には豊かな可能性があります。
二十一世紀の今を生きる日本人に求められていることは何かと問うならば、それは、日本人は旧来のように横からの声を聞くだけでなく、天を仰いで、上からの声、すなわち神の言葉を聞くことに精力を傾けることである、それが答えです。
神の言葉は命じます、「神がもたらす平和を求めて、これを追え」と。
「いのちを愛し、さいわいな日々を過ごそうと願う人は、舌を制して悪を言わず、くちびるを閉じて偽りを語らず、
悪をさけて善を行い、平和を求めてこれを追え。
主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾く。
しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」(ペテロの第一の手紙3章10~12節 新約聖書口語訳369p)。
国益というよりも私益のために「舌を制」(10節)することなく平気で「悪を言」(同)い、「くちびるを閉じ」(同)るどころか、何の根拠も示さぬままに歴史と称して「偽りを語」(同)る周辺の国々と、これに呼応して日本を貶しめることにひたすらに精力を費やす一部の日本人学者、政治家、報道機関も含めて、日本人全体がいま、「悪をさけて善を行い」(11節)、神が造り出す真の「平和を求めてこれを追う」(同)ことが求められていると思うのです。
2.大和魂という精神は、キリスト教の自己放棄の精神の末裔である
「大和魂」を実とするならば、その実は大義のために己を捨てるという、忠義と自己放棄の思想として明治維新前夜の幕末に結実致しました。
そしてその代表が、維新の活動家たちに多大な影響を与えた吉田松陰です。
二十九歳で処刑された吉田松陰の辞世の句にも「大和魂」が詠み込まれています。処刑前夜に松陰が弟子たちに書き遺した檄文「留魂録」の冒頭に置かれた三十一文字です。
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
有名なものが、危険が自分に及ぶことがわかっていても、それを避けては通れない、という義侠心、言葉を変えれば自己放棄の思いを詠んだ松陰の歌です。
斯(か)くすれば 斯くなるものと知りながら
已(や)むにやまれぬ 大和魂
吉田松陰は1854年(安政元年)、下田沖に停泊していた米国船に乗り込んで密航を企てますが、それに失敗し、江戸に護送される途中、赤穂浪士が祀られている高輪の泉岳寺前を通過した際に詠んだものと伝えられています。松陰このとき、満で二十三歳でした。
人の、特に男性の行動の動機に、「男の面子(メンツ)を保つため」というものがあります。女性にはなかなか理解しがたいものが男の面子、プライドというものです。
しかし、男としての面子をかなぐり捨てて、弱い立場にあるものをその命をかけて守るべく、神の言葉に唯々諾々と従った人が聖書に出てきます。マリヤの夫にして、イエスの養父となったヨセフでした。
御使いガブリエルから受胎告知をされた時、マリヤはヨセフと法的な意味では既に夫婦でした。ユダヤでは法的に夫婦となってから、一年後に同居して実質的な夫婦になるという慣例がありました。ですから、法的夫婦の段階で妻が妊娠すれば、不倫が疑われまた。
だからこそマリヤの妊娠を知った時、ヨセフが悩みに悩んで下した結論が、結婚の解消ということであったのでした。
しかし、彼にはマリヤを妻として家に迎え入れるようにとの神のお告げが与えられます。
「母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重(みおも)になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現われて言った、『ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである』」(マタイによる福音書1章18~21節)。
ヨセフはどうしたかと言いますと、神のお告げに決然と従って、マリヤを妻に迎えます。
「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた」(1章24節)。
当時のユダヤ社会は一般に早婚でした。ですから推定ではこの時マリヤは十五歳か十六歳の少女、ヨセフは十九かはたちの若者です。
ヨセフにとっては、神が遣わした救い主と、その救い主の母として選ばれた女性を一身かけて守り抜くために、世間の嘲笑、軽侮の視線、屈辱の言葉を浴びることを覚悟しての決断であったのです。
それはヨセフの自己放棄でした。まさに、先に起こることが見えつつ、取った行動でした。すなわち、「斯くすれば、斯くなるものと知りながら」選んだ決断であったのです。
「已むにやまれぬ 大和魂」という、自己放棄の精神を吉田松陰が歌った一八六〇年も前に、世のため、人のため、そして神の栄光という崇高な目的のために、一介の職人でしかなかったユダヤの大工が実践をしていたのでした。
このように考えてきますと、「大和魂」という日本人の伝統的精神は、ヨセフに代表されるキリスト教の精神の末裔、子孫である、ということができるのではないでしょうか。
3.大和魂は「七たびを七十倍するまで赦せ」というキリストの教えにおいて完成していた
日本の隣りには「恨みは千年、忘れない」という執念深い国があるのですが、先月、その国を訪れたローマ法王フランシスコがミサに集った群衆に向かって教え諭した言葉が、「七たびを七十倍するまで赦しなさい」というキリストの教えでした。
ある時、弟子のペテロがイエスに尋ねました。「イエスさま、仏の顔も三度までと言いますが(これはジョークです)、隣人が私に対してひどいことをした場合、私たちクリスチャンはその隣人の罪を何度まで赦せばいいのでしょうか。七たびまでですか?」
これに対するイエスの答えがペテロの予想を超えた、七たびの七十倍、ということでした。
「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか』。イエスは彼に言われた、『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい』」(マタイによる福音書18章21、22節)。
確かに「仏の顔も三度まで」と世間で言われていますが、三度の倍にさらにもう一つ上乗せをしたのですから、七たびで十分だろうと俗人である私たちは思ってしまうのですが、イエスは何と、「そうではない、七の七十倍、つまり無限に赦せ」と言われたのでした。
人としてのイエスは、おのれを誹謗中傷する故郷の人々の無知を赦し、神から与えられた使命を淡々と果たす養父ヨセフの背中を見つめながら、父を模範として成長したと思うのです。
そして、イエスはその生涯を通じ、そして十字架の身代わりの死という自らの犠牲を通して、究極の「和(やわらぎ)」である神と人との和解を、審判者である神と、原罪を担う人類の仲介者となってなし遂げてくださったのでした。
「大和魂」は、ヨセフが自らを放棄して守り抜いた救世主イエスを通して、既に二千年も前に、日本から遠く離れたパレスチナにおいて正しく実践され、完成されていたのでした。
日本人よりも、むしろ外国人によって高く評価されている日本人の精神的伝統は、遥かなる昔、聖書の登場人物により、とりわけ救世主であるイエス・キリストによって実現し実践されていたことを覚える時、私たちは神から遠く隔てられているとされる日本人が、実はどこの国の人々よりも神に遥かに近い存在なのだということを知って、勇気と希望を与えられるのです。